褪せ人 Ramo と Saki の物語   作:Skinny Slaver

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山頂への道は監視者たちによって閉じられていた。滅びの火を手に入れるため、Saki は彼らの砦を訪れ交渉に臨む。

プロットを固めて書き始めたのに、見積もった字数を超えてもまだ半分ほど。仕方がないので前後編に分割することにしました。



褪せ人 Saki と律の表裏 (前編)

巨人山嶺を覆う雪はいよいよ深く、麓からの道も既に定かでない。仮にこの先へ踏み入る者がいたとて、幾許も進まぬうちに方向を見失い行き倒れることになるだろう。なれば春が兆すまで哨戒を減らし、砦に詰める者たちの負担を軽くしてはやれないだろうか。監視者の長アーガンティは冬を迎えるたび考えるが、それが叶わぬ望みであることも知っていた。かの戦争で巨人たちを打ち滅ぼしたマリカは、最後の生き残りに呪いの刻印を施したのだという。

──小さき巨人よ。永遠の火守りとして生きるがよい。

明けることのない懲役を科されたのは巨人だけではない。アーガンティと彼女が率いる監視者たちもまた、黄金樹の災いたる火を王都より遠く隔たる頂いただきに封じるため、この地に留め置かれているのだ。ある者は犯した罪の償いとして。ある者は信仰の証として。逃れる術はなく、また戒めの緩むこともない。神の呪いとは、そういうものだ。

 

彼方に聳える黄金樹を眺めとりとめのない感傷に浸っていたアーガンティを現うつつへと引き戻したのは、階上へと駆け込んできた部下の声だった。

「報告。南の阻塞にて不審な者を捕縛。抵抗の意思は見られず、長 おさ殿との面談を求めています。」

この時期にわざわざ雪を漕いできたとはご苦労なことだ。とはいえ、この砦を訪れる者は僧兵や司教によって追い返されるか、さもなくば叩き殺されるのが常であった。

「捕縛とは、血の気の多いおまえ達らしからぬ措置だな。いったいどんな奴だ?」

「そこまでは。接触した Thorek からの連絡では、ただ "褪せ人の女" とだけ。」

この砦を守る僧兵たちの中でも、Thorek は一際に気性の荒い男である。それを上手いこと丸め込んだとなれば、その手管に興味が湧く。

「よかろう。連れてこい。」

階下へと駆けていく部下の背を見送ったアーガンティは、ふと気づいて己が姿を検めた。外部の者と会うとなれば、それなりの威厳というものを備えて臨むべきだろう。装束に乱れなどあれば、この砦全体が──延いては我々が追う任が軽んじられることになりかねない。

 

「これはこれは。」

Thorek に付き添われて現れた褪せ人の姿を見たアーガンティは、思わず感嘆の声を漏らした。あらゆる秩序が失われた狭間の地を踏み越えてこの山嶺へ至ったとなれば、一方ならぬ剛の者であろうと身構えていたところ、目の前に立ったのは白金の髪をおさげに結った小娘。門を守る連中の、毒気を抜かれた顔が目に浮かぶ。

「Saki of Astora と申します。まずは、面会の労を取って頂いたことに感謝を。」

彼女はそう言って深々と首を垂れた。虜囚にも等しいこの状況で、実に落ち着いたものである。言葉遣いもしっかりしており、存外見た目ほどに幼くはないのかもしれない。

「監視者の長、アーガンティだ。ようこそ、お客人。」

人払いをし、胸壁の傍らに設えられた簡素な卓へ。二人は差し向いに腰を下ろす。

「これまでに幾人かの褪せ人がこの砦を抜けようと試みたが、我らはそのすべてを打ち払ってきた。」

この言は無論威嚇ではあるのだが、自分としては好んで戦いたいわけではない。このように話し合える人物であればこそ、穏便に引き取ってもらいたいという気持ちがあった。

「故に、この砦が来訪者を迎え入れるのはこれが初めてのこと。多少の無作法あれどもご寛恕願いたい。」

話すうち、とうに忘れたものと思っていた感覚──人里離れた地にて荒れ者どもを束ねるこの任には無用の、社交の流儀──が戻ってくる。Saki と名乗った娘は、「それはお互い様ということで」と柔らかな笑顔と仕草で応じた。それなりに教養ある人物らしい。そうと知れると、尚のこと興味を引かれる。この褪せ人、如何なる展望を抱いて我ら火の番人を訪ねたのか。

