褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
メリナから託された秘密割を携え、Saki は禁域の先にある巨人山嶺を目指す。
導入のつもりだった会話を描いているうち、気がつけば九千字超え。前後編に分けることを考えたものの、戦闘パートを大胆カットして一話に収めました。アクションを期待している方には退屈なものとなってしまったかもしれません。
王都ローデイル──エルデの玉座。眼下に広がる市街のざわめきも、高く澄んだ空へと吸い込まれここまでは届かない。風に舞う黄金の葉が立てる乾いた音だけが、壮麗な彫刻を施された石床の上に降り積もっていく。
「ネフェリ王からの報せによれば──」
静寂の中、モーゴットは躊躇いがちに切り出した。
「城の地下に蔓延していた死の根は、残らず消え去ったという。」
広大な「謁見の間」の片隅に設えられた小さな卓。差し向かいに姿勢よく座る Saki of Astora は、ただ黙って彼を見つめていた。その視線に気圧されたものか、モーゴットの声は一段と弱くなる。
「他の伝手からも裏付けを得ている。ストームヴィルは危機を脱した。」
短い沈黙。半ば祈るような気持ちで彼は言葉を継ぐ。
「で、あるならば──『滅びの火』を求むるを殊更に急く必要もないのではないか。」
Saki は僅かに顔を傾けるのみで、一言も返さない。しかし、その瑠璃色の瞳はこう問いかけていた。──そうではないと、わかっているのでしょう? 駄々を捏ねる幼子を、母親はこのように諭すのだろうか。不意に浮かんだ疑問に、モーゴットは胸の内で頭を振る。これは自分よりも遥かに年若い、子を産んだこともない娘。何より、生まれてすぐ地下へと捨てられた自分は、伝承やそれに基づいて作られた彫像絵画を通してしか母を知らぬではないか。
「──すまない。黄金樹を焼くという火を恐れるあまり、理屈の通らぬことを申した。」
認めてしまうと、存外に気分は落ち着いた。それに応じるかのように、Saki の表情も緩む。
「死の根が消えた、というのは正確ではありません。どこかへ移動したのです。死を弄ぶ者たちの、悍ましい企てによって。」
その件について、モーゴットは当然に聞き及んでいた。彼にとっては、顔も知らぬ兄──ゴッドウィン再誕の試み。それはある意味で、「陰謀の夜」よりも業深い冒涜だと思えるのだった。
「私たちは──いえ、私は既に一度、その企てを阻止する機を得ながらこれを逃しました。"材料" を手に入れた彼女たちは近く事を起こすはず。それを見てから対抗手段を探していたのでは、間に合いません。」
頷くしかない尤もな理路。それでも、モーゴットは問わずにはいられない。ローデイルの王として──否、黄金樹のもとに生まれた一人として。
「我は Saki 殿を信頼している。なれど、これだけは是非にでも言葉にて誓してもらいたいのだ。滅びの火を手に入れても、それで黄金樹を焼くことは決してない、と。」
「はい。火は、死の根を焼くためだけに。」
どちらからともなく、二人は頭上に繁る黄金樹の枝を見遣る。降り注ぐ光は、常と変わらずただ眩かった。
「巨人たちの山嶺へ至るには、禁域の最奥に建てられた『ロルドの大昇降機』を使う必要がある。」
茶のお替りを注いでいた Saki は、モーゴットの声に顔を上げた。滅びの火を手に入れる──そう決めたからには、遅滞なく然るべき措置を取らねばならない。二手の先、三手の先を考えるのが、王の務めだ。
「昇降機を動かすための割符は、ローデイルの王宮が管理している。全部で三組。その一つを貴公に貸し出そう。」
だが Saki は首を小さく横に振り、袂から灰色の──左右揃った割符を取り出して見せた。
「それには及びません。この通り、既にひとつ持っていますから。」
モーゴットの顔が曇る。自分が知る他にも、かの昇降機を動かす「鍵」が存在しているというのは由々しき事態だ。
「不躾なれど、その割符──検めても構わぬだろうか。」
「ええ、もちろん。」
