血と炎に染まる戦場で、狂皇女は笑い、ある男は彼女に付き従う。
これは、ハイランド王国に生きた――狂皇女と、その狂気に魅入られた男の物語。
太陽暦460年──リューベの村。
かつては和やかな雰囲気に包まれていたであろうその村は、今やあたり一面を強烈な光に照らされ、見る影もない姿へと変わろうとしていた。
俺は目を細め、燃え盛る村をただ眺めていた。
地面には力なく倒れ伏す人々が、ぽつりぽつりと見受けられる。その身体には見覚えのある太刀筋が刻まれており、傷口からは赤い血が流れ、むせ返るような鉄の甘い匂いを漂わせていた。
「うわあああぁぁぁ!!」
「逃がすな! 村の外には出さない命令だ!!」
兵士たちの怒号が響き渡る。
村人たちは悲鳴を上げ、家畜はけたたましく鳴き喚いている。まだ昼だというのに、燃え盛る炎によって空も大地も夕焼けのように赤く染まり、黒煙がその上を覆っていた。
「──ああ! 助け、助けて……!!」
「……」
村の中心部から、一人の村人らしき男がこちらへ逃げてきた。
俺の姿を目にした瞬間、男は絶望したような表情を浮かべ、慌てて引き返そうとする。しかし、その背後からはすでに多数の兵士たちが追いついていた。
逃げ場を失った男は、村の入口に立つ俺へ懇願するような視線を向ける。
そして、最後の望みを託すように、そのままこちらへ向かって走り出した。
「……はあ」
俺は腰に差している剣へ手を添えた。
──だが、それだけだった。
男はこちらを見る余裕すらないようで、そのまま俺の横を駆け抜けていく。
男を追いかけていた兵士たちは、足を止めて俺を見た。その顔には、どうして見逃したのかという疑問がありありと浮かんでいる。
「俺の仕事は、外から来た人間に対処することだけだ。見ている暇があるなら、さっさと行け」
「はっ、はい!!」
俺の言葉を聞いた兵士たちは、弾かれたように走り出し、次々と村の奥へ消えていった。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。そして、灰で煤けた壁に背を預けた。
ハイランド王国に偶然やってきて、あの女と知り合ってから──ずっと、この調子だ。
他人の生死に、さほど興味があるわけじゃない。
だが、だからといって、何も思わないわけでもない。
目の前で人が死んでいく。家が焼け、逃げ惑う人々が斬り伏せられていく。それを見て何も感じないほど、俺の心は死んではいなかった。
たとえ、俺自身が大昔に人間ではなくなっていたとしても。
胸の奥に何かが引っかかるような感覚だけは、今も消えていない。
それでも、俺のやることは変わらない。
ただ従うだけ──それが、あの女との個人的な契約だった。
「──ミ、ミケーネ将軍!!」
そのとき、別の兵士が悲痛な表情を浮かべながら、こちらへ駆け寄ってきた。
顔は青白く、口元は引きつっている。身に着けた鎧はまだ真新しく、歳もおそらく十代を過ぎたばかりだろう。その顔を見ていると、どこか見覚えがあるような気がした。
「……ああ。あのときの訓練に参加していた新人か」
「お、覚えて──あの時は、大変お世話になりました! その……村の中央で、“皇女様”が……!」
「また遊んでいるのか。それで、お前は俺にそれを伝えて、どうしたい?」
俺がそう問いかけると、青年は喉をゴクリと鳴らした。
まだ少年の面影を残した若造は、しばらく逡巡した後、意を決したように口を開く。
「その……ミケーネ将軍は、皇女様にご意見されることが多いと……。ぼ、僕は、もう見ていられなくて! 止めていただけないでしょうか……!」
「なるほど」
真っ直ぐでひたむきな瞳を向けられ、俺は自らの顎を撫でた。
正直に言えば、こういう目に俺は弱い。よく見れば顔も整っている。今はどうしているのか分からない姉が見れば、きっと随分と気に入ったことだろう。もしも過去に戻れるなら、教えてやりたいほどだ。
そんなことを考えながら、俺は目を瞑った。
