進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……(リメイク版) 作:感謝君
視界を埋め尽くすほどの、巨大な肉の壁。
木々をなぎ倒し、地鳴りを轟かせながら全方位から押し寄せる無垢の巨人たちの群れが、遂に私たちから百メートルほどの距離にまで迫ってきた。
耳まで裂けた不気味な笑顔、焦点の合わない濁った瞳、垂れ流される涎。
それが何十、何百と重なり合い、こちらへ向かって雪崩れ込んでくる光景は、五年間調査兵団で地獄を見てきた私でさえ、思わず呼吸を忘れるほどの絶望的な圧迫感だった。
だが、その絶望のド真ん中で、青白いクリスタルに覆われたアトラスは微動だにしない。
彼は私を見上げることもなく、ただ静かに、けれど絶対的な力強さを持って告げた。
「しっかり木に掴まっておけ」
次の瞬間だった。
巨大な刃と化した右腕を水平に構えたアトラスの十五メートルの巨躯が、まるで重力や質量という概念を完全に無視したかのような、信じられないスピードで、独楽のように回転を始めたのだ。
「っ……!」
私は咄嗟の生存本能に従い、腰のトリガーを強く引いた。
ガキンッ!と鋭い音を立てて、立体機動装置のアンカーが足元の太い枝に深く突き刺さる。
直後、鼓膜を破るような凄まじい轟音と共に、下から上へと吹き上げる破滅的な暴風と衝撃波が私を襲った。
「きゃぁぁっ……!」
アンカーのワイヤーが悲鳴を上げて軋み、私の身体が木の葉のように宙に浮きかける。
ワイヤーを巻き戻し、必死に枝に抱きついて吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、私は眼下で繰り広げられるその光景から、どうしても目を逸らすことができなかった。
鋭利な巨大刃と化したアトラスの腕が、回転による遠心力で目にも留まらぬ真空の刃を生み出している。
周囲を完全に包囲し、飛びかかろうとしていた数え切れないほどの巨人の壁が。
アトラスの巻き起こす暴風の渦に触れた端から、まるで柔らかい果実でも切り刻まれるかのように、次から次へと一瞬にして細切れにされていく。
硬い骨を断つ音すら聞こえない。抵抗など一切ない。
ただ、巨大な肉塊がスライスされ、宙を舞い、血飛沫が高温の蒸気となって竜巻のように森の天井へ巻き上がっていく。
それは最早、戦闘などという生易しいものではなかった。
ただの、圧倒的で一方的な蹂躙。
人為的に引き起こされた、局地的な自然災害。
「……信じられ、ない」
吹き荒れる蒸気と暴風の中、私は瞬きすら忘れ、ただただ息を呑んだ。
人類が百年間、どれほどの血と涙を流しても決して抗うことのできなかった絶対的な恐怖の象徴たちが、たった一体の巨人の前で、文字通り塵芥のように散らされていく。
私は枝にすがりついたまま、その人智を遥かに超えた、恐ろしくも美しすぎる殺戮の光景を、自身の網膜に深く、深く焼き付けていた。
──────
枝に打ち込んだアンカーがギリギリと軋む音だけが、耳元で異様に大きく響いていた。
もしこの鋼のワイヤーがなければ、私は間違いなく一瞬で彼方まで吹き飛ばされ、巨人の口に入る前に全身の骨を折って死んでいたはずだ。
それほどまでに凄まじかった真空の嵐が、唐突に、まるで幻だったかのようにパタリと止んだ。
恐る恐る顔を上げ、腕の隙間から眼下の光景を見下ろす。
「……嘘、でしょう」
ひゅっと喉の奥で息が鳴った。
つい十数秒前まで、全方位の視界を絶望的なまでに埋め尽くしていた、見渡す限りの巨大な肉の壁。
それが今、跡形もなく消え去っていた。
