アセンダンス待ちきれないから書いてしまったダブルクロス   作:ペプシよりコカ・コーラだよなぁ

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第6話 ラヴァンダ

 

 龍識船へ戻ったあとも、カイルの中には妙な違和感が残っていた。

 

 

 

 研究室で見た骨。

 

 

 

 河川の周辺に残されていた黒い粘液。

 

 

 

 地下へ続いていた水脈。

 

 

 

 そして、最後に聞いた名前。

 

 

 

 ――オストガロア。

 

 

 

 その名を聞いた瞬間に胸の奥で何かが引っかかった。

 

 

 

 けれど、いくら考えても思い出せない。

 

 

 

 思い出せないというより、思い出そうとすると何かが逃げていくような感覚だった。

 

 

 

 だからカイルは、その日の夕方、一人で酒場へ向かった。

 

 

 

 龍識船の酒場は、研究室とはまるで空気が違う。

 

 

 

 研究員たちの話し声。

 

 

 

 食器の触れ合う音。

 

 

 

 酒を注ぐ音。

 

 

 

 狩りから戻ったハンターたちの笑い声。

 

 

 

 船の中にあるとは思えないほど、人の気配が濃い場所だった。

 

 

 

 カイルが酒場へ入ると、カウンターの向こうにいたラヴァンダが顔を上げた。

 

 

 

「いらっしゃい。珍しいわね、こんな時間に」

 

 

 

「ラヴァンダさん」

 

 

 

「今日は一人?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「珍しいわね。いつもなら、誰かしら一緒にいるでしょう」

 

 

 

「そうですか?」

 

 

 

「ええ」

 

 

 

 ラヴァンダはグラスを拭きながら笑う。

 

 

 

「あなた、自分では気づいていないでしょうけど、案外人に好かれるもの」

 

 

 

「……そうでしょうか」

 

 

 

「そういうところも含めてね」

 

 

 

 カイルは少し困った顔をした。

 

 

 

 その様子を見て、ラヴァンダは小さく笑う。

 

 

 

「座りなさい。何か飲む?」

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 カウンターへ腰を下ろす。

 

 

 

 そのとき、奥から別の男が姿を見せた。

 

 

 

「いらっしゃいませ、カイルさん」

 

 

 

 緑色の服に身を包んだ、物静かな男だった。

 

 

 

 オレンジ色のネクタイが目を引く。

 

 

 

「ウェーナーさん」

 

 

 

「今日はラヴァンダさんがお相手しますよ」

 

 

 

「それ、私が暇みたいに聞こえるわね」

 

 

 

「そういう意味ではありません」

 

 

 

 ウェーナーは淡々と答えた。

 

 

 

 ラヴァンダが肩をすくめる。

 

 

 

「昔からこうなのよ、この人」

 

 

 

 そう言って、彼女はカイルを見る。

 

 

 

「ウェーナーとは昔から一緒に狩りをしていたの。今はこうして酒場を手伝ってもらっているけれどね」

 

 

 

「狩りを?」

 

 

 

 カイルは二人が昔から狩りをしていたことを知っていた。

 

 

 

 ただ、ラヴァンダがどのような狩猟経験を積んできたのかまでは、詳しく聞いたことがない。

 

 

 

「昔の話ですよ」

 

 

 

 ウェーナーが静かに答える。

 

 

 

「昔話にするには、ずいぶん強かったけれどね」

 

 

 

 ラヴァンダが笑った。

 

 

 

 カイルは改めてラヴァンダを見る。

 

 

 

 酒場で働いている今も、その立ち姿や動きには長く狩りをしてきた者の落ち着きが残っている。

 

 

 

「昔は、ハンターだったんですか?」

 

 

 

「ええ。かなり長くね」

 

 

 

 ラヴァンダはグラスを置いた。

 

 

 

「それなりに名も知られていたわ。龍歴院やギルドの依頼も受けていたし、危険な場所にも何度も行った」

 

 

 

「今は?」

 

 

 

「引退したの」

 

 

 

 そう言って、彼女は酒場を見回した。

 

 

 

「今はここが私の場所よ」

 

 

 

 その言葉には、少しだけ誇らしさがあった。

 

 

 

「狩り場より、こっちのほうが向いていると思わない?」

 

 

 

「……どうでしょう」

 

 

 

「ふふ。正直ね」

 

 

 

 ラヴァンダは笑った。

 

 

 

「それで?」

 

 

 