生ぬるい風が頬を撫で、血と煤の匂いが鼻を突く。
遠くでは、いまだに断末魔と怒号が繰り返し響いていた。
耳を澄ませば、村の中心部からは、あの女の笑い声まで混ざって聞こえてくる。その声を聞いた瞬間、俺は小さくため息を吐いた。
「ここに突っ立っているのも飽きたな。そろそろ、様子を見に行くのも悪くない」
「──!」
青年は目を輝かせると、深々と頭を下げた。
俺はそんな彼の肩を軽く叩く。
そして、笑い声の聞こえる村の中心部へと歩を進めた。
あの女が何を考えて、この小さな村をこれほど派手に消そうとしているのか。いくら思考を巡らせても、俺には分かりはしない。
ただ、放っておけば後始末が面倒になる。
それもまた、事実だった。
・・・・・
踏みしめた地面は、泥と血が混ざり合い、赤黒く染まっていた。
そこかしこに、かつて人だったものが転がっている。
そのひとつを兵士たちはぞんざいに担ぎ上げると、何の感慨もなく、火の手が上がる家へ放り込んだ。炎が一際大きく燃え上がり、肉が焼ける臭いが、煤と血の匂いに混じって鼻を突く。
まともな感性を持ち合わせていたのは、つい先ほど話した青年くらいのものだろう。
途中ですれ違う兵士たちは、俺の姿を見るたびに敬礼する。俺はそのたびに片手を軽く上げて応えるだけに留め、足を止めることなく歩き続けた。
中心部へ近づくにつれ、あの笑い声の輪郭が鮮明になっていく。
その声はひときわ高い。
少女のように無邪気でありながら、底冷えするほど平坦な響き。それが、あの女特有の笑い声だった。
「──はっはっはっはっは!! すべて燃やせ!! 殺し尽くせ!! 力も持たぬ、醜い虫けらどもだ!!」
「お、お願いだ……! いっ、命だけは……!」
「はははっ、随分と自分が好きらしいな! だが、オレは貴様の命に価値など見いだせんわ!!」
俺の視線の先。
青いマントを翻し、剣を振り上げる美しい女の姿があった。
誰もが息を呑むような美貌。その顔に浮かぶ笑みには、明らかな狂気が宿っている。
恐ろしい──それでいて、見る者の目を否応なく引きつける、不思議な魅力を持っていた。
剣はそのまま、命乞いをする村人へと振り下ろされる。
血飛沫が地面を濡らし、新たな肉塊がひとつ転がった。頭上まで飛び散った赤い飛沫を、女は実に愉快そうな顔で袖口を使って拭う。
「次だ、次──」
「お、お願いします……やめてください──」
「ふん……どいつもこいつも命乞いばかりだ。貴様、そんなに死にたくないのか?」
「は、はい……」
若い女性の村人が震えながら答える。
その言葉を聞いた女は、しばらくの間だけ考えるような素振りを見せた。そして次の瞬間──その顔には、見ているだけで背筋が凍るような、狂気的な笑みが浮かんでいた。
「なら、ブタだな……」
「えっ……」
「聞こえなかったのか!? ブタのマネをしろと言ったんだ!!」
「はっ! はい!!」
女の言葉を聞くなり、村人はすぐさま四つん這いになった。
泥で服が汚れることなど気にする余裕もない。ただ生き残るために、震える小さな身体を地面へ伏せ、豚の真似を始める。
「ブー……ブー……」
「く、くふはははは!! ふはははは!! なかなか上手ではないか! 面白いぞ!!」
女の言葉を聞き、村人はわずかに安堵したような表情を浮かべた。
──俺には、次の瞬間に何が起こるのか分かっていた。
あの女のことだ。
それに、ブタのマネをすれば命を助けるとは、一言も言っていない。
「じゃ、じゃあ……」
恐る恐る手足を止め、村人は女を見上げる。
先ほどまで心底愉快そうに笑っていた女の顔には、すでに飽きの色が浮かんでいた。そして、剣を握った右手が、ゆっくりと天高く伸びていく。
「ブタは──」
「──」
俺は次の瞬間、右手に宿る紋章の力を発動させた。
世界が、変わる。
赤く染まっていた光景が灰色へと塗り替えられ、周囲のすべてが緩やかな時間の中へと包まれていく。
女の剣から滴り落ちる血が、ゆっくりと宙を漂う。
