褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
ラニより呪痕を譲り受けた Ramo は、その見返りとして「源流」の封印に関わることとなる。
全然文字数稼げないと思っていたけれど、書き終えてみればこの有様。例の青く光る花の名前は捏造。源流の正体も捏造。フロムゲーで魔術の祖っていったら、アイツを出すしかないじゃないですか。
吹く風が地に細波を立てる。払暁の暗がりに漂い揺れる無数の光。魔術教授ミリアムはそっと屈み込み、足元から淡く輝く一粒を掬い上げた。手折られたそれは、小さな青い花。大変栽培の難しい種で、そこらに自生するものではない。真偽は定かでないが、魔力に富む土壌にのみ咲くのだとも言われている。
「──おや。」
立ち上がり腰を伸ばしがてらに遠方を見遣った彼女は、こちらへ向かい坂を下る人影を認めて思わず声を上げた。青白い装束に身を包んだ少女。その姿を最後に見たのはいつだったか。
「無沙汰であった。変わりないようでなにより。」
「お嬢様自らお出でとは。呼びつけてくだされば、何時なりと参じましたものを。」
少女の名はラニ。狭間の地でその名を知らぬ者はない半神の一柱。ミリアムにとっては主君の娘でもある。複数の敵対勢力から狙われているため、その所在は厳に秘匿されていた。そんな彼女が危険を冒してこの書院へ出向いてきたのは何故か。思い当たる理由はひとつ。
「もしや、お身体に不調でも?」
彼女は陰謀の夜に生来の肉体を失い、現在は魂を人形に移し替えて活動している。雪魔女と呼ばれたさる人物の姿を模したそれを、ラニに乞われて製作したのはミリアムだった。あれからもうかなり経つ。そろそろ、どこかの部品が耐久限度を迎えても不思議ではない。
「案ずるな。すこぶる快調だ。今日はちょっとした忘れ物を取りに、な。」
そう言って、ラニは隣に立つ男を見上げる。黒髪に細い目。一目で葦の地の出と判る褪せ人だった。
「こちら、新しい従者ですかな。」
「まあ、そんなところだ。」
その褪せ人は Ramo と名乗ったが、それ以上何か言うでもなく、にこりともしない。狼の坊と似たタイプだな──と、ミリアムは胸の内で独り言ちた。
書院へ戻ったミリアムは「しばしお待ちを」と断り、表で摘んできた花を白磁の小瓶に挿した。見回せば、室内や通路の其処此処に自然と目に留まる配置で同じものが置かれている。
「大切にしてくれているのだな。母が好きだったこの花を。」
「星見草はカーリアに所縁の深い花であると、レナラ様は仰っていました。」
懐かしむように天井を見上げたミリアムはしかし、すぐに何かに気付いたようにラニへと向き直った。
「ですが、そのように過去形で語るのはお控えください。学院の虜囚になって久しいとはいえ、我が主は未だ壮健なれば。」
咎められたラニは、すぐにそれを正した。
「許せ。失言であった。」
「──では、神授等へと向かわれるのですね。」
ミリアムの問いにラニは小さく頷いた。
「そうだ。いつまでも放っておけぬことは分かっていたが、存外に早くケリを付けねばならなくなった。」
彼女はまた隣の褪せ人をちらと見る。いったい、この男は何者なのだろう。先ほどの言い様からすると、イジーやブライヴと並んで正式な臣下となったというわけではないらしい。そうなると余計に、そのような者を連れて来たラニの意図が気に懸かる。カーリアがそこへ隠したものは、王女たるラニが犯した罪の痕跡。その露見を防ぐべく書院の管理を任ぜられている立場としては、事情を知る者を徒に増やすことは承服しかねた。例えそれが、ラニ当人の意思であっても。とはいえ、正面切って糺すこともまた憚られる。そこでミリアムは、傍らに立つ褪せ人へと視線を転じた。
「Ramo 殿は定めし優秀な従士なのでしょうな。新参ながらにラニ様の信頼厚きこと著しいようで。」
その言に込められた意図に気付いたラニがふふ、と微笑する。
「その懸念は尤もなれば、私も念入りに調べさせた。結果、イジーも此奴に危険は無いと判断したのだ。」
「ほう、あの慎重な軍師殿が。」
意外な成り行きではあったが、彼が認めた人選とあれば自分が口を挟むことでもないだろう。
「されど、問題は今一つございます。塔へ至る橋を守る、あの "番犬" をどうするおつもりで。」
「それについても、心配には及ばぬ。此奴を伴ったは、あれを始末するためでもあるのでな。」
