褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
死の根に覆われた日陰城。その異状を見下ろす崖上で出会った Saki とミリセントは、アルター高原の北端に位置する祝祭の村を目指す。
Elden Ring 七十七不思議のひとつ「ミリセントは何故風車村にいたのか」に対する、筆者なりの回答です。
谷底に忽然と現れた森。数日前にここを通った際には、あのようなものはなかった。なんとなれば、其処は刑吏の一族が住まう『日陰城』が建つ場所であったのだから。Saki of Astora は『罪人橋』の西詰──ゲルミア側の袂から、この異状を見下ろしていた。
「あれは──まさか。」
道具入れから『遠眼鏡』を取り出してそちらへ向ける。予想に違わず、立ち並んでいるのは「樹」ではなかった。ひしめき聳えるは、黒き茨の蔦。殆ど埋もれてしまっているが、僅かに屋根らしきものが見える。あれが主塔だとすれば、この「森」の高さは少なく見積もっても30メートル。たぶん──いや、間違いなく、あの女の仕業だ。仕出かしの規模が洒落にならなくなってきている。死衾の乙女フィアとの二度の遭遇を思い返し、Saki は唇を噛んだ。ストームヴィルと、リエーニエの地下墓、いずれかで仕留めていれば──。
「すまないが、それを使わせてもらえないだろうか。」
不意に掛けられた声に振り向くと、そこには一人の少女の姿があった。後ろでまとめた赤毛に、金色の眼。年の頃は十六か十七といったところだろうか。ひどく痩せてはいるが、弱っているという風でもない。
「ええ、どうぞ。」
差し出された遠眼鏡を、彼女は左手で受け取った。あれ、この娘──。その視線を察した少女が、肩口で縛られた右の袖を示しながら言う。
「病で爛れてしまってね。こうするより他になかったんだ。」
ミリセントと名乗ったその少女は、一通り「森」を眺めるとすぐに遠眼鏡を返して寄越した。
「日陰の城主は職人を招き、精巧な技師を造らせている。そう聞き及び、ならばひとつ譲ってもらえぬものかと昨日訪ねてみた。ところが、城はあの通りの有様。付近には大量の死蜥蜴が徘徊していて、とても近づけない。上から見れば何かわかるかと思い、ここまで登ってきたが──」
そこで彼女は周囲を見回し、肩を竦める。
「残念ながら、何も。あの城について知っていることがあれば、教えてもらえると助かるのだが。」
色々と訳ありのようだが、悪意は感じられない。少しだけ警戒を緩める。
「私は、あそこまで行ったことはないの。この吊り橋を渡るときに、こうして上から眺めていただけ。でも先日見たとき──ええと、四日前か──には特に変わりなかったから、あの "森" はその後に出現したことになる。」
この先を話すべきか迷ったが、語るに障りのある内容でもないと判断して続ける。
「あれは木ではなく、『死の根』でできている 。あれほど大きな塊は見たことがない。成長の速さが怖い。」
そこまで話したところでミリセントの方を見遣ると、困惑の表情で首を傾げていた。訊けば、死の根というものを知らないという。陰謀の夜に死した黄金のゴッドウィン。彼が遺した肉体から生じた、際限なく広がる呪い。あらましを聞いた彼女は俯き、小さく溜息を吐いた。
「これも半神の因果か。途切れてはいないようだが、道は未だ遠いな。」
「その腕を失くした病というのは、もしかして朱い腐敗?」
隣を歩く Saki から投げかけられた問いに、ミリセントは驚いた様子を見せた。
「何故──それを?」
「その白い痣、赤獅子城の兵士さんにも、同じようになっている人たちがいたから。」
ああ、そうか──と頬の斑を撫でつつ、彼女は申し訳なさそうな表情を見せる。
「怖がらせぬようにと思って黙っていたのだが、却って不信を招いてしまったようだ。」
その気働きに、Saki は胸が熱くなるのを感じた。程度の差はあれ、なべて宿痾は肉体のみならず心根までをも歪める。病める者にとって、気遣いを手放さずにいるのは容易いことではない。にも関わらず、この娘の健気さはどうだ。
「全然。気にしないで。」
笑顔で首を振る Saki に、ミリセントも表情をようやく緩めた。
「実を言うと、腐敗から完全に逃れられたわけではないんだ。だが先日身体に入れた特別な針によって、その活動はすっかり抑え込まれている。──と言って、信じてもらえるだろうか。」
ミリセントは指先で胸の中央、鳩尾のあたりを軽く叩いて示した。もちろん、と Saki は頷く。腐敗に苛まれているのなら、このように歩き、話すことなどできはしない。──とは言え、新たな疑問が生じたのも確かだった。朱い腐敗を除くのではなく、抑制する? そんな方法は聞いたことがない。しかし、これ以上踏み込むのは気が引ける。そんな遠慮を胸に黙して歩く Saki だったが、意外にも事情は向こうから打ち明けられた。
