褪せ人 Ramo と Saki の物語   作:Skinny Slaver

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蔓延する死の根への対処法を求め、Saki はハイト砦の魔術師 SecretFire を訪ねる。

プロットの交点を作ろうとしてだいぶ取っ散らかってしまいました。「このエピソード単体ではわけがわからないよ」と思った方は、5話と8話あたりをお読みください。



褪せ人 Saki と降霜の月

王宮の一日は沸き立つ厨房の大釜から始まる。眠い目を擦りながら集まってきた使用人たちが、各々の役目に備えて湯スープから活力を得る食堂。Vienna はその奥まった場所に置かれた長卓のさらに端──最も目立たぬ席に掛けていた。彼女は王宮の勤め人ではないものの、ローデイルからの要請に応じて黄金樹調査に従事している。そのため、市街にある自宅からの通いでありながらも、この食堂を利用することを許されているのだった。

 

「ゴッドウィンが生き返れば、その骸から生じたっていう『死の根』もきれいさっぱり消えてなくなるんでしょうか。もしそうなら、是非とも復活してもらいたいところですけど。」

向かいの席には、友人である褪せ人 Saki of Astora の姿があった。諸事情により Vienna と共にこの王宮に入った彼女の立場はさらに微妙である。特に仕事があるわけでもないのだが、どうした事情からかモーゴットに気に入られて滞在を勧められているのだった。つまりは「王の賓客」であり、本来であれば使用人に混じって食事をする立場ではない。しかし彼女はいつの間にか宮中の人々とも親しくなっているようで、毎朝この食堂を利用している。昨日一昨日はケネスに呼ばれてストームヴィルへ行っていたそうで、今はそこで遭遇した奇妙な出来事について Vienna に向かって熱心に語っているところだった。城の地下に蔓延る死の根。円卓から姿を消した死衾の『乙女フィア』なる人物と、桁外れに強力な死霊術師を使う女の出現。彼女らの目的が、陰謀の夜に死んだ半神デミゴット『黄金のゴッドウィン』の再誕にあるらしいこと。

「どうだろう。専門外なので断定はできないが、少々──いや、かなり無理のある計画に思える。」

広く語られる伝承と Vienna が知るところを総合すれば、陰謀の夜は二柱の半神に「死」を齎した。一方は先述のゴッドウィンであり、魂のみを殺されたのだという。残された──未だ生きる──彼の肉体からは死の根が生じ、狭間の地全土へと広がっていった。故に、ゴッドウィンは「死王子」とも称されている。もう一方は『魔女ラニ』であり、経緯は不明ながらも、かの夜にその肉体を喪ったそうだ。つまり、彼女の魂は未だどこかで生きているということだろう。それについて Saki は何かを知っているようだったが、言及を避けている様子が見られるため、敢えてこちらから尋ねないようにしていた。

 

「ここ狭間の地では一般に、死者の魂は黄金樹の根に吸い取られ、長い時間を経た後に再びどこかへ生まれ出ずるのだと考えられている。」

先程まで間断なく喋り通していた Saki だったが、Vienna が話し始めると口を噤んで傾聴の姿勢を見せる。それぞれの性分に加え齢の差もあってか、二人の間にはどこか師弟のような関係性が形作られていた。ちらと周囲に視線を投げ、こちらに注意を向けている者のないことを確かめた上で、Vienna は続ける。

「尤も、以前の記憶を持って生まれる人はいないから確かめる術はない。現時点では、多くの人がそう信じている、とだけ評価しておくのが順当だろう。」

褪せ人である Saki は狭間の地で育ってきたわけではないので、信仰の否定とも取られかねないこの発言にも小さく頷くのみだった。この点で、話し易い相手であることは確かだな、と Vienna は思う。

「話が逸れた。少し戻ろう。半神は普通死なないから、単純に人と比べることはできないけど、"魂と肉体" という概念は共通のはず。ゴッドウィンの魂は既に死んでしまった。黄金樹に還ることもない。例え新しい──死の根の苗床になってしまったものとは別の──肉体を用意できたとしても、その器に納めるべき魂がないんだ。」

話しながら、相手に伝わるよう考えをまとめていく。こうすることで、自分の中で曖昧になっていた部分も明らかになっていくような気がした。

「だから、フィアが生み出そうとしている "何か" は、控えめに言ってゴッドウィンの紛い物でしかない。」

これまで聞き入っていた Saki が口を開く。

「ゴッドウィンを模した肉体に、どこから調達してきたのかわからない魂を入れて動かす。──それって、"死に生きる者" と同じですよね。」

その通りだが、人は必ずしも「真実」を求めない。信じる者にとって、それは紛れもなくゴッドウィンなのだ。さらに言えば、それこそが「信仰」の本質だろう。それをどう伝えたものかと思案していたところで、Saki が突然立ち上がり、食堂の入り口に向かって手を振り始める。

「Ramo さん、こっちこっち!」

釣られてそちらへ視線を向けると、モーゴットとの会談を終えたと思しき彼が、その目に戸惑いの色を浮かべながらこちらへ歩いてくるのが見えた。

 

