褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
王都ローデイルの裏パート。ゲストの再登場と、ルビ使用という新しい試み。
王都ローデイル。遺棄された区画にある井戸の先に繋がる広大な地下空間で、Saki of Astora は地上へ戻る術を失っていた。
「完全に迷子だこれ......。」
どこか別の区画に出れるだろう──と見込んで潜った先で『忌み子』と遭遇。こちらを見るなり唸り声を上げ武器を振り回して追いかけてきた巨大な怪物から逃れるため、狭い排水路へと飛び込んだ。網目の如く張り巡らされた管の中、幾つもの分岐を経てこの場所にいるのだが、もはや自分が通ってきた道すら定かではない。水路にはネズミやらナメクジやらが巣食っており、できればこれ以上進みたくないところだが、忌み子を相手にするよりはまだ良かった。そんなわけで、彼女は祈祷『黒炎』でこれら気持ちの悪い生き物を駆除しつつ、『ランタン』のか細い明かりを頼りにどこへ続くとも知れない石造りの円筒の中を歩いていく。しばらく進むと開けた空間に出た。これまで通ってきた狭い「支流」よりもずっと太い管。おそらくはこれが主幹となる流路なのだろう。その底部には堆積した土砂と汚物による「地面」が形成されており、さながら洞窟の如き景観だ。
「ここ、大通りで見た人孔の下だったりしないかな。」
これだけ深い場所であるにも関わらず呼吸ができていることから、どこかに空気の通り道があると考えられた。大通りの路面にあった巨大な透かし彫りの蓋がここにつながっているとすれば、地上からの光が差し込んでいるはずだ。とにかくそれを探そう。
そう考えて踏み出したところで突如、身体の自由が奪われる。両腕が胴に押し付けられ、口も塞がれた。足は地面から離れ、完全に身動きが取れない。身体の大きさから忌み子に掴まれたと直感する。そうだとするなら振り解くのは不可能だ。死を覚悟した Saki だったが、拘束されているにも関わらず痛みも苦しさもないことに気付いた。強い力で押さえつけられている感じはあるが、それは脱出しようと藻掻いているためではないか。試しに全身の力を抜いてみる。すると耳元で囁く男の声が聞こえた。
「近くにヤバいのがいる。見つかりたくないから、大声を出さないでくれ。」
それに応じて二度頷くと拘束はあっさりと解かれ、彼女は地面に降ろされた。振り返った先にいたのは、見上げんばかりの大男。背は彼女より頭二つ以上高く、筋骨隆々。体重なら二倍はありそうだ。さすがに忌み子ほどの恰幅ではないが、これなら間違えるのも仕方ない、と自分に言い訳をする。彼は身を屈めると、手振りで Saki にも姿勢を低くするよう促した。声を潜めて囁き交わす。
「驚かせて済まない。俺は Gatz という。あんたと同じ褪せ人だ。」
「本当にびっくりしましたよ。それで、"ヤバいの” って何なんですか?」
「幽鬼だ。しつこく追いかけてくるのをなんとか撒いたが、まだその辺をうろついている。」
「レヴェ...? 」
Gatz は一度背後を振り返って続ける。
「見たことないか? いきなり地面から出てきて、手足がたくさんあって、ええっと──"キエエーッ! バリバリバリ!" って感じのやつ。」
随分と稚拙な説明だが、彼が言わんとしていることは伝わった。特に最後の擬音と擬態は "それ" の特徴を過不足なく表現している。
「ええっ......あれがいるんですか?」
思わず周囲に目を走らせる。二度と会いたくないと思っていた相手だ。こんな場所では、特に。
瓦礫の陰に身を潜め、奥の闇に目を凝らす Gatz。背に携えた『グレートソード』は、およそ人の扱える限界を超えるとされる──少なくとも Saki には持ち上げることすらできない──特大武器だった。彼に前衛を受け持ってもらい、Saki が後方から支援すれば勝てない相手ではないだろうが、こちらも無傷とはいかない。
