千年前欠史変   作:鬼屋敷

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18、会談

 

 よりにもよって、盃が会議の場に選んだのは、罪人達が拘束されていた大部屋だった。

 壁際には拘束用の椅子が並び、手足を固定する金具も当然そのまま残されている。

 

「広いし、馴染みがあるだろ」

 

 そう言ってこの場所を選んだ盃本人は、「好きに座れ」とだけ告げて、どっかりと床へ胡坐をかいていた。

 各集団の顔役が、会合のために一度に揃うのはこれが初めてになる。

 

 惨蔵直下の死神をまとめる壬剣陣兵(みつるぎ じんべい)。

 

 鬼道衆を含む術者達の代表、葛城玄庵(かつらぎ げんあん)。

 

 盃の同心である夢枕蔵人(ゆめまくら くらんど)と四十万乱麻(しじま らんま)。

 

 禽雀が所属していた思誠衆(しせいしゅう)の頭、龍頭一美(りゅうどう かずみ)。

 

 反旗を上げた勢力の物資流通の要であった茉莉花社中(まつりかしゃちゅう)の代表、百目木鳴子(どうめき なるこ)。

 

 各地の義侠を繋いだ逆天組(さかてんぐみ)を率いる黒駒威十郎(くろこま いじゅうろう)。

 

 早蕨義衛門をはじめとした、冤罪をかけられた六名。そして、どこにも属さぬ個人。

 人数だけを見れば、二十にも満たない。

 だが、三つの集団は元から盃と結びついている。

 惨蔵を失った死神側は、数こそ残っていても立場が弱い。その他の者達は個々に強くとも、組織としてまとまっているわけではなかった。

 盃が議長を名乗る必要などない。

 すでに、この場の中心には盃がいた。

 禽雀が部屋へ入り、その後から火黒も面倒臭そうについてきた。

 

「おう、ご両人。来たか」

「その言い方、やめてもらえますか」

「ガキ二人と仲良くやってるようだな。実に結構」

 

 禽雀が露骨に顔をしかめる。隣の火黒は、自分には関係ないとばかりに欠伸をした。

 

「いやまぁ、半分は冗談だが、ガキ共の面倒見は本当に助かっているんだ」

「まだ協力しているつもりはありませんが」

「そうだなぁ」

 

 盃は笑ったまま応じる。

 禽雀はその余裕が癪に障りつつ、空いていた椅子へ腰を下ろした。

 火黒も適当に椅子を見たが、鼻を鳴らすと地べたに胡坐をかいた。

 

「まぁ、揃ったことだし好きに喋れ。今日はそのために集めた」

 

 全員の視線が盃に向く。

 

「陰でこそこそ席を設けているようだが、各々あとで、あれが違うだのこれじゃ合わんだの揉めるのもつまらないだろ。腹を割れ。意見があれば出せ。揉めるならここで揉めろ。何を言っても許してやる」

「揉めさせて楽しみたいだけだろ、チンピラが」

 

 黒駒が呆れたように零した。

 盃は愉快げに頷く。

 

「すべて己の胸三寸――と暴君になってもいいんだがな、畏縮してる奴らばかり目についても景気が悪い。己が下らぬ内患を面倒くさがる前に、さっさと全部吐き出せ。後からは聞かんぞ」

「では舟の事からだ」

 

 盃の言葉を受けて、最初に口を開いたのは鬼道衆の葛城玄庵だった。

 地べたに膝をつき、目の前には舟の術式を描き直した紙が何枚も広げられている。筆の端を咥えながら、遠慮もなく語り始めた。

 

「現状、動かすだけなら問題ない。帰還は無理だ。惨蔵さんが担っていた霊圧供給を失った穴が大きい」

 

 その名が出た瞬間、何人かの視線が動いた。

 玄庵は構わず続ける。

 

「複数人で代替はできる。当然、相応の霊圧は必要だが、惨蔵さんの水準を期待するには酷だな。以前と同じ運用は捨てた方が早い。術式そのものを今、組み直している」

「帰るだけなら盃殿が道を繋ぐと言ってるだろ」

 

 龍頭一美が言う。

 

「舟にそこまで手を掛ける必要があるのか?」

「ある」

 

 玄庵は一美ではなく、盃を見た。

 

「こいつが死んだら終わりだ。帰してやると言われたところで、お前ら戦闘屋の明日なんて何の信用もない」

 

