褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
物語に新たな軸を追加。それと、変なモテ方をする Saki が書きたかった。
輝石が放つ青白い光に照らされた石壁。顔を上げたイジーが最初に見たのは、そこに映る主の影だった。
「すまんな。こんな窮屈なところへ呼び出してしまって。」
僅かにかすれた、聞き慣れた声。そちらへ顔を向ければ、同じく見慣れた少女人形の姿がそこにあった。月の王女ラニ──カーリア王家の末裔にして、次代の神たる資格を見出された半神の一柱。もっとも本人は、以前よりその運命から脱するための闘争を続けているのだが。
「有り難きお心遣いにて。──して、私の記憶が確かであれば、ここはセルブスの。」
「そう、あやつの "秘密の" 地下室だ。おまえも知ってはいたか。」
セルブスはラニに仕える魔術教授である。奸計多き、およそ好ましからざる人物ではあるが、その博識さと諜報の腕前故に直属の部下としての地位を得ていた。何故にかくも胡乱なる者を側に置くのかとも思ったが、主君の決定に異を唱えるべきではない。そう考えたからこそ、イジーはこの地下室が良からぬ企みの一端にあることを察しながらも敢えて目を向けず知らぬ振りを通していたのだった。
「おまえもここへ来たのは初めてだろう。どう思う?」
そう問われて辺りを見渡せば、室内のあちらこちらに人の姿があった。ただ、いずれもが弛緩し床の上に力なく頽れている。
「なるほど、彼が使役する傀儡はここに保管されていたのですか。」
「気色の悪いお人形遊びも、役立つことは確かなので黙認していたのだが──それは間違いだったようだ。見ろ。」
ラニは近くにあった指巫女装束の「人形」の手を取って持ち上げた。滑り落ちた袖の下から現れた腕。その質感の生々しさにイジーは息を呑む。細かな産毛、透けた静脈。これは、まるで──。
「まさか、この傀儡たちは──。」
「そのまさか、だ。これらはみな、人間を素体として作られている。」
かくの如く悍ましい行いが自分のすぐ近くで行われていたことに、イジーは戦慄する。
「これはなんと言うべきか、その──許されざる冒涜。それで、セルブスは今どこに?」
憤慨するイジーを見遣り、ラニはぽつりと呟いた。
「死んだ。」
「──は?」
予期せぬ言葉に茫然とする彼に、さらに続ける。
「あの下郎めは、私までをもこの傀儡蒐集に加えようとしたのだ。"魂だけを殺す" という薬を飲ませてな。もはや堪忍ならず、手ずから誅してやった。」
「なんたる狼藉を。──い、いや、そのような企みを看過してしまったは私の過失。この咎に詫びようなどありましょうか。」
平伏するイジーの背に手を当て、ラニは穏やかに言葉をかける。
「止せ止せ。ただでさえ小さくなっているところ、さらに縮こまることはないだろう。」
トロルの末裔であるイジーの巨体ではこの地下室に入ることは叶わない。現在の彼は、ラニの魔法により縮小された霊体としてこの場にいるのだった。
「顔を上げてくれ。おまえを呼んだのはこれを見てもらうためだ。」
彼女が指したのは、部屋の隅に設置された作業台──その上に横たえられた一体の傀儡。胴部は掛けられた白布で覆い隠されているが頭部は露出しており、その造形から女であることは見て取れた。
「これは作りかけ──ですかな?」
「いや、殆ど完全であるようだ。もっとよく見てくれないか。」
イジーは彼としては珍しく、主君の指示に僅かながら抵抗を示した。
「もう生きておらぬとは言え、女性の身体を具に見るは憚られますが。」
「別にその布をめくれと言っているのではない。──その女の顔、見覚えはないか?」
その言に従い、頭部の側へと作業台を回り込む。傀儡となった女は若く、その顔にはあどけなさが残る。台の上に流れ落ちる白金の長い髪。深い青色を呈すその瞳は、虚空に向けられたまま微動もしなかった。
