END OF HOPE:21xx - Last Call 作:久遠 -kuon-
──ガシャアアアアアアン!!
鋭利な岩の脚が振り上げられ、容赦なく振り下ろされる。シアが咄嗟に展開した防御魔法ごと、彼女の体を吹き飛ばした。
「……っ、がは……!?」
ゴツゴツとした岩肌にシアの華奢な体が叩きつけられた。ガツンと、肉や骨が衝突する鈍い音が、耳にこびりつく。その音が、ルイの胸を抉るように響いた。
全身に冷たい汗が噴き出す。声は、喉の奥で詰まっている。心臓を何かに握り潰されたように、視界がぐらつき、世界が遠のいていく。
(──また)
焦げた肉の匂い。全身を貫く刃。神経ごと焼き切れた、あの熱。
狭間で刻まれた感覚が、許可も取らずに蘇る。目の前にいるのはシアなのに、脳の奥のどこかが、あの時の自分と、今のシアを、勝手に重ねようとしていた。
(死ぬ。シアが、死ぬ)
根拠なんて、どこにもない。ただ壁に叩きつけられただけだ。頭を強く打った様子もない。手足の角度もおかしくない。
──それでも、頭の中では、もう何かが決定的に壊れてしまったかのように、警鐘が鳴り続けている。
シアの顔が歪む。痛みに顔を歪め、彼女は必死に息をつかもうとする。
「シア!!」
ルイの声が、震えながら叫ばれる。だが、その声が届くのか届かないのか、シアの表情はぼんやりとしたままだ。
「……っ、ルイ……」
声は、出ている。ちゃんと、聞こえている。
なのに、ルイの耳には、それが今にも掠れて消えてしまう、最期の言葉のように聞こえた。
駆け寄ろうとする。でも、足が竦む。
(動け。動けよ。これじゃ、あの時と同じだ──)
狭間で、シアが焼かれる想像に指一本動かせなかった、あの瞬間と。
今、目の前で本当にシアが傷ついている、この瞬間が。
頭の中で、二つが溶けて、区別がつかなくなっていく。
どちらが現実で、どちらが植えつけられた恐怖なのか。
立ち止まって考える余裕なんて、どこにもなかった。
その瞬間、星骸が再び動く。すでに、何もかもを終わらせようとしているかのように、無慈悲に動き出す。
──とどめを刺そうと、容赦なく。その巨大な脚が持ち上げられる。
……なんだよ。結局もう、巻き込んでるじゃないか。
勝手な振る舞いのせいで迷惑をかけて、怪我をさせて。
──許されることじゃない。他の誰かが許したとしても、自分が、自分のことを許さない。
何もできずにただ座り込んでいた自分への怒りが胸を灼いた。指先が震え、喉が焼けるように熱い。鼓動が早鐘のように響き、体中に血が駆け巡る。怒りが、力に変わり、全身に火をつけた。
(……シアに、伝えないといけないことがある)
こんなところで、自分も、シアも、死んでいいわけがない。
一人で突っ込むな。危ないことをするな。俺より前に出るな。言いたいことは、山ほどあった。今すぐ怒鳴りつけてやりたいくらいに。
──でも、それを言うためには。
まず、この状況を生き延びなければならない。
このままシアを死なせるなんて、絶対に、許されない。
──どれだけ心が折れて、立ち直れなくなりそうになっても、五年間握り続けてきたグリップだけは、今この瞬間も、自分の体の一部のように手に馴染んだ。
──バンッ!!