 あまりに容赦のない言い草に、盃と蔵人は顔を見合わせて笑い出した。

 

「ひでえな。はっきり言いやがって」

「そこまで言い切られると清々しいな。悪くない」

「俺はお前の刀より、自分の頭と腕を信用する。舟は舟で直す。それだけだ」

「妥当ね」

 

 百目木鳴子があっさり同意した。

 

「盃一人に依存する仕組みなんて、何かあった時に全部止まる」

「おいおい、貴様も己が死ぬ前提か?」

「これから生存競争だもの。当然の見立てじゃない」

 

 その一言で、先ほどまで笑っていた空気が少し引き締まった。

 盃の演説を聞いた者なら、誰もが分かっている。

 帰るだけでは終わらない。

 尸魂界へ戻り、何かを壊す。

 そのために虚圏で力を集める。

 だが、それをこの場の全員が了承したわけではなかった。

 

「その前に一つだ」

 

 低い声を挟んだのは、冤罪により流された一人だった。

 

「帰る話をしているが、そいつらが惨蔵を潰さなきゃ、俺達はもっと穏便に帰れたんじゃねえのか」

 

 恨みがましい視線が火黒へ向く。

 腹心であった壬剣陣兵も、同様に火黒へ目を向けた。

 

「俺達は何かをしてここへ来たわけじゃねえ。嵌められただけだ。惨蔵さんが手引きしてくれる手筈を、お前らの都合で潰された」

「はっ、知るかよ。あほくせえ」

 

 火黒は心底つまらなそうに吐き捨て、欠伸を漏らした。

 男の眉が吊り上がる。

 

「なんだと」

「気に入らねえなら殺しにくりゃいい。いつでもいいぞ。なんなら今から寝るから、やってみりゃいい」

 

 火黒はそれだけ言うと、胡坐を崩してごろりと寝転んだ。

 

「ふぁ……なんで俺呼ばれたんだよ。つまんね。終わったら起こせ……」

「てめえ――」

「やめておけ」

 

 男が立ちかけると、陣兵がそれを制した。

 盃は楽しそうにその様子を眺めている。

 

「惨蔵殿を真打に追い込む使い手に、お前ごときが何かできる事はない」

「なんだと!」

「それより――」

 

 陣兵の視線が禽雀へと移る。

 禽雀もまた陣兵を見る。

 かつて惨蔵の下で働いていた頃、禽雀にとって陣兵は惨蔵に次ぐ上司だった。

 

「志波」

「はい」

「何か言うことはあるか」

「特に」

 

 即答だった。

 陣兵の目が僅かに細くなる。

 

「――貴様の離反の事情は察するが」

「これは尋問でしょうか。どの立場で?」

 

 禽雀の声音には、挑発すらなかった。

 それがかえって場を冷やした。

 陣兵の表情が殺気立つ。

 

「面白い」

 

 盃が初めて割って入った。

 

「いや、面白い。見事に遺恨が根深いのも分かった。なら、今ここで決着はつかん」

「待て、まだ――」

「後日きっちり殺し合ったらいい」

 

 盃が煙管をふかして笑う。

 

「決着をつけたいならそれだ。ここに法はない。違うか?」

 

 陣兵が黙る。

 冤罪をかけられた男も、これ以上何かを言う様子はなかった。

 

「この話は飛ばせ。他は?」

 

 盃の軽い声に、しばらく沈黙が漂う。

 そこには火黒の小さないびきだけが流れた。

 黒駒が鼻で笑う。

 

「大した肝だ」

「よく分からん奴だな。こいつも」

 

 蔵人が返す。

 わずかに空気が緩んだ。

 その隙を縫うように、鳴子が盃へ視線を戻した。

 

「で、さっきの続きだけど」

「ああ」

「本当にやる気なのね。尸魂界に」

 

 今度は誰も横から口を挟まなかった。

 盃は胡坐をかいたまま、口元だけで笑った。

 

「やるさ」

 

 演説の時のような熱はなかった。

 むしろ、妙に静かだった。

 鳴子は目を細めた。

 

「勢いで言っていたわけじゃない、と」

「喋くってた時はほぼ勢いだぞ。腹が立っていたのも本当だ」

 

 盃は煙管を指先で転がす。

 

