アセンダンス待ちきれないから書いてしまったダブルクロス   作:ペプシよりコカ・コーラだよなぁ

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第10話 竜の墓場

 

 竜ノ墓場へ向かう朝、龍識船の甲板にはいつもより張り詰めた空気が漂っていた。

 

 

 

 船はすでに目的地の上空へ近づいている。眼下に広がっていた雲海は次第に途切れ、その向こうから黒々とした岩山が姿を現し始めていた。切り立った岩肌のあいだには深い谷が走り、朝の光が届かない場所には、まだ夜の名残のような暗闇が沈んでいる。

 

 

 

 カイルは船縁に立ち、その地形を黙って見下ろしていた。

 

 

 

 昨日までの調査で、竜ノ墓場周辺から見つかった死骸や黒い粘液が、単なる偶然ではないことは分かっている。古い記録に残されていた名前も、すでに確認していた。

 

 

 

 ――オストガロア。

 

 

 

 骸をまとい、死骸を水辺へ運ぶ異形。

 

 

 

 今回、竜ノ墓場へ向かう理由は、その正体と行動を現地で確認するためだった。

 

 

 

 ただし、文献に描かれていた姿は粗いものだった。巨大な何かが骨の中に潜んでいるような絵と、いくつかの被害記録が残されているだけで、実際にどのように動き、どのように獲物を襲うのかまでは分かっていない。

 

 

 

 だからこそ、今回は研究員たちは龍識船で待機することになっていた。まずハンターが現地を確認し、危険がないことを確かめてから、必要な情報を持ち帰る。その後で研究員たちが本格的な調査に入る。それが今回の判断だった。

 

 

 

「そろそろです」

 

 

 

 ハイメルが甲板の反対側から声をかけた。

 

 

 

 カイルが振り返ると、ハイメルの隣にはカティが立っていた。いつもの仕事着の上から厚手の外套を羽織り、胸元には信号用の筒を下げている。

 

 

 

「降下地点を確認します。まず四人だけでお願いします」

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

 カイルは頷いた。

 

 

 

 セレナは大剣の具合を確かめ、弓使いは矢筒を確認している。ヘビィボウガンを担いだ男も、弾薬を一つずつ確かめていた。四人とも必要以上の言葉を交わさず、それぞれが自分の役割を確認している。

 

 

 

 カティはそんな四人を見つめていたが、やがて視線をカイルへ戻した。

 

 

 

「……カイルさん」

 

 

 

「はい?」

 

 

 

「気をつけてくださいね」

 

 

 

 それだけだった。

 

 

 

 カイルは少し笑った。

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 

 カティの眉がわずかに寄る。その言葉を聞くのは、もう何度目か分からない。

 

 

 

「……それ、昨日も聞きました」

 

 

 

「そうでしたっけ」

 

 

 

「そうです」

 

 

 

 カイルは苦笑した。そして、降下用の装備へ手をかける。

 

 

 

「行ってきます」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 カティは笑った。

 

 

 

 けれど、その目は笑っていなかった。

 

 

 

     *

 

 

 

 竜ノ墓場へ降りると、空気が変わった。

 

 

 

 地上よりも冷たく、湿っている。そして、何より静かだった。

 

 

 

 薄暗く広がる巨大な洞窟の中央には、広い陸地があった。そこには無数の骨や骸が積み重なり、水辺を埋めるように浅瀬を形作っている。白い骨もあれば黄ばんだ骨もあり、長い時間を経て表面が崩れかけているものもあった。その外周を取り囲むように水が広がっているが、水面はほとんど動かず、時折かすかな波紋が浮かぶだけだった。

 

 

 

 カイルは足元の骨を一つ拾い上げた。

 

 

 

 大型モンスターのものだ。かなり古い。

 

 

 

 だが、すべてが古いわけではない。少し離れたところには、まだ新しい骨も落ちていた。

 

 

 

 弓使いが周囲を見渡す。

 

 

 

「……ここだけでも相当な数ですね」

 

 

 

 声は小さかった。

 

 

 

 ヘビィが水辺へ視線を向ける。

 

 

 

「水が囲んでるな」

 

 

 

 セレナも大剣の柄へ手を置いたまま、骨の上をゆっくり進んでいく。

 

 

 

「死骸が集まっている理由は、これだけじゃ分からないわね」

 

