千年前欠史変   作:鬼屋敷

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12、残火

 

 その声を聞いて、火黒が鬼蜘蛛へ顔を向けた。

 つい先ほどまで戦場一帯を夜へ沈め、大虚の群れを震え上がらせていた張本人が、今は白砂に腹這いになっている。

 顔を横へ向け、忌々しそうに残った大虚を睨みながら、『九ツ(ここのつ)』と『虚命(こだま)』だけは相変わらず手放していなかった。

 数秒ほど呆気に取られていた火黒の口元が、徐々に吊り上がっていく。

 

「……は」

 

 堪えきれず、腹を抱えて笑い出した。

 

「はっはっはっは! おいガキ! なんだそりゃ! あんだけやっといてへばったのかよ!」

「うるさいわ。……あ、やべ」

 

 一つ文句を返したところで、鬼蜘蛛の顔が急にばつの悪そうなものへ変わった。

 

「あかん。……あかん、懐忘れとった。九ツ見とったら我を無くしてたわ」

 

 歯を食いしばり、両肘を白砂へ押しつける。腕を震わせながら上半身を僅かに持ち上げるものの、そこから先が続かず、すぐに肘が折れて腹が砂へ落ちた。

 仕方なく身をよじり、今度は芋虫のように進もうとする。

 

「ふんぐっ、ふんっ、ふぬっ」

「はははは! 立てもしねえじゃねえか!」

「黙れ犬っころ!」

 

 言い返しながらもう一度力を込めても、結果は変わらない。霊圧を根こそぎ使い切った身体は本人の意地など聞く気もないらしく、肩が震えるばかりで腰さえ浮かなかった。

 それでも刀だけは離さない。とりわけ『九ツ』を握る右手には、意地でも誰にも渡すものかと言わんばかりに指が食い込んでいる。

 その様子がよほど火黒のツボにはまったらしい。黒い人狼は牙を剥き、先ほど惨蔵と斬り合っていた時とはまた違う楽しさで笑っていた。

 その背後へ、大きな影が落ちる。

 先ほどの夜から逃れた大虚の一体だった。片脚の感覚を失いながらも辛うじて倒れずにいた個体が、鬼蜘蛛もろとも火黒を押し潰そうと巨大な掌を振り上げる。

 鬼蜘蛛が砂の上から顔を上げた。

 

「おい」

「あ?」

「死ぬぞ」

 

 火黒は振り返らなかった。

 笑ったまま右腕だけを後ろへ振り抜き、『血祭(ちまつり)』の手甲に覆われた拳を大虚の掌へ叩き込む。

 巨体と比べれば、あまりにも小さな一撃だった。

 接触した掌の中央から乾いた亀裂が走る。一本の亀裂は手の甲を抜け、手首を越えて腕を駆け上がり、肩へ達した。そこから枝分かれした亀裂が胸から腹へ、さらに仮面にまで広がり、瞬く間に巨体の全身を覆っていく。

 大虚の動きが止まった。

 火黒が拳を引く。

 次の瞬間、亀裂の走った全身が耐えきれなくなったように崩れ、巨体が白砂へ倒れ込んだ。

 轟音とともに砂煙が舞い上がる。

 火黒はようやく肩越しに一瞥し、すぐ鬼蜘蛛へ視線を戻した。

 

「で? 必死にもがいてどうした?」

「守ると約束した女をつい放ったらかしにしちまった。まだ反故にはなっとらんはずじゃから戻らんといかん」

「しっかり反故してんだろ。どこだ」

「舟んとこおるはず」

 

 答えたところで、鬼蜘蛛の身体がふわりと浮いた。

 火黒が片手で首根っこを摘まみ上げている。

 

「お前、知らん奴だけど嫌いじゃ」

「はっはっは!」

 

 鬼蜘蛛をぶら下げたまま、火黒は舟の方へ歩き出した。

 やがて、白砂の上に座り込む懐の姿が見えてくる。

 俯いたまま肩を震わせ、頬には涙の跡が残っていた。それでも新しい涙は止まらず、次々と顎を伝って落ちている。

 

「あーあ。彼女泣いてんぞ、チビ」

「もともと泣いとった気がするからワシのせいじゃない」

「そこじゃねえだろ。泣いてる女放置すんなよ」

「は?」

 