「君になら、話しても大丈夫だろう。私の内にある腐敗は、マレニアに由来するものらしいのだ。」
唐突に出された女神の名に混乱する Saki だったが、はたと思い当たる。
「あ、さっき言ってた "半神の因果" って、マレニアのことだったのね。」
その通り、と頷いてミリセントは続けた。
「矛盾しているように聞こえるかもしれないが、腐れ病を抑え込んでいるこの針も、おそらくはマレニアに関わっている。」
「どうして、そう思うの?」
ミリセントはそこで足を止め、左手を見上げる。
「自分でもよくわからないけど、感じるんだ。行かなければならない──そう、心が急くのを。夢の中でも、目覚めていても、意識の一部が常に北を向いている。」
この道を上っていけば、アルター高原の北の突端に出る。そこが終着点ということはないだろうが、高台から眺めれば何処へ導かれているかくらいは知れるのではないか──と彼女は語った。偶然というべきか、目指す先は Saki のそれと一致している。
「わかった。目的地は同じだし、一緒に行きましょう。」
「そうしてもらえるならば、ありがたい。左腕でも剣を振るえぬことはないが、やはり以前と同じというわけにはいかなくてね。」
道連れを得て安堵の表情を浮かべるミリセントは対照的に、 Saki は固い表情で行く手を見据えていた。
「でも、この先はちょっと厄介な場所。気を付けて行きましょう。」
黄金色の雲の下に立ち並ぶ風車と、鄙びた集落。付近を通る者が消えるという噂、腥い風、祝祭の花飾り、歌い踊る住人。狂気と死臭に覆われたその村は、名を『ドミヌラ』といった。
村境まで進んできた二人は、門の傍らに一人の男が立っているのを認めた。がっしりとした体格の、壮年の男。短く刈り込まれた頭と、太い眉、口と顎にたくわえた立派な髭。着込んだ鎧と背負った長柄の武器は、彼が戦士であることを示している。向こうも二人に気付いたらしい。敵意のないことを示すため、空の手を見せつつこちらへ近づいてきた。
「あんたが──Saki さんだな?」
そう問いつつも、視線は Saki とミリセントの間を行き来している。いずれが目的の人物か判じかねているようだ。
「はい、そうです。それで、貴方は?」
そう答えてやると、男はようやく落ち着いた様子を見せた。
「俺は Stenvar という。ここへは、Gatz 団長の代理として来た。」
「ということは、『石の腕』の人?」
Gatz は、Saki の知己たる褪せ人である。彼は先頃、祝福の導きから外れた──あるいは離れた──褪せ人を集めて傭兵団を組織した。主な任務は、再編が立ち遅れているストームヴィル軍への訓練指導および防衛体制の補完だと聞いている。立ち上げの折、Saki は組織名をどうするかについて相談を受けていた。当初は、故国での所属先であった『鷹の団』の名を使うつもりだったという。しかし狭間の地において、鷹はストームヴィルの象徴として認識されている。少なくとも形式上は軍属でない彼らがその名を使うのは好ましくない。Gatz の要望は、こうした文化的な問題を避けた上で、雇い主には信頼を、構成員には誇りを、そして敵対者には恐怖を与える──そんな名前を考えてくれというものだった。「採用に至ったら、姐ちゃんの最初の依頼は無料で請けてやるよ」とも。それならばと思いつくままに幾つかのフレーズを口にしたところ、『石の腕』が気に入られ採用となったのだった。
「確かに、本人が来るとは言ってなかったなあ。」
口を斜めにして呟く Saki に抗議するように、Stenvar は両腕を広げる。
「おいおい、これでもアイツに引けは取らないつもりだ。俺ほど腕っ節の強い奴はそうそういない。」
「ああ、ごめんなさい。あなたの実力に疑問がある、というわけじゃないんです。」
慌てて頭を下げると、彼は腕を組んで思案顔を見せた。
「まあ、口先で強さ自慢をしても仕方がない。事実は戦場で示すとしよう。」
怒らせずに済んだ、と内心胸を撫でおろす Saki に、彼は咳払いを挟んで続けた。
「Gatz の名誉のために言っておこう。昨日の夜までは、彼は自分で行くつもりでいたんだ。ところが、夜明け前にちょっとした厄介事が起き、そちらに対処しなければならなくなった。それで急遽、俺が遣わされたってわけだ。あんたによろしくってさ。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