その口調には、どこか誇らしげな響きがあった。私の犬の方が強いからな──とでも言いたげな。ミリアムは改めて Ramo を見遣る。確かに、佇まいには隙がない。魔術を専門とする自分は剣士の優劣に明るいとは言い難いが、敵に回すのは避けたいと思える男だ。切れる刀であることそれ自体が、危険といえるのではないか。
ミリアムの案内に従い、ラニと Ramo は書院の通路を進んだ。その先に待っていたのは木製の巨大な吊り篭。これで一気に建物の頂上部まで行くことができるのだという。
「くれぐれも、お気を付けて。」
神授塔までついてくるものだとばかり思っていたが、見送りはここまでのようだ。床のスイッチが踏まれ、籠はゆっくりと引き上げられていく。二人きりになったところで、Ramo は先程から気になっていた疑問を口にした。
「イジー殿が?」
隣に立つラニが含み笑いで返す。
「本当だ。見るからに不承不承という顔でだが。」
個人の好悪を排して己が役目に徹するは、さすがに軍師といったところか。とはいえ、これが原因でさらに嫌われることになりはせぬかと胸の内で嘆息もした。そんな憂鬱を知ってから知らずか、ラニが Ramo の背中をとんと叩く。
「備えよ。この先で、おまえの剣を見せてもらう。」
籠が停止し、二人は最上階へと至った。踏み出すごとに床から埃が舞い上がる。人が立ち入らなくなって久しいのだろう。Ramo が先を進み、屋外へ通じる大扉に手を掛けた。石造りのそれは、見た目の通りに重い。
「どうした? 早く開けてくれ。」
楽し気に急かすラニの声を背に、細く息を吐きながら両肩に力を込める。ずり、という感触が伝わってきた。一度動いたならば、後はなんとかなる。休まず、一気に押せ。落ちてくる塵を避けて、ラニが退がった。両の扉が離れ、その隙間から冷えた空気が流れ込んでくる。外は雨──いや、嵐か。先刻この建物へ入ったときは、空は荒れてはいなかったはずだが。
二人は建物への外へと出た。真っ直ぐに伸びる橋梁は、先頃修復されたストームヴィル橋よりも長い。ざっと見積もって、700から800メートル。そして橋の終点に聳える神授塔の頂を仰ぎ見る角度はおよそ45度。相当に高さのあるこの書院の、さらに倍も高いということだ。
「ここは開け放しておいてよいのか。」
「そのままにしておいてくれ。いざというとき、逃げ道がないのは困る。」
顔を打つ雨粒に動じることもなく、ラニは道の先の一点を見つめている。Ramo の方も、既に前方に待ち受ける存在に気付いていた。覚えのある気配。火山館で遭遇した、巨躯の刺剣遣いだ。
「並の褪せ人にとっては恐ろしい対手であろうが、今のおまえには然程の脅威でもなかろう。」
さて、それはどうだろうか──と Ramo は思う。この先に待ち構える個体が、過去に相対したものよりも強い可能性は十分にある。己の技量が当時よりも数段高い水準に達しているという自負はあるが、それとても絶対の勝利を保証するものではない。だが、それは口にしても詮無きこと。
「手早く片付けてくれ。」
「承知。」
横殴りの雨の中を歩くことしばらく。前方の虚空に黒い炎が灯り、その揺らめきの中から『神肌の貴種』が姿を現した。白い皮膚を縫い合わせて作られた、悍ましい装束。極度の肥満体であるため動きは鈍い──という思い込みが危険であることは既に学んでいる。Ramo の脳裏に、かつて自分の膝を打ち抜いた刺突の迅さが蘇った。緊張すべき状況であることは重々承知しているが、口の端に浮かぶ笑みを抑えきれない。重ねた研鑽は如何ほどに己を高めたか。それを確かめるまたとない機会が今、目の前にある。
怪物の剣捌きは記憶に違わず鋭かった。狙った箇所に寸分違わず石火の速さで突き込まれる切先は、標的を一撃で仕留めるに十分な殺傷力を持っている。その軌道には毛一筋の狂いもなく、しかしそれ故に回避しやすい。無論、それには仕掛けがある。狭間の地での戦いを通じて、Ramo の感覚は相手の殺気──即ち、直後に繰り出される攻撃の軌道を捉えることができるようになっていた。敵が武器を振るうのに先んじて走り来る、白い光の筋。それを避けるように足を運べば、あらゆる攻撃を躱すことができるのだ。敵の刺突に合わせて反対側へ踏み込み、『神肌縫い』を握る腕の内側へと刃を走らせる。その一閃は正確に筋を断ち、怪物から握力を奪った。
