アセンダンス待ちきれないから書いてしまったダブルクロス 作:ペプシよりコカ・コーラだよなぁ
竜ノ墓場へ向かう朝、龍識船の甲板にはいつもより張り詰めた空気が漂っていた。
船はすでに目的地の上空へ近づいている。眼下に広がっていた雲海は次第に途切れ、その向こうから黒々とした岩山が姿を現し始めていた。切り立った岩肌のあいだには深い谷が走り、朝の光が届かない場所には、まだ夜の名残のような暗闇が沈んでいる。
カイルは船縁に立ち、その地形を黙って見下ろしていた。
昨日までの調査で、竜ノ墓場周辺から見つかった死骸や黒い粘液が、単なる偶然ではないことは分かっている。古い記録に残されていた名前も、すでに確認していた。
――オストガロア。
骸をまとい、死骸を水辺へ運ぶ異形。
今回、竜ノ墓場へ向かう理由は、その正体と行動を現地で確認するためだった。
ただし、文献に描かれていた姿は粗いものだった。巨大な何かが骨の中に潜んでいるような絵と、いくつかの被害記録が残されているだけで、実際にどのように動き、どのように獲物を襲うのかまでは分かっていない。
だからこそ、今回は研究員たちは龍識船で待機することになっていた。まずハンターが現地を確認し、危険がないことを確かめてから、必要な情報を持ち帰る。その後で研究員たちが本格的な調査に入る。それが今回の判断だった。
「そろそろです」
ハイメルが甲板の反対側から声をかけた。
カイルが振り返ると、ハイメルの隣にはカティが立っていた。いつもの仕事着の上から厚手の外套を羽織り、胸元には信号用の筒を下げている。
「降下地点を確認します。まず四人だけでお願いします」
「分かりました」
カイルは頷いた。
セレナは大剣の具合を確かめ、弓使いは矢筒を確認している。ヘビィボウガンを担いだ男も、弾薬を一つずつ確かめていた。四人とも必要以上の言葉を交わさず、それぞれが自分の役割を確認している。
カティはそんな四人を見つめていたが、やがて視線をカイルへ戻した。
「……カイルさん」
「はい?」
「気をつけてくださいね」
それだけだった。
カイルは少し笑った。
「大丈夫です」
カティの眉がわずかに寄る。その言葉を聞くのは、もう何度目か分からない。
「……それ、昨日も聞きました」
「そうでしたっけ」
「そうです」
カイルは苦笑した。そして、降下用の装備へ手をかける。
「行ってきます」
「はい」
カティは笑った。
けれど、その目は笑っていなかった。
*
竜ノ墓場へ降りると、空気が変わった。
地上よりも冷たく、湿っている。そして、何より静かだった。
薄暗く広がる巨大な洞窟の中央には、広い陸地があった。そこには無数の骨や骸が積み重なり、水辺を埋めるように浅瀬を形作っている。白い骨もあれば黄ばんだ骨もあり、長い時間を経て表面が崩れかけているものもあった。その外周を取り囲むように水が広がっているが、水面はほとんど動かず、時折かすかな波紋が浮かぶだけだった。
カイルは足元の骨を一つ拾い上げた。
大型モンスターのものだ。かなり古い。
だが、すべてが古いわけではない。少し離れたところには、まだ新しい骨も落ちていた。
弓使いが周囲を見渡す。
「……ここだけでも相当な数ですね」
声は小さかった。
ヘビィが水辺へ視線を向ける。
「水が囲んでるな」
セレナも大剣の柄へ手を置いたまま、骨の上をゆっくり進んでいく。
「死骸が集まっている理由は、これだけじゃ分からないわね」
カイルは返事をせず、地面へ視線を落とした。
骨と骨の間に、黒いものが付着している。昨日までに調べていた粘液と同じような光沢があった。
カイルがしゃがみ込み、指では触れず、近くに落ちていた枝の先で軽く押してみる。粘液は糸を引くように伸びた。
「……間違いなさそうですね」
弓使いが近づいた。
「例の粘液か?」
「たぶん」