 

 

まずはこれを、と差し出された一通の書簡。濃い蜜色の封蝋には王家の紋章が鮮やかに刻印されていた。促されるままにアーガンティは内容を検める。手紙の主はローデイルの現王モーゴット。黄金樹を称える定型の句から始まる文面は長々と綴られていたが、要約すれば「この者を我が代理と認む」である。これには少々驚いた。彼がこれまで閉ざしていた王都の門を開いたこと、ストームヴィルと結んで融和的な方針に転換したことは無論聞き及んでいる。その契機が、彼を打ち負かしたとある褪せ人との盟約にあるということも。その褪せ人は遥か東の地より流れ着いた男ということなので、目の前の Saki とは別人であろうが、彼女がモーゴットの信任を得てこの砦を尋ねたことと無関係ではあるまい。しかし、自らが黄金樹から疎まれた忌み子であることを差し引いても、祝福なき褪せ人を重用するモーゴットの意図が読めなかった。臣民の反発も少なからず招いていることだろう。アーガンティの困惑を余所に、Saki が用件を切り出す。

「私は、この先にある巨人の火の釜を目指しています。そこに今なお燻るという、『滅びの火』を手に入れるために。」

それは予測の範疇。と言うよりも、それ以外にこの砦の先へ立ち入る理由がない。

「当然に存じておろうが、それは黄金樹を焼くとされる禁忌の火。故にマリカが山頂に封じ、我らはその監視を命ぜられている。そして、火に近づく者を排するのも任の内だ。」

「承知しています。しかしモーゴット王が私に火の入手命じたのは、蔓延する『死の根』に対処するためなのです。」

それは予期せぬ回答だったが、同時に得心もいった。黄金樹を崇拝するモーゴットが、理由もなく滅びの火に手を出すはずがないのだから。

「死の根とはな。私が下にいた頃もあちらこちらで出現の噂が立っていたが、今や手に負えぬ状況になっているということか。」

「はい。以前はケイリッドに死の根を処理してくれるグラングという司祭がいたのですが、彼も姿を消してしまいました。そのため、現在は根の増殖を止める術がありません。」

確かに、それは由々しき事態。半神デミゴッドたるゴッドウィンの肉体から生じた根を焼き払うに、尋常の火では足りない。神にすら運命の死をもたらすという滅びの火を必要とするのも頷ける。

「状況は理解した。だが、モーゴットはローデイルの君主ではあるが、『指』に認められたエルデの王には非ず。我らの任はマリカより下されたもの。従って、それを撤回できるのもマリカ本人か、その伴侶たるエルデの王、或いは彼らを見出した『指』に限られる。」

融通の利かぬことを言っている自覚はあった。されど黄金樹の祝福によって生かされているこの身なれば、どうして神の命に逆らうことができよう。

 

此方の逡巡も相手方は折り込み済みであったらしい。対する褪せ人が次なる手札を切る。

「日陰城は死の根に没し、現在は誰も立ち入れなくなっています。」

その言葉に衝撃を受けつつも、アーガンティは胸の内に浮かんだ疑問を追う。彼女は何故、唐突に日陰城の話を持ち出したのか。否、考えるまでもない。

「既に調べはついているわけか。」

「はい。モーゴット王より伺いました。この砦の長は、マレー家の女性が務めることになっていると。」

マレー家は古くより罪人の処刑を請け負ってきた一族である。同時に、死罪にまでは至らぬ咎人の流刑先となるこの砦の統率もまた、マレー家の役目であった。刑場を兼ねた日陰城は長男によって治められるのが習わしであるが、そこには少々込み入った事情がある。

「いつの頃からか、マレー家の男子は皆病と共に生まれるようになった。長じてなお臥せりがちな虚弱の身では、寒風吹きすさび空気も薄いこの山嶺での任務はとうてい耐えられぬ。そのため、一族の内より選ばれた特に頑健なる女子が火守として供されることになったのだ。」