その要求を予期していたかのように、Saki は微笑んで割符を差し出した。受け取ったそれに目を凝らすが、側面に刻みは──ない。王宮で管理している割符には、識別のための番号が──偽造を防ぐため、職人の手による繊細な彫刻によって──印されている。しかし、この割符にはそれがない。つまり、彼女が何らかの手段で王宮から持ち出したものではないということだ。
「いったい何処から?」
「ごめんなさい。訳あって、それは明かせません。ただ、私の推測が正しければ、それは女王マリカが作らせたものです。」
ロルドの大昇降機は、巨人戦争に際してマリカとその伴侶にして初代エルデの王であるゴッドフレイによって造られたものである。となれば、これは偽造されたものではないということか。王宮に収められたのとは別に、マリカが己の手元に置いた一組。
「滅びの火を手に入れたら、この割符は元の持ち主に返します。そのとき、ローデイルへの移譲を促してみましょうか。」
それは畢竟、母の関係者ということ。割符の由来とは別に、そちらも大いに気に掛かるところではある。だが、少なくとも現時点では、Saki はその人物について明かさぬと決めているようだ。ならばそれを探るのは──あるいは、その気配を見せるのは得策ではない。
「承知した。割符の帰趨については、目下の懸案が片付いた後に改めて話し合うとしよう。」
去り際、Saki は「あ、そうだ」と言って立ち止まった。何事かと訝るモーゴットの前で、彼女は聖印を構えると同時にくるりと反転して背を向ける。
「教わった祈祷、練習して上手く使えるようになりまして。」
見れば、Saki の腰のあたりから黄金色に輝く尾が伸び、左右にゆらゆらと揺れていた。『坩堝の諸相・尾』は、原初たる生命の力を凝縮し、瞬間的に形成された尾を振りぬいて相手を打ち据える攻撃用の祈祷だ。本来ならばすぐに消え失せてしまうはずの尾はしかし、既に十秒間は維持されていた。
「こんなこともできるのか──。」
予想だにしなかった光景を前に絶句する忌み子の王。それとは対照的に、Saki は楽し気に身体を弾ませる。
「尻尾、モーゴットさんとお揃いですね。ちょっと触ってみます?」
尾の先端が、彼の目の前でびびびと小刻みに震える。思わず手を伸ばしかけたが、咄嗟の自制が働いた。
「素晴らしき鍛錬の成果なれど、試すはまたの機会に。」
一人残った玉座の間で、モーゴットは大きく息を吐く。近しい臣下たちですら、かつて穢れと蔑まれたこの尾を極力目に入れまいと努めている。それは王に対する礼であると同時に、忌避でもあるのだろう。だが、狭間の地を離れた戦士たちの末裔である褪せ人には、角や尾が穢れであるという意識が継承されていない。故に、彼女はこの忌まわしき坩堝の相を直視できるのだ。この地のすべての者が穢れを忘れ去れば、穢れは穢れでなくなる。いつかそんな時代が訪れることもあろうが、それは気の遠くなるほどの月日が流れた後のことに違いない。幾度の還樹を経ればたどり着けるだろうか。
かつては大扉で封鎖されていた北東部の区画も、復旧が進みつつあった。慌ただしく行き交う職工と警備の兵たち。現在はローデイル防衛戦で焼け落ちた建物を解体する作業が行われているようだ。緩やかなカーブを描く階段を上った先、Saki は王都の東端、つまり城壁へと行き着いた。この場所に門扉はなく、代わりに昇降機──先にモーゴットが話していた『ロルドの大昇降機』とは別物──によって内外の往来が制御されている。壁の外側にある谷に架けられた橋が、市街部よりも50メートルほど高いためだろう。乗り口に近づくと、一人の兵がこちらの姿を見留めて近づいてきた。
「褪せ人殿ですな。手前は、警護隊の Ernst と申す者。」
初老の男。皺の刻まれたその貌は軍人らしい厳つさで、挨拶をしながらもまったく緩む気配を見せない。
「Saki of Astora です。こちらの昇降機を使わせて頂こうと思っているのですが、もしや不調法がありましたでしょうか。」
橋は禁域あるいは神授塔へと続いている。一般市民が訪れるような場所ではなく、そちらへ向かおうとする者があれば誰何し、場合によっては制止するのは兵の役目と言えた。まして、それが瞳に祝福を宿さぬ褪せ人とあれば尚更に。しかし、Ernst と名乗ったその男はゆっくりと首を横に振る。