「だが、腹が立ったからって何も考えずに殴り込めないだろ。そこまで己は若くない」

「どのくらいを見込んでる」

 

 今度は黒駒が訊いた。

 盃は少しだけ笑みを深くした。

 

「ここにいる連中だけじゃ到底勝てないと思ったからこんなとこまで来たわけだ。多少暴れるくらいで尸魂界はひっくり返らねえ。己に火黒、早蕨、あんたや他も弱くはない。だが、まだまだ足りねえな」

 

 一美が身を乗り出す。

 

「それで虚を集めるって話ですな」

「おうよ」

 

 盃は迷いなく頷いた。

 

「こっちへ来てまだ大して日も経ってないが、見りゃ分かる通り虚圏は広い。広すぎる。そこら歩いてる雑魚を百や二百集めたところで大した意味はないが、上には上がいる」

 

 昨日の襲撃。

 白砂の向こうから次々と現れた巨体。

 そして、それらを容易く屠った者達。

 この場にいる誰もが、虚圏の底がまだ見えていないことくらいは理解していた。

 

「狙うのは数か質かじゃない。両方だ」

 

 盃が指を一本立てる。

 

「まず、死神の席官連中とまともにやり合える程度の虚。これを複数」

 

 二本目。

 

「その上。単独で隊長格に食いつけるような化け物が、一体でも二体でも見つかれば話は一気に変わる」

 

 三本目。

 

「さらに、そいつが群れを持っていれば上出来だ。頭一つ引き入れて、下がまとめて動くなら手間が省ける」

 

 陣兵の眉が僅かに動いた。

 

「随分、都合のいい見積もりだな」

「そうか? 貴様ら死神は長いこと虚を斬ってきたんだろ。強い虚が存在しないとは言わせんぞ」

「存在することと、それと都合よく遭遇するか。こちらへ従うかは話が別だ」

「その通り。全部拾えるなんぞ思ってない。十見つけて一つ噛めばいい。百見つけて十噛めば大当たりだ」

「ずいぶん雑ね」

 

 鳴子が呆れ半分に言う。

 

「未知の土地の戦力見積もりを、精密に出せと言う方が無茶だろう」

「それはそうだけど」

「だから幅を持たせる。下なら下で計画を縮める。上振れりゃ広げる。現状、確定してないものを確定した顔で数える方が、よほど馬鹿だ」

 

 玄庵は舟の図面から目を上げずに口を挟んだ。

 

「で、その上振れを作るために、あの娘の力を使う気か」

 

 禽雀の視線が鋭く盃へ向いた。

 盃はそれに気づき、愉快そうに笑った。

 

「お。来たな」

「何がですか」

「いや、そろそろ噛みつく頃だと思ってた」

 

 禽雀の眉間に皺が寄る。

 

「……懐のことです」

「ああ、そこはちゃんと話しとかないとな」

 

 盃は少しだけ姿勢を起こした。

 鳴子が腕を組む。

 

「もう一人の子供は?」

「鬼蜘蛛か」

 

 その名を出した途端、盃の顔に今までとは違う種類の笑みが浮かんだ。

 

「はは、ありゃあな。手に負えん」

 

 何人かが微妙な顔をする。

 

「手綱や首輪じゃなく、餌でもなんでもご機嫌取って、なんとかこっちに置いとけりゃあ儲けもんだ」

「そこまでか」

 

 黒駒が低く問う。

 

「あぁ、なんせ人の領域で生きてる奴ではない」

 

 盃は楽しそうに煙管を咥えた。

 

「あれを己の配下だの戦力だのと数える気はない。勝手に居着いて、勝手に暴れて、たまたま己らに都合よく噛み合ってくれりゃ御の字さ」

 

 禽雀の表情がさらに険しくなる。

 

「……それで、懐は?」

 

 盃が煙を吐く。

 今度は笑みを残したまま、禽雀を見た。

 

「そっちは話が違う」

 

 禽雀の目が細くなる。

 

「どう違うんですか」

「鬼蜘蛛は、そもそも己らの都合でどうこうできる相手じゃない。懐は違う。少なくとも話は通じるし、こちらの事情も理解する」

「随分と都合のいい言い方ですね」

「都合がいいから使えると言ってる」

 

 間髪入れず返され、禽雀の眉間に皺が寄った。

 盃は気にした様子もなく、煙管を指先で弄ぶ。

 

