魔法の森の外れに、一軒の古道具屋がある。
その名も、香霖堂。
幻想郷では滅多に見られない品物が所狭しと並ぶ、少々変わった店である。
「おーい、霖之助!」
扉を開けるなり、魔理沙が声を張り上げた。
「いるかー?」
「いるよ。そんなに大声を出さなくても聞こえる」
店の奥から、呆れたような声が返ってきた。
帳簿を片手に現れたのは、店主の森近霖之助だった。
「やあ、霊夢。それに……おや、君も一緒か」
「こんにちは、霖之助さん」
男が軽く頭を下げる。
「今日は二人に付き合って来ました」
「そうかい。まあ、ゆっくりしていくといい」
霖之助はそう言うと、魔理沙へ視線を向けた。
「ただし、商品を勝手に持ち出すのはやめてくれよ」
「分かってるって!」
「その台詞は何度も聞いたよ」
「信用ないなぁ」
「信用を失うようなことをしているからだろう」
霊夢が横から口を挟む。
「ほら、さっさと見て回りましょ」
「おう!」
魔理沙は早速、棚の間へと消えていった。
男も店内を見渡す。
見慣れない金属の箱。
奇妙な形の器具。
色鮮やかな包装に包まれた、小さな品物。
どれも、幻想郷ではまず目にしないものばかりだった。
男は、この店を気に入っていた。
用事がなくとも、時折ふらりと立ち寄ることがある。
何かを買いたいわけではない。
ただ、こうして棚に並ぶ品々を眺めていると、不思議と心が落ち着くのだ。
知らないはずのもの。
見覚えのないもの。
それなのに、どこか懐かしい。
その感覚が何なのか、男自身にも分からなかった。
「……また難しい顔してる」
隣から声がした。
霊夢だった。
「何か気になるものでもあった?」
「いや、相変わらず不思議な店だと思ってな」
「そう? 私にはガラクタばっかりに見えるけど」
「おいおい、聞こえているよ」
霖之助が苦笑した。
「ここにあるものは、どれも貴重な品なんだ」
「使い方も分からないものばっかりじゃない」
「それと価値は別の話だよ」
霊夢は肩をすくめた。
すると、霖之助が何かを思い出したように顔を上げた。
「……そうだ」
「?」
「君に、少し相談したいことがあるんだ」
男が振り返る。
「私に、ですか?」
「ああ。道具のことでね」
霖之助は店の奥を指した。
「少し時間をもらえるかな?」
「ええ。構いませんよ」
「ちょっと、何の話?」
霊夢が口を挟む。
「大したことじゃないよ。すぐに済む」
「ふーん……」
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
男は霊夢にそう告げると、霖之助の後についていった。
残された霊夢は、二人の背中を見送った。
「おーい、霊夢!」
離れた棚から魔理沙が呼ぶ。
「こっちに変なもんがあるぜ!」
「はいはい、今行くわよ」
霊夢は小さくため息をつき、魔理沙のもとへ向かった。
◇◇◇
店の奥にある小部屋。
霖之助は引き出しから一つの道具を取り出し、机の上に置いた。
黒い樹脂でできた、奇妙な形の物体だった。
左右に握る部分があり、表面にはいくつもの突起が並んでいる。
端からは、長い紐のようなものが伸びていた。
「……これは?」
男が尋ねる。
「外の世界から流れ着いた品だよ」
霖之助は椅子に腰掛けた。
「僕の能力については、知っているね?」
「ええ。道具の名前と用途が分かる能力でしたね」
「その通り」
霖之助は頷く。
「これも名前と用途は分かったんだが……どうにも気になることがあってね」
「何でしょう?」
霖之助は道具を指さした。
「用途が、『あらゆる物を操作する道具』と出たんだ」
「……ほう」
男が目を細める。
「それはまた、随分と大層な道具ですね」
「そうだろう?」
霖之助は腕を組んだ。
「文字通りなら、極めて危険な代物だ。人間や妖怪、あるいは自然現象すら操れるかもしれない」
「なるほど」
「しかし、どう使うのかが分からない。何度か試してみたが、何も起こらなくてね」
