其の一「博麗神社神主」
___その年の夏は暑かった。
日が沈んでも涼しさは感じられず、床に入っても寝返りを繰り返すのみだ。
白い寝間着に身を包んだ少女はついに眠ることを諦め、眠気が来るまで本を読むことにした。
廊下の方から規則正しく床が軋む音が鳴る。
その音は読書に夢中である少女の耳には入らない。
パタンと襖が開けられる。
「霊夏?いつまで起きているの?」
黒髪を鎖骨まで伸ばし、胸が貧相__すらっとしているという言葉が相応しく、少女をそのまま成長させた様な、そんな妙齢の女性がそこにいた。
しまった、そう思ってももう遅い、時は過去に戻らないのだ__一部例外を除いて。
「ごめんなさい、母さん。ちょっと暑くて寝付けなくて」
少女は知っている。無理な言い訳はより状況を悪化させるだけであることを。
少女が本気になれば、母を言いくるめることはできるだろう。
だが、家族相手にそんな一時の勝鬨を挙げたところで仕方がない。
むしろ後々の関係を悪くさせるだけだ。
そう判断し、少女は素直に非を認めた。
「気持ちは分かるけど、夜更かしは体に悪いし......さらにこんなに暗いとこで本を読んでいると目を悪くするわよ」
「分かったわ、母さん。もう寝るわ」
そう言って少女は灯りを消した。
「......ところで何を読んでいたの、霊夏?」
「うちの歴史書よ、ほらうちって結構由緒正しき家系じゃない?歴史書を読んでいるだけでもおもしろくて」
そこで少女はふと疑問に思った。
「ねえ、母さん。私たちの仕事は代々受け継がれていくものじゃない?どの代が一番すごかったの?」
「そうねぇ、なにをもって『すごい』というかにもよるわねぇ......人々との友好に貢献した代もあれば、妖怪との共生、そのための規則の起案に貢献した代もいる」
母は頭を傾け考えを巡らせながら答える。
「霊夏のお父さんだってすごいのよ!」
その言葉を皮切りに、父の偉業を弾幕のように述べていく。
そうだった、両親はおしどり夫婦もとい、俗にいうバカップルというやつであった。
母が父に対する愛情をひしひしと感じ__半ば呆れていた、その時。
母の表情が変わった。
「ただ、最も単純で分かりやすい『強さ』___武力に関してなら、私の父かしらね」
「おじいちゃん......?」
少女はにわかに信じられなかった。
それもそのはず、少女にとって祖父とは生まれた時から老人であり、よぼよぼのイメージしかないのだ。
「そうね、父は結界術も得意だったわけでもなければ、人々を引き付けるようなカリスマがあったわけでもない。けれど純粋な武力に関しては他の追随を許さなかった......らしいわ」
「って母さんも伝聞かい!」
思わず突っ込んでしまった。
「私の代はもう平和だったからね......ってそろそろ寝なさい」
ふと時計を確認すると時刻は零時を回っていた。
「分かったわ、おやすみ母さん」
「おやすみ、霊夏」
お互いに眠る挨拶を交わし、そして少女は眠りについた。
その日、少女は不思議な夢を見た。
若い男が、その身一つで妖を屠っていく。
鮮血を散らし、骨を砕き___
その姿は、まるで鬼神の如く。
走る__
少年は闇雲に走る。全力で走る。
そうしなければ、背後から迫る影に追いつかれてしまう。
グルルルル......
影は大きくなる。いや、近づいているのだ。
オオカミ___と呼ぶにはあまりに大きく、そして禍々しい。
3寸にもなるだろう牙を持ち、毛並みは逆立ち、今にも喰らいついてきそうである。
「ハァ......ハァ......」
息をしても苦しい、肺が破れてしまったかと錯覚するほど胸が痛い。
口からは鉄のような味がし、横腹は痛む。
もう限界はとうに超えている 。
ガウッ
その鳴き声が聞こえた刹那、少年はバランスを崩し転ぶ。
急いで立ち上がろうとして腕を支えに___できない。
「痛っ!」
血___そう認識するまで時間がかかった。
人間とは不思議なもので、気付くまでは痛みを感じないことがある。
そして気付いてしまった。
腕に大きな傷が付いていることに。
「あああああああ!」
引っかき傷というにはあまりに深く、致命傷になりかねない傷だった。
少年は、ただ痛みに叫ぶことしかできなかった。
目の前に先の化け物が迫る
「くるな......来るなあああ!」
そんな威嚇も虚しく、化け物はその少年の頭部を食いちぎ___らなかった。
否、食いちぎることができなかったのだ。
目の前に男が立っていた___
その丈は六尺弱はあるだろうか、一見細身に見える。
だが、白衣の下から浮かび上がる背筋は異常に発達していた。
もし今、この男が白衣を脱いだなら___
その背には『鬼の貌』が浮かぶのではないか。
そう錯覚させる程の肉体だった。
「大丈夫か、少年」
その男は少年に尋ねた。
「あ、あなた様は.......?」
少年は問いかけられた質問に答えることができなかった。
質問されたことももう頭にないだろう。
ただこの命の恩人の名前を知りたい。
その一心だった。
「私は博麗神社神主、■■だ」
名前は聞き取れなかった。
『この異変を、終わらせに来た』
その言葉はなぜだか少年に安心感を与えた。
理屈は分からない。ただ、もう大丈夫なんだろうと、そう思った。
少年は瞼を閉じた。
___数刻前
「今現在、空を赤い霧が覆う異変が発生したわ」
美しい金髪の女性がそう告げた。
彼女は八雲紫。幻想郷でも有数の力を持つ妖怪___大妖怪だ。
「あなたたちにはこの異変を早急に解決して欲しい」
紫は三人に言った。
「はいはい、めんどくさいけど仕事だからやるわよ......」
赤い大きなリボンをつけ、紅白色の巫女服に身を包んだ少女、霊夢は答える。
「さて、特訓の成果を見せるとしようか!霊夢、なんならどっちが先にこの異変を解決できるか勝負しようぜ!」
癖のある金髪の少女、黒いとんがり帽子をかぶった魔法使い、魔理沙が言う。
「お前ら少しは緊張感をだな......」
少女達の間に座っている男、博麗神社の神主は緊張感のない二人を窘めるが__
「アンタは緊張しすぎよ、そんなんで動けるの?」
「そうだぜ、こういうのは緊張してもしょうがないんだから楽しまなくちゃ!」
無駄だった。
「では各自準備が出来次第、出発するように」
紫はそう言い残すと消える___空間の亀裂に入って行く。
「そうそう、一つ言い忘れていたわ」
紫は片手だけを空間の亀裂から出して、そう言った。
「スペルカードルールの交渉は決裂したわ」
そう言い残すと今度こそ紫は消えた。
スペルカードルール、それは紫が進めていた新たなルールだ。
詳細は知らないが、要するに命を賭けた戦いを禁止し、別の決闘方法で物事を解決する規則だとか。
まぁ力を持つ妖怪がそれを拒否するのは当然かと男は納得した。
「要するに今まで通りってことでしょ?何をいまさら」
霊夢はため息をつきながら気だるげに言う。
「まぁそのルールも興味あったんだがなぁ......」
霊夢とは対照的に、魔理沙は少し残念そうにしている。
「......帯を締め直さねばな......」
ここは、人間や妖怪、忘れ去られたものが集う世界。
全てを受け入れる、美しくも残酷な世界。
その場所を_____幻想郷と云う。