「先日、あなたは懐の力を前提に話をしましたよね」

「そうだな」

「虚にも通用するなら、こちらへ取り込めるかもしれない。そういう話でした」

「したな。付け加えるなら、ほぼ確信してる」

 

 あっさり認める。

 その言葉に、陣兵や鳴子も僅かに視線を向けた。

 

「根拠は?」

 

 鳴子が尋ねる。

 

「人間にだけ効く力だと考える理由がない。あれは相手の種族や立場を見て働いてるようには見えなかった。心に何かあるなら、そこへ食い込む。虚だろうが同じだろうさ」

「推測でしょう」

「だから確かめるんだよ」

 

 禽雀の視線が刺す。

 盃は笑みを崩さない。

 

「その話を進めるつもりなら、先に聞いておきます。具体的には懐に何をさせるつもりですか」

「細かいことを省くなら、検証からだろうな。人間はもう分かったから、虚からでいい」

「……懐を虚の前に連れていくつもりですか」

「そうなるな」

 

 迷いのない返答だった。

 禽雀の表情が一段険しくなる。

 

「そこらの虚を適当に捕まえて、動けんようにしてから試せばいい。わざわざあの娘を危険なところへ放り込む必要はない」

「……抵抗できない状態にしてから?」

「ああ。それで効くなら次を考える。効かんなら、そこであの娘はただの愛護対象。それまでだ」

 

 言葉だけを拾えば、冷たい。

 だが少なくとも、懐を餌にして虚へ近づけるような真似をする気はないらしい。

 禽雀は少し間を置いた。

 

「本人が嫌がった場合は?」

 

 盃が首を傾ける。

 

「嫌がる理由を聞く。それから、なるべく寄り添う。安心材料を与える。好奇心もな」

「それでも嫌だと言ったら?」

「さぁ。そこまで考えてないな」

 

 盃は肩を竦める。

 

「釈迦に説法だが、あの娘はそれでも嫌と言いそうか?」

 

 禽雀は、すぐには答えなかった。

 

「……言わないでしょうね」

「だろうな」

 

 盃はあっさり頷いた。

 その返しが、禽雀には癪だった。

 

「あの子は、怖くても、誰かの役に立てると思えば頷きます。自分が嫌かどうかを後回しにすることもある」

 

 盃は黙って聞いていた。

 

「本人がいいと言った。それだけで済ませないでください」

「なるほどな。分かった。心得よう」

 

 今度は茶化さなかった。

 胡坐をかいた膝へ肘を置き、少し考える。

 

「己には、あの娘がどこまで我慢してるかなんぞ分からん。貴様なら分かるんだろ。なら、そこはこちらが従う」

 

 禽雀は僅かに目を細めた。

 

「こちらの意を優先するという事ですか?」

「ああ。代わりに責任は背負え。勝手に決めるなと言ってるお前を、決める側に入れると言ってる」

 

 盃はそこで口元を緩めた。

 

「その方がお前も安心だろうし、腹も決まるだろう。己も後から刺されるのは御免だ」

「最後の一言がなければ、少しは見直したんですが」

「大いに見直しただろう」

 

 禽雀は小さく息を吐いた。

 完全に信用したわけではない。

 だが、自分の判断を通す余地があるのなら、少なくとも知らぬところで話を進められるよりは遥かにいい。

 

「……分かりました。検証をする時は、私も立ち会います」

「そうしてくれ。あの娘もその方が安心するだろう」

 

 ひとまず話が落ちたところで、鳴子が腕を組んだまま盃を見る。

 

「それで、その検証が上手くいったとして。どこまでを想定してるの?」

「虚の数か?」

「それも含めて。さっきから話を聞いてると、ずいぶん大きなところまで見てるでしょう」

 

 盃は煙管を咥え直した。

 

「せっかくこんなところまで来たんだ。拾えるもんは拾うさ」

 

 その横で、床に転がった火黒が小さく寝返りを打つ。

 

「……ぐぅ」

 

 何人かがそちらを見た。

 禽雀は額へ手を当てる。

 

「本当に、なんでこの人呼ばれたんですか」

「寝てようが貴重な戦力だ。言いたいことがある時はなんか言うだろ」

 

 盃は平然と答えた。

 それからも、いくつか意見は出た。

 盃の目論見に乗る者。そこまでは付き合わないと明言する者。帰る手段さえ確保できればそれでいいと言う者もいる。

 当然、綺麗にはまとまらなかった。

 盃もまとめる気はなかった。

 