 

 

 カイルは返事をせず、地面へ視線を落とした。

 

 

 

 骨と骨の間に、黒いものが付着している。昨日までに調べていた粘液と同じような光沢があった。

 

 

 

 カイルがしゃがみ込み、指では触れず、近くに落ちていた枝の先で軽く押してみる。粘液は糸を引くように伸びた。

 

 

 

「……間違いなさそうですね」

 

 

 

 弓使いが近づいた。

 

 

 

「例の粘液か?」

 

 

 

「たぶん」

 

 

 

 カイルが立ち上がった、そのときだった。

 

 

 

 水面に小さな波紋が生まれた。

 

 

 

 誰も動かなかった。

 

 

 

 波紋は一つ、また一つと増え、やがて水面そのものが大きく揺れ始める。ヘビィが銃を構え、弓使いも弓を引き、セレナが大剣を抜いた。カイルも盾を前へ出す。

 

 

 

 水面の向こうに何かがいる。

 

 

 

 巨大な何かが。

 

 

 

 最初に見えたのは、白い骨だった。

 

 

 

 水面からゆっくりと持ち上がったそれは、最初こそ巨大な角のようにも見えた。だが、さらにせり上がるにつれて形がはっきりしてくる。

 

 

 

 頭部。

 

 

 

 龍の頭だった。

 

 

 

 骨をまとった巨大な龍頭が、水面から姿を現していく。その大きさに、カイルは思わず息を止めた。

 

 

 

 さらに、その隣からもう一つが現れる。

 

 

 

 こちらも龍の頭だった。

 

 

 

 二つの巨大な龍頭が並び、首から上だけを水面へ出して、こちらを向いている。その姿は、まるで巨大な双頭の龍そのものだった。

 

 

 

 セレナが息を呑む。

 

 

 

「……これが」

 

 

 

 誰も答えなかった。

 

 

 

 カイルも、ただ目の前の存在を見つめていた。

 

 

 

 文献で見た名前と、目の前の存在がようやく繋がる。

 

 

 

 オストガロア。

 

 

 

 骸をまとった龍。

 

 

 

 だが、絵では分からなかった。これほど大きいとは。これほど近くにいるだけで、身体の奥まで圧迫されるような存在だとは。

 

 

 

 二つの龍頭が、ゆっくりと動いた。

 

 

 

 左の龍頭がカイルたちを捉え、右の龍頭は少し遅れて別の方向へ顔を向ける。その動きだけなら、不自然ではなかった。双頭の生物なら、それぞれが別のものを見ることもある。

 

 

 

 カイルは盾を構えたまま、じっと様子を見ていた。

 

 

 

 そのとき、左の龍頭が突然、大きく持ち上がった。

 

 

 

 水が大きく割れる。

 

 

 

 巨大な影が空中へせり上がり、そのまま真っ直ぐこちらへ落ちてきた。

 

 

 

「散って!」

 

 

 

 カイルが叫ぶ。

 

 

 

 四人が一斉に動いた。

 

 

 

 龍頭が地面へ叩きつけられた。

 

 

 

 轟音とともに骨が跳ね上がり、地面そのものが震える。カイルは盾を構えたまま横へ滑り、飛んできた骨片を避けながら体勢を立て直した。

 

 

 

 セレナも大剣を地面へ突き立て、衝撃を逃がしている。弓使いはすでに距離を取り、ヘビィの男だけが一歩遅れたものの、銃身を盾代わりにして飛来した骨を受け止めていた。

 

 

 

 叩きつけられた龍頭が持ち上がる。

 

 

 

 カイルは反射的にその形を見た。

 

 

 

 大きい。

 

 

 

 あれだけの質量を頭から叩きつける。

 

 

 

 頭部そのものを武器として使うモンスターはいる。ウラガンキンのように、発達した顎を攻撃へ利用するものもいる。ならば、こいつもそういう生態なのか。

 

 

 

 カイルがそう考えた直後、弓の弦が鳴った。

 

 

 

 放たれた矢が龍頭の側面へ突き刺さり、続いてヘビィの銃弾が骨をまとった表面を叩く。硬い音が響き、その一部が欠けた。白い骨片が宙へ弾け、水面へ落ちていく。

 

 

 

 カイルの視線がそこへ吸い寄せられた。

 