 

『デクタスの大昇降機』を降りてリエーニエに入ると、辺りの空気が緩んだように感じられた。この地域の殆どを占める広大な湖が気温の変化を緩和しているのだろうか。そんなことを考えながら、Saki はリムグレイブへ向けて街道を南へ歩いている。以前はここらも物騒であったが、ローデイルとストームヴィルが共同で行っている整備事情によりかなり安全に通行できるようになっていた。とは言え、未だ危険はある。狼、熊、巨大ザリガニ──そして、街道建設を正式には認めていないレアルカリア魔術学院が放つ人形兵。それらが道行く者や警備の兵に危害を加えることも珍しくはない。そのため、戦闘力を持たぬ市民が旅をする際は護衛を雇うことが半ば必須となっている。案の定、一人歩きの Saki を見て近付いてくる者があった。

 

「お姉さん、この先は少々危険ですよ。」

二人組の男だが、どちらもひどく──少年と言っても良いほどに──若い。そして、褪せ人だった。無論、陸釣りナンパというわけではない。

「おいおい、おまえ。"おねーさん" はないだろ。こちらだいぶお若い。──つーか、俺らと同じくらいじゃね?」

先に声を掛けてきた方は明るい茶の長髪で、後に割って入ってきた方は黒の短髪。どちらもプレートアーマーを着用している。

「お気遣いどうも。でも、私もあなたたちと同じ褪せ人ですから。」

街道整備事業と共に現れた「護衛」業者たち。その多くは、この狭間の地の厳しさに心折れ、王座を諦めた褪せ人だった。道なき道を進み、命を懸けて半神たちに挑むことに比べれば、街道上の護衛は遥かに安全な「仕事」と言える。

「分かってるって。君を一目見たときから、俺の視線はその綺麗な青い眼に釘付けなんだから。」

黒髪は歯の浮くようなセリフを笑顔でさらりと言ってのけた。営業トークはこちらの受け持ちのようだ。

「でもさ、幾ら腕の立つ戦士でも集団で囲まれると厳しいもんさ。君は結構強そうだけど、絶対の安全なんてないだろ?」

御説ご尤も、ではあるのだが──。立ち居振る舞いを見る限り、彼らの力量はお世辞にも高いとは言えない。仮に複数で襲われたとしたら、Saki がこの二人を守るために奮戦することになるだろう。さて、どう答えて諦めさせたものか。そんなことを考えたところで、黒髪が相方を肘で小突く。

「ほら、アレ渡しとけよ。」

「うん? ──ああ、そうか。」

茶髪は腰のポーチから皺くちゃの紙片を取り出し、胸甲の上で伸ばしてからこちらへ差し出した。

「うちは強引な勧誘はしない方針なんだ。またの機会によろしく。」

Saki がそれを受け取ったのを見届けると黒髪はあっさりと踵を返し、軽く手を振りながら昇降機の方へと歩き出す。茶髪も丁寧な一例を残し、相方の背中を追って去って行った。

 

「Wals & Vann セキュリティ」──紙片には太い文字でそう書かれていた。その下には、秘文字で書かれた語が二つ。救援要請サインに書き加えると、優先的に彼らの許へと届く仕組みである。まあ、それらを使うことはないだろうが──

「しつこくないってのは、ちょっと好感度高いかな。」

瞳の色限定とはいえ容姿も褒めてもらったこともあり、悪い気はしない。しばらく歩いて、二人の姿が完全に見えなくなったことを確認すると、Saki は紙片を人差し指と中指で挟み、その腕をまっすぐ横に伸ばした。紙片は黒い炎に包まれ、一瞬で燃え尽きる。──死の根も、こんな風に焼き尽くしてしまえたらいいのに。風に散る白い灰を眺めながら、彼女はそんなことを思った。

 


 

久しぶりに訪れたハイト砦は平穏の中にあった。周囲に形成された集落も広がり、農作業や家畜の世話のために行き交う人々──この場所では亜人たちも含めてそう呼ぶ──の活気で満ちている。その間を抜けて砦の入口へ。主であるケネスがリムグレイブの宰相となったことで費用拠出も容易になっただろうに、相変わらず質素な構えで、門が建てられる気配もない。砦を周囲から区切らぬのが方針なのだろう。「開かれた砦」とは矛盾甚だしいが、同時に実にケネスらしいと Saki には思えるのだった。ときに、彼女がここへ来たのは、Vienna の勧めに従ってのことである。

「ハイト砦に SecretFire という魔術師がいる。褪せ人ではあるけれど、ケネスさんの指示でこの地の歴史や風土についての調査も行っているらしい。彼に相談してみてはどうか。」

そう言った Vienna はしかし、直後にその表情を曇らせた。

「ただ、事前に心の準備はしておくべきだろう。人のことを言えた義理ではないが、相当にクセのある男だ。少なくとも初対面の人間に良い印象を与えるとは考えにくい。博識であることは確かなのだけど、まあ、ちょっとね。」