「誰かが担わねばならぬ任とはいえ、過酷な勤めであろうと拝察します。」

「若いうちは、マレー家に生まれた宿命を呪ったこともあったが、この歳ともなれば己のことは諦めもついてくるものだ。けれど、それでも気になることはある。例えば、そう──病弱な甥のことなど、な。」

マレー家の現当主は、その名をマレーといった。綴りは異なるのだが、発音は家名とほぼ同じであるため紛らわしい。

「城主のマレーさんは行方不明です。」

Saki の説明によれば、日陰城は自然に芽吹いた死の根に覆われたのではなく、ゴッドウィンの再誕を画策する勢力による襲撃を受けたのだという。犠牲者も多く、生き残った使用人たちは王都へ避難したとのこと。

「マレーさんの遺体は確認されていません。襲撃者によって連れ去られたとの見方が有力です。」

成程──襲撃犯の目論見を阻止し、甥を救い出すためにもこちらに協力しろ、ということか。確かに理路は通っている。しかしそれはアーガンティ個人の事情であって、この砦に詰める他の者には関わりのないこと。私情で道を開けるわけにはいかない。さて、これはどう処したものか。

 


 

アーガンティは「少しだけ時間をくれ」と言って、奥に見える塔へと入っていった。おそらくはそちらが私室なのだろう。溜息ひとつ吐いて、Saki は辺りを見回す。砦の中は寒々しく、娯楽と言えそうなものは何ひとつ見当たらない。こんな場所で厳しい規律に従って暮らしていれば、誰だって頑なになるだろう。そこへ押し掛けて信仰の放棄を迫る自分がとんでもない悪人のように思えてくるのだった。

「うーん、胃が痛い。」

微かに疼く腹部に手を添えつつ、Saki は考える。とは言え、このまま話し合いで片がつくならばそれは満点の答案だ。此方としても死の根への対処は焦眉の課題で、交渉決裂となれば武力を以て押し通ることになるだろう。それを避けられるならば、僭王の走狗と罵られようが構いはしない。何事も、平和が一番である。

 

此方の覚悟はさておき、アーガンティが回答にどれほどの時間を要するかは考えておく必要があった。黄金樹に敵対する意思を示していないとはいえ、結論が出るまでは、滅びの火を求める自分を彼らがただ放免するとは思えない。彼女がこちらの要請を容れる決心をしたとして、部下たちをどう説得するかも問題だ。数日以内に総意をまとめられなければ、一転して Saki を危険因子として処分する方向へ傾く可能性も大きい。いずれにせよ──

「大変お待たせした。」

その声に顔を上げると、そこにはアーガンティが立っていた。暫く牢に入って頂く──とでも言われるかと思ったが、彼女の顔からは先程までの険しさが消えている。

「結論より述べよう。火の釜へ向かうがよい。」

「いいんですか!?」

思いがけぬ朗報に顔を綻ばせる Saki に向け、監視者の長は押し留めるように掌を突き出した。

「ただし、条件がある。」

「伺いましょう。」

対価の要求もまた、予想された成り行きではあった。最も可能性が高いのは、アーガンティ自身の更迭──要は、この過酷な任務からの解放だ。次いで、待遇改善──砦の補修増築と支給物資の増加。モーゴットからも、必要に応じてこれを呑んでよいと言われている。しかし、提示されたのはそのいずれでもなかった。

「二月ほど前、この砦から脱走者が出た。アダンという名の僧兵だ。追手を出しているが、未だ足取りが掴めない。これを発見し、奴が盗み去った祈祷を取り返してもらいたい。本人の生死は問わない。」

これはまた骨の折れそうな仕事だが、アーガンティと事を構えずに済むならば安いものだと自分に言い聞かせる。

「アダン、ですね。名前の他に何か手掛かりはありますか?」

「既にアルター高原からは逃れたらしいことは分かっている。リムグレイブ方面で目撃されていないことからリエーニエに潜伏していると推測されるが、知っての通りあの地も広い。」

