ラスボス少女の忠実なる下僕 作:よろしくお願いします
俺の死にざまには、専用のBGMがある。
静かなピアノで始まり、弦楽器が重なって、最後は壮大な合唱になる。とてもいい曲だ。前世ではサウンドトラックまで買った。
まさか自分の葬式で流れる予定だったとは思わなかったが。
「ユリウス。聞いているのですか」
「はい。大変光栄なお話です」
嘘である。
大神官様の説教は、途中から一文字も頭に入っていない。
俺は祭壇の前にひざまずいたまま、右手の甲を見つめていた。先ほど浮かび上がった、盾と双翼をかたどる白い紋章。
見覚えがあった。
ゲームのステータス画面で、何十時間も眺めたやつだ。
「その聖印こそ、次代の勇者を支える者の証し。孤児であるおまえを神が選ばれたのです。己の命を惜しまず、人々のために尽くしなさい」
「はい」
惜しむが?
ものすごく惜しむが?
たった今、前世の記憶を思い出したところなのだ。せめて状況を整理する時間をいただきたい。
俺の名前はユリウス。八歳。教会育ち。
そして十五年後に始まるダークファンタジーRPG『灰の王冠』の、固定パーティーメンバー。
得意技は結界。回復も少々。面倒見のよい青年神官で、最終決戦では命を燃やして仲間を守る。
燃やした結果、ラスボスの攻撃を三秒止める。
三秒。
カップ麺すら作れない。
そのくせ死亡ムービーはたっぷり四分ある。倒れた俺を勇者が抱き起こし、俺は血まみれの笑顔で『あとは任せましたよ』と告げる。
そのあとは誰にも任せられない。
全員死ぬので。
〈灰の王冠〉は、どのルートを選んでも世界が崩壊するゲームだった。
王国を救えば帝国が滅びる。帝国を救えば聖都が焼ける。隠し武器を集め、仲間の好感度を上げ、攻略サイトにかじりついても、最終的に人類はきれいさっぱり消える。
制作陣はそれを『抗う者たちの美しさ』と呼んだ。
俺はその時、コントローラーを置いて天井を見た。
画面越しなら、それでもよかった。
だが当事者となると、話は別だ。
美しく抗って死ぬ役は、謹んで辞退したい。
「いつか勇者様とともに、世界を救うのですよ」
「はい。精進します」
俺は深く頭を下げた。
その瞬間、胸に誓った。
絶対に寝返ろう、と。
***
勝ち馬の住所を知っている。
王都の西。大聖堂の敷地の端にある、古い離塔。
十五年後、そこから一人の少女が連れ出される。
銀の髪に赤い瞳。生まれながらに底の知れない魔力を持ち、人々に恐れられ、閉じ込められて育った少女。
初めて外へ出してもらえると喜んだ彼女を待っていたのは、処刑台だった。
その日を境に、世界各地で黒い花が咲き始める。
終焉の魔女、エリゼ。
このゲームのラスボスである。
彼女が世界を壊しきったあとも、最後の一枚絵には黒い城と、その庭だけが残っていた。
俺が目指すのは、そこだ。
人類側ではなく、魔女の身内として生き残る。
庭師でも皿洗いでもいい。採用枠があるうちに潜り込み、十五年かけて『こいつは消すとちょっと不便だな』と思っていただく。
幸いにも、まだ彼女の専属使用人はいない。
不幸なことに、その理由はわりと切実だった。
「先月の当番は、扉の前にいただけで三日寝込んだぞ」
塔の門番が、俺の提出した配属願いを見下ろして言った。
「中には入るな。食事を置いたらすぐ戻れ。聖印があるからといって、無茶はするなよ」
「承知しました」
食事係の交代は、驚くほどあっさり認められた。
八歳の子供に任せていい仕事なのかという疑問はあるが、白い聖印を見せた途端、担当の神官は何度も俺に感謝した。
この職場、離職率がすごそうだ。
もっとも俺には、結界という適性がある。
前世の記憶を頼りに練習した結果、薄い膜で全身を包むくらいならできるようになった。全盛期の魔女には三秒しか通用しなくても、幼い彼女から漏れる魔力なら、しばらくは防げるはずだ。
駄目なら逃げる。
命を惜しむことにかけては、大神官様の説教も聞かなかった男である。
俺は片手に鍋、もう片方にパンの籠を提げ、塔の階段を上った。
最上階の扉の前には、昨日の食事が置いてあった。
皿の上に、干からびたパンが一つ。
隣の水差しには、薄く氷が張っている。
廊下まで、冷たい風が吹き抜けていた。
俺は鍋を抱え直して、扉を叩いた。
「お食事をお持ちしました」
返事はない。
「本日は蕪と鶏肉のスープです。パンもあります」
しん、とした沈黙。
少し迷ってから、俺は付け加えた。
「……温かいうちに食べたほうが、うまいですよ」
かすかな物音がした。