その説明で状況を把握した Saki は、改めて助っ人に向き直り握手を交わした。次いで一歩退がり、後方でこの遣り取りを見守っていたミリセントを招く。
「こちらはミリセントさん。さっき会ったばかりですけど、行き先が一緒なんで。」
「助力に感謝する。百の援軍を得た思いだ。」
彼女が差し出した左手を握り、大男は得意げに鼻をうごめかせた。
「話には聞いてましたけど、これは想像以上にヤバいですね。」
三人は納屋の陰から村中央の様子を窺っていた。祝祭の季節はとうに過ぎているにも関わらず、随所に色とりどりの花で飾られた十字架が立ち並んでいる。広場には、美麗な衣装を纏い高笑いと共に踊り狂う村人たち。
「血の匂いがするな......見ろ。」
Stenvar が踊り手が手にしている鉈を指した。血に濡れたその刃からは、未だ雫が滴り落ちている。
「何かを──殺したばかりってことですね。家畜なら、いいんですが。」
「残念ながら、そうではないようだ。あれを。」
そう言ってミリセントが示したのは、納屋の横手に掘られた穴。その中には人の骸が打ち捨てられていた。窮屈な空間に押し込められた遺体はそれだけでも惨いものであったが、他にも奇妙なところがあった。
「服は着ていないようですけど、ええと、この顔はいったいどうなって──?」
赤黒い体表に添って走る無数の白い筋。油を塗られたような奇妙な光沢。背後で Stenvar が忌々し気に吐き捨てる。
「皮を剝いだんだ。連中、イカれてやがる。」
これをやったのは、状況的には村人たちで間違いないだろうが──。Saki は袂から『白のタリスマン』を取り出し、『鎮魂』の詠唱を始めた。死者の魂に安息をもたらす奇跡だ。だが、送り出す前に確かめることがある。
──教えて。あなたになにがあったの?
その問い掛けに応えるかのように、遺体の傍らに朧げな人影が現れた。蹲り、頭を抱えたまま叫んでいる。
──嫌だ、嫌だ……、剥がないでおくれ……。 俺の皮は、穢れているぞ……。
──教えてくれてありがとう。痛かったでしょう。でも、もう大丈夫。
Saki は聖句の最後の一説を諳んじつつ、手にした白布で男の顔を撫でてやった。人影は遺体と共に白い光となり、空に吸い込まれるように消えていった。
「今の声は? 皮がどうこうと聞こえたが。」
「俺にも聞こえたが──、それより死体はどこへ行った?」
空となった穴を見つめる Saki の眼に、烈しい怒りが宿る。やはり、あいつらは倒さなければならない。一人残らず。
「それで、これからどうする? ──あの人でなし共を全員殴り倒せばいいのか?」
Stenvar が背の武器に手をかける。村人の数は多いが、この男なら容易くやってのけそうだ。とは言え、今はまだ力を振るうときではない。Saki は首を横に振り、努めて落ち着いた声で話す。
「私の推測が正しければ、村人たちはこの先にいる怪物に精神を支配されているだけ。できれば傷付けたくない。」
「そうは言っても、彼らに見つからずに先へ進むのは無理じゃないか?」
ミリセントが顔を曇らせた。その意見は尤もである。さて、どうしたものか──。
「それなら、お誂え向きの手段がある。」
考えを巡らせる Saki の傍ら、Stenvar は道具入れから短い杖を取り出した。
「今から──そうだな、広場の隅にあるあの井戸に連中を集める。その隙に反対側を抜けるんだ。もちろん、こっそりな。」
どうやってそんなことをと尋ねる Saki に、彼は手にした杖を小さく振ってみせる。
「Gatz から教わった魔術だ。戦闘で役に立つもんじゃないが、酒盛りのときに披露すると大いにウケる。」
Stenvar が杖を掲げ、その先端から何かを放った。距離が近いため空気の歪みでそれと知れたが、少し離れたら視認は困難だろう。それは空中を飛翔し、井戸の淵に当たって弾けた。同時に、奇妙な音があたりに響き渡る。形容しがたいが、もしも骸骨が笑ったら、こんな声を出すのではないか。強いて文字で表すなら「カカカカ」。村人たちが踊りを止め、訝しみながら井戸の方へと集まっていく。
「よし、行こう。」
いち早く動き出したミリセントに、Saki が続いた。Stenvar は念のためと二発目の『音送り』を更に遠い場所へ打ち込んでから、後を追う。
「この宴会芸を仕事で使うことになるとは。九大神にかけて、人生何があるか分らんもんだ。」
その呟きを背後に聞きながら、Saki は顔を蒼ざめさせていた。初歩のものとはいえ、Stenvar は魔術が使える。当然ながら、彼にそれを伝えた Gatz も使えるのだろう。一方、自分が使用できる魔術は皆無。私の知力、低すぎ──?