うわあ──と声に出しそうになったのを、危ういところで堪える。アルター高原ならばローデイル軍、リムグレイブならばストームヴィル軍に捜索を任せることができただろう。しかしリエーニエとなると、これを統治するレアルカリア魔術学院はそれら二地方と未だ協力関係にないため、兵を動かすことができない。となれば、それは表向き所属のない褪せ人──つまり Saki 自身が行うことになる公算が大きい。

「承知しました。差し当たり、十日の猶予を頂ければ。」

「二十日待とう。その間に、こちらも部下たちの意見をまとめておく。」

 

「それにしても、迅速なご決断です。もう少しかかるものと予想していました。」

Saki が率直な感想を述べると、アーガンティは大きく頷いてみせた。

「迷いのなさには、自分でも驚いている。無論、日陰城──そして城主たる甥を案じていることが主な要因ではあろう。だが、事によればそれ以上に──」

彼女はそこで言葉を切り、Saki の目を見据えた。貴公を信頼して話すのだ、という圧力を感じる。

「私は神の──マリカの仕打ちに、もはや我慢ならなくなっていたのやもしれぬ。」

信仰の揺らぎ。それを言葉にしたことで、張りつめていた気が緩んだらしい。アーガンティの表情が幾分和らいだ。

「マリカは我らに、火の封たるを命じた。その一方で、褪せ人をこの地へ招き、彼らを指嗾して火に向かわせている。その結果、我らと褪せ人と戦い、その度に犠牲を出してきた。何故だ? 神は楽しんでいるのか? 我らが、そして褪せ人が噛み合い斃れる様を?」

やはり彼らも気付いてはいるのだ、と Saki は思う。心底に神を崇めていたとしても、多少なりとも知恵ある者ならばその矛盾に惑わぬはずはない。疑念を信仰で捻じ伏せたとて、いずれは自身の理性を欺けなくなる。

「陰謀の夜も然り。マリカは影従の獣マリケスに運命の死の封たるを望み、しかし後に彼を裏切ってそれを盗み出させた。一方に守らせ、他方にそれを奪えと命ずる。これほどの愚弄があるか。」

「実を言うと、私もその矛盾に不信を抱いていました。この地の人々の信仰に口を挟むべきではないと思い黙っていましたが。」

Saki の同意に、アーガンティは微笑む。

「これまで信仰と共に生きてきたのだ。今更に反逆を志すでもない。しかし、民を顧みぬ神に対して少しばかり拗ねてみせてもよいのではないか。人として──いや、生命としての尊厳を守るために。」

 

 

「客人がお帰りだ。南の口までお送りしろ。」

階下へ声を掛けると、僧兵の Thorek がすっ飛んできた。どうも、ずっと階段下で待機していたらしい。

「どうぞこちらへ。」

押し殺した低い声で促してはいるが、見るからに浮足立っている。ぎりぎりのところで自制しているようだが、階段を下る Saki の手を取ってエスコートせんばかりの張り付きぶりだ。他の者たちはといえば、連れだって歩く二人を羨望の目で見つめている。考えてみれば、無理もない。この砦に詰めているのは全員が男。唯一の例外がこの枯れ木の如き婆となれば、彼らにとってこの若い娘は眩いほどに輝いて見えていることだろう。だが努々侮ること勿れ。お前たちの中に、その少女然とした褪せ人を差しで降せる者はおるまい。浮かれる部下たちの様子を愉快気に眺めるアーガンティは、まだ知らない。南の口に立つ任務を巡る喧嘩が頻発し、収拾と懲罰に忙殺される日々の訪れを。

 


 

監視者たちの砦からほど近い祝福。Saki が腰を下ろすと同時にメリナが姿を現した。

「随分な無茶をしたものね。見ていて気が気じゃなかった。」

声に苛立ちが滲んでいる。彼女の懸念はわからぬでもない。正面から攻め入るなら、状況に応じて後退・逃走が可能だ。一方、自分がしたように戦わずして敵拠点へ入り込んでしまえば脱出は難しくなる、ということだろう。

「そうかもね。でも私としては、交渉の余地があるならば、まずはそれを試したい。」

「対話に応じるふりをして、後ろから刃を突き立てる輩だっている。」

メリナの声は一層に鋭くなった。心配をしてくれているのは分かるし、それ自体は有難い。自分としては、誰彼構わず信用しているわけではないのだが、それを説明したところで、彼女を納得させることはできないだろう。不安というものは、理屈で割り切れないが故に不安なのだ。こういうときは話題を変えるに限る。