「ところで姐ちゃん、『回復』使えるか? 祈祷の。」
振り返って尋ねる Gatz に、聖印を見せながら答える。
「Saki です。使えますけど──怪我してるんですか?」
「いや、攻撃に使うんだ。以前鉤指として喚ばれたとき、同僚がそれで奴を撃退するのを見た。」
それが本当なら、自分の周囲に展開される『回復』は当てやすそうだ。だが──
「でも、あれは足を止めないと使えないんですよ。飛び込んで来られたら間に合いません。」
異議を唱える彼女に、Gatz は人差し指を横に振る。次いで親指で自分を指し、にかっと笑ってみせた。
幾らも進まぬうち、探すまでもなく幽鬼は見つかった。死人の顔を巡らせながら、三対の腕と一対の脚で這い回る異形。まだこちらには気付いていないようだが、断続的に発する金切り声は Saki の背筋を震わせた。
「まず俺が出て、奴を引きつける。その間に姐ちゃん──じゃなかった、Saki さんはあの辺りで詠唱を済ませて、いつでも発動できるようにしておいてくれ。」
Gatz が指したのは、前方の一角。敵がいる方向とは少しずれているが、仮に今出ていったら見つかってしまうだろう。
「上手いこと誘導して、君の近く──『回復』の効果範囲内──で動けないようにしてやる。」
あの化け物に近寄られることを考えると悍ましさに身の毛がよだつが、それに正面からぶつかってくれる彼のことを考えれば不平は言えない。
「そんじゃ、頼んだぜ。」
そう言い置いて、Gatz は走り出した。気付いた幽鬼が手足を蜘蛛の如く蠢かせて彼を追う。
「本っ当、気色悪いなあ……。」
奴の注意が完全に逸れたことを確かめた上で、指示された地点まで走り詠唱を開始。聖印にエネルギーを集中させる。──準備は整った。この状態からなら、回復の効果を瞬時に展開できる。いつでも来い── Saki は前を見据え、心の中でそう呟いた。
Gatz は苦戦を強いられているようだった。彼は敵を挟んで Saki の反対側に位置取ろうとしているのだが、相手が変則的な移動──地面に潜るように姿を消し、離れた位置に出現する──を繰り返すため、それを果たせずにいる。加えて、奴が吐き出す強毒性の液体がそこかしこに作る溜まりが彼の動きを妨げていた。Saki は迷う。彼が奴を足止めしやすい位置まで、自分が移動した方がいいのではないか。けれども、それをするには発動準備を終えた『回復』を取り消す必要がある。詠唱をやり直して間に合わなかった、という事態は避けたい。その逡巡を見越したように Gatz が吠える。
「姐ちゃん動くな! ──っくぞオラァッ!」
次の瞬間、彼は敵に向かって大きく踏み込んだ。跳ねかかる毒の飛沫を突っ切って一気に距離を詰める。そこから渾身の力で振り上げられたグレートソードが幽鬼の巨体を跳ね上げた。怪物は空中で回転しながら、Saki の方へ飛んでくる。──やだぁーっ! 心の中で絶叫しつつ『回復』を発動。彼女を中心に広がる光の輪は、その内に飛び込んできた幽鬼の肉体を引き裂いた。腕、肩、胴、そして脚。諸々の部位が Saki の周囲に散らばる。目の前に落ちてきた頭部は、人のものならざる断末魔を上げながら、白い泥のような物質に変わって崩れ去った。
すげぇもんだな、と Gatz は半ば呆れたように呟く。グレートソードで殴りつけられても平然と動き回っていた化け物を一撃で仕留める祈祷。その威力には戦慄すら覚えた。もちろん、他の相手には『回復』がこんな効果を発揮することはないと分かってはいるが、なんとなく重戦士たる自分の立つ瀬がない気がするのだ。振り返ると、駆け寄ってきた Saki の姿があった。
「すまん、だいぶ手間取った。」
その表情の強張りに、さぞ気を揉ませてしまったことだろうと申し訳ない気持ちになる。彼女は Gatz の顔の頬に手を伸ばし、顔の向きを変えさせた。
「血が出てる。やっぱりここも引っ搔かれてたんですね。」
「おっ、おう……?」
