END OF HOPE:21xx - Last Call   作:久遠 -kuon-

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第三話 希望の灯火を消さぬように - 2

「……あ、そうだ」

 

 シアが、布を持つ手を止めた。

 

「ルイのお父さんのこと、一度も聞いたことなかったよね」

 

 すぐには、言葉が入ってこなかった。

 数回、瞬きをする。

 

「……俺の、父さん?」

「あっ、話したくなかったらいいんだけど……!」

「いや、話したくないってわけじゃ、ないけど」

 

 頭の後ろを掻く。

 話したくないのではない。話せることが、ないのだ。

 

「......覚えてないんだ。家族のこと」

「覚えてない!?」

 

 シアが、ずいと身を乗り出してきた。

 

「父親と母親がいたはず、ってことくらいしかわからない。どんな人だったのか、顔も、声も……何も」

 

 言いながら、胸の奥が小さく軋んだ。

 今まで何度も口にしてきた答えだ。そのたびに、ただの事実として置いてこられた。それが今日は、うまく置けない。

 

 ──あなたが、忘れてきたもの。

 

 指先が、また冷えた気がした。

 

 シアは、しばらく口をぱくぱくさせていた。

 何か言おうとして、言葉を探して、見つからなくて。それから、ぱっと顔を上げる。

 

「き、きっと、すっごく素敵な人たちだったんだよ!」

「……」

「だって、ルイはこんなに強くて、優しいんだもん! 強いお父さんと、優しいお母さんがいたんだよ。絶対!」

 

 絶対、と言い切る声に、迷いはなかった。

 顔も、声も、名前さえ知らないのに。

 

 それが少しおかしくて、ルイはつい顔をほころばせた。

 

「……なんか、ごめん。空気悪くして」

「そんなことない!」

 

 即答だった。その勢いに、今度こそ笑ってしまう。

 

(家族、か)

 

 深く考えたことはなかった。どこかで生きているにしても、会うことはないだろう。それより今日を生き残るほうが先で、それだけで手一杯だった。

 帰ってこなかった父を、今も「いいお父さん」と呼んで、知らない誰かの墓を磨いている。

 そんなシアを見ていると、胸のどこかが少しだけ疼く。

 

 もし自分にも、こんなふうに笑って語れる誰かがいたら。

 

 ──その先は、考えないことにした。

 

 

◇◆◇

 

 

 この世界は、常に死と隣り合わせだ。

 

 氷点下をはるかに下回る気温。吹雪は刃のように頬を裂き、息をするたびに肺が凍りつく。

 ファー付きの厚手のコートに、手袋、ゴーグル。

 コートも手袋も、もう何着目かわからない。星骸の爪に裂かれ、瓦礫に擦り切れ、そのたびに藤崎に呆れられ、心配されながら新しいものを受け取ってきた。

 ゴーグルだけが、調査部隊に入った日に珠桜から手渡された、最初のひとつだ。レンズの縁には細かな傷が無数に走っているが、まだ使える。まだ、手放す気になれない。

 

 攻撃を防ぐ力など何ひとつない、ただの防寒具。

 それでもこの世界では、生死を分ける鎧になる。

 

 ちなみに、調査部隊の装備は見事に二つに分かれる。

 当たらなければどうということはない。というか当たったらどうせ死ぬ。だから防具など要らない、という軽装派。

 いやいや、備えておくに越したことはない。一枚でも多く着込め、という重装派。

 

 ルイは両方試して、前者に落ち着いた。

 理由は単純で、重い装備を着込んだまま外を走り回れるほど、立派な身体をしていなかったからだ。……悔しいが。

 

 

 いつもなら、隣でシアの魔法が寒さを遮ってくれる。

 今日は、一人だ。

 

 腰に提げたランタンが、吹雪の中で小さく灯っている。

 燃料は要らない。どれほど風が吹いても、決して消えない温かな光。澄幽随一の鍛治士であるシンが、異能を込めて作り出したものだ。これひとつで、外にいられる時間は大きく変わる。

 

 異能と魔法は違う。

 異能は、世界の理そのものを捻じ曲げ、書き換える力だ。

 時を巻き戻すことも、この世にない空間を生み出すこともできる。神の領域に指をかけるような力。

 それゆえに、代償がある。だが、その力の大きさに比べれば、あまりにも些細なものだ。

 

 物に向ければ、それは文明の灯火になる。この光も。空へ人々を運んでいった方舟も。

 けれど、人に向ければ。呼吸をするより容易く、人を消せる。

 

 だから、方舟は異能者を乗せなかった。神の手は、そのまま死神の鎌にもなり得るのだから。

 

 

 十四年前。世界で最初に、その鎌を人へ振るった男がいた。

 "異能殺人犯"。

 あの日から、異能者は恐れられるものになった。

 

