誘拐騒動から一週間ほどが経った。
あれから俺とシルヴィアは親切な傷顔のオジサンに家を貸してもらって二人で生活している。
山中にある掘っ立て小屋だ。
丸太で組み上げられた素人お手製感が拭えない雑な建築。
すきま風と雨漏り、あと虫も入って来る。
お世辞にも良い家とは言えない。
だが、無料で借りている物件に文句をいうものではないだろう。
ひとつ懸念があるとすれば、なんでもこの近辺には大きな熊が出るとかで、今の時期は特に狂暴化している可能性が高いんだとか。
おかげで家主のオジサンも今は別の場所に避難してこの家は利用されていないらしい。
ところで、その親切なオジサンだが、
『滅私奉公の旅に出ます。探さないでください。家は差し上げます』
という置手紙を残していつの間にか姿をくらませていた。
足に深手を負った状態で良くやるもんだ。
本当はもう少し俺の実験に付き合って欲しかったんだが、まあ文句は言うまい。
「ベルベット様! 昼食ができましたよ!」
「ん? 早いなぁ」
シルヴィアに呼ばれて外に出ると、涼しい風に乗って若干の獣臭さと青臭さの混じった香りがした。
「美味そうだな」
「調味料がないので、かなり野性的な味ですけどね」
「サバイバル生活っぽくて良いじゃねぇか」
この掘っ立て小屋には、キッチンなんて便利なものはない。
料理をするのは家の外だ。
焚火台の近くに備え付けられた丸太に腰を下ろす。
シルヴィアが木皿によそったスープを差し出した。
「昨日獲った鹿の肉と、ドクダミか」
「キノコも採れればもう少し豪華になるんですけどね」
「キノコはやめとけ。マジで死ぬるど?」
「やっぱり危ないですかねぇ」
「知ってるか? テングダケってキノコを食うと中毒を起こして幻覚まで見るらしいぞ」
この世界にテングダケがあるのかは知らんけど。
あと、ドクダミも俺がそう呼んでるだけだ。
正式名称は不明。
前世にあったドクダミという野草に見た目が似ているから、俺が勝手にそう呼んでいる。
一週間ほど毎日食べているが、身体に異変はない。
だから大丈夫な野草、のはず……。
「キノコで幻覚……。それは怖いですね」
「ああ。キノコは恐ろしいもんだ。体が大きくなったり、残機が増えたりもする」
「ザンキ……? 私にはよくわからないですけど、ベルベット様は物知りですね」
「ああ。ベルベットさんはなんでも知っている」
「はい! 流石はベルベット様です!」
どうでもいい雑談に花を咲かせる俺たちは、薄味のスープを
良く晴れた空の下で食べるサバイバル飯。
やっぱりこういうのも悪くない。
でも——いい加減に今後のことを考えなきゃなぁ。
虚ろな瞳で微笑むシルヴィアの横顔を見て、俺は気づかれないよう小さく息を吐いた。
その日の夜。
山中に灯りはない。
星と月明りだけの、暗闇の世界。
木々のざわめきと虫の音が聞こえてくるだけで、多くの生き物は息を潜める。
文明の利器を殆ど持たない俺たちも、
この山中ではただの動物に立ち返り、
ゆっくりとした時の流れに身を任せる他ない。
今の俺は、屋敷に居た頃、当たり前のように備え付けられていた部屋のランタンの有難みをしみじみと感じている。
「
蝋燭はもともと小屋にあった物を使っているだけだ。
なくなれば買いに出なければならない。
だが今は、可能な限りあの子を他人と会わせたくない。
だから蝋燭は少しでも温存したかった。
「……」
彼女は返事をしない。
部屋の隅で蝋燭の灯りを見つめて座り込んでいる。
いつもの体育座りだ。
「ククルゥ。灯りを消せ」
「…………やだ」
「さっさと寝ちまえば朝になる。そうやって起きている方が、怖い時間が長く続くぞ」
「でも……」
たどたどしく、幼い口調。
昼間の使用人然とした彼女とは別人だ。
今の彼女は、シルヴィアではない。
この生活が始まってから、彼女の様子がおかしくなった。
彼女は夜になるとククルゥに戻る。
暗闇を恐れ、他人を拒絶する奴隷の少女。
出会った頃の彼女が顔を出す。
こういうのを、二重人格というのだろうか。
明るい時間はシルヴィア。
暗い時間はククルゥ。
本当のところ、彼女がこんな風になったのがいつからなのか、俺は正確に把握できていない。
最初は俺とサバイバル生活をするようになって急にこんな風になってしまったのだと思った。
だが、冷静になってみると、
俺は屋敷でシルヴィアと夜に顔を合わせた記憶がない。
屋敷に居た頃の彼女はいつだって夕食の後には自室へと姿を消し、次に顔を合わせるのは早朝だった。
俺自身も夜は自室に籠って本を読むか寝るだけだから疑問に思ったことはなかった。
夜は近くにアンリエットが居て、身の回りのことにも困っていなかったし。
だから、もしかするとシルヴィアがこうなってしまったのは、今に始まったことではないのかもしれない。
なんにしても、健全な状態でないことだけは確かだ。
「一緒に寝てやるから大丈夫だって。ほら」