 聞き返した時には遅かった。

 火黒が手を離し、そのまま鬼蜘蛛の身体を懐の近くへ放り投げる。

 受け身を取る力など残っていない。鬼蜘蛛は白砂へ尻から落ち、鈍い衝撃に顔を歪めた。

 

「ぐぉっ……!」

 

 その声に、懐がゆっくりと顔を上げた。

 涙で濡れた目が鬼蜘蛛を捉える。

 

「……くもくん」

「あ?」

 

 次の瞬間、懐が縋りついてきた。

 鬼蜘蛛には受け止める余力もなく、身体を支えることすらできないまま勢いに押されて白砂へ倒れ込む。

 

「おい、ケツ痛いんじゃが」

 

 胸元へ顔を埋めた懐の肩が震えている。

 何かを言おうとしているようだったが、声にはならない。代わりに鬼蜘蛛の着物を掴む指だけが、ぎゅっと強くなった。

 鬼蜘蛛は身動きも取れず、虚無の顔で仰向けになっていた。

 引き剥がすでもなく、抱き返すでもない。何をすればいいのか分からないまま、結局なすがままになる。

 火黒はそんな二人を見下ろし、鼻から息を吐いた。

 

「はっ。見てらんねえわ」

 

 そう言い残して背を向ける。

 遠くではまだ散発的に大虚の咆哮と剣戟が響いていた。火黒は『血祭』の爪を構え直し、戦場へ戻っていった。

 

 *

 

 残っていた大虚の数が目に見えて減り、ようやく周囲を見渡せるだけの余裕が生まれたところで、禽雀は舟の方へ視線を向けた。

 探す相手は一人しかいない。

 ほどなくして、その姿を見つける。

 舟の近く。白砂へ倒れた鬼蜘蛛に縋りついたまま、懐が泣いていた。

 無事だった。

 その姿を認めた瞬間、禽雀の胸に張りつめていたものが僅かに緩む。

 

「……懐」

 

 不意に聞こえた馴染みのある優しい声に、懐が顔を上げた。

 

「……姉様」

 

 禽雀の顔を見た途端、堪えていたものがまた切れたのか、懐の目から大粒の涙が溢れた。

 

「すずめ姉様……!」

 

 鬼蜘蛛から身体を離し、足をもつれさせながら禽雀へ駆け寄る。胸元へ飛び込んできた小さな身体を、禽雀は両腕でしっかりと受け止めた。

 懐は何かを言おうとした。

 

「おじさまが……おじさま……」

 

 その先は声にならなかった。

 禽雀の腕が僅かに強張る。

 惨蔵を撃ったのは自分だ。

 上総介を死へ追いやった者の一人を、自分の手で仕留めた。

 それを間違いだったとは思わない。今さら取り消したいとも思わない。

 けれど、その結果として懐は泣いている。

 それをどう受け止めればいいのか、禽雀にも分からなかった。

 仇を討ったはずなのに何も晴れず、その上、守りたかった少女の心まで深く傷つけた。

 何とも言えない重さが胸の奥へ沈んでいく。

 禽雀は言葉を探すのをやめ、腕の中で震える懐をただ抱き締めた。

 やがて片手を上げ、乱れていた黒紫の髪をそっと撫でる。

 幼い頃から何度も触れてきた髪だった。

 その感触に、禽雀は僅かに顔を伏せる。

 

「……うん」

 

 それだけしか言えなかった。

 懐の肩がまた震え、禽雀の目からも静かに涙が零れた。

 何のための涙なのか、自分でももう分からない。

 禽雀は涙を拭おうともせず、懐の頭を抱えるようにして、もう一度強く抱き締めた。

 少し離れた白砂の上では、鬼蜘蛛が仰向けになったまま空を眺めていた。

 二人の様子をぼんやりと横目で見る。

 (……これ、もう約束果たしたってことでええんかな?)

 少しだけ考える。

 (……だめかな?)

