褪せ人 Ramo と Saki の物語 作:Skinny Slaver
Saki とネフェリがモーン城の連続失踪事件に挑むミステリ回。女子の二人連れだけど、お花の香りはしません。
円卓の中心から褪せ人たちの寄る辺を照らす大祝福。Saki of Astora はその荘厳な光の前を忙しなく往復していた。彼女は双子の老婆からタリスマンを買うために久方ぶりにここを訪れたのだが、持ち合わせがないことに気付くと間取りの反対側に鍛冶場を構えるヒューグに不要品の買い取りを依頼。ところがタリスマンの価格を正確に覚えていなかったため、老婆のところ戻ってこれを確認。ヒューグのもとへ取って返し、購入に必要なだけのルーンを都合。それを握りしめて再び老婆のもとへ──。彼女は円卓に集う面々から注がれる訝しげな視線に気付かずパタパタと走り回る。
ようやく目的の品を手に入れ安堵する Saki のもとへ近づいてくる者があった。
「おまえを探していたんだ。」
声の主はネフェリ・ルー、毛皮と荒縄で編まれた質素な鎧に身を包んだ屈強な女戦士である。
「あっ、ネフェリちゃん? 久しぶりー!」
彼女の姿を認めた Saki はそちらへ向き直ると『歓迎』のジェスチャで両腕を広げてみせる。ここ円卓ではまず出会うことのない陽気な歓待に、ネフェリは片方の眉を僅かに持ち上げることで応えてみせた。
「息災でなによりだ。向こうで話せるだろうか。」
そう言って彼女は吹き抜けを見下ろす回廊を指差す。Saki は勿論と即答し、二人は周囲の視線をその背に集めたまま、連れだって歩いていった。
「モーンの城は知っているな?」
その問いがネフェリの話の始まりだった。モーンの城はリムグレイブ南部、啜り泣きの半島の突端に位置する城塞である。
「うん、知ってる。だいぶ前の話だけど、城主のエドガーさんに頼まれて反乱を制圧する手伝いをしたことがあるからね。」
その回答は折り込み済みらしく、ネフェリは先を続ける。
「そうだ。城はまた城主の治めるところとなり、平穏が戻った。しかし──」
「エドガーさん、いなくなっちゃったんでしょ。」
反乱鎮圧の数日後、城主エドガーは家臣にも告げることなく姿を消した。モーン城は反乱の発生からこちら当時のリムグレイブの話題の中心となっていたので、その噂は Saki の耳にも届いていた。
「知っているなら話は早い。ほどなく家臣や使用人たちも出ていき、以来モーンは空城となっている。」
「ふんふん。」
ここまでのところ、特に目新しい情報はない。
「ところが最近になって、モーン城に向かった褪せ人が皆行方不明になっているという話が出てきた。」
「空っぽのお城で?」
「そうだ。それが取り沙汰されるようになったのはこの半月くらいのことだが、失踪がいつから始まっていたのは定かではない。」
「事例が累積するまで異常は気付かれないからね。でも、その話は確かなの?」
Saki の問いに、ネフェリは大きく頷いてみせる。
「この件を積極的に追った者がいるわけではないから仔細は不明だ。だが、消えた褪せ人については具体的なリストが作れる。」
「なるほど、単なる噂じゃないってわけだ。それで?」
そうして先を促しながらも Saki の顔には既に不敵な笑みが浮かんでいた。
「放置するわけにはいかないだろう。誰も動かないなら──」
「私たちが、だね?」
そこから力を貸してくれるよう頼み込むつもりでいたネフェリは先回りの承諾に面食らい、そして苦笑する。
「やはり持つべきは恐れ知らずの友だな。」
「すぐに発つ?」
そう訊ねた Saki にネフェリは眉を寄せて答える。
「事態は急を要する。できればそうしたいところだ。」
そう言いながら、彼女は回廊の手摺に背をもたれて息を吐いた。
「しかし、情報がなさすぎる。この状態でモーン城へ踏み込んでも、──ネフェリと Saki も戻ってきませんでしたとさ。めでたしめでたし──で終わってしまう可能性が高い。」
「でも、情報を集めると言ってもどこから?」
「心当たりはある。」
ここへきてネフェリの声の調子が落ちる。