狭いベッドだが、俺の体がまだ小さいこともあってスペースに空きはある。
空いた空間をポンポンと叩いてククルゥを呼んだ。
「やだ。目を離したら私を置いていくんでしょ」
「そんなことしねぇっての。昨日も大丈夫だっただろ?」
「今日はダメかもしれないもん……」
彼女は喋る度に声が潤んでいく。
瞬きもせず、ただジッと俺を睨んだ。
「はぁぁぁ…………仕方ねぇなぁ」
俺はベッドから降りて毛布を持っていく。
そして、彼女の隣に座って互いの体をくるむように毛布を掛けた。
彼女はビクッと身体をこわばらせたが、逃げたりはしない。
「俺はもう寝る。あとは好きにしろ」
そして、俺は目を閉じた。
「おやすみ、ククルゥ」
思っていたより疲れていたのか、
すぐに俺の意識はふわりと宙に飛び立った。
「…………おやすみなさい」
意識を手放す寸前、耳元で聞こえた囁き声が心地よかった。
◆ ベルン
王都にあるカースナー公爵家の別邸。
王宮での政務の疲れを癒すための広々とした部屋なのだが、今はそんな場所すらも息苦しく感じられた。
「……まだ、見つからないのか」
「はい……大変、申し訳——」
「いい。お前が謝ることではない……」
必死に平静を装ったが、内心は荒れ狂っていた。
報告を終えた護衛騎士の退室を見届けて、私は重い溜息を吐きながら頭を抱える。
我が愛しの娘、ベルベットが行方不明になった。
王都へ向かう道中、カルメルの宿場町で忽然と姿を消したのだ。
護衛たちも、アンリエットも、誰も彼女の行方を知らない。
さらに言えば、ベルベットの側付き見習いとして仕えていた使用人のシルヴィアまでもが姿を消している。
事態を知った私は、血の気が引く思いだった。
その後、私は王都へと馬を走らせ、国王陛下へ直々に謁見を求めた。
『陛下! 我が娘が……ベルベットが、何者かに
なりふり構わず平伏する私に、国王陛下は驚きつつも深く同情してくださった。
『面を上げよ、ベルン。余も息子を持つ親だ。お前の焦る気持ちは痛いほどわかる。それに、ベルベットはラインの婚約者として、こちらから願い出た相手。これは我が王家の問題でもある。直ちに騎士団を動かそう』
陛下から温かい言葉をいただき、すぐさま王都からカルメル方面へ向けて大規模な捜索隊が放たれた。
だというのに、数日が経過しても目撃情報すら上がってこない。
「ベルベット……私の可愛い天使よ……。もしや、身代金目的の凶悪な組織に……。だが、例の組織のことはダールトンから動向を逐次報告されていたはずだ……。まさか、裏切られたのか?」
考えれば考えるほど、最悪の想像ばかりが頭を過る。
ベルベットは恐ろしく聡明だが、まだたった十歳の子供なのだ。
今こうしている間にも、どれほどの恐怖と戦っているか——。
想像するだけで、胸が張り裂けそうだ。
食事も喉を通らず、夜も眠れない。
「旦那様、少し休まれた方がよろしいかと存じます。これ以上は旦那様のお体が持ちません」
私の前に、執事のオーガスが静かに歩み寄った。
彼は私が留守の間、カースナー領の公務に務める妻を支えてもらう予定だったが、急報を送ったところ応援に馳せ参じてくれた。
「休んでなどいられるか……。私がベッドで横になっている間にも、ベルベットが冷たい床で涙を流しているかもしれないのだぞ!」
「お気持ちは痛いほどわかります。ですが、そのようにご憔悴された状態では、いざというときに動けなくなってしまわれますよ」
「だが……だがっっ! う、うぅぅ……ッ! 私のせいだ! 私がもっとしっかりしていれば……私が、あの子を危険に晒してしまったのだ!」
己の不甲斐なさに涙をこぼす。
「落ち着いてください……旦那様。確証はないのですが、一つ、奇妙な情報が入ってまいりました」
オーガスが声を潜めて言った。
「何? なんでもいい、聞かせてくれ!」
「あまり、期待はしないでください。王都の冒険者ギルドから仕入れた噂話です。昨日、ひどく足を負傷し、顔に大きな傷のある男がギルドに駆け込んできたそうなのです。男は錯乱しており……『アイラル近郊の山で、赤髪の少女の皮を被ったバケモノに襲われた。即刻冒険者を派遣して討伐してほしい』と叫び回ったとか」
「赤髪の少女、だと……?」
私は勢いよく顔を上げた。
「ええ。ですがその男、依頼料を全く持っておらず、ただ涎を垂らしながら恐怖に震えて支離滅裂な妄言を吐き続けるばかり。ギルドの受付嬢は精神異常者と判断し、門前払いにしたそうです。今では冒険者たちの間で『頭のイカれた男の笑い話』として噂になっている程度でして……」
「だが……アイラル……アイラルといえば、カルメルから少し西へ向かった山奥の農村地帯ではないか!」
カルメルで姿を消したベルベットの行き先としては
それに、赤髪の少女。
赤毛は、カースナー家の特徴。
そうそう見かけることのない珍しい髪色だ。
偶然とは思えない!