かろうじて得物を取り落とすことを免れた貴種は、それを左手に持ち替えてなおも打ち込んでくる。再び同じ目に遭わぬようという意識が働いているのか、横薙ぎの頻度が増していた。それならば、と Ramo は振り出された刃の下へ滑り込む。擦れ違いざまに敵の踵への斬り払い。追って身を翻した敵は 翻筋斗打って倒れた。腱を割られたその足首では、体重を支えられぬだろう。ただ立つことすら儘ならぬはずだ。
「退け。既に其方の勝ち筋はない。」
言葉を解するか甚だ怪しい相手ではあるが、一縷の望みを賭けて呼びかける。だが、その願いは叶わない。Ramo の目は怪物が次に起こす行動、殺意の軌道を捉えた。──まずい。直後、敵はその巨体を横倒し、猛烈な勢いでこちらへ転がってきた。これを躱すのは容易いが、突進の行く先──自分の背後にはラニがいる。
Ramo は咄嗟に腰を下ろし、両腕を床に突っ張って転がり込んでくる敵を力一杯蹴りつけた。全身を貫く衝撃と共に弾き飛ばされる。少しでも力を逃がそうと後ろへ転がるも、その効果は気休め程度。二転の末、ようやく膝を着いて止まることができた。一方、突進の軌道を曲げられた怪物は横手の欄干へと突っ込み、これを破壊して止まっている。ただ一押しで奴を突き落とすことのできるこの機を逃す手はない。だが、今しがたの衝突で Ramo の右脚は感覚を失っていた。
「動け!」
固めた拳で膝を打ち痺れを追い払おうとするも、その刺激さえ脳に届いてこない。こうしている間にも、敵は橋梁からせり出した図体を引き戻しつつあった。このまま仕切り直しとなれば、体格で劣るこちらが不利。力の入らぬ右脚に見切りをつけ、左脚と両腕で這い進む。僅か10メートル足らずの距離が、彼方の向こうに感じられた。遠い──間に合うか。しかしその焦りは、視界の中央に不意に現れた「月」の前に立ち消えた。蒼い光を放つ、暗い真円。それはゆるりと自転しながら漂い行き、そして──橋体の端にしがみつく貴種の鼻先で破裂した。吹き荒れる魔力の風圧が怪物を弾き飛ばす。その巨体の落ちる先は、既に戻れぬ虚空。脚を引きずり橋の際へと急ぎ寄った Ramo が見たのは、遥か下方の崖に爆ぜた白い光の微かな残滓だけだった。
「今少しの手際良さを期待したのだが。」
ようやく動くようになった足を引いて戻った Ramo を、ラニは呆れ顔で迎えた。当然の反応だ。あそこでラニが魔術で貴種を突き落としていなければ、戦いの帰趨はどうなっていたか分からない。
「何故、避けなかった?」
両の手の指先をびたりと合わせる特有の仕草。あの転がり突進のことを言っているのだろう。
「──油断故に。既に戦意は奪えたものと思い込んでいた。」
そう、あれは明らかに自分の判断ミスだ。その答申にラニは思うところのある素振りを見せたが、口にしたのは「そうか」の一言のみ。次の瞬間、彼女の姿は白い霧になって消え失せる。
「馬鹿め。あのような無様な攻撃が当たるわけがなかろう。」
その声に驚いて振り返った先には、10メートルほど先をローブの裾を揺らして歩くラニの姿。魔女殿はすべてお見通し──か。強く踏みしめて僅かに残る痺れを追い払うと、Ramo は急ぎその背を追った。
以前立ち入ったことのある二基の神授塔。その頂上部には二本指の骸らしきものがあった。このリエーニエの塔にそれはなく、それに代わって中央に横たわるのは焼け焦げたと思われる女性の遺体。先を進んできたラニが足を停め、こちらへ向き直る。
「お目当てのものは背側に刻まれている。手を翳すだけで、引き寄せられてくるはずだ。」
それだけ言って、彼女は今しがた上ってきた階段の方へと視線を向けた。己の遺体を見るというのは、只人には経験しえぬものであるが、それでも忌まわしく感じられる行為であろうことは想像に難くない。
「では、失礼を仕る。」
凝視せぬよう心掛けつつ、遺体の反対側へ。屈んでその背を検めると、そこには言われた通り『死の呪痕』が浮かび上がっていた。半円を描く弧の各所から内外両側へ細い筋を伸ばしたその形状は、多足の虫を思わせる。
「その呪痕は "百足傷の欠環" とも呼ばれている。尤も、人々がそう呼ぶのは黄金樹の麓に葬られた男の背にあるものだが。」