 

 

 ――傷がついた。

 

 

 

 当然のことだった。これだけの攻撃を受ければ、いくら硬い骨でも無傷ではいられない。

 

 

 

 ところが、龍頭は止まらなかった。

 

 

 

 欠けた部分を庇うこともなく、痛みに反応するような動きも見せない。それどころか、地面へ叩きつけたばかりの龍頭を、今度は横へ引きずるように動かした。

 

 

 

 骨が地面を削る。

 

 

 

 巨大な頭が、首を起こすような動きではなく、地面すれすれを滑るように移動していく。

 

 

 

 カイルの眉が寄った。

 

 

 

 ウラガンキンとは違う。

 

 

 

 あれは顎を武器として使うために、頭部そのものを攻撃へ活かせるように固くなっている。だからこそ、顎の位置や向きを意識して動く。

 

 

 

 だが、こいつは違う。

 

 

 

 欠けたところを気にする様子がない。頭部を地面へ叩きつけた直後だというのに、次の瞬間には別の方向へ引かれている。しかも、その動きはカイルが予測していた「首」の動きとは一致しなかった。

 

 

 

「……何だ?」

 

 

 

 思わず声が漏れた。

 

 

 

 その直後、右側にいたもう一つの龍頭が動いた。

 

 

 

 今度はセレナへ向かっている。

 

 

 

 セレナはすぐに反応した。大剣を構え、真正面から受けるのではなく身体を斜めへずらす。龍頭が彼女の横を通り過ぎた瞬間、大剣が骨の表面へ叩き込まれた。

 

 

 

 骨が砕ける。

 

 

 

 それでも龍頭は止まらない。

 

 

 

 セレナが距離を取るより先に龍頭が大きく横へ振られ、セレナの身体が吹き飛ぶ。

 

 

 

「セレナ!」

 

 

 

 カイルが走った。

 

 

 

 盾を前へ出し、二人の間へ滑り込む。

 

 

 

 龍頭が横から迫る。

 

 

 

 カイルは正面から受けず、盾の角度を変えた。巨大な質量が盾へぶつかり、その力が斜めへ逃げる。カイルの足元の骨が砕けたが、それでも身体を持っていかれることなく踏みとどまった。

 

 

 

 龍頭が通り過ぎる。

 

 

 

 カイルはすぐに横へ走った。

 

 

 

 逃げるためではない。龍頭の進路からセレナを外すためだ。

 

 

 

「今!」

 

 

 

 セレナが立ち上がった。

 

 

 

 大剣を構え、龍頭が戻ってくる瞬間を待つ。

 

 

 

 カイルはその動きを見ながら、自分の中の違和感を捨てられずにいた。

 

 

 

 頭だと思っている。

 

 

 

 確かに頭に見える。

 

 

 

 骨で覆われた顔。口のような形。眼窩のように見える部分。どこから見ても龍の頭だ。

 

 

 

 なのに、動きだけが合わない。

 

 

 

 首で身体を支えているように見えない。地面へ叩きつけても、その衝撃を気にする様子がない。傷を負っても、欠けても、それを避けるような動きをしない。

 

 

 

 まるで――。

 

 

 

 カイルは考えかけて、やめた。

 

 

 

 まだ何も分からない。分からないものを、勝手に決めつけるべきではない。

 

 

 

 その瞬間、左側から何かが飛んできた。

 

 

 

 黒い粘液だった。

 

 

 

 カイルは反射的に盾を上げる。

 

 

 

 粘液が盾へまとわりついた。

 

 

 

 重い。粘つく。盾を動かすたびに糸を引く。

 

 

 

 カイルはすぐに後退し、盾を振って粘液を振り落とそうとした。

 

 

 

 だが、その隙に龍頭が迫ってくる。

 

 

 

 カイルは盾を構え直した。

 

 

 

 受ける。

 

 

 

 衝撃が腕を突き抜けた。

 

 

 

 身体が後ろへ滑る。

 

 

 

 しかし、龍頭の勢いを完全には止めず、横へ流した。

 

 

 

 その瞬間、弓使いの矢が飛んだ。

 

 

 

 龍頭の横へ刺さり、続いてヘビィの弾丸が骨の欠けた部分へ集中する。骨がさらに砕け、龍頭が大きく揺れた。

 

 

 