カーリアの城館、王家の月見場。その北に面する門を潜って、半狼のブライヴは久方ぶりにスリーシスターズへと戻ってきた。そこから丘を登っていけば、ほどなく主君ラニの待つ魔術師塔へと至る。その道中、彼は行く手から見知った顔──Saki が歩いてくるのに気がついた。彼女との出会いは四月ほど前になるだろうか。追跡対象を見失い途方に暮れていたところに手助けを申し出てきた褪せ人、それが Saki だった。結果任務は達成され、ブライヴはラニ直属の部下たる面目を保つことができたのだが、その借りはまだ返せていない。互いの距離が縮まり、相手がこちらに気付いて顔を上げたところへ声をかける。
「思いがけぬところで会うものだな。──ラニに用事か?」
二本指への反逆を企てるラニの行動はすべて秘密裏に置かれるべきであり、身内でない者に対して彼女の名を出すことは禁じられていた。だが Saki は既にとある別の褪せ人を介してこちらの事情を知っており、今更隠し立てをすることもない。Saki はこちらを見上げ、僅かに首を傾げた。次いで、右手の人差し指を口の前に立てて見せる。ブライヴがその仕草の意味を図りかねているうちに、彼女は片手を軽く振りながら城館へ続く坂を下って行ってしまった。
今回の任務の首尾についての報告を済ませた後、ああそう言えば──と何気なく持ち出した Saki の話を聞いた途端、ラニの顔色が変わった。彼女の顔は陶製の人形のそれであるため、感情に応じて色が変わるはずもないのだが。
「それはいつの話だ?」
「ついさっきだ。まだ半刻と経っていないと思うが。」
返事が終わるのも待たず、ラニは指を鳴らしイジーに呼びかけた。これは彼女のような熟達の魔術師にのみ可能な、離れた場所にいる者と声を交わす秘儀である。
「例の人形はどうなっている? ──そうだ、すぐに確かめてくれ。」
数分後、イジーは霊体として二人の前に姿を現した。
「申し訳ございません。人形は地下室から消えています。セルブスが施していた入口の偽装は復元しておいたのですが。」
「おまえの落ち度ではない。ブライヴの話から考えるに、あの人形には既に "誰か" が入っていたのだろう。」
二人が何を焦っているのかブライヴにはまったく分からなかったが、ただならぬ事態が進行しているらしいことだけは理解できた。
「調べはどこまで進んでいた?」
責めるつもりはないのだろうが、問う口調に鋭さが滲んでいる。
「先にお伝えした通り、あれは他の傀儡とは異なり、生きた人間──つまり、本物の Saki 殿の肉体から作られたものではありませんでした。基本は木石の類、それに僅かな生物由来の材料を加えて作られており、どちらかと言えば『人形兵』に近い代物。ただし、その造形には大変な手間が掛けられており、そのため本物と見紛うほどの精巧な外見を備えておりまして、これはラニ様もご覧になった通りです。これからさらに詳しく、と考えていたところなのですが。」
「そうだな。それを聞いて安堵していたのだ。Saki という褪せ人が殺されたというわけではないようだ、と。だが、それが勝手に動き出したとなると話は変わってくる。」
あれは Saki 本人ではなく人形だったというのか? 必死に平静を装うブライヴを置き去りにラニとイジーの討論は続く。
「そもそも、セルブスの奴は何故 Saki の人形など作ったのだ?」
「測りかねます。ただ彼はラダーン祭の折、赤獅子城に傀儡を送り込んでいたようです。おそらくはその際に Saki 殿に接し、興味を持ったのではないかと。」
なるほど、あの男の仕業か。らしいと言えばその通りだが、下劣にもほどがある。そこまで考えたところで、ふと思いついて口を挟む。
「セルブスを呼びつけて吐かせればいいんじゃないか? 当人不在の状況であれこれ言っても始まらんだろう。」
至極真っ当な意見である。だが、ラニはそれを具申した部下を横目でちらりと見遣り、低い声で呟いた。
「生憎、死人に口を割らせる方法は心得がなくてな。」
「──は?」
セルブスが死んだ? いつ? 何故? 混乱するブライヴを他所に、イジーが意見を述べる。
「まずは Saki 殿の安全確認と確保が喫緊の対応かと。」