「義父、いやオーフニール卿ならば、きっと何か知っているだろう。だが──」
Saki はそのあたりの事情を詳しく知るわけではないが、察するところはあった。
「わかった。じゃあ私行ってくるね。」
「すまない。」
上目遣いでこちらを見るネフェリに気にするなと手を振ってみせ、彼女は広間を挟んで反対側に位置する百知卿ギデオン・オーフニールの書斎へと向かった。
来訪者の気配を感じ取ると、ギデオンは机いっぱいに広げた書物から顔を上げた。
「やあ、久しぶりだね。君の活躍については聞いているよ。それらはひとえに君自身の努力と才覚の賜物だが、円卓の先達としてそれを誇らしく思うことを許してくれ給え。」
「光栄です、百知卿。円卓の名を穢さぬよう努めます。」
Saki はローブの裾を広げ、恭しく一礼する。
「本当によくできたお嬢さんだ。誰かとは大違いじゃないか。──ときに今日の用向きは何かね?」
こちらの事情はおよそ見通されているようだ。だが不都合はない。
「はい、褪せ人が消えると言われているモーンの城について、ご存じの向きがあればご教示頂けないかと。」
ギデオンはゆっくりした動作で椅子から腰をあげると、背を伸ばし首を回した。
「なるほど、なるほど。Saki くん、かつて他ならぬ君自身が反乱を起こした混種たちの首魁から取り戻したという『剣接ぎの大剣』だが、その由来にまつわる逸話を聞いたことはあるかな?」
彼の言う通り、Saki はモーン城での反乱制圧の際に、敵の頭目である『獅子の混種』を打ち破り、城の至宝たる大剣を奪還していた。しかし──
「いいえ、存じません。その場におりました正当な所有者へ速やかに返却致しましたので。」
「道理だ。ではこの枯れ声で恐縮だが、私の識るところをお伝えしよう。」
卿が語ったところを要約すると次のようになる。かつて狭間の地の最初の王ゴッドフレイによる侵攻を受けたモーンは、現領主であるエドガー (といっても先日失踪してしまったが) とは異なる一族によって統治される国であった。その一族の戦士たちはゴッドフレイ率いる黄金樹勢力の圧倒的な力に蹂躙されていった。最後の生き残りは斃れた仲間たちの得物を接いで復讐の大剣となし、ゴッドフレイに一矢報いるべく挑んだ。だがあえなく返り討ちにされた。
「──以来、この地の者たちはまことしやかに語るようになった。モーンの城には亡国の怨霊が棲みついている、とね。」
語りを終えたギデオンは、静かに Saki を振り返った。
「では、この変異はその亡国の怨霊──亡霊の仕業だと?」
彼女は得心がいかぬといった視線を返すが、卿はそれを受け流す。
「そうは言っていない。だが、裏で糸を引いている者たちはこの伝承を知っていて、それを利用している。現に、褪せ人の失踪はモーンの亡霊の仕業だ、という噂が広まっているのだ。」
「他にご存じのことは?」
ギデオンは短い沈黙の後に答えた。
「──ない。年寄りの物知り自慢に付き合わせてしまって済まなかった。君たちの取り組みが上手くいくことを祈っているよ。」
「──それだけか?」
「そう、それだけ。」
数刻後、二人は啜り泣きの半島の入り口である「贄送りの大橋」の上を歩いていた。
「亡霊が城に入ってきた褪せ人を狩ってます、なんて言われても、ねぇ?」
「そうじゃなくて、義父──卿が言ったのは、その伝承を利用して亡霊の仕業に見せかけようとしている連中がいるってことだろう。」
「そうでした、そうでした。」
かつてこの橋にはストームヴィルから派遣された兵が検問を敷いていたため突破するのに苦労したものだが、今は無人となっており通過の障害となるものはない。
「前から思ってたんだけどさ、これって "半島" じゃなくて "島" だよね。」
橋の下を覗き込みながら Saki が言う。
「陸続きになってる箇所がないからな。」
「誰が最初に半島なんて呼んだんだろう。」