その評を聞いて思い浮かんだのは、百知卿ことギデオン・オーフニールだった。あれと同じタイプの人間を相手にすると考えると、確かに気が重い。Vienna よりも少し上──おそらくは Ramo と同じくらいの年回りということなので、その若さに期待するとしよう。そう踏ん切りを付けると、Saki は主塔キープへと続く坂を上っていった。

 

城内に入るなり Saki は異様なものに出くわした。露台へと続く階段を降りてきた一人の少女。身体つきから判断するに、年齢は十か十一か。何故そんなことが分かるかというと、彼女が殆どまともに衣服を身に着けていなかったためである。薄紅色の布が肩と腰とにかろうじて掛かってはいるが、それさえ今にもずり落ちそうだった。奇妙なのは衣装だけではない。背の中ほどまで伸びた緑がかった白い髪、血色を感じさせない灰色の肌。瞳のない藍色の右目は、おそらく義眼だろう。とにかく、彼女はあらゆる点で異質だった。ええっと──。混乱する思考の中、Saki は周囲を見回す。驚いたことに、周囲の人々は──すぐ傍らを通り過ぎていく侍女さえ──その少女に特段の注意を払う様子がない。ということは、とりあえず危険はないものと判断できる──はず。自分にそう言い聞かせ、必死に平静を保つ。しかし、階下に見知らぬ来訪者の姿を見留めた少女がその顔を好奇心に輝かせて駆け下りてくるのを見るに至っては、身が竦むのを抑えられなかった。

 

「見ない顔だな。どこから来たんだ?」

その声は存外にも子供らしい、愛嬌のあるものだった。硬直の解けていない Saki に遠慮のない視線を注ぎながら、少女は目の前まで近付いてくる。──えっ、何!? 思う間もなく、伸びくる灰色の手。彼女は Saki が来ている『ノクス剣士』の鎧、その純白の上掛けに興味を弾かれたらしい。その端を摘まみ、絹の感触を確かめるかのように指を動かす。だが、それも束の間のこと。跳ねまわる童の目は、より魅力的な対象を捉えた。

「髪、長いな。きらきらだ。」

少女は目の前で立ち尽くす褪せ人の傍らへと回り込み、その白金の三つ編みを乱暴に掴む。その衝撃で、Saki はようやく我に返った。

「ちょっと待って! やめて! 痛いから!」

引っ張られる方向へ頭を傾けつつ抗議したところ、少女はあっさりと三つ編みから手を離し、一歩退がった。

「おおっと、それは悪かった。」

軽く頭を振ってから、改めて少女を見遣る。こちらを見返すその目に悪意は感じられない。小さく息を整え、話しかける。

「私は Saki of Astora といいます。あなたは誰?」

「ん? 誰って? 私は、私だが。」

問いに対し、少女は首を傾げて見せた。何を言われているのか分からない、という感じだ。そんなことってあるだろうか、と思いつつも重ねて尋ねる。

「ええっと、そうじゃなくて。あなたのお名前は?」

「名前? 名前って何だっけ? いや、待ってくれ。思い出した。私の名前は Laarfiik だ。意味は──湖!」

らあふぃっく? ──不思議な名前だ。故郷アストラでも狭間の地でも耳慣れぬ響きを持つ語である。

「Laarfiik さんね。よろしく。」

「おう、何だかよくわからんが、よろしくな!」

屈託なく破顔する少女を見て、Saki の警戒心はようやく緩んだ。──ちょっと変わっているけど、悪い子ではないみたい。

 

 

「知り合って早々で言いにくいんだけど、その恰好は何とかしないとね。」

Laarfirk は身体を捻り、自分の着衣の状態を確かめる。

「ああ、これな。一度解けてしまうと、戻せないんだ。練習はしているんだがな。」

この齢で自力で服が切れないというのは、やはり普通ではないな──と Saki は考える。子供のことでもあり、あまり神経質になり過ぎるのもどうかと思うが、やはり放っておくわけにはいかない。残念なことに、世の中には「悪い大人」というものが確実に存在しているのだから。

「じゃあ、ちょっと後ろ向いて。私が直してあげるから。」

「できるのか。それは助かる。」

少女はこちらに背を向け、両腕を水平に上げた。おそらく、着付けてもらうときはこの姿勢を取るのが常なのだろう。さて、まずは引き摺られている部分を──と思ったところで、Saki の手がはたと止まる。

「これ、どうなってるの?」

Laarfiik の身体に掛かっている「服」は、Saki の知るものとは全く異なっていた。頭や腕を通すための穴、あるいは筒状の構造が見当たらないのだ。よく見ると、薄紅色のそれは少女の胴とほぼ同じ幅を持つ一枚の長い帯であることがわかった。右肩の辺りにある金属のリングが留め具なのだろうが、どう使うものか見当も付かない。分からないなりにもなんとか恰好を付けようと奮戦するものの、目の前の少女は更にあられもない姿になっていく。──これは駄目だ。とりあえずは自分が持っている『ラズリのローブ』に着替えさせよう。そう考えて道具入れインベントリを開こうとしたとき、頭上から男の声がした。

