END OF HOPE:21xx - Last Call 作:久遠 -kuon-
──ボコッ、ボコボコッ。
瓦礫の隙間という隙間から、次々と何かが這い出してくる音がした。粘っこい、湿った音だった。まるで、埋められた土の中から、虫の群れが一斉に地上を目指しているような。
「ル、ルイ……!」
(……は?)
思わず、間の抜けた声が漏れそうになった。
だが、小さい。まだ成長過程なのか──そもそも星骸に成長という概念があるのかも不明だが──随分と体の小さな個体だった。
瓦礫の隙間から、次々と這い出してくる。数は、ぱっと見ただけで十を超えていた。人の膝丈ほどの体高。だが、動きは素早く、何より数がある。関節の光がちかちかと点滅しながら、瓦礫の隙間を這い出るたびに、細い脚が地面をカチカチと鳴らしていた。
(──冗談だろ。まだいるのかよ……)
でかいのを一体倒すだけでも、これだけ手間がかかったのだ。それが、今度は数で押してくる。
走って振り切れる敵ではない。倒さなければ永遠に追ってきて、いつか追いつかれて、そして──
「シア、俺が片付ける。下がって、大きい方だけ見ておいてくれ!」
「わ、わかった!」
シアが後方へ跳び退り、杖を構え直す。狙いは崩れかけた星骸本体──再び動き出さないよう、牽制の炎を絶えず浴びせ続ける役目に回った。
ルイは、そのまま群れの中心へ飛び込んだ。
一体目。銃をダガーへ変形させながら、最も近い一体の脚を薙ぎ払う。甲高い悲鳴を上げてそれが転がる間に、もう一体の頭部へ蹴りを叩き込む。硬い外殻が軋み、ひび割れる感触が足の裏に伝わった。
二体目、三体目。左右から挟むように迫ってきた脚を、刃で払い落とす。一体は瓦礫に弾かれて動かなくなり、もう一体は、それでも脚だけを動かして、地を這うようにルイの足首へ食らいつこうとする。踏みつける。硬い音がして、脚が数本、根元から折れた。
数はいる。だが──恐怖は、少しもなかった。
──その事実に、少しだけ、拍子抜けする。
さっきまでの、あの"異能者"のことが、頭の隅をよぎった。距離という概念そのものが崩れて、瞬きの間に間合いが消えていた。触れられた場所から、皮膚が"弾けた"。あれに比べれば──
(……なんだ、これ。作業じゃないか)
四体目。飛びかかってきた一体の頭を、銃身で殴り飛ばす。着地と同時に振り返り、背後から迫っていたもう一体の脚を、真横に薙ぐ。
五体目、六体目。数えるのも、途中でやめた。
囲まれれば、確かに厄介だ。だが、"厄介"という言葉で片付けられる程度でしかない。噛まれても、致命傷にはならない。攻撃の軌道は単調で、読める。個体ごとの動きの癖も、数体を捌くうちに、もう先読みできるようになっていた。
──同じ動き。また、同じ動き。
跳びかかってくる。避ける。着地際を狙って蹴りを入れる。転がる。もう次が来る。避ける。斬る。
一体を仕留めるたびに、瓦礫の奥から、まるで補充されるように新しい個体が這い出してくる。
(──キリがない)
最初にあった緊張は、いつの間にか薄れていた。代わりに湧いてくるのは、単純に、面倒くさいという感情だった。
「……何体、湧いてくるんだよ」
思わず、声に出ていた。誰かに聞かせるつもりもない、ただの独り言だった。
七体目を蹴り飛ばした瞬間、腕にじわりと疲労が滲む。斬るのも、蹴るのも、同じ動作の繰り返しだ。動きに、工夫も、緊張も要らない。ただ、腕を振って、脚を出す。それだけの、単純作業。
八体目。九体目。
斬っても、蹴っても、次から次へと湧いて出てくる。まるで、瓦礫そのものが敵を生み出しているかのようだった。
(……これ、本当にキリがあるのか?)
半分近くを片付けた頃には、息が上がっていた。だが、疲労の質が、さっきまでとは違う。恐怖から来る消耗ではない。ただの、肉体労働の疲れだった。
止まる理由はない。ただ、面倒だ、とは思う。
十体目を斬り倒したところで、ルイは小さく息を吐いた。
「……いい加減にしろよ」
うんざりした声だった。星骸相手にこんな声が出る日が来るとは、自分でも思わなかった。
最後の数体を一気に薙ぎ払い──そこで、ルイの動きが止まった。
視線の先。まだ動く一体が、脚を折り畳んで丸まるように蹲っている。数の多さに紛れて、傷ひとつなく残っていた個体だった。
(──待てよ)
ルイの目が、それをただの敵として見るのをやめた。
硬い外殻。頑丈な脚。本体と同じ、あの黒曜石のような質感。
──これなら、あのデカブツの装甲も、砕けるんじゃないか。
ルイは残った一体の背の方に周り、両手でその脚の根元をがっちりと掴んだ。抵抗する個体を無理やり引きずり倒し、そのまま担ぎ上げる。
人一人分ほどの重さと硬さを持つそれを、まるで棍棒のように、両手で構え直した。
「シア! そいつ、動かないようにできるか!」
「うん……! 少しなら!」
シアが、瓦礫の隙間から力なく伸びる星骸の首元へ、最後の炎をぶつける。装甲を割るには足りない、それでも、狙いを逸らさないための牽制。
その隙に、ルイは瓦礫を踏み越え、動けずにいる巨体の頭部へと迫った。
振り上げた腕に、粘つく黒い体液が飛び散る。頬にも、ぴしゃりと数滴。拭う素振りすら見せず、ルイはそのまま構え直した。
(ルイ、なにを──)
表情は、驚くほど凪いでいた。
怒りも、気合いも、ない。ただ淡々と、やるべき作業をこなすような目。──なのに、眉根だけが、心底面倒くさそうに寄っている。
両手で構え直したそれを、いったい何に使うつもりなのか。問いかける暇もなかった。
──振り下ろす。
「えっ!?」
──ゴギィイイインッ!!!