そんな雑談を続けながらも、彼女は「亡霊」について考えていた。ギデオンは、態度とは裏腹に Saki のことを好もしく思っていない。いや、彼が誰かに好意を持つという状況がそもそも考えにくいのだが、好感度で言えば平均を下回っているだろうと感じられる。しかし、だからこそ彼は嘘をつかないし、見当外れの助言もしない。悔しがる相手を「ほら、だから言っただろう?」と嘲弄できるだけの情報を事前に渡しておく。それがあの男のやり方だ。
「もしも空になった城を占拠して、ここは俺たちのものだーっ、って言いたいならそんな偽装はしないよね?」
「そうだな。むしろ積極的に自らの存在と力を誇示するだろう。」
「じゃあ夜盗や追い剥ぎの類かな?」
「亡霊が出るなんて噂が立ったら誰も近づかなくなって "商売" 上がったり、なんじゃないか。それに、半島──実際は島だが──の突端に陣取ったって、旅人も行商も通りかからんのでは。」
橋を渡り終え、そこから敷石の道に沿って歩いていくと遠景にモーンの城が見えてきた。断崖から直接掘り出したのではないかと思えるような構えの巨城。地面から城壁の下部まで、優に50メートルはあるだろう。
「前に来たときも思ったけど、どうやって建てたんだろう。」
「ゴッドフレイもよくこんな面倒な城を落とそうと思ったもんだ。私なら放っておくがな。」
城に入るには正門から入って奥へ進んだところにある昇降機を利用する。かつてここを守っていたガーディアン・ゴーレムは倒れて動かず、その上には苔が生していた。
「さっきの続きだけど。亡霊の噂のせいで普通の人はこの城には近づかない。」
「こんな所に来るのは装備や魔法を求めて探索をする褪せ人くらいだろうな。」
「それ。」
Saki は人差し指を立てる。
「褪せ人を殺す、あるいは捕らえることに何かメリットがあるんだよ。」
「どんな?」
ネフェリの問いに彼女は口ごもる
「それは、わかんないけど。」
そうこうしているうちに昇降機の前に到着した。無人となった城の中でもなお、祝福だけは Saki が以前訪れたときと変わらぬ光を湛えている。
「ここで準備を整えていこう。たぶん、いや、間違いなく戦いになるだろうからな。」
『火山壺』よし。『茹でエビ』よし。多様な状況に対応できる祈祷を選んで記憶する。見交わし互いの手を打ち合わせ、二人は昇降機に乗り込んだ。
木製の床板が暗闇の中を軋みながら引き上げられていく。先刻入り口から見上げたあのすさまじい高低差を登るのだから、要する時間は相応に長い。昇降路の中は隣に立つ者の顔すら見えぬほど光に乏しく、また常に機構の動作音が響いているため、Saki とネフェリはただ黙して到着を待つ。その時だった。耳にこそ聞こえないが、周囲の空気が急激に圧縮され、次いで解放されたような感覚が彼女らを襲った。二人は咄嗟に背を合わせ警戒姿勢を取るが、昇降機内は狭く回避の余地がない。巻き上げられる鎖の音だけが延々と響き、そして──光が差し込んだ。昇降機は何事もなく上階へ到達し、二人は床板を降りて向き合う。
「何だったんだ、さっきのは?」
「上昇に伴う気圧の逓減、じゃないよね?」
首をかしげる Saki に、ネフェリが頭を振る。
「まさか。そこまでの高度じゃない。」
釈然としないまま進んだ先の中庭、その入り口で Saki は次なる異変に気付いた。地面に一辺が30センチメートルほどの正方形の穴が空いている。
「ここ、確かサイン溜まりだったはずなんだけど。」
「ということは──、あそこだ。」
辺りを見回したネフェリが、少し先の植え込みを指す。そこには土台ごと引き抜かれた殉教者の像──褪せ人たちが互いに助け合うための召喚サインを集約する仕掛け──が転がっていた。像の部分は殉教者の足首と肩の位置で無残に折られている。
「まずいなコレは。」
「うん、明らかに鉤指を呼べないようにしてる。」
これで、城内に襲撃者がいることは確実になった。警戒しながら中庭へと足を踏み入れたところで、二人の身体は芯から揺さぶられるような重苦しい振動を感知した。
「馬鹿な! 侵入だと?」
ネフェリが叫び、反射的に武器を抜く。
「召喚してないのになんで!?」
Sakiも聖印を握りしめ、突然の敵襲に備えた。