 結局よく分からず、鬼蜘蛛はまた虚圏の空へ目を戻した。

 懐の嗚咽は少しずつ弱くなっていた。

 禽雀はその身体を抱いたまま、時折何かを囁きながら背を撫でている。

 鬼蜘蛛はしばらくそうして空を眺めていたが、不意に指先を動かした。

 

「……」

 

 手を握り、開く。

 先ほどまで指一本動かすのも億劫だった身体に、僅かずつ力が戻ってきている。

 霊圧そのものはほとんど空のままだ。

 それでも、立って歩くくらいならどうにかなりそうだった。

 

「ふぅ、ふふ。回復、回復じゃ。へへ。余裕。動けるな」

 

 独り言を漏らしながら、震える腕で上体を起こす。

 禽雀と懐が驚いた顔でそちらを見た。

 鬼蜘蛛は膝へ手をつき、ふらつきながら立ち上がると、二人と目が合った。

 

「おう。泣き止んだか。お前弱虫じゃな。ザコめ」

 

 無神経な言葉に禽雀が僅かに眉を寄せた頃には、鬼蜘蛛の興味はもう別のところへ移っていた。

 白砂の上。

 死神と罪人の骸。

 その傍らに残された刀。

 折れたもの。曲がったもの。鞘から抜けたまま砂へ突き立っているもの。

 鬼蜘蛛の顔が露骨に歪んだ。

 

「……さて。うーん……」

 

 辺りを見回して少し考え、やがて禽雀へ顔を向ける。

 

「あねさん」

「っ……はい」

「そいつの保護者か?」

 

 急に話しかけられた禽雀は、腕の中の懐を見下ろした。

 

「……そんな感じです」

「ならもうええか」

 

 鬼蜘蛛は一人で納得した。

 懐を守る。

 約束したのはそれだけだった。

 保護者が来たならお役御免でいいだろうと、勝手に判断したらしい。

 鬼蜘蛛は『虚命』を腰へ収めると、傍らに置いていた『九ツ』にも手を伸ばした。

 片手ずつ持ち上げると、先ほどの真打の疲労がまだ残っているのか、腕にずしりと堪えた。

 

「チッ……これワシのな」

 

 その場へ鞘ごと『九ツ』を砂に突き立てて言うと、自分の刀だけを腰に携え、ふらふらと歩き出そうとする。

 黙って見ていた懐が、不安そうに声をかけた。

 

「くもくん、どこ行くの?」

「刀拾う。ぜんぶ」

 

 懐と禽雀も同じ方へ視線を向ける。

 少なくない数の死神と罪人の遺骸が転がる、その向こう。

 

「あれじゃあんまりじゃろ」

 

 鬼蜘蛛はそう言って、刀を拾いに向かう。

 その背中を見つめていた懐が、不意に禽雀の腕から離れて立ち上がった。

 困惑する禽雀へ軽く謝ると、鬼蜘蛛の後を追い、遠慮がちに声をかける。

 

「あの、懐も、拾う」

「あ? ダメじゃ。ワシのだぞ」

「……お手伝いだけ」

 

 鬼蜘蛛がまじまじと懐を見る。

 ろくに持てそうにない華奢な身体だ。一本持てたら良い方だろう。

 

「まぁ、いないよりゃマシか」

 

 そう返され、懐は小さくほっとしたように笑った。

 禽雀はそんな懐をぽかんと見送っていたが、すぐに我に返った。

 まだ罪人達も散らばっている戦場跡へ、子供二人だけで向かわせるわけにもいかない。

 慌てて立ち上がり、二人の後を追った。

 

 *

 

 最後まで残っていた大虚の一体が、白砂へ崩れ落ちた。

 なお遠くでは散発的な戦闘が続いているものの、先ほどまで戦場を覆っていた圧力は明らかに薄れていた。

 盃は『逸軸(いちじく)』を下ろし、ゆっくりと周囲を見渡す。

 想定外が生じることなど、初めから承知していた。

 どれほど綿密に組んだところで、戦場で予定通りに動くものなど少ない。まして今回の盤上には、罪人も、護送役も、大虚の群れまでもが入り乱れている。

 何かしら狂うのは当然だった。

 それでも。

 (……盤上の駒に、ここまで肝を冷やされるとはな)

 惨蔵。

 火黒。

 禽雀。

 そして、あの赤髪の小僧。

 盃の視線が舟の方へ向く。

 先ほどまで惨蔵の斬魄刀を手に、大虚の群れを夜へ沈めていた鬼蜘蛛が、今はふらつきながら白砂の上を歩いている。

 その姿を見ながら、盃の口の端がゆっくりと吊り上がった。

 他人の斬魄刀を使う。

 それだけでも十分に異常だ。

 まして、その真打まで引きずり出すか。

 (……あんなものを見せられて、笑わずにいられるか)