「王より貴公の案内を仰せつかった。橋を渡った先の塔までご一緒させて頂く。」
それを聞いて合点がいった。表向き案内役と称してはいるが、その実はお目付け役。滅多な場所に立ち入らぬように──或いは、滅多なものを目にせぬように──モーゴットは自分に監視を付けた、というわけだ。とりあえず、ありがとうございます、と謝しておく。
「定員に達するまで、今しばらくお待ちください。」
そう言って Ernst は視線を行く手に据え、直立不動の姿勢を取った。無駄口を聞かぬことが軍人らしい態度であると思っているのかもしれない。若しくは、褪せ人とは可能な限り係わらぬようにしているか。年配の者ほどその傾向が強いことを、Saki は王都滞在中に感じ取っていた。彼女の知己でもある褪せ人 Ramo がモーゴットと盟約を結び、王都とその周辺の一部地域に僅かながらも安定を取り戻したことで、そうした偏見も多少は和らいでいる。何より、王自身が忌み子という出自を持っているのだから。しかし、文化や風習として刻まれたものはそう簡単には消えないようだ。
多くの市民はそれと知らずに過ごしているが、城壁の内部には水路が内包されている。城郭をぐるりと取り囲む壁の延長はおよそ4キロメートル。要所ごとに設けられた水槽の嵩を合わせて考えれば総容量は相当なものだろう。主に降雨を取り込むことで得られ、不足の際は人力で汲み上げられることもあるこの水の用途は主に動力だ。今 Saki が立つこの昇降機も、流れ落ちる水で回る水車によって駆動する。「消費」される水の量を減らすため、昇降機はできるだけ多くの人員を乗せて動かすように調整されているのだった。待つ間することのない Saki は、隣に立つ Ernst に話しかける。
「この昇降機、珍しい造りですよね。スイッチが足踏み式じゃないし、床も板張りで。」
老兵は彼女の声が聞こえなかったかのように黙っていたが、やや間を置いて口を開いた。
「そうかもしれません。」
彼は僅かに目だけでこちらを見たが、その視線も既に戻っている。それきり何かを言う気配もない。お喋りは歓迎されないようだ。──いや、どちらかといえば私が、か。そう見切りを付けた Saki は、黙って乗客が集まるのを待った。
それから十分と経たぬうちに資材を担いだ若者たちがやってきて、昇降機が動かされた。周囲から視線を注がれているのを感じる。男ばかりの現場にこのような少女──おそらく周囲はそう見ている──がいる状況が珍しいのだろう。ストームヴィル橋の工事現場でも、こんなことがあったっけ。彼らは互いを小突きながら囁き交わしている。おまえ、声掛けてみろ。自分で行けよ。けど褪せ人だぞ。馬鹿、あれは王の──。その時、隣に立つ Ernst が咳払いをしてそちらを一瞥した。強面の老兵に睨みつけられ、若者は一斉に目を逸らす。
「ありがとうございます。」
彼だけに聞こえる声量でそっと礼を述べたが、相手の表情には些かの変化も見られない。やはり、好かれてはいないようだ。前方へと向き直った Saki は小さく溜息を漏らす。胸の内に感じる重苦しさは、停止する昇降機が立てた低い唸りのためだけではなかった。
前を行く Ernst に続いて、Saki は真っ直ぐ東へと伸びる橋を歩いた。右手には黄金樹。モーゴットとの面会の場であった玉座よりも幹からは遠いが、ある程度の距離があることで却ってその巨大さが感じられる。叶うならば見上げたまま歩いていたいところだが、道のあちこちで職工たちが崩れた欄干や割れた敷石の補修作業をしているためそうもいかない。観光は諦めて、ずんずんと進んでいく Ernst を追いかける。もう少しゆっくり歩いてくれないかな──と思っていたところ、彼が不意に足を止め、こちらを振り返った。
「貴公の求める答であるかは判らぬが──」
突然何を──と訝る Saki を見据えたまま、Ernst は続ける。
「自分が知る限り、王都にはあれと同じ構造の昇降機がいまひとつ。」
そこで漸く、これが先程自分が振った話に連なるものであることに気が付いた。聞く気があるのなら、相応の態度を示してくれればいいのに。
「あ、そうなんですか。」