 ラヴァンダがカイルを見る。

 

 

 

「今日は何か聞きたいことがある顔ね」

 

 

 

「分かりますか?」

 

 

 

「分かるわよ」

 

 

 

「そんなに顔に出ていますか?」

 

 

 

「顔というより、目ね」

 

 

 

 ラヴァンダはカイルの目を見つめた。

 

 

 

「あなた、何かを考えているときだけ、少し遠くを見るのよ」

 

 

 

 カイルは黙った。

 

 

 

「……実は、聞きたいことがあります」

 

 

 

「何?」

 

 

 

「今日の調査で、オストガロアという名前を聞きました」

 

 

 

 ラヴァンダの表情が、ほんのわずかに変わった。

 

 

 

「オストガロア?」

 

 

 

「はい。ラヴァンダさんが昔ハンターだったと聞いていたので、何か知っていることがないかと思って」

 

 

 

「なるほどね」

 

 

 

 ラヴァンダはグラスを置いた。

 

 

 

「それで、私のところへ来たのね」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 カイルは研究室で見たものを話した。

 

 

 

 河川の周辺で見つかった死骸。

 

 

 

 骨に残された傷。

 

 

 

 黒い粘液。

 

 

 

 地下へ続く水脈。

 

 

 

 そして、古い記録に残されていた名前。

 

 

 

 ラヴァンダは口を挟まずに聞いていた。

 

 

 

 話が終わると、しばらく沈黙する。

 

 

 

「そう」

 

 

 

 やがて、彼女は静かに言った。

 

 

 

「昔の記録で、その名前を見たことはあるわ」

 

 

 

「何か分かりますか?」

 

 

 

「詳しいことまでは知らないわ」

 

 

 

 ラヴァンダは首を振る。

 

 

 

「ただ、死骸。大量の骨。地下を通る水。黒い粘液。そういう記録が残っていたのは覚えている」

 

 

 

「巨大な生物なんですか?」

 

 

 

「記録を見る限り、そうらしいわ」

 

 

 

 ラヴァンダは少し考える。

 

 

 

「でも、実際に姿を見たわけじゃない。だから、私から言えることは多くないわね」

 

 

 

「そうですか」

 

 

 

「ええ。ただ――」

 

 

 

 ラヴァンダはカイルを見る。

 

 

 

「調査するなら、気をつけなさい」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「分からない相手ほど、無理をしないこと」

 

 

 

 カイルは小さく頷いた。

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

 ラヴァンダはグラスをカイルの前へ置いた。

 

 

 

「飲みなさい」

 

 

 

「これは?」

 

 

 

「水よ」

 

 

 

「……水ですか」

 

 

 

「酒を飲んで話せる顔じゃないもの」

 

 

 

 カイルは苦笑した。

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 一口飲む。

 

 

 

 冷たい水が喉を通っていく。

 

 

 

「……今日、少し変なことがあったんです」

 

 

 

「何?」

 

 

 

「オストガロアという名前を聞いたとき、何かを思い出しそうになりました」

 

 

 

 ラヴァンダの目がわずかに細くなる。

 

 

 

「何を?」

 

 

 

「分かりません」

 

 

 

「そう」

 

 

 

「暗い場所だったような気がします。湿った空気と……何かを引きずる音」

 

 

 

 カイルは眉を寄せた。

 

 

 

「でも、それだけです」

 

 

 

「無理に思い出さないほうがいいわ」

 

 

 

「……どうしてですか?」

 

 

 

「思い出せないものには、まだ思い出す準備ができていないものもあるから」

 

 

 

 その言葉に、カイルは黙り込んだ。

 

 

 

 ラヴァンダはそれ以上何も言わなかった。

 

 

 

 ただ、カイルの表情を静かに見ている。

 

 

 

 しばらくして、彼女が口を開いた。

 

 

 

「カイル」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「あなたは強いわ」

 

 

 

 突然そう言われて、カイルは目を瞬かせた。

 

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

「褒めているわけじゃないの」

 

 

 

「え?」

 

 

 

「強い人ほど、自分が傷つくことを軽く考えるから」

 

 

 

 ラヴァンダは静かに続けた。

 

 

 

「誰かを守るために、自分が傷つく。それ自体は悪いことじゃない。でもね」

 

 

 

 彼女の声が少しだけ低くなる。

 

 

 

「自分が死んでしまったら、その人を守れないでしょう?」

 

 

 

 カイルは黙っていた。

 

 

 

