爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~ 作:a-ru
翌朝になっても、前日に見つかった異変について答えが出ることはなかった。
胸から滲み出した白い液体が本当に母乳なのか、それとも見た目が似ているだけの別の何かなのか。妊娠した経験もない自分たちの身体から、どうしてそんなものが出てくるのか。そして、昨日の午後だけで胸囲が何センチも増えた異常な膨らみと、本当に関係があるのか。
考えなければならないことはいくらでもあったものの、今の彼女たちには、そのどれにも確かな答えを出せなかった。
幸いだったのは、朝までに深刻な体調不良を起こした者が一人もいなかったことだ。
念のため胸元へタオルを当てて眠った者もいたが、白い液体が僅かに滲んだ程度で、痛みや発熱が起きたわけではない。それどころか、寝ている間に少しずつ外へ漏れたことで、昨日ほど強い張りを感じなくなったという者までいた。
そのため、残っている五個の青い果実についても、ひとまず使わずに様子を見ることになった。
四日前に一度使った者ですら同じ異変を起こしている以上、胸囲を五センチ減らしたところで根本的な解決にはならない可能性が高い。もちろん、重さや張りに耐えられないほどつらくなった場合には使えばいいが、今の段階で貴重な五個をすべて消費する必要まではないだろう。
全員で話し合った末、そういう結論に落ち着いた。
探索についても、基本的には昨日までと同じだった。
「今日は無理しないでね。まだ張りが強い人は残った方がいいと思う」
出発前、香奈恵が教室全体へそう声を掛ける。
本人も麗華も、まだ胸の奥には僅かな違和感が残っているらしい。それでも昨日の夕方ほど強い張りはなく、迷宮へ入って防具の補助を受ければ問題なく動けると判断し、探索へ参加することになった。
一方、朝になっても白い液体が滲み続けている者や、昨日より胸が重くなったように感じている者は、無理をせず教室へ残ることを選んだ。
その日、迷宮へ向かったのは十八人。教室に残るのは十二人だった。
「じゃあ、行ってくるね」
「無理しないでよ」
「そっちも何かあったら、すぐ休んでて」
「分かってる」
いつものように声を掛け合い、武器や防具を身につけた十八人が順番に扉の向こうへ消えていく。その背中を最後まで見送っていた図書委員の少女は、扉が閉ざされたあともしばらくその場に立ったまま動かなかった。
急に静かになった教室が、妙に広く感じられる。
ほんの少し前まで、ここに三十人が揃っていることは当たり前だった。探索が本格的に始まってからも、朝になれば多くの者が当然のように武器を手に取り、迷宮へ向かう準備をしていた。
それが今では、十二人もこちら側へ残っている。
自分も、その一人だった。
帰りたくないと思っているわけではない。しかし、迷宮の奥で誰かの腕が深く裂けた、骨が折れた、脚を噛み砕かれそうになったと聞くたびに、あの扉をくぐって迷宮へ出ることへの恐怖は強くなっていった。
何より、自分には最初から探索へ出る勇気がほとんどなかった。
だからこそ、魔法陣で回復杖を手に入れた時には嬉しかった。自分自身が迷宮へ入れなくても、探索へ向かう仲間の役に立てるものを手に入れられたからだ。
けれど、その杖も今は探索組が持っていっている。
自分は今日も、ここに残っているだけだった。
「……また気にしてる?」
横から声を掛けられ、彼女は顔を上げた。
そこにいたのは、以前、自分が青い果実をこっそり食べたところを見つけた少女の一人だった。こちらの顔を見ながら、少し困ったように笑っている。
「顔に出てた?」
「ちょっとね。でも今日は仕方ないでしょう。昨日からずっと変なんだから」
「……うん」
そう言われ、彼女も自分の胸元へ視線を落とした。
昨夜から、自分の身体にも同じ症状が出始めている。
元々胸が大きかった分、他の者より早く数字だけならかなり先まで進んでいた。それが怖くて、一度は誰にも言わず青い果実まで食べたのに、結局成長そのものが止まることはなかった。
そして今朝は、それまでとは違う重さを胸の奥に感じている。
巨大になった胸が身体を前へ引く、いつもの重量感とは少し違う。もっと内側から、何かが少しずつ溜まって皮膚の下を押し広げているような感覚だった。
目を覚ました時には、念のため胸元へ当てていた布も僅かに濡れていた。
「まだ張ってる?」
「少し。でも、昨日の香奈恵たちほどじゃないと思う」
「痛くはない?」
「痛いっていうより……重いかな」
答えながら胸の下へ腕を添え、少しだけ持ち上げる。そうしている間だけは重さが分散されるのか、多少楽になった。
同じような症状を抱えているのは、彼女だけではない。
今日教室へ残った者のうち二人は、昨日すでに白い液体が出ていることを確認されていた。さらに今朝になって新しく胸元を濡らしていた者が二人おり、まだ液体までは出ていないものの、張りや熱を感じると訴えている者もいる。
いつの間にか、決して一人や二人だけの異常ではなくなっていた。
「……これ、どうする?」
壁際に座っていた一人が、胸元へ当てていたタオルを困ったように押さえながら声を上げた。
「さっきから、またちょっと出てる」
「服、大丈夫?」
「着替えればいいけど……このまま何回も出るなら、床とか寝るところまで汚しそう」