「ところで、アーガンティさんの話は聞いてた? マリカさんの行動が矛盾してる、ってやつ。」

「ええ、もちろん。それについては、私もずっと疑問に思っていた。」

 

「黄金樹に入るには拒絶の棘をどうにかしなければならない。そのために、滅びの火へ褪せ人を導く。ここまではわかる。」

祝福の光を見つめたまま、メリナはゆっくりと話し始めた。

「でもそれなら、どうして予め監視者の任を解いておかなかったのか。そのせいで私も余計な苦労を──」

彼女はそこで一度口を噤んだが、すぐに諦めたよう笑って先を続ける。

「私に使命を授けたとき、母はまだ囚われの身ではなかった。だから、そうしようと思えばできたはず。火を求める褪せ人を通すよう、彼らに命じることが。」

「そう、そこがこの件で一番の不思議。」

神の企てにしては杜撰にすぎるように思えてならない。マリカの真の狙いは何処にあるのか。

「仮に、王都までの道中と同じように試練を課して褪せ人を選抜する狙いがあったのだと考えても、やはり腑に落ちない。玉座へ至ることのできる褪せ人の力に対して、彼らは明らかに役不足。」

メリナがこちらをちらりと見る。

「仮に Ramo さんがあの砦を抜けようとしたとして、アーガンティさんたちは止められると思う?」

「正直、無理だと思う。私ならともかく、彼に対抗するには圧倒的に戦力が足りない。質も量も。」

血の王朝を壊滅せしめた頃より、Saki の友人にしてローデイル王の盟友たる褪せ人 Ramo の剣技は常人の及ばぬ域へ達していると噂されていた。対手の攻撃を悉く外れる様より、幻術あるいは空蝉うつせみの遣い手であるとも。

「話は戻るけれど、アーガンティさんも言っていたように、伝え聞く "マリカ" の行動にはとにかく不可解な点が多い。私の知る母の聡明さと、あまりにもかけ離れている。」

「それについては、少し考えていることがあるの。Ramo さんと旅をしていたとき、方々の教会でマリカが残した言霊に触れたと言っていたでしょう? それをもう一度、私と一緒にたどってもらえないかな。」

予期せぬ提案に、メリナは首を傾げる。

「それは構わないけれど、ずっと遠いものもある。第三マリカ教会はリムグレイブ東部、巡礼教会は啜り泣きの半島。」

「これからアダン捜索のためリエーニエまで戻るんだもの。ついでにリムグレイブへ足を伸ばすくらい、なんでもないって。」

Saki は道具入れインベントリから地図を取り出し、メリナの前に広げる。

「ここからまっすぐ東、氷結湖の南岸に『第一マリカ教会』がある。まずはそこに行ってみましょう。」

既に昼に近い刻限ではあったが、伸ばした指の先には紺碧へ消え残る白い月が見えた。

 

 

第一マリカ教会は、風雪の中に朽ち果てつつあった。比較的原型を留めている鐘楼の他に残っているものといえば、壁もしくは柱であったと思しき積み石くらいのものだ。吹き晒しの礼拝堂に残された祝福。二人はその傍らで、凍てついたマリカ像を見上げた。

「あなたの読み通り、この場所には言霊が残っている。」

ずっと前に消えてしまった、マリカの声。その残響。彼女はここで何を語ったのか。

「聞かせてちょうだい。」

Saki が頷くと、メリナは静かに目を閉じた。

──戦士たちよ。我が王、ゴッドフレイよ。導きに従い、よくここまで戦ってくれた。

──あの頂に、巨人たちを打ち滅ぼし、火を封じよう。

──そして、はじめようじゃないか。輝ける生命の時代を。

──エルデンリングを掲げ、我ら黄金樹の時代を!