「そうだな。本物をこちらで押さえておけば、偽物への対処も容易くなるだろう。──ときにブライヴよ。」
思いがけず指名された彼は、頭のうちに渦巻く疑念を振り払って主君へとに向き直った。考えるのは俺の仕事ではない。俺はただラニの手足として、彼女の命ずるままに動くのだ。
「お前が見た Saki──の人形、何か本人と違っているところはなかったか?」
問われるままに、記憶を辿る。彼女が首を傾げたとき、微かに「かた」という音が聞こえなかったか。──だが、それは判別に使えない。服はどうだ? いや、以前と同じく『ラズリのローブ』を着ていた。他には何か──思い出せ、思い出せ。長い沈黙の末、ブライブはようやく顔を上げ口を開く。
「Saki の髪型は三つ編みだろう? だが俺がさっき見た彼女は、首の後ろあたりと──それから先端で結わえているだけだった。編むのには手間がかかるからだろうか。」
それを聞いたラニは彼を近くへと招き寄せ、跪いた彼の頬を優しく撫でる。
「お手柄だ、グッド・ボーイ。」
湯気と共に茶の香りが立ち昇る。視線を左手に転じれば、連なる黄金の屋根輝く街並み。ローデイルの王宮に滞在する Saki of Astora は、現王モーゴットの日課であるらしいこの露台での喫茶に欠かさず招かれていた。カップに手を伸ばしながら、その経緯を思い返す。そう、初日は黄金樹の調査のために招聘された Vienna への相伴だったはず。しかし次回以降 Vienna が多忙により参加を辞するようになると、モーゴットは Saki だけをこの場に招くようになった。
「今日はまた新しい風味ですね。一昨日のロア・レーズンに似ていますが、鮮烈さが増しているような。」
「やはり、鋭敏な嗅覚を持っている。これは、黄金のロアから作られるスイート・レーズン。香りの強さから敬遠する者も少なくないが、私はこちらが好みだ。」
褪せ人と忌み子、戦士と王。共通となる背景が殆どないため、当初は何を話したら良いものか分からず、内心途方に暮れていた。しかし、モーゴットは饒舌ではないものの、水を向ければ明朗に応じてくれる。話題が共通の知人である褪せ人 Ramo に及ぶことも多いのだが、モーゴットはやたら彼を「たいした男だ」と褒め称えるので、実はそれを聞くのも楽しみだった。話が尽きてからも、モーゴットは眩しそうな、柔らかい眼差しで、Saki が飲み終えるのを待つ。大変に気に入られているらしいことは何となく分かるのだが、その理由に心当たりがない。そんなことを考えていたところ、文官が彼らのいる露台へと入ってきた。
「失礼致します。Saki 殿への取り次ぎを求める者から書状を預っております。お目通しを。」
モーゴットがこちらを見遣る。読んでも構わないのかと尋ねられているようだ。Saki に宛てられたものを検閲するつもりはないといことだろう。だが、相手にも内容も心当たりがなく、また隠す理由もない。片手を上げ、どうぞと示す。彼は書面に目を走らせると、すぐにそれを Saki に手渡した。
「気を付けて向かわれよ。必要なものがあれば、なんなりと言いつけてほしい。」
便箋の隅にはカーリアの印章が鮮やかな青色で刻まれていた。
「至急相談したき件あり。外郭北西の祝福で待つ。」
手紙の文言に従い指定の場所へ向かうと、そこには見知った半狼の戦士の姿があった。
「お久しぶりです。」
そう呼びかけつつ駆け寄っていく。気付き振り向いたブライヴの顔にちょっとした驚きの色が見えた。
「服、変えたのか。──ああ、すまない。まずは足労を労うべきだった。」
「あ、この『ノクス剣士の鎧』ですか。どうです、可愛いでしょう?」
Saki は真白い上掛けをなびかせ、その場でくるりと回って見せる。ブライヴは口の端を上げ、一言「好都合だ」と呟いた。衣装についての感想を求められて好都合とはどういうことだ、とは思ったが敢えて問わずにおく。おそらくは用件に関わることだろう。
「そうそう、お遣いの子供には200ルーン渡しておきましたよ。駄賃は出てきた姉ちゃんに貰えと言われたって──。」