霖之助は道具を男の方へ押し出した。
「君なら、何か分かるんじゃないかと思ったんだ」
「……私、ですか?」
「ああ。君は以前にも、店の品物の使い方を言い当てたことがあっただろう」
「そうでしたね」
「それに、博麗神社の関係者でもある。もし本当に危険な道具なら、相談する相手としても適任だと思ってね」
男は小さく頷いた。
「分かりました。拝見します」
そう言って、道具を手に取った。
その瞬間だった。
「……?」
男の指が、自然に動いた。
両手で道具を包み込むように握り、親指を突起の上へ置く。
左の親指が十字形の部分を押し、右の親指が丸いボタンを軽く叩いた。
かちり。
小さな音が鳴る。
男は、思わず手元を見下ろした。
考えて動かしたわけではなかった。
ただ、手に取った途端、指が勝手に動いたのだ。
まるで、何度も繰り返してきた動作のように。
「……ああ」
男が小さく呟いた。
「これは、ゲームのコントローラーですね」
「……げえむ?」
霖之助が首を傾げる。
「知っているのかい?」
「ええ……おそらく」
男は道具を見つめた。
「画面の中にいる人物や、乗り物などを動かすためのものです」
「画面の中の人物を?」
「はい。こちらで移動して、こちらで……」
男の親指が、再び動いた。
「……跳んだり、攻撃したりするんだったと思います」
「なるほど」
霖之助は興味深そうに頷いた。
「つまり、実際の人間や物体を操るものではないんだね?」
「ええ。少なくとも、これ単体で何かを操ることはできません」
「そうか……」
霖之助は安堵したように息を吐いた。
「それなら、ひとまず安心だ」
「ええ」
男は頷いた。
しかし、その視線はまだ手元に向けられていた。
「……どうかしたかい?」
霖之助が尋ねる。
「いえ……」
男は少し考え込んだ。
「不思議なんです」
「何が?」
「これの使い方が、分かるんですよ」
「それは今、聞いたけれど」
「……ええ」
男は自分の手を見下ろした。
「ですが、どこで覚えたのかが分からない」
「……」
「誰に教わったのかも、いつ使ったのかも。何一つ思い出せないんです」
男はもう一度、ボタンを押した。
かちり。
小さな音が鳴る。
「……懐かしい、ですね」
ぽつりと呟く。
「何が懐かしいのかも、分からないのですが」
霖之助はしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開いた。
「……そうか」
男は道具を机へ戻した。
「ともあれ、危険なものではありませんよ……多分」
「助かったよ」
霖之助が微笑む。
「やはり、君に聞いて正解だった」
「お役に立てたなら何よりです」
男は穏やかに微笑んだ。
霖之助は机の上の道具を見つめる。
「あらゆる物を操作する道具、か……」
そして、小さく呟いた。
「……随分と大げさな用途だったものだね」
◇◇◇
店内へ戻ると、霊夢と魔理沙が談笑していた。
「だから、それは買うの?」
「いや、まだ決めてないぜ」
「じゃあ何で抱えてるのよ!」
「持ってみないと分からないだろ?」
「何がよ!」
男は思わず苦笑した。
「……何をしているんだ?」
「あ、お帰り」
霊夢が振り返る。
「魔理沙がまた変なものを持ち出そうとしてるのよ」
「持ち出すとは言ってないぜ!」
魔理沙が抗議する。
その腕には、何やら大きな金属製の箱が抱えられていた。
「……それは?」
男が尋ねる。
「知らん!」
魔理沙が胸を張る。
「でも、何かすごそうだろ?」
「……そう、なのか?」
男は苦笑した。
「売り物なんだから慎重に扱えよ〜」
「そうよ、そのガラクタ買い取る羽目になるわよ」
霊夢が呆れたように言う。
「ちぇっ」
魔理沙は渋々、箱を棚へ戻した。
男はその様子を眺めながら、別の棚へ目を向けた。
そこには、薄い冊子が何冊も積み重なっていた。
色鮮やかな表紙。
