ゼルダの伝説 コールオブザワイルドハント 作:八郎ザヘッジホッグ
1.
朱く滲んだ夕日の輪郭が、平原の先に横たわる連山の稜線に触れたとき、少年は隊商から離れた位置で、その光景を呆けたように見つめていた。
黄昏に満ちる
「気は済んだか?」
隊商のほうから近づいてきた男が言った。
「キャンプもあらかた張れた。行こう、ボッゾの旦那が今日はトアル山羊のいいところを出してくれるらしい。お前が来ないと始めらんねぇ」
蓄えたあごひげを撫でながら言う。少年が振り返った。薄暗闇の先で、焚火に照らされた荷馬車の影が男と重なる。
「にしてもお前も毎日飽きねぇなぁ。仕事終わりに何しようが文句はねぇけどよ。だが腹ペコの俺たちをさらに飢えさせようってんなら話は別だ。縄でふんじばったってつれていくぜ?それと……」
男は剣帯にひっかけていた手布を投げてよこした。少年は空中でふわりと失速したそれを、足先ですくうように取り上げる。
「一応血は拭っとけ。今回のお客様
護衛稼業も客商売ってな~。手をひらひらと振りながら、キャンプへ戻っていく。リンクと呼ばれた少年は、刀身を雑に拭ってから、剣を鞘に納めた。そして剣にしたのと同じ要領で顔をごしごしと拭きながら、自分が作ったボコブリンたちの死体を跨ぎ、男の後を追った。
拭い残した血のせいで赤らんで見える彼の顔には、笑みがあった。この暗がりが余計そう見せているのか、獣めいて大きく爛々とする瞳のせいか、どこか見る人を不安にさせるような、正体の知れない微笑だった。
2.
その男の噂を耳にしたのは、衛兵たちの立ち話を盗み聞いていた時のことだった。
城内城下はもう間もなく開催される豊穣祭の準備で活気だっていた。街中のいたるところに飾り付けがなされ、所狭しと乱立する屋台群は、目抜き通りからあふれ出ていた。花、菓子、串焼きや揚げ油の甘い匂いが、私室の窓際まで届いていた。
祭りは、もちろん、嫌いではない。だが、ガノン復活の予言以来年々、気が重い。
ゼルダは来年、17になる。
ハイラルの姫であること。それはこのハイラルを守護する退魔の巫女、その責を負うことを意味している。それ自体は、いい。王族として生まれ、貴人として育てられた。民を守ることこそは私たちの存在理由で、存在証明である。問題は、そう。まさにその資質を証明できるのか、ということだ。
お母様が亡くなられてからすぐ、巫女になるための修業が始まった。無論、手を抜いたことはない。しかし、お父様や神官たちから聞いていたような兆候は、今日までついぞ現れることはなかった。巫力のみなぎりを感じたこともなければ、精霊の囁きが聞こえてきたことも、女神の御姿を垣間見たこともない。もし巫女になるための試験があったなら、落第もいいところだった。
従者でさえ、口さがない者たちの中には、城内でゼルダの不適を噂する者もいる。ガノン復活の予言はあくまで
気持ちが沈む。お父様は近年、目に見えて厳しさが増した。眉間の皺や、表情の険も。
城中の文献を読み漁り、他に何かできることはないかと遺物の調査、研究にも手を出した。こちらは修業に比べればいくらか成果があって、多少気休めにもなった。お父様からはそんなことをしている暇があったら修業を、と叱責されるので、ここ最近は城の者の目を盗んでフィールドワークに出かけることもしばしばである。ゼルダとしては、まさに藁をもつかむ思いで打ち込んでいるのだが、理解してくれるのは古代研究の第一人者であるプルアと、亡き王女の親友であったウルボザくらいのものであった。
その日ゼルダは捗らない修業の気分転換もかね、–––いつものように–––独自に組んだルートの中から城門側のものを選んで、城を抜け出そうとしていた。衛兵用の通用口脇に積まれた木箱の陰で
「……そんでよ、ジェナード隊長が馬から飛び降りざまにモリブリンをバッサー!とやっちまってよ。ありゃあまだまだ現役だぜ」
「今年も近衛の連中が一位をとっちまうのかねぇ。なんつーか、代り映えしない面子ばっかりで張り合いがねーよな」
「いやいや!最近騎馬隊に入ったコルガって奴がなかなかのもんらしいぜ。なんでも出身がアクオなんだってよ。親父さんが闘技場のチャンプだったこともあるとかで、ガキの頃から仕込まれたって聞いたぜ」
「でも試合で使えるのは剣だけだろ?騎馬なし槍なしじゃな。剣で近衛には勝てねーよ」
……剣術大会。ゼルダはこの催し物があまり好きではなかった。ハイラルに住まう腕に覚えのある者たち全てを対象にし、自薦他薦を問わず参加できる一大イベント……とはいえ在野の剣術家が勝ち進む例は少なく、実質はハイラル軍の威光を示す御前試合と化している。兵が強いことはまこと結構なことであるが、如何せん、小さな頃に会場へ連れてこられ、お父様の隣で闘士と観客の上げる怒号、嬌声、悲鳴、絶叫をいやというほど浴び、大人が振るう本気の暴力の迫力を見せつけられては、いい印象など抱けるはずもなかった。