自分が抱いた印象を察してか、ラニが向こうを向いたままそう呟いた。陰謀の夜に斃れた、半神最初の死者──黄金のゴッドウィン。その命に届いた凶刃が残した傷を補う片割れを刻まれた、もう人柱の半神。二人はどのような関係であったのか、大いに気に掛かるところではあるが、当の本人が語らぬと決めていることは明らかである。それ故に、呪痕を取りに行くからついてこいと言われたときから Ramo は無関心を装い続けているのだった。差し当たり、これを手にしていればゴッドウィン再誕を目論む輩の思惑通りに事が進むことはない。自分にとっては、それで充分である、と。
「例の案件について、伺ってもよい頃合いかと存ずるが。」
書院へ戻る橋の道すがら、Ramo は意を決して隣を歩くラニに尋ねた。呪痕の譲渡と引き換えに彼女が出した要求は「おまえの知る中で最も魔術に長けた者を連れてこい」である。それを受けて、Ramo は知己にして異国の魔術を操る魔術師 SecretFire を伴いラニが拠点とするスリーシスターズを訪れたのだ。SecretFire はイジーの案内でカーリアの城館へと向かい、一方の Ramo はこうしてラニに伴われて神授等へと赴いた、というわけである。
「貴公の求むるところなれば無用の詮索は致さぬが、我が友に何用あるかは知っておきたい。」
ラニは変わらぬ歩調で進みながら、小さく溜息をついた。
「せっかちな奴だ。それについては、戻ってから話そうと思っていたのだが。」
そう言われれば、確かに。SecretFire も自分が何をさせられたのかと彼女に問うことだろう。であれば、ここで話すのは二度手間となる。己の不明を恥じ要る Ramo だったが、ラニの方にも新たな考えが浮かんだらしい。
「しかし、おまえはあの男ほど魔術に明るくない。前提となる知識を揃えておいた方が、話を進めやすいかもしれんな。」
どこから話したものか──と前置いて、ラニはゆっくりと話し始めた。
「一口に魔術師といっても、関心の対象はそれぞれに異なる。学院の中でさえ、幾つもの流派が存在し、それぞれに教室を分かって各々の探究に勤しんでおるのだ。我がカーリア王家が掲げる月の魔術を始めとして、星の魔術、重力の魔術、冷気の魔術、溶岩の魔術。その他、名前すら失われた古き魔術の系統が多数。数え上げればきりがない。」
魔術の経験皆無である Ramo には、聞いただけで気の遠くなる話である。
「星の魔術はさらに複数の分派に分かれるが、その内のひとつに少々──いや、非常に厄介な一団がある。源流派と呼ばれる連中だが、聞いたことはないか?」
「生憎と。」
やはり素人の相手は面倒だ。そう思われたのではないかと恐縮する Ramo を余所に、ラニは淡々と続ける。
「星の魔術とは、輝石から力を引き出して用いる手法の総称だ。多くの魔術師はそれを所与のものと考え、その力をどう扱うかについて日々頭を巡らせている。一方、源流派は輝石の力そのものが何処からきたものであるか、その由来を追い求める。」
「以前、SecretFire から輝石は地上に降り注ぐ星光が凝固したものだと聞いた。であれば、その力の源は宇宙を渡ってくる光なのでは。」
ラニがこちらを横目で見て、僅かに口の端を持ち上げた。
「そのあたりの基本事項は知っているのなら、説明の手間が省ける。──とはいえ、今の回答は的を射ておらぬ。言う通り、輝石が持つ力は星光に由来する。しかし、それは他の方法で得たものでも代替が可能だ。彼らが知らんとするのは、輝石から力を引き出す術は如何にして見出されたのか、ということだ。」
これまでに考えもしなかった事柄であるが、辻褄の合わぬ話であることは判る。輝石魔術が人の手によって生まれ育まれてきたのであれば、その歩みは細大漏らさず歴史として文明に刻まれるはずだ。建築、軍事、医術、その他すべての技術がそうあるように。然るに、源流派なる一派は、自らが用いる魔術の由来を今更に探し求めているという。そのような転倒した状況の経緯として考え得るのは──。
「その通り。輝石魔術はこの狭間の地の外より、既にある程度完成した状態で持ち込まれたのだ。」
黙して考える Ramo に、ラニは頷いて応じる。この程度は推し量れて当然ということか。
「彼らは歴史を遡り、輝石魔術の起源を突き止めようとしている。そこに深淵なる真理が隠されていると信じて、な。しかし、彼らが "源流" と呼ぶそれは、実のところまったくそのようなものではない。」