咄嗟のことで素っ気ない返事になってしまったが、相手は意に介する様子もない。彼は腕を水平に伸ばし、二人が来た道からやや左に逸れる方向を示す。
「このほぼ反対側──城壁の西南西に面して建つ神授橋に備わる一機がそうであったかと。」
「あれ? ローデイルの神授塔はそっちじゃないんですか?」
そう言って Saki が指す先には橋塔があった。そこから更に右前方──つまり南東へと伸びる橋を進めば『東アルターの神授塔』へと行き当たると聞いていたのだが。
「左様。あちらの神授塔はいずれの半神に献じられたものか定かでない。市井では『天賦の双子』と囁かれているが、根拠なき俗説の類と評するのが妥当であるかと。」
Ernest が口にした「天賦の双子」とは、マリカが二人目の王配ラダゴンとの間に儲けた子──ミケラとマレニアを指す。そのいずれもが次代の神たりうる「神人」の資質を見出されてたという。しかし、破砕戦争以降両者の消息は途絶えている。──はずなのだが、モーゴットと Ramo は現在、相応の確信のもとにミケラの足跡を追っている。これはごく僅かな者のみが知る事実だ。
「話、聞いてもらえてないんだと思ってました。」
褪せ人である自分と関わらぬようにしているものだとばかり。そう述べた Saki に対し、Ernst は、顎鬚を撫でつつ答える。
「そのような意識がなかったと言えば噓になるだろう。先の混乱では、多くの同僚が褪せ人に倒された。その中には、自分と近しかった者もいる。無論、正気を失くして襲いかかったのだから、返り討ちにされたとて文句を言える筋でないことは重々承知している。だが、心情が必ずしも道理に従わぬというのもまた事実であろう。」
ああ、それは──と、Saki の心も波立つ。彼女自身、これまでに少なくない数のローデイル兵を「無力化」してきたのだから。
「それに何より、この地の民──殊に王都の者は黄金樹の恩寵をこそ何より尊ぶべきものと考える。我らにとって、貴公ら褪せ人の祝福の光なき瞳は──」
Ernst はその先を言わなかった。呑み込んだ言葉は何だろう。「忌まわしい」──或いは「悍ましい」、か。そう、この狭間の地において、褪せ人とは亜人や混種、卑兵らと同様に「正しき理」から外れた存在なのだ。現王たるモーゴットに対してさえ、黄金樹の守護者を気取る忌み鬼と蔑して憚らぬ者も多いと聞く。
「しかし実を言えば、殆どの者はこれまで褪せ人をたことがない。今でこそ多くの褪せ人がこの王都を訪れているが、以前はアルター高原にすら至る褪せ人は稀であったのだから。」
「そうでした。『デクタスの大昇降機』を動かすのに割符を揃えなきゃいけなくて。あれは──大変だったなあ。」
Saki のその呟きに Ernst は少々驚いたようだった。おそらくは彼女を、ローデイルがリムグレイブと盟約を結び、誰もが大昇降機を使えるようになってから来た褪せ人の一人だと思っていたのだろう。咳払いひとつ挟んで彼は続ける。
「私自身、この任務を命ぜられたことで初めて褪せ人と相対した次第。そして──拍子抜けした、というのが正直なところ。」
そこで Ernst は頬を緩め、肩を竦めてみせた。実を言うと、こうした反応をされるのは Saki にとって珍しいことではない。
「ふふっ。何の変哲もない小娘、でしょう?」
「失礼乍ら──まさにその通り。」
この幼い容姿には常に苦労させられているが、今回はそれが良い方向に作用したと言える。相手の警戒を緩めるにあたっては、子供らしく見えること以上に効果的な手段はない。老兵が、今や城壁の向こうへと隠れた市街へと視線を向けて呟く。
「思うに、すべてのローデイルの民は同じ問いを突き付けられ、そして困惑している。信仰と偏見──己が抱えているはそのいずれであるのか、と。」
難題だな──と Saki は胸の内で独り言ちる。因果を幾ら遡ろうとも、明確な理由など見当たらないだろう。仮にそれを突き止められたとして、現状が変わるわけでもない。この縺れを解くことに比べれば、死の根を断つことの方が余程に容易いとすら思えた。