「その男が見たのはベルベットだ! 野盗に攫われて、今も山中に居るに違いあるまい!」
「で、ですが旦那様。男は明らかに精神的に不安定な状態にあったそうなのです。それに、お嬢様がバケモノなどと……」
「たわけが!!」
私は机を強く叩き、立ち上がった。
「爪先ほどの可能性があるのなら、動かん理由はない! 今すぐにカルメルに向けて馬を走らせるぞ!」
「だっ、旦那様! 落ち着いてください! せめて明日の朝に! こんな夜更けに山中へ向かうなど危険です! カルメルの深林には凶悪な害獣が——」
オーガスの言葉を遮り、ドンッ! と、
拳をテーブルに叩きつける。
「知ったことかぁっ! 今すぐに出立し、あの近辺を根城にする野盗どもを根絶やしにして回る! これはっっ! 決定事項! だ!!」
そして、有無も言わさず私は護衛たちを引き連れて王都から出立するのだった。
◆ ベルベット
「クルルゥ〜クルッポ」
ここに来てから毎朝聞かされている
目を開けた俺の視界は真っ暗だった。
「く、苦じぃ……」
俺の顔面を何かが塞いでいる。
そして何故か体が動かせない。
まさか……。
また拘束されて誘拐事件か!?
な〜んて心配は一瞬で霧散した。
身じろぎして顔を上げると、俺の体をガッチリとホールドして眠る少女がひとり。
これなら逃げられないでしょ?
そんな声が聞こえてきそうだ。
俺の視界を塞いでいたのはシルヴィアのおぱ〜いだった。
「いい寝顔ですこと……」
満足そうな顔しおってからに。
ほっぺをモチモチさせた寝顔が面白い。
つついて遊んでもいいかしら?
つまんでみても楽しそう。
「シルヴィア、苦しい。放してくれ」
「……ふゃ……うゃ」
目を覚ます気配はない。
そういえば、シルヴィアの寝顔を見るのは初めてだ。
すごく気持ちよさそうで、見ているとこっちまでまた眠たくなってくる。
人の寝顔ってなんか見てると落ち着くなぁ。
ぼんやりとそんなことを思った。
シルヴィアはいつも俺の寝顔を見て何を考えていたのやら。
『目を離したら私のことを置いていくんでしょ』
昨夜の言葉を思い出す。
毎朝毎朝、飽きもせずに主人の寝起きを待つとは。
なんとも殊勝なことだ。
そんな風に思っていたのだが、シルヴィアはそうしなければ気が気でなかっただけなのではなかろうか。
そんなことに思い至ってしまった。
「いきなり置いてきゃしねぇっての……」
何度も何度も彼女が繰り返す心配の言葉。
置いて行かないで……か。
本当は別の人に言いたかったんだろうなぁ。
とか考えちゃったり。
あ〜ヤダヤダ。
朝からナーバスな気持ちにさせられたわ。
「うりうり」
シルヴィアの頬をつついて憂さ晴らしをする。
そういえば、昨夜は二人で床に座って寝たはずだが、いつの間にかベッドに移動させられていた。
誘拐された時も思ったが、
俺はちょっと寝つきが良すぎるかもしれない。
寝ている間に運び放題では、
いつか本当に誘拐されかねん。
心配だ……。
それはさておき。
「シルヴィアさ〜ん? 起きてください? アナタのご主人様が苦しいと申していますよぉ〜」
「うゅ……」
あら可愛い。
じゃなくて。
「お~い。起きろ~。おっぱい揉むぞ~。セクハラしまくるぞ~」
「…………」
返事がないということは
それでは遠慮なく。
「さっさと起きろ! このおっぱいメイドがっ!」
モミモミモミモミ。
目の前のデッケー乳を揉みしだく。
「きゃうぁ!?」
変な悲鳴を上げてシルヴィアが目を覚ました。
◆ シルヴィア
シルヴィアを名乗るようになってから、
初めてベルベット様より遅く目が覚めた。
ベルベット様にいきなり胸を揉まれたことよりも、
自分が深い眠りについていたことに驚く。
