褪せ人 Ramo と Saki の物語   作:Skinny Slaver

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エオニアの沼に、通りがかる者を無差別に襲う辻斬が現れたという。Qeero からの手紙を受け取ったRamo は、討伐のためケイリッドへと赴く。

葦の地コンビ再び。



褪せ人 Ramo と流水の剣

冷たく澄んだ空気に満たされた王都ローデイルの朝。季節の変化に乏しいアルター高原にも、冬の気配は着実に近づいてきている。未だ明けきらぬ暗い通りにはしかし、早くも仕事に取り掛からんとする人々の姿があった。壁外の畑へ向かう農夫、窯に火を入れるパン焼き、哨戒の任を終え宿舎へと戻る兵たち。──そして、霞の底で目覚めつつある街並みを見下ろす王宮の露台には、佇む二つの影。

 

「では、モーグがミケラを拐かしたのは自らの意思によるものではなかった、と?」

Ramo から「血の王朝」の顛末を聞いたモーゴットは、低く呻くようにそう訊ねた。

「命ぜられてか、操られてか。若もしくは相手との間に何らかの利害の一致を見たとも。しかし、いずれにせよ貴殿の弟君が件の謀略を主導していたようには見えなかった。」

「いったい誰が──そのようなことを。」

ローブの袖に隠れてはいるが、腕の強張りから拳が握り締められていることが伺えた。無理もない──と Ramo は思う。自らの弟を操り凶行へと駆り立てた存在が示唆されたのだ。その究明に至らなかった自分に対しても思うところはあるだろう。だが、この黄金の都を統べる王は、その諸々の情動を飲み込んで見事に抑制してみせた。短い間を挟んで問いを継ぐ。

「それだけのことを為し得るとれば、やはり半神デミゴッドに限られるだろうか。」

妥当な推測である。だが、狭間の地において知られる半神は、モーゴット自身と当事者たるモーグとミケラを除けばゴッドウィン、ラダーン、ライカード、ラニ、マレニア、そしてゴドリックの他にはおらず、そのいずれもが候補たり得ない。となれば、考えられるのは「大いなる意思」の仕掛けか。しかし Ramo の胸中には、無視できぬ重みを伴って佇む今一つの可能性があった。

「我ながら突拍子もない話に感ずるが、或いはミケラがその首謀者であったのではないかと。」

モーゴットの動きが止まる。ミケラ? だが彼は──。数秒の後、その言の意味するところを理解した王は目を見開いた。

「自らを攫うように仕向けた、と? 愛を強いるという力を用いて。」

未だ半疑の様子を見せるモーゴットに、Ramo は静かに頷く。ただ、そう考えれば筋道が通るというだけのこと。確証はない。だが不思議と、真相はそれ以外にないという気がするのだった。

 

 

モーゴットの許を辞した Ramo は回廊を抜けて翼棟へ向かう。この建物には食堂があり、朝餉を求める人々たちが宮殿の方々から集まってきていた。炊かれた野菜の香りに久方振りの空腹を覚えたが、ここは使用人たちのための施設であり部外者は原則利用できない。大通りへ出て、朝市で何か腹に入れよう。そんなことを考えながら、食物の匂いを気にせぬよう努めて歩く彼の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「Ramo さん、こっちこっち!」

驚いて顔を上げると、こちらに向けて手を振る女性──Saki of Astora の白い上掛けが目に留まる。長卓の向かいには Vienna の姿もあった。二人の前には、湯気を立てる器。ここで城の者たちに混じって食事をしていたようだ。どう応じたものか迷ったが、呼ばれた以上は仕方なしと思い切り、Ramo は大勢が集まる一角へと向かう。

「二人とも、お早くより。」

使用人たちの好奇の視線を感じながら挨拶を交わす。椅子の端に掛けていた Saki が少し奥へと移動して椅子に余裕を作り、そこをぽんぽんと叩いた。ここに座れということらしい。通常の半分強の幅しかないため、まともに座ると肩が触れ合うことになる。天板に尻の片側だけを載せて遠慮がちに腰掛けた Ramo だったが、Saki はその腕をぐいと引いて彼を自分の方へと寄せた。

「ええと──Saki 殿はあれからずっとこちらへ?」

思わぬ展開に驚きながらも、とりあえずは現状の把握と己に言い聞かせる。Ramo は過日、黄金樹の調査を要請された Vienna の護衛としてリムグレイブからここローデイルへとやってきた。そこで「血の指」たちからの襲撃を受け、偶然に居合わせた Saki と協力してこれを撃退。その流れで Saki も王宮へ立ち入る運びとなり、本来の賓客であった二人とモーゴットに謁見したのだった。別件を控えていた Ramo はすぐにローデイルを離れたのだが、王宮に用向きのない Saki もほどなく立ち去ったのだろう──と考えていたのだが。

