ラスボス少女の忠実なる下僕   作:よろしくお願いします

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第四話

 最初の定期報告で、俺は少し困っていた。

 

「食事は毎回、残さず召し上がっています。窓をふさいでからは、部屋も暖かくなりました」

「うむ」

「暖炉も使えます。食器と寝具に、新しい傷みはありません」

「それで?」

 

 机の向こうで、神官が羽根ペンを持ち直した。

 

「おまえ自身に、変わりはないか」

「階段を上るのが、少し速くなりました」

 

 神官のペンが止まった。

 求められている成果と違ったらしい。

 

 塔へ初めて食事を運んでから、三日が経った。

 約束どおり、俺は物資を管理する神官のもとへ報告に来ていた。

 昨夜、話すことを指折り数えておいたのだが、どうも生活改善の話ばかりになってしまう。

 

「結界のほうは、どうだ」

「以前より、長く保てるようになったと思います」

「頭痛や、吐き気は」

「ありません。疲れはしますが、眠れば戻ります」

 

 今朝も、朝食の器は無事だった。

 俺の椅子も、脚の下に薄い板を挟んでから揺れなくなった。

 エリゼは食後、それを確かめるように背もたれを一度押す。

 いまのところ、追加の修理依頼はない。

 

「よく務めているな」

 

 神官は帳面に何かを書きつけた。

 

「あの塔で、それだけの時間を過ごせるとは。聖印を授かっただけのことはある」

「恐れ入ります」

「この成果は、大神官様にもお伝えしよう」

 

 できれば、伝えなくていい。

 俺はなるべく目立たず、人類側の名簿から遠ざかりたいのだ。

 寝返り先で真面目に働くほど、元の職場で評価が上がる。

 どういう仕組みなのか。

 

「必要なものがあれば、また申し出なさい」

 

 俺は顔を上げた。

 

「では、衣服を。袖と裾が短くなっているので、合いそうな古着を探してもよろしいでしょうか」

「おまえのか?」

「エリゼ様のです」

 

 神官は俺を見て、それから帳面を見た。

 何枚か、紙をめくる。

 

「……前に渡してから、ずいぶん経っているな」

 

 日付を指で追っていた手が止まった。

 やがて、短くうなずく。

 

「裁縫部屋で聞いてみなさい。直せるものがあるだろう」

「ありがとうございます」

 

 よし。

 報告という業務にも、やりがいが出てきた。

 

 

   ***

 

 

 塔へ戻るころには、俺の所持金は銅貨四枚になっていた。

 

 二枚は木の櫛に変わった。

 門前の露店で、いちばん歯の粗いものを選んだ。飾りはないが、指に当てても痛くない。

 

 服は、すぐには用意できなかった。

 まず丈を調べてくるようにと言われ、採寸用の紐を預かっている。

 ついでに髪を結ぶものがないか尋ねたところ、小さな布切れを二本もらえた。白と、薄い青。どちらも端が細く縫ってある。

 

 さらに厨房で、使わなくなった小さな手鏡を借りた。

 縁が欠けているが、持ち手は無事だ。

 

「ひどく絡んでたら、上から引っ張るんじゃないよ」

 

 櫛を見た厨房のおばさんに、念を押された。

 まず毛先から。少しずつ。引っかかったら無理に通さない。

 俺は説明を聞きながら、自分の短い髪に櫛を当ててみた。

 一度も引っかからず、すぐに終わった。

 

 練習台として、適性がなかった。

 

 買い物をして戻ると朝食の片づけのときに伝えていたので、今日は鍋を持っていない。

 代わりに櫛と鏡と布の包み。

 階段がいつもの半分くらいに感じられた。

 

「ただいま戻りました」

 

 扉が開く。

 

「おかえり」

 

 エリゼは、いつものように俺の顔を確かめた。

 次に、手元の包みを見る。

 

「おしごと、おわった?」

「はい。次は三日後です」

 

