褪せ人 Ramo と Saki の物語   作:Skinny Slaver

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王都での戦いで負傷した Ramo は老騎士 Karl に助けられ、医師 Vienna の隠れ家へと連れられる。

そろそろ本編を進めんと......ということでローデイル攻略開始。「黄金樹は○○○だったんだよ!」



褪せ人 Ramo と狭間の民 (前編)

『坩堝の騎士』──かつて狭間の地を征し王となったゴッドフレイに仕えた十六の精強なる兵は、仕えるべき王を失った折に、二名を除いて王都を去ったという。この王都に残りし騎士のうちの一人こそ、Ramo が今まさに身を投じている死闘の相手に他ならなかった。敵が振るう長大な槍は、彼の『打刀』の間合いの遥か外から突き込まれてくる。これを躱し、戦技『貫通突き』を放ってもみたが、堅固な鎧によってその威力は大きく減じられ、逆に手痛い反撃を受ける結果となった。槍の穂先は脇腹を掠め、その傷から流れる血が足下に滴っている。外郭からこの大通りに至るまでの度重なる戦闘による消耗も大きく、状況は劣勢を通り越して最悪の域に至っていた。

 

ここは賭けに出るしかない。両手で刀を扱うを常とする彼は、ここにきて左手に『バックラー』──相手の攻撃を受け流す戦技『パリィ』に特化した軽盾──を構えた。これが決まれば逆転の目も出てくるだろう。しかし、もし外せば──。敵が槍を掲げて駆け出した。その距離十歩──まだ遠い。ぎりぎりまで引き付ける必要がある。七歩──次の一歩で振り下ろしてくる。だが、その予測に反し、相手はその一歩を長足に変じて踏み込んできた。──しまった! 咄嗟に盾を出したが、振りの遅れは取り戻せない。槍の穂先はバックラーを弾いて走り、彼の左膝を打ち据えた。激痛に身悶えしそうになるが、ここで怯むわけにはいかない。動きを止めた先に待つのは、確実な死だ。相手は振り抜いた槍ごと身体を回転させ、追撃にかかっていた。穂先が大きな弧を描き、Ramo の頭をめがけて再び振り下ろされる。しかし、その予備動作の長さは二度目のパリィが完璧なタイミングで繰り出されることを許した。槍を掴む騎士の腕が上方に弾かれ、その身体の正面がガラ空きになる。Ramo は膝が軋むのにも構わず突進し、その腋下にある鎧板の隙間に打刀を捻じ込んだ。致命の一撃。兜の下から漏れる低い呻き声。次いで騎士の全身から力が失われ、槍の重さに引きずられるように後方へ倒れ込む。赤味を帯びた金色の鎧が石畳に叩きつけられると同時に、その内にあった肉体は眩い光となって弾け飛んだ。

 

一方で、この戦いを制した Ramo も満身創痍の状態にあった。左膝が体重を支える力を失い、彼の身体は黄金の葉が舞い散る大通りの路面に崩れ落ちる。血もだいぶ失われているようだ。これ以上の進行は不可能と判断せざるを得ない。果たしてこの脚で祝福まで戻れるだろうか。接敵の可能性が低い経路は──。退却の方策に思案を巡らしていた彼の耳が、背後から近付いて来る足音を捉えた。振り返ると、一人のローデイル騎士がこちらに向かってきてる。まずい──。反射的に片膝立ちになり打刀を掴んだものの、とても戦える状態ではない。活路を見出さんと視線を走らせる。その危惧に反し、ローデイル騎士は彼の手前、互いの武器が届かぬ距離で立ち止まった。おもむろに脱いだ兜の下から現れたのは、初老の男の顔。その瞳には、問答無用で襲い掛かって来る他の兵たちにはない、理性の光が宿っている。

「だいぶ痛めつけられたようだな。医者のところへ連れて行ってやろう。」

そう言って、彼は敵意のない笑顔を見せた。

 

 

