TS令嬢、悪役ムーブで人生を謳歌したい   作:真嶋青

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20. 怪物 vs 怪獣

「何が大きな熊だ……デカ過ぎだクソッたれ!」

 

 木々の向こうで、それが身を起こす。

 天を仰ぐようにそれを見上げる。

 三メートル近くはあるんじゃないか?

 非現実的な怪獣を前に、そんな他人事めいた言葉が浮かぶ。

 巨大な熊が一歩を踏み出すと、ズンと地面が鳴った。

 足の裏から這い上がった振動が、腹の底まで揺らす。

 

 逃げろ、と本能が警鐘を鳴らす。

 あれは人間が戦う相手じゃない。

 

 シルヴィアは……置いていけ。

 アイツはただの奴隷だ。命を懸ける理由なんて――

 

 逃げろと命じているのに、膝から下が地面に縫い付けられたように脚が動かない。

 

 今、俺が逃げたら……シルヴィアはどうなる?

 

 馬鹿なことを考えるな。

 シルヴィアを背負いながら、体の傷を気遣って逃げ回るなんて芸当いくら何でも現実的じゃない。

 

「……ッ、逃げろよ!」

 

 自分を納得させようとする言葉が脳裏を過るが、やはり俺の脚は頑として動かなかった。

 怪獣が近づく度に地鳴りのような足音が大きくなる。

 その度に俺の呼吸が浅く、激しくなり、神経を張りつめていく。

 

 シルヴィアって、

 ククルゥって、

 俺にとってなんだ?

 

 ただ気まぐれで拾った少女。

 見下してやろうと思っていた奴隷。

 都合が良いから使ってやってた。

 

 ――本当にそうだったか?

 

 頭が良くて、

 よく口が回って、

 気が利いて、

 たまに変態っぽくて、

 神経質で、

 何考えてるのか実はよく分からなくて――。

 それで、いつかの自分に重なる、心に闇を抱えている少女。

 

 勝手に感情移入して、不条理に曲げられた彼女の人生を正しい道に戻してやりたい。

 そんなことを偉そうに考えていたんじゃないか?

 

「ああ、そういうことかよ……」

 

 思い上がりも甚だしい。

 中途半端な覚悟で他人の命を拾いやがって! 

 

「バッカ野郎がッ!」

 

 ただ笑って欲しかった。

 好きなことして、好きな未来に手を伸ばして欲しかった。

 彼女が自由を手に入れることが、かつての俺自身への救済に繋がると心のどこかで思っていた。

 そうだ。

 要するにシルヴィアを助けたのは、俺自身の為だった。

 

「遅いんだよ……今さら、そんな…………」

 

 この山中の生活で過去のトラウマと向き合っていたのは、シルヴィアだけではなかったのだ。

 彼女を通して、俺自身が前世の後悔と決着を付けようとしていた。

 前世の亡霊ではなく、俺が本当の意味でベルベット・カースナーになるために。

 失いかけて初めて、掌から零れ落ちそうなモノの大きさと、自分自身の本意を理解した。

 

 一遍(いっぺん)死んでも、俺のこういう鈍さは治らないらしい。

 どうしようもなく患っているのだろう。

 愚かという病に。

 いつだって大切なことに気づくのが遅すぎる。

 

 ――いや、諦めるな。まだ間に合うかもしれない。

 

「違う……間に合わせるんだよ!」

 

 自分を奮起させるために咆哮し、拳を握り締めた。

 

「シルヴィア。お前にはまだ聞きたいことも、言ってやりたいことも、山ほどある。勝手に死ぬんじゃねぇ」

 

 彼女の頬をそっと撫でる。

 まだ、息はある。

 

 傷の具合を確かめる余裕はない。

 ただ信じるしかない。

 

「こんな終わり方は、認めない」

 

 シルヴィアを地面に寝かせ、俺は目の前の怪獣を見据える。

 まだ俺という存在に対して明確な敵意はない。

 だが、これから目の前の小さな命(オモチャ)をどうしてやろうかと、鼻をヒクつかせながら首を傾げて品定めしている。

 自分を圧倒的強者だと信じてやまない獣の仕草だ。

 

 舐めやがって。

 

 普段ならその鼻っ面に拳のひとつも叩き込んでやるところだが、今は時間がない。

 それに、この怪獣はヤバい。

 