昇降機が作動し橋塔内を下っていく。見送りの Ernst に向けて手を振っていた Saki はしかし、彼の姿が見えなくなると同時に昇降床の縁へと駆け寄った。事前に黄金樹の方向は確認してある。南東──あれだ。壁の一角に空いた穴へ向け、小さく跳躍。床は彼女を置き去りにして更に5メートルほど下がって停止した。昇降路の途中に儲けられた通路へと降り立った Saki は、周囲を見回して呟く。
「危ないなあ。上るときにやったら挟まれそう。」
通路はごく短く、突き当たりには木製の扉。こちら側に閂が取り付けられているが施錠はされていないようで、辺りにも関木は見当たらない。手前に置かれた一脚の椅子と合わせて考えるに、この先が誰かを閉じ込めておくための場所なのだろう。軽く押してやると、扉は小さな軋みを上げて開いた。
通路の殺風景とは対照的に、その小部屋は存外に小奇麗だった。床の中央部には絨毯が敷かれ、天井には燭台が釣られている。壁際には書棚、箪笥、長椅子といった調度。寝台こそないものの、一人が寝起きするには十分な空間だ。無論、大層窮屈ではあろうが。
「来たよ。ここでいいんだよね?」
その声に応ずるように机の手前で空気が揺らぎ、一人の少女──メリナが現れた。Saki に『ロルドの割符』を預け、禁域への道すがらにあるこの隠し部屋へ来るよう求めた人物である。
「呼びつけてごめんなさい。私は祝福のある場所にしか出ていけないのだけど、ここだけは例外で。」
そういえば、声を掛けられたのも王都郊外の祝福で休んでいる時だったな、と思い出す。彼女が血肉を伴わぬ存在──即ち霊体であることはすぐに知れたが、祝福の近傍にしか出現できないという制限は他に聞いたことがない。
「座って構わない?」
「ええ、楽にして頂戴。」
壁際の長椅子に掛けた Saki は改めてメリナを見遣る。外見的にはとても若い。十代半ばほどに見えるが、霊体なので実年齢を測る目安にはならない。肩ほどの長さの薄紅色の髪。左の瞼は常に閉じられており、その上に刺青のようなものが施されていた。おそらくは何らかの封印だろう。右は祝福を宿す黄金色の瞳。
「さっそくだけど、説明してもらえるかな。私には黄金樹を焼く責任がある──だったっけ?」
先にメリナから言われたことだが、生憎と思い当たる節がない。当然に何故かと問うたが、返ってきた答は「ここでは話せない」だった。自身が負っているとされる責任を放置するのは、Saki ならずとも寝覚めが悪い。果たしてこの少女は如何なる謂を聞かせてくれるのだろうか。
「母は私に使命を与えた。導かれぬ褪せ人と共に黄金樹へと至れ。そして、拒絶の棘に拒まれた彼に、従うべき新たな導き──滅びの火への道を示すのだ、と。」
ならば、黄金樹を焼くというのは貴方に課された仕事ではないか──と Saki は思ったが、口には出さない。彼女とてそれくらいのことは心得た上で話しているはず。案の定、メリナはやや安堵したような表情を見せた。とりあえず、理解力のない相手だと思われるのは避けられたようだ。
「私はリムグレイブで、漂着する褪せ人たちを観察し続けた。自らが置かれた状況に適応できず、戸惑いのうちに落伍していく者がおよそ半数。初手を生き延びたとしても、祝福の導きが見えていないのでは話にならない。ここでまた半数が篩い落とされる。それらの条件を満たしたとして、旅路において信頼できそうな者はさらに少ない。言動が短絡的だったり、意味もなく小動物を殺してみたり、或いは──馬に好かれなかったり。」
確かに、そういう人間は信用できない。Saki 自身も鉤指として働く中で二度と呼ばれたくないと感じる褪せ人と少なからず出会ってきたので、その気持ちは理解できた。最後の「馬」についてのくだりを除いては。
「とは言え、いつまでも選り好みしているわけにもいかない。たぶん二十人目くらいだったと思う。意を決して声を掛けた相手は、漂着墓地でなく海岸の洞窟から出てきた褪せ人。たぶん、潮流の関係で竜餐教会のある小島に流れ着いたんでしょうね。彼は──Ramo と名乗った。」
メリナが語りを止め、こちらを見つめた。予期せぬ名が出たことで少々動揺したが、顔には出ていない──はず。
「リムグレイブとローデイルでは、彼は今や有名人。知らない人の方が少ないんじゃないかな。」