男は Karl と名乗った。身に付けているローデイル騎士の甲冑は偽装であるという。

「この街にはまだ正気の者もいるのか? ──貴公の他にも。」

Ramo のこの問いに彼は首を傾けた。

「わからん。少なくともこれまでのところ、その医者以外にそういった人間に会ったことはないな。」

未だ意思疎通が可能な者たちの一群がある、というわけではなさそうだ。

「歩けるか? ──難しそうだな。どれ、肩を貸そう。」

歩くどころか立つことすら儘ならぬ今の彼にとっては有り難い申し出だった。差し出された手を取る。

「かたじけない。」

「なに、気にするな。」

Ramo を担ぎ上げるようにして立たせた Karl は、大通りに面した路地を指して「こっちだ」と言った。幾つかもの曲がり角を抜け、どんどん奥まった方へと進んでいく。市街地にはこれを警備──連中の徘徊をそう呼ぶのが適切かは甚だ疑問だが──する兵たちがいるはずだが、それらとの遭遇を危ぶむ様子がないのが解せない。

「もう少し慎重に進まぬと、敵に見つかるのではないか。」

そう問うと、彼は一応周囲を見回した上で応じた。

「いや、このあたりなら大丈夫だ。それに、付近の兵士どもは貴公が粗方始末しただろう。」

いつから見られていたのだろうか。こちらの緊張を感じたらしい Karl は、宥めるような口調になる。

「そんなに長いこと監視していたわけじゃない。大通りに入ってきたあたりからからだ。理由あってのことだが、それについては後で話すと約束しよう。とにかく、まずは治療だ。」

 

確かに彼が負ったいくつもの傷、とりわけ脇腹と膝のそれは早急な処置を必要としていた。周囲にも敵の気配はない。それにも関わらず、Ramo の感覚は先ほどから導かれる方へ進むことを拒否している。

「どうした?」

「そちらへには行きたくない──という感覚がある。自分でも何故か分からないが。」

Karl は怪訝な表情を浮かべたが、すぐに何かに思い当たったらしく、懐から紙の包みを取り出した。

「すまん、忘れていた。この先で香を焚いているのだった。匂いはしないが、人を寄せ付けぬようにする効果がある。」

「匂いのない──香?」

広げられた包みの中にあったのは数個の丸薬。彼はそれを一つ摘んで自分の口に放り込む。

「呑み込まずに奥歯で噛みしめろ。無意識の忌避感を引き起こすこの香の──言うなれば解毒剤みたいなもんだ。」

Ramo は言われた通りに一粒取り、噛みしめた。薄荷のような清涼感に続いて、強い苦みが口中を満たす。

「その先が目的地と知っていれば分別ある者はたどり着けるが、ここの兵どものように理性を失った連中は感覚のままにこれを避けて歩くようになる。『獣除けの松明』を知っているか? あれと同じようなもんだ。」

 

隠れ家は行き当たりの少し手前にあった。周囲より人の背丈ほど低くなった短い通路を進んだ先にある木製の扉。Karl はこれを押し開くと、Ramo を内に引き入れる。そこは想像していたよりも広い部屋だった。壁に沿って十脚ほどの椅子が並べられているが、そこに座っている者はいない。その奥にさらに別の部屋があるようで、Ramo はそちらへ引っ張っていかれた。

「怪我人を連れてきた。診てやってくれ。」

Ramo はそこで机に向かって座る白衣の人物を見た。女性──烏の濡れ羽を思わせる黒髪。それ対照的に肌は雪のように白い。彼女はその切れ長の目で、会釈する Ramo を数秒見つめた後、無言で傍らにある椅子を引いた。そこに座れ、ということのようだ。

「彼女は Vienna という。不愛想な奴だが、腕は確かだ。」

示された椅子に腰を下ろした患者に、Vienna は心地よく響く低音で、しかしぴしりと命じた。

「脱いで。傷を見せてくれなきゃ始まらない。」

 

 

寝台に横たわった Ramo は他にすることもなく、自身が置かれた環境の観察を始めた。この部屋は半地下になっており、頭の高さから天井にかけて設けられた窓からは面する通りの様子が覗える。壁の一面は書棚になっており、本が隙間なく詰められているが、ここから背表紙の文字を読むことはできない。他に見えるものと言えば、薬瓶が並べれらた棚と、机。女は二度ほど、その上に置かれたランプを手に奥の階段を下り、そのたびに薬瓶を手に戻ってきた。そちらは薬品の保管庫なのだろう、と想像する。室内の様子を一通り眺めた Ramo の目は、自然と彼の傍らで立ち働く Vienna に向けられた。小柄で華奢。様々な薬を扱うせいか、その手には荒れが目立つ。年の頃は自分と同じくらいか──と思ったところで、その考えを打ち消した。女性の年齢についての推量が当たった例が殆どないことを思い出したからだ。それは上にも下にも盛大に外れるのが常だった。