「まぁ、そんなもんだろ」

 

 煙管の灰を落としながら、満足そうに周囲を見回す。

 

「誰が何考えてるかくらいは分かった。今はそれで十分だ」

「結局、何も決まってないんじゃないの?」

 

 鳴子が呆れたように言う。

 

「決まったこともある。決まらんこともある。決まらんもんを無理に決めたふりするよりマシだ」

 

 それに反論する者はいなかった。

 尸魂界へ戻るという一点ですら、目的はそれぞれ違う。

 盃と共に牙を剥く者もいれば、ただ帰りたい者もいる。惨蔵の死をまだ呑み込めていない者もいれば、そんなことより明日をどう生きるかしか考えていない者もいた。

 それでも今は、同じ舟にいる。

 その程度の結束だった。

 

「じゃあ終わりだ。後で言いたいこと思いついても、己は知らんぞ」

 

 盃が立ち上がる。

 それを合図にしたように、部屋の空気が一気に緩んだ。

 椅子から腰を上げる者。残って話を続ける者。早々に外へ出ていく者。

 禽雀も立ち上がった。

 まずは懐のところへ戻るつもりだった。

 部屋を出て、そのまま足早に舟の中を進む。

 用意した個室の前まで来て、扉を開けた。

 

「懐?」

 

 返事はない。

 部屋は空だった。

 禽雀の動きが止まる。

 寝具はそのまま。

 懐の荷物もある。

 いないのは、本人だけ。

 

「……」

 

 ゆっくり振り返る。

 当然、鬼蜘蛛の姿もなかった。

 嫌な予感が一気に膨らんだ。

 

「誰か、鬼蜘蛛を見ませんでしたか!」

 

 声を上げながら通路へ戻る。

 近くにいた者が驚いて顔を上げた。

 

「あの赤髪のガキか? 嬢ちゃんと一緒じゃなかったか。少し前に外へ――」

「外?」

 

 禽雀の声が低くなった。

 男が一歩引く。

 

「いや、その……普通に出てったから……」

 

 最後まで聞く前に、禽雀は走り出した。

 舟の外へ出る。

 白砂が広がる。

 黒い空。

 どこを見ても、二人の姿はない。

 

「……あの子……!」

 

 遅れて何人かが外へ出てきた。

 盃もいる。

 

「どうした」

「鬼蜘蛛と懐がいません」

「は?」

「外へ出たそうです。かなり前に」

 

 一瞬だけ、盃から笑みが消えた。

 火黒までいつの間にか起こされており、眠そうな顔で舟の縁に立っている。

 

「探します」

 

 禽雀がすぐに言う。

 陣兵が周囲へ視線を走らせた。

 

「方角は?」

「分かりません」

「霊圧は」

「遠すぎるのか、ここからでは――」

 

 その時だった。

 誰かが白砂の向こうを指した。

 

「……おい」

 

 遠く。

 砂丘の陰から、巨大な影が現れた。

 大虚。

 その姿を認めた瞬間、死神達の手が一斉に刀へ伸びる。

 甲殻に覆われた巨体。

 不規則に突き出す、無数の棘。

 真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 

「構えろ!」

 

 陣兵の声が飛ぶ。

 玄庵が露骨に嫌そうな顔で図面を抱えて後ろへ下がり、火黒だけが眠そうに目を細めた。

 禽雀も刀へ手を掛ける。

 だが。

 

「……待って」

 

 鳴子が目を凝らした。

 虚は襲いかかってこない。

 両腕を胸の前へ持ち上げ、何かを大切に抱えるようにして歩いている。

 距離が縮まる。

 巨大な掌の上。

 そこに、小さな影が二つ見えた。

 

「……え?」

 

 禽雀の声が抜けた。

 鬼蜘蛛だった。

 その隣に、懐がいる。

 懐は巨体の掌の上にちょこんと座り、舟の前に集まった大人達を見つけると、ぱっと顔を明るくした。

 

「姉様ー!」

 

 大きく手を振る。

 禽雀は絶句した。

 その横で鬼蜘蛛が眠そうにあくびをする。

 そして二人を乗せた虚――アマルガムは、まるで送り届けることが当然であるかのように、悠々と舟へ近づいてきた。

 

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