彼の腕には、幽鬼の爪によって付けられた無数の傷があった。意識的にガードしていたので胴や頭には攻撃を受けてないつもりだったが、自分でも気付かぬうちに一発貰っていたらしい。そこまで見てくれていたとは。Saki は再び『回復』を発動してそれらの傷を癒した。
「ありがとう。助かるよ。」
感謝の言葉を受けた Saki は、彼に向けてまっすぐ右手を上げる。その意図するところを理解した Gatz がハイタッチに応じるまで二秒ほどの間があった。
「上手くいきましたね!」
そう言ってにっこりと笑う彼女に、見た目に反して随分と肝の据わった姐ちゃんだ──という感想を抱いたものの、すぐに思い直す。褪せ人たちの大多数は、アルター高原へ至る道を見出せず、今も黄金樹を見上げながらリエーニエあたりを彷徨っているのだ。その障壁を踏み越え、さらにはここローデイルにまで至っていることを考えれば、その実力は折り紙付き。数多の戦場を渡り歩いてきた Gatz にも劣らぬ勇者なのだ。
「ここから抜け出せるまで、頼りにするぜ姐ちゃん。」
「だから Saki ですってば。──って、もしかして Gatz さんも迷ってるんですか?」
その問いに、大男は胸を張って答える。
「おうよ、絶賛迷子中だ。」
Saki は溜息をついて天を仰いだ。もちろんそこに光はない。
「ああ、もうがっかり。せめて話し相手にはなってもらいますからね。」
こうして二人連れになった迷子は、果てなく入り組む地下道をあてもなく歩き始めた。
「つまり、角が切られてないやつは王家の出ってことか。」
忌み子についての話を Gatz が熱心に聞いてくれることが Saki には意外であると同時に、少し嬉しかった。
「そうなんです。角を落とす習慣は王都で始まったという説を聞いていたせいで、切られているのが王都生まれ、切られていないのがそれ以外の土地の生まれ──と思ってたんですが、実際は逆みたいですね。」
「この地下道で見た奴らは軒並み角ありだったな。──気を付けろ。この先、道が落ちてる。」
注意を促しつつ、足元に空いた孔──下方への分岐──を跨ぎ越す。Saki もそれに倣って小さく跳ぶ。着地後の姿勢が安定するまで、Gatz の目は彼女を離れなかった。面倒見の良い人だ。この地に来るまでは、部下のある立場だったのかもしれない。そんな想像をした。
「角を切り落とされた忌み後は大抵その場で死んでしまうそうなので、角のない個体は少数派ということになりますね。生き延びているのは、王家の忌み子が殆ど。」
「角付きに生まれたことを以て蔑むだけでは飽き足りず、さらには王家の出かどうかで差別するってか。本当、人間のやることってのはどこの国でも変わんねえな。」
忌々しげに吐き捨てられたその言葉に込められた静かな怒り。彼はそれ以上語りはしなかったが、その背景を想像することはできた。
「ええ。私がいた国──アストラでも、普通と異なる身体的特徴を持って生まれた、つまり奇形の子供は "処分" されてしまうことが殆どでした。貴族など身分の高い家に生まれた場合のみ、彼らは生きることが許される。」
「Saki さんはアストラ出身か。気のせいかもしれんが、言われてみればそんな感じがするな。ちなみに俺はヴィンハイムだ。」
「そちらはあまり、"そんな感じ" じゃないですね。」
ヴィンハイムは高度に発達した魔術によって栄える国だ。『竜の学院』は魔術研究の頂点として広く知られている。筋骨隆々の Gatz の出身地としてイメージされる国としては似つかわしくないと言えよう。
「あの国はここ三十年ほど、ずっと戦争に明け暮れている。中心になっているのは魔術師どもで、内部の権力争いも激しい。それ故に、"魔術以外の方法" への需要も生じてくるわけだな。俺のように腕っぷしだけで生きる傭兵もそのうちのひとつ。──まあ、もう昔の話だが。」
そう語る彼の声が微かな憂いを帯びているように思えたのは、それを聞く Saki の郷愁が投影されたためだろうか。
