屋敷で働く使用人のためにいくつも用意されている部屋のひとつ。
空き部屋とはいえ、それなりに上質な家具が取り揃えられているし普段から手入れもされている。
奴隷に与えるにしては上等すぎる場所だ。寝ようと思えばベッドがあるし、座ろうと思えば椅子だってある。
だというのに、あの銀髪は床で体育座りをしていた。
しかも全裸で。
「なんでやねん」
腹と背中が今にもくっつきそうだし、さらにその弱り切った身体には痛々しい傷痕がそこかしこにある。
色気たっぷりな女の裸なら鼻息荒く堪能させてもらうところだが、この銀髪は見るに耐えん。
「あらまぁ……」
俺の後ろで控えていた、鷲鼻に丸眼鏡をかけた侍女――アンリエットが気の抜けた声を上げた。
実は母に怒られているときからずっと俺の後ろに居たのだが、この婆さんは俺が扇子でぶっ叩かれようが何ひとつ口を挟まず、ニコニコとした顔で俺たち親子のやり取りを見守っていた。
自分のご主人様が叩かれた時くらいは、抗議を入れて欲しいもんだよ。
「なぁ銀髪、何してるんだお前?」
「……座ってる」
「そういうことじゃねぇよ」
あまりにも的外れな答えにげんなりとさせられた。
「座りたいなら椅子に座ればいいだろ。あと、服を着ろ。テーブルの上に置いてあるだろうが」
テーブルを指差す。そこには、彼女をここへ案内したメイドが用意したであろう簡素な服が、キレイに畳まれた状態のまま放置されている。
「…………勝手に触ったら叩くんでしょ」
「はぁ? お前をこの部屋に案内した奴がそう教えたのか?」
「……」
銀髪はうんともすんとも言わない。
沈黙は肯定ということなのだろうか?
というか、コイツは一体いつから部屋の隅っこでこうしているんだ?
ふと、そんなことを考えて嫌な予感がした。
「お前まさか、昨日の夜からずっとそうしているんじゃないだろうな?」
「…………」
返事はなかったが、銀髪はこくりと小さく頷いた。
「嘘だろ……」
一晩中、床に座って全裸待機だと?
もしかして、これがこの世界の奴隷として模範的な行動、なのか?
ご主人様に許可を取らなければ服を着ることすら許されない的な。
「許可を取らないで何かに触って、怒られたことでもあるのか?」
「……ふっ」
銀髪は質問に答えるわけでもなく、ただ短く息を吐きだした。
もしかすると、笑ったのだろうか。
表情は全く動いていない。
それでも、仄暗い少女の瞳が、俺を
まるで「そんなの奴隷には日常茶飯事だ」と、下手な質問をしてしまった俺を、あるいは惨めに生きる自分自身すらをも嘲笑しているかのようだった。
「その目をやめろ。お前、貴族相手にそんな反抗的な目してると、そのうち殺されるぞ」
やはりと言うべきか、返事はない。
銀髪はただ俯いて、両手で抱えた膝に顔を埋めた。
「はぁ……とりあえず、まずは服を着ろ」
テーブルの服を取って彼女のもとまで持っていく。
目の前まで近づいたところで、銀髪は一層強く膝を抱いて身を固くした。
まるで、これから来る痛みに備えるように。
「そんなにビビんなよ。何もしねぇっての」
しかし、俺が何を言っても、彼女から発せられる拒絶の色は濃くなる一方で――
「めんどくせぇ……」
うっかり本音を漏らした俺は、溜息を吐きながら銀髪の足元に服を置いた。
「ここに置いて行く。俺たちは少し外に出てるから、服はちゃんと着とけよ」
それだけ言って、俺はアンリエットと共に部屋を出た。
「アンリエット、あの奴隷をここに連れて来たメイドを呼んで来い」
「承知しました」
アンリエットはこっくりと頷いて、何処かへ歩いて行く。
その歩調はとてもゆっくりとしたものに見えたが、ほんの少しの時間で彼女は一人のメイドを伴って帰ってきた。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな――」