燃え盛る炎も、まるで凍りついたかのように、その揺らめきを止めていた。
音さえも遠ざかっている。
その静止した世界の中を、俺は走る。
この力は、少し使うだけでもひどく疲れる。
本来なら、振り下ろされた剣を自分の得物で受け止めたいところだ。
だが、そんなことをしている時間はもう作り出せない。
だから俺は、女と村人の間へ身体を滑り込ませた。
「──死ね!!」
時間が、再び動き出す。
女は一瞬、ぎょっとしたように目を見開いた。
その視線の先には、剣を握る俺の手があった。
彼女の一閃を受け止めるため、咄嗟に身体を割り込ませたのだ。剣からじわりと血が滲み、ぽたり、ぽたりと地面を汚していく。
雪のように白く、細枝のような腕からは想像もつかないほどの力だ。
この女のどこに、そんな力があるのか──痛みを堪えながら、俺はそんなことを考えていた。
「ルチア様。少々、お戯れが過ぎます」
「──シオン。ふん……下僕風情が。オレに意見をする気か?」
女──ルチア・ブライトが、つまらなそうに俺の名を呼んだ。
だが、その唇は愉快そうに吊り上がっている。
それほど不機嫌ではないことは、長い付き合いの中で理解していた。
俺は剣を握る手にさらに力を込めた。刃が食い込み、血がさらに流れ出す。
「もう、血は十分吸われたでしょう。このような場所で無為に時間を過ごすのは、得策ではないかと」
「くく。自分のことを棚に上げて、生意気な男だ……。おい、女。この馬鹿な男に感謝するんだな。とっとと行け」
「──」
豚の真似をしていた村人は、弾かれたように立ち上がると、汚れた服のまま走り出した。
何度も転びそうになりながら、それでも振り返ることなく遠ざかっていく。俺はそれを確認してから、握っていた剣から手を離す。
「お前はひどい男だな、シオン? オレは優しいから、あの女をこの場で斬ってやろうとしていたまでだ」
「……」
「戦場で女がどんな目に遭うか……。せいぜい慰み者にでもされて、最後は捨てられるのが落ちだ。女は、綺麗なまま死んだ方が幸せだろう? そう思わないか?」
ルチアはそう言って、俺の腕を掴んだ。
血の滲む手のひらを自分の顔の前へ持ってくると、目を細めて愉快そうに笑う。そして──舌先を伸ばした。
「れぇ……」
吐息混じりの声を漏らしながら、血で汚れた俺の手を丁寧に舐める。
傷口に触れる、生温かな舌の感触。
俺は奥歯を噛みしめ、それに耐えた。
周囲にいた兵士たちは、誰一人として口を挟めず、呆然とした表情でその光景を見守っている。
この女が何を考えているのか、未だに理解できない部分が多い。
もう長い付き合いになる。それでも、ルチアの行動には常識というものが通じない。ただ、少なくとも──俺より血が好きなのは確かだった。
「──ふっ。不味いな。お前の血は……」
「勝手に味わっておいて、随分な言い草で」
ルチアは満足したように舌を引っ込めると、剣を鞘へ収めた。
そして俺をじっと見つめる。その口元には、実に愉快そうな笑みが浮かんでいた。
「そうか? なら、お礼代わりにオレの血をやろうか? こんな女の血は、口に合わんかもしれんがな」
そう言って、ルチアは自らの首元へ指を這わせる。
その白い肌は月光を思わせるような、冷たい輝きを放っていた。指先が首筋をなぞるたび、滑らかな肌がわずかに揺れる。
「はあ……。ルチア様は、もっとご自分を大切になされたほうがよろしいかと」
「なんとも……熱のある言葉じゃないか。お前に生命の熱があると思ってしまうほどだな」
くつくつと笑ったルチアだったが、ふと周囲を見回す。
「……おい、何をぼさっとしている!! もっと火を焚べろ!!」
ルチアの怒号が響き渡る。
それまで呆然としていた兵士たちは、一斉に慌てた様子で動き出した。
「は、はい!!」
兵士たちが走り去っていく。
その様子を二人で眺めていると、背後から別の人物が歩いてくる気配を感じた。
「ルチア様、もうよろしいでしょう」
俺はその言葉を聞き、振り返る。