 彼女は小さくうなずき、道を空けてくれた。

 机には、空の鉢が置いてあった。

 その横に、きれいに畳まれた布。

 頬を拭いてもらってから、エリゼは毎朝、俺が来る前にこれを並べている。

 

「今日は、顔は汚れていませんよ」

 

 そう言うと、赤い目が念のためというように、もう一度俺の頬を見た。

 

「うん」

 

 布は片づけなかった。

 備えがよい。

 

 俺は机の空いているところへ包みを置いた。

 開くと、エリゼが近づいてきた。

 

「これ、なに?」

「櫛です。髪をとかすものです」

 

 銀色の髪へ、彼女の手が動いた。

 絡まった毛先を、指で握る。

 

「……きるの?」

「切る道具ではありませんよ。引っかかっているところを、ほどくんです」

 

 櫛を持ち、自分の髪に通してみせる。

 やはり、すぐに終わった。

 

「こんなふうに。それから紐でまとめれば、食事のときも邪魔にならないでしょう」

 

 昨日の夕食では、スープに入りかけた髪を俺が途中で受け止めた。

 結界で守る対象が、日に日に増えている。

 できれば髪には、紐のほうで対処していただきたい。

 

「俺でよければ、お手伝いしますが」

 

 エリゼは櫛を見ていた。

 それから、握っていた毛先を離す。

 

「おねがい、します」

 

 俺は椅子を引いた。

 

 

   ***

 

 

 始めてすぐに、厨房のおばさんの忠告が身にしみた。

 

 通らない。

 櫛の歯が、毛先から指一本分のところで止まってしまう。

 

 力を入れる前に、手を止めた。

 引っかかった部分を指で少しずつ分ける。

 一本ほどけると、その下にまた別の絡まりがあった。

 

 隠し通路を見つけたら、次の扉が施錠されていた気分だ。

 しかも今回は、攻略サイトがない。

 

「少し時間がかかりそうです」

「うん」

「退屈でしたら、お話でも」

 

 言ってから困った。

 話せそうな前世の思い出は、この世界ではだいたい説明が要る。

 ゲームの話など、なおさらだ。

 あなたを倒そうとして全滅しました、という話題で場を和ませる自信はない。

 

 幸い、エリゼのほうから口を開いた。

 

「かみ、どうしたらいい?」

「いまは、そのままで。頭を動かしたくなったら、教えてください」

「そうじゃ、なくて」

 

 膝の上で、彼女の指が動いた。

 

「ながいのと、みじかいの」

 

 俺は手元の髪を見た。

 椅子の背を越え、銀色が長く垂れている。

 

「エリゼ様は、どちらがお好きですか」

 

 返事がなかった。

 こちらを向きかけて、止まる。

 

「動いて大丈夫ですよ。櫛は外しています」

 

 赤い目が、俺を見上げた。

 

「わたしが、きめるの?」

「はい。エリゼ様の髪ですから」

 

 彼女は肩から落ちたひと束をつまんだ。

 指に巻きつけかけて、ほどく。

 

「ユリウスは」

「俺は、切るほうはあまり得意ではないので。短くなさるなら、先に練習が必要ですね」

 

 寮の子供たちの髪は、年長者がまとめて切っている。

 俺も一度だけ手伝ったことがあるが、仕上がりについては多くを語りたくない。

 伸びるのを待つしかない、と言われた。

 

 将来の魔女に、あの髪型を提供するわけにはいかない。

 

「……きらない」

 

 エリゼが言った。

 

「わかりました」

 

 俺はうなずき、ほどけたところから櫛を通した。

 今度は、少し長く進んだ。

 

 膝の上で握られていた手が、いつの間にか開いていた。

 

 しばらく、暖炉の薪が崩れる音だけがした。

 細かく分けていた髪が、櫛を通すたびにまとまっていく。

 俺も少し慣れてきた。

 結界と違って、こちらの上達は目で見てわかる。

 

