千年前欠史変   作:鬼屋敷

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21、蛇狩

 

「……いや、悪い。話を戻そう」

 

 どうにか笑いを収めた盃は、目尻に滲んだものを指で拭ってから、改めて一同を見渡した。

 

「最初の標的が決まった」

 

 盃の声に、部屋の空気が変わった。

 

「――『大蛇』。まずはこいつを落とす」

「大蛇?」

 

 黒駒が眉を寄せる。

 

「でかい蛇の虚だそうだ。もっとも、普段は人の姿をしているらしいがな」

「そりゃ虚なのか? 化け物ならいくらでも見てきたが」

「己に聞くな。直接見たわけじゃない」

 

 盃は肩を竦めると、陣兵へ顔を向けた。

 

「どうなんだ、壬剣。死神なら、そういう虚にも覚えがあるんじゃないか?」

「……人の姿をした虚か」

 

 陣兵は少し考えた。

 

「俺も実際に見たことはない。だが、虚は力を増すほど人に近い姿になる、という話は聞いたことがある」

「へえ。ってことは強えのか?」

 

 火黒が身を乗り出した。先ほどまでの眠気は、とうに消えている。

 

「一概には言えんが、侮ってよい相手ではあるまいよ」

「実際、アマルガムは歯が立たなかったそうだ」

 

 盃が口を挟む。

 

「ガキ共が連れ帰った虚だ。昔、大蛇と出くわしたことがあるらしい。大虚になりたての頃とはいえ、戦いにもならず、石ころでも蹴るように吹っ飛ばされたとさ」

「……いいじゃねえか」

 

 火黒の口元が吊り上がった。

 

「大蛇はこの辺り一帯を縄張りだと言い張ってるらしい。しかも一ヶ所だけじゃない。あちこち渡り歩いちゃ、見込みのある連中を集めて舎弟にしてるそうだ」

「舎弟……」

 

 禽雀の視線が、火黒と鬼蜘蛛へ向いた。

 

「あ?」

「なんじゃ」

「……いいえ」

 

 怪訝な顔をする二人から、禽雀はそっと目を逸らした。

 黒駒が鼻を鳴らす。

 

「随分と傍若無人な親分だな」

「あんたが言うと説得力があるな」

「一緒にするな阿保たれ」

「まぁ、大蛇本人もそうだが、その下の連中も丸ごと頂きたい。そこそこ腕の立つ奴が揃ってるなら、なおさらな」

「アマルガムとやらも舎弟なのですよね? ではあまり期待できないのでは?」

 

 一美が首を傾げた。

 

「あいつは大雑把に括られてるだけらしい。ある程度戦える奴だけを正式に舎弟と認めてるんだとよ。席官程度と渡り合えるなら上等。あるいは己らでも苦戦するなら万々歳だがな」

「たかが舎弟に一々苦戦していては先が思いやられますな」

「ははっ、手厳しいな。だが、その通りだ。そんな情けないザマで尸魂界への報復もなかろうよ」

 

 盃は笑いながら頷いた。

 

「それに、まさか化け物共の巣へ子供を放り込んで、友達になってこいと頼むわけにもいかんからな」

 

 そう言って、懐へ目を向ける。

 

「まずはきっちり上下を分からせる。その上で穏便に仲良くなる。それが筋ってもんだろう?」

「『愛喰』ですか」

 

 禽雀が口を開いた。盃が頷き、今度は鬼蜘蛛を顎で示す。

 

「アマルガムにはもう効いてるそうだ」

「効いてるって、どんな感じなんだよ」

 

 火黒に訊かれ、鬼蜘蛛がぼんやりしていた顔を上げた。

 

「最初わしで試したんじゃが、よう分からんかった。化け物ならいけるかと思ってな」

 

 禽雀の眉間に皺が寄る。

 

「……あなたに使ったなんて、聞いてないけど」

「おい、説教ならもう聞いたぞ」

「鬼蜘蛛」

「知らん知らん知らん」

 

 全力で顔を背ける鬼蜘蛛に、禽雀が額へ指を当てた。

 

「まあ、その辺は後でやってくれ」

 

 盃が苦笑しながら間に入る。

 

「会った時はこいつらを喰う気だった。それが今じゃ、鬼蜘蛛を『あにさん』、懐を『あねさん』だ。わざわざ掌に乗せて運んできたらしい」

「性格まで変わったのか?」

 

 黒駒が問う。

 

「腹が減れば虚を喰うし、口も悪い。根っこは変わらん。ただ、実に都合よく絆されている」

「そりゃそうじゃ」

 

 椅子の背に預けていた身体を起こして、鬼蜘蛛が口を挟んだ。

 興味なさげだった顔から、ぼんやりとしたものが薄れていく。

 

