千年前欠史変   作:鬼屋敷

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19、説教

 

「さっきは、悪かったな」

 

 アマルガムがそう言った瞬間、鬼蜘蛛の両拳がぐっと握られた。

 

「……よし」

 

 弾けるように立ち上がり、ニヤニヤとあくどい笑みを浮かべる。

 

「やっぱ効いとるぞ。見立て通りじゃ。虚にも効いたぞ、『愛喰』」

「う、うん……」

 

 少し離れたところで見守っていた懐は、未だ状況を呑み込み切れていない様子で頷いた。

 先ほどまで自分達を喰おうとしていた虚が、今は何事もなかったように鬼蜘蛛と向き合っている。

 鬼蜘蛛はそんなアマルガムの周囲をぐるりと回った。

 

「おい、どうじゃ。わしを殺したいか? うざいか?」

「いや、別に。ちょっとうざい」

「喰いたいか?」

「腹は減ってるけど、お前らはもういい」

「ほほう」

 

 顎へ手を当て、しばらく観察する。

 やがて満足したのか、大きく頷いた。

 

「よし。お前、今日からわしの舎弟じゃ」

「……なんでだよ」

「わしがお前を倒したからじゃ」

 

 あまりにも当然のことのように言い切られ、アマルガムが黙る。

 しばらく考え込んだ末、巨体が僅かに傾いた。

 

「……まあ、倒されたのは事実だからな。それでいいが」

「はっはー!」

 

 鬼蜘蛛はますます気を良くした。

 

「わしのことは、あにさんと呼べ」

「はぁ、あにさん」

「……いい響きだ」

 

 満悦だった。

 その横で、懐がアマルガムを見上げる。

 

「懐は、懐っていうの。お名前は?」

「あ?」

 

 アマルガムは少しだけ顔を下げた。

 

「アマルガムだ」

「あまるがむ?」

「ああ」

 

 懐は一度その名を口の中で転がすように繰り返し、それから嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、がむくん」

「……くん?」

 

 鬼蜘蛛が横から、くっくっくとニヤニヤしている。

 

「悪くないな、舎弟。急に愛い奴に見えてきた」

「うるせえな、あにさん」

「どこぞの犬と違って学ぶのが早いようじゃ。よしよし」

 

 鬼蜘蛛はますます上機嫌になり、アマルガムの甲殻をばしばしと叩いた。

 

「そういやお前、腹すかしとるんじゃったな。どこぞで飯でも調達するか」

「この辺いねえぜ」

「ふむ。まぁどっか適当に」

 

 鬼蜘蛛は答えながら、白砂の向こうへ目をやった。

 気づけば、舟はとうに見えない。

 来る時は『尺躍』で一気に距離を縮めてきたが、今度は懐もいる。試したいこともだいたい済んだ。

 

「そろそろ戻るか」

「姉様……」

 

 懐が思い出したように小さく呟く。

 その顔から、先ほどまでの楽しそうな色が少し引いた。

 

「……怒ってるかな」

「ばちばち怒っとるじゃろうな」

「やっぱり?」

「外出るな言うとったじゃろ。ブチぎれてるに決まっとるわ」

「くもくん……」

「なんじゃ」

「くもくんが行こうって言ったんだよ」

「おう。お前もほいほい来たな」

「……そうだけど」

 

 懐がしょんぼりと俯く。

 鬼蜘蛛は気にも留めず、散らばっていた刀をまとめ始めた。

 

「まぁ気にすんな。説教なんぞで人はくたばらん。少しの間、退屈なだけじゃ」

「怖いよぉ……」

「はっ、雑魚め」

 

 そんな二人を、アマルガムが見下ろしていた。

 

「舟って、どっちだ」

 

 鬼蜘蛛が適当な方向を指差す。

 

「あっち」

「遠いのか?」

「結構」

「乗るか?」

 

 鬼蜘蛛の手が止まった。

 

「ほお? 足になってくれるんか?」

「そのくらいなら付き合ってやる」

 

 巨大な掌が白砂の上へ差し出される。

 鬼蜘蛛の目が輝いた。

 

「舎弟、使えるではないか!」

「がむくん、ありがとう」

「いいさ、あねさん」

 

 鬼蜘蛛とお揃いのような呼ばれ方に、懐の頬がほころんだ。

 二人が掌へ乗ると、アマルガムはゆっくりと立ち上がる。

 懐は甲殻の縁へ手を掛け、少し高くなった景色に目を丸くする。

 

