爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~ 作:これはR-15の範囲内なのか
二日目の朝が来た。
石室に射し込むはずのない朝の気配は、天井の青白い鉱石が放つ光の明滅によって告げられた。静寂を破ったのは、大浴場の脱衣所から響き渡った無数の黄色い悲鳴と、それに続くざわめきだった。
「……うそ、見て! 絶対なんか違う!」
「ブラのカップに隙間がないんだけど……!? ちょっと溢れて段差できてる!」
「肌もすごいツヤツヤ……なにこれ、高級エステ受けたみたい!」
朝の着替えをしていた少女たちが、下着やシャツの胸元を押し開き、鏡の前でざわめいていた。
わずか一晩。服の上からではまだ他人に気づかれない程度の、わずか一センチほどの変化。だが、毎日自分の身体と下着を身につけている彼女たちにとって、その差はあまりにも決定的だった。
いつもならスカスカだったカップが綺麗に埋まり、ジャストサイズを着けていた者は柔らかな肉がフチから押し出され、誰もが自らの胸に「昨日までなかった確かな質量とハリ」を感じ取っていたのだ。
かつて胸の薄さを気にしていた貧乳・並乳の二十人ほどにとって、それはまさに奇跡の魔法だった。鏡の前で胸を寄せ合い、ふっくらと持ち上がった柔肉をつついては、昨夜の恐怖などすっかり忘れたようにお祭り騒ぎに興じている。
しかし、元からクラスの中でも際立って豊満だった十人ほどの少女たちの反応は、決して一枚岩ではなかった。
「……冗談じゃないわ」
脱衣所の大きな三面鏡の前で、篠宮麗華は苦々しい表情で自らの胸元を凝視していた。グラビアアイドルとして事務所に所属する彼女にとって、身体はミリ単位で管理された商品であり、芸術品だ。
「アンダーもウエストも昨日の細いままなのに、トップだけが一センチも浮いてる……。ミリ単位で計算して作ってきた全体のバランスが狂っちゃうじゃない。衣装のフィッティングだって全部やり直しよ」
プロとしての美意識が、この安易で制御不能なサイズアップを本能的に拒絶していた。
その横で、さらに切実な怯えを見せていたのは、普段から大きめのカーディガンで身体のラインを隠していた図書委員の少女だった。
元からGカップ近い重みに耐え兼ね、慢性的な肩こりと、街中で浴びせられる男性たちからの品定めするような視線に怯えて生きてきた彼女にとって、胸のさらなる成長は恐怖以外の何物でもない。
「嫌……っ、ブラのワイヤーが脇に食い込んで痛いよ……っ。昨日の今日でこれなのに、もし明日も大きくなったら、もう着けられる下着がなくなっちゃう……」
怯えて震える彼女の手は、昨日よりわずかに重みと張りを増した胸元を、呪わしい塊を隠すように両腕で必死に抱え込んでいた。
一方で、ギャルグループの生徒たちは、鏡の前で無邪気に歓声を上げていた。
「えー、ヤバくない!? 寄せて盛らなくても勝手に綺麗な谷間できてるんだけど!」
「わかる! なんかめっちゃハリあるよね! もっと育って海外セレブみたいになりたいかも!」
混沌とする反応の中、神崎蛍は一人、教室の隅で自らの胸元を確かめ、底知れぬ悪寒に震えていた。竹刀袋を握る手のひらが汗ばむ。
「……偶然なんかじゃない。三十人全員の身体に、たった一晩で同じ異変が起きてる……?」
剣道着の下、いつも通り平らに胸を潰そうと巻いたサラシの感触に、蛍は落ち着かない違和感を覚えていた。
物理的にはまだほとんど平坦なはずなのに、布地が擦れるたびに、先端の奥がきゅっと熱を帯びるような妙な感覚がある。息苦しいわけではないのに、なぜか胸元にばかり意識が引っ張られてしまうのだ。
隣で薄いハーフパンツの部屋着を着た葵も、自分の胸元をぎこちなく押さえながら、不安げな顔で蛍にすり寄ってきた。
「蛍……なんか、変なんだよね」
陸上部のスプリンターである葵が、声を潜めて耳打ちしてくる。
「さっきストレッチで軽くジャンプしてみたんだけど……いつも着けてるスポブラなのに、なんか胸の先が擦れてゾワゾワして……。痛いわけじゃないんだけど、なんか変に落ち着かなくて、走りに集中しづらいっていうか……」