同様の手筈で村人たちの目を搔い潜り、三人は村の最奥たる高台へと至った。彼らの歌声は既に遠く、風車の羽根が風を切る音しか聞こえない。だが──、敵の気配は近い。
「いるな。あんたがさっき言ってた "黒幕" かな。」
「おそらくは。」
Stenvar が武器を構えた。兵の使う『ウォーピック』に似ているが、その柄は槍のように長い。大槌の一種なのだろうが、見たことのない得物だ。その視線に気付いた彼は、横目で Saki を見て不敵に笑う。
「俺の相棒で、『巨人殺し』という。いわゆる戦槌ってやつだ。」
「来たぞ!」
ミリセントが『シャムシール』の切先で示した先に陽炎が立ち、揺らめく空気の中から『神肌の使徒』が現れた。
脳裏に忌まわしい記憶が蘇る。火山間で遭遇した『神肌の貴種』と同じ、人皮を縫い合わせて作られた冒涜の装束。随所に残された犠牲者の顔や指などの部位の生々しさは、Saki の全身を総毛立たせた。だが、立ち竦んではいられない。投げつけられた『黒炎』を前へ跳んで躱し、すかさず『雷の槍』で反撃する。しかし相手も素早い反応でこれを避けた。着地の硬直を狙い、Stenvar が横薙ぎに叩き込む。槌の頭は腰椎の位置へ食い込んだが、その衝撃は柔らかく弾力のあるローブによって散らされてしまい、然程の痛手とはならなかった。すかさず飛び込んできたミリセントの斬撃もあっさりと躱されてしまった。
「あのデブも大概機敏だったけど、こっちは痩せてるぶんだけさらに、か。」
悪態を吐く Saki 目掛けて、怪物の得物『神肌剥ぎ』が撃ち込まれる。咄嗟に『君主軍の直剣』でガードするが、鉤状に曲がった先端がその刀身を引っかけた。しまった──! そう思った瞬間にはもう遅い。強力な引き戻しによって、直剣は彼女の手から奪い取られ、そのまま敵の後方へと飛んでいった。さらに敵は武器を返し、柄の反対側に取り付けられた直刃を振りだす。引っ張られて前へつんのめった Saki には、この斬撃を避ける術がない。選択の余地なく右腕で受ける。切断されなければ御の字だ。だが凶刃は衝撃と共に弾き飛ばされ、空を切った。
「よお、危ないところだったな。」
その声で Stenvar の戦槌に救われたことに気付く。今のは──本当に危なかった。態勢を立て直しつつ、Saki は叫ぶ。
「ありがとうございました!」
「なに、これが仕事なんでな。」
武器を失った今、前に出ても邪魔になるだけ。遠距離からの火力支援に徹しよう。そう判断し、Saki は大回りで移動する。敵を挟んで Stenvar の反対側へ。ミリセントの動きにも注意が必要だ。
Saki の後退は、結果的に戦局を有利に傾けた。Stenvar が正面で神肌の使徒と渡り合っているところへ、ミリセントが一撃離脱を繰り返す。敵がミリセントを追い始めたら、Saki が "雷の横槍" を入れてこれを阻害する。この連携は見事に機能し、有効な反撃を許さぬままに敵を追い詰めていった。
「いいね。このまま倒してしまおう。」
しかし、Saki が勝ちへの筋道を確信しかけたところで、戦況はまたも反転する。神肌の使徒が動きを止めて屈み込み、その全身を黒い炎が包み込んでいく。あれは──
「二人とも離れて!」
次の瞬間、爆炎が放たれ辺り一面を焼き焦がす。直前に Saki が発した警告が功を奏し、Stenvar とミリセントはこれを避けることができた。しかし──。最初に異変に気付いたのはミリセントだった。
「まずいな。村人たちに気付かれた。」
今の爆発は、閃光と轟音で侵入者の存在を知らせる「狼煙」だったのだ。坂を上り、手に手に武器を構えた村人たちが押し寄せてくる。
「こいつは俺がなんとかする。二人は連中を押さえてくれ。」
Stenvar が使途を睨みつけたまま叫ぶ。確かに、Saki とミリセントなら村人の制圧は難しくはないだろう。しかし、彼が如何に屈強とはいえ、単身でこの怪物を相手取るのは無謀が過ぎる。むしろ Stenvar とミリセントを使徒の討伐を任せ、自分がそのための時間を稼いだ方が──。そう考えたところで、Saki は自分が剣を失っていることを思い出す。詠唱の時間を要する祈祷だけで多数に当たるのはそれこそ自殺行為だ。それが例え、積極的に攻めることのない時間稼ぎであったとしても。