乾いた銃声が、洞窟の静寂を切り裂いた。
「──お前が視た絶望なんかに、くれてやるかよ」
ルイはシアを背に庇い、双銃の銃口を一瞬で星骸へと定めた。
巨体が動き出す。だが、天井までの高さは、ぎりぎりしかない。──この狭さを、利用する。
ルイは地を蹴り、爆発的に前へ飛び込んだ。
蜘蛛型の星骸。図体はでかい。だが、狭い洞窟では、その図体そのものが枷になる。振り向くにも、脚を振り上げるにも、岩壁が邪魔をする。動きは制限され、必然的に択は絞られていく。
確実な勝利のために、迷いは少なければ少ないほどいい。残された選択肢も、全て、潰す。
手の中で銃を回転させ、刃を展開。双銃は一瞬でダガーに変形する。
巨大な脚が振り下ろされる。
(来る──)
迷わず踏み込んだ。両刃を交差させ、迫る脚の軌道を刃を当てて逸らす。風圧だけが頬を叩く。逃げ場のない岩壁に脚が深く突き刺さり、動けなくなる。
これで、星骸は動けなくなった脚を必ず引き抜こうとする。奴らの生態として、行動を制限されることが、どうにも気に入らないらしい。
その瞬間だけは攻撃が来ない。油断はしない。別の脚の動きも、常に視界の端で捉え続ける。
ルイの目が、関節部の隙間を捉えた。そして、全身を使って、迷いなくそこへ刃を突き立てる。
鋼鉄のような甲殻の間に、深々と食い込む感触。すぐさま力を込めると──関節が崩れ、その部分から脚が千切れた。
──キシャァァァアアアアアッ!!!!
星骸が絶叫し、その甲高い声が洞窟に響く。反響した音が、逆に星骸自身の動きを一瞬乱したのを、ルイは見逃さなかった。
すぐさま別の脚が猛然とルイへと襲いかかる。狭い空間ゆえに、その一撃は真っ直ぐにしか来られない。
(……追える。コイツの攻撃なら)
『星骸だから』と侮ってはいけないのは百も承知だ。
だが、狭間で見せつけられた、あの知覚の限界すら超えた金色の攻撃と比べれば。
「──なにもかも、遅いんだよ!!」
迫る脚を弾く。低い天井を利用し、岩肌を蹴って軌道を変えながら空中へ逃げる。着地と同時に、また別の脚を天井や壁、地面へと叩きつけ、動きを封じてから関節を一気に切断する。
それだけで油断はしない。次の攻撃を、即座に察知する。
追い、弾き、切る。何度も、何度も。
狭い洞窟の中を、まるで壁を蹴って跳ねる小さな獣のように、右へ左へ、時には天井近くまで跳び上がりながら。関節を狙い続け、徐々に機動力を奪っていく。
図体が大きい分、一つの脚を失うたびに、その巨体は支えを失ってますます不自由になっていく。
──四本。
壁に突き立てて、動けなくした脚が、もう四本。
ルイは、荒く息をつきながら、星骸の姿ではなく、その"位置"を見ていた。
入ってきた時のことを思い出す。奴がここへ現れた瞬間、頭上でぱらぱらと砂が降った、あの場所。
崩れかけた天井。もとから、この洞窟自体が長くはもたない、脆い岩盤でできている。
(──あそこに、誘い込む)
残る脚は、まだ動く。だが、この巨体を思うように支えられるだけの本数は、もうない。
ルイは、あえて距離を詰めすぎず、浅く斬りつけては引く。苛立たせるように、少しずつ、少しずつ。
誘導は簡単だった。動けない脚に苛立った獣は、残った脚で無理やり体勢を立て直そうとする。その度に、ルイが浅く傷をつけた側へ、自然と重心が逃げていく。
目的の真下まで、あと少し。
その時、星骸が大きく上体を反らした。
腐食性の糸。触れれば、一瞬で全身が溶かされる。狭い空間で放たれれば、逃げ場も限られる。
──それでも。
(今しかない)
ルイは真横の岩壁を蹴り、一気に跳躍する。糸が放たれる刹那、壁を蹴った反動でさらに軌道を変え、星骸の死角へと飛び込む。
ダガーを回転させれば、それは銃へと変形する。
狙うのは、星骸の身体じゃない。
(上だ)
崩れかけた天井の、亀裂の走った岩盤。
トリガーを引いた。轟音とともに、異能エネルギー弾が発射される。
──ドンッ!!!