 

脇腹の傷は手際よく縫合され、左の膝には湿布のようなものが巻かれた。血止めも見事に行われている。Karl が請け合った通り、医者としての腕は良いようだ。それら大きな傷の手当てが済むと、次に他の小さな傷の処置が始まった。傷の様子を見るため、彼女は Ramo の腕や肩を押し引きするのだが、それが事前の声掛けもなく行われるものだから、その度に彼の身体は反射的に強張る。これを何度か繰り返した後、Vienna は溜息交じりに呟いた。

「面倒だ。」

棚から薬瓶を取り出し、そこからつまみ上げた顆粒を Ramo の鼻先に落とす。それは彼の顔に落ちると同時に薄紫色の煙に変じた。吸い込んだ Ramo は抗いがたい強烈な眠気に襲われる。

「おい、ちょっと待て。相手の確認も取らずにいきなり──」

遠くから Karl の声が聞こえたような気がしたが、それを最後まで聞くことはできなかった。

 


 

「相手の確認も取らずにいきなり眠らせる奴があるか。」

Vienna の暴挙に、Karl は思わず声を上げた。連れてきた褪せ人も口数の多い方ではなかったが、こいつのそれは輪をかけて少ない。

「そんなんじゃ、医者は務まらんぞ。」

「私は医者ではなく調香師。あなたにこれを言うのは三度目。」

こちらの抗議を軽く跳ね退けると、彼女は眠る Ramo の手当てに戻った。こちらに背を向け、手を動かしながら問う。

「それで?」

これは先のやりとりの続きを促しているわけではない。それで伝わるわけないだろう──と思ったが、いい加減長くなった付き合いで、その意図するところが分かってしまうのが少々癪だった。

「剣の腕は申し分ない。東門にいる坩堝の騎士を倒した。さらにその手前で『黄金樹の化身』も破っている。」

それを聞いた Vienna は手を止め、こちらを振り返って首を傾げてみせる。これは「本当に?」の問いだ。

「ああ、両方ともこの目で見た。こいつなら、我々が支援してやればゴッドフレイを打ち倒せるかもしれん。」

 

再び患者に向き直り処置を再開した彼女は短く言う。

「準備を。」

「わかった。こいつが目を覚ます前に支度を整えておこう。」

そう応じて Karl は隠れ家を出る。考えてみれば、Ramo には睡眠による休息が必要だった。ぶっきらぼうではあるが、その行動には一定の合理性がある。あとはもう少しだけ口数を増やして、相手との意思疎通を図るようになれば申し分ないのだが。

「忙しくなるな。」

近頃重くなってきた肩を思い切り伸ばすと、彼は城壁へ向かう道を歩き出した。

 

 

Ramo が目を覚ましたとき、部屋の中には Vienna も Karl もいなかった。ゆっくりと身体を起こす。どれくらい眠っていたのだろううか。立ち上がって歩いてみた。傷はまだ痛むが、歩行に支障はない。出血による倦怠感も消えている。不意に気配を感じて振り返ると、戸口に Vienna が立っていた。湯気を立てるカップを二つ手にしている。彼女はその片方を寝台横の小さなテーブルに置くと、もう片方を持って椅子に掛けた。カップの中身は茶だったが、独特の香りがある。何らかの薬湯なのだろうが、彼女は特にそれについて説明する気はないらしい。だが、毒ということもあるまい。害するつもりならば、寝入っているうちにやればいいのだから。そう判断して一口啜る。苦みと、微かな甘み。不味くはない。

「差し支えなくば、貴公らが某を助けた理由をお教え願いたい。」

かような相手には己が思うことを率直に申し述べるのがよい。それが Ramo の経験則だ。Vienna はしばらく黙っていたが、さすがに話さぬわけにはいかないと悟ったらしく、意を決したように口を開いた。

 

