END OF HOPE:21xx - Last Call   作:久遠 -kuon-

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第七話 微熱に浸る余韻 - 1

 しばらく、シアは呆然と立ち尽くしていた。

 

 目の前で繰り広げられていた光景──小型星骸の残骸を棍棒のように担ぎ上げ、うんざりした顔で装甲を叩き割っていく、あの奇妙な連打──から、まだ意識を引き剥がせずにいる。

 我に返ったのは、崩れた入り口の奥から吹き込んできた冷たい風に、頬を撫でられてからだった。

 

「……お、おわったぁ……!」

 

 詰めていた息を、ようやく吐き出す。全身の力が抜け、膝が震えて、そのままその場にへたり込んだ。指先が触れた地面は凍るように冷たいはずなのに、今はどこか遠い感触にしか思えない。恐怖と興奮の余韻が、まだ彼女の瞳の奥で揺らめいていた。

 傍らではルイも、肩で息をしながら立ち尽くしていた。戦闘の余韻が、まだ彼の体内に残っている。喉の奥が焼けつくように熱い。二双のダガーを握り締めたまま、荒い呼吸の合間にゆっくりと言葉を絞り出した。

 

「……シア、大丈夫か?」

 

 その声に、シアはゆっくりと顔を上げた。見開かれた大きな瞳が、ルイを捉える。

 得体の知れない恐怖に怯える彼の姿も、星骸を颯爽──かどうかは、少し疑問が残るところだが──と撃破してみせた彼の姿も、今はもう静けさの中に溶けていた。

 

 シアは数度、瞬きを繰り替えす。ぼんやりとした視界の中で、ルイの無事を確かめるようにその姿を見つめ──怪我ひとつないことに、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「……うん! ルイのおかげで、大丈夫。結局助けてもらっちゃったね」

 

 ふわりと花のように微笑みながら、シアはそう言った。その笑顔には、安堵と感謝と、ほんの少しの照れくささが混じっている。

 その様子を見て、ルイはようやく安堵の息を吐いた。武器を静かにショルダーホルスターへと戻しながら、視線をシアの全身へと滑らせる。どこか痛んでいるところはないか──彼女の小さな傷さえも見逃すまいと、真剣な眼差しを向けていた。

 

 シアは先ほど、戦闘中に壁へ激しく叩きつけられたはずだ。だが、ゆっくりと立ち上がる彼女の体に、大きな傷は見当たらない。反射的に魔法で身を守ったのか、大きな怪我は避けられたようだった。

 それでも、完全に無傷というわけではなかった。肩のあたりに、うっすらと赤みが差している。擦り傷だ。

 

「……シア、肩」

 

 ルイは呼吸を整えながら、短く、それだけ伝えた。

 シアは一瞬きょとんとし、次いでゆっくりと肩へ視線を落とす。服の隙間から覗く、赤く擦りむけた肌。そっと指先で触れた瞬間、遅れて鈍い痛みが広がっていった。

 

「……あれっ? 擦れちゃってる……」

 

 小さくつぶやいたシアの声には、驚きと戸惑い、そして少しの苦笑が混ざっていた。戦闘の最中には感じなかった痛みと疲労が、波のようにじわじわと押し寄せてくる。

 

 この世界では、ほんの些細な傷が命取りになることがある。擦り傷が悪化し、化膿するだけでなく、そこから何が入り込むかもわからない。目に見えない毒。致死性のウイルス。未知の細菌。どれもがこの荒廃した世界では脅威となる。

 かつての文明が崩壊した今、適切な治療薬を作れる環境は、ほぼ失われた。正しい知識を持つ医師や薬師の存在も稀で、医療はまるで過去の遺物のように朽ちかけている。感染症にかかることは、すなわち死を意味する。

 

 ルイは険しい表情で息をついた。

 

「すぐに手当てしないと」

 

 ──そう言った瞬間、沈黙が落ちる。

 

「……」

「……え? シア?」

「なに?」

 

 シアはぱちくりと瞬きを繰り返し、きょとんとした顔でルイを見返す。まるで、「何か問題でも?」と言いたげな調子だった。

 ルイは眉をひそめ、じっと彼女を見据える。

 

「治療は……?」

 

 ルイが念を押すように問いかける。

 しかし、シアはなぜか沈黙したまま、視線を泳がせた。

 

「……」

 

 ……言えない。いや、言いたくない。

 シアはとにかくルイと視線が合わせられない。肩がどんどん縮こまっていく。

 

 ルイの眉間に深い皺が寄る。

 

「……まさか」

 

 シアはもじもじと指先をつつき合わせ、小動物のように身をすくめた。

 

 そして、

 

「……ルイを助けなきゃって、必死で......!!」

 

 叫ぶように、顔を真っ赤にして、

 

 

「治療道具、ぜんぶ忘れましたああああ!!!!」

 

 

 静寂。

 ルイの表情が、時を止めたように固まる。

 

 凍てついた風が、崩れた入り口の瓦礫の隙間を鳴らして吹き抜けていった。

 

 ──ヒュゥ……。

 

 積もったばかりの雪の粒が、その風に乗って二人の間を舞う。

 

 

「……は?」

 

 ルイの呆れ声に、シアは気まずそうに口をへの字に曲げ、頬をちょこちょことかいた。

 

「だ、だって、ルイがピンチだったから……それどころじゃなくて……」

「お前……」

「し、仕方ないじゃん! それよりルイ、怒るよりもどうするか考えよ!? ね!? ね!?」

 