「わぁ……」

「落ちるなよ」

「うん!」

「わしは落ちても平気じゃぞ」

「あんたにゃ聞いてねえよ、あにさん」

「生意気じゃのう。愛い奴め」

 

 鬼蜘蛛は機嫌良く笑い、懐もつられて笑った。

 そうして三人は、舟へ向かって白砂を進んでいった。

 

     *

 

「……という訳じゃ。洗いざらい吐いたし、もう正座崩してええか?」

「駄目」

 

 即答だった。

 鬼蜘蛛の顔が露骨にしかめられる。大きな舌打ちも鳴った。

 舟の一室。

 床には鬼蜘蛛と懐が並んで正座させられていた。

 向かいには禽雀。

 笑っていない。

 

「懐も?」

「懐も」

「……はい。ごめんなさい」

 

 懐はしゅんと肩を落とし、膝の上で指をもじもじと動かした。

 鬼蜘蛛はまだ納得がいかないらしく、自分の痺れ始めた足をちらちら見ている。

 

「おい、不服申し立てる。虚に効いたぞ。これはでかい成果じゃ。しかも舎弟までできた」

「結果の話はしていません」

「帰っても来た。あねさんの大事な懐に傷一つつけずにな」

「一つでも傷があれば、この程度で済ますはずもないけど」

 

 禽雀の視線が鋭くなる。

 鬼蜘蛛は口を閉じた。

 懐もびくびくと背筋を伸ばす。

 

「懐」

「……はい」

 

 禽雀が静かに名前を呼ぶ。

 

「姉様が何を言ったか、覚えてる?」

 

 懐は俯いた。

 

「……外に出ないでって」

「覚えていたのに、出てしまったの?」

「……はい」

「鬼蜘蛛について行きたかったから?」

 

 少し迷う。

 それでも、懐は小さく頷いた。

 

「……一人が嫌で」

 

 禽雀はそこで初めて、ほんの僅かに息を吐いた。

 

「心配した」

 

 懐の肩がさらに縮こまる。

 

「戻って来なかったらどうしようって。本当に、怖かった」

「……ごめんなさい」

 

 懐は膝の上へ視線を落としたまま、素直に謝った。

 鬼蜘蛛が横からその顔を覗き込む。

 

「解決じゃな。もういいか? まったく、巻き込まれて散々じゃ」

「鬼蜘蛛」

「はい」

 

 今度は鬼蜘蛛まで姿勢を正した。

 

     *

 

 どうやら、例の小僧は禽雀から相当な大目玉を食らったらしい。

 義衛門が姿を見つけた時には、説教そのものはもう終わっていた。

 今は声を掛けない方がいいかもしれない。そう思って少し離れたところから様子を窺ってみたが、心配はまるで要らなかった。

 鬼蜘蛛は床に何振りもの刀を並べ、口笛など吹きながら一振りずつ手入れをしていた。堪えた様子など欠片もない。むしろ機嫌すら良さそうで、刃を翳して眺めては、満足げに布を滑らせている。

 その姿にしばらく迷ってから、義衛門はようやく近づいた。

 

「……あ、あー、その」

「あ?」

 

 口笛が止まり、赤い頭が上がった。

 正面から顔を合わせるのは、これが初めてだった。

 

「……鬼蜘蛛、でいいか?」

「あぁ」

 

 素っ気ない返事だったが、追い払う様子もない。

 義衛門はその傍らへ目を落とした。

 何振りもの斬魄刀に混じって、探していた一振りがある。

 

「その『九ツ』なんだが……少しの間、貸してもらえないか」

「まぁええけど――」

 

 鬼蜘蛛の手が伸びかけて、止まった。

 何かに気づいたように義衛門を見る。

 

「……代わりに始解見せてくれ。真打しか見てなかった」

「始解?」

「おう」

 

 思いがけない条件だった。

 義衛門は鬼蜘蛛の顔をしばし眺めたが、それ以上を要求してくる様子もない。

 

「……まあ、それなら」

 

 刀を抜く。

 解号と共に『落涙』が姿を変えると、鬼蜘蛛の目が露骨に輝いた。

 真打とは違う。

 刃の周りを流れる雨を食い入るように眺め、角度を変えろだの、もう少し近くで見せろだのとひとしきり騒いだ末、ようやく満足したらしい。

 

「よし」

 