「私が行こう。」
不意の声に振り向いた Saki が見たのは、村人たちの方へ駆けていくミリセントの背中。
「君たちは、急いでこいつを倒してくれ。──私の息が上がってしまう前に。」
「え? ちょっと待って!」
そう叫びながらも、Saki は内心で理解していた。今は「ちょっと待って」が通用する場面ではない。短く息を吐き、敵へ向き直る。
「悪いけど、さっさと片付けさせてもらうよ。」
神肌の使徒はここに至って遂に、抑えいた力を解放した。蛇人の如く胴を伸ばし、上体を振り回して辺りを薙ぎ払う。
「奴さん、ようやく本気になったらしいな!」
並外れた長躯に長い得物。その広い間合いが更に延び、その場から動くことなく十歩の距離を越えて攻撃が飛んでくるのだから、こちらとしては堪らない。Saki は予備の近接武器である『黄銅の短刀』を構えていたが、やはり短い刃では受け損ねが多かった。何より、鉤側の突き込みは避けるしかない。この短刀まで失ってしまったら、いよいよ戦う手立てがなくなる。
「あんたは退がれ。こいつの獲物が届かないところまで。」
Stenvar の怒声に押されるように、Saki はさらに敵から離れた。危険を押し付けるようで気が引けるが、前に出てたところで役に立てないという自覚はある。むしろ彼の動きの妨げとになりかねない。遠距離から援護するなら、まずは集中力の回復が先決だ。そう考えて『青雫の聖杯瓶』に手をかけた瞬間、神肌の使徒が左腕を振り上げ、こちらに『黒炎』を投げつけてきた。横へ転がり、すんでのところで火球を避ける。
「あっぶなぁ!」
跳ねる心臓を宥めつつ、Saki は再度聖杯瓶に手を伸ばす。しかし、またもや絶妙のタイミングで火球が飛来する。再び転がって回避。これでは、集中力の回復ができない。
「あいつ、こっちを見てる余裕あんの?」
敵は眼前の Stenvar を苛烈に攻め立てている。あれでどうやって離れている自分の動きを感知しているのか。その疑問はしかし、一瞥で氷解した。敵は右目で Stenvar を、左目で Saki を常に捉えているのだ。二人の動きに合わせて、奴の眼球は左右独立して動く。人間には到底不可能な芸当。
「何から何まで、全部気色悪い奴!」
込み上げる嫌悪感を吐き出しつつ、同時に Saki は考える。難しく思える状況。だがそれは、こちらが相手の動きを支配できるということ。Stenvar が武器を引いた瞬間を見計らい、聖杯瓶に手を掛ける。予想通り、敵は黒炎の投擲動作に入った。これでよし。あいつはもう戦槌を躱せない。飛来する火球に備え、Saki は低い姿勢で構えた。
だが、この知恵比べは相手の方が一枚上手だった。神肌の使徒は掌に生じた火球を、Saki ではなく目の前の Stenvar に叩きつけたのだ。爆音、そして火柱。炎に包まれた Stenvar が転げながら後方へと移動していく。だが無慈悲にも、更なる火球が彼を直撃した。
「Stenvar さん!」
Saki が地面を蹴って駆け出す。敵の注意をこちらへ向けさせなければ。手にした短刀に研ぎ込まれているのは、中近距離用の戦技『嵐の刃』。これを当てるには奴の間合いに踏み込まなければならないが、躊躇の暇はない。
「ヒョロガリ野郎! 次は私が遊んでやるよ!」
駆けながら戦技を放つ。──駄目だ、まだ届かない。もっと近付かないと。敵は既に最初の標的を仕留めたと判断したのか、迷わずこちらへと胴を伸ばしてきた。この攻撃を避けることは不可能だ。しかし、幾らかでも勢いを削ぐことができれば致命傷にまでは至らない──かもしれない。Saki は覚悟を決め、あらん限りの速度で『嵐の刃』を放った。