彼女は片手を上げ、それをひらひらと振ってみせた。つまり、ラニは「源流」──輝石魔術の出処を知っているということだ。ならばそれを彼らに教えてやればよいではないかと思うところだが、そうせぬには相応の理由があるのだろう。
「カーリアは代々その秘密を守り、受け継いできた。母が学院の長となるに際して源流の研究を禁じたのもその一環だ。しかし、秘密というものは、その存在が露見した時点で半ば明かされたも同然。源流を追い求める者たちの動きは、近年かつてないほど活発になってきている。連中が力尽くで押し通り源流に至るのは、もはや時間の問題だ。」
この続きは城館へ戻ってからとしよう。ラニがそう言って話をひとまず切り上げたため、Ramo は一人で考える他なかった。カーリア家が源流の探究を禁じたのは何故だろうか。輝石魔術が外来の技法であることはわかった。しかしそれは、起源の探究を不可とする理由にはならない。むしろ対象をよく識り発展させるため推奨されるべき行いであるはず。学徒として当然の営みを禁忌として遠ざける理由として考えられるのはふたつ。ひとつは、それが誰かの不利益となる場合だ。カーリアが権力を得て王権を興すに至る過程には、公言できぬような所業のひとつやふたつはあったことだろう。無論それは、程度の大小は違えど全ての支配者の系譜が抱える事情だ。しかし、源流の探究によって明るみに出る罪が、度を越えて──それこそ王家としての存続を揺るがすほどに──重大なものであるならば、カーリアがその秘匿に血道を上げるのも理解できる。いまひとつは、その探究が危険を伴うものである場合だ。例えば──坑道で輝石の採集に従事する石掘りたちは、その身を半ば結晶化させている。他にも、同様に体組織を輝石によって浸食されている生物を見てきた。蟹、蝸牛、そして竜。源流の解明が齎す新たな魔術が、あのような「病」──ここでは仮にそう呼ぼう──を広く伝えるものだとしたら。無論これはまったく根拠のない空想ではあるが、要するにカーリア家をして源流を封じさせるに足るだけの災厄が想定されているのではないか、という推測だ。
書院にて雑務をこなしながらも、ミリアムは気を揉み続けていた。神授塔へ至る道は、神肌の貴種が塞いでいる。かの番犬は忠実ではあるものの知能には乏しいため、ラニに対しても牙を向くだろう。故に彼女は、それを始末するための新たな「犬」として、あの Ramo という褪せ人を連れて来たのだ。しかし如何に腕が立つとはいえ、人の身であの巨躯の怪物を下し得るものかと考えると甚だ心許なかった。無論、彼が打ち倒されたとて、転移魔術を操るラニは苦もなく逃れて書院へ戻ることができるので問題はない──はずなのだが、彼女は臣下を大事にしすぎるきらいがある。Ramo を助けようとして自ら窮地へ踏み込むことがなければよいのだが。それだけに、籠が降りてくる音を耳にしたときの安堵はひとしおだった。
「存外に早いお戻りで。首尾よく事を運を運ばれと見えますな。」
主塔の方へ駆けだしたいのを堪え待っていたミリアムに迎えられたラニは、僅かに得意げな表情を見せた。
「そう大袈裟にしてくれるな。ちょっとした散歩程度のものだ。」
そこでちらと、背後に控える褪せ人の方を見遣る。果たして彼は、「外で待つ」と言って書院を出て行った。察しは悪くないようだ。その背が見えなくなったのを確かめ、改めてラニへと向き直る。
「ときにラニ様、あの男に見せたのですね。お身体に刻まれた呪傷を。」
それは軽率に過ぎぬかという非難を込めた物言い。自分にできる最大限の抗議だ。
「ああ、見せた。──というか、呉れてやった。」
「──は!?」
予想だにせぬ返答に、それまで考えて来たあれやこれやがすべて霧散した。
「渡したのですか? 呪痕を? あの男に?」
何をそんなに慌てているのだとでも言いたげなラニを前に、ミリアムは必死で理路を手繰る。
「しかしあれは陰謀の夜の──。いや、その前に臣下でもない者にそのような──。」
話しながら、そうだ──と思い当たる。そもそも、王位の簒奪者として悪名高い褪せ人を彼女がこれほどに信頼していることが解せない。
「お二人が神授塔を訪れている間に、下男たちから Ramo 殿の話を聞きました。モーゴットを破り、彼と盟約を結んだ褪せ人の噂は聞いてましたが、あれが当人とは。しかしなれば、彼は黄金樹の勢に与する者。即ち潜在的なカーリアへの敵対者ではありませんか。」
