ゼルダの伝説 コールオブザワイルドハント 作:八郎ザヘッジホッグ
1.
「報告を」
眉間を揉みながらハイラル王が言った。傍らに控えたナバナ書記官が、革背表紙の手板に視線を落とし、咳ばらいをした。
「明朝、各駐屯兵団から早馬がありました。ハイラル平原全域に渡り、魔物の群れが突如として出現、襲撃を受けたとのことです。兵たちの被害は軽微ですが、警邏の配置が少ない村落や宿町は重傷者も出ているようです。詳しい出現分布と原因については目下調査中、被害状況の確認と支援も兼ね、騎士団とシーカー族の者を走らせています。これが中央ハイラルのみに起きている現象なのか、それともハイラル全土で起きていることなのかについては、英傑のみなさんから連絡があればすぐにわかるでしょう」
ナバナの口調はあくまで淡々としていた。努めて抑制的であろうとしている風でもない。いかにも官吏然とした声音で続ける。
「気になるのは、兵たちの中に、砦の中に突然魔物が現れた、という報告をしている者たちがいることです。見張りを怠った失態を隠そうとしているのかと思いましたが、それにしては報告件数が多い。門を突破されたわけでも、警備の隙をつかれたわけでもなく、いきなり目の前に魔物が出現した。これが不良兵の言い訳ではなく事実であったならば……」
ハイラル王の眉間に寄った皺が、ますます深くなった。
「城内に魔物たちが溢れかえるという事態があり得る、と?」
「可能性は否めないでしょう」
ハイラル王の指が神経質に机を叩く。窓の外で、豊穣祭の飾りつけが風に揺れている。脳裏に浮かぶ最悪の事態を締め出し、言う。
「あの赤い月……魔物どもの大量発生……ナバナよ、これは予言の、厄災の予兆だと思うか?」
ナバナは真紅の眼鏡に手をやり、言った。
「原因の特定はプルア主任研究員の仕事です。私からはなんとも。召喚いたしますか?」
「いや、いい。昨日の今日ではまだ何もわからんだろう、邪魔をしたくない。ご苦労であった」
ナバナは慇懃に礼をし、扉に向かった。ドアノブを手にしたその背中に、王は「待て」と声をかけた。
「兵士たち以外からも話を聞きたい。民たちの中に、話せそうな者はいるか?」
ナバナは少しの間思案し、言った。
「……明け方にアッカレ商会のキャラバンを保護したと、城の衛兵から報告が入っていました。夜半に平原の真ん中で魔物に囲まれていながら、全員五体満足で城門まで辿り着いたとか。いかがなさいますか?」
「会おう。直接出向く。インパを呼んでくれ」
かしこまりました、と。ナバナは今度こそ執務室をあとにした。
2.
棍棒を振り上げた腕が切り飛ばされ、赤い月光に舞った。金切り声を上げる間もなく、腕の主は喉元に取りつかれ、突き倒される。その下敷きになったボコブリンの頭を踏み砕きながら、リンクはモリブリンの喉から引き抜いた剣を手近なボコブリンに投げつけた。
取り落とされた斧を拾いあげ、崩れた集団のど真ん中に飛び込み、踏み込む。みしり、とリンクの身体の奥から音がする。
数瞬のタメののち放たれた全周への斬撃が、ボコブリンたちの顔を、首を、腕を、胴を薙ぎ払った。赤黒い血が軌跡を描いて、死屍累々に降り注いだ。
耐え切れず大きく刃が欠けた斧を放り投げ、死体に突き刺さった先ほどの剣を抜く。見ると、奥からまた別の集団が走ってきていた。
むふーと満足そうに息を吐いた。大型の四足獣がそうするように、身を屈め、剣を担ぐ。と、後方から断続的な爆発音が聞こえた。クミンたちの放つバクダン矢の音らしかった。
リンクはどんどん小さくなっていく隊商のカンテラと、走りこんでくる魔物たちの影をなんどか見比べた。小さく鼻を鳴らし、指笛でエポナを呼ぶ。
「どんだけくんだよこいつらッ!」
悪態をつきながら、クミンは左右から迫る集団に弓を速射した。隊商の荷馬車は二列縦隊をかろうじて維持しながら、平原を駆けてた。四方からわらわらと現れる魔物の群れを躱し、あるいは集団の薄いところを無理矢理突破し、フリントの掲げる松明の灯りを追う。ミケロが叫んだ。
「マルコ!馬車に取り付いている奴らを落とせ、前は俺がやる!クミン、援護しろ!」
ミケロの顔は魔物たちの返り血と、投石などによる負傷で真っ赤に染まっていた。目元を拭い、先頭へ加速する。
「簡単に言うねぇ、射線通ってないっつーの!」
クミンはバクダン矢をつがえ、風を読むと右斜め前方へ曲射した。橙色の閃光を尾に曳き、バクダン矢は荷馬車の頭上を飛び越えて、かたまり始めていたボコブリンたちの足元に着弾した。爆風に数体が吹き飛ばされる。そこにミケロが斬り込んで、包囲の間隙をさらに拡げる。
矢はともかく、バクダン矢の在庫は景気よく使っていられる程ではない。これほどの集団戦は想定の範囲外だった。かといって、出し惜しみをしていられる余裕もない。
「駐屯地まであとどのくらい!?」
「今どこを走ってるのかもわかんねぇよ!ちくしょう、このままじゃ俺たちの前に馬が保たねぇぞ!」