「人々の精神に起きた変調の原因を探っている。その治療法も。」

「精神の変調というのは、エルデンリングが砕けたときに発生したもののことか。」

彼女は頷く。だが、それと彼を助けたこととの間の繋がりが見えない。そのことは向こうも承知しており、こちらが問いを重ねる前に言葉を続けた。

「そのために黄金樹を調べたいのだが、正気を失った兵たちその他の妨害があって近づけない。」

そこでようやく得心がいく。それらを打ち破り、黄金樹への道を切り拓ける者を探しているというわけだ。だが、彼女の語りはそこで終わらなかった。

「それらを切り抜けて聖堂へ至った褪せ人たちも、ゴッドフレイによって悉く返り討ちにされている。」

最初の王、ゴッドフレイ。だが彼は遠い昔にこの地を追放されたはず。

「彼が戻ってきたというのか?」

「聖堂を護っているのは彼の霊体だそうだが、本体もそう遠くない場所にいるだろう。」

 

Ramo がこのローデイルに来たのは半神モーゴットと見えるためだった。ゴッドフレイとの戦いは想定にない。果たして、敵う相手なのだろうか。そんな疑問が頭をよぎるが、それは彼女に話しても詮無きこと。そう考えた Ramo は話題を転じる。

「黄金樹を調べると言われたが、何故そこに目を付けたのか。」

その問いに、Vienna の瞳が強い輝きを返す。彼女は机の抽斗から硝子の蓋が付いた小さな皿を取り出し、卓に置いた。その上には少量の血が乗せられている。

「猪から得た『獣血』だ。もう採取して一月になるが、変質する様子はない。普通の血なら、とうに黒ずみ乾いている筈だろう?」

「確かに。」

「この血液には黄金の煌めきを放つ "何か" が混ざっている。私はこれが黄金樹由来の物質──もっと言えば、その胞子なのではないかという仮説を立てた。」

彼女自身気付いていないようだが、どんどん早口になってきている。研究者に見られる癖だ、と Ramo は思った。

「胞子? 樹木の由来であれば花粉ではないのか?」

「花粉は単独で殖えることはできない。私の考えでは、黄金樹は木ではなく菌類の子実体──わかりやすく言えば、巨大なキノコだ。」

そこで Vienna は「可笑しいだろう?」というように笑ってみせた。出会ってよりこちら、冷淡で他人を拒絶するような態度を取っている彼女だったが、それがこうして崩れるとだいぶ印象が変わるではないか。

「この黄金の胞子は人間の血の中にも入り込んでいる。一種の寄生生物とも言えるだろう。それが宿主の精神になんらかの影響を及ぼしているのではないか、というのが私の仮説だ。敗血症のようなもの──と言っても、まあ伝わらないだろうが。」

「病のもととなる目に見えぬほどの小さな生き物が血流の中にまで及び、劇的な反応を引き起こす現象──と聞いているが。」

遠い記憶を手繰ってそう答えた Ramo に、彼女は驚きの目を向けた。

「戦士にしては詳しいな。医術を学んだことがあるのか。」

「残念ながら。ただ、読み書きを習った相手が医者で、折に触れてそんな話を聞かされていたというだけのこと。」

「葦の地の医者か。興味深い。」

 

 

彼らだけにしておいたら、互いに一日中でも押し黙っているのではないか。無口な二人の見合いは仲人が骨を折らねば進まんな。そんな思いで急ぎ隠れ家へと戻ってきた Karl が見たのは、何やら熱心に問答する Vienna と Ramo の姿だった。

「──何?」

戸口に立ってその様子を眺める彼に、Vienna が口を斜めにして問う。この反応が既に、常の彼女には見られないものだった。気分が高揚している証拠だ。

「期待していた展開とは少々違うが、これはこれで。歓談が済んだこちらへ来てくれ、お二人さん。」

Ramo と Vienna は顔を見合わせ、黙って腰を上げた。

 

 

「西の門を開けておいた。そこを通って、根を上れば聖堂はすぐだ。」

Karl が言った通り、大通りの最奥に位置する門は開け離れていた。Ramo と Vienna はこれに通ずる階段を上る。ここを警備していたと思しきローデイル兵がそこかしこに倒れていた。

「どれも眠らされている。これも Karl 殿が?」

「ええ。あなたに使ったのと同じ種類の薬。ただし、もっと強力なやつで、効き目が長く持続するよう調整してある。」

門を抜けた先は、半ば砂に埋もれていた。その先には、人がその上を歩けるほどに巨大な根が伸びており、これが遥か高みにある聖堂への道となっている。問題は、その上に居座る『守人』たちだ。ここから見えるだけでざっと十体。根の上で大立ち回りを演じて足を踏み外せば一巻の終わりである。弓で釣り出すとしても、矢の一撃で倒せる相手ではないため、戦闘は避けられない。Vienna を連れているため、走り抜けも不可。