「モーゴットさんからしばらく滞在していけって言われちゃって。途中でケネスさんに呼ばれてストームヴィルへ行ったりしましたけど。」

そうこうしているうちに城内の人々とも顔馴染みとなり、今ではこうして食堂を使わせてもらうまでになったのだという。話の途中で女性が湯スープを運んできて Ramo の前に置いていった。彼女が去り際に Saki に向かって片目を瞑ってみせたことから、「Saki の連れ」として饗もてなされているらしいことが察せられた。十日足らずのうちにこれほどまでに打ち解けられるとは、尋常の人当たりではない。己では逆立ちしても及びそうにない Saki の非凡なる才に、Ramo はただ舌を巻くばかりだった。

 

「実は Ramo さんに渡すものがあって、ここで待ってたんです。」

そう言って Saki は袂から四つ折りにされた紙片を取り出した。

「なんと、Qeero さんからのお手紙。ストームヴィルで Ramo さんを探してましたよ。──あ、それ、そのままの状態で渡されたんです。私が封を切ったわけじゃないですからね。」

後段の弁明を他所に、Ramo はまず手紙の経緯に不安を覚えた。Qeero は人の集う場所を苦手とし、円卓にさえ滅多に顔を出すことはない。そんな彼女が工事に従事する大勢の人足とその家族、さらには彼らを相手に稼がんと集まってきた商人たちで賑わうストームヴィルを訪れるというのは余程に切迫してのことではないのか。内容を改めると、そこに認したためられていたのは案の定不穏な内容。手紙を読む Ramo を見つめる Saki は心持ち上体を引き距離を取る意思を示してはいたが、その瑠璃色の瞳には「なんて書いてありました?」という問いがありありと浮かんでいた。

「辻斬りの成敗に助太刀願う──とある。」

「ツジギリ?」

ふと気が付くと、先ほどまで我関せずといった風情でスープを口に運んでいた Vienna も、こちらを注視している。そこで Ramo は「辻斬り」が葦の地固有の言葉であることに思い至った。どう言い換えたものか、と考えつつ補足を試みる。

「エオニアの沼に近付く褪せ人を無差別に襲う侵入者がいるそうだ。獲物は曲剣。」

「うわあ、怖い。──って、Qeero さんが勝てない相手? それ、ものすごく強いってことですよね。それとも相手は複数?」

そう。問題はそこだ。Qeero は比類なき斧槍ハルバードの遣い手である。一対一の戦いで彼女を下せる者など滅多にいるものではない。したがって、敵は相当の手練れであることが予想される。

「明記はされていないが、人数に言及がないことからして単独だと考えるのが自然であろう。」

言いながら、現地までの行程を思い描く。ここからであれば日が沈む前に──いや、ストームヴィルの橋が通れるようになったので、昼過ぎには着けるだろう。

「私も一緒に行っていいですか?」

不意に Saki から投げかけられた問いに、Ramo の思考が一瞬停まる。

「ん? ──ああ、無論支障ない。直ぐの出立となるが構わないだろうか?」

二人連れとなると、途中に祝福のある道を通りたい。そう考えて経路の修正を試みるが、そのすぐに必要はなくなった。

「ごめんなさい。私も別の用事があるんでした。」

 

供された湯を飲み干して席を立つ。寛いでいる暇はない。

「然しからば、これにて御免。」

「気を付けてね。」

僅かに首を傾げて、Vienna が微笑む。これまでの彼女であれば、自分に関わりのない会話からは早々に引き上げていたはずだ。こうして最後まで付き合ってくれたのは、大きな変化と言えるだろう。そんな感慨に浸っていた Ramo の背を Saki が軽く叩いて送り出す。

「Qeero さんによろしく。それから──無理しちゃダメですよ?」

大階段を下って大通り。気が付けば既に太陽は高く、街は活気に満ちていた。そのさざめきを通り過ぎて城門を出た Ramo は一路南へ向かう。目指すは腐敗の地、ケイリッド。

 


 

一歩踏み出すごとに胞子の煙が巻き上げる。目の前に広がるは、見渡す限り朱い腐敗に覆われた大地。

「これら黴かびもまた我ら人と同じ。生命のひとつの在り様ようなのだ。」

Ramo は幼き頃に聞いた、師──彼に読み書きを教えた医家にして住職──の言葉を思い出した。当時はそんなことがあるものかと訝しんだのを覚えている。犬猫といった獣ならばまだ分かる。細部の造りこそ異なれど、眼、耳、口、手足──と、およそ人と共通する構造を備えているからだ。しかし、虫、草木──さらには黴となると似通う箇所など何もない。だから、師の言うことには到底納得がいかなかった。しかし長じて物事を捉える視野──そして思考の枠組みが広がってくると、自ずと世界の見え方は変わる。環境の移ろいへの対応、摂食と排泄の反復、繁殖のための戦略──そうした諸々の共通性に目がいくようになると、今度は反対に、すべての生命が同じ起源を持つことを疑うことの方が難しくなった。

 

