アセンダンス待ちきれないから書いてしまったダブルクロス   作:ペプシよりコカ・コーラだよなぁ

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第3話 金と銀がもたらす悲哀

集会酒場の依頼掲示板の前には、いつもより人が少なかった。

 

 

 

紙片が何枚も並んでいるのに、そこだけ妙に空いている。誰かが依頼書を手に取っては戻し、また別の誰かが遠巻きに眺めるだけで、受付へ持っていこうとする者はいない。

 

 

 

カイルは人の隙間から掲示板へ近づき、貼られていた一枚の依頼書に目を止めた。

 

 

 

依頼主の欄には、短くこう記されている。

 

 

 

――同時狩猟依頼。

 

 

 

その下に続く文章を、カイルは黙って読み進めた。

 

 

 

あの日、金火竜と銀火竜から庇ってくれたあの人。

 

でも、獰猛な奴らの前ではなすすべもなく……。

 

一人残った私は二頭を追い続け、遺群嶺の巣を突き止めました。

 

あちらは二頭。でも、私は一人。

 

協力を求む。

 

 

 

カイルの視線が最後の一文で止まった。

 

 

 

周囲から、小さな声が漏れる。

 

 

 

「……金火竜と銀火竜か」

 

 

 

「二頭、同時ってことか?」

 

 

 

「それだけじゃない。獰猛化してるんだろ」

 

 

 

「無理だろ……」

 

 

 

誰も笑わなかった。

 

 

 

金火竜も銀火竜も、ただ珍しいだけのモンスターではない。長い狩猟経験を持つ者でさえ、その姿を見た瞬間に戦い方を変えなければならないほどの相手だ。空を支配する銀火竜と、地上から獲物を追い詰める金火竜。炎と毒、鋭い爪と尾、そして一瞬の隙を許さない速度。

 

 

 

まして獰猛化している。

 

 

 

一頭だけなら、それでも腕に覚えのある者が挑むことはある。

 

 

 

だが、二頭が同じ巣にいる。

 

 

 

それを同時に相手にした記録は、龍識船にもなかった。

 

 

 

それぞれを狩った者はいる。だが、金と銀が揃った場所へ入って、生還した者はいない。

 

 

 

「……誰も受けないんですか」

 

 

 

カイルが呟くと、隣にいた男が苦笑した。

 

 

 

「お前、依頼書の最後まで読んだか?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「なら分かるだろ。あちらは希少種二頭。一頭でも無理なのにこっちは一人。本人だって分かってるんだよ」

 

 

 

「だから、依頼しているんでしょうね」

 

 

 

男は返事をしなかった。

 

 

 

その沈黙だけで十分だった。

 

 

 

カイルはもう一度、依頼書を見た。

 

 

 

文字は乱れていない。

 

 

 

文章も簡潔だ。

 

 

 

けれど、その簡潔さがかえって胸に残った。

 

 

 

これを書いた人間は、泣きながら誰かに助けを求めているわけではない。

 

 

 

自分が何をしようとしているのか、分かっている。

 

 

 

分かったうえで、一人では無理だと認めている。

 

 

 

それでも止まれない。

 

 

 

カイルは依頼書を掲示板から外した。

 

 

 

「僕が受けます」

 

 

 

周囲の視線が一斉に集まった。

 

 

 

「おい、カイル」

 

 

 

「二頭だぞ」

 

 

 

「分かっています」

 

 

 

それだけ言って、カイルは受付へ向かった。

 

 

 

少し離れた場所で、その様子を見ていたカティは、胸の奥が冷たくなるのを感じていた。

 

 

 

まただ。

 

 

 

カイルは、こういうときに迷わない。

 

 

 

誰も行きたがらない場所へ、自分だけは行こうとする。

 

 

 

それが彼の強さなのだと、カティも分かっている。

 

 

 

分かっているからこそ、怖かった。

 

 

 

受付の前には、依頼主の女性が立っていた。

 

彼女がセレナだった。

 