 カイルは思わず息を呑んだ。

 

 

 

 これほど攻撃を受けても、まだ動く。

 

 

 

 いや。

 

 

 

 正確には、「耐えている」という感じではなかった。

 

 

 

 痛みに耐えているのではない。損傷そのものを、戦闘上の問題として扱っていないように見える。

 

 

 

 それが、妙に気味が悪かった。

 

 

 

 龍頭が引かれる。

 

 

 

 水面へ戻る。

 

 

 

 カイルは追わなかった。

 

 

 

 その必要がないことを、本能的に理解していた。

 

 

 

 追えば、別の龍頭が動く。

 

 

 

 案の定、反対側からもう一つが迫ってきた。

 

 

 

 セレナが大剣を構える。

 

 

 

「こっち!」

 

 

 

 彼女が叫ぶ。

 

 

 

 カイルは一瞬だけ視線を向けた。

 

 

 

 龍頭がセレナへ向かっている。

 

 

 

 だが、そのさらに奥には弓使いがいた。

 

 

 

 カイルは走った。

 

 

 

 龍頭の真正面ではなく、斜め前へ回り込む。狙いを弓使いから自分へ向けさせるためだ。

 

 

 

 龍頭がカイルへ向きを変えた。

 

 

 

 その動きは速い。

 

 

 

 カイルは一歩下がる。

 

 

 

 龍頭が迫る。

 

 

 

 直前で身体を沈め、盾を滑らせた。

 

 

 

 骨の表面が盾の縁を擦り、火花が散る。

 

 

 

 カイルはそのまま横へ抜け、片手剣を振り抜いた。

 

 

 

 骨が削れる。

 

 

 

 深くは入らない。

 

 

 

 だが、龍頭の動きが一瞬だけ止まった。

 

 

 

 セレナが踏み込む。

 

 

 

 大剣が振り下ろされた。

 

 

 

 今度はまともに骨へ入った。

 

 

 

 大きな欠片が落ちる。

 

 

 

 それでも龍頭は止まらない。

 

 

 

 地面へ落ちた骨片を踏み潰しながら、再び持ち上がる。

 

 

 

 カイルはそれを見ていた。

 

 

 

 頭部なら。

 

 

 

 普通の頭部なら、ここまで無茶な使い方をするだろうか。

 

 

 

 叩きつける。斬られる。欠ける。それでも、まるで頭そのものが壊れても構わないように動き続ける。

 

 

 

 そしてまた、水面へ戻っていく。

 

 

 

 その動きは、やはり首で引き戻しているようには見えなかった。

 

 

 

 何か別の力で、遠くから引かれているように見える。

 

 

 

 カイルは視線を細めた。

 

 

 

 けれど、その正体までは分からない。

 

 

 

 ただ一つだけ、確かなことがあった。

 

 

 

 目の前にいるものを、普通の「頭部を武器にする大型モンスター」として考えるのは危険だ。

 

 

 

「……隊形を変えます」

 

 

 

 カイルが言った。

 

 

 

 弓使いとヘビィが後方へ下がり、セレナが中央へ入る。カイルは前に残った。

 

 

 

 四人が距離を取った直後、オストガロアの二つの龍頭が同時に水面から現れた。

 

 

 

 今度は左右から挟むように迫ってくる。

 

 

 

 カイルは盾を構えた。

 

 

 

 右から来る。

 

 

 

 左も来る。

 

 

 

 一方だけを見るわけにはいかない。

 

 

 

 カイルは二つの軌道を交互に確認しながら、中央から少しずつ後退した。

 

 

 

 左が近づいた。

 

 

 

 盾を構える。

 

 

 

 龍頭が振り下ろされる。

 

 

 

 カイルは受け流す。

 

 

 

 その直後、右から別の龍頭が迫る。

 

 

 

 セレナが前へ出た。

 

 

 

 大剣が龍頭の側面へ叩き込まれる。

 

 

 

 その衝撃で軌道が逸れた。

 

 

 

 カイルの目の前を巨大な骨の塊が通り過ぎる。

 

 

 

 弓が放たれ、ヘビィの銃声が洞窟に響いた。集中した攻撃が龍頭の骨を削り、欠片が次々と水面へ落ちていく。

 

 

 

 オストガロアが水中へ沈んだ。

 

 

 

 静かになった。

 