 勢いよく両手をブンブン振って誤魔化そうとするシア。しかし、その動きが仇となったのか、肩の擦り傷に刺激が入り──

 

「いっっったぁ!!!!」

「ほら見ろ!!」

 

 ルイの怒声が響く。シアは涙目になりながら、慌てて肩を押さえた。

 

「いやもうほんとごめんって! ほんとに必死だったのぉー!!」

 

 叫びながら手を振り回した後、勢いそのままに頭をがばっと下げる。

 

「ごめんなさい!!!!」

 

 凍った地面に頭をぶつけそうなほどの深い、深い土下座。礼儀作法などお構いなしで、それはもはや芸の域に達しているといっても過言ではない。

 ルイは深々とため息をつきながら、額を押さえた。

 

「いや、そんなに謝られても……というか、外に出るなら必ず準備しておけ……」

「それはそうなんだけどぉ!!!」

 

 シアは悔しそうに頭を抱え、地面をごろごろ転がりそうな勢いで唸る。しかし次の瞬間、ハッと何かを思い出したように顔を上げ、ピシッと両手を突き出した。

 

「ストーーップ!! ルイ、近寄らないで!!」

「……は?」

「私! 血が出てる! 触ったら危ない! 菌とかウイルスとか入ったら大変だから!!」

 

 必死の形相で「近寄るな!」のポーズを取りつつ、じりじりと後ずさるシア。

 行き当たりばったりで、理屈もあべこべだ。それでも、さっきまで星骸の咆哮に強張っていた肩から、いつの間にか力が抜けている。この的外れな叫びひとつが、あの怪物の声よりもよほど耳に残る──ルイは、そのことに気づいていた。

 

 ルイはふう、と深く息を吐いた。

 

「はいはい、わかった」

 

 ルイは腰のポーチをまさぐりながら、固まっているシアへゆっくり歩み寄る。

 

「ちょ、ちょっと待ってルイ!? ほんとにやばいかもしれないんだよ!?」

「……」

「すっごい苦しい……なんかすごそうな病気とか……!」

「……」

「あと、触れただけですぐ感染する即死の病気とか!? えっと、それから……その……なんか……すごい……何かがあるかも!!」

「うん、なんもわからん……」

 

 ルイは冷静に切り捨てた。

 

「いやでもほら、私、わりと運悪いし!? 変なとこで超レアな病気拾っちゃう可能性あるし!?」

「いいからおとなしくしてろ」

「いゃあああああ!! ルイがまた無謀な!! 命を投げ出すまねを!!」

「大人しくしてろって!!」

 

 ──バッ。

 

 ルイが一歩踏み出した瞬間、シアは反射的に飛びのいた。しかし、その勢いが仇となり──

 

「きゃっ!? ちょ、ちょっと……あっ……!!?」

 

 崩落で押し出された瓦礫の欠片に足を取られ、バランスを崩す。

 

「シア!」

 

 咄嗟にルイが腕を伸ばす。

 

 

 ──トサッ。

 

 掴んだのは、彼女の手首。優しく、けれど確実に。そのまま力を込めて引き寄せると、ふわりとシアの髪が宙を舞った。

 重力に抗えなかった身体が、するりとルイの胸元に収まる。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 

 ルイの腕の中、シアは瞳を見開いたまま固まっていた。

 目と目が合う。空気が張り詰め、ほんの数秒、時が止まったようだった。彼女の肩がわずかに震え、ルイの胸元からこぼれた鼓動に、シアの心臓も高鳴る。

 

 そして──

 

 ルイは、やれやれといった顔のまま、素っ気なく呟いた。

 

「……やっと捕まえた」

「!!!!????」

 

 ぶわわっ、とシアの顔が一瞬で真っ赤に染まった。

 

「ちょっ……ルイ!? え!? なに!? いまの!? なんで!??」

「何って……見たまんまだろ。お前が勝手に転びそうになったから助けただけだ」

「ちがうちがうちがう!! 絶対!! なんか今の、ドラマみたいな雰囲気だった!!!」

「ドラマ?」

「はっ、そういえば澄幽にその文化は……って、今そんなことはどうでもよくて! 今のセリフ絶対わざとでしょ!?!? ずるいずるいずるい!!」

 

 顔を真っ赤にして、シアは叫んだ。そして、今はとにかく動揺しすぎた自分を隠したくて、ルイの腕の中から逃れようとする。

 彼の胸板を両手で必死に押し返すが──動かせない。当然、力で敵うわけがないのだ。まるで壁のように動じない彼の体に、抵抗はあっさりと打ち砕かれる。

 自分を退けようとしているシアの様子に、ルイは深く息を吐くと、静かに手を伸ばし──

 

 ──コツン。

 

 ルイの指先が、そっと彼女の額に触れた。

 

「ひゃんっ!?!?」

 

 飛び上がるほどの驚きに、シアは一瞬で動きを止める。

 

 視線が交わる。

 彼の──ルイの瞳が、まっすぐシアを捉えていた。

 

 鋭さとは違う、静かな熱を帯びた眼差し。けれど、眉尻はわずかに下がり、ライムグリーンの瞳が微かに揺れていた。

 

「……傷が悪化する前に、治療しようとしてるだけなのに。シアが逃げようとするから……」

 

 ふっと息を漏らし、彼は言葉を継ぐ。

 

 

「それとも……やっぱり俺のこと、嫌いになったか?」

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