 

 

最初に目に入ったのは、長い赤茶色の髪だった。肩の後ろへまとめられているが、ところどころ風にほどけた髪が頬へ落ちている。

 

 

 

その顔立ちは、整っていた。

 

 

 

しかし、華やかさより先に目につくものがある。

 

 

 

疲れている。

 

 

 

ひどく。

 

 

 

それでも背筋は伸びていた。

 

 

 

装備の下からでも分かるほど身体は鍛えられている。細い腰に対して肩や脚はしっかりしていて、長年武器を振ってきた者の身体つきだった。女性らしい豊かな輪郭を隠すように防具を身につけているが、それでも立っているだけで目を引く。

 

 

 

カティは、そこで一瞬だけ目を逸らした。

 

 

 

自分でも嫌になるくらい、胸の奥がざわついた。

 

 

 

――綺麗。

 

 

 

――強そう。

 

 

 

――……大人っぽい。

 

 

 

その視線の先で、カイルは何も気にしていなかった。

 

 

 

「セレナさん、ですね」

 

 

 

「ええ」

 

 

 

セレナの目がカイルを捉える。

 

 

 

灰色がかった青い瞳だった。

 

 

 

一瞬、何かを思い出したように目が細くなる。

 

 

 

「……あなた、カイル?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「そう。あなたが受けてくれるのね」

 

 

 

「一人では行かせられませんから」

 

 

 

セレナの表情が、ほんの少しだけ硬くなった。

 

 

 

「……そう」

 

 

 

それ以上、何も言わなかった。

 

 

 

カイルは彼女の手元を見る。

 

 

 

左手首に、古い傷跡が覗いている。

 

 

 

「二頭の居場所は?」

 

 

 

「遺群嶺の奥。巣を見つけたのは三日前よ」

 

 

 

「下見を?」

 

 

 

「した。でも近づきすぎてはいない」

 

 

 

セレナはそこで言葉を切った。

 

 

 

「近づけば、殺されると思ったから」

 

 

 

カイルは黙った。

 

 

 

強い人間の言葉だった。

 

 

 

自分なら大丈夫、などとは言わない。

 

 

 

危険なら危険だと判断する。

 

 

 

それでも行かなければならないから、ここに立っている。

 

 

 

「……夫は」

 

 

 

カイルが問いかけると、セレナの指がわずかに動いた。

 

 

 

「金火竜と銀火竜に殺されたわ」

 

 

 

淡々とした声だった。

 

 

 

セレナは視線を落とす。

 

 

 

「だから、終わらせたいの」

 

 

 

カイルは頷いた。

 

 

 

「行きましょう」

 

 

 

その会話を少し離れた場所で聞いていたカティは、胸の奥がまた締めつけられるのを感じていた。

 

 

 

セレナは夫を亡くしている。

 

 

 

自分が嫉妬していい相手ではない。

 

 

 

そんなことは分かっている。

 

 

 

分かっているのに、カイルが彼女と並んで立つ姿を見ると、嫌な不安が膨らんでくる。

 

 

 

そこへルーチェがそっと近づいた。

 

 

 

「カティさん」

 

 

 

「……はい?」

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

 

返事が少し早かった。

 

 

 

ルーチェは首を傾げた。

 

 

 

「そうですか?」

 

 

 

「……何がですか」

 

 

 

「いえ。カイルさんが危険なクエストを受けたから、心配なのかなって」

 

 

 

「……それは、もちろん心配です」

 

 

 

そこまでは本当だった。

 

 

 

だからこそ、その先を言えない。

 

 

 

セレナの姿が視界に入る。

 

 

 

自分よりずっと大人びていて、強そうで、綺麗で、カイルと並んでも不自然ではない。

 

 

 

カティは唇を結んだ。

 

 

 

「……私、嫌な人ですね」

 

 

 

「え?」

 

 

 

「なんでもありません」

 

 

 

ルーチェはそれ以上聞かなかった。

 

 

 

