アセンダンス待ちきれないから書いてしまったダブルクロス 作:ペプシよりコカ・コーラだよなぁ
夜の龍識船は、昼間とは別の船に思えるほど静かだった。
甲板を渡る風も弱く、遠くから聞こえる波の音だけが、規則正しく船体を揺らしている。
カティはベッドの上で横になったまま、なかなか眠れずにいた。
目を閉じれば、昼間の光景が浮かんでくる。
傷を負ったカイルの肩。
その傷を手当てしている自分。
そして、立ち上がろうとした瞬間に船が揺れ、身体が傾いたこと。
咄嗟に伸ばされたカイルの腕。
腰を支えられた感触。
そのまま、上半身が彼の胸元へ寄ったこと。
「…………もう」
小さく呟いて、カティは布団の中で寝返りを打った。
思い出すだけで、頬が熱くなる。
ほんの一瞬だった。
転びそうになったところを助けてもらった。
ただ、それだけ。
カイルにとっては、本当にそれだけなのだろう。
けれどカティにとっては、そう簡単に片づけられる出来事ではなかった。
あのとき、すぐ近くにあったカイルの顔。
身体を支えていた腕。
そして、耳元で聞こえた声。
どれも妙に鮮明に残っている。
「……カイルさんの、ばか」
枕へ顔を埋める。
自分でも、どうしてこんなに意識してしまうのか分からない。
カイルは何も悪くない。
むしろ、危ないところを助けてくれただけだ。
それなのに。
もう一度、あんなふうに近づかれたらどうなるのだろう。
そんな考えが浮かんでしまう。
「……っ」
カティは慌てて布団を引き上げた。
考えちゃ駄目。
そう思うほど、さっきまでの感触が鮮明になる。
腰に触れた腕。
近くに感じた体温。
すぐそばにあった気配。
カティは胸元へ手を置いた。
鼓動が少し速い。
自分でも分かるくらい、落ち着かない。
「……ほんとに、何してるんだろ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
カイルにとっては、何でもない出来事。
きっと明日には、もう忘れている。
そう考えると、少しだけ寂しかった。
けれど、その一方で、忘れられてしまうのも嫌だった。
自分だけが覚えている。
自分だけが何度も思い出している。
それが恥ずかしくて、少し悔しい。
カティは布団の中で身体を小さく丸めた。
しばらく目を閉じてみる。
けれど眠れない。
昼間のことが、また浮かんでくる。
カイルが自分を支えた瞬間。
自分の身体が彼へ寄った瞬間。
あまりにも近くて、何も言えなくなった自分。
そして、何事もなかったように離れていったカイル。
「……ずるいです」
小さく呟く。
何がずるいのか、自分でも分からない。
ただ、あんなことをされたら意識してしまう。
それなのに本人は何も気づいていない。
カティは枕へ顔を押しつけた。
しばらくして、ようやく熱が少しずつ引いていく。
呼吸も落ち着いてきた。
それでも、胸の奥には昼間の感触が残っている。
嫌ではなかった。
むしろ――。
そう思いかけて、カティは慌てて目を閉じた。
「……もう寝ます」
誰に言うでもなく呟く。
けれど、すぐには眠れなかった。
明日はまた、カイルが調査へ出る。
今日のように怪我をして帰ってくるかもしれない。
そう思うと、胸の奥が少しだけ苦しくなる。
カティは布団を胸元まで引き上げた。
「……ちゃんと帰ってきてくださいね」
その言葉を口にすると、不思議と少しだけ安心した。
カイルが無事に帰ってくる。
また会える。
また名前を呼んでもらえる。
それだけでいい。
今は、それだけで。
カティはゆっくりと目を閉じた。
胸の奥に残った温かな感覚を抱えたまま、ようやく眠りへ落ちていった。
夜の龍識船は、何事もなかったかのように、静かに雲海を進んでいた。