其の一「宴」
花見を終えてから、数日が経った。
霊夢たちは再び宴会を開いていた。
再び、というのも、あの日から約三日おきに宴が催されているのである。
酒が振る舞われ、料理が並び、妖怪も人間も入り交じって騒ぐ。
誰もがこの状況を楽しんでおり、繰り返される宴会を止めようとする者は一人としていなかった。
ただ一人を除いて。
「これは……異変だろ……」
神主である。
男は床に突っ伏し、死にそうな声で呟いた。
原因は二日酔い。
下戸のくせに酒が好きで、宴のたびに調子に乗って杯を重ねてしまうのだ。
そして毎回、翌日になって後悔する。
救いようがない。
「こんな異変だったら、いくらでも歓迎だけどね〜」
霊夢は上機嫌だった。
頬をほんのりと赤く染め、盃を片手に桜を眺めている。
「いえ、そういうわけにもいきませんのよ」
不意に声がした。
「……紫?」
いつの間にか、霊夢の隣に八雲紫が座っていた。
紫は扇で口元を隠しながら、辺りを見渡す。
「この宴、少し妙だとは思わないかしら?」
「……まあね」
「気づいているでしょう? 辺りに漂う妙な妖気に」
「……約一名、妖気にあてられるまでもなく伸びてる奴がいるけど」
霊夢は男を指さした。
「うぅ……気持ち悪い……」
男は青白い顔で呻いている。
紫はちらりと視線を向けた。
「……まあ、あれは置いておきましょう」
「ひでぇ……」
霊夢は盃を置いた。
「今はまだいいけれど、このまま放っておけば、その妖気にあてられる者が出てくるわ」
紫は意味ありげに微笑む。
「それがどんな結果を招くか、分かるでしょう?」
そのとき。
「オロロロロロロ……」
男が桶に盛大に吐いた。
紫はそちらを見た。
霊夢も見た。
しばしの沈黙。
「……分かったわよ。仕事は仕事だからね」
霊夢はため息をついた。
こうして、博麗の巫女は新たな異変の解決に動き始めた。
その背後で、紫は口元をにやりと歪ませていた。
◇◇◇
「うげぇ〜……飲みすぎたぜぇ……」
紅魔館の大図書館。
机に突っ伏す白黒の魔法使いが一人。
霧雨魔理沙である。
「自分の限界も知らずに飲むから、そうなるのよ」
パチュリーは冷めた目で魔理沙を見た。
「まあ、いい勉強になったんじゃない?」
アリスも呆れたように言う。
その手には、例の自律式小型人形が握られていた。
現在は内部の術式を調整しているらしい。
「……逆に、お前らはなんであれだけ飲んで平気なんだ?」
魔理沙は恨めしそうに二人を見る。
パチュリーとアリスは顔を見合わせた。
そして、声を揃える。
「「解毒魔法」」
「…………」
魔理沙は固まった。
「……それ、ありなのか……?」
まるで競技の違反者でも見るかのような目で、二人を睨む。
「……ありとかなしとか、あなたは一人で何と戦っているの?」
アリスが呆れる。
「あなたも使えばいいじゃない、解毒魔法」
パチュリーは、なぜ使わないのか本気で不思議そうだった。
「……使えん」
魔理沙は不貞腐れたように呟いた。
「……そう」
パチュリーは静かに本を閉じる。
パタン。
「今日の授業内容が決まったわね」
「ま、待て!」
魔理沙は慌てて顔を上げた。
こんな状態で頭を使うのは御免だった。
「えっと、ほら! 最近、宴会の頻度が多いだろ!」
咄嗟に話題を変える。
「それが?」
「もうあれは異変だろ、異変! なんか変な妖気も漂ってるし!」
魔理沙は苦し紛れに言葉を紡いだ。
「……ああ、あれのこと?」
パチュリーは少し考え、アリスを見た。
「異変……なのかしら?」
「うーん。妖怪が起こしているという点では、異変なのかしらね?」
アリスも首を傾げる。
「……へ?」
魔理沙は二人を交互に見た。
「お前ら、首謀者が誰かもう分かってるのか?」
「分かってるも何も……」
「ねえ」
二人は再び顔を見合わせる。
そして、同時に答えた。
「「目の前にいるじゃない」」
「…………は?」
魔理沙は思わず辺りを見渡した。
目に入るのは本棚と机、そして二人の魔法使いだけ。
「……どこだよ?」
二人は答えなかった。
魔理沙の頭痛が、少しだけ悪化した。
◇◇◇
「咲夜、紅茶」
レミリアが指を鳴らした。
「かしこまりました」
咲夜がそう言い終える頃には、すでに主人の前にティーセットが用意されていた。
銀のポットから、琥珀色の紅茶が注がれる。