朱い腐敗は、大いなる意思とはまた別の「外なる神」の神性によってこの地に齎されたものだという。だが、それを伝えるこの黴は彼が故郷のそれと何ら変わることなく、他の生き物の死骸──ときには弱った生体──に取り付き、そこから糧を得て殖ふえている。推測するに、神であっても無から生命を造り出すことはできないか、或いはそれを為すに大きな困難を伴うのだろう。彼らは現存する生き物の形──師の言葉を借りれば、生命の有り様──を枉げることで新たな種しゅと成し、それを己が眷属としているに過ぎないのではなかろうか。

 

手紙には落ち合う場所についての指定はなかったが、Ramo はまっすぐに馴染みの放浪商人の野営を目指した。手紙の追伸に「そろそろ『火矢』の切れる頃でしょう?」と書かれていたからだ。祝福「腐敗を望む高台」からキレムの廃墟の傍らを抜ける道をたどる。左手に祝福「燻りの壁」を見つつ坂を下って更に先へ。道を外れて沼の方へ進むと、聞き覚えのある旋律が聞こえてきた。放浪商人たちが奏でる弦楽器。愁いを帯びながらも力強く、そして狂おしいその音に導かれるように歩いていく。ほどなく、焚火とその傍に佇む商人と驢馬──そして、近くの岩に姿勢良く腰を下ろして楽の音に耳を傾ける Qeero の姿があった。

 

 

「ようこそお越しくださいました。──いやあ、嬉しいなあ。」

エオニアの沼へと下る坂を歩きながら、Qeero は満面の笑みと共に謝意を表した。型通りの挨拶に留まっていたのは商人の手前故のことだったらしい。野営を離れた途端に彼女の様子は一変し、時折は童のように後ろ歩きをしながら Ramo を先導している。

「窮地に陥ったところをお侍様に助けてもらうってのは、姫様から町娘まで、葦の地の女子おなごなら皆が憧れる筋書きなんよ。」

どう応じたものかと返しに窮していたところで、幸いにして話の向きが転じた。

「ところで Saki ちゃんは? 一緒に来るもんかと思ってたんだけど。」

「何やら別件があるとのこと。Qeero 殿によろしくと言付かった次第。」

それを聞いた Qeero は「ふうん」と呟いて口を斜めにする。何やら含みのある様子だが、こちらから踏み入るのは賢明でない。

「文ふみにあった辻斬りについて詳しくお聞かせ願えるだろうか。」

そう水を向けると、彼女はそこで初めて本題を思い出した、というように眉を寄せて真剣な面持ちになった。

「沼を通りかかる褪せ人のところへ侵入して狼藉を働く奴がいるってのは、手紙に書いた通り。被害者も増えていて、私のところへどうにかならないかという相談が舞い込んできた。それでは、皆のために一肌脱ぎますかってことでケイリッドまでやって来たんだけど──」

ここで一呼吸。武芸に生きる者としては、負けを語ることに抵抗があるのだろう。

「相手は若い娘──そうだね、十六、七といったところかな──だったんだけど、これが滅法強かった。太刀往きの速さと、連撃の激しさが尋常じゃない。一振りの曲剣から繰り出されているとは到底思えないくらい──いや、二刀流でもあれは無理か。」

これが他の者の言であれば多少割り引いて聞くところだが、外ならぬ Qeero がそう語るのであれば額面通りに受け取るのを躊躇う必要はない。斯様に腕の立つ凶手であれば、犠牲者の多さにも得心が行く。

「とにかく、私の斧槍では対処の仕様がない。圧されに圧されて──そう、ちょうどこの辺りまで退がってきたところで、相手は唐突に消え失せた。目的は命を奪うことじゃなくて、沼に人を寄せ付けないことにあるみたいね。」

成程、去る者は追わず──ということか。しかし、急な襲撃を受ければ沼の方面へ逃れようとする者もいるだろう。実際に命を落としている者もいるとなれば捨ておくわけにはいかない。

「一人に対して二人掛かりなんて誉れも何もあったもんじゃないけどさ。そうも言ってられない状況だし。」

そう言って Qeero は唇を噛む。己の及ばなさを思い知らされる口惜しさはよく理解できた。

「いや、貴公の判断は正しい。これは勝負に非ず。罪なき者に害為す獣の討伐なれば、手管に誉れを求めるは詮無きことであろう。」

その言に接して表情が僅かに和らげた佳人はしかし、すぐにその眼差しを鋭く変じて前方に向ける。

「噂をすれば影が立つ。早速のお出ましだ。」

身を貫く重苦しい振動。侵入者の出現を捉える褪せ人特有の感覚に、Ramo もすかさず応戦の姿勢を取った。

 

 