 コイツは今しがた仕留めた獲(・)物(・)に見向きもしていない。

 それは、捕食目的で狩りをしていないことを意味する。

 ただ優越感に浸るためだけの虐殺。

 知能の高い動物に見られる習性だ。

 

 力を持ち、

 知恵を持ち、

 そして残虐性を持つ。

 やはり、正しく怪獣。

 

「グゥゥゥ……」

 

 喉を鳴らし、ゆっくりと俺の周りを歩く。

 標的はこの場で唯一立っている俺に固定されていた。

 それに気づいた俺は、少しずつシルヴィアから距離を取るように移動する。

 奴から目を離すことなく、後ろ歩きに森の奥へと。

 

 そして、奴は前触れもなく駆け出した。

 

 巨体に似合わぬ滑らかな足運び。

 俺を完全な弱者と見定めた上で、

 どう嬲(なぶ)り殺すかを決めたらしい。

 巨大な爪の生えた手を振り上げた。

 その一撃は驚異的な威力を持つ。

 だが、技術がない。

 

「所詮は獣か。安直だな」

 

 ここで初めて俺の方から距離を詰める。

 風を唸らせる剛腕を掻い潜り、懐にあったナイフを突き立てる。

 硬い剛毛によって、横薙ぎの斬撃が阻まれた。

 

「硬すぎんだろ!? カーボン繊維かよ!」

「グゥァアアアア!」

 

 俺の一撃など意にも介さず暴風のようなラリアットが飛んでくる。

 身を屈めて避けると、後頭部を掠める破壊の嵐に身の毛がよだつ。

 それでも俺は足を止めない。

 今度は背後に回り込んで、シンプルな刺突を叩き込む。

 ずぶりと肉を穿つ感触があった。

 致命傷には程遠い手傷だ。

 それでも、ダメージを与えることはできた。

 

「なるほど。一点突破の突きなら有効打になるわけだ」

 

 怪獣は苛立たし気に唸り声をあげ、遠心力を乗せた振り向きざまの拳を俺の顔面めがけて振り抜いた。

 俺は仰け反りながら攻撃を躱す。

 後転飛びで距離を取り直しナイフを回して逆手に構える。

 刃が短いナイフであるが故に、刺突の威力を最大限に発揮させる逆手持ち。

 拳を振り下ろす力そのままにナイフを叩きつけてやればいい。

 

「ぐちゃぐちゃにしてやる」

 

 相手はまだ身体の小さい俺を舐めている。

 ナイフを突き刺されたことに苛立ちを見せているが、それはまだ蚊に刺された程度のものだ。

 そんなんじゃ全然足りない。

 もっと、もっと俺を殺しに来い。

 俺もお前も本気で殺してやるから。

 

 踏み込み、開いた距離を自ら詰める。

 正面からはやり合わない。

 ナイフを一度刺しても、アイツはそのまま剛腕で俺の命を刈り取る。

 だから死角を突き続ける。

 振り下ろされた拳を紙一重で避け、スライディング。

 そのまま小さな身体を活かして股の間を潜り抜ける。

 そして背後からまた一突き。それも、さっきと同じ場所だ。

 より深く、抉るように。傷口を掻きまわす。

 

「グァァァ⁉」

 

 遂に痛みに悲鳴を上げる。

 いい気味だ。

 だが、こんなもんじゃねぇぞ。

 二度、三度、四度。奴が隙を晒す限り何度でもナイフを叩きつけた。

 無理やり奮い立たせた闘争心に任せ、イカレタ頭で思考する。

 

 ブッ刺す!

 ブッ潰す!

 ブッ殺す!

 

「あああああああああああああああ‼」

 

 唸り声を上げるバケモノと一緒になって俺も裂帛の気合いと共にナイフを振るい続けた。

 突かず離れず、敵に纏わりつき剛腕の届かない死角から執拗に連撃を浴びせていく。

 これまで経験した戦いとは比べ物にならない濃密な死を感じながら、それを振り払うように足掻き続ける。

 気付けば俺の全身が返り血で真っ赤だ。

 呼吸をする度に肩が上がる。

 まだ戦いが始まってそれほど時間は経っていないはずだが、既に疲労がピークに達していた。

 

 いつまで続けりゃいいんだクソが!

 タフすぎんだろ!