「……あの果実のせいかもしれない」
蛍は教壇の脇に鎮座する、あの瑞々しい紅い低木を鋭く見つめた。少女たちが昨夜貪り食ったにもかかわらず、枝にはすでに昨日と寸分違わぬ数の新しい果実が、妖しく露を滴らせて実を結んでいる。
「空腹を満たして、肌を綺麗にして、胸を大きくする……一見すると夢のような効果に見える。でも、そんな都合の良い物が本当にあるのかな?」
「……うん。このままここにいたら、取り返しのつかないことになる気がする」
葵の瞳に、走者としての本能的な警戒心が戻る。
「橘さん!」
蛍は、クラスの喧騒を複雑な表情で見つめていた委員長の香奈恵に歩み寄った。
「偵察に行きましょう。あの黒い扉――『ダンジョン』の奥へ」
香奈恵は一度、歓声に沸く教室を振り返った。
果実を口にし、湯に浸かり、胸が大きくなったと喜んでいるクラスメイトたち。彼女たちの目から、すでに昨日あったはずの「ここから脱出しなければならない」という切迫感が、甘い霧に溶かされるように急速に薄れ始めている。
「……ええ、行きましょう。この異常な楽園に、これ以上呑まれる前に」
香奈恵が頷き、数名の有志が重厚な鉄扉の前に立った。
――そのときだった。
ぐぅぅぅ……っ。きゅるるる、と間の抜けた音が、教室のあちこちから重なるように響き渡った。
「きゃっ!? やだ、誰のお腹……!?」
「あはは……ごめん、今の私かも。っていうか、みんなも鳴ってない?」
思春期の少女たちがお互いに下腹を押さえ、顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべる。壁掛け時計を見上げると、胸のサイズの変化で大騒ぎしていたこともあり、時刻はいつの間にか午前九時を回っていた。
「昨日あの実を食べたのが……確か、八時半過ぎだったよね?」
「うそ……。本当に丸一日、きっかり二十四時間もってたんだ」
「でも……切れた途端にこんな急激にお腹空くなんて、やっぱりちょっと不気味だよね……」
ぽつりと漏らされたその言葉に、小さなどよめきが走る。空腹を感じさせず、完璧に活動を維持させる代わりに、期限が切れた瞬間に容赦なくエネルギーが底をつく。自分たちの身体が、得体の知れないシステムによって精密に管理されているかのような薄気味悪さ。
「……でも、この空腹と脱力感のまま探索に行くのは危険すぎるわ」
香奈恵が低木へと視線を向けた。昨日むしり取ったはずの枝には、昨日と寸分違わぬ大きさと配置で、みずみずしい三十個の果実が朝露を湛えて実っていた。
「悔しいけれど……今は迷宮を突破することが最優先よ。あの実を食べて、力を借りましょう」
三十人の少女たちは、一人一つずつ赤い果実をもぎ取った。シャクッ、と甘い果汁が喉を滑り落ちた瞬間、胃袋を満たす強烈な充足感とともに、全身の毛細血管へと温かな活力が一気に駆け巡る。先ほどまでの激しい空腹と倦怠感が、まるで魔法のように跡形もなく消え去っていった。
「……んっ……やっぱり、すごい……」
「身体が羽みたいに軽くなった……!」
異常なほどの万能感を全身にみなぎらせた探索組の八人は、今度こそ覚悟を決め、冷たい地下の空気が吹き抜ける鉄扉の閂を外した。
三十人の中で、この異常な状況に強い危機感を抱き、なおかつ自らの足で動く覚悟を決めた者たちはこの八人だけだった。
「……八人、ね。正直なところ、もう少し人手が欲しかったけれど……何が出るかも分からない場所に、無理やり連れて行くわけにもいかないものね。集まってくれてありがとう」
蛍と葵のほかには、委員長である香奈恵、ソフトボール部のバッテリーだった二人組、バスケ部のフォワード、サブカル・ゲーム好きの生徒、そして護身のために理科室から持ち出された大型のハサミを握りしめる女子生徒など、運動部を中心に構成された即席調査隊である。