鈍く、重い音が洞窟に響いた。担いでいた個体の外殻が、衝撃で粉々に砕け散る。破片が四方へ飛び散り、いくつかがルイの頬を掠めた。だが、それ以上に。
押し潰されて力なく伸びていた星骸本体の頭部──その黒曜石の装甲に、ついに深い亀裂が走った。
一撃では、まだ足りない。
ルイは砕けた欠片を、無造作に横へ放った。すぐさま倒れていた別の小さな個体を掴み上げる。
その動きに、迷いも、感情の色もなかった。
「……硬いな」
小さく呟いただけだった。まるで薪でも割っているような、静かな声だった。
その姿を見て、シアは目を丸くした。
開きかけた口から、声にならない声が漏れる。
(──あ。あ、これ、知ってる。知ってるやつだ……!)
いつだったか、
藤崎が、まな板の上に置いた大きな氷の塊に、なぜか短刀を振り上げていた。
「──ルイくんなぁ? ちょ〜っとイラっとすることがあったらなぁ、こうやってぇ……」
軽い調子でそう言いながら、藤崎は真顔で手に持った短刀──いや、ドスを振り下ろした。
ゴンッ、と鈍い音。氷が真っ二つに割れる。
「……氷を割ったら、スッキリするんよ〜! 手も痛うないしなぁ」
当時のルイは、隣で仏頂面のまま、腕を組んで見ていた。頷きも、返事もしなかった。
(……もし、俺がご飯を残したら。次はアレの的になるのか)
真っ二つになった氷の断面を、ちらりと見る。それから、そっと自分の食器へ視線を落とした。皿の上には、米粒ひとつ残っていない。
──よし。今日も、大丈夫だ。
誰にも気づかれないよう、ルイは静かに胸を撫で下ろしていた。
「最近、珠桜はんがご飯食べてくれはらへんでなぁ〜。ルイくんは、ちゃぁんと毎日残さず食べはって、えらいなぁ〜、ん〜?」
それでも、藤崎の言葉は、いつの間にかルイの中に根を張っていたらしい。
目の前で繰り広げられているのは、氷はなく、化け物の身体だという違いだけで。
振り下ろす。
二度目。三度目。
振り下ろすたびに、担いだ個体の体は砕け、それでも亀裂は少しずつ深く、大きくなっていく。
「……もう少し」
誰に言うでもなく、そう呟く。
そして、シアはまた思った。
(……というか、平然とやってるけどあの腕力は、もしかして……!!)
ある日の澄幽の昼下がり。
珠桜の執務室。書類の山と、湯気の立つ茶器が並ぶ机の端で、珠桜と律灯が、その片手間にルイと腕相撲をしていたことがあった。
「じゃ、いくよ?」
「……なんで俺、こんなことしてるんですかね」
「い〜からいくよ?」
律灯が審判役を買って出て、二人の手を重ねる。珠桜は書類から一切目を離さないまま、片手だけをルイの手に添えていた。
「……本気、出しますよ」
「うん、どうぞ」
軽い調子だった。まるでお茶でも飲むような。
「──レディー、ゴー」
律灯の合図と同時に、ルイは全力で腕を捻った。渾身の力を込めたつもりだった。
1ミリたりとも、動かなかった。
珠桜の腕は、机に固定されたようにびくともしない。書類をめくる指先すら、止まらなかった。
「……っ、う、おおおおおおお……!!」
「がんばれ〜」
「ぐ、ぬぬ……!!」
じわり、じわりと、逆にルイの手の甲が傾いていく。抗おうとするほど、腕全体が悲鳴を上げた。
「両手でもいいよ」
投げやりな余裕の一言に、心が折れかけた。
「珠桜さん……!!!!」
「負けたらベンチプレス。終わったらもう一回ね」
──ゴツン。
呆気なく、ルイの手の甲が机に叩きつけられた。
律灯が、無言でそっと──あらかじめ執務机の脇に用意されていたベンチプレス台を指し示す。
用意が良すぎる。
当然、逃げることなど許されるはずもなく、ルイはそのまま引きずられるようにして、トレーニングをさせられる羽目になったわけで──
(絶対アレの成果だよーー!!!!)
最後の一撃。
振り下ろした瞬間、亀裂の走った装甲が、内側から弾けるように砕けた。黒い破片が飛び散り、その奥に脈打っていた鈍い光が、ふつりと消える。
巨体が、完全に動きを止めた。
シアは、その一部始終を見ていた。思わず、ぽかんと口を開けたまま固まる。
ルイは、最後に使った個体の残骸を、これまた無造作に足元へ落とした。乱れた呼吸を整えながら、いつもの調子で振り返る。
「……終わった」
「……う、うん」
シアの声は、少しだけ引き攣っていた。
星骸との死闘の恐怖とは、また別の何かに、今、彼女は直面していた。
静寂が広がる。戦いの終わりを告げるように、洞窟の中に響くのは、崩れた岩の軋みと、ただ二人の荒い呼吸だけ。
──戦いは、終わった。