弾は星骸を素通りし、そのまま脆い岩盤へと突き刺さる。
みしり、と鈍い音がした。糸のように細かった亀裂が、蜘蛛の巣状に一気に広がっていく。岩の内側で、何かが軋み合う音が続けて響いた。
「シア、来い! 俺と一緒に走るぞ!」
「う、うん!」
シアの手を掴み、星骸の脚の下を潜り抜けるように駆け出す。
崩落まで、猶予はほとんどない。足元は瓦礫と傾いた岩肌で、まっすぐには走れない。それでも、最短距離で洞窟の入り口側まで、シアを引きずるようにして導いていく。
背後で、頭上の軋みが、悲鳴じみた高さに変わっていくのがわかった。
「──防御魔法、頼めるか!」
「わかった!」
入り口まであと数歩というところで、シアが振り返りざま杖を構えた。詠唱の暇はない。彼女の意志だけが先に立って、二人の頭上に、薄い光の膜が広がる。
その一瞬。
頭上の軋みが、ぴたりと止んだ。
次の瞬間、天井そのものが、抜け落ちた。
──ゴアアアアアアンッ!!!
地響きにも似た崩落音が、幾重にも重なって轟く。最初の一枚が落ちた衝撃が呼び水になって、次から次へと岩塊が引きずり出されるように落ちていく。連鎖するたびに、洞窟全体が下から突き上げられたように震えた。
舞い上がった土煙が、一拍遅れて、洞窟の入り口まで一気に押し寄せてくる。灰色の砂粒が視界を塗り潰し、鼻の奥まで乾いた土の匂いで満たされた。
張られたばかりの光の膜に、細かな石つぶてが次々と当たって弾ける。パチ、パチ、と乾いた音が続けて鳴った。膜越しに見える崩落の輪郭が、土煙にぼやけて、まるで白昼夢のように滲んでいる。
二人は身を屈め、腕で顔を庇いながら、そのまま外へ転がり出る。膝と手のひらに、冷たい地面の感触が突き刺さった。石粒が皮膚に食い込む痛みで、ようやく、自分がまだ動けていることを実感する。
しばらく、咳き込む音以外、何も聞こえなかった。
「……っ、げほっ、大丈夫か、シア」
「う、うん……なんとか……」
二人とも、しばらくは言葉にならない呼吸の音だけを重ねていた。
土煙が、風に流されて少しずつ薄くなっていく。灰色の粒子の向こうに、洞窟の輪郭がじわじわと像を結び始めた。
ルイは、ゆっくりと振り返る。
崩落した天井の瓦礫が、洞窟の奥を分厚く埋めている。天井があった場所には、今はもう歪な穴だけが開き、外の薄暗い光が一筋、瓦礫の隙間から差し込んでいた。
その隙間から、かろうじて土煙越しに見えるのは──
(──生きてる)
脚を封じられ、身動きの取れない星骸の背に、天井そのものが降ってきていた。
巨体が沈む。潰れた、ではない。瓦礫の重みに押されて、確実に体勢を崩し、首から上だけが、押し潰された胴体の隙間から、力なく伸びていた。
──だが、それでもまだ、息の根は止まっていない。
あの質量の天井を、丸ごと浴びせたのだ。並の生物なら、原形すら残らない。
それでも、星骸は死なない。押し潰された胴の隙間から伸びる首は力なく垂れ下がったまま、それでも僅かに、瓦礫の隙間の暗がりで、脈打つような光が奥で明滅していた。とくん、とくん、と。命というより、機械の残り火のような、規則正しい弱い光。
──化け物。
その言葉の意味を、今更ながら思い知らされる。
なるべく弾を温存して倒したかった。岩盤に、装甲を砕くだけの何かがあればと期待したが、そううまくはいかなかったらしい。
瓦礫に埋もれた巨体を見ても、外殻に目立った亀裂はない。少しは効くかと思ったが、甘かった。
(……仕方ない。いつも通りだ)
そうしたら、また前と同様に、首の付け根に銃を突っ込んで──
そう覚悟を決めた、その時。