まあそうね、と含みのある呟きを挟んでメリナは続ける。
「寄り道こそ多かったものの、彼は順調にリムグレイブそしてリエーニエを踏破してアルター高原に至った。ここまでは概ね私の期待通り──だったのだけど、ゲルミア火山に差し掛かったあたりから、指示に従わなくなった。既に王都へ入るのに必要な二つの大ルーンを手にしているにも関わらず火山間に関わり、紆余曲折を経て遂にはライカードを討つ。さらにはリエーニエどころかリムグレイブまで取って返し、何やら調べものを始める始末。ようやく王都へ入ったと喜んだのも束の間、黄金樹を目前にして協力関係の解消を通告されてしまった。──まあ、これは私の落ち度でもあるのだけど。」
これまでのところ、Ramo からメリナについて聞かされたことはない。これは後できっちり問い詰め──否、聞き出さなくては。
「彼の態度の変化は、明らかにあなたとの出会いに関係している。」
なるほど、そう来るか──と、Saki は胸の内で溜息を吐く。私が誑かしたと言わんばかりではないか。
「Ramo さんがそう言ったの?」
「そういった話をする人じゃないから。知っているでしょう?」
明らかにこちらを挑発する意図を含む返し。しかし相手の狙いとは逆に、Saki の心は冷静さを取り戻しつつあった。メリナの言うことは明らかに理屈が通っていない。仮に Ramo が自分と関わったことでエルデの王となる道に疑問を抱いたのだとして、それを理由にメリナが彼に期待した役割の引き継ぎを強られるのは失当に過ぎる。普通に考えるならば、Ramo に頭を下げて契約の継続を乞うか、さもなくば他に引き受けてくれる者を探すべきところだろう。そうした諸々も、最も大きな問題の前には些事でしかないのだが。
「黄金樹を焼くと言うけれど、それがどんな結果を招くか──貴女は分かってる?」
狭間の地に生きる人々は肉体的にも精神的にも、黄金樹の支配下にある。事実、エルデンリングが砕けた際は殆どの者が正気を失った。輪廻さえをも司る黄金樹が失われたそのとき、果たしてすべての生命は存続することができるのだろうか。
「褪せ人が黄金樹へと入り、マリカに見えて王となれば狭間の地に再びの繁栄がもたらされる。でもそれは、今生きている人々とは繋がりのない、まったく新しい生命によるものになる──かも知れない。あなたは、それでいいの?」
Saki の問いに、メリナは明らかな動揺を見せた。これまでその可能性を考えなかったはずはない。努めて遠ざけてきた懸念を、他人から改めて突き付けられたことで戸惑っているのだろう。
「いいとは思わない。でも、母はそれを指示した。私の望みは──関係ない。」
「褪せ人を呼び寄せ、相争う半神たちから大ルーンを奪還させる。後には彼を王と為す。それが──貴女のお母さんの計画なのでしょう。けれど、現状はその想定とズレてきている。見直しが必要なのでは。」
モーゴットが暫定の王となったことで、黄金律は部分的であるが旧に復しつつある。大勢が力を合わせて建て直しつつあるこの世界を壊すという選択肢は、Saki には到底受け入れられない。メリナは項垂れ、弱々しく首を振る。
「黄金樹の中にいる母に、それを問うことはできない。私に出来るのはただ、命ぜられた通りに動くことだけ。」
ここでようやく、メリナの本質が見えた気がした。彼女がどれだけの月日を過ごしたかは知りようもないが、その中身は見た目通りの少女なのだろう。目の前にいるのは、母親の言いつけに副うことに汲々とし、しかしそれが果たせずに焦る幼子。ならば、私がすべきことは一つしかない。立ち上がり、メリナの前へと歩いていく。
「ともかく、滅びの火を取りに巨人たちの地へ行きましょう。私もそれを必要としているから。だけど、それで黄金樹を焼くというのは、いったん保留。」
「でも、私の使命は──」
その抗議を往なして Saki はメリナへと手を伸ばし、その薄紅色の髪に手を差し入れる。
「任せてちょうだい。お母さんには私が話をつけてあげる。」