 しばらく鬼蜘蛛を眺めた後、盃は周囲に残っていた大虚が完全に片付いたことを確認した。

 そこでようやく、空いた手を何もない場所へ差し入れる。

 位相をずらして隠していた空間から取り出したのは、一本の煙管だった。

 火を入れ、ゆっくりと吸う。

 口元から吐き出された白い煙が細く流れ、虚圏の乾いた空気へ溶けていった。

 盃は黙ったまま、生き残った者達を眺める。

 罪人。

 護送役。

 術者。

 ずいぶんと減った。

 主に、護送役が。

 惨蔵は死に、大虚も退けた。

 大仕事はここからだ。

 この場に残された多勢を、まず一つの流れへ引きずらなければならない。

 力で従わせることはできる。

 だが、それでは長くはもたない。

 元より所属も、思想も、利害も異なる烏合の衆だ。上から命令を押しつければ、いずれ反発し、互いに喰い合って破綻する。

 従わせるのではない。

 熱に浮かせる。

 ここから先へ、自ら進みたいと思わせる。

 何かを始めるのだと信じさせ、そのための指針を彼ら自身に望ませる。そして最後には、己にとって都合のいい場所へ、自分達の足で歩いていかせる。

 自分達で選び取った未来だと、そう思わせたまま。

 盃が煙管を口元から離し、ゆっくりと煙を吐いていると、砂を踏む足音が近づいてきた。

 視線を向けると、血と砂に汚れた男女がこちらへ歩いてくる。

 共に捕らえられ、この舟へ押し込まれた同心達。

 そのうち、まだ自分の足で動ける七人だった。

 誰も無傷ではない。肩口を裂かれた者、額から血を流した者、片腕を庇う者もいる。

 それでも盃の前まで来ると、各々が疲れた様子で互いを労った。

 

「安馬はどうした?」

「惨蔵にやられた後、動きが悪いところをやられた」

「ちっ」

 

 煙管を咥えたまま、短く舌を打つ。

 別の男が続けた。

 

「城ケ崎もだ。虚閃に巻き込まれたのを見た」

「……結局、捕まった半数か。上々とは言えんな」

 

 返事はなかった。

 失った者達の顔が浮かぶ。

 他にも、ここへ来るまで何度となく顔を合わせ、言葉を交わした者達がいる。

 盃は煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐いた。

 白い煙が顔の前を横切り、消えていく。

 

「生き残った奴を拾え。動けん奴がいれば連れてこい」

「死神は?」

「今は放っておけ。向こうもこっちも、まだ殺し合えるほど元気なら大したもんだ」

 

 男の一人が苦笑する。

 盃は視線を戦場へ戻した。

 

「ただし、妙な真似を始めそうな奴がいれば止めろ。話をする前にまた揉められちゃ面倒だ」

「聞かなかったら?」

「ぶん殴れ」

 

 即答すると、何人かが笑った。

 

「承知した」

 

 七人はそれぞれ散っていく。

 盃は彼らの背をしばらく眺めた後、煙管を口元へ戻した。

 

 *

 

 鬼蜘蛛は、近くに落ちていた一振りの刀の前で足を止めた。

 持ち主はすぐ傍に倒れている。鞘から抜けた刀身は半ばまで砂に埋もれ、血と白砂がこびりついていた。

 鬼蜘蛛は腰を落とし、柄を掴んで引き抜く。

 

「……ん」

 

 刃を傾けて眺め、指先で峰をなぞる。

 大きな刃こぼれはない。

 砂を軽く払い、そのまま脇に抱えた。

 数歩先には、真ん中から折れた刀が転がっている。

 そちらも拾う。

 折れた刀身と残された柄を見比べ、少し離れた場所に落ちていた切っ先まで探し出すと、二つを揃えて抱え込んだ。

 その様子を後ろから見ていた懐が、鞘に収まった一振りを見つけた。

 両手で持ち上げる。

 

「……重い」

「落とすなよ」

「うん」

 

 胸元に抱え直し、鬼蜘蛛の後を追う。

 禽雀も散らばった刀を拾いながら、二人について歩いた。

 戦場には、まだいくつもの骸が残っている。

 死神もいれば、罪人もいる。

 鬼蜘蛛はその顔を確かめることもなく、ただ傍らに残された刀だけを見つけては拾っていった。

 曲がったもの。

 鍔の欠けたもの。

 鞘だけが転がり、刀身が離れた場所まで飛ばされているもの。

 一本見つけるたびに足を止める。

 