「いや、俺は手紙を預けたときに200ルーンやったのだが。」
二人は揃って城門の方を睨み、同時に同じ台詞を口にした。
「「あのクソガキ......。」」
何のために? 自分の姿を写した人形が作られてと聞いて、Saki が真っ先に考えたのはその理由だった。身分を偽って誰かに近づく、あるいはどこかに入り込むのが目的だろうか。その価値があり、かつ自分に成り済ますことでそれが容易になる対象といえばリムグレイブ王であるネフェリか、その宰相ケネスが考えられる。いや、それよりも──。
「そのセルブスって、どんな人なんですか。私、面識ないはずなんですけど。」
当人は既に死んでいるというが、彼の性向が知れれば手掛かりになるだろう。そう考えて尋ねた Saki に、ブライヴは苦い顔で答える。
「傲岸で陰険。常に相手の無知を嘲り、己が優越を誇る機を伺っている──そんな男だ。」
彼が余程にセルブスを嫌っていただろうことは、その口ぶりから存分に察せられた。しかし、今重要なのはその人となりではない。
「そうじゃなくて、専門分野とか普段どんな仕事をしていたかとかそういう──」
そこで別の可能性が頭をよぎる。他人に成り済まして何かをしようという実利ではなく、個人的で無害な──しかし、より悍ましい動機に基づく行動だとしたら。自分の想像に身震いしながら Saki は問う。
「下世話な質問で恐縮なんですけど、セルブスさんという方はその──おモテにならなかった?」
「それはそうだろう。あんな下衆野郎が女から好かれるわけがない。恋人どころか友達だって──」
そこまで言ったところで、ブライヴはようやく Saki の言わんとするところに思い当たったようだ。
「あ──つまり、そういう──?」
言ったきり、口が閉じていない。微妙な空気の中、二人が草を踏む音だけが響く。だが、少し歩いたところで Saki は顔を上げ、大きく溜息を吐いた。
「やっぱり、この仮説はナシですね。もしそうなら、自律するように作る必要がない。」
「んん? ──ああ、そうか。言われてみれば、そうだな。」
議論は振り出しに戻ってしまったが、自分にとっては不安要素がひとつ消えたことになるので喜ぶべきだろうか。横を見れば、ブライヴも心なしか安堵したような表情をしていた。もちろん、口は閉じている。黄金樹を望む丘を下り、打ち捨てられた棺の間を抜けて着いた先は『古遺跡断崖』。古ぼけた昇降機を作動させて、二人はアルター高原とリエーニエを繋ぐ遺棄された坑道を降りていった。
まずラニのところへ行くのかと思ったが、ブライヴはスリーシスターズへ向かわずにリエーニエを南下していく。最重要事項である Saki の安全は確保できたので、次の目的地である『カーリアの書院』を目指すのだという。
「こういう面倒な──魔術絡みの事案はセルブスの受け持ちだったんだが、今回はそういうわけにもいかない。」
悪事を暴くのに本人の協力を仰ぐバカはいない。なにより、当の本人は既に死んでいる。そんな当たり前のことを真面目な顔で語るブライヴに思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「実はもう一人、カーリアに仕える魔術教授がいるんだ。ミリアムという婆さんで、ラニの指示で書院の維持管理をしている。」
カーリアの書院は、Saki がよく訪れる『壺村』のすぐ近くだ。以前、興味本位で踏み入れたことがあった。
「私、その人知ってるかも。奥のホールを覗いた途端、すごい威力の魔術が飛んできて驚いたのなんの。慌てて退散して、以後近づかないようにしてるんですよ。」
「他所様の家に無断で入り込むから、そういう目に遭うんだ。」
鼻で笑うブライヴに、Saki は口を曲げて抗弁する。
「入口は開け放してありましたよ。──というか、そもそも門も扉もないですよね、あそこ。それに王立の書庫っていったら公共施設でしょう。私だって閉架にまでは入りませんって。」
「狭間の地では、そうではないんだ。ひとつ賢くなったな。」
