涼しい風に頬を撫でられる感触。
沈んでいた意識が浮上する。
目が覚めると俺は宿屋のベッドではなく、
硬い床の上に寝転んでいた。
ガッタンガッタン揺れやがる。
これ、床じゃない?
てか、頭イテェ……。
あまり経験したことのないタイプの頭痛。
鈍くズーンと響くような痛み。
風邪で熱を出した時とは違う不快感だ。
頭がちゃんと回らない。
俺、昨日何してたっけ?
宿屋に着いてから食事をして……。
食ってる途中に強烈な眠気が来たんだったかな?
俺の様子を心配したシルヴィアが宿屋の部屋に連れ添って、ベッドに寝かせてくれた辺りまで思い出せた。
俺がなかなか起きないから誰かが馬車に乗せて、もう出発したのか?
でも、これウチの馬車じゃなくね?
ゆっくりと起き上がろうとして、色々と違和感を覚える。
ん?
……え?
どうなってんだ?
そして気づいた。
手足が縛られてる。
なんか視界が薄ぼんやりしていると思っていたけど、もしかして俺、なんか袋みたいなものに入れられてる?
ま、待て待て待て!?
ぼんやりしていた頭に急に血が巡り始める。
ズキズキと頭痛が激しくなったがそれどころではない。
誘拐。
その言葉が頭の中に鮮明に浮かんだ。
嘘だろ……。
誰が?
何故?
どうやって?
動悸がドックンバックンと激しくなる。
慌てて身体を動かそうとするが、拘束されていて自由が利かない。
「あ……。目が覚めましたか、ベルベット様」
状況にそぐわぬ落ち着いた声。
とても聞き慣れた少女のものだ。
「んんん?」
喋ろうとして、手足だけでなく口が塞がれていることに気づいた。
「頭だけ出してあげますね」
そんな言葉と共に視界が開ける。
やはり袋に詰め込まれていたようだった。
「おはようございます。ベルベット様」
あまりにもいつも通りなシルヴィアの声に、俺は何か不穏なものを感じてしまう。
「んん~!」
「ああ、ごめんなさい。皆から逃げきるまで声を出せないようにしていたんでした」
口元に掛けられていた縄を解き、さらに口の中に突っ込まれていた布をズボッと引き抜かれる。
色々と言ってやりたいことはあるが、下手に刺激するのは不味い。
感情を押し込めて、できるだけ冷静な口調で静かに問いかけた。
「な、なあシルヴィアさんや。俺、今の状況が良く分かってないんだが? 何がどうなってんの?」
「色々なことがあったので、一言で説明するのは難しいのですが……。要約すると、私がベルベット様を誘拐しました」
一言で説明できてるじゃん……。
でも益々意味がわからん。
これ、夢か?
実は異世界のインフルエンザ的なウイルスで変な夢を見ているのではないかと思い、ベタに自分の頬でもつねってみようと思ったところで、両手が縛られていることを思い出す。
いっけね!
俺、手が使えないんだった!
てへへ!
とか言ってる場合じゃねぇ!?
ぬわぁぁぁぁ!
「シルヴィアさん? 俺、お前にここまで恨まれるようなことしたっけ? あれか? この前、足を舐めさせたことか?」
「いいえ。ベルベット様の足を舐めさせていただいたことは、私にとって至極の時間でした。恨むことなどありません」
それはそれでおかしいだろ。
あと、濁りまくった目が怖いから顔を近づけるんじゃねぇよ。
「ああ、そうだ。あまり大きな声は出さないでください」
シルヴィアは当たり前みたいに俺の首元にナイフを押し当てた。
「御者さんには荷物と一緒に近くの村まで運んでもらう約束でこの荷馬車に乗せて貰っているんです。私が運んでいたのが誘拐した貴族子女だと知ったら町に引き返してしまいます。でも、ベルベット様が会ったこともない王子様と結婚するなんて赦せないじゃないですか。私はそんなの受け入れられないから、だから、遠くに行かなきゃ。戻りたくないから、ベルベット様と一緒に何処かに……。だって、仕方ないじゃない。また独りになったら、もう耐えられない。いや、そうじゃなくって――ああ、うるさいなぁ……」
途中までは俺に話しかけていたはずなのに、段々とうわ言のようにひとりでに喋り続ける。
終いには俺以外の誰かと会話をしているような調子になり、小さく舌打ちまでする。苛立たし気な、あるいは敵に牽制を掛けるようなものだった。
敵というのはこの場合、俺なのだろうか?
わからないが、今のシルヴィアが正常でない事だけは確かだ。
「ごめんなさい。
「な、何の――」
シルヴィアの意味不明な発言に思わず質問をしようとしたところで、それすらも許さないとばかりにナイフが肌を割くギリギリまで押し当てられた。
「静かにしてくれますよね?」
「は、は~い」
もぉぉぉ!
どうなってんだよこれぇぇぇ!