奇妙な格好をした人物たち。
そして、大きく書かれた文字。
『週刊少年ジャンプ』
「……漫画、か?」
男は一冊を手に取った。
漫画というものは知っている。
絵と文章で物語を描く娯楽。
だが、どんな作品を読んだことがあるのかと聞かれれば、何も思い出せなかった。
男は何気なくページをめくった。
「……ん?」
手が止まった。
そこには、奇妙な構えを取る人物が描かれていた。
両手を腰を落とし、力を溜めて、相手に掌を向けて攻撃を放つ。
その姿勢。
そして、技の名前。
「……これは」
見覚えがあった。
かつて、先代の博麗の巫女が見せた技に、酷似していた。
男は慌てて次のページをめくる。
「……なっ」
別の作品。
別の登場人物。
しかし、そこにも見覚えのある技が描かれていた。
さらにページをめくる。
また別の作品。
今度は、独特な呼吸により、身体の内側に力を巡らせるような描写。
その説明までもが、かつて教わった修練に似ている。
「……どういうことだ?」
男が呟いた。
「ん? 何か見つけたのか?」
魔理沙が顔を覗かせる。
「……魔理沙。これを見ろ」
「どれどれ?」
男はページを開いた。
「この技、見覚えがないか?」
魔理沙が首を傾げる。
「いや、知らないぜ」
「そうか……」
「何だよ。そんなにすごいのか?」
「ああ……俺の師が使っている技と、非常によく似ている……」
「……は?」
魔理沙が目を丸くした。
霊夢も近づいてくる。
「何よ、騒がしいわね」
「霊夢、これを見ろ」
男が冊子を差し出す。
「師匠が使っていた技に似ていないか?」
霊夢はページを覗き込んだ。
「……え?」
その表情が変わる。
「……あれ?」
別のページをめくる。
「……ちょっと待って」
さらにめくる。
「……これも?」
男が頷いた。
「ああ……」
「いやいやいや」
魔理沙が二人の顔を見比べた。
「何だよ。そんなに似てるのか?」
「似てるっていうか……」
霊夢が眉をひそめる。
「ほとんど同じじゃない、これ」
「やはり、そう思うか……」
男は真剣な顔で頷いた。
「しかし、妙だな」
「何が?」
「漫画というものは、娯楽のために描かれた物語のはずだ」
「そうなのか?」
魔理沙が尋ねる。
「ええ。少なくとも、俺はそう記憶している」
男は冊子を見つめた。
「それなのに、師が使っていた技が、これほど多く記されている」
霊夢が腕を組む。
魔理沙も考え込んだ。
三人の間に、沈黙が流れる。
そして。
「……まさか」
男が顔を上げた。
「これは、漫画に見せかけた修練書なのでは?」
「……!」
霊夢が目を見開く。
「なるほど……!」
魔理沙が手を打った。
「そういうことか!」
「外の世界の人間は、こうやって技を伝えているのかもしれないわね」
霊夢が真剣な顔で頷く。
「誰でも読めるように、物語の形にして……」
「しかし、普通の人間には娯楽にしか見えない」
男が続けた。
「修練を積んだ者だけが、その真の意味を理解できる……!」
「すげぇ!」
魔理沙が笑った。
「よくできてるじゃないか!」
三人は、しばらく冊子を見つめていた。
その目には、ある種の敬意すら宿っていた。
「……買おう」
男が静かに告げた。
「これは、貴重な資料だ」
「そうね」
霊夢が頷く。
「師匠の技について、何か分かるかもしれない」
「よし、決まりだな!」
魔理沙が笑った。
男は冊子を抱え、霖之助のいる帳場へ向かった。
「霖之助さん。こちらをいただけますか?」
「おや、漫画かい?」
「ええ。少々、興味深いことが書かれていまして」
「そうかい。毎度あり」
霖之助は特に気にする様子もなく、代金を受け取った。
男は大切そうに冊子を抱えた。
その様子を見て、霖之助は微笑んだ。
「若いって、いいねぇ……」
◇◇◇
その日の夕方。
男は一冊の漫画を抱え、先代巫女のもとを訪ねていた。
「師匠!」
「……どうした?」
現在は人里にある先代の家。