カイルが立ち上がった、そのときだった。
水面に小さな波紋が生まれた。
誰も動かなかった。
波紋は一つ、また一つと増え、やがて水面そのものが大きく揺れ始める。ヘビィが銃を構え、弓使いも弓を引き、セレナが大剣を抜いた。カイルも盾を前へ出す。
水面の向こうに何かがいる。
巨大な何かが。
最初に見えたのは、白い骨だった。
水面からゆっくりと持ち上がったそれは、最初こそ巨大な角のようにも見えた。だが、さらにせり上がるにつれて形がはっきりしてくる。
頭部。
龍の頭だった。
骨をまとった巨大な龍頭が、水面から姿を現していく。その大きさに、カイルは思わず息を止めた。
さらに、その隣からもう一つが現れる。
こちらも龍の頭だった。
二つの巨大な龍頭が並び、首から上だけを水面へ出して、こちらを向いている。その姿は、まるで巨大な双頭の龍そのものだった。
セレナが息を呑む。
「……これが」
誰も答えなかった。
カイルも、ただ目の前の存在を見つめていた。
文献で見た名前と、目の前の存在がようやく繋がる。
オストガロア。
骸をまとった龍。
だが、絵では分からなかった。これほど大きいとは。これほど近くにいるだけで、身体の奥まで圧迫されるような存在だとは。
二つの龍頭が、ゆっくりと動いた。
左の龍頭がカイルたちを捉え、右の龍頭は少し遅れて別の方向へ顔を向ける。その動きだけなら、不自然ではなかった。双頭の生物なら、それぞれが別のものを見ることもある。
カイルは盾を構えたまま、じっと様子を見ていた。
そのとき、左の龍頭が突然、大きく持ち上がった。
水が大きく割れる。
巨大な影が空中へせり上がり、そのまま真っ直ぐこちらへ落ちてきた。
「散って!」
カイルが叫ぶ。
四人が一斉に動いた。
龍頭が地面へ叩きつけられた。
轟音とともに骨が跳ね上がり、地面そのものが震える。カイルは盾を構えたまま横へ滑り、飛んできた骨片を避けながら体勢を立て直した。
セレナも大剣を地面へ突き立て、衝撃を逃がしている。弓使いはすでに距離を取り、ヘビィの男だけが一歩遅れたものの、銃身を盾代わりにして飛来した骨を受け止めていた。
叩きつけられた龍頭が持ち上がる。
カイルは反射的にその形を見た。
大きい。
あれだけの質量を頭から叩きつける。
頭部そのものを武器として使うモンスターはいる。ウラガンキンのように、発達した顎を攻撃へ利用するものもいる。ならば、こいつもそういう生態なのか。
カイルがそう考えた直後、弓の弦が鳴った。
放たれた矢が龍頭の側面へ突き刺さり、続いてヘビィの銃弾が骨をまとった表面を叩く。硬い音が響き、その一部が欠けた。白い骨片が宙へ弾け、水面へ落ちていく。
カイルの視線がそこへ吸い寄せられた。
――傷がついた。
当然のことだった。これだけの攻撃を受ければ、いくら硬い骨でも無傷ではいられない。
ところが、龍頭は止まらなかった。
欠けた部分を庇うこともなく、痛みに反応するような動きも見せない。それどころか、地面へ叩きつけたばかりの龍頭を、今度は横へ引きずるように動かした。
骨が地面を削る。
巨大な頭が、首を起こすような動きではなく、地面すれすれを滑るように移動していく。
カイルの眉が寄った。
ウラガンキンとは違う。
あれは顎を武器として使うために、頭部そのものを攻撃へ活かせるように固くなっている。だからこそ、顎の位置や向きを意識して動く。
だが、こいつは違う。
欠けたところを気にする様子がない。頭部を地面へ叩きつけた直後だというのに、次の瞬間には別の方向へ引かれている。しかも、その動きはカイルが予測していた「首」の動きとは一致しなかった。
「……何だ?」
思わず声が漏れた。
その直後、右側にいたもう一つの龍頭が動いた。
今度はセレナへ向かっている。