「誰かを守るっていうのは、自分が死ぬことじゃないわ」

 

 

 

 ラヴァンダはカイルを真っ直ぐ見た。

 

 

 

「自分も生きて、その人も生かす。それが本当の意味で守るってことよ」

 

 

 

 その言葉が、カイルの胸に残った。

 

 

 

 なぜだか分からない。

 

 

 

 ただ、妙に重かった。

 

 

 

「……難しいですね」

 

 

 

「ええ。だから、簡単にできることじゃない」

 

 

 

 ラヴァンダは笑った。

 

 

 

「でも、覚えておきなさい」

 

 

 

 カイルは小さく頷いた。

 

 

 

「はい」

 

 

 

「それと――」

 

 

 

「はい?」

 

 

 

「あなたが帰ってこなかったら、悲しむ人がいるでしょう?」

 

 

 

 カイルの脳裏に、金色の髪が浮かんだ。

 

 

 

 朝の甲板。

 

 

 

 昼食の約束。

 

 

 

 そして、少し寂しそうに笑っていた女性。

 

 

 

「……そういう人は、います」

 

 

 

 ラヴァンダは一瞬だけ目を細めた。

 

 

 

「なら、ちゃんと帰ってきなさい」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「約束よ」

 

 

 

「……分かりました」

 

 

 

 カイルは水を飲み干した。

 

 

 

 酒場の外では、風が強くなっていた。

 

 

 

 龍識船が雲を抜けるたび、船体がわずかに揺れる。

 

 

 

 ラヴァンダはその音を聞きながら、静かにグラスを拭いていた。

 

 

 

 彼女はまだ知らない。

 

 

 

 カイルが何を失ったのか。

 

 

 

 なぜオストガロアという名前に反応したのか。

 

 

 

 けれど、長く狩りを続けてきた経験だけが教えていた。

 

 

 

 あの目をした人間は、何かを背負っている。

 

 

 

 そして、そういう人間ほど危うい。

 

 

 

     *

 

 

 

 酒場を出たカイルが龍識船の廊下を歩いていると、向こうからカティがやってきた。

 

 

 

「カイルさん?」

 

 

 

「ネコ嬢」

 

 

 

「こんな時間までどこにいたんですか?」

 

 

 

「酒場です」

 

 

 

「……飲んだんですか?」

 

 

 

「水を」

 

 

 

「水?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 カティが少しだけ笑った。

 

 

 

「カイルさんらしいですね」

 

 

 

「そうですか?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 二人は並んで歩き始める。

 

 

 

「何か、あったんですか?」

 

 

 

「少しだけ、オストガロアについて聞いてきました」

 

 

 

 カティの表情が変わった。

 

 

 

「……何か分かりました?」

 

 

 

「詳しいことは、まだ何も」

 

 

 

「そうですか」

 

 

 

 カティは少し黙った。

 

 

 

 それから、小さな声で尋ねる。

 

 

 

「その名前を聞いたとき……また、何か思い出しました?」

 

 

 

 カイルは歩みを止めた。

 

 

 

 少し考えてから答える。

 

 

 

「……はい」

 

 

 

「怖いですか?」

 

 

 

「分かりません」

 

 

 

 正直な答えだった。

 

 

 

「ただ、嫌な感じがします」

 

 

 

 カティは何も言わなかった。

 

 

 

 代わりに、ほんの少しだけカイルとの距離を縮めた。

 

 

 

「なら、無理に思い出さなくてもいいと思います」

 

 

 

「……そうですね」

 

 

 

「もし思い出したら、そのときは話してください」

 

 

 

 カイルが彼女を見る。

 

 

 

「ネコ嬢に?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 カティは笑った。

 

 

 

「私も、カイルさんに話したいことができたら、そのときに話します」

 

 

 

「そうですか」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 カイルはそれ以上尋ねなかった。

 

 

 

 カティも、それ以上は言わなかった。

 

 

 

 二人はそのまま廊下を歩いていく。

 

 

 

 窓の外では、雲海が夜の闇へ沈んでいる。

 

 

 

 そのさらに下。

 

 

 

 人の目の届かない地下の水脈では、静かな水が流れていた。

 

 

 

 その先に何がいるのか。

 

 

 

 まだ、誰も知らない。

 

 

 

 ただ一つ確かなのは――。

 

 

 

 カイルがその名を聞いた瞬間から、忘れていた過去と、これから訪れる戦いが、少しずつ繋がり始めていたことだった

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