「Laarfiik の友達か? 誰の家の子だ?」

 

Saki が顔を見上げると、そこには長身の男が立っていた。濃紺のローブに身を包んだ、瘦身の──褪せ人。気付いた Laarfiik が布の端を持ち上げながら声をかける。

「いいところに来てくれた。また解けてしまってな。」

「まったく、世話の焼ける奴だ。」

男は Laarfiik の傍らに屈み込むと、その身体を覆っていた布を自分の腕に巻き取った。素裸にされた少女は一向に気にする様子もない。続いて男は、その布を手際よく彼女の身体に巻き始めた。驚いたことに、幅広い「帯」でしかなかったその布はたちまちに「服」の形を成していく。最後に留め具から伸びる余りの部分を折り返して出来上がり。異国風ではあるが、しかし完璧に整ったローブを身に纏った Laarfiik の姿がそこにはあった。気付けば、男の着る濃紺のローブも同じ構造だ。

「すごい! 一枚の布がこんな風になるなんて!」

思わず感嘆の声を漏らす Saki に、立ち上がった男が腰を伸ばしながら訊ねる。

「面倒をかけてしまったな。初めて見る顔だが、どこの子だ?」

──どこの子? いや、ちょっと待て。さっき彼は「Laarfiik の友達か?」と尋ねたが、ひょっとして私のことを、彼女と同じ年回りの子供だと思っているのか? 自分の容姿が幼く見えるのは認めるが、それにしたってあんまりではないか。

「Saki of Astora と言います。あなたと同じ褪せ人ですが。」

「んん?」

そう言って、男は Saki の目を覗き込む。顔が近すぎる。だが、負けてなるものかと胸を張り、後じさりそうになる自分を押し留めた。瞳に祝福の光が宿っていないことを確かめて納得したのか、彼は姿勢を戻して腕を組む。

「なるほど、確かに。──ということは、見た目よりはだいぶ年を食っているわけだ。」

どこまでも失礼な奴だ。思わず拳を握り締める Saki だったが、ふと思い当たって彼に尋ねてみる。

「あなた、SecretFire さんですね?」

「如何にも。──しかし、何故俺の名を知ってるのだ?」

 


 

砦内の塔、最上階。Saki は所狭しと並べられた器具や装置の間に置かれた椅子に掛けている。先程までその椅子の上にも輝石の詰まった箱が置かれていたのだった。SecretFire も自分の椅子に腰を下ろし、ようやく来客と向き合う。

「しばらく姿を見ていないとは思ったが、ローデイルの王宮に滞在中とはな。」

この来訪が Vienna からの紹介を受けてのものと伝えたところ、彼はさも意外そうにそう述べた。とことん、周囲の様子に頓着しない人物らしい。だが、Saki が彼に期待するのはその為人ひととなりではなく、知識だ。そう気持ちを切り替え、ストームヴィル城地下での顛末を伝える。話の途中で質問責めに遭うのではないかと身構えもしたが、予想に反して SecretFire は終わりまで黙って聞いていた。

 

「──というわけで、ストームヴィルは目下『死の根』への対処法を模索中です。ケネスさんからも是非に協力を願いたいと仰っていました。」

ケネスの話ははったりだが、彼が問題解決を希求していることは事実であり、完全な嘘というわけでもない。形式上の雇い主とはいえ、その方面からの要請でもあることを匂わせれば無下にはされないだろう──そんな計算が働いての付け足しだった。さて、物知り博士のお手並み拝見といきましょう。半ば、相手がこの難題に白旗を上げる様を期待する Saki だったが、魔術師の反応はまったく予想せぬ方向のものだった。

「その死霊術師の女の容貌を、詳しく聞かせてもらえるかな。それから、口にした言葉を一言一句、正確に。」

問われるままに答えていくうち、話題の中心がずれていく。

「あの、SecretFire さん? 申し訳ないんですが、我々の関心は死霊術師よりも、死の根、そしてゴッドウィンの再誕の方にあるわけでして──。」

「それについては後ほど答えよう。今は、その "謎の女" の方が重要だ。」

こいつ、自分が興味のある話しかしないつもりか。さすがの Saki も、我慢の限界に近付きつつあった。これで死の根に関して碌な回答ができなかったら、思い切り罵倒してやる。

 

更に幾度か問答を繰り返したところで、SecretFire は急に表情を緩めた。

「感謝する。その死霊術師の正体に凡おおよその──そうだな、七割方といったところだが──見当がついた。」

「え? 本当ですか?」

情報が少なすぎて、とても特定できる事柄とは思えなかったのだが──さすがはケネス付きの魔術師というべきか。

「その死霊術師は、私と同じ国からやってきた人物だ。だからこそ Saki さんの断片的な記憶からの特定が可能だったというわけだ。ただし、生きていた時代が違う。彼女は今から500年前に死没した、言わば歴史上の人物だ。」