狭間の地には、召喚サインを通じて他の褪せ人の協力者として働く者──これを鉤指と呼ぶ──の他に、標的とする相手の世界に「侵入」して敵対行動を取る者たちがいる。彼らの素性は「血の指」「背律者」「闘士」など様々だが、その目的はただひとつ、侵入先で褪せ人を狩る──つまりは殺害することだ。彼らが他者の世界へと侵入するには、その主と鉤指との間に開かれた精神の流路を利用する必要がある。故に、鉤指を召喚しない限りは侵入を受ける危険もない──はずだった。だが、広く知られたその法則に反し、侵入者が中庭の反対側に姿を表した。
想定外の事態に混乱しつつも、ネフェリは戦士の習慣で対手の武器を見極めにかかる。あれは斧槍だ。しかもあの大きな頭部は──。素早く考えをまとめるとネフェリは駆けだす。こちらへ向かってくる相手が既に得物を右後方に引いていることを、彼女は見逃さなかった。馬鹿め、初撃の軌道が丸分かりだ。相手の間合いの一歩手前で踵で地を蹴り急停止してみせると、斧槍の刃は大きな弧を描いてネフェリの前を通り過ぎた。必殺を見込んだ『回転斬り』を外された敵は慌てて追撃を繰り出そうとするが、もう遅い。既に十分に詰まった間合いから、ネフェリの斧が最短の軌道で目標を捉えた。戦技『雷嵐』。その場で身を翻し、最初の一撃で怯んだ相手に追撃を叩き込む。そしてさらにもう一撃。既に手から離れていた斧槍を求めるように宙をまさぐりながら、侵入者の身体は赤黒い光を発して弾け飛んだ。
「武器はただ振り回せばいいというものではない。デカい得物なら尚更にな。」
そう呟きながら『嵐鷹の斧』を腰に戻すネフェリに Saki が駆け寄る。
「すごおい! 強いぞネフェリちゃん!」
賞賛の声にネフェリは得意な顔ひとつ見せずに呟く。
「全然大したことじゃない。というか、弱過ぎだ。あれではよほど経験のない相手にしか勝てないだろう。」
これで一件落着──ということでいいんだろうか? 二人が同じことを考えて顔を見合わせていると、またも「侵入」を知らせる信号が届いた。
「そんな!?」
「嘘だろう!?」
城壁の上に次なる襲撃者が姿を現す。いったい何が起きているんだ? 続けざまに発生する異常事態に思考が追いつかない。そこに追い打ちを駆けるように、更なる侵入者の訪れを告げる信号が届いた。ここで戦うのはまずい。そう直感したネフェリが Saki の腕を掴んで走り出す。中庭から続く階段を上り、その先の倉庫へ──。かくして城塞を舞台とする乱戦が幕を上げた。
──敗れたか。激しく咳き込みながら跳ね起きた Coppo を見やり、男は心の中でそう呟く。先ほど Saki たちの世界に侵入し、そしてネフェリに撃退された少年は、苦し気に息を継いでいた。震える両腕で上体を支えて立ち上がろうとするが、膝が地面を離れた途端に崩れ落ちる。肉体的なダメージこそないが、刃と雷の衝撃は彼の神経に深く食い込んでいた。
「兄貴、俺はまだ──まだ戦える。」
引き攣る喉の奥から絞り出した声でそう訴えた直後、彼は床に頭を落として動かなくなった。「出撃」から「帰還」まで20秒足らず。おそらく標的にかすり傷すら与えてはいまい。この様子では当面の間出撃はできないだろう。
「役立たずが。せめて赤瓶の一本でも使わせればいいものを。」
吐き捨てるようにそう言うと、男は彼らが潜む側防塔を出て防壁の上に出る。
「Argenta、出番だ。先行している Zinct と協力して奴らを追い込め。」
「なんだ、Coppo はもうご帰還か?」
応えたのは女の声だった。
「ああ、しかも殺られてな。今回はもう再出撃不可だ。」
溜息がひとつ。
「ビビッて逃げ帰ってくるよりはよかったのかな。少なくとも邪魔はされない。」
そう言って、銀の髪を短く刈り揃えた麗人は「出撃」していった。男は胸壁に両手をつき、目の前に開けた平原を見やる。その彼方に、聳えるモーン城の雄姿があった。