 

 

 四人は動かなかった。

 

 

 

 カイルは盾を下ろさず、水面を見つめる。

 

 

 

 波紋が広がっている。

 

 

 

 どこから来る。

 

 

 

 右か。

 

 

 

 左か。

 

 

 

 正面か。

 

 

 

 その瞬間、足元の骨が動いた。

 

 

 

 カイルが飛び退く。

 

 

 

 大量の骨が弾き飛ばされ、その下から黒い粘液が噴き出した。

 

 

 

 続いて巨大な龍頭が、地面そのものを突き破るように現れる。

 

 

 

 カイルは盾で受けた。

 

 

 

 衝撃に身体が浮く。

 

 

 

 そのまま後方へ飛ばされ、骨の山へ背中から落ちた。

 

 

 

 息が詰まる。

 

 

 

 それでも、すぐに立ち上がる。

 

 

 

 セレナが駆け寄ろうとした。

 

 

 

「来ないで!」

 

 

 

 カイルが叫んだ。

 

 

 

 彼女の足元にも、黒い粘液が広がっていた。

 

 

 

 セレナは足を止める。

 

 

 

 その一瞬を利用して、カイルは龍頭の正面から外れた。

 

 

 

 弓使いが射る。

 

 

 

 ヘビィが撃つ。

 

 

 

 セレナも大剣を振る。

 

 

 

 四人の攻撃が重なり、龍頭を覆っていた骨が大きく崩れた。

 

 

 

 その奥に、別の色が見えた。

 

 

 

 黒い。

 

 

 

 骨ではない。

 

 

 

 何かが蠢いている。

 

 

 

 カイルは目を細めた。

 

 

 

 しかし、確かめる前に龍頭が大きく引かれた。

 

 

 

 水面へ戻っていく。

 

 

 

 そして、反対側からもう一つの龍頭が現れた。

 

 

 

 カイルは息を吐いた。

 

 

 

 まだ終わらない。

 

 

 

 むしろ、始まったばかりだった。

 

 

 

     *

 

 

 

 龍識船では、カティが甲板から竜ノ墓場の方角を見つめていた。

 

 

 

 遠くに見えるのは、岩山だけだ。四人の姿は見えない。

 

 

 

 ハイメルたち研究員は船内で待機している。まだ、降りる合図はない。

 

 

 

 カティは信号筒を握りしめた。

 

 

 

 赤い信号は危険、緑なら安全。事前に決めた意味は、それだけだった。

 

 

 

 言葉を届けることはできない。声も届かない。だから、信号だけが頼りになる。

 

 

 

 カティは何度も遠くを見た。

 

 

 

「……まだ、ですね」

 

 

 

 隣にいたルーチェが頷く。

 

 

 

「はい」

 

 

 

 しばらくして、岩山の向こうに小さな光が上がった。

 

 

 

 一瞬。

 

 

 

 それから、もう一度。

 

 

 

 赤。

 

 

 

 カティの指が強く握り込まれた。

 

 

 

「……カイルさん」

 

 

 

 その声は、風に紛れて消えた。

 

 

 

 ハイメルが静かに立ち上がる。

 

 

 

「まだ、降りません」

 

 

 

 カティが振り返る。

 

 

 

「でも……」

 

 

 

「だからこそです」

 

 

 

 ハイメルは遠くの赤い光を見つめていた。

 

 

 

「彼らが安全を確認するまで、僕たちはここにいます」

 

 

 

 カティは何も言えなかった。

 

 

 

 ただ、もう一度だけ遠くを見る。

 

 

 

 その遥か下では、四人のハンターがまだ立っている。

 

 

 

 そして、骨に覆われた水面の向こうから、二つの巨大な龍頭がゆっくりと姿を現していた。

 

 

 

 それはまるで、二つの頭を持つ巨大な龍が、暗い墓場の底からこちらを見つめているようだった。

 

 

 

 けれど、その正体をまだ誰も知らない。

 

 

 

 カイルでさえ、分からない。

 

 

 

 ただ、頭部にしてはあまりにも無造作に傷を受け、欠けながら、それでも何事もなかったように動き続けるその姿だけが、彼の中に一つの確かな違和感を残していた。

 

 

 

 ――あれは、本当に頭なのか。

 

 

 

 答えは、まだ出なかった。

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