 それで取引成立、とばかりに『九ツ』を差し出してきた。

 義衛門は両手で受け取った。

 少し離れたところへ腰を下ろし、膝の前へ静かに置く。

 あの時、帰れるとは思っていなかった。

 何もかも奪われ、罪まで着せられ、最後には世界の外へ捨てられた。あとはここで死ぬまで生きるしかないのだと、半ばそう思っていた。

 惨蔵が、自分達を密かに帰そうとしていたと知ったのは、その後だ。

 結局、その願いは叶わなかった。

 それでも。

 帰れるかもしれないと、ほんの一度でも思わせてくれた。

 己達を見捨てていない者がいたのだと知れた。

 それだけで、あの時の義衛門は救われた。

 目を閉じ、静かに手を合わせる。

 何を祈るでもなく、ただ長く頭を下げていた。

 

「……そんだけ熱心に手ぇ合わせられんなら、あのおっさんも捨てたもんじゃないんじゃな」

 

 不意に声が落ちてきた。

 義衛門は目を開き、鬼蜘蛛を見る。

 

「惨蔵殿を知っているのか?」

「まぁな。あのおっさんにふんじばられて今ここにおる」

「……そうだったのか」

 

 義衛門は僅かに目を伏せた。

 会議の場で交わされた言葉が、頭をよぎる。

 惨蔵を殺した者達と、それを許せない者達。あの場には、まだ消えていない感情がいくつも燻っていた。

 

「お前も、惨蔵殿を恨んでるのか?」

「いや、ぜんぜん?」

 

 あまりにも軽い返事に、義衛門が顔を上げる。

 

「最近までは恨んどったな。刀全部取られたし」

「最近まで?」

「くくく」

 

 疑問に答える代わりに、鬼蜘蛛は妙に機嫌よく笑った。

 義衛門の前に置かれていた『九ツ』をひょいと取り上げ、そのまま一息に真打まで解き放つ。

 足元へ広がった影が揺れた。

 次の瞬間、その中から刀が一振り、二振り――ばらり、ばらりと吐き出される。

 

「盗られた刀、全部入っとった」

 

 鬼蜘蛛は得意げに影を指差した。

 

「そんで収納までできるときとる。いくら拝み倒しても足りん」

 

 言うなり『九ツ』を抱え込み、頬ずりまで始める。

 義衛門はしばし何も言えず、その様子を眺めた。

 やがて、苦笑いが漏れる。

 惨蔵への評価がそんな理由でひっくり返る者がいるとは、さすがに思っていなかった。

 鬼蜘蛛は何事もなかったように『九ツ』を戻すと、また別の刀を手に取った。

 磨き始めたその横顔を見ながら、義衛門はふと尋ねる。

 

「お前みたいな子供が、なぜ流刑のような目に遭うことをして捕まったんだ?」

「あぁ、殺しじゃ」

 

 布を動かす手すら止めず、鬼蜘蛛は答えた。

 義衛門の眉が動く。

 だが、驚きは長く続かなかった。

 真打で見せた、あの異様な光景を思い出せば、この少年が見た目通りの存在でないことくらいは分かる。

 

「……理由を聞いてもいいか?」

「かたき討ち? ……ぬー、なんじゃろな。渡世の義理というか」

 

 今度こそ、義衛門は意外そうに鬼蜘蛛を見た。

 渡世の義理。

 そんな言葉とは、最も縁遠そうに見える。

 鬼蜘蛛はその視線を気にするでもなく、傍らへ手を伸ばした。

 そこに立てかけられていた一振りを取る。

『九ツ』の影へ放り込まれた他の刀とは違う。

 いつでも手を伸ばせば届く場所に、最初から置かれていた刀だった。

 

「『べっこう飴』って刀じゃ」

 

 鞘を軽く叩く。

 

「昔けっこう世話になった女のもんじゃ。腹が減って死にそうなのを何回か救われた」

「……その人は」

「偉い奴に殺されたんだと。迫られてたのを断り続けてたら、かどわかされそうになったらしい。抵抗したら殺されたんじゃと」

 

 鬼蜘蛛の声には、怒りも悲しみも滲んでいなかった。

 ただ、知っていることをそのまま並べている。

 

「ほんでまた腹が減って死にそうになった時あってな」

 

『べっこう飴』へ目を落とす。

 

「今あいついたらわし腹減ってねえよな、と思ったらむかっ腹が立って。捨てられてた『べっこう飴』に聞いて、あいつ殺した奴殺したんじゃ」

「…………」

 

 義衛門は少し引いた。

 仇討ちと聞いた時、自分にもどこか重なるところがあるのかと思った。

 今となっては、その考えを取り消したかった。

 むしろ一緒にされたくないとすら思う。

 そんな義衛門の胸中など知る由もなく、鬼蜘蛛は話は終わったとばかりに『べっこう飴』を元の場所へ戻した。

 別の刀を取り、また黙々と磨き始める。

 しばらく、布の擦れる音だけが続いた。

 