「まあ、そんなこんなで忌み子に関する話を聞いて、実際に何度か遭遇するうちに思ったんですよ。なんとかして、彼らと話ができないものか、と。」
その言葉に振り返った男の顔には、困惑がありありと見て取れた。
「平和の親善大使? 正気の沙汰じゃないな。」
「そんなんじゃないですよ。人を襲うのやめましょう、共存の道を模索しましょう、なんてことを呼びかけるつもりはありません。ただ──」
目の前の相手にその先を話すかどうか慎重に考える必要がある。だが近頃は、以前ほど迷わずに決断できるようになっていた。
「この地で祝福されず、つま弾きにされてきた彼らと意思疎通できれば、黄金律とやらの矛盾や綻びが見えてくるんじゃないかと。ですから、現時点での動機は限りなく "興味本位" に近いですね。」
それを聞いた Gatz は安堵したような様子を見せる。
「ああ、それなら分かるよ。神だの律だの、その手の話をあちこちで聞かされるんだが、正直胡散臭くて仕方ねえ。俺もずっと前から、言われるままに戦っていていいもんかな、とは考えてた。だが、連中と話そうってのはいくらなんでも。」
「ええ、甘かったです。話すどころかひたすら追い回されて、ここで迷子に──」
言い終る前に Gatz が彼女に飛びつき、そのまま後方に転がる。頭の上を何かが通り過ぎ、石壁に当たって火花を散らした。
「噂をすれば影が差す。今一度対話を試みてみるかい?」
カンテラの光の中、斧を手にした忌み子がこちらを振り返る。その全身からは、捩じくれた無数の角が突き出していた。
反射的に背負ったグレートソードの柄に手が掛かる。だが、ここは直径2メートル余りの管の中。この特大の得物を振り回せるだけの空間はない。握ったそれを静かに床に降ろし、Gatz は背後に呼びかける。
「ちょっとの間、盗られんよう見張っててくれ。」
こんな鉄の塊、誰が持っていくもんですか。グレートソードの守役を頼まれた Saki は心の内でそう独り言ちる。それに、怪物相手に武器なしでどう対処するつもりなのか。そう思って見遣った彼の手には『セスタス』がはめられている。まさかあれで? 嘘でしょう?
忌み子が斧を振りかぶった瞬間、Gatz は相手に詰め寄って左手でその柄を掴んだ。その力は相当なもので、相手は武器の自由を取り返そうと押し引きを繰り返したが、斧は空中で静止したままびくとも動かない。腕力において褪せ人ごときに遅れを取ったことが信じられないのか、怪物の顔に焦りの色が浮かぶ。その下顎を Gatz の拳が抉るように打ち上げた。その強烈な一撃は、人間ならば確実に昏倒させていたことだろう。されど人ならざる怪異は僅かによろめいたのみ。武器に固執することの不利を悟ったか、斧を手放して Gatz に掴みかかった。その腕を払って逸らし、よろめいた相手の鼻面に肘を叩き込む。飛び散る血飛沫。だが、敵はなおも怯まない。即座に体重を乗せた前蹴りが飛んできた。咄嗟にガードしたものの衝撃を受け止めきれず、彼は後方に転がってこれを逃がす。くそったれ。やっぱ強えや、こいつ。
目の前で突如始まった巨漢同士の肉弾戦。何とか援護できないかと考えたが、現状で Saki にできることはなかった。『回復』をかけようにも、近くで足を止めて詠唱などすれば彼の動きの妨げになるだろう。なんとか発動できたとしても、これだけ互いの距離が近いと、その効果が敵にまで及びかねない。徐々にこちらへ退がってくる Gatz に合わせて自分も後ずさる。すぐ後ろには先ほど彼らが飛び越えてきた孔が口を開けていた。このままでは──。とりあえず、飛び越えて反対側へと移る。見れば、彼らも既に孔の手前まで来ていた。そこで二人の動きが止まる。組み合ったまま、互いに渾身の力で相手を捻じ伏せようとしているのだ。四肢を震わせて踏ん張る男の背に向け、Saki はあらん限りに声を張って叫んだ。
「Gatz さん、負けんなぁーっ!」