ただ、カティの横顔を見て、何かを考えるように目を細めた。

 

 

 

---

 

 

 

遺群嶺に入ってから、二人はほとんど言葉を交わさなかった。

 

 

 

風が強い。

 

 

 

遠くで鳥の声がする。

 

 

 

斜面を上がるほど、空気が変わっていく。

 

 

 

セレナが足を止めた。

 

 

 

「……ここからよ」

 

 

 

カイルも足を止める。

 

 

 

遠くから、低い唸り声が響いた。

 

 

 

次の瞬間、巨大な影が頭上を横切った。

 

 

 

金色。

 

 

 

太陽の光を弾きながら、金火竜が空を旋回する。

 

 

 

その翼が一度、大きく羽ばたいた。

 

 

 

風圧だけで砂埃が舞う。

 

 

 

カイルは反射的に盾を構えた。

 

 

 

セレナも大剣へ手をかける。

 

 

 

「……見つかった」

 

 

 

金火竜が咆哮した。

 

 

 

その声が遺群嶺の斜面を震わせた直後、頭上から鋭い羽音が落ちてきた。

 

 

 

銀火竜だった。

 

 

 

岩壁の向こうから高々と舞い上がった銀色の巨体は、金火竜とは違って地面へ降りようとしなかった。大きく旋回しながら高度を取り、二人を見下ろしている。

 

 

 

カイルの目が細くなる。

 

 

 

金火竜が地上。

 

 

 

銀火竜が空。

 

 

 

それだけで戦い方が決まってしまう。

 

 

 

金火竜が地面を蹴った。

 

 

 

セレナが大剣を構える。

 

 

 

真正面から来る。

 

 

 

彼女は逃げなかった。

 

 

 

金火竜の爪が振り下ろされる寸前に身体を半歩ずらし、大剣の腹で攻撃を受け流した。巨体が横を通り過ぎる。

 

 

 

セレナが踏み込む。

 

 

 

大剣が金火竜の後脚へ叩き込まれた。

 

 

 

硬い鱗を削る音が響く。

 

 

 

金火竜が振り返った。

 

 

 

その尾が大きくしなる。

 

 

 

セレナはすぐに後退した。

 

 

 

しかし、金火竜の尾は彼女が離れた先まで追ってくる。

 

 

 

セレナは大剣を盾代わりにして受け流した。

 

 

 

尾の先端が大剣の刃を掠め、その直後、金火竜の身体が大きく沈んだ。

 

 

 

「下がって!」

 

 

 

カイルが叫ぶ。

 

 

 

セレナが反応した。

 

 

 

金火竜が地面を蹴り、身体を反転させる。

 

 

 

毒をまとった尾が、さっきまでセレナの頭があった場所を凄まじい速度で通り抜けた。

 

 

 

セレナは紙一重でかわしたものの、着地した金火竜との距離が近すぎる。

 

 

 

その瞬間だった。

 

 

 

上空から炎が降ってきた。

 

 

 

カイルはセレナの腕を掴んで引いた。

 

 

 

火球が地面に叩きつけられ、爆炎が二人の肌を焼いた。

 

 

 

「銀が来ます!」

 

 

 

銀火竜が低空まで高度を落としていた。

 

 

 

そのまま二人の頭上を通過し、鋭い爪を振り抜く。

 

 

 

カイルが盾を掲げた。

 

 

 

衝撃が腕を突き抜ける。

 

 

 

身体が横へ流された。

 

 

 

銀火竜はそのまま上昇する。

 

 

 

カイルは追わなかった。

 

 

 

追えば、地上の金火竜を見失う。

 

 

 

視線を戻す。

 

 

 

金火竜がセレナへ向き直っていた。

 

 

 

「右です!」

 

 

 

セレナが走る。

 

 

 

金火竜の突進が斜面を削った。

 

 

 

セレナは横へ飛び、大剣を地面へ突き立てて身体を止める。

 

 

 

そこへ金火竜が振り返った。

 

 

 

