END OF HOPE:21xx - Last Call   作:久遠 -kuon-

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第二話 白光の予兆 - 3

 誰も、口を開かなかった。

 

 珠桜も、律灯も、ルイも。 

 灯の揺れる音さえ聞こえてきそうな静けさだった。

 

 やがて、帳の内で衣擦れがした。 

 珠桜が、握っていた手をそっと寝台の上へ戻す。指を一本ずつほどくように、ゆっくりと。最後の一本が離れるまでに、少しだけ時間がかかった。 

 立ち上がる動作に、ほんの一瞬、ためらいがあった。

 

 帳を分けて出てきたその顔は、いつもの珠桜だった。穏やかで、美しくて、何も読み取れない。

 ただ──ルイのほうを見たとき、その瞳がほんのわずかに揺れた。

 

「……戻ろうか」

 

 それだけ言って、珠桜は部屋を出た。

 ルイがその後を追い、敷居を越える。背後で、律灯が音もなく戸を引いた。

 

 

 執務室に戻っても、珠桜は何も訊かなかった。

 心当たりはあるか、とも。大丈夫か、とも。

 椅子に腰を下ろし、机の上で指を組む。いつもの姿勢だった。いつもと同じ姿勢で、ただ、窓の外を見ていた。

 何も訊かれないことが、ルイには何よりも重かった。

 

「……少し、外の空気、吸ってきます」

「うん」

 

 珠桜は、窓の外を見たまま頷いた。

 律灯だけが、一度だけこちらを見た。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 寧静亭を出る。 

 朝の風が、頬を撫でた。

 

 ──冷たい、と思った。 

 この場所の風を冷たいと感じたことなど、今まで一度もなかったのに。

 

 空を仰ぐ。

 ミコの力が描き出す、仮初の蒼穹。本物の空は、あの灰色の雲の向こうにある。もう何十年も、誰も見ていない。

 

 この青が、あの小さな身体ひとつで支えられている。

 帳の奥の、今にも消えてしまいそうな、あの細い影ひとつで。

 

 

 ──あなたが忘れてきたもの。

 

 

 ルイには、過去の記憶がなかった。

 過去というのは、澄幽に来た十一歳よりも前のことだ。とりわけ五歳より前は、何ひとつ残っていない。

 

 生きている以上、自分を産んだ誰かがいたはずだった。

 その顔が、どうしても浮かばない。浮かばないことを、寂しいと思ったことさえなかった。

 

 残っているのは、断片だけだ。

 狭い部屋。柱に繋がれた、鎖の重さ。

 その次にある一番古い記憶では、もう十一歳になっていて、珠桜に手を引かれ、この地の土を踏んでいた。

 

 間にあったはずの時間は、どこにもない。

 

 

 ──あなたの、大切なものごと。

 

 

 掌を開く。

 爪の痕が、赤く四つ並んでいた。あの部屋で握り込んだときのものが、まだ消えずに残っている。

 

 

 自分に、何かが訪れる。

 自分の知らない、自分の過去が。

 それがこの場所まで追ってくるのだとしたら。

 

 

 ルイは、青を見上げたまま、動けなかった。

 限りなく本物に近い、けれど決して本物にはなれない、淡く滲む蒼穹。

 

 

 ──その彼方で。

 

 一瞬、何かが揺らめいた。

 

 白い光。

 

 瞬きをしたときには、もう、何もなかった。

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