ここいらが限界か──そう思い始めていた Gatz の身体が不意に活力に満ちる。思春期のガキでもあるまいに、女の声援でこれほど張り切れてしまうとは。己の単純さに内心で苦笑しつつ、彼は決着のための動きに出る。上体を沈めて相手の腹の下へ潜り込み、己が倍はあろう目方を持ち上げにかかった。すさまじい重圧。押し潰されようとする身体になおも込める──ありったけの力を。
「──おおおおッ!」
その大岩の如き巨躯がついに浮き上がった。地から離れもはや踏ん張ることもできず、鬼はただ手足をばたつかせるばかり。だが、それも長くは保たない。Saki の声がした方へ向き直ると、担いだ重荷をそちらに投げ落とした。孔の上に放り出された忌み子はその縁にしがみつこうと腕を伸ばしたが、その巨体を支えるには至らず、側壁に爪を立てながら唸りとともに下層の闇へと落ちていった。
忌み子が戻ってくる前にと急いでその場を離れた二人は、迷い歩いた先で偶然に見つけた祝福にて休息を取っていた。『大の字』になって横たわる Gatz の傍らに座った Saki は彼の手当てに勤しむ。
「傷は塞がりましたけど、腫れが引くまではちょっと時間かかりますね。」
時間の経過とともに常の数倍の厚さにまで膨らんだ瞼は、今や彼の左目の視界を完全に塞いでいた。殴られて切れた頬の内側も腫れ上がり、話すことも難しいようだ。Saki は袂から取り出した手巾を水筒の水で湿らせ、それで『氷結晶の木の芽』を包んで Gatz の顔に当ててやる。火照った患部に心地良い冷たさが浸透していく。物言えぬ彼は片手を上げて感謝の意を示したが、それもほどなく床に落ちた。
寝息を立てる Gatz を祝福に残し、Saki は周囲の探索を始める。と言っても、直径20メートル足らずの円筒の底面なので、すべては見渡すことのできる距離にあった。彼女の目の前にある鉄製の巨大な籠は昇降機。二人は先ほどこれに乗って、ここから30メートルほど上方に開いた通路から降りてきたのだ。すぐ隣にもうひとつ別の籠があったが、そちらは床のスイッチを踏んでも動作しなかった。籠を吊るす鎖の先を目で追う限り、これを動かすことができれば縦穴の上部──おそらく50メートル以上の高さ──まで到達できそうに見える。洞内に吹き降ろしてくる風には、新鮮な空気が混じっていた。地上に繋がっていることは間違いない。早くここから出たい、という思いが募る。
近くの壁面に、およそ60センチメートル四方、人の顔の高さに設けられた鉄製の蓋があった。その端には鍵穴。おそらくこの中に昇降機の制御装置があるのだろうが、現状これを開ける手段はない。
「鍵があればいいんだけど、そう都合よく近くに置いてあったりはしないよねえ。」
Gatz が目を覚ましたら、その怪力でこじ開けてもらえないものだろうか。そんなことを考えつつ、反対側の壁に目を向ける。そちらは、彼女が意識的に近づかないようにしている方向でもあった。壁のない一角と、そこから奥へと伸びる通路。普通に考えれば、そちらを調べに行くのが道理だろう。だが、Saki の感覚はその先に待ち受ける「主」──即ち、強大な敵──の存在を捉えていた。一度その結界の中に踏み入れれば、「主」を倒す以外にそこから出る術はない。今はとにかく、彼の復帰を待とう。祝福の前に腰を下ろし、その光を見つめる Saki だったが、いつしかその目も閉じられていった。
再び開かれた Saki の目に最初に映ったのは、祝福の向こうに座ってこちらを見つめている Gatz の姿だった。
「姫君はようやくお目覚めか。」
「もしかしてずっと見てたんですか? 恥ずかしいなあ、もう。」
恨めし気に Gatz を睨みつけた彼女は、彼の左目が半分開いていることに気付く。
「腫れ、だいぶ引いたみたいですね。」
完全に元通りとはいかないが、先ほどから普通に話せてもいる。
「おかげさまでね。冷やしてもらったのが効いたようだ。」