湖畔を歩き、途中で岸へ上がる。カーリアの書院は神授塔へ続く橋梁を備えた高い建造物で、その位置は遠くからでもよくわかる。海際の断崖に出たところで南に折れると緩やかな下り坂。書院の入口はその突き当りにある。
「誰だ、あれは?」
その人物に最初に気付いたのはブライヴだった。まだ遠いが、黒い鎧に身を包んだ男が道を塞ぐように立っているのが見える。向こうは既に気付いているようだ。こちらに据えられた視線は鋭い。戦いにならなければよいのだけど──。そんなことを考えている間にも、彼我の距離は縮まっていき、ついには相手の顔がはっきりと見えるまでになった。緋色の眼。白髪だが、顔は若々しい。
「褪せ人です。」
ブライヴの背中にそっと囁く。それを以って敵と判断できるわけではないが、明確な目的を持ってそこにいる可能性は高まる。男は剣を抜き、切っ先をこちらへ向けた。
「止まれ。」
まだ互いに離れているので、すぐに斬り合いが始まるということはない。だが、誰何のための制止と捉えるには敵意が現れすぎている。
「これまた随分な礼儀知らずだ。そうして剣を向けることの意味を分かってるのか。」
まだ背の『王家のグレートソード』に手を掛ける素振りもないが、ブライヴの気が張りつめているのが分かる。Saki も思わず右手の中の聖印を握り直した。男は剣を下ろすことなく同じ調子の声で続ける。
「師が書院を訪問中だ。戻るまで何人たりとも近づけるなと言い付かっている。」
穏やかでない事態が進行中のようだ。彼の言う「師」とは誰だろう。
「俺はその書院を管理する一族の名代なんだがな。」
「関係ない。立ち去れ。」
緊張が一段と高まる。ブライヴが背後の Saki に向けて囁く。
「ここは引けない。ミリアムが心配だ。」
「勿論。私も戦う。」
またひとつ借りだ──そう小さく呟くと、半狼の戦士は地を蹴った。
焦りに突き動かされながらも、ブライヴは迂闊に踏み込むような真似はしなかった。相手の動きに対応できるだけの余力を残して大剣を跳ね上げる。黒鎧の剣士は小さく後ろへ跳んで切っ先を躱し、間髪を入れずに突きを繰り出してきた。刺剣と見紛うほどに細い刀身はしかし、一方の側面に斬るための刃を備えている。片刃の直剣というのは珍しい得物だが、その扱いは更に独特だった。腕の位置に関わらず切っ先を常にこちらへ向けるその構えのせいで、刀身の長さを目測できない。さらに、側面へ回り込もうとする Saki に『輝石のつぶて』を投げかけて牽制し、攻撃位置を取らせぬようにしている。互いに浅い踏み込みで仕掛けながらの一進一退。どう攻めたものか──そう考えながら一歩退がった隙を突いて、相手は『魔力の武器』を発動した。同時に身を翻し Saki を正面に捉える。まずい──魔力強化された刀身で打ち込まれたら、彼女の剣では受けきれない。一瞬の躊躇を振り切り、ブライヴは剣士めがけて跳躍した。
Saki はブライヴの援護に入ろうとしながらも、狙いすましたように撃ち込まれる『輝石のつぶて』に阻まれて思うように動けずにいた。
「なんで剣から飛礫が出るのさ?」
魔術を発動するには触媒──通常は杖──が必要になる。確かに、相手は左の腰にそれらしき短い杖を携えてはいたが、それが手に取られることはなく、飛礫は振るわれる剣そのものから放たれていた。以前、魔術師に変装したネフェリのために屑輝石を使ったトリックを考案したことがあったっけ。そんなことをちらと思い出したものの、目の前の敵が使う飛礫は、そうした姑息な偽装とは明らかに異なり十分な威力を備えている。ひょっとして、あれは魔術じゃなくて──。その瞬間、黒鎧の剣士は素早い動作で杖を掴み、剣に強化魔術を施した。同時に身を翻した敵と視線がぶつかる。こっちに来るつもり? だけど、今あいつが発動したのは──急ぐあまり間違えたのだろうか。いや、違う──! 背後から斬りかかったブライヴの大剣を、剣士が振り返りざまに受ける。普通ならば、直剣の側が力負けする場面。下手をすれば折れるかもしれない。だが、Saki が見たのはブライヴの巨体が跳ね飛ばされる様だった。