セレナはすぐに反応した。大剣を構え、真正面から受けるのではなく身体を斜めへずらす。龍頭が彼女の横を通り過ぎた瞬間、大剣が骨の表面へ叩き込まれた。
骨が砕ける。
それでも龍頭は止まらない。
セレナが距離を取るより先に龍頭が大きく横へ振られ、セレナの身体が吹き飛ぶ。
「セレナ!」
カイルが走った。
盾を前へ出し、二人の間へ滑り込む。
龍頭が横から迫る。
カイルは正面から受けず、盾の角度を変えた。巨大な質量が盾へぶつかり、その力が斜めへ逃げる。カイルの足元の骨が砕けたが、それでも身体を持っていかれることなく踏みとどまった。
龍頭が通り過ぎる。
カイルはすぐに横へ走った。
逃げるためではない。龍頭の進路からセレナを外すためだ。
「今!」
セレナが立ち上がった。
大剣を構え、龍頭が戻ってくる瞬間を待つ。
カイルはその動きを見ながら、自分の中の違和感を捨てられずにいた。
頭だと思っている。
確かに頭に見える。
骨で覆われた顔。口のような形。眼窩のように見える部分。どこから見ても龍の頭だ。
なのに、動きだけが合わない。
首で身体を支えているように見えない。地面へ叩きつけても、その衝撃を気にする様子がない。傷を負っても、欠けても、それを避けるような動きをしない。
まるで――。
カイルは考えかけて、やめた。
まだ何も分からない。分からないものを、勝手に決めつけるべきではない。
その瞬間、左側から何かが飛んできた。
黒い粘液だった。
カイルは反射的に盾を上げる。
粘液が盾へまとわりついた。
重い。粘つく。盾を動かすたびに糸を引く。
カイルはすぐに後退し、盾を振って粘液を振り落とそうとした。
だが、その隙に龍頭が迫ってくる。
カイルは盾を構え直した。
受ける。
衝撃が腕を突き抜けた。
身体が後ろへ滑る。
しかし、龍頭の勢いを完全には止めず、横へ流した。
その瞬間、弓使いの矢が飛んだ。
龍頭の横へ刺さり、続いてヘビィの弾丸が骨の欠けた部分へ集中する。骨がさらに砕け、龍頭が大きく揺れた。
カイルは思わず息を呑んだ。
これほど攻撃を受けても、まだ動く。
いや。
正確には、「耐えている」という感じではなかった。
痛みに耐えているのではない。損傷そのものを、戦闘上の問題として扱っていないように見える。
それが、妙に気味が悪かった。
龍頭が引かれる。
水面へ戻る。
カイルは追わなかった。
その必要がないことを、本能的に理解していた。
追えば、別の龍頭が動く。
案の定、反対側からもう一つが迫ってきた。
セレナが大剣を構える。
「こっち!」
彼女が叫ぶ。
カイルは一瞬だけ視線を向けた。
龍頭がセレナへ向かっている。
だが、そのさらに奥には弓使いがいた。
カイルは走った。
龍頭の真正面ではなく、斜め前へ回り込む。狙いを弓使いから自分へ向けさせるためだ。
龍頭がカイルへ向きを変えた。
その動きは速い。
カイルは一歩下がる。
龍頭が迫る。
直前で身体を沈め、盾を滑らせた。
骨の表面が盾の縁を擦り、火花が散る。
カイルはそのまま横へ抜け、片手剣を振り抜いた。
骨が削れる。
深くは入らない。
だが、龍頭の動きが一瞬だけ止まった。
セレナが踏み込む。
大剣が振り下ろされた。
今度はまともに骨へ入った。
大きな欠片が落ちる。
それでも龍頭は止まらない。
地面へ落ちた骨片を踏み潰しながら、再び持ち上がる。
カイルはそれを見ていた。
頭部なら。
普通の頭部なら、ここまで無茶な使い方をするだろうか。
叩きつける。斬られる。欠ける。それでも、まるで頭そのものが壊れても構わないように動き続ける。
そしてまた、水面へ戻っていく。
その動きは、やはり首で引き戻しているようには見えなかった。
何か別の力で、遠くから引かれているように見える。
カイルは視線を細めた。
けれど、その正体までは分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