「あれの掃討は少々骨が折れそうだ。」

「だから Karl が別動している。ここで待ちましょう。」

 

ほどなくして、根を見つめていた Ramo はその上に爆炎が生じるのを見た。何事かと目を凝らす。数秒後、再び炎が上がり、一体の守人を吹き飛ばした。

「あそこ。」

そう言って Vienna が指すのは後方の建物の上辺。屋上の角に据え付けれたバリスタが、根の上の守人に向かって断続的にボルトを撃ち出している。

「操作しているのは Karl 殿か。」

「元は別のところにあったものを移設したって。分解・運搬、組立に五日掛かったと言ってた。」

そんな話をしている間にも守人たちは次々に根の上から払い落とされていき、ついには最後の一体の姿が遥か下方の靄の中へと消えた。

 

Karl によって敵が一掃された根の上を進んでいく。黄金樹はもう目の前だ。ここまで近付くと、その全体像は視界に収まらない。常から情動を表に出すことの少ない Ramo も、さすがにその感慨の深さに嘆息する。

「この地に来て以来常にこの樹を見上げていたが、眼前に来ると改めてその大きさに驚かされる。いったいどれほどの高さがあるものなのだろうか。」

博識の Vienna ならば知っているのではないかと期待して問うてみた。

「諸説ある。とある文献に、ジャーリーなる人物が求めた 4,452 メートルという数字があり、概ねそれが定説として受け入れられていたらしい。もっとも、この変異が起こる前の話だけど。」

具体的な数字を聞くと、一層信じがたい思いがする。およそ人の想像の限界を超えた大きさだ。

 

そうして根を上っていくうち、二人はその終端である聖堂のバルコニーへとたどり着いた。広く設けられた入り口からは、建物の内部がよく見える。そして敵の気配ももはや隠れてはいない。このアーチがゴッドフレイの結界。一歩踏み込めば、それが戦闘開始の合図となるだろう。

「では、ここで。」

その言葉に Vienna は頷き、背嚢から素材を取り出して調合を始めた。身体能力を高める香料は専用の容器で持ち運ぶことができるが、使用する直前に調合したものと較べると、その効果も持続時間も一段落ちるという。戦闘能力のない彼女がここまで同行したのはそれが理由だった。完成した『高揚の香り』が Ramo に吹き付けられる。身体の奥底から力が沸き上がる感覚がある。膝と脇腹の傷の痛みも感じられなくなった。

「効果時間はおよそ90秒。」

それまでに決着──とはいかなくても、有利な状況に持ち込みたいものだ。

「我に武運あれば、再びお目にかかろう。」

期待と不安の入り混じる Vienna の視線を背に、Ramo は聖堂へと足を踏み入れた。

 


 

『最初の王、ゴッドフレイ』は聖堂の中央にその姿を現した。王者に相応しい、堂々たる入場。Ramo の倍はあろうかという巨躯が、その身の丈ほどもある大斧を構え悠然と迫って来る。その威容だけで気圧されてしまいそうになるが、こちらとて退くわけにはいかない。打刀を鞘に納めたまま駆け出す。振り下ろされる大斧。前に跳んでその刃を躱す。擦れ違いざまに抜き打ちの一撃。王の脇腹から血飛沫が迸る。だが、王は先手を取られても怯まず、振り向きざま、強く床を踏みしめた。衝撃が地を走り Ramo を襲う。再び前方に跳んでこれを飛び越え、その勢いのままに一閃。振り下ろされた刀は、王の腕に一条の傷を残した。

 

単純な力比べでは Ramo に分はない。だが彼は、先読みと慎重な立ち回りで戦いの流れを引き寄せていた。Vienna の『高揚の香り』が与えてくれる活力によって、一蹴りでより長い距離を跳ぶことができる。この機動力の増強のために、王の斧は未だ Ramo を捉えておらず、対する彼の刀は僅かずつではあるが相手の身を削っていた。この香の効き目が切れるまで、あと15秒ほど。それまでになんとかして決定打を叩き込みたい──。優位にありながら、彼の心の中には微かな焦りが生まれていた。