「あれは、元からあるもんに染み込んどる。元が変わるわけじゃない」

「染み込む?」

「溶ける……違うな。じゅわっと入る感じじゃ」

 

 鬼蜘蛛は眉を寄せ、言葉を探した。

 

「ひっくり返しとるわけじゃない。隙間に入って少しいじくる。『愛喰』が良いようにな。がむも変わってる自覚はない」

 

 自分自身よりも『愛喰』のことを理解しているかのように語る鬼蜘蛛を、懐は静かに見つめていた。

 

「随分ちゃんと見てるじゃないか」

「刀じゃからな」

 

 当たり前の顔で、鬼蜘蛛は答えた。

 

「ならば、力が強ければ効かぬ、という話でもないのか?」

 

 義衛門が腕を組んだまま問う。

 

「抵抗はあるが効くぞ。旦那にも兄さんにも通ってたじゃろ」

 

 鬼蜘蛛は虚空を見て、にへらと表情を緩ませた。

 思い出すのは、死の手前で会話を交わした惨蔵の様子だった。

 

「あのおっさんはなぁ、ありゃあ、だいぶ溶けてたな。自覚以上にやられとった」

 

 くっくと喉の奥で笑いながら出たその話に、禽雀の顔から、僅かに表情が消えた。

 

「固かったじゃろ、あのおっさん。警戒もしてたな? それでも、ずっと前からやられてた。たぶん芯までな」

 

 さもおかしな話を共有するように語る鬼蜘蛛とは対照的に、部屋は静まり返った。

 陣兵の顔が、僅かに強張った。

 

「……ご本人にも、そこまでの自覚はなかったと?」

「絆されてるくらいはあったかもな。だとして関係ない。骨抜きじゃ」

 

 鬼蜘蛛はあっさりと答えた。

 陣兵は、返す言葉を失った。

 禽雀は黙ったまま懐を見る。懐は居心地が悪そうに、視線を床へ落としていた。

 

「抗う前に入られるわけか」

 

 盃が独り言のように呟く。

 

「んー、そこがまだ分からん。受けてはみたが変わった感じもないしな。これで入られてるなら、もっと面白いなぁ」

 

 まだ考え足りないとでもいうように、鬼蜘蛛は首を傾げた。

 

「その、『大蛇』にも通ると?」

 

 一美が尋ねる。

 

「そいつのこと知らんから知らんよ」

 

 身も蓋もない答えに、一美が僅かに目を瞬いた。

 

「……ま、まぁ、惨蔵を基準にするなら、随分高いところまで見込めますな」

「そうね。……あの男でそうなるのね」

 

 鳴子が神妙に零した言葉の重みは、惨蔵という男をよく知る者ほど分かった。

 陣兵は口を閉ざしたまま、先ほどより険しい顔で懐を見ている。義衛門も腕を組み、自身が受けた時のことを思い返しているのか、視線を宙に置いていた。

 盃はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。

 

「知らんなら知らんで十分。試す価値は見出した。やらん理由はなくなったな」

 

 盃が頷くと、ひとまず『愛喰』の話はまとまった。

 

「なぁ、懐」

 

 椅子の上で膝を抱えていた鬼蜘蛛が、不意に顔を上げた。

 

「真打ならどうなんじゃ? いけるんか?」

 

 懐の顔から、さっと血の気が引いた。

 

「……え?」

 

 禽雀が振り返る。

 懐は何も答えない。

 

「鬼蜘蛛、何を言ってるの? 懐は真打なんて――」

「使えるじゃろ? たぶん」

 

 その目は確かめるというより、すでに分かっていることを本人へ訊いているようだった。

 懐はますます俯き、禽雀の背へ隠れるように身を寄せる。

 その反応に、禽雀の言葉が止まった。

 

「……ほお」

 

 盃が低く声を漏らす。驚いたというより、何かが一つ繋がった時の顔だった。

 

「なぜそう思った」

「刀と近すぎる」

 

 鬼蜘蛛は即答した。

 

「近い?」

「あぁ。そういう奴は大体できる」

 

 あまりに感覚的な答えだった。盃はそこを掘り下げず、自分の胸元を指差す。

 

「では、己もそう見えるか」

「あぁ」

「早蕨は」

「見えるな。えー……」

 

 鬼蜘蛛は気の抜けた声を漏らしながら、一同へ視線を巡らせた。

 その目が、夢枕蔵人のところで止まる。

 

「お前と――」

「待て」

 

 盃が遮った。突然話の矛先を向けられた蔵人が肩を跳ねさせる。

 周囲の視線が集まる。居心地悪そうに目を泳がせ、最後には助けを求めるように盃を見た。

 