「……お前は」

 

 義衛門が口を開く。

 

「向こうに戻りたいと思うか?」

「あ? いや、どっちでも」

 

 即答だった。

 

「何かないのか? 会いたい人とか、やりたかったこと。残してきたもの……未練は」

「ないな」

 

 鬼蜘蛛は刀身の曇りを確かめながら答える。

 

「刀があればいい」

「……そうか」

 

 義衛門はその横顔を見た。

 何も持たないからなのか。

 何にも縛られないからなのか。

 それとも、そもそも自分とはまるで違うところに立っているのか。

 

「強いな。お前は」

「お前もたいがい強かったぞ」

 

 間髪を入れず返ってきた。

 義衛門は一瞬、目を瞬かせる。

 どうやら、まったく別の意味で受け取られたらしい。

 それが妙に可笑しくて、身体のどこかに入っていた力が少しだけ抜けた。

 

「くもくーん」

 

 廊下の向こうから声が飛んできた。

 鬼蜘蛛の手がぴたりと止まる。

 次いで、見るからに嫌そうな顔になった。

 

「はぁー。面倒な保護者持ちが来よった」

 

 肩を落とす。

 ほどなくして懐が駆けてきた。その少し後ろを、禽雀が歩いてくる。

 義衛門は彼女の顔を見た途端、先ほどまでとは別の意味で居心地が悪くなった。

 一瞬迷い、それでも立ち上がる。

 

「……その節は、すまなかった」

「あ、はい」

 

 禽雀もまた、どう返したものか困ったように顔を逸らした。

 惨蔵を巡って互いに思うところがないはずもない。

 だが、ここで何かを言い合うには、どちらもあまりにばつが悪かった。

 

「がむくんは?」

 

 そんな二人を綺麗に無視して、懐は鬼蜘蛛の隣へしゃがみ込んだ。

 

「帰っちゃったの?」

「いや。盃の旦那にどっか連れてかれた」

 

 鬼蜘蛛はまた刀を磨き始めている。

 

「悪いようにはしないって、悪い顔で言っておったな」

「ふーん?」

 

 懐はよく分からないまま首を傾げた。

 その気の抜けるようなやり取りを挟み、禽雀と義衛門の視線が合う。

 あの男は、次に何をするつもりなのだろうか。

 二人は同時に、不穏な気配を察していた。

 

     *

 

「実はここに越してきたばかりでな」

「あ、あぁ……」

 

 子供二人が連れ帰ってきた収穫と、盃は真正面から顔を突き合わせていた。

 アマルガムは落ち着かなそうに座っている。

 目の前の男は笑顔だった。

 ただし、鬼蜘蛛が言った通り、どうにも悪い顔をしている。

 

「ご近所さんに挨拶したいところだが、あいにく土地勘がない」

 

 盃は人好きのする笑みを浮かべたまま、頬杖をつく。

 

「だから、この辺りの情勢を、知ってるだけ教えてもらえるか?」

「情勢……?」

「難しく考えなくていい。どこにどんな奴がいるとか、ここには近づかない方がいいとか。その程度だ」

 

 そこで、ほんの少し笑みが深くなる。

 

「特に、強い奴の話は聞いておきたいな」

 

 アマルガムは盃の顔を警戒するように見ていたが、やがて考え込んだ。

 

「……強い奴なら、いる」

「ほう」

 

 盃の目が細くなる。

 

「ここら一帯を自分の縄張りだって言い張ってる。そこに住んでる奴らも、勝手に自分の舎弟ってことにして、好き放題暴れてる奴だ」

「そいつは強いのか?」

「強い。馬鹿みてえに」

 

 アマルガムは顔をしかめた。

 

「普通の虚とも違う。自分で仮面を割ったとかなんとか……見た目も、あんたら死神とそう変わらねえくらいだ」

 

 盃の笑みが、そこで変わった。

 先ほどまでの愛想のいいものではない。

 何か面白いものを見つけた時の顔だった。

 

「名は?」

「知らねえ」

「知らん?」

「本人が名乗ってんのは聞いたことねえよ」

 

 アマルガムは少しだけ言葉を探し、続けた。

 

「でも、みんなそう呼んでる」

「何と?」

「――おろち」

 

 盃はしばらく黙っていた。

 やがて。

 喉の奥から、堪えきれないような笑いが漏れた。

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