暫く頭を撫でられるに任せていたメリナだったが、不意に糸が切れたようにこちらへ倒れ込んできた。胸に受け止め、その軽さに驚く。この希薄な霊の身体に、どれほどの重荷を負って歩いてきたのか。声を上げずに泣く少女の背を、Saki は黙したまま撫で続けた。
禁域。ロルドの大昇降機へと至る道を Saki は卑兵たちの奇襲を退けつつ進んだ。リエーニエやケイリッドを狩場とする者たちと異なり、手にする獲物に赤黒い炎を纏わせている。あれは──死のルーンだ。
「進む方向は合ってる、ってことね。」
しかし、厳重に封じられているはずの滅びの火──その根源である死のルーンの力が、その護り手にとはいえ利用されているというのは、異常事態なのではないか──と Saki は考える。マリカが囚れの身となったことで、彼女が火に施した封の効き目が薄れてきているのだろうか。いずれにせよ、道を閉ざし火を遠ざけておけば黄金樹は安泰という状況には既にないようだ。
あとどれくらい歩かされるのだろう。左右を断崖に挟まれた尾根をたどりながらんなことをえ始めた頃、濃霧の中に金色の光がぼんやりと浮かび上がった。ようやく一息つけると駆け寄ったが、それは生憎と小黄金樹の苗木。なあんだ、と呟きつつも脚を休めるべく座り込んだ Saki は前方から近付いてくる足音を聞いた。
「──おや、君か。」
こちらもその声に聞き覚えがある。靄を割って姿を現したのは果たして、知己たる赤髪の少女、ミリセントだった。
「どうしてこんなところに? ──いや、巨人たちの山嶺へ向かうと言っていたか。」
「あなたこそどうやってここへ? 城門は許可を得た人しか通れないはずなのに。」
Saki の問いに、ミリセントはローデイルに向かって右──北向きの斜面を指す。
「谷の底まで降りてから、傾斜の緩い箇所を縫うように上ってくる道があるんだ。知る者少なく、まして実際に通る者はさらに稀な。」
そんな道があったとは。封印の信頼性がいよいよ怪しくなってきた。
「荒れ放題で険しい道でな。途中に数か所、這って登らなければならない箇所もあったが──」
そこで彼女は自らの右腕──黄銅の義手を示す。先日、Saki と共に日陰城へ乗り込んで拝借してきた代物だ。
「この腕に助けられて、なんとか切り抜けることができた。まったく、君には幾ら感謝しても足りない。」
そう言いながら、ミリセントは義手を軽く振って見せる。驚くべきことに、手首そして指先までが自然な動きを示していた。
「ちょっと待って。その義手を着けてからまだ──」
「四日だ。私自身、馴染みの早さに驚いている。剣を扱っても、以前と遜色ない。」
流れるような所作で腰のシャムシールが抜かれる。続いて、空を切る音が二回。剣術にはあまり詳しくない Saki にも、ブレのない綺麗な太刀筋であることは容易に見て取れた。この順応速度は偶然の範疇には収まらない。間違いなく、なんらかの仕掛けがあるはず。ミリセントを呼び、導いているという半神──マレニア絡みだろうか。
「ところでミリセントさん、さっき向こうから引き返してきたよね?」
尋ねられた彼女は顔を曇らせつつ答える。
「ロルドの大昇降機はもうすぐそこなんだが、その前にガーゴイルが立ち塞がっていてな。」
「ガーゴイルって──あのでっかいやつ!?」
Saki の反応に、ミリセントの顔が更に曇った。
「君が思い浮かべているのが、私が言っているのと同じであるか自信が持てないが──ただでさえ手強い相手であるところ、振るう武器に強力な強化魔術が施されていて正直手に負えない。岩の陰を伝って逃げ戻ってきたところだ。」
ガーゴイルが振るう武器といえば、両刃剣あるいは斧だろう。人間が扱うものよりも何倍も大きい。しかし、奴らが強化魔術を使うというのは聞いたことがない。訝る Saki に、ミリセントはローデイルの方を指して言う。
「道中に遭遇した卑兵たちが使っているのと同じものだと思う。赤黒い、炎の。」
死のルーンの力を操るガーゴイルか。ということは──。
「グラングさんの神殿の前に立ってるのと同じやつかな。ケイリッドの──正式名称は確か──そう、『獣の神殿』。」
「あれを知っているのか。それなら、ガーゴイルの認識に齟齬はないな。尤も、戦ったことはないが。あっちのやつも強化魔術を使うのか。」