扉が、指二本分だけ開く。
隙間から、赤い瞳がこちらを見た。
「そこに、置いて」
細い声だった。
ゲームで聞いた、世界に終わりを告げる声とは似ても似つかない。
「中でお出ししても?」
「だめ」
「冷めてしまいますので」
「……あなた、しぬよ」
扉の下から、黒い霧がにじんでいた。
俺の足元に触れ、結界の表面で小さな火花になって散る。
手の甲が、ちり、と熱くなる。
維持はできそうだ。
「体は丈夫なほうです」
俺は震えそうになる膝に力を入れた。
就職面接で弱みを見せてはいけない。
赤い瞳が、俺の足元と顔を何度か往復した。
やがて扉が、ゆっくりと開いた。
部屋には寝台と机、それから椅子が一脚。
窓の一枚は割れたままで、暖炉は空っぽだった。
少女は俺と同じくらいの背丈で、袖の足りない服を着ていた。銀色の髪は絡まり、頬は白く、裸足の指が床の冷たさから逃げるように重なっている。
ああ、なるほど。
これは世界を滅ぼす。
八歳くらいの子供をこんな場所に閉じ込めて、温かい飯も出さない。
人類の危機管理、どうなってるんだ。
「机をお借りしますね」
俺は鍋を置き、蓋を開けた。
湯気が立ち上る。
鶏肉とバターの匂いが、冷えきった部屋に広がった。
少女の喉が、小さく動いた。
「厨房でもらってきました。具を選べる立場ではなかったので、蕪が多いのはご容赦ください」
器によそい、椅子を引く。
少女は座らなかった。
俺が一歩離れると、ようやく机に近づいた。
その足元から伸びた黒い霧が、椅子の脚をなぞる。木肌が、じわりと黒く染まった。
少女はびくりと肩を揺らした。
「……ごめんなさい」
椅子から手を離す。
「わざとじゃ、ないの」
顔を伏せ、両手を背中に隠す。
俺は一度、焦げた椅子を見た。
なるほど。感情が揺れると漏れるのか。
いまのところ、炎よりは扱いやすい。俺は椅子と食器を結界で薄く覆い、もう一度、椅子を引いた。
「これなら大丈夫そうですね」
「……おこらないの」
「椅子はまだ使えますから」
未来の雇い主を、備品一つで叱るほど命知らずではない。
それに、弁償しろと言われても困る。
俺の全財産は銅貨六枚だ。
少女がそろそろと腰を下ろす。
スプーンを握った。
何も起こらない。
彼女は柄を裏返して眺め、それから、おそるおそるスープをすくった。
ふう、と息を吹きかける。
もう一度、吹きかける。
唇に触れた瞬間、赤い目が大きくなった。
次の一口は、少し早かった。
俺は黙って、パンをちぎった。
硬い表面はスープに浸しておく。八歳の歯にこの国のパンはなかなか厳しい。ここ一週間で得た、前世にはなかった知恵である。
「……あなたは」
「はい」
「たべないの」
「後ほどいただきます」
実のところ、味見を口実に厨房で一杯食べている。
少女はスプーンを止めた。
籠のパンと、俺と、向かいの何もない床を見る。
「いっしょに、たべたら」
俺は少し考えた。
なるほど。
毒見をご所望か。
最初から信用してもらえるとは思っていない。むしろ、その慎重さは頼もしい。将来の勝ち馬には長生きしていただきたい。
「では、お言葉に甘えて」
予備の器によそい、机の反対側に腰を下ろした。椅子は一つしかないので、床だ。
少女がじっと見ている。
俺は一口食べた。
うまい。
バターを少々くすねた甲斐があった。
「……わたし、エリゼ」
器の向こうから声がした。
「ユリウスと申します」
「ユリウス」
少女は、確かめるようにもう一度呼んだ。
「どうして、きたの」
来た。
志望動機の確認だ。
世界が滅ぶ際、どうか俺だけ対象外にしてください。
――とは、さすがに言えない。
俺は器を置き、姿勢を正した。
「あなたにお仕えしたいと思ったからです」
「おつかえ?」
「食事を用意したり、掃除をしたり。ご入り用のものがあれば持ってきます」
暖房、靴、まともな服。
必要なものは山ほどある。
逆に言えば、点数の稼ぎ放題だ。いまなら靴下の一足でも印象に残る。終末後に土地をいただくための投資としては、破格ではないか。
「つまり、あなたの下僕にしていただきたいのです」
エリゼの指が、スプーンをぎゅっと握った。
「……神官さまが、そうしろって?」
「いいえ。俺がお願いしました」
「なんで」
「あなたのおそばにいたいので」
世界崩壊の際には、特に。
少女は何も言わなくなった。
これは少し、露骨すぎたか。
俺は鍋に残ったスープへ視線を逃がした。
「よろしければ、おかわりを――」
「あしたも?」
「はい?」
「あしたも、くるの」