敵影は沼の方から現れた。朱く濁った水を跳ね上げながら、脇目も振らずにこちらへと向かってきている。

「容易な相手でないことは承知の上で──まずは差しで立ち会わせてはもらえぬだろうか。」

その Ramo の問いに、Qeero は「呆れた」といった表情でぐるりと目を回した。

「言うと思った。どうぞご随意に。──でも、危ないと思ったらすぐ加勢に入るからね。」

「その際は、是非に。」

構えた斧槍を下ろして岸辺から退がる Qeero を残し、既に近くなった標的に視界の中で切っ先を当てる。まずは相手の太刀筋を確かめたい。どう来るか──腰を落とし、どのような動きにも即応できるよう構えを取ったところへ、敵は低い姿勢で飛び込んできた。そして一閃。下方から掬うように振られた『シャムシール』が、此方の鎬に跳ね返ってなお勢いを落とすことなく弧を描き再び左から走り来る。さらに角度を付けてこれを弾き、真上に逸らす。二度までも防がれたことに驚いたか、敵は跳び退って距離を空けた。動きが止まったことで、ようやく敵の表情が見えるようになる。こちらが投げかける視線に鋭い睨みを返すは、Qeero が言った通りの年端も行かぬ少女。痩せぎすで、赤い髪を後ろに束ねている。猫を思わせる金色の瞳には微かだが祝福の光が見えた。褪せ人ではないようだ。

「何故、我らを襲うのか。故あるならば、聞く用意はあるが。」

一縷の望みを託して問いかけるが、予期に違わず返答はない。やはり、討つしかないのか。精神体であるために、斬り伏せても命まで奪うには至らないのは幸いと言えた。問題は──今しがた確かめた通り、相手の力量が並みではないことだ。

 

あの攻撃を防いだ──? 目の前で繰り広げられた刹那の剣戟に Qeero は息を呑む。尋常ならざる速度の対手の打ち込みを、初撃はともかく、そこから瞬く間もなく飛び来た返しまでをも Ramo は精確に弾き返してみせた。優れた視力の為せる業か。──違う。例え目で捉えられたとしても、身体の反応が間に合わない。「見えた」ときにはもう遅いのだ。ではどうやって──と自問するが、考えはまとまらない。──もしからしたら自分は、とんでもない男に助太刀を頼んでしまったのかもしれない。驚きと緊張の余りか、意に反して口の端が持ち上がる。理解を超える光景を前にして、人は笑うことしかできぬものだ──と言ったのは誰だったか。

 

息も吐つかせぬ斬撃の嵐。Ramo はその閃きのひとつひとつを往なし、あるいは躱しながら敵との距離を詰めにかかる。しかし敵も然る者、刃を弾かれることを前提において、返しを垂直に近い振り下ろしか斬り上げに限ってきていた。こうなると必然、弾いた刃は横へ流れ、そこからの立て直しは早い。先頃得た殺気を "視る" 感覚で相手の太刀筋は事前に知れるため、この怒涛の連撃も捌くのは相当の集中力を要するが不可能ではない。しかし、その合間を突いて一撃を入れるとなると、これは難題だった。撃ち合う鋼の音と共に散る火花が空を焦がす。いずれ機は巡ってくるだろうが、それは未だ先のこと。目下の課題は──それまでの間一手たりとも違えることなくこの連撃を凌ぎ切ることだ。

 

左、上、弾いて右、再度右──少女の剣は片時も留まることなく Ramo を責め立てた。跳ね上げを半身で交わした直後には、既に左へと回り込んだ刃が飛び込んでくる。一寸を誤れば膾に刻まれる──その境界を掠め、細い活路へと己の身を捻じ込んでいく。そこへ、やや甘く振り出された右からの袈裟懸け。これを力を込めて弾き飛ばす。連撃の調子を狂わせることができれば、或いは──。その計は図に中り、敵は後ろへと飛び退った。さあ来い──と Ramo は眼で訴える。最小の動きで守りに徹している自分に対し、責め立て続けているそちらは息が続かぬはず。奥の手を繰り出すならば、今を措いて他はない。その誘いが効いたのか、相手は左肩の前にシャムシールを掲げ、ふわりと跳躍した。不自然なほどゆっくりとした動き。次の瞬間、Ramo は彼女を中心として幾重にも連なって開く、大輪の花の如き剣閃を見た。

「──っ!?」

予想外の事態に、動き出しが僅かに遅れる。殺意の軌跡──その密度の低い箇所に向かって飛び込むが、乱れ飛ぶ刃は逃れ損ねた左足に食い込んだ。転がって前へと跳ねる。腐敗に満ちた沼の水が全身を浸すが、頓着している暇はない。今見た敵の技を分析する。目にも止まらぬ神速の連撃であった。だが、あれほどまでに振り回す必要はあったのか。"視え" ていた軌道のうち、こちらを捉えていたものは僅か三つか四つ。──いや、そうではない。あれは、"振り回さざるを得なかった" のだ。すべての斬撃は右から来ていたことが、それを裏付けている──。背後で少女が再び宙に身を躍らせた。あの技をもう一度放つためだ。足首の傷は深く、走ることはおろか、もはや跳ぶことさえままならない。視界の隅には、斧槍を掲げてこちらへ駆け来る戦姫の姿。なんということだ。すべてが嚙み合っていない。

「Qeero 殿! 今暫く!」

割れ鐘の如き音声おんじょうで吠えると同時に、Ramo は『打刀』を殺気の軌道へ向けて突き出した。──来る方向さえ分かっていれば、石火の一打さえも止めてみせよう。

 