城塞の中を縦横に走り回りながら、Saki は状況を打開する方法を模索していた。ネフェリとは途中ではぐれてしまったが、彼女もまたこの城の中を走り回りながら戦っているはずだった。現在襲ってきている二人は、ネフェリが最初に倒した者と比較すれば数段優れるが、Saki やネフェリに正面から挑むにはやや不足、といった程度の力量の持ち主だった。しかし厄介なことに、彼らは己が不利を悟るや否や逃げの一手を決め込み、十分な距離を取ったところで『指切り』で帰還する。そしてしばらくすると、体力・集中力が回復し、追い込んで使い果たさせた聖杯瓶すら補充された状態で再度侵入してくるのだ。実力においては此方が勝るとはいえ、こんなふざけた戦いを続けるならば先は見えている。あんなに続けざまに、それも狙って自分たちのところへ侵入してこれることがそもそもおかしい。そのトリックも気になるところだが、今必要なのは敵を確実に仕留めるための算段だ。その時、通路を向こうから走ってくるネフェリが見えた。
「無事か!?」
「なんとかね。」
「あの毒野郎はどうした?」
「そっちに逃げた。たぶんすぐ戻ってくる。」
「刺剣女、見てないか。」
「この30秒は。」
切れた息を急いで整える。このインターバルも長くは続かない。
「早く片方だけでも片付けないとヤバい。」
斧を構えるネフェリの腕を Saki が掴んだ。
「作戦、思いついたんだけど。」
男は、先ほどから Zinct と Argenta が「帰還」と「再出撃」を繰り返しているのを見て、彼らの狩りが難航していることを見て取った。そこで、Zinct が戻ってきたところを捕まえて状況を尋ねる。
「そんなに手強い相手なのか?」
Zinct は頭巾を外して顔に噴き出した汗を拭い、床に叩きつけた。
「相手は二人組。聞いて驚くなよ、その片割れは『ネフェリ・ルー』だ。」
「なんだと?」
予期せぬ名に、男の声音がわずかに高くなる。
「もう一人は知らん奴だ。こっちも女で、結構手強い。アンバサだ。」
Zinct は水筒に口をつけて呷ると再度出撃していった。ネフェリ・ルーとは大物が来たものだ。彼女の死体を円卓に届けてやれば、そこに集う面々は大いに動揺することだろう。それからややあって、戻ってきた Argenta が息を切らしながら駆け込んできた。
「Aurun、大変だ!」
男は振り向き、両腕を広げて応える。
「さっき Zinct から聞いたよ。ネフェリ・ルーだって?」
「そんな事じゃない。」
彼女は苛立たしげな様子で Aurun に詰め寄った。
「鉤指が入ってきてるぞ! いったいどうなってる?」
Zinct は再侵入した物見櫓の上から飛び降りる。戦いの最中、こちらだけが休息を取れるのは大変な有利だが、そのたびに標的を見失ってしまうのが少々面倒だった。
「お嬢さんたちはお疲れだろう。そろそろラクにしてやらんとな。」
物陰の間を縫うように移動していた彼は、中庭でありえないものを見た。ネフェリでもアンバサ娘でもない、『打刀』を手にし『葦の地の鎧』をまとった総髪の若武者が、倉庫前の階段を下りてバルコニーへ駆け込んで行ったのだ。何よりも彼を驚かせたのは、その人物の全身が淡い橙色の光に包まれていたことだった。
「鉤指だと? 嘘だろ? 入って来れるはずがない。」
だが、今見たものは現実だ。戻って Aurun に報告するか。それとも Argenta を待って共闘するか。ここで彼は判断を誤った。
「鉤指だろうがブッ殺しちまえば同じことだよな。」
あのバルコニーは行き止まりだ。後を追ってバルコニーに飛び込むと、果たして侍はそこにいた。Zinct の出現に気付き、慌てて刀を構える。緊張のためか、その姿勢はどこかぎこちなく、こちらに向けられた切っ先もふらふらと揺らいでいる。とんだド素人じゃねえか。相手を与し易しと見た Zinct は腰に下げた『ウルミ』を取り上げた。扱いの難しい武器だが、奴の刀の間合いの外から攻撃できる。そして念には念を。振り出された薄刃が空を裂いて飛び、侍の手から刀を叩き落す。続く横薙ぎの一閃で、床に転がった刀は遠くへ弾き飛ばされていった。これで奴には万に一つの勝機もない。絶望に打ちひしがれながら、死ね!