手には、竹刀やモップの柄をへし折って作った粗末な槍、教室の机から外した鉄パイプ。決して十分とは言えない装備だったが、互いの顔を見合わせる瞳には、まだ自分たちの未来を諦めていない意志の光が宿っていた。
「……行くわよ。無理は絶対にしないこと。異変を感じたら即座に退却します」
香奈恵の引き締まった号令とともに、八人は石造りの階段へと足を踏み入れた。背後で、ガタンと鈍い音を立てて鉄扉が閉ざされる。同時に、教室に残った仲間たちの笑い声や話し声は完全に遮断され、冷え切った湿気と、靴底が濡れた石を擦る音だけが周囲を支配した。
階段を下りきった先に広がっていたのは、幅五メートルほどの広大な地下通路だった。壁の松明が怪しく揺らめき、奥へと続く一本道を照らし出している。
「……静かすぎるね」
葵がモップの柄を構えながら、低く囁いた。
「うん。でも、油断しないで。何が出てきてもおかしくない」
先頭を行く蛍が竹刀の中段を崩さず、慎重に歩みを進める。角を曲がり、最初の広間に差し掛かったその時だった。
ペチャリ、と湿った肉を叩きつけるような不快な音が闇の奥から響いた。
「っ……止まって!」
蛍が制止の声をかけると同時に、通路の天井から粘性を帯びた複数の影が落下してきた。
半透明の緑がかった体躯を波打たせる、巨大なスライムのような原生生物が三体。核とおぼしき赤い眼球のような器官をぎらつかせ、少女たちへと蠢き寄ってくる。
「ひっ……!」
後方の生徒が小さく息を呑む。だが、恐怖で足を止める隙はなかった。手前の一体が、獲物を認識したように触手状の肉塊を鋭く伸ばしてきたのだ。
「やぁッ……!!」
踏み込み一閃。蛍の研ぎ澄まされた竹刀が空を裂き、触手を弾き飛ばす。
続けてソフトボール部員が振り抜いた鉄パイプがスライムの核を正確に粉砕し、絶命した魔物はドロドロとした液体へと崩れ去った。残る二体も、葵の俊敏な牽制と生徒たちの連携によって、数分の格闘の末に沈黙した。
「……はぁ、はぁ……っ」
広間に静寂が戻る。
誰も怪我は負っていない。竹刀や鉄パイプでも、浅層の魔物相手なら十分に戦える――八人の間に、薄氷を踏むような安堵が微かに広がった。
「大丈夫、葵さん?」
香奈恵が駆け寄ってくる。香奈恵自身も少し顔を上気させていたが、それ以上に目の前に転がるスライムの残骸を見て、瞳に希望の光を宿らせていた。
「でも、倒せたわ。私たちの手持ちの道具でも、ちゃんと通用する」
「……うん。思ってたより、ずっと手応えはあった」
ソフトボール部の生徒も、鉄パイプを握り直して息を整えている。未知の怪物に怯えていた少女たちにとって、「自分たちの手で撃退できた」という事実は、あまりにも大きな達成感と自信をもたらしていた。
「橘さん、どうする? 戻る?」
「……ううん。通路の先、すぐそこに次の広間が見えているわ。あそこまで確認して、敵が強そうなら引き返しましょう。少しでも情報を持ち帰りたいの」
香奈恵の提案に、誰も反対しなかった。「いける」という安堵が、彼女たちの警戒心を一歩だけ緩めていた。角を曲がり、二つ目の広間へ踏み込む。
ギャッ、と金属を擦り合わせたような甲高い啼き声が響いた。
闇の奥から飛び出してきたのは、スライムではない。痩せこけた青黒い皮膚に、鋭い爪と粗末な棍棒を手にした小鬼――二体のゴブリンだった。
「っ、囲まれないで! 下がって!」
蛍が叫ぶより早く、俊敏な一体が低い姿勢で突進してきた。
ガチィン、と硬い衝撃が竹刀を通して両腕を痺れさせる。スライムとは比較にならない生身の筋力。踏ん張ろうとした足の指先から、胸元の痺れのせいで微かに力が抜け、濡れた石畳の上で靴底がツルリと滑った。その一瞬の綻びを突き、もう一体が低い姿勢から側面へと回り込み、葵へと跳びかかった。
「葵ちゃんっ!」
「きゃあっ!?」
葵がとっさにモップの柄で防ぐが、鋭い爪がジャージの袖を切り裂き、白い二の腕に赤い筋が走る。ピリッとした痛みに葵が息を呑んだ瞬間、ソフトボール部の二人が背後から鉄パイプをゴブリンの後頭部へと叩き込んだ。
鈍い打撃音とともにゴブリンが崩れ落ちる。蛍もまた、丹田に無理やり力を込め直して竹刀を突き出し、喉元を正確に貫いた。