衝突音が空を裂く。シャムシールはその刃を打刀の鍔に食い込ませて静止。すぐ近くまで迫っていた少女の顔は、驚愕の表情のまま固まっていた。左の掌で曲刀を押さえつけて動きを封じる。同時に、右手で縁頭を相手の鳩尾に叩き込んだ。

「くっ──が!」

声にならぬ喘ぎと共に、侵入者の膝が水面に落ちる。彼女の手は既に得物を握ってはいなかった。──さて、これで話ができるようになったであろうか。そう思って少女の傍らに屈みこんだ Ramo だったが、彼女の身体が赤黒い光の粒を放っていることに気付き、思わず声を上げる。

「それほど強く打っては──おらぬはず。」

「待って、今消えてもらっちゃ困るよ!」

慌てて駆け寄ってきた Qeero の訴えも虚しく侵入者の身体は崩れ、沼が放つ瘴気の中へ霧散していった。

 


 

二人はすぐに岸辺へと引き上げてきた。Ramo は聖杯瓶で足の傷を癒す。その身を冒しつつあった腐敗の毒は、Qeero が差し出した『苔薬』を噛むことで中和された。

「これで彼女も当分は侵入できないはず。でも──」

精神体の消滅は、肉体へもある程度の痛手をもたらす。しかしそれは一時のこと。しばらく経って復調すれば、再びの侵入が可能となる。先の勝利は本件に関して根本的な解決にはなっていない。

「加減したつもりであったが──誠に、面目もなし。」

「いや、あれはどう見ても致命傷じゃなかったよ。なんであんなことになったんだろう。」

消沈する二人だったが、すぐに近づいてくる何者かの気配を察して同時に顔を上げた。そこに立っていたのは先程戦った相手と同じ年頃の娘。装束も似通ってはいるが、明らかに別人だった。

「何か──ご用かしら?」

警戒しつつ尋ねた Qeero に、彼女は空の両手を見せながら答える。

「敵ではない。名は、ポリアンナ。──あなた方が先程倒した侵入者、ミリセントの妹だ。」

申告の通り敵意は感じられないが、それでもあれの縁者と言われれば二人の身体は反射的に強張った。

「姉は沼に近付く者に対して無差別に襲い掛かっていた。身内である私に対しても同じように。だから、彼女を撃退できる人が訪れるのを待っていた。」

信じてよいものか──と思案顔で見合う Ramo と Qeero にポリアンナは続ける。

「頼みたいことがある。尾いてきてもらえないだろうか。」

彼女の言が事実であろうがそうでなかろうが、二人には頼みを聞く義理などない。しかし、共に極度の "お人好し" である彼らに、頼り来る者を話も聞かずに捨ておくことなど出来ようはずもなかった。

 

導かれた先は、沼の中央にある、砂が堆積してできた小島だった。周囲に打ち捨てられた無数の武器と具足が、ここがかつて二柱の半神──「最強」のラダーンと「不敗」のマレニア──が相討った戦場であるという史事を証している。三人は島へ上がり、周囲よりも小高くなった場所に横たわる "骸" の前へとやってきた。軍旗を手に前のめりに斃れるその人物は、おそらくは名のある将だったのであろう。その肉体はとうに腐敗によって土へと還り、黴が蝕さぬ金属と鞣革からなる甲冑だけが彼の姿を現在に留めている。ポリアンナはその前に屈み、地面から何かを拾い上げた。

「それは──何?」

問いに応え、ポリアンナはそれを Qeero の掌の上に置いた。微細な彫刻の施された黄金の針。だがそれは中ほどで折れ、二つの部分に分かれていた。

「姉に邪魔されて、今までこれを取りに来ることができなかった。これを、この先──『魔術街サリア』の手前にあるボロ家へと持って行ってほしい。そこの住む男にこの針を見せれば、修復してもらえるはず。」

言っていることは分かるが、不可解なことが多い。どこから質したものか──などと考えているうちに、Qeero が訊ねにかかる。

「どうして自分で持っていかないの? そして、この針は何に使うもの?」

ポリアンナは短く考える素振りを見せたが、すぐに明瞭な回答を示した。

「ゴーリーという名のその男は私の養父なのだが、訳あって今は顔を合わせたくない。そしてこの針は──彼も説明してくれるだろうが、腐敗の病を抑える道具だ。針が直った後は、彼の指示に従ってほしい。」

立ち去る前、Ramo は宿将の手甲が握っていた軍旗を取って地面に立てた。古戦場に翻る真紅の布。名も知らぬ戦人の墓標に向かい、手を合わせて瞑目する。いつの間にか彼の隣へと進み出ていた Qeero もそれに倣った。傍らに立つポリアンナは「それは何か」とこそ問わなかったが、礼拝する二人を訝し気に眺めている。葦の地の風習であるこの所作は、知らぬ者の目には奇妙に映るかもしれない。西に傾き始めた陽の中、旗の表に縫い取られた金糸の獅子だけが朽ちて失われた戦場の栄光を高らかに謳い上げていた。

 

 