再び尾がしなる。

 

 

 

今度はセレナも読み切っていた。

 

 

 

身を低くしてかわし、そのまま金火竜の脚へ大剣を振り抜く。

 

 

 

深く入った。

 

 

 

金火竜がよろめく。

 

 

 

セレナは追撃しようと踏み込んだ。

 

 

 

だが、その頭上に銀火竜の影が落ちている。

 

 

 

カイルは迷わず走った。

 

 

 

「下がって!」

 

 

 

セレナが振り返る。

 

 

 

銀火竜の爪が迫る。

 

 

 

カイルが割り込んだ。

 

 

 

盾と爪がぶつかり、凄まじい衝撃が響く。

 

 

 

カイルの身体が後ろへ滑った。

 

 

 

銀火竜はそのまま翼を大きく広げて上昇する。

 

 

 

カイルは盾を下ろさなかった。

 

 

 

銀火竜が再び空へ戻る。

 

 

 

その下で金火竜がセレナを狙っている。

 

 

 

二頭が交互に攻めてくる。

 

 

 

金火竜が前から圧力をかけ、その間に銀火竜が上空から狙う。セレナが金火竜へ大剣を向ければ銀火竜が落ちてくる。銀火竜を警戒すれば、金火竜の尾や突進が地面を逃げ場ごと奪っていく。

 

 

 

カイルは二頭の位置を何度も確認した。

 

 

 

「セレナさん、金を引きつけてください。無理に斬りに行かなくていい!」

 

 

 

「分かった!」

 

 

 

セレナはすぐに理解した。

 

 

 

金火竜が迫る。

 

 

 

彼女は大剣を構えたまま後退する。

 

 

 

突進を横へかわし、振り返らずに距離を取る。

 

 

 

金火竜が追う。

 

 

 

その背後から銀火竜が降下してくる。

 

 

 

カイルはそこへ走った。

 

 

 

銀火竜の爪がセレナへ届く直前、盾を滑り込ませる。

 

 

 

爪を受け流し、そのまま銀火竜の脚へ片手剣を叩き込んだ。

 

 

 

銀火竜が身体をひねる。

 

 

 

カイルは一歩下がった。

 

 

 

追撃しない。

 

 

 

銀火竜が上昇するのを見送る。

 

 

 

そして、金火竜を見る。

 

 

 

セレナが追い詰められていた。

 

 

 

金火竜が口を開く。

 

 

 

炎が来る。

 

 

 

セレナは横へ逃げた。

 

 

 

火炎が地面を舐める。

 

 

 

だが、金火竜はそのまま突進へ移った。

 

 

 

セレナの逃げ道を読んでいる。

 

 

 

「セレナ!」

 

 

 

カイルが走る。

 

 

 

金火竜の頭部がセレナへ届く寸前、カイルが側面から盾をぶつけた。

 

 

 

進路が逸れる。

 

 

 

金火竜の身体が斜面へ流れた。

 

 

 

セレナがその隙に踏み込む。

 

 

 

大剣が振り上がる。

 

 

 

金火竜の翼の付け根へ、深々と刃が入った。

 

 

 

金火竜が咆哮する。

 

 

 

しかし倒れない。

 

 

 

身体を捻り、セレナへ向けて尾を振り抜く。

 

 

 

カイルが割って入る。

 

 

 

盾で受ける。

 

 

 

今度は毒の棘が盾を掠めた。

 

 

 

衝撃で腕が痺れる。

 

 

 

カイルは顔をしかめながらも、すぐに距離を取った。

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

 

「大丈夫です。それより上!」

 

 

 

セレナが見上げる。

 

 

 

銀火竜が高空から急降下していた。

 

 

 

今度はカイルを狙っている。

 

 

 

カイルは逃げなかった。

 

 

 

銀火竜が高度を落とす。

 

 

 

爪が届く直前まで引きつけ、横へ身体を滑らせる。

 

 

 

銀火竜の身体が目の前を通り過ぎた。

 