「もちろんです」
今朝、担当神官に長期配属を頼んでおいた。
ありがたいことに、競争相手は一人もいなかった。
「そのつぎも?」
「はい」
「……いやに、ならない?」
細い声だった。
俺はエリゼを見る。
彼女はスプーンを握ったまま、返事を待っていた。
背筋を伸ばし、唇を結んで。
さっき焦がした椅子の脚を、裸足のかかとで隠していた。
胸のあたりに、妙な引っかかりを覚えた。
俺はもう一度、器を持った。
「少なくとも、明日は来ます」
永遠を保証できるほど、俺は自分の人生に自信がない。
なにしろ死亡予定者だ。
「明日は靴下を持ってきます。あと、その窓を何とかしないと。スープもすぐ冷めますから」
エリゼが割れた窓を見た。
それから、俺の顔を見た。
「……スープも?」
「持ってきますよ」
「あしたも、あったかいの?」
「冷たいほうがお好みでしたら、善処しますが」
銀の頭が、勢いよく横に振られた。
俺は笑って、彼女の器におかわりを注いだ。
***
翌朝。
俺は塔の階段で、早くも将来設計の甘さを痛感していた。
鍋。
パン。
古着の靴下。
窓を塞ぐための板と布。
そして、椅子。
「……下僕って、重労働だな」
最後の踊り場で息を整えていると、上から扉の開く音がした。
「ユリウス」
エリゼが立っていた。
扉のそばに。
両手を胸の前で握りしめ、じっと俺を見ていた。
「おはようございます」
「……きた」
「お約束しましたので」
彼女は階段を一段下りかけた。
けれど、俺の手元を見て止まった。
「それ」
「椅子です。物置から借りてきました」
「だれの」
「俺のです。昨日は床でしたから」
赤い瞳が、椅子の背を見つめた。
それからエリゼは、扉を大きく開けた。
昨日よりも、ずっと大きく。
俺は荷物を運び込み、机の向かい側に椅子を置いた。
ひとまずこれで、座って飯が食える。
窓の修繕は食後にしよう。
鍋の蓋に手をかけたところで、服の裾が小さく引かれた。
「ユリウス」
「はい」
「げぼくって、わたしの?」
おお。
採用についてのお話だ。
「はい。エリゼ様だけの下僕です」
ここは強調しておく。
勇者陣営との兼務を疑われては、命に関わる。
「だれかに、かしてっていわれても?」
「お断りして結構ですよ」
「かえしてって、いわれたら?」
「俺から頼んで来たんです。戻す必要はありません」
勇者パーティーへの返送など、とんでもない。
エリゼはうつむいた。
しばらくして、俺の裾をつまむ指に、ほんの少し力がこもった。
「……わかった」
その声を聞いて、俺は胸をなで下ろした。
採用である。
よし。
あとは十五年かけて信頼を固め、いずれ訪れる世界の終わりを、彼女の庭で優雅に眺めればいい。
さらば勇者パーティー。
さらば俺の専用BGM。
ほな、お先に生存確定させてもらいますわ。
***
エリゼは、机の向かいに置かれた椅子を見ていた。
昨日まで、なかったもの。
ユリウスの椅子。
ここに座るために、わざわざ持ってきたもの。
もう来ない、と言った人もいた。
何も言わずに、来なくなった人もいた。
だから昨日は、眠れなかった。
階段の音を聞き逃すのが怖くて、ずっと扉のそばにいた。
でも、彼は来た。
スープと、靴下と。
自分の椅子を持って。
「今日は昨日より鶏肉が多いですよ。厨房のおばさんに粘りましたから」
ユリウスが、少し得意そうに笑う。
エリゼも笑おうとした。
うまくできたか、わからなかった。
昨日まで、外から聞こえる鐘の音が嫌いだった。
遠くの笑い声も、馬車の音も、みんな嫌いだった。
全部なくなって、静かになればいいと思っていた。
けれど、あの階段だけは困る。
ユリウスが上ってくるから。
厨房も、なくなると困る。
彼が明日のスープを、作れなくなるから。
「エリゼ様? 冷めますよ」
明日。
明日の次にも、彼はこの椅子に座るだろうか。
その次も。その次も。
エリゼはようやく服の裾を離して、スプーンを握った。
ユリウスが食事を始めるのを待ち、同じように、ひと口。
温かかった。
少女の足元に溜まっていた黒い霧が、ゆっくりとほどけていく。
「結界も、うまくなってきたかな」
ユリウスは自分の手の甲を眺めて、うれしそうに言った。
「おいしい?」
エリゼが尋ねると、ユリウスはうなずいた。
「ええ。明日もこれでいいくらいです」
エリゼは、その言葉を大切に覚えた。
誰かが彼を返してと言ったら、ちゃんと断ろう。
本人が、いいと言ったのだから。
まずは、明日。
この椅子を、誰にも空けさせない。