二人は対岸へと上がり、さらに北に位置する魔術街サリアを目指す。道中 Ramo は『霊馬の指笛』で呼び出したトレントの背に Qeero を乗せ、自らは轡を引いて腐敗の泥濘を歩いてきた。本当にお人好しですこと──自らを棚に上げ、Qeero は小さく嘆息する。ポリアンナが話した通りボロ家にはゴーリーという人物がおり、直ちに金の針の修復に取り掛かった。

「いかによくできた針でも、折れたままでは役には立たんでしょう。少しだけ時間を頂けますかな。」

なんとも胡散臭い話し方をする男だったが、それに障りがあるわけでもない。半刻ほどで仕上がるというので、二人は外に出て待つことにした。

 

ボロ家を離れるなり、Qeero は Ramo の腕を掴んで彼を揺さぶった。

「ねえ、いつの間にあんな人間離れした動きができるようになったの? Qeero さん、すっごく興味あるなあ。」

尋問の強引さに目を白黒させつつも、あの "能力" を知己の前で駆使したのは初めてであったと気付く。確かに、事情を知らぬ者が見たならばその不可解さに面食らうことだろう。だが彼自身、あの感覚については殆ど何も分かっていないというのが実際のところだった。抑々、「五感」と言われるものでさえ、それは何かと改めて問われれば誰もが説明に窮するのではないか。頭の一方でそんな埒のないことを考えながらも、Qeero の勢いが彼に自らの所感を言葉として紡がせた。

「──成程、殺気ねえ。自身が一方的に感じ取るものだと思ってたけど、本当に対手から放たれてるものだったんだ。」

「立場を転じて考えれば、自らもまたそうした何やらを放っているということになり申そ──」

眼前に光の筋。それに応じて Ramo が身を屈めるのに一瞬遅れて、Qeero の脚がその上を掠めていく。

「すごい。本当にわかるんだ。」

不意打ちの蹴りを躱され、Qeero は驚愕の表情を浮かべた。乱れた裾を整える彼女に背を向け、Ramo は強く頭を振る。だが、目に焼き付いた素肌の白さはそう簡単には消えそうになかった。

 

「修復は終わりました。これをあの娘、ミリセントに渡してあげてくれませんか。」

ゴーリーが差し出した無垢金の針は、何処で折れていたか分らぬほど完璧に接がれていた。しかし、二人を驚かせたのはその技巧ではない。ミリセント──それは、先ほど彼らを襲った凶手の名だ。

「おや、既にご存じでしたかな。崖上の教会に臥せる、あの娘を。──ならば話は早い。この針は、彼女を蝕む腐れの病を抑えるでしょう。」

曖昧に言葉を濁し、Ramo と Qeero はボロ家を後にする。

「色々と腑に落ちない。あの辻斬りがミリセントで、その妹がポリアンナさん。そんで、彼女の養父がゴーリーさんでしょ。ということはミリセント──さんも、ゴーリーさんの養女ってこと?」

「そういうことになろう。」

家族であるが、互いに避け合っているように思える。無論、身近な相手故に生じる軋轢というものは珍しくもないが。

「年頃になった娘が父に反発して家に寄り付かなくなる──なんて、よくある話か。ともあれ、乗りかかった舟。最後まで面倒見てあげましょう。」

以前聞いた話によれば、Qeero の父は彼女が生まれる前に没している。故に自らは実感がないだろうが、身近にそのような例があったということだろうか。そんな想像をしたのも束の間。魔術街の背後に聳える崖を見上る彼女の前に膝を折り、Ramo は只一言のみを返す。

「──御意。」

 

 

サリアの魔術師たちも、その先の道に待ち伏せる「死に生きる者」たちも熟達の戦士たる二人の前には何ほどの障害ともならなかった。特に Qeero は辻斬りと戦う心算でここケイリッドへ赴いたものの、Ramo が単騎でこれを破ってしまったために力が有り余っている様子である。彼女の斧槍が振るわれるたび、行く手を阻む敵は地に倒れ伏していく。

「あ、あれだね。ゴーリーさんが言ってた教会ってのは。」

不吉にうねる朱色の雲の下、半ば崩れた屋根のない建造物が見えてきた。

「彼の言葉通り、あそこに辻斬りの本体──ミリセントが居るならば、迂闊に近づくことはできぬ。Qeero 殿はここにて待たれよ。」

「私、また待機? ──まあ、仕方ないか。危なくなったら、すぐに呼んでね。」

彼女の言葉を背に、教会の内部へと踏み込む。左手は既に鯉口を切っていた。薄暗がりの中、奥の方から断続的に音が聞こえてくる。これは──呼吸か? 警戒しつつ音の来る方へ進んでいくと、蠟燭の仄かな明かりが目に飛び込んできた。その光に映し出されたのは、壁に凭れて項垂れる少女。苦し気に喘ぐその様を目にした Ramo は、急いで彼女に駆け寄った。髪を結わえていないために若干印象が異なるが、その顔立ちと金色の瞳は、紛れもなく先程切り結んだ相手と同じものだった。