 

 たまらず思考に雑念が混じる。

 それが、命取りになった。

 

「ガァァ‼」

 

 短い怒号と共に空気を引き裂くラリアットが飛んでくる。

 巨体を回す遠心力を乗せた強烈な一撃だ。

 喰らったら俺の小さな身体はひとたまりもない。

 咄嗟に身を翻し、躱した——はずだった。

 

「ぐっ!?」

 

 顔面に引き裂かれる鋭い痛み。

 猛烈な勢いで振り抜かれた鋭爪が、わずかに届いていた。

 俺の顔面から鮮血が噴き出し、右目を隠す眼帯が外れてハラリと宙を舞うのがスローモーションに見えた。

 

 マズいッ!

 

 俺は怪獣の一撃が生み出した風圧で後方へ吹き飛ぶ。

 ゴロゴロと転がって、木に激突した。

 のたうち回りたくなる痛みが全身を支配するが、敵はそんな俺を待っちゃくれない。

 既に濃密な殺気を纏う獣が迫っている。

 

 もう、ダメだ。

 

「……ッ」

 

 恐怖で足がすくむ。

 浅く息を吸うと、肩が震えた。

 必死に手足をバタつかせて後ずさる。

 その瞬間、怪獣の喉の奥から下劣な歓喜の音が漏れた。

 俺の怯えを察知し、明確な加虐心と愉悦(ゆえつ)がその黄色い瞳に灯る。

 

 怪獣の踏み込みと同時にドンッ、と地面が爆ぜた。

 巨躯が砲弾となって飛来する。

 振り上げられた丸太のような腕。

 その先端に光る、五本の鋭い爪。

 それ自体が暴力の具現化だ。

 相手はもう勝ちを確信している。

 無駄に手こずらされた羽虫を思う存分にねじ伏せ、その命を踏みにじってやろうと躍(・)起(・)に(・)な(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)。

 

「やっと、付け入る隙を見せたな。熊公」

 

 奴から溢れ出る殺戮の甘美を感じた瞬間——俺は、右目を見開いた。

 俺と怪獣の視線が交差する。

 刹那、ピタリと時の流れが凍結した。

 空気を劈(つんざ)く風切り音が消える。

 敵の巨体が、俺を目前にして不自然な姿勢のまま停止した。

 

「グゥゥッ!?」

 

 怪獣はピクリとも動かない。

 戸惑いの声を漏らして、涎(よだれ)を垂らしながらこちらを見ている。

 ただ、眼球だけが異常事態を理解できず、狂乱したようにギョロギョロと動いていた。

 

 俺という弱者への加虐心。

 それが、奴の命取りになった。

 俺に対する強烈な悪感情がトリガーになって、魔眼の餌食になったのだ。

 奴は俺を蹂躙したいと願うあまり、いつの間にか魅了されていた。

 

「窮鼠猫を嚙むって言葉を、その脳筋に刻んでやるよ」

 

 ナイフを固く握り、ゆっくりと歩み寄る。

 剛毛に覆われた外皮は刃を通さない可能性がある。

 狙うのは、装甲のない柔らかな部分。

 怪獣の頭部、その黄色い眼球を見据え、小刻みに震える瞳孔のど真ん中へ刃を突き立てた。

 

「……ッ!?」

 

 最大化された魔眼の力によって、悲鳴すら上がることはない。

 眼球を突き破り、刃を脳髄まで深々とねじ込む。

 柄の根元まで押し込み、手首を返して脳を直接掻き回した。

 ビクン、と巨体が一度だけ痙攣し、完全に力が抜けた。

 ナイフを引き抜く。

 粘り気のある体液と血が刃から滴り落ちる。

 

 残った片方の目から生気が抜けていく。

 やがて、怪獣は物言わぬ肉塊へと成り果てた。

 

 終わったのか?

 

 荒く息を吐いて、俺はシルヴィアのもとに戻ろうとする。

 だが、気づけばガクンと膝からその場に崩れ落ちていた。

 

「チクショウ……せっかく、倒した……っての、に…………」

 

 ダメだ。

 意識を手放すな。

 俺が倒れたら、誰がシルヴィアを——。

 

 

 

 そこで、俺の意識は完全に途切れた。




めちゃくちゃ校正に時間かかった……。
次は明後日投稿できたら御の字かな。
19:30更新に戻したいお気持ち。
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