目の前にいるものを、普通の「頭部を武器にする大型モンスター」として考えるのは危険だ。
「……隊形を変えます」
カイルが言った。
弓使いとヘビィが後方へ下がり、セレナが中央へ入る。カイルは前に残った。
四人が距離を取った直後、オストガロアの二つの龍頭が同時に水面から現れた。
今度は左右から挟むように迫ってくる。
カイルは盾を構えた。
右から来る。
左も来る。
一方だけを見るわけにはいかない。
カイルは二つの軌道を交互に確認しながら、中央から少しずつ後退した。
左が近づいた。
盾を構える。
龍頭が振り下ろされる。
カイルは受け流す。
その直後、右から別の龍頭が迫る。
セレナが前へ出た。
大剣が龍頭の側面へ叩き込まれる。
その衝撃で軌道が逸れた。
カイルの目の前を巨大な骨の塊が通り過ぎる。
弓が放たれ、ヘビィの銃声が洞窟に響いた。集中した攻撃が龍頭の骨を削り、欠片が次々と水面へ落ちていく。
オストガロアが水中へ沈んだ。
静かになった。
四人は動かなかった。
カイルは盾を下ろさず、水面を見つめる。
波紋が広がっている。
どこから来る。
右か。
左か。
正面か。
その瞬間、足元の骨が動いた。
カイルが飛び退く。
大量の骨が弾き飛ばされ、その下から黒い粘液が噴き出した。
続いて巨大な龍頭が、地面そのものを突き破るように現れる。
カイルは盾で受けた。
衝撃に身体が浮く。
そのまま後方へ飛ばされ、骨の山へ背中から落ちた。
息が詰まる。
それでも、すぐに立ち上がる。
セレナが駆け寄ろうとした。
「来ないで!」
カイルが叫んだ。
彼女の足元にも、黒い粘液が広がっていた。
セレナは足を止める。
その一瞬を利用して、カイルは龍頭の正面から外れた。
弓使いが射る。
ヘビィが撃つ。
セレナも大剣を振る。
四人の攻撃が重なり、龍頭を覆っていた骨が大きく崩れた。
その奥に、別の色が見えた。
黒い。
骨ではない。
何かが蠢いている。
カイルは目を細めた。
しかし、確かめる前に龍頭が大きく引かれた。
水面へ戻っていく。
そして、反対側からもう一つの龍頭が現れた。
カイルは息を吐いた。
まだ終わらない。
むしろ、始まったばかりだった。
*
龍識船では、カティが甲板から竜ノ墓場の方角を見つめていた。
遠くに見えるのは、岩山だけだ。四人の姿は見えない。
ハイメルたち研究員は船内で待機している。まだ、降りる合図はない。
カティは信号筒を握りしめた。
赤い信号は危険、緑なら安全。事前に決めた意味は、それだけだった。
言葉を届けることはできない。声も届かない。だから、信号だけが頼りになる。
カティは何度も遠くを見た。
「……まだ、ですね」
隣にいたルーチェが頷く。
「はい」
しばらくして、岩山の向こうに小さな光が上がった。
一瞬。
それから、もう一度。
赤。
カティの指が強く握り込まれた。
「……カイルさん」
その声は、風に紛れて消えた。
ハイメルが静かに立ち上がる。
「まだ、降りません」
カティが振り返る。
「でも……」
「だからこそです」
ハイメルは遠くの赤い光を見つめていた。
「彼らが安全を確認するまで、僕たちはここにいます」
カティは何も言えなかった。
ただ、もう一度だけ遠くを見る。
その遥か下では、四人のハンターがまだ立っている。
そして、骨に覆われた水面の向こうから、二つの巨大な龍頭がゆっくりと姿を現していた。
それはまるで、二つの頭を持つ巨大な龍が、暗い墓場の底からこちらを見つめているようだった。
けれど、その正体をまだ誰も知らない。
カイルでさえ、分からない。
ただ、頭部にしてはあまりにも無造作に傷を受け、欠けながら、それでも何事もなかったように動き続けるその姿だけが、彼の中に一つの確かな違和感を残していた。
――あれは、本当に頭なのか。
答えは、まだ出なかった。