「──ミリセント殿、だな?」

少女が顔を上げ、Ramo を見上げた。病み疲れた目が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

「──貴方は? いや、誰であれ、すぐに私から離れた方がよい。私の身体の内には、朱い腐敗が蠢いている。」

息の間から切れ切れに押し出される声の弱々しさ。ふと見ると、気付くと、彼女には右腕がなかった。──どういうことだ? 先程戦った相手とは別人なのか? Ramo の困惑を他所に、ミリセントは言葉を継ぐ。

「これは呪い。人が触れるべきものではないんだ。」

そう語る彼女の身の震えは、事態が急を要することを示していた。

「少し、待たれよ。」

Ramo は取って返し、入り口で針を持って待つ Qeero を招き入れた。

 

無垢金の針についての説明を聞いたミリセントはしかし、ポリアンナそしてゴーリーの名に覚えがないと言う。

「腐れ病は記憶を壊すとも言われている。養父ちちも妹も、きっと心から案じてくれているのだろうに。私はそんな彼らを忘れてしまっているのか。──情けないことだ。」

針を託した人物を知らぬとなれば、その効能など信じられるはずもない。だが意外にも、彼女は針をその身に入れることを受け容れた。

「あなたたちを信じよう。このまま、ただ腐っていくよりは......。」

それほどまでに、抜き差しならぬ状況ということか。震える手で針を受け取ったミリセントは、胸元を緩める手を止め、Ramo を見上げる。

「すまないが......少し、後ろを向いていてくれないか。」

「これは、気が回らず失礼した。事が済むまで外で待つとしよう。」

ここは任せてと頷く Qeero に場を託し、Ramo は礼拝堂を抜けて闇の中へと姿を消した。

 


 

薪の爆ぜる音。火の粉が夜空に吸い込まれていく様を見上げながら、Qeero は深く息を吐いた。

「とりあえずはこれで一件落着かな。針を刺した彼女がそのまま、すうっと倒れるのを見たときは本当に焦ったけど。」

ミリセントは土の上に敷かれた Ramo のサーコートの上に背を丸めて横たわり、静かに寝息を立てている。驚いたことに、常に喉を締め付けられていたようなあの喘ぎはすっかり鳴りを潜めていた。彼女はどれほど長く、安らいで眠ることのできぬ日々を過ごしてきたのだろう。

「本当に効いたのだな、あの針が。」

Ramo 自身は、件の針が腐敗の病を抑え込めるなどとは信じていなかった。不治の病に冒された身内を持つ悲しみ──ただそれを癒すためだけの方便なのではないかと。しかし、結果はこの通り。狭間の地は、余所者には考えも及ばぬ理によって動いているようだ。

「で、これからどうしようか? ミリセントさんが目を覚ました後のこと。」

そうだな──と Ramo は考える。

「ゴーリー殿の言葉が真であれば、病は "治った" のではなく、針によって "抑えられている" に過ぎない。だとすれば、本人の復調後も身から漏れ出す腐敗の毒は周囲に影響するだろう。」

「そうなると、リムグレイブに連れて行って医者に──ってのは難しいね。」

指先でミリセントの額を撫でながら、Qeero は Ramo に向かって目を細める。そんなことを言いつつも、自分のコートは寝床として差し出してしまうのだから、本当にこの男は──。

「ところで、Ramo さんも今日は疲れたでしょう? 火──とミリセントさんは私が見てるから、少し寝ておいたら?」

指摘された途端、それまで自覚していなかった疲労が急に襲い掛かってきた。今日だけのことではない。最後にまともな睡眠をとったのはいつだったか。少なくとも、血の王朝から戻ってからは寝ていない。事に依ると古遺跡断崖に──。一度ぐらりと頭を揺らした後、Ramo は項垂れて動かなくなった。

 

 

目を覚ましたとき、既にミリセントの姿はなかった。

「病み上がりで無理するなって止めたんだけど。自分の宿命を思い出した──とかなんとか言って、結局行っちゃったのよ。」

何故起こしてくれなかったのか──と思ったが、余程に深く眠りこけていたのだろうと思い直す。とにかく頭が重い。褪せ人とはいえ、長期間眠らずにいることはやはり害となるようだ。Qeero が淹れてくれた茶を啜って、ようやく意識がはっきりとしてきた。

「それで、彼女は何処へ行くと?」

「北へ──とだけ。呼ばれている気がするんだってさ。」

ケイリッドの北は内海に面しているため直進することはできない。西のリムグレイブへ出てそこから北へ向かえばリエーニエ、アルター高原──その先には何があっただろうか。

「とりあえず、ゴーリーさんのところへ報告に行かない?」

Qeero の提案で二人は来た道を逆にたどって魔術街サリアへ。連なる青屋根が太陽の光に輝いている。

「しかし、養父殿にはどう説明したものだろうか。」

「 ミリセントちゃんは元気になって遊びに行っちゃいました、でいいんじゃない? 針を届けた後のことまでは、責任持てないよ。」

 