代わりに森の地面を埋め尽くしていたのは、原形を留めないほどに細切れにされ、高温の蒸気を噴き上げながら急速に朽ちていく無数の肉片の絨毯だった。
視界のすべてが白く濁った蒸気に覆われ、むせ返るような熱気と、特有のツンとした血の匂いが森の空気を重く支配している。
その白い地獄の中心で、青白いクリスタルを纏ったアトラスが静かに立ち上がった。
彼の猛烈な回転刃から辛うじて逃れていたのは、群れの最後列で押し合いへし合いしていた、五メートル級以下の小さな十数体の巨人のみ。
彼らは状況を理解する知性も持たず、ただ本能のままに目の前の巨大な標的へと飛びかかっていく。
だが、それはあまりにも無惨な幕引きだった。
アトラスは、すがりつこうとする小柄な巨人の頭部を無造作に片手で掴むと、まるで熟れすぎた果実でも潰すかのように、何の造作もなく握り潰した。
バキィッ!という硬質な破裂音と共に、首から上が弾け飛ぶ。
さらに、足元へ群がる別の巨人たちのうなじを次々と掴み上げ、一切の躊躇なく、大地が陥没するほどの勢いで地面へと叩きつけた。
───ドグァァァァァァンッ!!
大地が悲鳴を上げ、十五メートルの巨体から繰り出される規格外の膂力によって、数メートルはあろうかという巨体の化け物たちが、瞬く間に地面にこびりつくただの赤いシミへと変わっていく。
こうして、森を揺るがし、私たちを包囲していた数百体もの巨人の大群は、アトラスが動き出してからものの一分足らずで、完全に処理されてしまった。
私は、蒸気の向こうで静かに立ち尽くすその巨大な背中を見下ろしながら、完全に絶句していた。
「強い」とか「圧倒的」とか、そんな手垢のついた言葉では到底言い表せない次元の光景。
私たち人類が、刃を研ぎ、ガスを補充し、陣形を組み、何人もの尊い命を使い捨ての駒のように捧げて、ようやく一体の巨人を討ち取っているというのに。
彼にとっては、何百という巨人の群れすら、ただの通り道の障害物を退ける程度の労力でしかないのだ。
あの圧倒的な破壊の嵐、文字通りの『暴力の化身』。
彼は昨晩、静かな焚き火の前で、自分は『元人間の、しがない青年だ』と語った。
もし壁の中の人間が、あるいは他の調査兵団の仲間たちが、今のこの血と蒸気に塗れた地獄絵図だけを見たなら。
彼がかつて私たちと同じ人間だったなどという話を、誰一人として信じはしないだろう。
悪魔の使いか、人類を滅ぼす災厄そのものだと、震え上がりながら武器を向けるはずだ。
「……でも、私は知っているわ」
立ち昇る蒸気を見つめながら、私は誰に聞かせるでもなく呟いた。
私は信じる。いや、信じざるを得ないのだ。
不器用なほど慎重に私を掌に乗せ、私が寒くないようにとクリスタルの家を造り、食べきれないほどの果物を照れくさそうに差し出してきたあの姿。
私の着替えを見て、慌てて背中を向けたあの純情な反応。
そして、焚き火越しに私の目を真っ直ぐに見つめ、孤独と恐怖に耐え抜いてきた過去を打ち明けてくれた、あの深く澄んだ青い瞳。
今までの彼のすべての行い、その端々に滲み出ていた不器用な優しさと理性は、彼の中に紛れもない、『人間の心』が残っていなければ、絶対に筋が通らないものだから。
どれほど彼が神に等しい力を持っていようと、どれほど恐ろしい殺戮を体現しようとも。
私だけは、彼の本質を見失わない。
故に私は、彼を畏怖すべきバケモノとして遠ざけることも、全能の神として崇め奉ることもなく。
ただアトラスという一人の心優しき青年として
共にこの残酷な世界を歩む、同じ『人間』として接するのだと、静かに、しかし強く心に誓ったのだった。