 

王が高く跳躍する。空中で大きく振りかぶられた直後、大斧はその手を離れた。唸りをあげて飛び来る刃をすんでのところで横へ跳んで躱す。今の投擲には不意を突かれたが、得物を手放すとは。回避動作の勢いを利用して体勢を立て直した Ramo の目に信じがたい光景が飛び込んできた。投げた斧を追うように、こちらへ急降下してくる巨体。慣性の法則を完全に無視したその動きには、さしもの彼も対応できなかった。地響きと共に着地する王。勢いの乗った膝蹴りを受けた褪せ人は、聖堂の床を跳ねながら壁際まで吹き飛ばされる。意識が一瞬途切れるほどの衝撃だった。今の一撃で右肩が外れたようだ。打刀が手を離れなかったのは奇跡と言えるが、もはやそれを振るうことはできない。先ほどまでの優位が幻の如く消え去る。そしてなお悪いことに、彼に力を与える調香の効力は既に失われていた。

 

 

震えが──止まらない。聖堂の入り口、王の結界の外から戦いを見守っていた Vienna は Ramo の窮地に際し、ただひたすらに恐怖していた。医師としての働きの中で、死にゆくものを見送ってきた経験は数知れない。だが、人間が打ち据えられ、跳ね飛ばされる様を目の当たりにしたのはこれが初めてだ。加えて、死に瀕しているのが先ほどまで親しく言葉を交わしていた相手であるという現実が、理屈を超えて彼女を恐慌に陥れていた。この状況で、戦う術を持たない Vienna にできることはない。隠れ家を出発する際にも、Karl から戦闘に参加しないことを約束させられている。だが、彼女にはもはや後先を考える余裕はなく、ただ心の急かすままに結界を潜り抜けた。

 

「何故入ってきた!?」

聖堂に踏み込んだ Vienna の姿を目にした Ramo は思わず叫んだ。彼女はゆっくりとゴッドフレイに向かって歩いていく。王もこの突然の闖入者に驚いているように見えた。武器も持たず、構えもせず、ただ迷い込んできたといった風情の女を敵として認識できずにいるらしい。既に二人の距離は五歩を切っている。ゴッドフレイが手にした斧を振るえば、彼女の胴は苦もなく断ち切られてしまうだろう。Ramo は気力を振り絞って立ち上がった。打刀を左手に握り替え、身体を引きずるようにしてゴッドフレイに近づいていく。奴の注意をこちらに向けさせなければ。だが、そんな彼の思惑に反して、Vienna は敵に向かって素早く腕を振り、袖の内に隠し持った調香瓶の中身を振りまいた。咄嗟に飛び退くゴッドフレイ。──なんということを。これで彼女は完全に敵として認識されただろう。Vienna は身を翻して走り始めたが、それで奴の斧から逃れられるのなら苦労はない。背後から両断されるだけだ。だが、彼の予想に反し、ゴッドフレイが振った斧は標的の遥か手前で空を切った。

 

ありえない空振り。王は困惑した様子で、それでもなお敵を追って駆けだす──が、その動きは枷をかけられたかの如く鈍い。ゴッドフレイに起きた異変を確かめた Vienna は Ramo に駆け寄るなり、早口でまくし立てた。

「雷を! ──矢でも壺でもいい、雷属性の攻撃手段を持ってない?」

「いったい何をした?」

矢筒から羽付きの『骨の雷矢』を取り出しつつ問い返す。

「『鉄壺の香り』で奴の身体を鉄化させて走れなくした! 武器を弾くほどに硬いけど雷なら通る! 効果は約60秒! 早くカタを付けて!」

「済まないが、右肩を脱臼している。入れてくれないか。」

Vienna は Ramo の身体に触れて状態を確かめると、彼の上腕を持ち上げ、反対の手を肩に添えた。

「押し込む。こっちに体重をかけて。」

言われた通りに身体を傾けた瞬間、激痛とともに関節が元の位置に収まった。Ramo は『ロングボウ』を構え、雷矢を番える。まさかゴッドフレイ相手に弓を使うことになるとは思わなかった。焼けるような痛みに抗って弦を引く。戦技『強射』──限界まで引き絞られた弓から放たれた矢は相手の上腕に突き刺さった。その鏃に込められた雷の衝撃は骨にまで達したはずだが、それとても王の動きを止めるには至らない。次の矢を番えるが、右腕が痺れて力が入らない。これを放った後なら砕けても構わない。最後の一射を引かせてくれ。そう願う Ramo の身体に不意に力が戻り、肩の痛みも和らぐ。Vienna が再び使用した『高揚の香り』の効果だった。