そして――ドナドナされること数時間。
それは重々しい曇天の下、馬車が止まる。
「嬢ちゃん、本当にこんなに貰って良いのか?」
「はい。その代わり、約束のことは――」
「わかってるってぇ。こんだけの口止め料を貰っちまったんだ。誰にも話さない、それで良いんだろ?」
「ありがとうございます」
両手と口を塞がれた状態。
俺は麻袋に押し込められている。
その外からはシルヴィアと荷馬車の御者の会話が聞こえて来た。
「お待たせしました、ベルベット様。もう少し人目に付かない場所に移動したら、外に出してあげますからね」
袋にぎゅうぎゅうに詰められたままキャリーカートみたいなものに乗せられ、ガタガタと揺らされながら運ばれる。
居心地が悪いなんてものじゃない。
それからすぐに林の中で袋から出された。
周囲に見えるのは木々と広大な畑。
遠くの方に点々と小さな家が建っている。
聞いていた通り、何処かの村の近く。
頭の中に地図を広げて、大まかな場所を推定する。
カルメルの西方に位置するアイラル近辺だろう。
一応、カースナー領の中だ。
端の端だが。
「袋から出したついでに手と足の縄も解いてくれませんかね?」
「でも、そうすると私はベルベット様を押さえつけることができなくなってしまいます」
「なら一生俺を抱えて生きていくつもりか?」
「それは……無理ですね」
シルヴィアがムゥッと困った顔で唸る。
恐ろしいことをしでかしたわりに、シルヴィアは落ち着いている。
その実は、何も考えていないだけと見た。
「なぁ、お前、これから俺をどうする気なんだ?」
「ベルベット様が仰っていたように、二人で旅をして生きていこうと思ってます」
「俺の手足を縛ったまま?」
「…………」
口をへの字に曲げて黙り込む。
叱られた子供みたいな反応だ。
そう考えて、正にその通りなのだと悟った。
そういえば、シルヴィアってまだ十二か十三歳ってとこなのか。
彼女は年齢のわりに優秀で頭が回る。
しかも発育の良さもあって大人びて見えるのだ。
一応、今の俺よりは年上だし、シルヴィアがまだまだケツの青いガキだという事実を忘れかけていた。
今の彼女は思春期真っ盛り、反抗期真っただ中の繊細な少女なのだ。
「話ならゆっくり聞いてやるから、とりあえずお前が何を考えているのかをちゃんと教えてくれよ」
俺は近場の木に背を預けて腰を落ち着ける。
「幸い、時間ならいくらでもある。お前の気が済むまで話し相手になってやるよ」
王都にいって王子様とやらの相手をするよりは幾分か気楽なもんだ。
暇つぶしと思って、ちょっとばかり逃避行に付き合ってやろう。
◆
カルメルの西、アイラル近郊にある薄暗い酒場の裏口。
昼間から酒と汗の饐えた臭いが漂うその場所に、ガラの悪い男たちが数人集まっていた。
彼らはこの辺りの街道を縄張りとする盗賊紛いのならず者たちだ。
その中心で卑屈な笑みを浮かべているのは、つい先ほど、銀髪の少女を荷馬車で運んできたばかりの御者の男であった。
「……本当なんだろうな? その話」
顔に大きな傷のある大男――盗賊団のリーダーが、疑り深い目を向ける。
「間違いねぇですよ! あのガキ、馬車の口止め料だとか言って、俺に大金貨をポンと渡しやがったんです!」
「大金貨だと……!?」
その言葉に、周囲を取り囲んでいた男たちが色めき立った。
大金貨一枚といえば、彼らのような人間なら数ヶ月は遊んで暮らせるほどの大金だ。そんなものを、小娘がポンと出せるはずがない。
「しかも、あのガキの手元には、まだ硬貨がジャラジャラと入った革袋がありました。さらに言えば、そのガキ自身の見た目も極上なんでさぁ! 月明かりみてぇな綺麗な銀髪で、顔は貴族の娘みてぇにすげぇ上等。まだガキだが胸だってしっかりあって……へへっ。あのタマなら、裏市の奴隷商にでも売っ払えば、大金貨数枚は下らねぇはずですぜ!」
御者の言葉に、男たちの目がギラギラと欲望の色に染まっていく。
底辺で泥をすする彼らにとって、これ以上ない極上の獲物だった。
「護衛は? そんだけ金を持ってるなら、傭兵の一人や二人雇ってそうなもんだが」
「そこが一番の狙い目なんでさ! あのガキは俺の馬車に乗った時からずっと一人きりでした。持っていたのは、でけぇ麻袋がひとつだけ。おそらく、どこかの屋敷から金目のものをくすねて逃げ出してきた使用人か、勘当されたアホな令嬢のどっちかでしょうよ。どっちに転んでも、後ろ盾なんてあるわけねぇ!」
「なるほどな……」
傷顔のリーダーが、ニヤリと下劣な笑みを深めた。
一人歩きの、金を持った小娘。
しかも、誰にも知られずに処理できる状況。
これほど美味い話はない。
「おい、野郎ども。準備しろ。……ちょいと狩りの時間だ」
「へへっ! 待ってましたぜ、頭!」
「金は山分けだ。抵抗するなら、手足の数本折ってでも大人しくさせてやる」
下品な笑い声が、裏路地の陰で響き渡る。
奪った金で遊んで暮らす。
小娘を思う存分慰み者にしても良い。
彼らの頭の中には、すでにバラ色の未来しか描かれていなかった。
少女が運ぶ麻袋に、怪物が入っていたとも知らずに――。