鈍い音を立てて土が跳ね上がった。敵の上体はこちらの必死の迎撃をものともせず間近にまで迫ってきたが、その腕は得物を掴んだまま力なく垂れ下がっている。眼前にまで迫った使徒の顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。何故に我が腕は動かぬのか、と。慌てて上体を引き戻しては見たものの、やはり武器は持ち上がらない。
「はっ! ノミに噛まれたのかと思ったぞ!」
明らかな狼狽を示していた怪物は、背後からの声を耳にして弾かれたように振り返る。そこには、燻る黒炎に身を焼かれながら、悠然と歩いてくる褪せ人の姿があった。
「ご無事だったんですか!?」
Saki の問い掛けを片手で制し、Stenvar はおもむろに神肌の使徒の前へと進み出る。
「俺が何も考えずに武器を振り回す馬鹿だと思ったのか?」
言うなり彼は、手にした槌『巨人殺し』で相手の顎を思い切り打ち上げた。敵はその一撃を防ぐこともできずに、もんどり打って後方へ倒れる。飛び散る血飛沫と歯。傍で観ている Saki にも、この状況は理解できなかった。なぜあいつは抵抗もせずに殴られているのだろうか。
「種明かしをしてやろう。おまえの鎖骨は、両方とも完全に折れてるのさ。だから、腕が上がらない。」
Stenvar は、指先で自分の襟元──鎖骨の位置を指す。
「強靭で柔軟な筋肉も、支えを失えば役立たずってわけだ。」
敵は完全に戦意喪失し、後退りを始めていた。しかし、眼前の褪せ人は間合いを保ったままそれを追っていく。
「言うだろう? 学ぶに遅すぎることはないって。だが稀に、手遅れってやつがあるのさ。今がまさにそれだ。」
穏やかな口調で語りつつ、彼は戦槌の頭を返し、尖った側──ピックを前方へと向けた。
「そんじゃ──あばよ。」
その言葉と共に、ピックが使徒の側頭部へと叩き込まれる。先端が反対側の耳から飛び出すほどの強烈な一撃。怪物は絶叫と共に爆ぜ、白い光となって高台を渡る風の中へと散った。
Saki が『回復』の祈祷で Stenvar の治療をしていたところへ、ミリセントが戻ってきた。
「村人たちが急に倒れたんだ。それで、君たちが勝ったとわかった。」
聞けば、村人たちを引き連れて村の中を走り回っていたという。
「始めのうちは彼らの武器を狙って壊していたんだが、すぐに無駄だと悟ったよ。すぐにその辺にある鍬や熊手に持ち替えてくるのだからね。結局は、逃げの一手が正解だった。」
こんなに走ったのは久しぶりだ、と彼女は語った。
「あの化け物をいったいどうやって倒したのか聞かせてくれないか。」
ミリセントがそう尋ねたが、当の Stenvar は「まあ、その──殴ったのさ」としか言わない。そのため、Saki が彼の活躍を事細かに語って聞かせることになった。
「──そんで、あばよって言いながら戦槌を叩き込んでとどめ。もう、すごかったんだから。」
「いや、実際驚いた。それほどの力と技は、どれほど鍛錬すれば身に付くのだろう。」
女二人から称賛された Stenvar は肩を竦めてみせる。
「とにかく場数だよ。歳の数より多くの戦場で戦ってきた。それが良いことかどうかは、わからんがね。」
なるほど、複雑そうだ。本人も余り語りたくない様子なので、話題を変える。
「ところで、導きの先は判った?」
問われたミリセントは、静かに頷いた。
「これまではずっと北を目指してきたが、崖際に立ってみて分かった。少し西へずれていたようだ。まだ相当に遠いのか、先には雲しか見えなかったが。」
「こんなところまで飛ばされてたんだ。」
手放した地点から30メートルほども離れた茂みから、Saki は『君主軍の直剣』を拾い上げた。大切な一振りだ。失わずに済んでよかった、と安堵する。そこへ Stenvar が神肌の使徒が遺した得物──『神肌剥ぎ』を持ってきた。
「こんなもの、いったいどうするんだ? 売ってもたいした値は付きそうにないが。」
差し出されたそれを受け取った Saki は、ミリセントに声をかける。
「日陰城へ行こう。もしかしたら、義手が手に入るかもしれない。」
「本当か? それは、大いに助かる。」
自分の祈祷では、あれほど巨大な死の根には歯が立たない。しかし、神狩りの炎を宿すこの武器を触媒にすれば、一部分くらいは焼き払えるかもしれない。