何が起きたのかわからなかった。Saki への攻撃を止めるために『狼の襲撃』で斬りかかったのだが、それをこいつはあの細い直剣で弾き返したというのか? 反射的に後方へ跳ぶが、着地でふらついてしまう。頭を振って平衡感覚の乱れを落ち着かせる。Saki が投げた『雷の槍』が敵の追撃を阻止するのが見えた。保護対象に助けられていては世話がない。しかし、あの剣の異常な防御性能は何だ? 混乱するブライヴに、Saki が叫ぶ。
「ブライヴさん、これ『魔力の盾』です!」
一瞬遅れて理解が追いつく。そうか、だから今も Saki の雷槍を受けて平然としていたのか。一振の直剣で攻撃と防御の両面をこなす機転──敵ながら見事な戦術。そして、戦闘は再び膠着状態に陥った。二対一という優位にありながら、こちらの攻め手は的確に潰されていく。こんなことをしている時間はないのだが──。
「待たせたな。ご苦労だった。」
書院の入口の方向から Saki が歩いてきた。──いや、Saki は自分とおよそ60度の角度をなして敵と対峙している。ということはあれは──あれが人形か。
「それ」を見た瞬間、鳥肌が立った。自分と同じ顔をした人間がそこに立っている。勿論、ブライヴから経緯は聞いていたのだから、心の準備はできていたはず。だが、いざ相対したときの嫌悪感は予想を上回って強い。
「見ればわかるだろうが、目的は果たした。引き上げるとしよう。」
剣士に掛けたその声は Saki のそれとは異なる、より低いものだった。
「待ちなさい。私と同じその顔でうろつかれるの、迷惑なんですけど。」
動揺を押し殺して、言葉を放つ。人形はそれを聞いて初めて気付いたといった様子でこちらを見た。
「おや──この身体にはモデルがいたのか。あの男、余程に想像力がないのか、あるいは相当の変態か。」
「こっちの話聞いてる?」
人形は顎に手を当てて小さく頷いた後、穏やかな口調で続ける。
「そちらの言い分も分からぬではない。だが、こちらもようやく手に入れた身体を取り上げられるのは困る。そこで、だ。」
人形は左手で自らの髪をまとめて掴むと、右手の杖に発生させた魔力の刃でこれを断ち切った。空中に放り投げられた白金の髪束は風に吹き流され、煌めきながら辺りへ散る。
「これで手打ちということにしてくれないか。おまえに成り済ますようなことはしないと約束しよう。──輝石頭を被ってしまえば、顔など見えなくなるのだしな。」
それから、足元に傅く黒鎧の剣士の肩に手を乗せて告げる。
「良い敵手に巡り合えたようだな。その気があるなら、名乗りを上げていくとよい。」
その言葉を受けて男は立ち上がり、ブライヴをまっすぐに見据えた。
「カタリナ騎士 Siegnacht だ。狼の戦士よ、再び師の道を妨げるならば容赦はせぬ。」
「飼い主のお許しがなきゃ名前も言えない犬コロの口上にしては上出来だ。」
今にも互いに斬り掛かりそうな殺気を割って、人形が朗らかに言い放つ。
「では、去ぬるとしようか。」
「待ちなさい。まだ、あなたの名前を聞いてない。──私は、Saki of Astora という。忘れてもらっても構わないけど。」
ブライヴへ視線を投げる。彼は名乗るだろうか。
「ブライヴだ。既に口を滑らせてしまっているからもう隠すことでもないが、ラニに仕えている。」
人形が再び杖をかざした。足元の地面に青い光の輪が広がっていく。
「私は魔術師セレン。それとも『塊の魔女』といった方が通りが良いかな? ──では、ごきげんよう。」
言い終わると同時に二人の姿は輪の中にぽっかりと空いた暗黒に飲み込まれて消え去った。
幸いにして、ミリアムは無事だった。彼女が語ったところによれば、最初こそセレンを書院から追い出そうと攻撃を仕掛けたものの、相手の魔術があまりにも強力だったために隠れてやり過ごしたのだという。
「人形だと気付いて狙いが読めた。実際、神授塔の方に行く気配も見せなかったし、まあ "糸" はくれてやればいいと思ったのさ。」
「何ですか、"糸" って?」