 

 

その翼の下へ入り込む。

 

 

 

片手剣を振り上げる。

 

 

 

刃が翼膜を捉えた。

 

 

 

銀火竜が大きく羽ばたく。

 

 

 

カイルの身体が吹き飛ばされ、斜面を転がった。

 

 

 

背中を岩に打ちつける。

 

 

 

一瞬、呼吸ができなかった。

 

 

 

それでも起き上がる。

 

 

 

銀火竜は再び上空へ戻っていた。

 

 

 

カイルは息を整えながら、金火竜とセレナを見る。

 

 

 

セレナはまだ立っている。

 

 

 

しかし、明らかに消耗していた。

 

 

 

大剣を構える腕がわずかに遅れている。

 

 

 

一頭なら戦える。

 

 

 

だが、この二頭を同時に相手にし続ければ、いずれ対応が遅れる。

 

 

 

カイルは判断した。

 

 

 

「セレナさん!」

 

 

 

「何?」

 

 

 

「僕が銀を引きつけます。金を倒してください」

 

 

 

「でも、あなた一人で――」

 

 

 

「長くは持たせません」

 

 

 

セレナは一瞬だけカイルを見た。

 

 

 

そして頷いた。

 

 

 

「分かった」

 

 

 

銀火竜が降りてくる。

 

 

 

カイルは前へ出た。

 

 

 

銀火竜の視線がカイルへ向く。

 

 

 

狙いが変わった。

 

 

 

それでいい。

 

 

 

カイルは走った。

 

 

 

銀火竜が爪を振り下ろす。

 

 

 

盾で受け流す。

 

 

 

次の攻撃が来る。

 

 

 

今度はかわす。

 

 

 

三度目の攻撃を紙一重で避け、片手剣を脚へ入れる。

 

 

 

銀火竜が翼を広げた。

 

 

 

カイルはすぐに距離を取る。

 

 

 

飛ぶ。

 

 

 

来る。

 

 

 

そう読んだ瞬間、銀火竜が急上昇した。

 

 

 

カイルはその場から動かなかった。

 

 

 

上空で旋回する銀火竜の影が、少しずつ大きくなっていく。

 

 

 

狙いを定めている。

 

 

 

急降下。

 

 

 

カイルは最後まで待った。

 

 

 

爪が迫る。

 

 

 

その瞬間、横へ跳ぶ。

 

 

 

銀火竜が地面へ突き刺さるように着地した。

 

 

 

カイルはすぐに反転した。

 

 

 

銀火竜が身体を起こすより早く、その側面へ入り込む。

 

 

 

盾をぶつける。

 

 

 

身体が崩れる。

 

 

 

片手剣を脚へ叩き込む。

 

 

 

銀火竜が吠え、翼を振り回した。

 

 

 

カイルは後退する。

 

 

 

無理に倒しに行かない。

 

 

 

目的は時間を稼ぐことだった。

 

 

 

その視界の端で、金火竜が大きく身体を反転させた。

 

 

 

セレナへ向かっている。

 

 

 

セレナは大剣を構えていた。

 

 

 

金火竜が突進する。

 

 

 

セレナは真正面から迎えない。

 

 

 

横へ逃げる。

 

 

 

金火竜が通り過ぎる。

 

 

 

その瞬間、セレナが踏み込んだ。

 

 

 

大剣が振り下ろされる。

 

 

 

刃が金火竜の頭部へ叩き込まれた。

 

 

 

巨体が大きく揺れる。

 

 

 

それでも金火竜は立ち上がった。

 

 

 

怒りに任せて翼を広げ、セレナへ迫る。

 

 

 

セレナは後退する。

 

 

 

しかし、斜面の岩に踵が当たった。

 

 

 

身体が止まる。

 

 

 

金火竜が迫る。

 

 

 

カイルは銀火竜から視線を外した。

 

 

 

セレナが危ない。

 

 

 

銀火竜も同時に動いた。

 

 

 