「にしても最近はよそからのスカウトが増えてるよな。そのコルガって奴もそうだし、砂漠の奴らとかもちょいちょい兵に交じってきてる」
「軍備増強の一環だよ。ほら、
「ああ、
「護衛といえばよ、聞いたか。アッカレ商会に最近ついた用心棒の話」
「知ってる知ってる!相当腕っこきだってな。全員かなり使うらしいが、なかでも一人めちゃくちゃな強さの奴がいて、そいつがまだ16のガキなんだってよ」
「フリクト兵長の話じゃ、護衛部隊ごとハイラル軍に召し抱えようって話もでてるらしいからな。今回の剣術大会にも出場して、上位勢をひっかきまわしてくれたらなぁ」
「また大穴狙ってんのか?いい加減にしとかないとまたカミさんにどやされるぞ」
「俺が稼いだルピーを何に使おうと俺の自由だろ。リストに入れとかなきゃ。名前はなんていったっけ、確か……」
「あー、リンク、だったかな」
ああ、それだ。と
「……リンク」
口内で、その名をころがす。暗澹たる胸中にも関わらず、思いのほか爽やかに響いた。頭を振る。少し引き返して、城壁ののぞき戸を押し開き、濠を伝って城下を目指す。
民の中にも、己を知り力を振るう者たちがいる。私も今、できることをしなくては。広場の賑わいを背に浴びながら、歩調は自然と早まった。
3.
「リンクさん、お茶はいかがですか?」
リンクの長い耳がぴんと跳ねた。振り返ると隊商宿の娘が立っていて、手には淹れたばかりのカップが湯気を立てている。
リンクは無言でそれを受け取ると、一息に飲み干した。熱いでしょうにそんなに慌てなくても、と娘はやわらかく笑う。舌なめずりをしながら空になったカップを娘に突き戻し、リンクは再びブラシを手に、愛馬に向き直った。端から見れば無礼千万な振る舞いだが、娘はリンクのそうした態度には慣れているらしく、にこにことしている。
「ほんとうに、綺麗な馬……」
幼いころから隊商の荷馬車やハイリア軍の騎馬を世話してきたが、リンクの愛馬、エポナは群を抜いて美しかった。深い栗毛の毛並みはつやつやと太陽光を反射し、白いたてがみと尾はくすみひとつなく、風の中で艶やかに揺れた。立ち姿には名馬に特有の品があり、知性を感じる穏やかな瞳をしていた。
「ご主人様とは大違いねーエポナ」
たくましい首筋を撫でてやると、人が嘆息するかのように、小さく嘶いた。
「リンクさん、ボッゾ様とミケロさんが呼んでましたよ。祭りに合わせて今日中に草原を抜けたいから、荷積みを手伝ってほしいんですって。もっとゆっくりしていらしたらいいのに。ご心配なく、続きは私に任せてください」
リンクは少し躊躇った後、ゆるゆるとブラシを娘に渡した。エポナの鼻をひとなでし、宿に駆け出していく。娘は、リンクがブラシを他人に任せるようになるまでにかかった途方のない時間に思いを馳せた。彼との付き合いには、野生動物を手懐けるような根気と忍耐が必要だった。
「……あなたも、苦労してる?」
小さくなっていく命の恩人の背中を見つめながら、エポナの背を撫でる。エポナはもう一度、否定とも肯定ともとれない嘶きで、彼女に応えた。
隊商の出発準備は、陽がまだ高いうちに整った。ボッゾ一家と野営資材を載せた荷馬車が1両、商品を載せた荷馬車が5両、馬の飼料、使用人の私物を満載した荷馬車が2台と、都合8両という編成規模に対し、リンクら護衛隊はわずか5名に過ぎなかった。とはいえこれは、雇い主であるボッゾの吝嗇によるものばかりではなく、ミケロ隊への信頼の証ともいえた–––少なくとも、ミケロはそう思っている。
「よぉおおしテメェら!明日の正午までにはハイラルに着かなきゃなんねぇ!祭りは待ってくれねぇぞ、気合い入れてけ!」
ミケロの号令にえいえいおうと応え、護衛陣はそれぞれの持ち場に展開した。ミケロが先頭を率い、リンクは殿をゆく。五人のうち馬を持たないクミンは、荷台に組まれた櫓に座し、四方を見張った。
道中は穏やかなものだった。はぐれのボコブリン数匹をミケロとフリントが追い散らし、隊商は馬車馬の休憩の他ほとんど歩みを止めずに前進を続けた。
やがて日の傾きが激しくなっても、なんとかロマーニ平原まではたどり着きたいというボッゾの希望もあって、行軍は続いた。使用人たちが馬車に据え付けられた松明とカンテラにせわしなく火を点けて回る中、リンクはエポナの上で揺られながら、黄金色に染まっていく山肌をぼんやりと眺めていた。