Saki の問いに、ミリアムは既に傍らに用意していた箱を開く。中には淡い青緑色の糸束。直径は0.5ミリメートルほどだろうか。
「『ふんわり綿』を繰って作った糸に、『輝石ホタル』から採れる染料を染み込ませたものだ。まあ、他にも細かい工夫はあるのだが、それは秘密とさせてもらおうか。」
「これがいったい何だって言うんだ?」
首を傾げるブライヴに、ミリアムが察しの悪い奴だと言わんばかりの目を向ける。
「この糸は魔力を効率良く伝達する。損失は1メートルあたり0.3パーセメント以下。これを人形に組み込めば、従来とは比較にならないほど繊細な制御ができる。あの人形、喋っていただろう? それはこの糸を体内に入れることで可能になったんだ。」
そこで彼は思い出す。スリーシスターズで会ったとき、セレンは口をきかず仕草だけで応じてみせた。その理由がこれか。
「ここだけの話、ラニ様のお身体にもこの糸が使われている。反対に人形兵たちには使っていない。動作性が上がりすぎるのも考えものだからだ。補修の用途で局所的に用いることはあるが。」
「セルブスさんは、この糸を知らなかったんでしょうか? 知っていたら、最初から組み込んでいますよね?」
ミリアムは少し考える仕草を見せてから、ゆっくりと話し始めた。
「或いは知らぬ振りをしていたのかもしれん。あの男から人形作成について相談を受けた際、私は敢えてこの糸について教えなかった。知っての通り、あれは大変に捻じ曲がった性根の持ち主だ。」
彼女の視線を受けて、ブライヴが大きく頷く。この嫌われ方は本物だな、と Saki は思った。
「高性能な人形を作る術を授けたとして、それで何をやらかすか分かったものではないからな。実際、傀儡と同じ程度の性能が出せることが分かると、あいつはそれで満足した様子を見せて引き上げていった。だが、セレンは人形に入ってすぐにここへ来ている。それはつまり、セルブスから申し送りのようなものがあったからではないか。」
「なるほどな。──さて、これからどうするか。」
一件落着とはとても言えない状況だが、これ以上打てる手もない。
「とりあえず、一度ラニさんに会わせて貰えませんか。それくらいの要求をする権利はありますよね?」
「無論だ。実はラニからも一段落ついたらおまえを連れて来いと言われている。」
ラニ様にくれぐれもよろしく伝えてくれというミリアムに見送られ、二人は書院を後にした。
魔術師塔を訪れた Saki を見たラニの顔にはかすかな驚きの色が滲んでいた。ブライヴからすると Saki とあの人形は生き写しと思えるのだが、ラニに言わせると「あまり似ていない」そうだ。
「この度は部下がいたく迷惑を掛けた。まこと申し訳ない。」
一介の褪せ人に深謝する主の傍ら、ブライヴも慌てて頭を下げる。
「そして、事態は未だ完全な解決を見てはいない。こちらにできることがあれば、遠慮せず言ってほしい。」
およそ彼女らしからぬ殊勝な様子で申し出るラニに向かい、Saki は首を横に振る。
「いいんです。別に文句を言いに来たわけじゃありません。──ただ、ブライヴさんが仕える半神がどのような方なのか、お会いしてみたくて。それに、Ramo さんの話では、さっぱり要領を得ないものですから。」
そう言って微笑む Saki につられたかのように、ラニの頬も緩む。いや、緩んだように見えた。それからの二人は、他愛もない話に始終した。Ramo への寸評交換に始まり、王都滞在の感想、ラニが着ている『雪魔女のローブ』と Saki が以前着ていた『ラズリのローブ』の比較、等々。部屋の隅に所在なさげに控えていたブライヴは、これに気付いたラニからイジーにも顛末を伝えてやれと言いつけられて、ようやくその場を逃れることができた。
「塊の魔女──私の古い知人が追う仇。長らく姿を隠していたが、星が動き出したこの間合いに動き出すとは。」
イジーが語ったところによれば、セレンは非常に危険な魔術師であり、かつて学院に属する多くの魔術師を手に掛けたのだという。あの場で戦いにならなかったのは幸運だったと言えるだろう。それはそれとして──。