一瞬、二つの危険が重なった。

 

 

 

カイルは迷わなかった。

 

 

 

まず金火竜へ向かう。

 

 

 

走りながら盾を構える。

 

 

 

金火竜がセレナへ噛みつこうと頭を振った。

 

 

 

カイルが横から盾を叩きつける。

 

 

 

金火竜の頭が逸れる。

 

 

 

セレナが足場を立て直す。

 

 

 

「今です!」

 

 

 

セレナの大剣が横薙ぎに振り抜かれた。

 

 

 

金火竜の翼へ深く食い込む。

 

 

 

金火竜が大きくよろめいた。

 

 

 

そこへカイルが脚を斬る。

 

 

 

金火竜の身体が崩れた。

 

 

 

セレナは一歩も退かなかった。

 

 

 

大剣を両手で握り直し、全身を使って振り下ろす。

 

 

 

金火竜が地面へ沈んだ。

 

 

 

動かない。

 

 

 

「……一頭」

 

 

 

セレナが荒い息を吐いた。

 

 

 

だが、カイルはすぐに振り返った。

 

 

 

銀火竜が上空にいる。

 

 

 

そして今度は、明確にカイルを狙っていた。

 

 

 

金火竜が倒れたことで、銀火竜は地上の邪魔を失った。

 

 

 

高度を上げる。

 

 

 

さらに上へ。

 

 

 

カイルは盾を構えた。

 

 

 

セレナも大剣を構え直す。

 

 

 

銀火竜が急降下した。

 

 

 

カイルは横へ走った。

 

 

 

しかし、銀火竜は途中で軌道を変えた。

 

 

 

カイルが読んでいた方向と違う。

 

 

 

爪が肩を掠める。

 

 

 

防具が裂け、血が滲んだ。

 

 

 

カイルはよろめいた。

 

 

 

銀火竜が旋回する。

 

 

 

もう一度来る。

 

 

 

カイルは肩を押さえた。

 

 

 

「カイル!」

 

 

 

「まだです!」

 

 

 

銀火竜が翼を広げる。

 

 

 

カイルはその動きを見る。

 

 

 

さっきと同じ。

 

 

 

だが、今度は違う。

 

 

 

銀火竜の片翼がわずかに下がっている。

 

 

 

飛び方に癖が出ていた。

 

 

 

カイルは斜面を走った。

 

 

 

銀火竜が追う。

 

 

 

高度を下げる。

 

 

 

カイルは岩場へ入り込んだ。

 

 

 

銀火竜が翼をたたみ、岩壁の間へ突っ込んでくる。

 

 

 

その瞬間、カイルは身体を伏せた。

 

 

 

銀火竜が頭上を通り抜ける。

 

 

 

翼が岩へぶつかり、巨体が大きく傾いた。

 

 

 

カイルは振り返る。

 

 

 

「セレナさん!」

 

 

 

「分かってる!」

 

 

 

セレナが走った。

 

 

 

銀火竜が体勢を立て直そうとする。

 

 

 

大剣が振り上げられる。

 

 

 

銀火竜が翼を広げた。

 

 

 

その翼が完全に開く前に、セレナの大剣が叩き込まれた。

 

 

 

銀色の鱗が弾ける。

 

 

 

銀火竜が大きく身体を傾けた。

 

 

 

それでも立ち上がろうとする。

 

 

 

カイルが懐へ入った。

 

 

 

盾で身体を押し込み、逃げる方向を塞ぐ。

 

 

 

銀火竜が爪を振る。

 

 

 

カイルは盾で受けた。

 

 

 

衝撃で膝が沈む。

 

 

 

それでも耐える。

 

 

 

「今だ!」

 

 

 

セレナが踏み込む。

 

 

 

大剣が振り下ろされる。

 

 

 

銀火竜の身体が大きく揺れた。

 

 

 

カイルは最後の一瞬まで距離を詰めていた。

 

 

 

銀火竜が翼を動かそうとする。

 

 

 