黄金樹勢力の覇業は巨人戦争から始まった。出陣に際し、マリカはこの教会で最初の夫ゴッドフレイと彼の兵に檄を飛ばしたのだろう。そして先住たる巨人たちを打ち倒した後、釜の火が不滅であることを知る。だが、既に始まった進軍を止めることはできない。苦肉の策としてマリカは山頂に火を封じ、これを隠匿した。もはやこの地に黄金樹を脅かすものはなし、と宣するために。

「何か分かった?」

語り終えこちらを伺い見るメリナに、Saki は首を横に振った。

「これだけでは、まだ何とも。ええっと、次はアルター高原の『第二マリカ教会』かな?」

「そこは以前訪れたけれど、言霊は残されていなかった。ここから近いのは──」

メリナが地図の上に指を走らせる。ロルドの大昇降機から、禁域を抜けて、ローデイルへ。そこから、城壁沿いに外廓を進む。

「小黄金樹教会ね。それから、教会ではないけれどロルドの大昇降機の下層にも言霊が残っていた。」

「了解。効率よく回っていきましょう。」

神の娘を供に狭間の地の歴史をたどる旅。なんと優雅なことか、と Saki は思う。しかし、これは信徒の巡礼ではない。むしろ、神秘を暴く背信の所業と言える。その愚行の果てに見出されるのは、もしかしたら──絶望。それでも人は、探究を止められない。真実に至ろうとする意思こそが、人間を人間たらしめるものだからだ。少なくとも、自分はそう信じている。

 


 

正門を出て、階段下の広場を右手。そこから更に長い階段を下ると、祝福「外廓の幻影樹」が見えてくる。王都へ戻った Saki はメリナにそこで待つように伝え、自らはその足でモーゴットを訪ねていた。本音を言えば、早く小黄金樹教会へ行きマリカの言霊を聞きたいところだったが、彼の信任を帯びてアーガンティとの交渉に臨んだ以上、首尾の報告を欠くことはできない。黄金の若木の傍らに所在無さげに佇んでいたメリナが、こちらに気付いて立ち上がる。

「どうだった?」

「戻りが早かったことで、経過が順調だということは伝わったみたい。交換条件についても話してきた。」

やはり表立って兵をリエーニエへ送ることはできないという。そんなわけで、アダン捜索は予期した通り Saki に一任される運びとなった。モーゴットは可能な限り支援すると言ってくれたが、これ以上彼の手を煩わせるのも躊躇われる。

「まあ、仕方ないよね。そっちは後ほど頑張りますってことで、今は言霊巡りを続けよう。」

目指す教会は、既に丘の上に見えている。この距離ならば一緒に歩いていけるだろう。そう思い隣のメリナに視線を向けた Saki は、メリナが何かを凝視して固まっていることに気付いた。

「何なの、あれ──?」

彼女が指し示したのは、教会へ続く坂道の右手に儲けられた外廓警備隊の宿営──その上空。5メートルほどの高さの位置で、黒い煙のようなものが渦を巻いている。その正体は分からないが、この位置からでも禍々しい気配だけは感じ取れた。兵たちも頭上で起きている異状に気が付いたようで、各々武器を手に囲いの外へと退避を始めている。ともかく、あれは「敵」だ。そう直感した Saki が黒雲の方へ走り出そうとしたその時、腰に着けたポーチの中で何かが動いた。

──獣の瞳が震えている。

 

兵たちが固唾を飲んで見上げる中、怪異は遂に姿を現した。縺れた木の根を思わせるそれはまた、翼のない竜のようにも見える。──爛れた樹霊。根を通じて現れる黄金樹の防衛反応であるとも言われる存在だ。棲息域が概ね地下墓や英雄墓といった土中の空間に限定されるというのも、そうした説が支持される理由だろう。その樹霊がこうして地上に出現するというのは、異例の事態と言える。怪物は地に着くと同時に猛烈な勢いで暴れ出し、その巨体で宿営の天幕や柵を薙ぎ倒し始めた。

「囲め! 火で攻めろ!」

隊の中に樹霊の弱点を知る者がいたらしい。彼の号令で、兵たちは『火炎壺』や調香術『火花の香り』による応戦を開始する。適切な戦術選択だ。そう評しながらも、Saki は同時に違和感を覚えていた。これまでに遭遇してきた個体と異なり、目の前の樹霊は明らかに黒ずんでいた。加えて、体表には無数の棘を持つ蔦のようなものが巻き付いている。そして──、大きく開いた口の横、人間でいえば頬あるいは耳にあたる箇所に付着した、見覚えのある「顔」。瞳孔の開ききった屍人の眼に、映るものはあるのか。