「あの針を、ミリセントに渡して頂けたのですね。」

意外にもゴーリーは、養女むすめが教会どころかケイリッドを出ていったことを聞いてもまったく動じなかった。

「あの娘は旅立ったのです。自分の運命に、正しく向き合うために。」

すべてはこの男の目論見通り、ということらしい。それはともかく、Ramo は彼に訊ねたいことがあった。

「ゴーリー殿、差し支えなくば教えて頂きたい。あの針はいったいどのような代物なのか。」

「それ、私も知りたい。」

二人の褪せ人に見据えられたゴーリーは、いかにも愉快といった様子で笑う。

「ほっほっほっ、興味がおありですかな? 無垢金の律──ミケラ様の聖なる御業に。」

「ミケラ!?」

唐突に声を張り上げた Ramo に、ゴーリーは笑顔のまま動きを止めた。傍らにたつ Qeero も目を点にして彼を見つめている。

「あの針はミケラの造物アーティファクトなのか?」

「左様。黄金の律がマレニア様の身を蝕む腐敗に無力であると知った彼が、妹のために造り出した新たな律──その一片ひとひらなのです。」

ならば──ミリセントが向かう先にはミケラがいるということ。或いはマレニアかもしないが、双子の妹であれば兄の所在について何も知らぬということはあるまい。

「感謝する。では、某はこれにて──。」

言うなり、Ramo は踵を返してボロ屋を出て行った。その後を Qeero が慌てて追う。

「待って! いきなりどうしたの?」

その声は耳に届かない。彼の頭はただひとつ──ミケラの居所を突き止めることで占められていた。

 

「ちょっと待ってよ! 待ってってば!」

早足で歩く Ramo の前に Qeero が回り込み、両腕を広げてその行く手を阻んだ。

「何があったのか知らないけれど、少し落ち着きなよ。今の貴方、ちょっと普通じゃないよ。」

しかし彼はその呼びかけに応えることなく、回り込んで先へ抜けようする。次の瞬間、辺りに響き渡る乾いた打撃音。平手で強かに頬をに打ち据えられた Ramo は、さすがに驚愕の表情を見せ、足を止めた。

「今のビンタは "視え" なかった? そうだよね。だって、込めたのは殺気じゃないもの。」

「──!?」

それまで鬼気に張り詰めていた彼の瞳が、支えを失ったか如く左右に泳ぐ。ミケラを追う。モーゴットに報告する。仇を取る。誰の? 何のために? 身体が揺れる。まっすぐに立っていられない。Ramo はその場に膝を落とし、頭を抱えて蹲った。

 

 

その後、常の調子に戻った Ramo は Qeero と共にリムグレイブへと戻ってきた。足を休める場所は、いつか来た『燻り教会』。

「まことに──かたじけない。」

もはや何度目か分からぬ詫びを前に、Qeero は首を横に振る。

「それはもういいんだけどさ。何か抱え込んでることがあるなら、この機会に話してみたら?」

そこまで甘えることはできぬ──という自制の一方、ここらで胸の内に整理を付けねばいずれ立ち往かなくなるだろうという予感があった。話せることとそうでないことの間に線を引いた上で、己が内に積みあがった問題をゆっくりと言葉にしていく。「血の王朝」との闘い、利用されていたモーグ、消えたミケラへの疑念──。Qeero は時折頷くだけで、問いを挟むこともなく黙ってその一部始終を聞き終えた。

「何のためにミケラを追うのか、実は自分でも分かっていない。討つのか、糺すのか、あるいは助力を乞うのか。」

「確かにねえ。私だって Ramo さんの立場に立ったら、たぶん怒るし、そんできっと迷う。」

ケイリッドでは見ることのできない青い空を見上げながら Qeero は続ける。

「でもさ、少し放っておいてもいいんじゃないかな。私たちが狭間の地に来てから──人によって時期に差はあるけど、まだ半年ってところでしょう? 破砕戦争から十年か二十年か正確なところは知らないけれど、ずっと続いているアレやコレやが今日明日で終わるわけないじゃない。」

まったく以て正しい──と Ramo は思う。同時に、そんな当たり前の道理さえ見えなくなっていた己の愚かしさたるや如何ばかりか。

「ストームヴィルもローデイルも動き出してる。ならば、機が熟すを待つのも兵法──だと思うんだけど。」

「己の身一つで情勢を動かすことなどできぬと理解しているつもりであったが、どこかで、手筈次第で或いは──と自惚れていたようだ。」

 

 

一人歩き、差し掛かった辻で考える。Qeero の叱咤で多少は迷いが晴れたものの、未だ心の曇りは深い。損得でなく、優劣でなく──まして善悪でもなく。揺らがぬ「己」は如何にすれば見出せるのか。打刀を鞘ごと地面に立て、そっと放す。倒れたそれが指した方角は──北。厳しい道だが、剣の頂はそちらにしかないらしい。見上げた先に浮かぶ真白い雲に向かって手を伸ばしてみたが、やはり触れることは叶わなかった。




第24話『褪せ人 Saki と降霜の月』投稿予定: 2026-10-12 朝
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