「先にも申したが、それについては調べをつけてある。確かにローデイルとは久しく反目する間柄ではあるが、だからこそ仲介の当てを確保しておくことが肝要なのだ。」
動転の余り頭から抜けていたが、彼に関してはイジー殿が安全と判を押しているのだったか。いや、それでもこれはさすがに──。勢い込むミリアムを宥めるように、ラニは穏やかな口調で続ける。
「おまえが案ずる通り、あやつは部下ではない。これまで自分か母──つまりカーリア家に仕える者か、或いは敵対者か、そのいずれかとしか相対してこなかった私にとって、初めての例外と言えよう。」
「王家に生まれし者の宿命として、それは確かに。なれどそれは、彼についても同じことではありませんか。仲介者というのは、取りも直さず敵となる可能性のある存在です。」
その指摘に、ラニは頬を緩める。それはまるで、悪戯がバレた子供のように見えた。
「済まぬ、仲介云々は詭弁だ。私があいつに求めるのは利益でも忠誠でもない。ただ共にいて快いこと、それだけだ。」
「なんとも──カーリアの女王とも思えぬ言葉ですな。」
その楽天ぶりにミリアムは呆れかえる。末子とはいえ既に子供ではない。王族としての自覚に乏しいお方とは思っていたが、ここまでとは。しかしそのとき、脳裏に幼き王女を抱く主の姿が過ぎった。──愛しいラニ、貴女の夜を行きなさい。月にも星にも導かれることなく、自分だけの闇を歩いて。
「ですが、ラニ様のお考えはわかりました。その打算なき縁を大切になさいませ。なんとなれば、この狭間の地において友誼ほどに希少なものはなき故。事によれば、大ルーンなどよりも一層に。」
カーリアの城館、上階。SecretFire とイジーは既に所用を終えて上階の広間でこちらの到着を待っていた。
「上手くいったか?」
ラニの問いに、二人は揃って首を横に振る。
「とても記憶しきれる長さではない。すべての魔術を頭から叩き出してみたが、それでも要求量の半分しか満たせなかった。自身を過大評価はしたくないが、他の魔術師を連れてきたとしてもせいぜい二割増しが限界だろう。」
「『月』を使っても駄目か?」
そう尋ねられて、イジーは指先に乗せたタリスマン『ノクステラの月』を差し出しながら応じた。魔術や祈祷を使うために必要な記憶の容量を増やす効果をもつ、永遠の都の秘宝だ。
「無論試しましたが、不足分を補うには至らず。」
「まあ、そうであろうな。」
この結果を半ば予期していたらしいラニは、特に落胆することもなくタリスマンを受け取り袂へと収めた。
結果報告が一段落して後、ラニから何か聞きたいことはあるかと水を向けられた SecretFire は待っていましたとばかりに話し始めた。
「術式そのものについては凡そ把握できた──と言ったら嘘になるが、概略、つまり一連の流れの起点と終点、そして主幹となる経路は特定することができた。それから判断するに、貴公らが私に記憶させようとた魔術は、強力な封印の鍵だ。まずはその点を確認したい。」
それを聞いたラニが珍しく驚きの色をなし、背後に佇むイジーを見返る。
「どこまで話した?」
「ご指示の通りに、『この魔術を記憶せよ』とだけ。先ほど彼から同じことを尋ねられましたが、どこまで明かしてよいものか判断つかず、ラニ様のお帰りを待っていた次第。」
ラニはふむ、と小さく頷いて背筋を伸ばした。門外漢たる Ramo には眼前の遣り取りの大半が理解の外であったが、SecretFire の指摘が彼らの予想を超えて正確であったらしいことは察することができた。
「ご名答。さすがはストームヴィルの筆頭魔術師殿だ。差し支えなくば、何を以てそう判断したのか聞かせてもらえぬだろうか。」
こいつに話させると長くなるぞ──と内心で届かぬ警告を発する Ramo を余所に、許しを得た SecretFire の語りはさらに調子を上げる。
「まず気がついたのは、この術式の出力が投じる魔力の総量を問題とせず、時間方向における流量の変化、すなわち波形にのみ依存していることだ。これは、その用途が攻撃でないことを示している。発動までのタイムラグの大きさも、これを裏付けている。並外れて長い詠唱によって形成された回路を魔力信号が通り抜けて末端に集結するまでに要する時間は、概算で60秒。戦闘における運用は不可能であろう。」
もはや奴が口にしていることのすべてが理解できなかった。しかし当のラニは、どこか楽しげな表情で聞き入っている。