「──500年前!?」

突拍子もない話に困惑する Saki を余所に、SecretFire は続ける。

「『孤高なる狼の女王ウルフクイーン・オブ・ソリチュード』──皇帝の血族たるその女は、自らの子を皇位に就けるべく、周辺諸侯と結んで反旗を翻した。彼女が死霊術で作り上げた不死の軍団の前に、帝国は一時崩壊寸前まで追い込まれたという。まあ、結局は劣勢となり、包囲の中でその生涯を終えることとなったわけだが。」

「その人が、どういうわけか狭間の地で復活したってことですか? ちょっと無理のある筋書きに思えますけど。」

至極尤もな疑問だが、彼はさらりと流す。

「それは歴史を知らぬからだ。『狼の女王』は過去に二度、その復活が取り沙汰されている。一度目は200年ほど前。ある地下組織が彼女の復活そして復権を目論んで殺人を繰り返したという。この痴れ者共は割と長いこと暴れまわっていたようだが、結局掲げた大義を果たすことなく討伐された。問題は二度目の方だ。これはつい最近の出来事で、実際に彼女の霊魂がこの世に呼び戻される事態にまで至った。上級王の迅速な措置により、彼女が肉体を取り戻す前に事は収まったが、本当に危機一髪の状況であったと聞く。遺骨は改めて埋葬されたが、後にそれが行方不明になっていることが発覚した。民の動揺を防ぐため、一部の政務関係者のみが知るところだが。」

つまり、この SecretFire もまた政治に携わる立場にあったということか。この性格でよく務まったものだ。

「狼の女王について非学者が学ぶのであれば、ジャースの著作が読みやすいだろう。多少脚色が加えられてはいるが──ああ、いや、ここにはないのだった。残念だが、そこは諦めてもらうしかないな。」

これはこれで重要な情報に思える。ケネスさんに伝えるべきだろう。或いは、Vienna さんにも。それはさておき──。

「貴重な情報の提供ありがとうございます。では続いて、『死の根』についての見解をお聞かせ願えますか?」

 

さあ、ここからが本題だ。そう構える Saki を前に、SecretFire はおもむろに立ち上がると、部屋の奥にある巨大な書棚から一冊の本──というには厚みのない、綴じられた紙束を引き抜いて持ってきた。表紙に記された文字は『黒き剣』。

「以前、ストームヴィルの書庫を訪れた際に拝借してきたものだ。書籍の一部を引き写したものらしい。『死のルーン』について抜粋したのだと思われるが、原書がないため断定はできない。ともかく、死のルーンが "運命の死"──黄金樹への帰還ではない、存在の永久的消滅をもたらす危険な存在であることが、繰り返し述べられている。これが陰謀の夜にゴッドウィンの魂を殺した力である、とも。」

唐突に核心を告げられ、Saki は思わず SecretFire を凝視する。死霊術師のことばかり気にして、こちらの関心など眼中にないという様子だったのに。

「これ、読んでもいいですか?」

「無論だ。あらゆる資料は読まれることで価値を持つ。」

冊子を手に取り、最初のページを開いた。込み入った内容で理解が難しい。詳細は諦めて全体像を把握しようとページを繰っていく。幾つかの図表が目に留まるが、やはりその意味するところを読み解くことはできない。けれども──。

「これ、前に見たことがある気がします。どこでだったか──。」

必死に記憶を手繰るが、これまでに見聞きしてきた諸々がぼやけたまま思考の網をすり抜けていく。

「原書の在処を知っているのか? であれば、是非思い出してくれ。」

その期待にプレッシャを感じつつ、Saki は目を閉じて狭間の地での足跡を振り返った。

 

その後半刻ほど考えたが、結局思い出すことはできなかった。互いに状況に進展があり次第知らせる旨を確認し、SecretFire の許を辞去することにした。

「これからローデイルまで戻るのか?」

「いえ、今夜はストームヴィルの予定です。その前に、Ivana さんのところへ寄っていきますけど。」

Ivana は元卑兵だが、Saki の紹介もあって現在はこの砦で働いている。その時は知らなかったのだが、彼女には調理が得意とのことでケネスから厨房を任されていた。

「なんだ、婆さんの知り合いだったのか。」

頭の中でかちん、と音が鳴る。自分が子供扱いされることまでは許せたが、これは看過できない。Saki は SecretFire に詰め寄り、その鼻先に指を突き付けた。

「Ivana さんは、まだそんな呼ばれ方するような年齢としじゃないです。次にそれ言ったら承知しませんからね。」

その剣幕に、無礼を絵に描いたような男である SecretFire もさすがにたじろいだ。

「了解した。以後、留意する。」

「──よろしい。それではまた。」

 

 

厨房に立ち寄った Saki を、Ivanna は暖かく迎えた。

「もうちょっと頻繁に顔をお出し。こっちはあんたが無事に過ごしてるかどうか、毎日気を揉んでるんだ。」

そんな小言を言いながらも、彼女は卓の上に次々と皿を並べていく。それらを摘まみながら、Saki は近況を話して聞かせた。ただし、死の根に関することは省いて。あまり心配はさせたくない。そこへ、勢いよく近付いてくるぺたぺたという足音。振り向くと同時に、出入り口 から Laarfiik が飛び込んできた。