「いいね。次なる冒険が待っているってわけだ。」
すぐにでも発たんとする Stenvar だったが、Saki は首を横に振る。
「日陰城には私とミリセントさんだけで。Stenvar さんには、この手紙を王都へ届けてもらいたいんです。」
その言葉と共に差し出されたのは一通の封書。風車村解放さる。至急軍を遣わされたし。そして──日陰城に異状あり。調査の必要を認む。
「もう行けと? 何がいけない? 俺の腕が立ちすぎて、自分が見劣りするからか?」
配達の仕事を与えられた彼は心外そうにしつつも、結局はまた会おうと笑って去っていった。これ以上只働きをさせるのも気が咎めていたところだ。
「それじゃ、私たちも。日が落ちる前に済ませたいからね。」
ミリセントは静かに頷き、Saki と並んで風車の立ち並ぶ村の道を下っていった。
間近に見る「森」は、崖の上から眺めたときよりも一層に禍々しく感じられた。Saki はその境界となっていると思しき沼の手前で立ち止まり、ミリセントに『獣除けの松明』を手渡す。
「持っていてちょうだい。これを掲げていれば、死蜥蜴は寄ってこないはず。」
「承知した。それで、君はどうするんだ?」
問われた Saki は『神肌剥ぎ』を取り出して構えた。
「こいつで、死の根を "伐採" します。上手くいくかは、わからないけど。」
聖印を持った手を武器に翳すと、その刃が黒い炎に包まれる。祈祷『黒炎の刃』だ。
「これだけでは『黒炎』の火の玉と変わらないけれど、この武器が持っている炎の力と合わせれば死の根を焼き切れる──かも。」
「なるほど。試す価値はあるな。」
Saki は『神肌剥ぎ』を頭上に掲げて振り回す。
「いくぞお! 戦技『黒炎の渦』っ!!」
無音。彼女が振るう刃は揺らぎながら不安定な軌道を描き、やがて勢いを失って切先を垂れた。
「──あれ?」
予想外の結果に首を傾げる Saki に向かって、ミリセントが躊躇いがちに述べる。
「こう言ってはなんだが、扱い方がなっていない。明らかに技量不足だ。」
「ミリセントさん、ちょっとやってみてもらえない?」
そう乞われ、彼女は一応は神肌剥ぎを手に取ったが、すぐにかぶりを振った。
「私には重すぎる。君のように両手が使えればよいのだが。」
さっそく行き詰ってしまった。
「うーん、ここまで来て断念するのも悔しいなあ。かといって、使えるようになるまでここで練習──というわけにもいかないし。」
腕組みをして唸ってみたが、妙案は浮かばない。仕方がない、今日のところは引き上げよう。そう思って顔を上げたところで、ミリセントからタリスマンを差し出される。『義手剣士の伝承』というらしい。
「身に付ければ、卓越した剣士の加護を得て技量が高まると伝えられている。あくまでも伝承によれば、だが。」
効果がなくて元々。「上手くいけば儲けもの」の精神だ。Saki は受け取ったタリスマンを胸元に着け、再び得物を手にする。
「お守りの霊験や──如何に!?」
振るわれた刃は果たして炎を纏い、周囲に渦を生じた。やったやったと小躍りする Saki を、ミリセントは信じられないといった面持ちで見つめていた。
『黒炎の刃』による強化を得た神肌剥ぎの戦技は、期待通りに死の根を藁の如く狩り払ってくれた。とはいえ、「森」全体を焼き尽くすのは無理だろう。最小限の根だけを焼き切りつつ向かう先は、工房と目される一角。後方を歩くミリセントが『獣除けの松明』を掲げて先を照らしてくれているが、そこかしこから死蜥蜴の鳴き声が聞こえているため、とても落ち着かない。青雫の聖杯瓶も残すところ一回となった頃、二人はようやく目的の部屋にたどり着いた。
「見て、義手がたくさん架かっている。」
松明で照らされた壁には無数の義手が並べられている。これだけあれば、彼女に会う義手も見つかるだろう。その傍らで、ミリセントは訝し気な視線を辺りに巡らせていた。
「この義手はすべて右腕だ。寸法も殆ど同じ。欠損の状況に合わせて様々な種類が作られて然るべきなんじゃないか。」