「いたく、ない」

 

 小さな声がした。

 

「それはよかった。引っ張っていたら言ってくださいね」

「うん」

 

 エリゼは、椅子の背に少し体を預けた。

 足が床から離れ、靴下の先がゆっくり揺れた。

 

 ようやく最後まで櫛が通ったころには、俺の肩が少々こっていた。

 なるほど。

 髪が長いというのは、それだけで毎日の仕事が一つ増えるのだな。

 

「では、どちらで結びましょうか」

 

 机に、二本の布を並べる。

 エリゼは白いほうを見た。

 次に、青いほう。

 

「こっち」

 

 薄い青を、指で押さえた。

 今度は、俺にどちらがいいかとは聞かなかった。

 

「かしこまりました」

 

 首の後ろで、髪をひとつにまとめる。

 紐を巻き、左右をそろえて結んだ。

 結び目は少し斜めになった。

 直そうとすると、今度は片方の輪が小さくなる。

 

 荷物の口を縛るのとは、要求される技術が違った。

 

「……ひとまず、これで」

 

 俺は手を離した。

 銀色の髪が背中へ落ちる。

 エリゼが首を動かしても、頬の横には垂れてこなかった。

 

「じゃまじゃ、ない」

「ええ。これならスープも安心です」

 

 鏡を持って、彼女の前へ回る。

 

「ご覧になりますか」

 

 エリゼは両手で受け取った。

 膝の上で、ゆっくり角度を変える。

 

 初めは自分の顔を見ていた。

 次に耳の横を見ようとして、顔ごと鏡の後ろへ回りかけた。

 

「結び目は、もう一枚ないと見えませんね」

 

 後ろの紐を指先で持ち上げ、肩のほうへ少し寄せてやる。

 青い布が、鏡の端に映った。

 

 エリゼの目が、それを追った。

 

「へんじゃ、ない?」

「紐が少し曲がっています。すみません、そこの腕前は明日以降にご期待ください」

 

 鏡の中の目が、こちらを見た。

 

「そうじゃ、なくて」

 

 俺は、彼女の顔を見た。

 髪に隠れていた頬と、耳が見えている。

 眉のあたりまでかかっていた細い毛も、横へよけてあった。

 

 ゲームでは、長い銀髪の向こうから赤い目がこちらを見ていた。

 画面の隅には味方の死体。頭上には減る気配のない体力表示。

 

 いまは、毛先に少し寝癖の残った子供が、鏡を握って返事を待っている。

 

「よくお似合いですよ」

 

 エリゼは鏡へ目を戻した。

 顔を右へ向ける。

 少しだけ、左にも。

 

「……そう」

 

 それから、もう一度正面を見た。

 口の端が、かすかに上がっていた。

 

 よかった。

 初回の仕上がりとしては、合格をいただけたらしい。

 

 

   ***

 

 

 採寸は、髪をまとめてからだと楽だった。

 肩から足首まで。腕の長さ。胴回り。

 預かった紐に印をつけ、裁縫部屋へ返せるよう、別の袋に入れておく。

 

 エリゼは、その間もときどき後ろの結び目を確かめていた。

 手を伸ばしかけては、途中でやめる。

 

「取れそうですか?」

 

 尋ねると、首を横に振った。

 

「ねるときも、このまま?」

「そのときは、ほどいたほうがいいですね。結び目が当たりますから」

 

 伸びかけていた手が下がった。

 

「ほどくの」

「はい。また朝に結べます」

 

 エリゼは鏡を見た。

 机に伏せず、持ち手をこちらに向けて置いてある。

 

「あしたも、できる?」

「もちろん。今日ほどは絡まらないと思いますよ」

 

 手入れというものは、溜め込むと大変なのだ。

 暖炉も、髪も、おそらく世界の厄介事も。

 最後のものについては、もう手遅れなので担当外とさせていただく。

 