だが次の瞬間、とどめの一撃に備えて Zinct の頭上を旋回していたウルミの剣先を雷光の鎚が直撃した。刀身を石火の速さで駆け抜けた衝撃が Zinct の身体を貫く。馬鹿な──。薄れゆく意識の中、彼は目の前の「侍」が聖印を握った手を空に突き上げるのを見た。二度目の落雷で彼の意識は途切れたが、「侍」は追撃の手を緩めない。五度目に地を打った祈祷『狙いすます雷撃』の衝撃は粒子を放ちながら消滅しつつある Zinct の肉体を完全に吹き飛ばした。
侵入者の消滅を見届けた Saki は、鎧を脱いで常のローブ姿に戻ると、昇降機前のアーチの陰に身をひそめて待つネフェリのもとへ走った。Saki の姿を認めて立ち上がったネフェリは魔術師装束に着替えていた。
「言われた通りにしたが、どうにもヒラヒラして落ち着かん。」
「結構似合ってるって。ただ、髪型は変えられないからフードは絶対に外さないように。」
「あ、髪解いたのか。」
両手でフードを押さえながらネフェリが言う。
「侍になり切る必要があったからね。どう、ポニテもよくない?」
解いた髪を高い位置でまとめて作った "馬の尾" を持ち上げてみせる Saki。
「うなじがたまらんな。」
ネフェリはまったく気のない棒読みをしながら手を差し出す。
「待って、着けてあげるから。」
Saki が『星見のローブ』の襟元にタリスマン『主の偽装鏡』を留めてやると、ネフェリの全身が淡い橙色の光に包まれた。
「どこから見ても完璧な魔術師鉤指だね。」
そこへ新たな侵入を告げる信号が届く。
「まだいたのか。4人目だぞ。」
ローブの下に斧をたくし込みながら心底うんざりした調子でネフェリが言う。
「あとは刺剣使いをやっつければ終わりだと思ってたのに。」
Saki は肩を落として空を仰いだ。
魔力の飛礫を難なく避けた Aurun がその来し方を見遣ると、なるほどそこには橙色の光を纏った魔術師の姿があった。
「本当に鉤指が入ってきている。何故だ?」
魔術師は後退しながら断続的に飛礫を投げかけてくる。俗に「引き撃ち」と呼ばれる戦法だが、飛んでくる魔力の弾の威力と密度が問題にならないくらいに低い。俺を舐めているのか、それとも何かしらの狙いがあってのことか。そういえば──
「ネフェリ・ルーがいるんだったな。」
Aurun はまだ彼女の姿を見ていない。アンバサ娘の方は先ほど、遠目にだが確認した。そちらは Argenta の受け持ちだ。あの魔術師との距離を詰めるのは容易いが、横合いからネフェリの斧が飛んでくるという事態は避けたい。Auren は周囲を警戒しつつ魔術師の方へ向かっているのだが、相手は相変わらず威嚇にもならないヘロヘロ弾を飛ばしながら後ろ歩きで退がり続け、彼の接近を拒んでいた。ネフェリが仕掛けてくる気配もない。──埒が明かん。速攻で仕留めに行きたくなる状況だが、それこそが「罠」かも知れない。
この膠着を打破する糸口を求めていた彼は、魔術師が杖を空振りするのを見た。焦った様子で杖を振り回しているが、先端の輝石に光は戻らない。魔力切れだ! それを察するや否や Auren は駆け出した。飛礫が飛んでこないなら最短距離で接近できる。途中でネフェリが出てこようが、直線を全力で走る俺を捉えることはできまい。追いついた頃にはあの魔術師の首は落ちている。『シミター』を抜き最後の三歩を跳躍。だが、首筋めがけて正確に繰り出された一閃はその手前で強靭な防御に阻まれた。軌道を逸らされたシミターが巻き起こした風にフードがめくれ上がり、その下から鋭い眼光を放つ精悍な女の顔が現れる。こいつは──まずい! 身を翻して離脱しようとする彼を、女の斧が追う。初撃はかろうじて躱したが、さらに大きく踏み込んで放たれた二撃目は受けざるを得ない。Auren は覚悟を決め、両手でシミターの柄を握りしめた。