「Ivana、お腹空いた!」

開口一番食べ物要求する少女に Ivanna は笑顔で応じ、調理台から小さな皿を持ってくる。乗っているのは。豆を煮詰めて甘くした菓子だ。卓に置かれるが早いか、Laarfiik は数粒を掴んで口に放り込んだ。

「うん、やっぱり美味いな。──って、あれ?」

そこで初めて、彼女は隣に座る Saki に気付いたらしく、目を丸くしてみせた。

「SecretFire との話は済んだのか?」

「おかげさまで。」

そのやり取りを聞いていた Ivanna が、くつくつと笑い出す。いったいどうしたのかと怪訝な視線を向ける二人。

「いや、あの唐変木が部屋に女を連れ込んだっていうからさ。」

「──?」

話が見えない。唐変木って誰だ? 話しぶりからして、Saki が知っている人物なのだろうが。

「いったいどんな物好きかと思ってたんだけど、まさかあんただったとはね。」

数秒の空白──からの、唐突な理解。

「え? そんな噂が立ってるんですか? 困りますよ!」

笑い事ではないと訴える Saki を、Ivana は手を振って往した。

「心配することはない。数日もすれば皆忘れてるさ。──しかしまあ、傑作だね。」

Ivana が指先で目の端に滲んだ涙を拭う。その様子を見た Saki の脳裏に、彼女と出会った時の記憶──地下墓での告別が蘇った。階段下に並んだ書棚。雑多な内容の書物。蠟燭の明かりの中で目を通した紙面。

「また来ます!」

叫ぶようにそう言って、Saki は弾かれたように飛び出して行った。俄に静まり返る厨房。残された Ivana と Laarfirk は顔を見合わせ、同時に首を傾げるのだった。

 


 

リエーニエ東部、『断崖下の地下墓』。淀んだ空気の中、Saki は『ランタン』の明かりを頼りに石造りの通路を進んでいた。

「疑うわけではないが、本当にこんな場所に『黒き剣』の原書があるのか?」

後に続く SecretFire が辺りを見回しながら言う。それは疑ってるっていうんですよ──と思いつつも、Saki にはそれを言葉にする余裕がない。彼女の頭を占めているのは、清浄であったはずのこの墓地に死の根が入り込んでいるという不吉な事態だった。

「前に来たのは二ヶ月と少し前です。短期間でこんなになるなんて。」

表面に細かな棘の生えた禍々しい根は、床はもとより、壁と天井の別もなく縦横に這いまわっている。

「これは何だ?」

SecretFire が掲げるランタンの先では、根が作る節の裂け目から白く濁った半透明の球体が覗いていた。大きさは人の頭ほど。表面には黒い同心円状の輪が浮かんでおり、まるで目玉のように見える。

「死の根って、こうやってあちこちに人の顔のパーツみたいなもの作るんです。ストームヴィル地下の顔なんか──って、何してるんですか?」

見れば SecretFire は短剣を握り、その切っ先を「目玉」に向けていた。

「いや、ちょっと調べてみようと思ってな。」

「やめてくださいよ。飛び散ったりしたら大変です。やるなら一人のときにどうぞ。」

彼の腕を掴んで下ろさせる。学者というのは皆こうなのだろうか。

「それよりも、件の書棚を調べる方が優先課題なんじゃないですか?」

「それもそうだな。先を急ごう。」

周囲を警戒しつつ、地下簿の更に奥へと進んでいく二人。壁の「目玉」は音もなくその瞳を動かして、去り行くその背を見送った。

 

幸いにして、階段下の書棚は死の根に荒らされることなく以前の状態を保っていた。並んだ背表紙を眺めながら、Saki は首を捻る。

「うーん、どの位置にあったかまでは覚えてないなあ。片っ端から見ていくしかないですかね。」

「いや、たぶんこれだ。」

彼女の傍らを抜けて前へ出た SecretFire は、迷いなく一番右の書棚へ近づくと、そこから一冊の本を抜き取った。背は無地だが、表紙には『黒き剣』の文字。呆気に取られている Saki に向け、彼は口の端を持ち上げて見せる。

「学者をやっているとな、本を探すのが自然と上手くなるのだ。」

 

目的の物は手に入ったのだから、もうこの場所に留まる理由はない。もうすぐ日も暮れることだし、早く砦に戻りましょう。そう訴える Saki だったが、SecretFire は踵を返す気配を見せなかった。折角だから他の蔵書にも目を通しておきたいのだと言う。

「そういう個人的な趣味は後回しにしてもらえませんか。ここで一泊なんて、私はイヤですよ。」

「なんなら、先に戻っていてもらっても構わないが。」

本当に、この男は──とムカッ腹が立った。望み通り置き去りにしてやろうかとも考えたが、彼に『黒き剣』の内容を読み解いてもらわなければならない以上、それも不可能だ。仕方がないので、彼が腰を上げたら滞りなく出ていけるよう戻りの通路を再点検することにする。ここへ来るまでも数体のインプに襲われたからだ。まだ潜んでいるのがいないとも限らない。ランタンで照らしつつ、来た道を逆にたどっていく。まったく、なんて難儀な役回りだろう。