「瓶に詰めてきたやつだからさっきのより効果は薄いけど、これでなんとかして!」

「承知!」

狙いを定め、渾身の一撃を放つ。雷矢で胸の中央を射抜かれたゴッドフレイは、咆哮と共に黄金の光となって聖堂を満たし──そして、消え去った。

 

 

戦いが終わった後、Vienna は床の上に崩れ落ちた。座り込み、肩を抱いて激しく震えている。立ち上がることもできないようだった。

「大丈夫。大丈夫だから──。」

繰り返しそう訴えるているが、到底大丈夫そうには見えない。どうしたものか──と思案していたところ、聖堂に Karl が駆け込んできた。彼は Vienna の様子を見るなり Ramo に掴みかかった。

「彼女を巻き込んだのか! 絶対に戦わせるなと言っただろう!」

「まことに相すまぬ。」

彼女がゴッドフレイに挑んだのは彼の意図したことではなかったが、彼女の加勢がなければ命を落としていたことも事実だった。

「すまぬ、じゃ済まないんだよ!」

Karl の鉄拳が Ramo の顔面に叩き込まれる。鼻孔と口の端から血が流れ出たが、彼はそれを拭いもせず、黙って頭を下げた。

「私が勝手に飛び込んだ。彼は悪くない。彼を責めるのは──。」

震えながらそう訴える Vienna の背を Karl はただ頷きながらさすってやった。

 

数分後。三人は聖堂内の祝福を囲んで座っていた。ようやく落ち着きを取り戻した Vienna が Karl に事の次第を説明する。

「あれほど念を押したのに、無茶をしおって。」

「......ごめんなさい。」

Karl は溜息を吐くと、Ramo に向き直り頭を下げた。

「貴公には大変申し訳ないことを。姪の身を案じるあまり冷静さを欠いていた。」

「いや、謝るのはこちらの方。Vienna 殿が戦うことになったのは、ひとえに我のしくじり故。──今、姪と仰ったか?」

Karl と Vienna は顔を見合わせる。

「おまえ、話していなかったのか。」

「あなたが説明したものと思っていた。」

 

Karl がローデイルにやってきたのは半年ほど前のことだという。元はケイリッドでラダーン軍の小隊長を務めていたが、破砕戦争とそれによって引き起こされたエオニアの惨事により軍は壊滅。その後も、ゲール砦に留まり、残った兵たちと共に赤い腐敗を食い止める任に就いてたが、状況が落ち着いた──というよりも、どうしようもなくなった──ところで軍を辞し、妹の嫁ぎ先であるローデイルへ。妹は既に帰らぬ人となっていたが、そのである娘 Vienna は奇跡的に正気を保ち、調香師・医師としてこの変異の究明に取り組んでいた。そこで Karl は彼女の護衛兼雑用係を買って出たのだという。

「初めて会ったのが半年前。それまで自分に伯父がいるなんて知らなかった。」

「そんなもんで、彼女からすれば俺は赤の他人も同然なわけだ。本当は "伯父さん" と呼んでほしいところだが。」

「......それは無理。」

それを聞いた Ramo が噴き出すと、彼らも笑い出した。

 

 

二人はこれからどうするかと訪ねたところ、Karl は Vienna を隠れ家に送り届けたらここへ戻ってくるから待っていて欲しいという。

「モーゴットには因縁があってな。どうしても一太刀浴びせてやらねば気が済まんのだ。」

 

聖堂に一人残った Ramo は、悠然と聳える黄金樹を見上げた。モーゴットを倒し、黄金樹に至り──さすれば王となれるのか。いまひとつ実感が湧かない。王になるとはどういうことなのか。そもそも自分は王になることを望んでいるのか。太陽は既に城壁の向こうへ没し、王都のきらびやかな街並みは夜の闇に沈みつつあった。

 




第10話『褪せ人 Saki と神の落とし子』投稿予定: 2026-09-28 朝
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