やって来たのは、いかにも武人と呼ぶに相応しい雰囲気を持つ男だった。
鋭い眼光、鍛え上げられた身体。
そして重厚な鎧と鮮やかな赤いマント。そこに立っているだけで、周囲を圧するような威厳がある。
「キバ将軍か……」
ルチアはキバ将軍を一瞥すると、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん。オレの興も、ちょうど冷めたところだ。行くぞ、シオン」
「はっ……」
俺はルチアの言葉に従い、軽く頭を下げる。
そして、村の外へ歩き出す彼女の横に並んだ。
ふと後ろを振り返る。
キバ将軍が、太い眉をわずかに下げていた。何か言いたげな表情だが、結局は何も口にしなかった。
──なんとも高潔な男である。
心を読めるような力は、俺にはない。だが、もしそんな力があったのなら、キバ将軍の胸の内に渦巻いている複雑な感情を理解することができたのかもしれない。
良い意味で頑固な将軍だ。
だからこそ、この狂気に思うところがあるのだろう。
だが、俺が口を挟むことではない。
俺はそんな彼の様子に気づかないふりをして、何も言わずにルチアの後を追った。
・・・・・
決して会話が弾むわけでもなく、俺とルチアは並んで道を歩いていた。
先ほどまで村を包んでいた喧騒も、今では少しずつ遠ざかっている。
焼け焦げた臭いが、まだ鼻の奥に残っていた。
ルチア・ブライト──ハイランド王国の第一皇女。
皇王アガレス・ブライトの二人の娘のうちの一人であり、あまりにも残虐非道な振る舞いから、『狂皇女』と恐れられている存在だ。
その異名に相応しく、先ほどの村で見せた光景も、決して珍しいものではなかった。
むしろ、あれでもまだ大人しい方だと考えてしまう自分がいる。
「……シオン」
「どうしました、ルチア皇女様」
ふと思い出したかのように、ルチアが足を止めた。
俺もそれに合わせて立ち止まる。彼女は懐へ手を入れると、小さな袋を取り出した。そして、その袋から一本の棒状の飴を取り出す。
「褒美だ。お前にくれてやる」
「それは……どうも」
俺は手渡された飴を、しばらくじっと見つめた。
店売りのものにしては、あまり形が整っていない。どこか家庭で作られたような手作り感を感じさせる一品だった。
だが、包んでいる包装紙には、妙に高級感がある。
なんとも矛盾したシロモノだった。
「では、早速いただきましょうか」
「……」
包みを剥がし、飴を口へ含む。
途端に、なんとも甘い味が口いっぱいに広がった。
キーロフあたりで作られた砂糖だろうか。
そんなことを考えながら舐めていると、ふと別の味が混ざっていることに気づいた。
甘味の奥に潜む、鉄のような風味。
鼻腔をくすぐる、微かな血の香り。
俺には──すぐに察しがついた。
「そして、同時に罰でもある。あのようなブタをかばうような男にお似合いの、汚れた女の血をお前の中にもっと植え付けてやろう」
ルチアは、愉快そうに笑っている。
その声を聞きながら、俺は口の中で飴を転がした。血の香りは、隣で笑みを浮かべる女とまったく同じものだった。
「ああ、そうだ……。お前はオレのものだ……。下僕、生涯オレの側にいろ……」
俺は返事をしなかった。
口の中の飴を転がし、その味をゆっくりと確かめる。そして、ほんの少しだけ自罰的に笑った。
吸血鬼にとって、血は甘美なものだ。
俺にとって、それは生きるために必要なものではないが。
美しい者の血には、他の血とは違う味がある。
香りも、舌に残る感覚も、まるで別物だ。そういう意味では──眼前で笑うルチアは、誰よりも魅力的で、そして誰よりも残酷だった。
今はまだ、この狂気に身を任せてもいいのかもしれない──。
俺は、自分がおかしなことになっていることに気づいていた。
それでも、離れようとは思わなかった。
どのようなワインよりも芳醇で、甘美な狂気。
その血の味に、俺はすでに魅入られているのだった。
アニメ化おめでとう記念!!