「慣れれば、ご自分でもできるようになります。まずは前のほうから――」

 

 言いかけると、エリゼがこちらを見た。

 

「ユリウスが」

 

 言葉が止まる。

 彼女は机の縁をつかんだ。

 

「……ユリウスに、してほしい」

 

 俺は櫛をしまう手を止めた。

 

 少し意外だった。

 これまでは、何か欲しくはないかと聞いても、首を振られることが多かった。

 寒くても言わない。靴下が大きすぎても、脱ごうとしない。

 その彼女が、今度は自分から希望を出してきた。

 

 ようやく、下僕を使うことに慣れてくださったか。

 

「では、明日も俺が」

 

 机の縁をつかんでいた指が、少し緩んだ。

 

「その、つぎも」

「朝食のあとでよろしければ」

 

 勢いよく、銀の頭が縦に動いた。

 青い紐の端も、一緒に跳ねた。

 

 毎朝の仕事が増えた。

 だが、悪い話ではない。

 食事は誰かが運べるし、薪も誰かが持ってこられる。

 それに比べて、名指しで頼まれる仕事は強い。

 

 終末後の雇用を確保するために、これは大事に育てていきたい。

 

「この櫛は、ここに置いておきますね」

 

 机に戻すと、エリゼが両手で持ち上げた。

 歯の間を確かめ、挟まっていた銀の毛を一本取る。

 

「わたしが、しまう」

「お願いします」

 

 彼女は寝台のそばへ行き、枕元を少し整えた。

 余った白い布で櫛を包み、そこへ置く。

 

 俺は借りた鏡を取り上げ、椅子に腰を下ろした。

 

「これは、昼の食器を返すときにお返ししてきます」

 

 エリゼが振り向いた。

 鏡を見て、俺を見る。

 

「もういちどだけ、ご覧になりますか?」

 

 少し考えて、彼女は首を横に振った。

 

「ユリウスが、みて」

「はい?」

「ほどけてないか」

 

 俺は背中へ目をやった。

 青い結び目は、斜めのまま、しっかり残っている。

 

「大丈夫ですよ」

 

 エリゼはうなずき、俺の向かいの椅子に座った。

 

 

   ***

 

 

 エリゼは、髪を結ぶ青い布に触れた。

 

 強く引くと、ほどけてしまう。

 だから、端のところだけ。

 

 長いのと短いの、どちらがいいか聞いたとき、本当は、どちらでもよかった。

 長いと邪魔になる。

 絡まると痛い。

 切ると言われたら、うなずくつもりだった。

 

 けれど、ユリウスは切らなかった。

 櫛が止まるたびに手を止めて、少しずつほどいた。

 時間がかかると言いながら、途中でやめなかった。

 

 後ろから、何度も名前を呼ばれた。

 痛くないかと聞かれた。

 好きなほうを選んでいいと言われた。

 

 エリゼは青い布を選んだ。

 櫛を包む白い布も、置いておく場所も、自分で決めた。

 

 明日の朝、ユリウスが来たら、食事をする。

 そのあとで、あの包みを持ってくる。

 椅子に座って、待っていればいい。

 

 エリゼは机の向こうを見た。

 ユリウスが、採寸の紐を入れた袋の口を結んでいる。

 左右の長さを見比べて、片方を引き直した。

 

 さっきと同じ手つきだった。

 

 あの手は、自分の知らないところでも、たくさんの仕事をする。

 扉を開けて、鍋を持って、誰かから物を受け取る。

 

 でも、朝ご飯のあとは。

 

「ユリウス」

「はい」

 

 呼ぶと、手が止まった。

 自分を見てくれた。

 

「あしたも、あおいの」

「ええ。わかりました」

 

 エリゼはうなずいた。

 ほどけていない結び目から、そっと手を離す。

 

 今夜は、ちゃんとほどこう。

 明日また、ユリウスに結んでもらえるように。

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