「言わなくていいぞ」

「あ?」

「懐もそうだろうが、言わないのは言わないなりの理由がある。己らみたいに見せびらかすのが好きなのばかりでもないからな」

「ふーん。分かった」

 

 鬼蜘蛛はあっさり引いた。

 椅子の上で膝を抱え直し、好きな話が終わって退屈になったように、またぼんやりとした様子へ戻る。

 一方、懐の顔色は戻らなかった。皆の視線を避けるように俯き、青い顔のまま床を見つめている。

 禽雀は、その様子を黙って見ていた。

 鬼蜘蛛の言葉より、懐自身の反応が気にかかる。自分の知らない何かがある。

 問いかけようとして、やめた。

 代わりに盃へ目を向けると、向こうもすぐに気づく。

 

「なんだ?」

 

 盃は懐を一瞥してから、禽雀へ視線を戻した。

 

「懐は貴様の領分だ。気にはなるが、どうするかは貴様が決めたらいい」

 

 追及する気はないらしい。禽雀は少し考え、隣にいる懐の肩へ手を置いた。

 

「保留にしてください。今すぐに知る必要は、ないはずです」

「ああ。分かった」

 

 盃は頷くと、改めて一同を見渡した。

 

「さて、大蛇の話に戻そう。居場所までは分からんが、アマルガムが出くわした場所なら分かっている。まずはそこを起点に動く」

「全員で向かうのか?」

 

 陣兵が尋ねた。

 

「いや、最初は少数だ。死ぬ心配のない面子で挨拶する。そこである程度の情報がまとまればあとは手分けだ」

「それは気を付けないとですね。生かさず殺さず油断せずですな」

 

 当然のように自分も選ばれるつもりでいる一美に、盃は呆れたように笑った。

 

「まぁ己らはこの土地の客じゃない。侵略者だ。使える奴は生かしておきたいが、舐められてまで手加減する必要はない。初っ端から間抜けな死にざま晒すくらいなら、徹底的に暴れろ」

 

 盃はさらりと言ってのけた。

 陣兵が訝しげに眉根を寄せる。

 

「……随分と乱暴なやり方だな。どちらが化け物だか」

「人としての死に様を選ばせなかった貴様らが言えた口か? お前も乗ると決めたならせいぜいこちらに付き合え」

 

 盃の口元が吊り上がる。

 

「上手くすりゃ、向こうから大蛇が顔を出してくれるかもしれん」

「はっ、面白そうじゃねえか」

 

 火黒が楽しそうに笑った。

 

「おい、最初から殺すつもりでやるなよ。使えそうな奴はなるべく残したいんだ」

「大丈夫だ。使えそうな奴なら死なねえはずだ」

「……お前さんに任せると、戦力が残りそうにないな」

 

 盃は苦笑したがそれ以上は言わなかった。

 ひとまず、探索の方針はまとまった。

 

「それと、もう一つ」

 

 盃は禽雀へ目を向けた。

 

「さっきの話だが、『愛喰』についても引き続き試したい」

 

 そこで、禽雀の傍らにいる懐へ視線を移す。少女はまだ俯いたままだった。

 

「懐に協力してもらえると助かるんだが」

 

 禽雀はすぐには答えず、隣の懐を見た。

 

「それも、後日お答えします」

「ああ、分かった。返事を待つ」

 

 盃は頷き、一同を見回す。

 

「今日はこんなもんだろ。誰を連れていくかは追って伝える。終いだ」

 

 それを合図に、張っていた空気がほどけた。

 それぞれが席を離れていく。火黒は待ってましたとばかりに大きく伸びをし、鬼蜘蛛はだらだらと立ち上がって、ふらふらとどこかへ消えた。

 禽雀はすぐには立たなかった。今日出た話を、頭の中でもう一度辿る。

 隣を見ると、懐はまだ俯いていた。会談が終わったことにも気づいていないのか、両手を膝の上で強く握りしめたまま、床を見つめている。

 

「懐」

 

 呼ぶと、肩が小さく跳ねた。

 ゆっくり顔を上げた懐は、目が合った途端、何かを言おうとして、結局何も言えずに唇を閉じる。

 禽雀も、問いかけなかった。今ここで聞かないと、決めたばかりだ。

 ただ、その怯えた顔を、見なかったことにはできない。

 

「疲れたでしょう。戻って、少し休みましょうか」

 

 禽雀が立ち上がると、懐も慌てて後を追った。その指が、縋るように禽雀の袖を掴む。

 袖越しに伝わる指先が僅かに震えている。

 気づかなかったふりをして、少し緩めた歩調で懐と共に部屋を出た。

 

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