「今回の件、ひとつ気になっていることがあるんだ。」
鏡兜に隠された顔が、ゆっくりとした動作でこちらへ向けられた。聞く気はあるようだ。
「俺個人は、Saki と知らぬ仲ではないし、借りもある。だから、仮にラニに命じられなかったとしても、Saki を保護しに行っただろう。」
「如何にも、お主らしい判断だ。」
遥か崖の上に建つ魔術師塔を見上げ、ブライヴは続ける。
「だが、ラニには Saki との繋がりはないはずだろう? いつものあいつなら我関せず、俺たちにも捨て置けと言いそうなところだ。それなのに、今回は率先して事態の収拾を図っていた。いったいどんな事情が?」
その問いに、イジーはふむと小さく呻いてみ褪せた。考え込んでいるわけではない。あまり言いたくないことなのだ。長い付き合いを経て、彼の微妙な仕草が読み取れるようになっていた。もっとも、それは向こうも同じかもしれない。
「ラニ様は余程にあの男──Ramo とやらの不興を買いたくないのだろう。何故に聡明なる我が君が一介の、それも不遜極まりない褪せ人如きを気に掛けるかは、私の理解の及ばぬところではあるが。」
ああ、そうかとブライヴは得心する。ラニから捜索を命じられていたノクローンの秘宝『指殺しの刃』。それが Ramo の手で献じられてしまったことで、ブライヴの面目は著しく損なわれた──とイジーは考えているようだ。しかし、捜索はだいぶ前から手詰まりとなっていた。セルブスに教えを乞うのと、ラニに達成の見通しがないことを報告するのとではどちらがましか──そんなことを考え煩悶していたところだったので、発見の報に接しては安堵したというのが正直なところだ。そして、その Ramo という男は──剣の腕が立ち、気性は実直で裏表がない。
「その辺は俺にもよく分らんが、まあ、気に入ったんじゃないのか。いずれ神となる身なら伴侶も必要になるだろう。今から見繕っておいても──」
そこまで言ったところで、彼はイジーの肩が細かく震えていることに気が付いた。これはマズい。
「そ、それじゃあ、俺は城館周辺の見回りをしてくるよ。」
そそくさと立ち去るブライヴ。その背後で力任せに鎚を叩きつけられた金床の悲鳴が響いた。
「明日一日、その三つ編みを左右に分けて過ごしてみるといい。面白いものが見れるぞ。」
別れ際にラニから言われた通りの髪型で茶に赴くと、モーゴットは明らかな狼狽を示した。何故か Saki と目を合わせようとしない。だが、街並みを眺めるなどしている間、彼がこちらを注視しているのが感じられた。いったい何だというのだろうか。不思議ではあるが、しかし直接理由を尋ねるのは躊躇われる。これ以上混乱させるのも可哀相に思えたので、その日は茶のお替りをせず、早々に立ち去った。割り当てられた居室へ戻り、元の髪型に戻そう。そう考えて小走りになった Saki だったが、階段を降りて広場へと抜けたところで足を止めた。一体の石像を見上げ、心底悔しそうな声で呟く。
「──やられた。なんで気付かなかったんだ、私。ああ、もう、バカバカ!」
自分の頭をポカポカと叩く女を、通り過ぎる兵たちは怪訝そうに見つめていた。
「幾ら考えても分からんので教えてほしい。Saki のお下げが二本になると、なんで面白いことになるんだ?」
不可解極まりないといった様子で問うブライヴを、ラニは優しく見遣る。ひょっとしたら、一晩中それを考えていたのかもしれない。Saki 本人はもう気付いただろうか。現場に居合わせられないのが悔しく思えた。
「分からんか? ──いや、まあ、そうだな。本人と直に会ったことのある者でなければピンと来ぬやもしれぬ。」
「勿体ぶってないで、早いところ答え合わせを願いたいな。」
この義弟にしか判らぬ笑顔を湛えて、ラニは言葉を継ぐ。
「似ているのだよ。母から最愛の存在を奪ったあの女に。そして、あいつにとっては未だ慕って止まぬあの女に。──可愛い義妹からの贈り物、喜んでもらえるといいのだが。」
彼方にそびえる黄金樹に向けて、魔女はその目を細めた。