「旦那!今日はこの辺にしときましょう!なぁにこの分なら昼前には到着でさぁ!」
平原へ続く橋を渡り終え、見晴らしの良い平地に出てから、ミケロが言った。すでにとっぷりと日は暮れており、天球には満月が爛々と輝いていた。
使用人たちと護衛隊は隊商の周囲に手早く鳴子と松明を張り、野営展開を急いだ。リンクはそのさらに奥を一回りし、周辺を確認する。目を慣らすため日没から瞑っていた左目が、月光を受けギラギラと暗闇を見通した。果たして、周辺に隊商を脅かすものは認められなかった。
夕食はボッゾ一家も含めて、あくまで質素に済ませることになった。明日は日の入りと同時に走り出すのが理想である。護衛以外の一同は焚火を組んで、干し肉を湯で戻し、お茶代わりに茹で汁をすすった。
「ほら、あんたの」
馬たちに飼葉を与えていたリンクに、クミンが干し肉の小袋を投げて渡した。
「それが終わったら先に寝ときなよ。いつも通り2時間で交代だ」
ぐにぐにと干し肉を噛みながら言う。
「もっとも、見張りも要らないかもしれないけどね。この辺はもうハイラル軍の巡回ルートだし、盗賊の類も狩られ尽くしてるでしょ。……別にサボりゃしないよ、そんな風に見るのやめて。怖い」
リンクの表情は変わっていない。笑顔という無表情が顔に張り付いている。袋から取り出した干し肉を咥え、作業に戻っていく。相変わらず愛想がいいんだか悪いんだかわからんやつ、とクミンは思った。リンクと仕事をするようになってしばらく経つが、この男がしゃべっているところを見たことがない。はじめは聾唖なのかと思っていたが、耳は五人の中でも一番いい。では人嫌いなのか、といえば、誰に何を言われても、何を頼まれてもニコニコとしていて、リンクから人を避けている場面に出くわしたことは–––その逆はよく見かけるが–––ない。総じて、何を考えているかよくわからん、という評がミケロ隊の共通認識だった。一方で、リンクの仕事ぶり、こと戦闘において彼の実力を疑うものは今や誰もいない。頼りになるやつだった。チームを組む上でそれ以上に重要なことがあるだろうか?
さてもうひと踏ん張り、と背中を鳴らした時だった。しゃがみこんでいたリンクが、突然、立ち上がった。あまりに急激な動作だったので、馬たちの中には驚いて前脚を振り上げたものもいた。
「ッどうし……!」
リンクは、空を睨んでいた。顔からは、あの笑みが消え失せていた。
何かが、起きている。こうなった時のリンクをクミンはよく知っている。リンクの研ぎ澄まされた感覚、その鋭さを知っている。
なんだ。リンクは何を感じ取った?空を見上げる。雲一つない夜空に満月が浮かんでいる。目を凝らす。白銀の月光が目に染みる。
「……今度はなんだい大将ォ、アンタのそれ、大好きだけど大嫌いだよ」
背負った弓を取り、矢をつがえる。周辺に目を配る。暗闇の先には何も見えない。
風が吹いた。生ぬるい、いやな風だった。ぞわり、と首筋が毛羽立った。空が、赤い。いや、空だけではない。月だった。月が、赤黒く燃えている。点々と立つ松明の火が粘っこく湿った風に吹かれ激しく踊る。
リンクは剣を抜き放ち、手甲に激しく打ち付けた。ガンガンガンガン!という音で呆然とした意識が戻ってくる。リンクを見る。今度は笑っている。ひときわ大きな犬歯を剝き出しにして、笑っている。
クミンは冷や汗が背筋に流れていくのを感じた。おおっと、これはこれは。またロクでもないことになりそうだ。無理やり口角を上げ、笑って見せた。櫓に向かって走る。胸元から警笛を引きずり出し、息の続く限り吹き鳴らした。
音を聞きつけ跳ね起きたミケロの指示は素早かった。
「全員起きろ!馬を繋げ!卸してる荷物は捨てていけ!急げ!もたもたするな!」
入眠しかけていた使用人たちが半分恐慌状態で天幕を飛び出す。「い、一体何が」「松明をくれ!」「誰だ俺の靴盗ったの!」「なんじゃこの空は」「ボッゾ様こちらへ!」「押すな!」
剣帯を掴んでクミンに駆け寄る。
「で?どういう状況だ!」
「まだわかんない!でもなんかくるよ。動いた方がいいと思う!」
「リンクは!」
「後列にすっとんでったよ!橋の方!」
「わかった。フリント!斥候だ、前に出ろ!マルコはフリントの合図で隊列を先導!ボッゾの旦那が最優先だ!俺はリンクのところに行く!」
ミケロが声を張り上げると、二人は矢のように駆け出した。ミケロが櫓を飛び降りる。ほぼ同時に、後方に設置していた鳴子がけたたましく揺れる。クミンが叫んだ。
「来た来た来たッ!」
後方に目を凝らす。雲霞のようなキースの群れが赤い空を飛び去って行く。松明が外側から順に闇の塊に飲み込まれていく。闇の塊には蠢く手足と、無数の目がついていた。