策は図に当たった。彼女を脆弱な魔術師と侮って近付いてきた敵から先手を取ったネフェリはこの機を逃さず勝負を決めにかかる。相手はシミターを構えて防御姿勢を取ったが、彼女の必殺戦技『雷嵐』──腕力に雷の威力を上乗せした重撃──を受け止めるのは大盾でもなければ難しい。武器ごと叩き折ってやる。互いの武器が打ち合い火花を散らしたその刹那、相手はなんとその反動を利用して遠心力を乗せた返しを放ってきた。咄嗟に上体を逸らしてこれを躱したつもりのネフェリだったが、構え直した彼女の腕を一筋の血が伝う。深くはないが、右肩に受けてしまったようだ。──強い。これまで相手をしてきた三人とは格が違う。ネフェリは己が窮地に立っていることを悟ったが、同時に身の内で戦士の血が沸き立つのも感じていた。
先刻あと少しというところまで追い込んだ刺剣使いにまたも『指切り』で逃げられた Saki は、ネフェリが戦っている中庭とは逆方向に走っていた。城壁に掛けられた梯子を登って大きく回り込むと、中庭に架けられた渡り廊下に出る。そこからは、ネフェリと敵が目まぐるしく位置を入れ替えながら激しい近接戦を繰り広げているのが見えた。善戦してはいるが、それまでの戦闘による消耗のあるネフェリが劣勢であることは明らかだ。Saki は援護の横槍を入れる機を伺うが、階下の二人は噛み合う犬のように片時も静止せずぶつかり合っている。ネフェリが Saki の存在に気付いてくれればと願うが、闘志に燃えたぎる彼女の眼にはもはや敵の姿しか映っていない。刺剣使いもそろそろ戻ってくるだろう。
途方に暮れる Saki は、昇降機が動いていることに気がついた。誰かが城内に入って来る──新手の敵? 彼女は身を硬くして事態の推移を見守る。昇降機から現れたのは、君主軍の兵装に身を包んだ10人ほどの男たち。彼らは中庭になだれ込むと素早く半円状に展開し、ネフェリとその敵対者を取り囲んだ。そして、呆気にとられた二人の動きが止まると、兵たちの背後から部隊の指揮者と思しき貴族然とした風貌の男が進み出る。
「聞け、背律者どもよ。」
その声は城内に朗々と響き渡った。
「我が名はケネス・ハイト。約定にもとづき、この城は主エドガーが戻るまで吾輩が預かることとなった。」
その間にも昇降機は動き続け、さらなる兵員を城内へと送り込んでいる。
「もはや反逆の徒の居場所はない。即刻立ち退くがいい。また、降るというのであれば相応の情けをかけるに吝かではないぞ。」
彼が口上を終えたとき、既に城内に侵入者の気配はなく、ただ歩き回る兵たちの靴音だけが響いていた。
数日後──ハイト砦、海を臨む露台。Saki of Astora はそこに設えられた卓に、砦の主ケネス・ハイトと差し向かいで着いていた。
「先日は本当にありがとうございました。あのときケネスさんが来てくれなかったら、どうなっていたか。」
そう言って彼女は深々と頭を垂れた。
「いや、君が無事でなによりだ。」
そう言って両の腕を広げて見せる領主の瞳には柔らかな光──褪せ人たちが失った祝福の輝き──が宿っていた。
「実のところ、驚かされたのはこちらの方なのだ。先にも話した通り、私はオーフニール卿からの要請で出向いたに過ぎなかったのだから。ハイト砦にて騒乱あり。貴殿の知己もまた危うし。そう聞かされては、見過ごすことなどできぬだろう?」
ケネスは卓に用意されたティーカップに手を伸ばし、彼女にも勧めた。
「事件の犯人たちについては、何か分かりましたか?」
茶の香りを味わいつつそう水を向けると、彼は思案顔でその問いに応じた。
「情けない話だが、ほとんど何もつかめていないというのが実情だ。彼らが背律者であることは卿からの手紙に書かれていたが、本拠地たる火山館は無人となって久しい。そこに集っていた連中は、主ライカードとその側妃を含めて離散し行方が知れない。念のため改めてゲルミアに密偵を差し向けたが、今も状況に変化はないようだ。」
火山館の残党がリムグレイブに流れ、あの空城に居付いて褪せ人狩りを続けていた、ということだろうか。
「ところで、城を捜索していた兵がこんなものを発見した。」
ケネスは自分のティーカップを端に追いやると、取り出した木箱を卓に乗せる。その中には黄色い布が巻き付けられた、長さ20センチメートルほどの木杭が収められていた。
「あの長い昇降路、その途中の壁に打ち付けられていたものだ。」