やってきたメイドに話を聞くと、どうにもその対応に問題があったようには思えない。
彼女は普通に部屋まで銀髪を案内して、ついでに汚れていた服の替えを置いて部屋を出たという。
俺も本気でこのメイドの対応に問題があったと思っているわけじゃないんだが、念の為の確認というやつだ。
「今の話は本当か? あの奴隷を虐めてやろうと、変なことを吹き込んだりしたんじゃないのか? 本当のことを言ってみろ。あとからお前の悪戯が発覚したら――」
「い、悪戯など! 私は何もしていません! ただ指示をいただいた通りに、彼女をこの部屋まで案内し、汚れた体を布で拭いただけです!」
俺が言い切る前に、メイドはぶんぶんと必死に首を振って早口に捲し立てる。
そういえば、昨日屋敷に連れて来た時には随分と汚れていた銀髪の体が、生傷は目立つもののだいぶ小綺麗になっていた。
このメイドが対応してくれていたわけか。
「俺がさっき部屋に入った時、あいつは全裸で床に座っていたんだが、心当たりは?」
それを聞いたメイドは目をひん剥き、叫ぶように答えた。
「わ、私はたしかにあの子の身体を綺麗にするため服を脱がせましたが、替えの服も用意したはずです! 本当に私は何もしていません! 本当なんです! 信じてくださいお嬢様‼」
メイドがガタガタと震え、ついには床に膝をついて頭を下げだした。
「まぁまぁ、ベルベット様。このリリエは、いつも真面目に仕事をしている良い子ですから。きっとあんな子供に悪さなんてしませんよ。これ以上は、許してあげてくださいな」
アンリエットはゆったりとした口調でそう言って、メイドの背中をさすってやる。
いつの間にやら泣いていたようで、ぐずぐずと鼻をすする音が聞こえてきた。
「わ、悪かったよ。別にそんな怖がらせる気は……」
「それじゃあこの子は、仕事に戻してあげてもいいですか?」
「おう……」
そしてメイドはぺしょぺしょになった顔で俺から逃げるように持ち場へ戻った。
悪いことしちゃったか?
い、いや、今世の俺は悪党になるんだ。
このくらいでオタオタしてたまるか。
……でも、あとで謝っとこうかなぁ。
結局のところ、あの銀髪はメイドに体を拭いて貰ったあと、自主的に服を着ない選択をして、用意されたベッドで寝ることもなく、ひたすら床でジッとしていたということなのだろう。あのメイドも部屋に案内すれば、部屋の物は勝手に使うと思っただろうし、まさか自分で着せなければ服を放置して全裸待機されるとは思わなかったはずだ。
「ったく、人騒がせな奴隷がよ……」
いや、冷静になってみると勝手に騒ぎ立てたのは俺か?
もっと腰を据えて銀髪とじっくりと話をすれば良かったのだろうか?
「いやいや、どうして俺があんなガキのためにそこまで気を使ってやらなきゃならないんだよ。……こんなことなら、やっぱりあの商館においてくればよかったぜ」
とはいえ、俺はつい先ほど母から放り出すなと釘を刺されたばかりである。
ここで「やっぱり要らないから返品しま~す」なんて言ったら、今度こそあの母の扇子で頭をカチ割られるかもしれない。
「チッ……しかたねぇな」
そして俺は、再び銀髪がいる部屋の扉を開ける。
その先には、やはりと言うべきか、見習い用の使用人服を着た彼女が体育座りで待っていた。
彼女が痩せすぎているのと、あそこまで小さい子供が着ることを想定されていないから、服はぶかぶかだ。
にしても、あの格好、癖なのかな?
「おい、銀髪。今日から俺がお前のご主人様だ。詳しい話は面倒だから省くが、これからは俺がお前を支配する。俺の命令の返事は『はい』で答えろ。わかったな?」
彼女は胡乱な瞳で俺を見上げ、プイッと顔を逸らす。
こうして、俺と銀髪の日常が始まった。