「こっちにもあるよ」

 

 懐が指を差した。

 

「どれ」

「あそこ」

 

 倒れた男の身体の下から、柄だけが覗いている。

 鬼蜘蛛は男の肩を押して少し転がすと、その下から刀を引き抜いた。

 

「おお。よう見つけたな。鼻が利きよる」

「えへへ」

 

 妙な褒められ方をした懐が素直に喜ぶ。

 禽雀はその横で何とも言えない顔をしていたが、何も口にはしなかった。

 鬼蜘蛛の腕の中には、すでに何本もの刀が積み重なっている。

 それでも見つけるたびに拾うものだから、とうとう抱えきれなくなった一本がずり落ちた。

 

「あっ」

 

 落ちる寸前で、禽雀が受け止める。

 鬼蜘蛛が素早く振り返った。

 

「あっぶね。あねさん感謝じゃ。ええ女じゃ。モテるじゃろ」

「あなた、あまり人を褒めた事ないでしょう」

 

 禽雀は呆れながらも、受け取った刀を抱え直した。

 なぜか自分より褒められた禽雀に懐が少しむくれている。その顔まで可愛らしく見えて、禽雀の頬が僅かに緩んだ。

 そこへ、砂を踏む大きな足音が近づいてくる。

 

「何してんだ、お前ら」

 

 火黒だった。

 鬼蜘蛛はしゃがみ込み、砂の中から覗いていた鞘を引っ張り出している。

 

「刀拾っとる」

「見りゃ分かる」

「なら聞くな」

 

 火黒の視線が、三人の腕に抱えられた刀へ移る。

 その間にも、鬼蜘蛛はまた一本見つけて当然のように拾い上げた。

 

「……お前、拾ったやつ使うのか?」

「使う。ぜんぶ使う」

 

 火黒が少し目を細めた。

 

「さっき真打してたな?」

「まあな」

「お前、これぜんぶ真打できんのか?」

 

 ぎらついた目で確かめる言葉に、禽雀も先ほどの異様な光景を思い出し、鬼蜘蛛へ目を向けた。

 鬼蜘蛛は手にした刀の刃を確かめながら答える。

 

「できなかった試しはないな」

「へえ」

 

 火黒の口元がゆっくりと吊り上がった。

 

「そりゃ楽しみだ。やるときゃ俺にも見せろ」

「ええぞ。持つの手伝え」

「しゃあねえな」

 

 火黒が足元に転がっていた刀へ手を伸ばす。

 

「おい、丁寧にな。雑に扱うなよ。お前、力加減ヘタそうじゃ。くれぐれも慎重に」

「うるせえな!」

 

 怒鳴りながら拾い上げる。

 鬼蜘蛛は、その持ち方をじっと見た。

 

「……意外に繊細じゃな。見た目で損しとるじゃろ」

「大きなお世話だクソガキ!」

 

 火黒はそう言いながらも、拾った刀を肩へ担ごうとはせず、鞘ごと腕に抱えた。

 四人になってからは、刀が集まるのも早かった。

 鬼蜘蛛が刀身を見つければ、懐が近くの鞘を探す。禽雀は倒れた者の下敷きになったものを引き出し、火黒は離れた場所まで飛ばされた刀をまとめて持ってくる。

 

「これ折れてんぞ」

「持ってこい」

「使えんのか?」

「知らん。とりあえず持ってこい」

「ぜんぶ使うんじゃなかったのかよ」

「直るかもしらん」

「誰が直すんだ」

「しらん」

「知らんばっかじゃねえか!」

 

 懐が小さく笑った。

 その声に禽雀が横を見る。

 泣き腫らした目はまだ赤い。

 それでも、先ほどより表情には明るさが戻っていた。

 禽雀は何も言わず、足元に落ちていた鞘を拾った。

 その時だった。

 

「――貴様ら!!」

 

 腹の底から響くような大声が、戦場を横切った。

 懐が顔を上げる。禽雀も手を止め、火黒は拾い上げた刀を抱えたまま声の方へ視線を向けた。

 鬼蜘蛛だけは一瞬そちらを見たものの、すぐに興味を失ったように目の前の一振りへ意識を戻した。

 少し離れた白砂の上に、弾正盃が立っていた。

 散っていた罪人達だけではない。

 大虚との戦闘を生き延びた死神、帰還術式を担う術者達も、突然響いた声に次々とそちらを振り返っていく。

 盃は集まった視線をゆっくりと見回した。

 