「会った時より男前になったんじゃないですか。」
寝顔をじっくり鑑賞されたお返しのつもりだったが、反応はない。Gatz は既に立ち上がっており、その意識は穴の奥の通路に向けられていた。
「この先が『主』さんのお部屋、ってわけだな。」
「ええ。だから、Gatz さんが起きるのを待ってたんです。」
グレートソードを背に収めた戦士が、Saki を振り返る。
「そんじゃ、行こうか。」
「はい。」
忌み捨ての地下。その最奥に居を構える「主」の結界を今、二人の褪せ人が同時に踏み越えた。
天井から垂れ下がった木の根の影が蝋燭の灯りに揺らめく。荒れ果てた礼拝堂。空の祭壇に向かい、黙し佇むは『忌み子、モーグ』。濃紺のローブに身を包み、緋色の肩掛けを羽織ったその姿は、他の忌み子たちにはない知性の存在を予感させた。Gatz の目配せに Saki は頷き、緊張した面持ちで息を吸い込む。そして──
「突然の来訪をお許しください。」
彼女の声に、モーグはゆっくりと振り返った。その右手には三叉の槍が握られていたが、構える様子はない。
「争うつもりはありません。尋ねたいことがあるのです。」
敵意のないことを伝えるため、Saki は腕を広げて空の両手を示す。Gatz もグレートソードを背負ったままにしてそれに倣った。モーグは彼女を見据え、老人の如き足取りで一歩また一歩と近づいてくる。呼びかけに応ずる気があるのか、そもそも言葉の意味を理解しているのか、角でその大部分を覆われた顔から読み取ることはできない。互いの距離があと五歩というところまで近付いたところでモーグは足を止め、Saki の姿をよく見ようとするかのように上体を前へ倒す。その瞬間に三者の動きが交錯した。突き出される槍、横合いからその柄を蹴りつける Gatz、後方へ跳ぶ Saki。標的への軌道から弾き出された穂先が空を切って戻る。奇襲を阻止をされたことを認識し、飛び退いて距離を取ったモーグは、もはやその目に宿る殺意を隠してはいなかった。
対話の試みが崩れた今、戦い以外の選択はなく、未練を抱えていては己の身が危い。Saki は失意を振り払って聖印を握り、"敵” を見据えた。だがその視界を、彼女の前に進み出た Gatz の背が塞ぐ。
「ここは俺に預けてくれないか。」
「何言ってるんですか? 私も──」
続く言葉は、彼が全身から放つ怒気の前に途切れた。何をそんなに──と訝る Saki を余所に、Gatz はモーグに向かって一歩を踏み出した。
「おまえ今、無抵抗の女を刺し殺そうとしたよな。」
彼がグレートソードを背から抜き、切先を敵の眉間に向ける。相当の重量を腕で支えているはずだが、その刀身には微塵の揺らぎもない。
「しかも不意打ちでとはどういう了見だ? ああ!?」
その言葉を解したかは定かではないが、モーグは矛先を Gatz へと転じて駆け出した。弧を描いて飛ぶ三本の刃。その閃きに対向して振り出されるグレートソード。明らかに後手であったはずのそれは、しかし槍の先端が Gatz に届くよりも早くモーグの鳩尾に食い込んだ。無様に弾き飛ばされる忌み子の王。即座に地を蹴り跳ね起きたが、さすがに再び距離を詰めてはこない。仕掛ける隙を探るように慎重な足取りで Gatz の周囲を巡っていたモーグだったが、不意に頭上の空間から赤黒い炎の塊を掴み出し、それを投げかけてきた。祈祷『血授』。火傷と出血が Gatz の体力を奪う。だが、彼はこれに怯むことなく強引に踏み込んだ。そこから目にも止まらぬ速さで振り切られた特大剣の一閃が、血塊を放ったその左腕を払う。断ち切られた手首が宙を舞い、湿った音を立てて床に落ちた。思いがけず深手を負ったモーグは、狼狽えた様子で後退る。
「どうした? 丸腰の女には躊躇なく襲い掛かれても、武器を手にした男を前にして腰が抜けたか?」