Saki とても彼のガーゴイルと戦ったことがあるわけではない。それと気付かずに目の前を横切ってしまい、襲いかかられた経験があるだけだ。その時は一目散に神殿へと逃げ込み、グラングの後ろに隠れてやり過ごしたのだった。
「君と会えたのは僥倖だ。力を合わせれば、なんとかなると思う。」
既に再戦モードに入っているらしいミリセントとは対照的に Saki の表情は暗い。あのガーゴイルに挑むのであれば、せめてもう一人、前衛を担う人員が欲しいところだ。任せろと大見得を切ってしまった手前、すぐに彼女を頼るのは気が引けるが致し方ない。Saki は黄金の苗木に向かって呼びかける。
「メリナさん、出てこれる?」
揺らぐ光の中に、メリナの姿が滲み出た。
「なんとかね。呼ばれるだろうと思って、ここで待機していた。」
確信はなかったが、思った通りこの苗木は祝福に近い性質を持っているようだ。
「申し訳ないんだけど、ガーゴイル討伐、手伝ってもらえないかな。」
Saki の頼みに、メリナは手にした短剣を目の高さに掲げ、力強い頷きで応じる。
「あのガーゴイルは死のルーンを守る『黒き剣』の眷属。通常の個体よりだいぶ手強いと思う。──心配しないで。これでも、一応の心得はあるから。」
一方、突如現れた人物を前に、ミリセントは戸惑いの色を浮かべていた。
「ええっと──差し支えなければ、紹介を願いたいのだが。」
「ああ、ごめんなさい。私はメリナ。巨人山嶺に用事があって、Saki さんに同行させてもらっているの。」
そこでようやくミリセントは安堵の表情を見せ、メリナと握手を交わす。
「ミリセントだ。北の地を目指して旅をしている。」
昇降機を降りた先に待っていたのは、見渡す限りの青空だった。既に雲より高い場所、視界を遮るものは何もない。
「うわあ、すごい! 見て、王都があんなにちっちゃい!」
南に面する断崖から見下ろした先には、ローデイルの城郭が一望できた。
「子供みたいにはしゃがないで。こっちまで恥ずかしくなる。」
感嘆しきりといった様子の Saki を諫めるメリナだったが、彼女の瞳もこの絶景を前に溢れ出る歓喜を抑えきれてはいない。雲が白いことは無論知っていた。しかし、あれほど眩しく輝くものだったとは。
ガーゴイルを倒した先──昇降機下層にあった祝福で三人は休息していたが、ミリセントは自分はこれでと言い残し、一人発って行った。そんなに急がなくてもいいのではないかと Saki は思ったが、マレニアに「引っ張られている」彼女は、居ても立ってもいられぬ心持ちなのだろう。引き留めるのも悪い気がして、手を振り見送るに留めた。優先すべきものは人によって違う。そして、ここからしばらくはメリナとも別行動だ。
「この先は祝福も疎らになる。見つけたなら、都度私を呼んでほしい。」
「わかった。頼りにするからね。」
そう言って頷いてみせると、メリナは何故か照れくさそうに視線を逸らした。やはり、まだ子供なのだな──と Saki は思う。その名を口にすることを避けているのが明らかであるため、こちらからも触れぬようにしているが、彼女が言う「母」とはマリカのことだ。それが事実であるならば、メリナもまた半神の一柱ということになる。しかし、半神であろうがそうでなかろうが、その魂の未だ若く柔らかなる「娘」に、今ある世界を壊すという、およそ人の心では耐えられぬ重圧を伴う任を与えたというマリカの意図は、幾ら考えても Saki には解せなかった。「母」とは、「子」に対し斯様に冷酷であれるものなのだろうか。たとえ、その天秤のもう片方に乗っているのが「世界」だとしても。
風に散るように姿を消したメリナを見送った後、Saki は北へと向き直る。深呼吸。冷えた空気が肺を満たし、頭が冴える──ような気がした。枝葉末節に気を取られて本来の目的を見失いがちになるのは、自分の悪い癖だ。今はただ、滅びの火を手に入れて死の根を根絶することだけを考えよう。踏み出した足の下で、降り積もったばかりの雪がさくりと鳴った。一歩ごとに、心地よい音が響く。サク、サク、サク、サク──。白い大地に残されたその足跡は、迷いなく『ザミェルの廃墟』へと向かっていた。