「本当に一人で帰っちゃおうかな。」

「駄目ですよ。ここが貴女のお墓なのですから。」

唐突に聞こえた声に、Saki は反射的に身構える。通路の先、闇の中に人影が浮かび上がった。

「フィア!? なんでここに!?」

そう問いかけつつ、辺りに目を走らせる。彼女が出てきた以上、あの死霊術師──狼の女王も近くにいるはずだ。ここは墓地なので、使役する死体に不足はないだろう。

「Uriela 様はいらしておりません。この件はあくまで、私一人の都合ですので。」

それがあの死霊術師の名か。しかし何故単身でここへ? フィア自身には然したる戦闘能力があるとは思えない。その疑問を見越したかのように、相手は言葉を継ぐ。

「その通り。私は非力な、ただの女。ですが嬉しいことに、力を貸してくれる殿方がいらっしゃいます。」

その甘い声音に誘われたかのように、青白く輝く人影が二つ、彼女の前に表れる。──そのいずれにも、Saki は見覚えがあった。

「ロジェール様、ライオネル様──我らが王に仇為す怨敵に、死の忘却をお与えください。」

 

 

さすがに、実力派の褪せ人を二人当時に相手取るのは厳しい。放たれた輝剣を避けたところへ、ライオネルの重刺剣が飛び込んでくる。直撃こそ避けたものの、掠めた左上腕には血が滲んでいた。ロジェールは既に次の『輝剣の円陣』を展開している。これでは反撃のしようがない。防戦一方だ。

「誑かされて騎士様気取りですか! ああ、情けない!」

効くはずもないと知れている罵り文句を叩きつけて、Saki は墓地の奥へと駆けだす。あの男がどれくらい戦えるのかは知らないが、魔術師を名乗る以上『つぶて』と『アーク』くらいは使えるだろう。ジグザグに走って後方からの追撃を躱しながら、ようやく階段下まで戻ってきた。

「敵です! 加勢お願いします!」

「ん? ──おお!?」

状況を理解したらしい SecretFire は本を手早く棚に戻し、振り向いて腰を落とした。Saki も鋭くターンし、追ってくる相手に備える。その気になればロジェールは重装のライオネルに先行して走れるはずだが、二人は足並みを揃えて近付いてきていた。やはり、一筋縄ではいかない。

「私は魔術師を相手にするので、そちらは鎧の方をお願いします! ──っていうか、早く杖出してください!」

右手の聖印に『雷の槍』の力を蓄えながら、未だ空手のままの相方に檄を飛ばす。やはり、学者は戦闘慣れしていないのか。頭の隅で作戦の修正に取り掛かった Saki の耳に、SecretFire の落ち着き払った声が響く。

「いや、両方とも任せてもらおうか。」

それはどういう意味──と振り返った瞬間、Saki の目と耳は閃光と轟音で塞がれた。堪らず床に伏せる。いったい何? その間も、爆煙と熱風が容赦なく押し寄せてくる。目を開けているのも難しい。壁際まで退がり、片手で庇いつつ顔を上げた彼女が見たのは、両の手から間断なく火球を撃ち出す SecretFire の姿だった。連射の間隔はおよそ1秒。既に10発以上を放っているが、まったく途切れる気配がない。いや、それ以上に何故炎を? 魔術師じゃなかったのか? でも、とにかく敵を圧倒できてはいる。

「そのままやっつけちゃってください!」

そう叫ぶ Saki に、しかし彼は変わらず落ち着った声で非常な現実を告げた。

「いや、もう集中力が切れる。フォローを頼む。」

「ええっ!?」

 

予告通り、火球の連射は途切れた。通路際まで吹き飛ばされていたロジェールとライオネルが起き上がり、SecretFire 目掛けて突進を始める。当の本人は集中力回復のためポーチから聖杯瓶を取り出しているが、タイミング的にどう見ても間に合わない。口元まで持っていた瓶を止め、彼は回避行動に移行した。敵二人は追撃の手を緩めない。あの火球弾幕が余程に堪えたようだ。だが、戦闘中に敵から目を離すとは愚かなり。聖印を掲げ、Saki は詠唱を開始する。『坩堝の諸相・尾』──ローデイル滞在中にモーゴットから教わった祈祷だ。尻に生じた、金色に輝く巨大な尾。彼女が身を翻すと同時に、それは前方に勢いよく振り出された。

「びたーん!」

背後からの強烈な殴打により、ロジェールとライオネルは成す術もなく床に叩きつけられる。おそらくは何をされたのかさえ分かっていないだろう。ここまでくれば、既に勝敗は決したも同然。

「もういっかーい!」

さらに全身で一回転。必死に態勢を立て直そうとしている二人目を掛けて、Saki は再び尾を振り抜いた。

 


 