詰め寄る彼に向けてモーグが繰り出した槍の柄が、空中で両断される。三叉の矛先だけが突きの勢いを乗せて Gatz の背後へ飛び去り、壁面を叩いて落ちた。既に勝敗は決したが、忌み子の王に降るという選択肢はない。残る右腕で放った『血炎の爪痕』も、グレートソードの分厚い刀身に難なく跳ね返される。
「喜べ。他の誰が否定しようと、俺は認めてやる。」
三度振るわれた刃が右膝を抉った。僅かに残った腱で繋がってはいるものの、切断されたも同然の状態だ。ここまで追い詰められてもなお、モーグは抵抗を止めない。唸りを上げ、燃え盛る爪を振り続けている。
「見てくれがどうあろうと関係ない。お前はその心の内まで立派に──バケモノだ。それ故に、退治されなければならない。」
夜明け前。Saki と Gatz は王都城壁前の祝福を囲んでいた。最期まで抵抗を続け、結局はグレートソードの錆と終えた忌み捨ての地下の主。昇降機の制御装置の蓋は、その腰の鉄輪に束ねられた鍵のひとつで開けることができた。
「なんとか、戻って来れましたね。」
「ああ、もう出られないかと思った。」
長時間に渡って地下道を這いまわった二人は、顔も服も汚れ切っている。『石鹸』も使ってみたが、たいした効果はなかった。
「本当に散々な一日。ナメクジにネズミに幽鬼に忌み子。しかも初対面の男の人に二回も熱烈ハグされちゃうし。」
その言葉に、大の字になっていた Gatz が跳び起きる。
「ちょっと待て。あれは不可抗力だろう。」
「えー、本当かなあ。怪しーい。」
それが冗談半分の煽りだとわかった上で、あえて乗ってやる。
「俺の好みは肉付きのいい女。あんた、細枝みたいじゃねえか。ちゃんと食ってんのか。」
「こんな食料事情の悪い土地でどうやって太れって言うんですか。私だってお腹いっぱい食べたいですよう。」
そう言って頬を膨らませる彼女を見ながら Gatz は「これだ」と思う。Saki の容姿について言えば、その豊かな白金の髪と深い瑠璃色の瞳が印象的ではあるが、顔の造作そのものは美人の部類ではない。だが、持ち前の人懐っこさと、状況に応じて目まぐるしく変化する表情が相手の心を惹きつける愛らしさを生み出してる。特に笑顔の眩しさは格別と言えた。これに参ってしまう男も多いのではないか、と想像する。まあ、俺は年下に興味はないからな。ましてやこんなお子様に手を出すほど──。そこまで考えたところで、引っかかるものを感じる。まさか、そんなはずは。いや、しかし、ひょっとして。気になってしまった以上、確かめずにはいられない。
「なあ、Saki さん。あんた歳はいくつだ?」
「うわあ、女性にそんなことストレートに訊きます? 神経太すぎません?」
「まだそんなこと気にするような年代でもないだろ。」
「そうかな...。そうかも...。じゃあ、まあ正直に。」
逡巡しつつ彼女が指で示した数字に、Gatz の顔色が変わる。
「嘘だろ? 俺と同い年なんて、そんな馬鹿な......。」
「Gatz さんが歳の割に老けてるってだけじゃないですか。」
「わかった。あんた、長命種か何かなんだろ? きっとそうだ。そうじゃなきゃ、説明がつかん。」
「ちょっと何言ってるかわかんない。」
ほどなく彼は「またな」の言葉と共に立ち去ったが、最後まで狐狸の類だとか詐欺がどうとか呟いていた。まったく失礼な人だと呆れたが、一人になると笑いが込み上げてくる。あの顔は──見物だった。白み始めた空を見上げ、Saki も立ち上がる。このどろどろの格好で円卓に行ったりしたら噂の的になってしまうな、などと考えた。煮え立ち川に行けば湯が手に入るから、顔を洗うくらいはできる。着替えをどこで調達するかは問題だが、まあ何とかなるだろう。
東の城門に向けて歩き出したところで、例の鍵を持ってきてしまったことに気付く。どうしよう、と考えたが、あそこに戻る気はさらさらない。蓋は開けたままにしてきたから、それで困る人もいない──はず。罪悪感と躊躇いを振り切るように、Saki はその錆びた鍵を城壁の外堀に向けて力いっぱい放り投げた。