「確かに。なんでだろう? 」
そもそも、この城の主はなんのために義手など作らせていたのか。手足の失った人々に提供するとしても、街から遠く離れたこの刑場で生産するのは理に適っていない。
「まあ、左腕じゃなくてよかった──のかな。使えそうなのはある?」
振り返ると、ミリセントは作業台の上に置かれたひとつを見つめていた。
「これを試したみたいのだが、その──手伝ってほしい。」
「あ、そうだね。任せて。」
松明を壁に架けてから、ミリセントは上衣を脱いだ。服の上からでも痩せているのは見て取れたが、こうして直に見ると痛々しいほどだ。しかし、本人も触れられたくはない事柄だろう。義手を右肩の位置に持ち上げつつ、革の帯を左の肩と脇の下に通す。ミリセントも、Saki が作業をしやすいように都度姿勢を変える。揺らめく炎の明かりの中、部屋の天井付近に掲げられたマレニアの肖像画が二人を見つめていたが、彼女らがそれに気付くことはなかった。
日陰城を離れ、二人は再び王都方面へと歩いていた。結局、ミリセントは最初に試した義手を「まるで自分のために誂えられたもののようだ」と評し、着けたままで外へ出たのだった。手に入れたばかりなので当然思い通り動かすことはできないが、歩行に合わせて揺れる様はまるで生身の腕のようにも見える。
「君には本当に世話になった。今は碌な礼もできないが、近いうちに必ず。」
そう言って深々と首を垂れる彼女に、Saki は笑って首を横に振った。
「いいの、いいの。私はこの『神肌剥ぎ』が欲しかっただけだから。──そうだ。これ、返さなくちゃ。」
タリスマンを外そうとした手を、ミリセントはすかさず押し留める。
「支障がなければ、それは君に持っていてほしい。その武器を使うのにも必要だろう?」
これほど貴重なものを貰うわけにはいかないと思ったものの、少女のひたむきな視線はそれを許さなかった。
「わかった。じゃあ、今日のことはこのタリスマンで貸し借りなしってことにしましょう。」
その申し出に、ミリセントはふと目を細めた。
「この旅に出るきっかけを作ってくれたのも、二人の褪せ人だった。褪せ人というのは皆、君のようにお人好し──失敬、親切なのだろうか。」
さて、どうだろうか──と Saki は思案する。おそらくはそんなことはないだろう。エルデの王座を目指す褪せ人は、孤独な戦士たるを宿命づけられている。実際、命を狙われたことも一度や二度ではなかった。でも、気の良い人たちも沢山いる。今日出会った Stenvar だってそうだろう。ああ、全然まとまらない。
「ゴッドフレイは世話好きの部下だけを引き連れて狭間の地を出て行ったのかも。」
自分でもいまひとつだと思える冗談だったが、ミリセントは声を上げて笑ってくれた。
辻でミリセントと別れ、Saki は一人ローデイルへ向かう。思いがけない成り行きではあったが、死の根に対する黒炎の効果を確かめられたのは大きな収穫だった。予想したよりは、ずっと強力だ。ローデイル軍そしてストームヴィル軍には是非とも配備すべきだろう。しかし、根本的な解決にはやはり別の手段──運命の死が必要だ。
「もう疲れちゃった。誰か、代わりに取ってきてくれないかなあ。」
そう泣き言をこぼしつつも、それが叶わぬ願いであることを彼女は知っている。望む未来があるならば、それは自らつかみ取るより他ないのだ。深く息を吸い、宵の空を見上げる。いつの間にか月が出ていた。黄金樹よりも遥かに遠く、それでいて、いつもそこにあるもの。その孤独が、勇気を与えてくれる。さあ、歩こう、歩こう。いつか力尽きて倒れるその日まで。──いや、ちょっと待て。
「まずーい!!」
彼女は急に顔色を変え、弾かれたように駆け出した。検問に立つ兵たちが、必死の形相で通り抜けていく褪せ人を何事かといった面持ちで見送る。かなりの距離を走ってきたが、正門はまだ遠い。ふらつく脚をどやしつけ、Saki はなおも先を急ぐ。休んでいる暇などない。──王宮の食堂は、日没後一刻で閉まるのだ。
第27話『褪せ人 Ramo と誘う根』投稿予定: 2026-10-15 朝