 ルイは、異能者だ。

 そして異能者は、魔法を使えない。誰が定めたのかもわからない、けれど決して覆らない理が、この世界にはある。

 

 それでいい、と思っている。

 理そのものを書き換える力と、理の上から現実を塗り替える力。その両方をひとりの人間が握るなど、あってたまるか。

 そんなものは、もう人ではない。

 

「……俺は絶対、使い方を間違わない」

 

 ルイは静かに拳を握りしめた。

 

 

 ──その瞬間。

 

『グォォオオオオオオ!!!!』

 

 凍った大地を震わせる咆哮が、吹雪を引き裂いた。

 ルイは振り向きざまに空を見上げる──

 

 黒曜石の巨影。

 十メートルを優に超える体躯が、霧の向こうに聳えていた。関節に埋め込まれた発光体が、白く濁った視界の中で不気味に脈打っている。

 

 "星骸(せいがい)"。

 かつてこの星を蹂躙した地球外生命体の骸を核として生まれた、異能のエネルギーを孕む怪物。

 

「今日もまた、随分とデカいのが出たな……」

 

 星骸は、まだ動かない。

 残った霧を振り払うように、巨体をゆっくりと軋ませている。こちらを探しているのか、ただ目覚めたばかりなのか。

 その数秒を、ルイは無駄にしなかった。

 

 ネックウォーマーを鼻の上まで引き上げ、口元を完全に覆う。

 この雪は、白く見えても綺麗ではない。煤と酸を吸って降り積もったものだ。戦いの最中に舞い上がったひと欠片でも、口に入れば身体の内から蝕まれていく。

 

 コートの内側のホルスターから、双銃を抜く。

 親指で、セーフティのスライドを弾いた。カチ、と小さな手応え。

 

 足元を、確かめる。

 新雪の下は、固く凍った岩盤だ。踏み込めば滑る。蹴り出すなら、雪の浅いところ。

 距離、およそ三十メートル。

 

 息を、ひとつ吸った。

 吐きながら、胸の奥で数える。引き金を引くその瞬間に、止めるための息。

 先輩に教わったとおりに。

 

 星骸の頭が、ゆっくりとこちらを向いた。宝石のような瞳が、ルイを捉える。

 

 巨体が、拳を振り上げた。

 

 振り下ろされる。

 狙ったのは、ルイではなかった。ただ足元の氷原を、力任せに叩き割っただけだ。

 

 ──ドォオオオオオオン!!!!

 

 轟音。氷雪が爆ぜ、大地が抉れる。三十メートル先から押し寄せた雪煙が、視界を白く塗り潰した。

 威嚇か、それとも獲物を炙り出すつもりか。

 どちらでもいい。

 

 この距離では、避けても逃れられない。押し寄せる雪煙からは、誰も逃げられない。

 だから、"逃げなかった"。

 

 視界が白に沈む。

 その一歩手前、ルイはもう照準を置いていた。

 

 まずは、目だ。

 

 白の向こうで、宝石のような光がふたつ。雪煙越しに滲んで、ぼやけて、位置だけが辛うじてわかる。

 揺れる腕を、呼吸で止める。

 引き金を引いた。

 

 ──ドォン!!!!

 

 腕ごと持っていかれそうな反動。耳を劈く破裂音。

 放たれた光弾が、白い視界を裂いて駆けた。通常の弾丸では傷ひとつつかない星骸の外殻を貫くために造られた、異能のエネルギー弾だ。

 光弾は迫る雪煙や氷を蹴散らし、巨体の片目のど真ん中を撃ち抜いた。そこを、内側から弾け飛ばす。

 

『ギャアアアアア!!!!』

 

 巨体が絶叫し、身をよじる。

 だが、残ったもう片方の目が、即座にルイを捉えた。

 

 やっぱり、一発じゃ沈まない。

 弾に込めるエネルギーは装填式だ。まだ数に余裕はあるが、無駄撃ちはしたくない。

 

『ゴォォォォ……!!!』

 

 次の瞬間、三十メートルが消えた。

 

 十メートルを超える巨体が、あり得ない速度で迫っていた。

 踏み出した足が氷原を割り、砕けた氷塊が後方へ飛び散る。あれだけの質量を、あれだけの速さで運ぶ生き物が、この世界には実在する。

 目の前に、黒曜石の壁。

 

 両腕が大きく開かれた。

 左右から挟み込むように、拳が迫る。空気が押し潰されるほどの質量と速度。虫けらを叩き潰すような、無造作な圧殺。

 

「──ッ!」

 

 片足で、雪を蹴る。

 刹那、ルイの影が弾けるように消えた。

 

 ──ズシャアアアン!!!