クミンの叫びにマルコが応えた。キャンプから最寄りの砦まで、直線距離でいえば二時間もあれば辿り着けるはずだったが、集団の厚い個所を避けるため、一行は東西に大きく蛇行せざるを得なかった。足を止めればたちまち取り囲まれ、魔物の濁流に飲み込まれてしまう。動き続けるしかなかったが、終わりの見えない逃避行に馬も人も消耗が激しかった。
「クミン、左翼からライダー!」
「くそっ!」
クミンは新しい矢をつがえた。地を走るボコブリンを蹴散らし、ブルボーに騎乗したブルブリンたちが追従してきていた。クミンが放った一撃は先頭の一体を撃ち抜いたが、二射目を構える前に、ブルブリンの放った火矢が荷馬の幌を突き破った。
「嘘だろ、油積んでんだぞ!?」
クミンはすぐさま御者台に飛び降りると、従者の襟首を掴んで、引馬に突き飛ばした。「はなすなよ!」怒鳴り、馬具を連結する要綱を断つ。馬の首あてが左右に脱落し、荷馬車から自由になる。瞬間、背後に熱波を感じる。飛んできた火矢のうちどれかが油樽を割り、引火したらしかった。
クミンは矢を一本咥えると、右隣を走る荷馬車へ飛び移った。直後、炎がキャビン内で急速に膨れ上がり、音を立てて荷車から噴き出した。炎が外套とうなじを舐めていく感触。熱波に背中を押されながら、荷馬車の側面へ取り付く。
骨組みを足掛かりに上半身をそらし、咥えていた矢を振り向きざま放つ。ブルボーの鼻先に当たり、その暴走に巻き込まれた二騎が落下、火だるまになった荷車と共に暗闇に飲まれていった。
「あーあもったいな、こんなことならハナから後ろに撒いとくんだったよ」
「言ってる場合かクミン!次来るぞ!」
「わかってるよ!左は任せな!」
焦げ縮れた毛先を払って、荷台に一足で跳び上がる。追いすがる三騎に速射する。
周囲を見渡すと、禍々しい月の光を反射して、無数の赤い目が蠢いているのが見える。キリがねぇ、吐き捨てるようにつぶやき、足の速いものから撃ち抜いていくが、魔物たちは倒れた仲間を踏み越え、わらわらと駆けてくる。
マルコは車列の右翼側を走りながら、荷馬車へ飛び掛かってくるボコブリンたちを叩き落としていた。援護のため、矢筒に手を伸ばす。
その時、風切り音に紛れて破裂音のようなものを聞いた、気がした。そちらへ向く視界の端に影が横切った。身構える間もなく、上半身に衝撃が走る。顔面と胸郭を重い何かに叩かれ、一瞬呼吸ができなくなる。クミンは最初、モリブリンの巨腕にぶん殴られたのだと思った。後方へ吹き飛ばされ、幌の上で弾む。辛うじて骨組みを掴み、落車を免れた。外套からやや粘性のある液体がしたたり落ち、宙ぶらりんになった両足を濡らした。
「ッ……!ガッ、ゴホッ!ゴホッ!くそ……リザルフォスかッ……!」
態勢を整えようとしたものの手が滑り、荷車にしがみついているのが精いっぱいだった。ベタンッ!と音がして車体が大きく揺れる。リザルフォスが車両後部に張り付いていた。リザルフォスの喉が鳴り、赤子ほどに膨れ上がる。
次弾が来る。しかしできることが少なすぎた。足掛かりは見つからず、短剣を抜く余力も時間もない。耐え切れないことはわかっていても、身体を縮こまらせ、直撃に備えるしかなかった。
水鉄砲で自分の身体が吹き飛んで、魔物たちに囲まれ蹂躙される様が脳裏に浮かぶ。意外にも、恐怖より先にまじかーミスったなーという呆れがある。こんなところで、まさか今日死ぬことになるとは。
「……あーあ、もったいな」
目を瞑った。
直後、大気をつんざいて飛んできた槍が荷車ごとリザルフォスを貫いた。槍の威力と水弾の水圧で、首ごと喉がはじけ飛び、粘液と血の混合物がクミンに降り注いだ。頭と泣き別れした胴体はしばらく車両に張り付いていたが、やがて力なく剥がれ落ち、闇に飲まれていった。
後ろを見る。リンクとエポナがそこにいた。魔物の集団を背後から突き破り、ぐんぐん加速して馬車に追いついた。
「ッ……おせぇよ大将ォ」
クミンは殆ど泣きそうだった。なんとか骨組みをよじ登り、荷台に上がる。
「あー死ぬとこだった。助かったよリンク。……いやそんな目で見るなよ、大丈夫だから。これさっきぶっかけられた返り血だから。怪我じゃないから。てか大将こそ酷いことになってんぞ」
どんな戦闘をしてきたのか、バケツ一杯被ってきたのかと言いたくなるほどリンクは血まみれだった。いつも着ている青い服は上も下も赤黒く濡れ、麦穂のように輝いていた金髪はみるかげもなかった。唯一、血色から免れている青い双眸から、怪訝な視線がクミンに注がれている。
「あーもう、ちゃんとやるってば!こっちは任せて。フリントとミケロの方を助けてやってくれよ、やばそうだ」
リンクは頷いた。エポナは主人のコールを待つまでもなく、足を速めた。
加速していくリンクの横顔を、クミンは見た。笑っていた。日常でみせる笑みとは違う。敵に向ける笑み。口角を持ち上げ、牙を剥き出し威嚇する獣のような、獰猛な笑み。碧眼が反射する赤い月光の残像が、クミンの目に焼き付いた。
「……頼もしいね、ほんと」
あの笑みのリンクに助けられたのはこれで三回目か。やれやれ。背筋に走る寒気を振り切るように、あるいはその寒気に気づかないふりをして、クミンは弓を引き絞った。