 

これは彼らの手に負えない。そう判断して駆け出した Saki の行く手で、樹霊は全身から金色の炎を噴出させた。吹き飛ばされる兵たちの頭上に、大量の煤煙が降り注ぐ。

「みんな逃げて!」

この瘴気を吸い込んだら、身体の内側から死の根に食い破られてしまう。怪物を少しでも彼らから遠ざけるため、横手へ走りつつ『黒炎』を投げつける。神狩りの力を宿すこの祈祷ならば、普通の炎よりは効き目があるはず。着弾。目論見通り、怪物がこちらへ回頭する。その背後に、退却する一団を誘導するメリナの姿が見えた。向こうのことは彼女に任せよう。

「さあ来い、化け物!」

そう啖呵を切ってはみたものの、状況はなかなかに厳しかった。敵が絶えず瘴気を噴出しているため、間合いを詰めることができないのだ。常に10メートルほどの距離を取っていなければ、あっという間に死の根の餌食だ。Saki の黒炎は20メートルほど飛ぶので射程に問題はないのだが、さすがに向こうも遠間から山なりの軌道で投げ掛けられる弾に当たってくれるほど鈍くはない。もう少し寄ることができれば、あの不気味な顔に火球を叩き込むことだってできるのだが。

 

巨体の突進をぎりぎりで躱し、擦れ違いざまに『君主軍の直剣』で斬りつける。炎術派生させたこの武器にも樹霊が苦手とする火の力があるはずなのだが、まったく効いているようには見えなかった。死の根に浸食されたことによって、耐性を得たとでもいうのか。もしそうならば、やはり『黒炎』を用いるしかない。

「そうは言ってもねえ。」

再びの突進を避けつつ黒炎による反撃を試みる Saki だったが、相手の転身の速さの前に断念する。詠唱に加えて投擲動作を必要とするこの祈祷では、近接戦への対応は難しい。かといって、自分の体格では大きく腕を引き全身をバネにするこの投法を用いなければ火球は幾らも飛ばない。この黒い炎は存外に重いのだ。左、右と叩きつけられる巨大な腕から逃げながら、Saki は『黒炎の刃』を記憶してこなかったことを悔いた。彼女は通常右手で聖印を扱うため、武器の攻撃力を増強させる類の祈祷はまず使わない。しかし今は、聖印を左に持ち替えてでも黒炎を付与した剣が欲しいところだった。尻尾による薙ぎ払いを前へ跳んで回避。先頃手に入れた『神肌剥ぎ』ならどうかとも考えたが、それを扱うにはタリスマンを着け変えて技量の不足を補う必要がある。その上、慣れぬ得物では標的を捉える自信もなかった。これは据え物斬りではないのだ。重ねる無いものねだりの末、Saki はひとつの奇策を思いついた。上手くいったら、オリジナルの戦法としてみんなに自慢しよう。この期に及んでそんなことを考える己の楽天ぶりに苦笑をひとつ漏らすと、Saki は聖印を構えて怪物へと向き直った。

 

 

早く援護に入らなければ。兵たちがひとまず安全な場所まで退がったことを確認すると、メリナは急いで Saki のいる方へと引き返した。自分の戦闘スタイルは樹霊のような巨大な敵とは相性が良くないが、そんなことを気にしていられる状況でもない。奴の機を引いて Saki が攻撃に転じる時間を稼ぐためだけでも、駆け付ける価値はあるだろう。

「本当に──無茶ばかりする人ね。」

行く手には瘴気が蔓延しており Saki の姿は見えなかった。だが樹霊が繰り返す攻撃の先に彼女がいることは間違いない。自分はどちらから接近するべきだろう。樹霊の側面を突くべきか、それとも万全を期して背後へ回るか。そんなことを考えて進路を右手へと転じたメリナは、立ち込める黒霧の中から迸り出る火柱を見た。それは薙ぎ払うようにして空中に大きな弧を描き、振り上げられた怪物の腕を切断した。あれは黒炎? そう思う間もなく、新たな火柱が今度は逆方向に走る。その一閃は樹霊の頭部を通り抜けた。続いて、空を振るわせる甲高い叫び。樹霊はその長い首を掲げて仰け反り、そのまま後方へと倒れ──地響きと共に光に弾け、消滅した。