湯気とともに、柑橘系の爽やかな香りが広がった。
レミリアは優雅にカップを持ち上げる。
「ふむ……これはルイボ――」
「アールグレイですね」
咲夜が即座に答えた。
「……うむ。そうだな」
主人が間違える前に正解を提示し、間違いなどなかったことにする。
何と完璧で瀟洒なメイドであろうか。
「ところで、レミリア様」
「うむ?」
「今回の異変は、大丈夫なのでしょうか?」
レミリアは紅茶を一口飲んだ。
「ああ、あれか。厳密には異変ではない。放っておいても、何ら危害はないだろう」
ひらひらと手を振る。
「しかし、あの妖気を含んだ霧は少々まずいかと」
「あれは霧ではない。厳密には――」
「いえ、そういうことではなくてですね」
咲夜は主人の説明を遮った。
「以前、私たちも似たような異変を起こしているではありませんか」
「…………」
レミリアの動きが止まった。
「このままですと、私たちが主犯だと疑われるのではないかと」
「…………」
レミリアの額に、汗が一筋流れた。
「まあ、皆様がレミリア様のように聡明であれば、誤解などなさらないのでしょうけれど……」
「……う、うむ」
「しかし、皆様が皆様、そういうわけにも――」
――バタンッ!
突然、扉が勢いよく開かれた。
「見つけた! 異変の主!」
魂魄妖夢だった。
白楼剣を手に、レミリアを指さしている。
「…………」
レミリアは静かに頭を抱えた。
「お邪魔しま〜す」
その後ろから、幽々子がのんびりと姿を現す。
「……今回は、どのようなご用件でしょうか?」
咲夜は何事もなかったかのように尋ねた。
「今回の異変を解決しに来た!」
妖夢は胸を張る。
「前回は博麗殿に多大な迷惑をかけたからな! 今度こそ武功を立て、その恩に報いる!」
咲夜は思った。
――この空回り具合、誰かに似ている。
脳裏に浮かんだのは、現在進行形で二日酔いに苦しんでいるであろう神主の姿だった。
「いざ、覚悟!」
妖夢は刀を構える。
「ちょっと待て! 話を聞け!」
レミリアの悲鳴が響いた。
◇◇◇
その後、晴れてレミリアたちの疑いは解けた。
妖夢は刀を収め、深々と頭を下げる。
「……大変失礼いたしました」
レミリアは疲れ切った顔で椅子に沈んでいた。
紅茶はすっかり冷めている。
帰り道。
妖夢は幽々子に尋ねた。
「……幽々子様」
「なぁに〜?」
「どうして止めてくださらなかったのですか……?」
幽々子はにっこりと笑った。
「だって〜、異変解決に息巻いている妖夢が可愛くて〜」
「…………」
妖夢は泣いた。
◇◇◇
時刻は夜。
博麗神社の境内は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「ふぅ……」
男は大きく息を吐いた。
「ようやっと落ち着いた……二度と酒は飲まん……」
酒飲みが生涯に百回は口にする言葉である。
もっとも、明日になれば忘れているだろう。
男は縁側から立ち上がり、境内を見渡した。
夜風が木々を揺らす。
月明かりに照らされた石畳。
人影はない。
だが。
「……いるな」
男は小さく呟いた。
先ほどから、妙な感覚が消えない。
誰かに見られている。
それも、一方向からではない。
周囲のあらゆる場所から、視線を向けられているような感覚。
「……気のせい、じゃないよな」
男は静かに呼吸を整えた。
そして、体内の霊力を練り始める。
先の異変を経験したことで、男の霊力操作は格段に上達していた。
もっとも、霊夢の足元にも及ばないのだが。
男は霊力を全身に巡らせる。
そして、その一部を身体の外側へと広げた。
薄い膜のように広がった霊力が、男の周囲を包み込む。
――円。
先代から教わった、新しい技術だった。
先代は、霊力を扱う際に独自の理論を用いていた。
曰く、霊力の運用は大きく四つに分けて考えられるらしい。
霊力を身体に纏い、留める――纏(てん)。
霊力の出力を完全に絶つ――絶(ぜつ)。
霊力を練り上げ、増幅させる――練(れん)。
練り上げた霊力を自在に操る――発(はつ)。
もっとも、これはあくまで先代独自の考え方である。
以前、先代がこの説明をしていた時、霊夢は不思議そうに首を傾げていた。
男にはその理由が分からなかった。
おそらく、天才肌の霊夢には霊夢なりの運用方法があるのだろう。
ともあれ、男にとっては非常に分かりやすい理論だった。