「次に着目すべきは、提示された魔術──今仮にこれを『甲』としよう──が出力する信号が効果の発動に必要な信号の半分でしかないということだ。この事実は、当該の術式が効果を発揮するにあたって『甲』と同形の、しかし独立した魔術『乙』を必要とすることを示唆している。さらに言えば、一つを記憶するだけでも至難であるこの魔術を二つ使用するというこの構成は、二人の術者による共同作業を想定したものとしか考えられない。個人の判断で発動できては困るような代物だな。そのような運用が必要な機能は何かと考えれば、"封印" という目的を想起するのは不自然ではあるまい。まあ、宝物庫の鍵と同じだ。」
室内に拍手の音が響いた。気付けばいつの間にかラニが立ち上がり、部屋の中央へと進み出ている。
「見事だ。こうも容易く看破されるのでは、封の厳重さに過大な信を置くのも考えもの、か。」
「左様──ですな。」
他の三人をゆっくりを見渡してから、彼女は一際に低い声で話し始めた。
「魔術に疎いであろう侍殿のため、今彼が話した事柄を簡潔にまとめよう。カーリアは代々、とある封印を守ってきた。その鍵は二本あり、一方を現当主、もう一方を先代当主が保持する決まりとなっている。先代が既に没している場合、鍵の管理責任は次期当主に移るという付則もある。これに従い、現状では母レナラが『甲』、そして私が『乙』をそれぞれ保持している。これが現状だ。」
ようやく話の内容が掴めた。ラニは「二本の」鍵と言ったがそれはあくまで譬えであって、実際は件の──SecretFire が記憶を試みて叶わなかった──魔術が、その役割を果たしているのだろう。
「封印がそのような形式になった理由は二つ。ひとつは今ほど魔術師殿が指摘したように、当主の気まぐれで封が解かれることのないようにするため。そしていまひとつは、鍵を手にできる者をカーリアの系譜に限るためだ。現に、これほどに魔術の才豊かな貴公を以てしても、記憶は叶わなかった。」
つまるところ、ラニは Ramo に魔術師を推挙させはしたが、それは「駄目で元々」の試みだったというわけだ。
「ところが、ここで問題が生じた。いざ封を解かねばならぬとなった今、一方の鍵を持つ母がこれを行使できる状況にない。さりとて、カーリアの末裔は私の他になし。例えば、兄ラダーンが健在であったならば、彼が代理を務めることもできたであろうが。」
星砕きのラダーン。武に優れるのみならず、サリアに学び重力の魔術を修めたと聞く。実際、その凄まじい威力を目の当たりにもした。かの半神ならば人の身では叶わぬ魔術を行使できたことだろう。しかし彼はケイリッドの砂丘に散り、既にこの世にない。──さて、議は佳境へと至った。恐らくは、ラニも自分がそれを問うのを待っている。
「カーリア家が斯くも厳に封じたもの。それこそが、輝石魔術の源流という理解にて相違ないか。」
これから話すのは私が生まれるよりも遥かに以前の出来事であり、すべては伝承と調査、そして幾許かの個人的な推測にもとづくものであることを念頭に置いて聞いてもらいたい。その断りに聞き手たる二人の褪せ人が頷き返したことを以て、カーリア王女の語りは幕を上げた。
「狭間の地には多様な生物が息づいている。人、獣、草木、あるいは黴。姿形は異なれど、それらは皆ひとつの祖を分かち、悠久の時の中で枝分かれしてきたものだ。」
その認識は、Ramo 自身のものとそれほど遠くない。とはいえ、それを信ずる者は何処でも少数派であろう。何故なら──
「しかし、この地はまた古くから "外なる神" どもの干渉を受けて来た。腐敗の神、火の神、死の神、真実の母。黄金樹の民が信仰する『大いなる意思』もその一角だな。連中は文字通りに狭間の、或いはこの星の外から訪れ、この地の生命を好き勝手に弄り回している。しかし、忘るる勿れ。生命そのものは、以前よりこの地に在ったのだ。奴らがしているのは、人がより穂の重い麦、より従順な羊を選んで殖やしているのと本質的には同じこと。ただ、それをごく短い期間で成し遂げたにすぎない。」
ラニは明らかに、外なる神の干渉に苛立っている。その反発が、彼女を二本指──大いなる意思──に背かせたのだろうか。
「成程。例えば『腐敗の眷属』は、沼地に棲む虫の類に手を加えて創りだされたということか。」