カイルの片手剣が、その動きを止めるように脚を斬り払った。

 

 

 

巨体が崩れる。

 

 

 

地面が震えた。

 

 

 

そして、銀火竜は二度と立ち上がらなかった。

 

 

 

しばらく、二人とも動かなかった。

 

 

 

荒い呼吸だけが遺群嶺の風に混じっている。

 

 

 

カイルは盾を下ろした。

 

 

 

セレナも大剣を地面へ下ろす。

 

 

 

二頭の希少種は、もう動かなかった。

 

 

 

セレナは倒れた二頭を見つめたまま、長い間、何も言わなかった。

 

 

 

やがて、ぽつりと呟く。

 

 

 

「……終わったんですね」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「夫は、帰ってこないのに」

 

 

 

カイルは何も答えなかった。

 

 

 

答えられなかった。

 

 

 

セレナは目を閉じた。

 

 

 

泣かなかった。

 

 

 

ただ、大剣を地面に立て、その柄を両手で握った。

 

 

 

「……あの人なら、きっと笑うんでしょうね」

 

 

 

「どうしてですか」

 

 

 

「私が一人でこんな馬鹿なことをしたから」

 

 

 

ほんの少しだけ、笑った。

 

 

 

その笑顔は、悲しかった。

 

 

 

「でも……これで、少しだけ前を向ける気がする」

 

 

 

---

 

 

 

龍識船へ戻ると、カティは誰より先にカイルの姿を見つけた。

 

 

 

傷だらけだった。

 

 

 

防具には焼け焦げた跡があり、盾にも大きな傷が入っている。

 

 

 

それでも歩いている。

 

 

 

カティは駆け寄りそうになって、足を止めた。

 

 

 

「……おかえりなさい」

 

 

 

「ただいま、ネコ嬢」

 

 

 

その一言だけで、胸の奥がほどけた。

 

 

 

カティはカイルの腕を見る。

 

 

 

「怪我……」

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 

「大丈夫じゃないです」

 

 

 

思わず強い口調になった。

 

 

 

カイルが少し驚いた顔をする。

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

「謝らなくていいです」

 

 

 

カティは視線を落とした。

 

 

 

本当は、もっと言いたいことがあった。

 

 

 

怖かった。

 

 

 

帰ってこなかったらどうしようと思った。

 

 

 

セレナと二人で出ていく姿を見たとき、嫌なことばかり考えた。

 

 

 

でも、そんなことを言えるはずがない。

 

 

 

少し離れたところで、セレナが受付へ向かっていた。

 

 

 

カティは彼女を見る。

 

 

 

セレナは疲れ切っていた。

 

 

 

美しい顔も、鍛えられた身体も、今はただ疲労に沈んでいる。

 

 

 

夫を失った女性として、ようやく一つの区切りをつけた顔だった。

 

 

 

カティは胸の奥で小さく息を吐いた。

 

 

 

それでも、完全には消えない。

 

 

 

自分でも呆れるくらい、嫉妬している。

 

 

 

そんな自分が嫌だった。

 

 

 

その横でルーチェが小さく笑った。

 

 

 

「カティさん」

 

 

 

「……何ですか」

 

 

 

「カイルさんが帰ってきて、嬉しいんですね」

 

 

 

「……当たり前です」

 

 

 

「それだけ?」

 

 

 

カティは答えなかった。

 

 

 

ルーチェも、それ以上は聞かなかった。

 

 

 

ただ、優しく微笑んでいた。

 

 

 

そしてカイルは、そんな二人の会話にも気づかないまま、傷ついた盾を眺めている。

 

 

 

セレナは少し離れた場所で、最後に一度だけ振り返った。

 

 

 

カイルを見る。

 

 

 

夫と似ている。

 

 

 

そのことが、今は少し怖かった。

 

 

 

けれど同時に、あのとき自分を一人にしなかった男に、ほんの少しだけ感謝していた。

 

 

 

彼女は何も言わず、受付の奥へ消えていった。

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