「委細承知した。今回の件に限ったことではないが、貴公にはいつも助けられている。」

数日後。Saki はストームヴィル城にケネスを訪ね、今回の件について報告した。死霊術師の正体、死のルーンの探究、そして、地下墓で受けた襲撃。

「並外れた才の持ち主であることは確かなのだが、如何せん、興味のあること以外はまったく手を着けぬ男なのだ。Saki 殿がこうして仲介の労を取ってくれなければ、雇い主である私も彼の動向を把握できぬという有様でな。」

主君に対してもあの調子なのかと Saki は呆れる。いったいこれまでどうやって生きてきたのだろうか。

「その苦労、よーく分かります。『黒き剣』の調査結果についてもケネスさんへの報告を怠ることは十分に考えられるので、私が定期的に聞き取りに行くようにしますね。」

「よろしくお願いする。」

深々と頭を下げる宰相の後ろで、ネフェリが苦笑する。

「私を使用人と勘違いして、輝石の詰まった袋を運ばせようとした奴だな?」

「本当に? ──で、ネフェリちゃんはどうしたの?」

驚き訊ねる Saki に、ネフェリは口を尖らせて見せた。

「ちょうど手が空いてたし、運んでやろうかと思ったんだが、側で見ていた兵長がすっとんできてな。さんざん怒鳴りつけられた挙句にあの男、何と言ったと思う?」

無礼が限界突破している男だ。いったい何を口走るか見当もつかない。素直にそう述べた Saki に、ネフェリとケネスは口を揃える。

「「力があり余ってそうだったから。」」

閑静な王城の一画で突如弾けた笑い声は、立ち働く侍女たちを驚かせた。

 

「ところで、ケネスさんは Laarfiik ちゃんをご存じですよね?」

Saki はずっと引っかかっていたことを尋ねる。本人の話は要領を得ないし、保護者らしい SecreFire はもっとだ。

「もちろん、把握している。知る限り危険はないが、何か気にかかることでも?」

何気ない返答だが、不適当な言葉選びに引っ掛かりを覚えた。「危険はない」という表現は通常、子供相手になされる評価ではない。つまり、彼はあの奇妙な少女の正体を知っているのだ。そして、Saki に対してはそれを隠そうとしている。

「いいえ、特には。ただ、見た目が少し風変りなのと、あの SecretFire さんが保護者で大丈夫なのかな、というのが気になっただけで。」

「狭間の地は様々な者たちが生きる場だ。亜人や卑兵を隣人として暮らす我が砦において、彼女の外見の特異さを気に留める者はごく僅か。それも時と共に慣れるものだよ。──まあ、保護者については私も少々心配はしているが、今のところ上手くやれているようだ。であれば、私が口を出すことでもあるまい。」

それはそうだ。誰にでも──もちろん、私にだって──秘密はある。今後も関わっていくのであれば、いずれ Laarfiik 自身が話してくれるかもしれない。無論、教えてもらえないままということもあるだろうが、それは縁がなかったということ。無理に踏み込んでいく権利など、誰にもありはしないのだ。

 

 

北門まで Saki を見送りに行ったネフェリが戻ってきた。

「彼女はローデイルへ?」

「ああ。Vienna 殿にも今回の顛末を伝えておきたいと言っていた。」

ケネスは腕を組み、天を仰ぐ。

「彼女には随分と世話になっているが、毎回些細な謝礼しか渡せていない。そろそろ正式な形で報いねば、ストームヴィルとしても面目が立たぬところへ来ていると考えるのだが、どうだろう?」

「本人はそんなこと望んではいないだろうが──まあ、確かにそうだな。考えておく。」

話はそこで途切れたが、部屋を出て以降とするケネスをネフェリが呼び止めた。

「ところで、最近ローデイルに流れている、モーゴット殿に関するあの噂についてだが。」

「ああ、愛妾を作って王宮に住まわせているとかいうあれか。別に珍しいことでもない。民は常にそうした話を好む。」

取るに足らぬ下世話な風聞。だが、そうした話題を嫌うネフェリがそれを取り上げるというのが、ケネスには意外だった。

「私の個人的な知り合いから仔細を聞くことができてな。」

「ふむ。どのような?」

予期せぬ流れに興味を引かれて先を促す。

「彼の寵姫は、金のおさげ髪麗しい少女だそうだ。」

数秒の沈黙。遅れてその意味するところを理解したケネスの顎が落ちる。

「はあ!?」

「可笑しいだろう? まったく、噂というものが如何にあてにならぬかの証左のような話ではないか。」

確かにその通り。的外れにも程がある。そして、自分自身あるいはネフェリについても、その類の根も葉もない風聞が折に触れ流れていることを、彼は承知していた。

「民とはもとより無責任なものだ。世が在るべき形へ戻りつつあることを喜ぶべきかもしれない。」

そうだな──と呟いて、ネフェリは窓の外を見遣る。秋の深まりも過ぎて、リムグレイブは冬を迎えつつあった。

「なべて狭間はこともなし、だ。」




第25話『褪せ人 Ramo と鉄茨の棺』投稿予定: 2026-10-13 朝
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