 

 背後で、巨大な両拳が激突する。空気が爆縮し、氷雪が吹き飛び、足元に深いクレーターが穿たれる。

 

 下は、見ない。

 ルイは閉じたばかりのその拳を蹴り台にして、既に宙へ跳んでいた。

 

 身を翻しながら、手の中で右手の中の銃を回す。

 銃身の下で蝶番が回り、折り畳まれていた刃が、カシャッと音を立てて展開された。銃が、一振りのダガーへと変わる。

 

「──ふッ!」

 

 落下の勢いのまま、右のダガーを背へ突き立てる。

 岩肌に走る、ひと筋の継ぎ目。外殻と外殻の噛み合わせ。そこだけが、薄い。

 

『グギャアアアア!!!!』

 

 星骸が咆哮し、身をよじった。振り落とそうと、巨体が大きくうねる。

 離さない。刃を支点に、全身の筋肉で食らいつく。

 

 左手の銃口を、継ぎ目へ押し当てた。

 ゼロ距離。

 引き金を引く。

 

 ──ドォン!!!!

 

 反動が、肩から背骨まで突き抜けた。歯を食いしばって耐える。

 光弾が外殻の内側で弾け、閉じていた継ぎ目が、握り拳ほどの大きさに口を開けた。

 そこへ、左の銃を捨てるように放り、刃を持った右手を突き込む。

 

 噛んだ。

 

 全体重を、刃に預ける。

 ぶら下がるようにして、ずるり、と下へ落ちていく。

 ひび割れた装甲が、剥がれる。剥がれながら、割れる。硬い岩を無理やり裂いていく感触が、柄を通して掌の骨まで響いた。腕が焼けるように熱い。

 黒曜石の破片が、次々と足元へ落ちていく。その下から、血のように微かに光る液体が噴き出した。

 

 背から腰まで、一直線。

 巨体に、深い裂け目が走った。

 

 星骸が一体どういう生き物なのか、誰も知らない。知って、対策を立てる前に、殺されてきた。

 鎮魂の杜には、この怪物たちに殺された者が何百人と眠っている。その顔を、ルイはひとつ残らず覚えている。

 

 これ以上、奪わせない。

 

 裂け目の縁に爪先をかけ、刃を引き抜いた。

 落ちていた左の銃を、空中で拾い上げる。

 剥き出しになった内側。鈍く脈打つ光の芯が、岩の奥で明滅していた。

 

 銃口を、突き込む。

 

「……ずっと、眠ってろよ」

 

 ゼロ距離のまま、残弾を叩き込んだ。

 

 ──ドォン!!!! ドォン!!!!

 

 巨体の内側が、二度、白く光った。

 

 咆哮はなかった。

 脈打っていた光が、ふつりと途切れる。関節の発光体が、順に消えていった。

 

 巨体が痙攣し、膝をつく。

 

 そして、崩れ落ちた。

 

 

 静寂。

 

 吹雪の音さえ、一瞬遠のいたようだった。

 ルイはダガーを振り、刃についた岩片を払う。黒い破片が音もなく雪に沈んだ。冷え切った刃に、異能の余熱がかすかに残っている。

 

 腕には、それなりに自信がある。

 星骸を単独で仕留められる人間なんて、地上に残された人類の中でも一握りだ。かつての調査部隊でも、できる者は数えるほどしかいなかった。

 

 もっとも、今となっては自慢にもならない。

 なにしろ現在の調査部隊は、ルイを入れて四人。それに、二年帰らない二人。全員、単独撃破が可能だ。シアを除いて。

 

 つまり、部隊内では平均。

 ……なんだそれ。

 

 そこまで考えて、気づく。

 

 できない者は、もういないのだ。

 

 できる者だけが数えるほど残って、他は全員、杜の下に眠っている。

 平均が上がったのではない。下から順に、いなくなっただけだ。

 

 

「……おっ」

 

 星骸の残骸の中から、緑色に光る石が転がり出た。

 異能エネルギーを多く含んだ結晶。持ち帰れば、シンが銃のエネルギー源に精製してくれる。

 

 しゃがみ込み、拾い上げる。

 回収して、戻ろう。

 

 そう思った、その瞬間。

 

 

 ──パラ、パラッ。

 

 背後で、小石の擦れる音がした。

 

 空気が、震えた。

 背筋を、冷たい指で撫で上げられたような悪寒。考えるより先に、身体の奥の何かが、それの存在を悟る。

 

 

 ふと、視界に影が落ちた。

 

 

 ──『見、ツ、ケ、タ。』

 

 

 耳元で、何かが微笑む気配がした。

 凍てついた空気が弾ける。時間の流れが、ぐにゃりと歪む。

 

 世界が、音もなく裏返った。

 

 ルイの視界から、色が消えた。

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