 

「Saki さん! 無事?」

急速に晴れていく視界の中、ようやく相方の姿を認めたメリナがそちらへと駆け寄っていく。こちらに笑顔を返した Saki は何故か、水気を切るような動作でしきりに右の手を振っていた。

「さっきのあれ、黒炎のようだったけど、新しい祈祷?」

その問いに、彼女の顔がますます綻ぶ。

「よくぞ聞いてくれました。あれぞ、この Saki of Astora が編み出した新戦法『黒炎の大剣』なのです!」

「──は!?」

情況にそぐわぬ浮かれ振りに、思わず声が変な声が出た。『黒炎の大剣』? そんな祈祷は聞いたことがない。あまり詳しくないが、魔術にはそんな名前のものがあったような。

「見てて見てて! もう一回やってみせるから!」

戸惑うメリナを余所に、Saki は崩れた柵の残骸に向かって祈祷『黒炎』を詠唱する。だが、彼女は掌の上に生じた火球をそのまま握り潰してしまった。そのまま腰を落とし、固めた拳を左側へ。次の瞬間、その右手を目の前で大きく払った。同時に、先刻見たのと同じ火柱が走り縦桟を両断する。

「火球を手の中で炸裂させてね、こうやって親指と人差し指で作った輪から炎が噴き出るようにするわけ。」

その解説でようやく理解が追いついた。絞り込まれ勢いを増した炎の噴流を剣のように振るったというわけだ。単純ではあるが、今見た限りでは使いではありそうに思えた。とはいえ──

「そんなことをして、手は大丈夫なの?」

その問いに、Saki は真っ赤になった右の掌をこちらへ向ける。ところどころ火脹れもできていた。

「少し焦げます。これは今後の発展課題かな。」

 

 

それから半刻の後。Saki はようやくたどり着いた小黄金樹教会で、メリナが伝える言霊に耳を傾けていた。

──黄金律の探究を、ここに宣言する。

──あるべき正しさを知ることが、我らの信仰を、祝福を強くする。

──幸せな幼き日々、盲信の時代は終わる。

──同志よ、何の躊躇が必要だろうか!

まだ二つ目の言霊であるため断定はできないが、やはり違和感がある。「黄金樹の時代」という言葉に託された希望あるいは理想が、第一マリカ教会で聞いた言霊のそれと微妙にズレている気がするのだ。進展を期待しているらしいメリナの眼差しが痛い。

「まだサンプルが足りない。次の言霊、デクタスの大昇降機はそれほど遠くないね。」

その回答にメリナは少し落胆したようだが、不満を述べることもなかった。

「ええ、すぐに発てば日のあるうちに着けると思う。現地で会いましょう。」

そう言い残して、彼女は姿を消した。ここからの行程では黄金樹から離れていくことになる。霊の身体であるメリナは、祝福の近辺でしか姿を現すことができないのだ。一緒に歩けないのは、ちょっぴり寂しい。話したいこと、たくさんあるのに。そこまで考えて、Saki ははたと思い至る。故に彼女は Ramo に対しても全面的に頼ることができず、「契約」「取引」という建前のもとに接してきたのだろう。それが結果として彼の不信を招く要因となった。肉体を持たないということは、それほどまでに他者との関りを難しくするものなのだ。

「まったく、苦労人ねえ。」

デクタスの大昇降機を発つ頃には、既に夜も近いことだろう。いつものように、結びの教会で一泊だ。祝福もあるし、常にミリエルがいるので安心できる。夜更かしするには、もってこいの場所だ。

「今夜は寝せないぜ。」

立ち上がり伸びをひとつしてから、Saki は傾いた陽の下を街道へ向って歩き出した。

 




第31話『褪せ人 Ramo と朽ちゆく聖樹』投稿予定: 2026-10-19 朝
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