「やっと起きたか駄メイドめ」
「ご、ごめんなさい……。疲れていたようで、起きるのが遅くなってしまいました」
「あぁ? 別にゆっくり起きることについては、とやかく言う気はねぇよ。ただ、俺を拘束して寝るのはやめろ。危うくお前のデカ乳で窒息するところだったぞ。このおっぱい星人め」
てちっと軽い音を立ててデコピンされた。
「あぅ……」
おでこは痛むが、しかし頭はとてもスッキリしていた。
久しぶりに熟睡できたおかげだろう。
本当に、いつ以来かな……。
こんなにもぐっすり眠っていたのは——。
夜になると、ふとした瞬間にククルゥが頭の中で喋り出す。
そして、私が不安になる言葉ばかりを彼女は繰り返し囁くのだ。
また置いて行かれるよ。
朝になったらいなくなってる。
捨てられちゃう。
ひとりぼっちに戻るんだ。
そんなことはないと否定しても、彼女は静かになってくれない。
夜の静けさが深まるほどに、その声が大きくなる。
どうしても耐えられなくて、私はある時から睡眠剤を常用するようになった。
睡眠剤は自分で作っている。
といっても、大したものじゃない。
公爵家の使用人として茶葉の買い出しに行った際、行きつけの茶店の店主との雑談でとある話を聞いたのだ。
カルモーネという植物の根や葉には、精神抑制や安眠効果がある。
本来は乾燥させた根や葉を
これが、思っていたより効果があった。
ただ、飲みすぎると体調を崩す。
最初はよく分量を間違えて頭痛に苦しんだ。
周りにバレないように我慢していたけれど。
夕食後はできるだけ早い時間に睡眠剤を飲んで寝る。
それが私の習慣になっていった。
でも、繰り返すほど眠りはドンドンと浅く、目覚めるのが早くなる。
暗い時間に目が覚めると、
一人で自室にいるのが辛くてどうしようもなかった。
だから、
ベルベット様の部屋に忍び込んで、
朝まで寝ている彼女と過ごすようになった。
言葉遣いと気性が荒々しくて、
戦いとなれば物語の英雄のように獅子奮迅する。
そんな彼女だが、寝ている間は年相応の少女に見えた。
眠りが深い体質なようで、たまに髪を撫でても目を覚まさない。
調子に乗って頬にキスをしたこともある。
彼女が寝ている姿を見ていると、私はとても安心できた。
でも、彼女の婚約話を聞いてギリギリ踏みとどまっていた崖の縁から滑り落ちてしまった。
夜になると、もう私は平静を装うことができなくなる。
弱い自分に負けちゃダメだ。
頭ではそう思うのに、感情を制御できない。
胸がざわつく。
ここ数日は、明るい時間すらも……。
「シルヴィア! 水浴びに行くぞ! いつまでもベッドにいると、このまま一日が無駄になりそうだ」
私の不安を掻き消すようにベルベット様の声が響く。
「はい。わかりました」
今日も二人きりの一日が始まる。
「付いて来いシルヴィア。今日は水浴びのついでに泳ぎを教えてやろう」
「川で泳ぐと危ないですよ」
「バッカもん! 危ない所でやるから必死になって覚えるんだろうが!」
彼女は私の手を引っ張って歩き出す。
私はその手を強く握り返した。
愛しのベルベット様。
私を解放してくださった。
私を導いてくださった。
私を救ってくださった。
私の天使。
私の——悪魔。
今日もアナタの気まぐれが、
私の心を掻き乱す。
気まぐれでもいい。
少しでも長く、
二人だけの時間が続きますように。
けれど、その願いは叶わなかった。
低気圧で体調悪すぎて更新遅れました。
これを機に次からも19:30くらい目安の更新に変更しようかなと思います。
ただマジで体調悪いので、明日は更新あるか微妙……。
作品が面白いと感じた方は是非お気に入り、評価をよろしくお願いいたします。
作者にとって非常に大きな励ましになります。