その縁側で茶を飲んでいた先代が、顔を上げる。
男は真剣な表情で冊子を差し出した。
「少し、お尋ねしたいことがあります」
「何だ?」
「こちらを、ご存じでしょうか?」
先代は冊子を受け取った。
そして。
「…………」
固まった。
表紙に書かれた文字。
『週刊少年ジャンプ』
「……お前」
先代がゆっくりと顔を上げる。
「これ、どこで手に入れた?」
「香霖堂です」
「……そうか」
先代は静かに目を閉じた。
男は気づかず、話を続ける。
「この中に、師匠が使われていた技と酷似したものが、いくつも記されているんです」
「……」
「しかも、一つの作品だけではありません。複数の作品に、それぞれ異なる技が描かれている」
「……」
「私なりに考えたのですが、これは漫画という形式を借りた修練書なのではないでしょうか?」
先代の眉が、ぴくりと動いた。
「……ほう?」
「一般の人間には娯楽として見せかけ、その実、修練を積んだ者にのみ技の真髄を伝える」
男は真剣だった。
「そう考えれば、すべて辻褄が合います」
「…………」
先代は、しばらく黙っていた。
そして。
「……よく気づいたな」
静かに告げた。
男の表情が明るくなる。
「やはり!」
「うむ」
先代は重々しく頷いた。
「お前の考えは、間違っていない」
「では、これは……!」
「禁書だ」
「……禁書?」
男が目を瞬かせる。
先代は漫画を閉じた。
「そうだ。極めて危険な技が記された、禁断の修練書だ」
「……!」
「ここに記された技は、未熟な者が扱えば命を落としかねない」
先代は真剣な表情で続ける。
「身体の構造を理解せず、力の流れも知らぬまま真似をすれば、肉体が耐えきれずに崩壊することもある」
男は息を呑んだ。
「……そこまで、危険なものなのですか」
「うむ」
先代が頷く。
「だからこそ、私はお前にここに載っている技を教えてこなかった」
「……!」
男は目を見開いた。
そして、ゆっくりと俯く。
「……そういうこと、だったのですね」
「……ん?」
男は拳を握り締めた。
「今まで師匠が技を教えてくださらなかったのは、私の身を案じてのこと……」
「……あ、ああ」
「そして最近ようやく教えて頂けるようになったのは私の実力をみとめて……」
男は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「……」
先代は、何とも言えない表情で弟子を見つめた。
「……ああ」
男は顔を上げた。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「いつか、この禁書に記された技を全て扱えるよう、精進いたします!」
「……うむ」
先代は頷いた。
そして、漫画を懐へしまう。
「これは私が預かっておこう」
「はい!お願いいたします!」
男は何の疑いもなく頭を下げた。
先代は、その背中を見送った。
やがて、弟子の姿が見えなくなると。
「…………」
懐から漫画を取り出す。
表紙を見つめる。
そして。
「……危なかったぁ……」
大きく息を吐いた。
危うく、長年の秘密が露見するところだった。
先代は額の汗を拭った。
「……確かに、あんなところで見つけるとは」
しばらく考え込む。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「……香霖堂、か」
◇◇◇
それから数日後。
香霖堂を訪れた先代は、霖之助に何やら話を持ちかけたという。
その内容を知る者はいない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
以後、香霖堂の店頭に『週刊少年ジャンプ』が並ぶことは、二度となかった。
なお、男は現在に至るまで、あの漫画を禁書だと信じている。
そして、先代が使っていた数々の技の出典についても。
未だ、何一つ知らないのであった。