正体不明の代物だが、おそらくこれがあの連中が見せた不可解な侵入を可能にしていたのだろうことは直感できる。そして、それから漂ってくる微かな匂いに、Saki は嗅ぎ覚えがあった。
「これは『落葉花』、ですね?」
「その通り。抱えの学者に調べさせたのだが、巻き付けられている布の色は落葉花から採れる染料だという。そして、その杭についてだが──Saki 殿は『嘲弄者の舌』をご存じかな?」
「はい。使ったことはないですけど。」
狭間の地を征く褪せ人たちの中には、侵入者との戦いを求め、この『舌』を用いて自らそれを招き寄せる者たちがいるという。
「この杭はそれと同じ働きをするものだそうだ。正確な仕組についてはこの手の法術を深く識る者でなければ解き明かせぬだろうとのことだったが。」
これが昇降機に乗ってるときに遭遇した謎の感覚の正体。私たちは知らぬうちに侵入者を招き入れる術を使わされていたわけか。事件の全貌に比べれば些細なものだが、謎がひとつ解けたことに小さな満足を覚えた。
「しかし、今思い出したのだが、あのとき君の隣に鉤指がいなかったかね?」
「あれは私の友人でして、鉤指ではなく実体としてあの場にいたんです。訳あって鉤指みたいになってましたけど。」
そこまで言ったところで Saki は宙を見つめて固まった。──あのタリスマン、ネフェリちゃんから返してもらってない!
「かの城に礎として眠る英霊たちを、かくも非道なる行いに利用するとはなんたる恥知らずどもか。」
Saki から背律者たちとの戦いの顛末を聞いたケネスは嘆息する。
「だが私は、彼らがそう遠からずに身を滅ぼすだろうと思っている。"亡霊を装いて戯れなば、汝亡霊となるべし" ──の言葉通りにな。」
「いいですね、その台詞。あいつらと戦っているときに叩きつけてやったらビシッと決まったでしょうね。」
刻限も頃合い。そろそろこの場を辞そうと考えいた彼女に、ケネスは頼みがあると言って件の「呪具」が入った木箱を差し出した。
「これをオーフニール卿に届け、分析を依頼してもらえないだろうか。もちろん、依頼主は私で、相応の謝礼も用意すると伝えてほしい。」
なるほど。ギデオンの知識と調査能力を以てすれば、この事件についてより詳しい情報が得られるかもしれない。しかしそこで思い直し、Saki は首を横に振る。
「それは、後日こちらに伺うネフェリに渡してください。彼女は、オーフニール卿の養女なんです。」
ギデオンとの間に生じているらしい不和を解消する一助となれば。そんな期待を込めてのことだった。
「ネフェリというのは先ほど聞かせてくれた、君と一緒に奴らと戦ったという友人だね。彼女がここへ来ると?」
今日ここに来るときも、Saki はネフェリを誘ったのだが、「礼儀作法も知らぬ蛮族が貴族様の前に出ていっても不興を買うだけだ」と断られた。「私の分の礼も述べておいてくれ」とも言われたが、それはやはり自ら伝えるのが正しい。ケネスは折に触れ領主の血筋を誇ってみせることなどから鼻持ちならぬ男と思われがちであるが、砦に住み込みで働いている亜人たちと概ね良好な関係を維持しているなど、実は偏見の少ない公正な人物であることが伺われる。Saki のような語るべき身分もない流れ者とも気さくに語らい、見返りも求めずに援助を提供する。そんな彼であれば、ネフェリをその外見や作法の拙さで遠ざけるということもないだろう。
「ええ、必ず伺わせます。ケネスさんもきっと気に入ると思います。──お好きでしょう? スタイル抜群の褐色ガール!」
虚を突かれたケネスは一瞬固まったが、すぐに鷹揚な笑顔で応じた。
「無論だ。美しき花あれば、これを愛でんで何とする。」
もちろん Saki は知っている。彼が権力者にありがちな、若い娘と見れば節度も外聞もなく手を出すような男でないことを。改めて感謝の辞を述べると、ネフェリがケネスを訪ねる日のことを想像しながら帰路に着いた。
しかし、彼女の予測は外れることとなる。後にケネスがひとかたならず──それこそ、リムグレイブの王として戴くほどに──ネフェリに入れ込むようになることは、褪せ人ならば誰もが知るところであろう。