そして今回使用したのは、纏と練を組み合わせた応用技術。
円。
霊力を身体の外へ広げ、周囲を包み込む。
その領域に触れたものを、目で見るよりも、肌で感じるよりも鮮明に捉えることができる。
ただし、男はまだ未熟だった。
展開できる範囲は、半径わずか三十センチメートル。
参考までに、先代は半径五百メートルにまで広げられるらしい。
文字どおり、桁が違う。
だが。
「……十分だ」
今の男には、三十センチメートルもあれば事足りた。
空気中を漂う、奇妙な妖気。
それが、円に触れる。
「…………?」
男は眉をひそめた。
何かがおかしい。
妖気は、特定の場所から流れてきているわけではなかった。
まるで空気そのものに溶け込んでいるかのように、周囲に散らばっている。
そして、その一つ一つが――
「……まさか」
男は息を呑んだ。
この妖気。
この、肌を刺すような圧迫感。
「……妖怪?」
――一番乗りは、あんたか。
どこからともなく声が聞こえた。
次の瞬間。
――閃光。
男は反射的に目を細めた。
ほんの一瞬。
再び目を開いた時には、目の前に一人の少女が立っていた。
茶色の髪。
白い上衣に、紫色のロングスカート。
腰には、紫色の瓢箪がぶら下がっている。
そして何より特徴的なのは、頭から生えた二本の角。
この角を見て、鹿の妖怪と勘違いする愚か者はいないだろう。
――鬼。
それも、ただの鬼ではない。
男は本能的に理解した。
目の前にいるのは、相当に危険な存在だ。
「いやぁ、驚いたねぇ」
少女は楽しそうに笑った。
「まさか宴で真っ先に潰れていたお前さんが、一番最初に私を見つけるとは思わなかったよ〜」
その足取りは、どこかふらふらとしている。
どうやら酔っているらしい。
しかし、男は警戒を解かなかった。
「……いつから、そこにいた?」
「最初からだよ〜」
少女は何でもないことのように答えた。
「宴にもいたしね〜」
「……なるほどな」
男は周囲に漂う妖気を思い出す。
あれだけの気配がありながら、姿が見えなかった理由。
どうやら、ただ隠れていたわけではないらしい。
「……何故、異変を起こした?」
「何故って……」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「あんた、宴は嫌いかい?」
「……嫌いじゃない」
「だろう?」
「……ただ、酒には弱い」
「あはは! そりゃ災難だったねぇ!」
少女は愉快そうに笑った。
男はため息をつく。
「……要するに、宴がしたかっただけなのか?」
「そうだね〜」
少女は腰の瓢箪を手に取った。
「今年は冬が長かったじゃないか」
瓢箪に口をつけ、中の酒をぐいっと飲む。
「せっかく春が来たのに、花見が一回きりじゃ寂しいだろう?」
「……それだけ?」
「それだけ!」
少女は胸を張った。
男は頭を抱えたくなった。
先の異変では、幻想郷の春が奪われた。
そして今回は、春を楽しみたいがために宴会が繰り返されている。
まったく、妖怪という連中は。
「……はぁ」
男は深く息を吐いた。
「それで、質問は終わりかい?」
少女が尋ねる。
「あ、ああ」
「そうかい」
少女はにやりと笑った。
そして、瓢箪を腰に戻す。
「じゃあ、始めようか」
ごきり。
少女が首を鳴らした。
続いて、肩をぐるりと回す。
「……何を?」
男は問い返した。
少女は、さも当然のように答える。
「決まっているだろう?」
一歩。
少女が前へ出る。
その小さな身体から、尋常ではない圧力が放たれた。
男の背筋に、冷たいものが走る。
「酒の席には付きものの、アレだよ」
「……まさか!」
少女は満面の笑みを浮かべた。
「さぁ、楽しい喧嘩の時間だ!」
35.5
いや、今度は下がりすぎだろ
どうもルプです。
身体ほぼ平常時に戻りました。
ただ血液検査の炎症反応の数値でドクターストップかかってまして出勤出来ません、トホホ。
私本来小説書く性分じゃなくてですね、趣味は実は格闘技なんですよ。
空手、柔道、柔術で今はMMAです。
動けないの、辛いです......
なので欲求全て小説に回しております。
ここ最近更新頻度が高いのはそういう事なんですね〜
さて、次回は鬼との喧嘩。
残念ながら神主君にタオルを投げてくれるセコンドはいません。
頑張れ神主!負けるな神主!