「おそらくはな。そして、人もまた例外ではない。黄金樹がもたらす "恵み" 即ちルーンに依存するよう、その肉体を造り変えられている。」
如何に「神」に支配されることが意にそぐわぬからと黄金樹を焼いてしまえば、人の世は終わる。神からの解放は、同時に「生命」の放擲でもあるのだ。そこへ SecretFire が口を挟む。
「外なる神の手を逃れ原初のままに在る生命は、この地に残っていないだろうか。」
「知りうる限り、無い。その条件に最も近いのは古竜だが、彼らとて大いなる意思の影響を免れることはできなかった。ただ外見的な変化が少なかったというだけのこと。」
竜という言葉に反応して身を乗り出した学者の肩を、Ramo が引き戻す。落ち着け莫迦。
「長くなってしまったが、ここからが本題だ。先ほど全ての生命は祖を同じくすると言ったが、あらゆる物事がそうであるように、これにも例外がある。」
このラニの言に、Ramo は些か驚いた。それが意味するところが、あまりに重大であるためだ。
「おそらく貴公らも『しろがね人』を見たことがあろう。人に近い姿の第一世代と、カエルのような第二世代。或いは、地中深く潜った先で、『結晶人』と戦ったことは。」
いずれも、覚えがある。しかし、明らかに生物然とした前者はともかく、後者は生物というよりは機械仕掛けの人形であるように見えた。あれが生命であるとは、俄かには信じ難い。いや、待て。結晶の身体、輝石の魔術──。
「それらを生み出したのが──『源流』か。」
「そうだ。覚えが良くて助かる。」
何の話をしているんだと訝る SecretFire に、Ramo は神授塔からの帰路ラニから聞いた話を要約して伝える。その間にも、思考は目まぐるしく回転していた。カーリアが封じた源流──それは、新たな系統の生命を造り出す手法。
「源流の探究を志す魔術師どもは、そこに生命の基本構造、あるいは永劫不変の真理があると信じている。それを解き明かせば、この世のすべてを理解できるのではないかと。」
そこで、説明を受けて話に追いついた SecretFire が再び口を挟んだ。
「そこに些かの誇大妄想があることは認めよう。しかし学問が目指すところとは、究極それなのではないか。」
「実に、学者殿らしい見解だ。しかし、現実とは無情なもの。源流をたどった先にあるのは万物の理でなどではない。狂った一匹の竜──その不死への妄執に切り刻まれた生命の残骸だ。」
話の途中ではあったが、Ramo はその場を SecretFire に任せて部屋を出た。これ以上は、聞いたとて頭に入らないだろう。冷えた外気が、火照った身体に心地よく染み込んでいく。辺りは既に暗く、天中には大きな月。その明かりの中、静かに『打刀』を抜いた。上段に構え、ゆっくりと振り下ろす。手首を返して、逆袈裟に斬り上げ。右手を放し、片手で横薙ぎ──。基本となる動作を無心に繰り返すうち、千々に乱れた心が撚り糸の如くまとまっていくのを感じる。しかし、そうして胸の内に余裕ができると、頭は先に聞いたあれこれを整理し始めた。断片的な情報が収まるべき場所へ落ち着くと、勢い欠落が気に掛かってくる。最後に聞いた竜の話はどう繋がってくるのだろう。我乍ら移り気な性分であると呆れるが、こればかりはどうしようもないと諦めている。ストームヴィルへの帰路、SecretFire に補講を頼むとしよう。
数日後──レアルカリア魔術学院、夜の大書庫。その日の見回りを担当した魔術師は、カーリアの賓客──という名目の人質であるレナラの呟きを耳にした。
──あら、貴方...またいらしたのね。
──やっぱり、産まれ直したいのかしら?
総監からは異状あれば委細漏らさず報告せよと言われているが、あのイカれ女は時折思い出したように、膝に抱えた琥珀のタマゴに話しかけているのだ。つまりあれは異状ではなく常態。因って報告の必要を認めず。彼は自分にそう言い聞かせると、レナラの方に目を遣ることもなく、その場を後にした。
──もうお帰りになるの?
──怖がることはないのよ、貴方。
──きっと良い子に産んであげるわ...。
声が止み、書庫は再び静寂に包まれる。レナラの傍らには、いつの間にか置かれた素焼きの小瓶。薄明かりの中でひっそりと揺れる二輪の青い花を、女王の瞳はいつまでも見つめていた。
第30話『褪せ人 Saki と律の表裏 (前編)』投稿予定: 2026-10-18 朝