「さて!」

 

 煙管を片手に、大仰に腕を広げる。

 

「自由になったわけだ! 枷もなく、刀もある!」

 

 罪人達の中から、低いざわめきが起こった。

 つい先ほどまで身体を締めつけていた拘束はない。奪われていた刀も、その多くが再び手元へ戻っている。

 盃は満足そうにそれを眺めていたが、不意に顔を横へ向けた。

 死神達。

 そして、その後方に固まっている術者達。

 目を剥くように見据え、口元を吊り上げる。

 

「そして――敵もいる!」

 

 空気が変わった。

 罪人達の視線が、引かれるように一斉にそちらへ向かう。

 さっきまで大虚を相手に共に刀を振るっていたことなど、何の保証にもならない。

 元を辿れば、自分達をここまで護送してきた者達と、流刑に処された罪人達だった。

 敵意を浴びた死神達が身構える。

 すでに誰もが消耗していた。傷を負っていない者を探す方が難しく、霊圧も目に見えて落ちている。

 それでも刀を握り直し、罪人達との間合いを測った。

 対して、術者達の多くは戦うことを役目としていない。

 武器すら持たぬ者達が、険悪になった空気の中で身を強張らせる。

 

「ここで鬱憤ばらしに、いじめてやってもいいが!」

 

 盃の声に、罪人達の間から笑いが漏れた。

 死神側の表情がさらに険しくなる。

 だが盃は、そこで罪人達へ向き直った。

 

「己はそれを、面白いとは思わん!」

 

 笑いが止まった。

 

「やりてえ奴ぁ止めんがな!」

 

 肩を揺らして笑う。

 何人かはつられるように笑ったが、先ほどまで死神達へ集中していた剥き出しの敵意は僅かに緩んでいた。

 盃は煙管を口元へ運ぶ。

 一度死神達へ向けさせた意識を、自分の言葉でこちらへ引き戻した。

 まだ足りない。

 だが、話を聞かせるところまでは来た。

 煙を吸い込もうとした、その時だった。

 白砂を踏む足音が近づいてくる。

 周囲のざわめきに紛れることもなく、ゆっくりと、まっすぐこちらへ向かってくる。

 盃が目を向けた。

 死覇装を纏った大柄な男、早蕨義衛門(さわらび ぎえもん)だった。

 普段の落ち着いた顔は、そこにはない。

 暗く沈んだ眼差しが、盃だけを捉えている。

 殺意を隠そうともしていなかった。

 近くにいた同心の一人が気づき、盃の前へ出ようとする。

 もう一人も刀へ手を掛けた。

 盃は片手を上げた。

 

「いい」

 

 二人が止まる。

 義衛門はそのまま歩み寄り、盃から数歩離れたところで足を止めた。

 盃は煙管を咥えたまま、正面からその目を見る。

 

「おう。どうした?」

 

 義衛門は答えなかった。

 一度、奥歯を噛む。

 それから、低く問いかけた。

 

「吉良殿を殺したのは――」

 

 声は静かだった。

 その静けさの底に、抑え切れないものだけが滲んでいる。

 

「お前で、合っているか?」

 

 盃はすぐには答えず、煙管を口元から離した。

 惨蔵をあそこまで追い込んだのは、素性も知れぬ人狼族だ。

 とどめを刺したのは、顔を隠した女だった。

 自分が直接手を下したわけではない。

 とはいえ、段取りを組んだのも、あの状況へ持ち込む筋を作ったのも盃である。

 他人の手柄を掻っ攫うようで、少し気まずくはあるが。

 (……まぁ、いいか)

 盃は義衛門の暗い眼差しを正面から受けた。

 

「……ああ。そう思ってくれていいぞ」

 

 その返事を聞いた義衛門は、顔を伏せた。

 ただ俯いたまま、じっと白砂を見ている。

 あまりに静かだった。

 義衛門の胸の奥であまりにも長い間煮え続けていた情念が、もう怒りなどと呼べる形すら保てなくなっていた。

 

「……そうか」

 

 深く、静かな一言だった。

 

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