「ギャァッ……!」
最後の一体が短い絶叫を上げ、床へと倒れ伏す。二体の魔物は数秒ほど痙攣したあと、黒い霧のような粒子となって空気中へと溶け去っていった。
「はぁっ……はぁっ……葵ちゃん、腕は!?」
蛍が駆け寄ると、葵は切れた袖を押さえながら小さく首を振った。
「だ、大丈夫……かすり傷。痛いけど、動かせるよ」
怪我人を出しながらも、より強力な人型の魔物に打ち勝った。八人の間に張り詰めた空気と、それを上回る勝利の熱狂が満ちかけた――その時だった。
「……あれ? 見て、これ……」
バスケ部の生徒が、魔物が消え去った床を指差した。何もないはずの石畳の上に、カラン、と乾いた音を立てて転がっていたもの。それは、無骨だが手入れの行き届いた一振りのショートソードと、しなやかな革で作られた一組の軽装なチェストプロテクターだった。
「え……武器、それと防具……? 魔物が落としたの?」
「宝箱とかじゃなくて、直接ドロップしたんだ……!」
少女たちが息を呑む。クラスでもゲーム好きで知られるその生徒が、恐る恐る近寄り、ショートソードを拾い上げた。
「すごっ……本物の剣だ。しかも、すごく軽い……!」
女子高生の華奢な腕でも十分に振り回せるほどバランスが良く、刃は恐ろしいほど鋭利に研ぎ澄まされている。手作りのモップ槍や竹刀とは比べ物にならない、本物の「武器」だった。
「こっちの胸当ても見て! 革製だけど、すごく柔らかいよ」
葵が拾い上げたチェストプロテクターを、自分のジャージの上から軽く当ててみた。
その瞬間だった。
ふわりと革が微かな光を帯び、まるで生き物のように伸縮したかと思うと、葵の小柄な肩幅と胸の厚みに合わせて、吸い付くようにぴったりと形を変えたのだ。
「きゃっ!? な、なにこれ……縮んだ!?」
「え、すごい! 自動でサイズ調整されたよ!?」
生徒たちから驚きと感嘆の声が上がる。ゲーム好きの生徒が、目を輝かせながら納得したようにポンと手を打った。
「ああ、なるほど! ゲームの装備って、ドワーフでもエルフでも誰が拾っても同じように装備できるから、どういう仕組みなんだろってずっと疑問だったんだけど……こういうことかぁ! 魔法の装備だから、使う人の体型に合わせて自動で可変するんだよ!」
「へぇー! 便利! じゃあ誰が拾っても使えるってことじゃん!」
その屈託のない説明に、周囲の警戒心は一気に吹き飛んだ。「ファンタジー世界のお約束」という都合の良い理屈が、少女たちの不安を綺麗に覆い隠してしまう。
「……なるほど、そういうものなんだ……」
竹刀を抱えた蛍も、感心するように胸当てを見つめていた。
元々ゲームに詳しくない蛍にとって、仲間の解説は妙に説得力があった。魔法がある世界なら、着る人のサイズに合わせて伸び縮みする鎧があっても不思議ではない。むしろ、怪我を防いでくれる防具が手に入ったことは、純粋にありがたい幸運に思えた。
「葵ちゃん、どう? 息、苦しくない?」
「ううん……全然。っていうか、すごく柔らかい……。胸の周りをすっぽり包み込まれてるみたいで、さっき走ったときの変な擦れる感じが……これ着けてると、全然気にならないかも」
「これ、腕を怪我した葵ちゃんが着けておきなよ。剣は、一番腕が立つ蛍ちゃんが持つのがいいと思う!」
仲間の提案に、異論は出なかった。
手に入れた本物の剣の確かな重みと、葵の胸元にぴったりとフィットした防具。手痛い傷を負いながらも、それに見合う強力なリターンを得られたという冒険の達成感が、八人の胸をじんわりと満たしていく。
「……よし、今日は戻ろう。みんなに報告して、葵ちゃんの傷も消毒しなきゃ」
香奈恵の号令に、全員が笑顔で頷いた。戦利品を抱え、八人は踵を返して階段を登り始める。
「私たち、ちゃんと戦えたね」
「うん。この調子で強い装備を集めていけば、本当に脱出できるかも……!」
前向きな言葉を交わし合う少女たちの背後で、冷たく暗い迷宮の闇が、まるで「もっと深くへおいで」と囁くように静まり返っていた。