「だったら、お風呂行かない?」
別の少女が提案すると、周囲の視線が一斉にそちらへ集まった。
「大浴場?」
「うん。あそこなら濡れてもすぐ流せるし、身体も洗えるでしょう。昨日みたいに教室で服脱いで確認するより、その方がよくない?」
「確かに」
反対する理由はなかった。
教室の床や寝具へ白い液体を垂らしながら様子を見るより、大浴場の洗い場を使った方が片付けも簡単だし、何よりあそこなら裸になること自体が特別なことではない。
そうして十二人のうち、胸の張りを感じている者を中心に八人が大浴場へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
相変わらず、大浴場は広かった。
初めて目にした時には、どうして三十人しかいない自分たちのために、これほど大きな浴場が必要なのだろうと不思議に思ったものだが、今ではその広さにもすっかり慣れている。
八人が同時に入ったところで、洗い場にも湯船にも十分すぎるほどの余裕があった。
服を脱ぎ、身体を軽く洗ってから、それぞれが適当な場所へ腰を下ろす。
胸が大きくなり始めた頃なら、これだけの人数が裸のまま向かい合って座っているだけでも落ち着かなかっただろう。
けれど今では、誰も互いの身体を隠そうとはしない。
毎日のように同じ風呂へ入り、朝になれば胸囲まで測り合っている。百センチを越えた、百二十センチになったと騒いでいた頃さえ、もうずっと昔のことのように感じられた。
今では、百二十センチどころか、その数字を遥かに越えた者まで珍しくなくなっている。
単に見慣れただけなのか、それとも自分たちの感覚そのものが少しずつ変わっているのか、彼女にはもう区別がつかなかった。
「で……どうするの?」
誰かが尋ねると、すでに白い液体が出ている少女が困ったように自分の胸を見下ろした。
「どうするって言われても……出せば少し楽になるんじゃない?」
「どうやって?」
「それが分かんないから来たんでしょ」
「昨日は勝手に出てきただけだもんね」
困惑したような笑いが起きる。本来なら笑えるような話ではないはずなのに、昨日から驚き続けたせいか、全員の反応にもどこか疲れが混じっていた。
「自分で少しやってみたよ」
一人が胸を支えながら言った。
「寝る前に、張ってるところを少しほぐしてみたりして。出るには出たけど、あんまり楽にはならなかった」
「私も。少し出ても、すぐ止まっちゃうんだよね」
「じゃあ、やり方が悪いとか?」
「母乳の出し方なんて知らないって」
「そりゃそうだけど」
また小さな笑いが起きた。図書委員の彼女も、自分の胸へそっと手を添える。
普段の重量に加え、今日は内側から押されるような硬さがある。自分でも何度か張っている辺りを確かめてみたものの、白い液体が少し滲むだけで、重さそのものはほとんど変わらなかった。
だからといって、他にどうすればいいのかも分からない。
「……私がやってみようか?」
隣に座っていた少女の言葉に、彼女は思わず顔を上げた。
「え?」
「いや、その……自分でやって駄目なら、他の人が手伝ったら違うのかなって思って」
「でも……」
「嫌ならやめるよ」
すぐにそう付け加えられ、彼女は少しだけ迷った。
誰かに触れられることへの抵抗は、以前より確実に薄くなっている。
最近では風呂場で互いの胸へ触れる者も珍しくなくなっていたし、少し離れた場所では、以前ここでキスまでしていた二人が当たり前のように肩を寄せ合って座っていた。
それでも、今回だけは少し意味が違うように感じられる。
単に触ってみたいからではない。
身体の中に溜まり続けているらしい白い液体を、少しでも外へ出して楽になるためだ。
「……じゃあ、お願いしてもいい?」
「うん。痛かったらすぐ言って」
少女が彼女の正面へ座り直す。
最初は、お互いにどうすればいいのか分からないまま、本当に恐る恐るだった。
胸を下から支えてもらい、どこが一番張っているのかを伝えながら、相手の手がゆっくりと位置を確かめていく。
「ここ?」
「もうちょっと上……そこ」
「痛い?」
「ううん、大丈夫」
自分で試した時と、やっていることそのものは大きく変わらないように思えた。
ところが、しばらく続けてもらううちに、明らかな違いが現れた。
「あ……」
思わず声が漏れる。
「どうしたの? 痛かった?」
「違う。なんか……出てる」
二人で視線を落とす。
先ほど自分で試した時には僅かに滲むだけだった白い液体が、今はそれより明らかに多く流れ、濡れた床を伝って排水口の方へ消えていっていた。
「ほんとだ」
「何で?」
「分かんない。私、そんなに違うことしてないよ?」
手伝っている本人も驚いている。けれど、そのまま続けてもらっているうちに、彼女にはもう一つの変化も分かってきた。朝からずっと胸の内側を満たしていた重さと圧迫感が、少しずつ抜けていく。
もちろん、すべてがなくなるわけではない。それでも、皮膚の内側から押し広げられているようだった感覚が和らぎ、知らず知らず肩や背中へ入っていた力まで抜けていくようだった。
「……楽」
「本当?」
「うん。さっきより全然楽」
自分でも驚くほど素直な言葉が出た。それを聞いた少女も、安心したように微笑んだ。
「じゃあ、もうちょっと続けてみようか」
「……お願い」
再び身体を支えてもらう。
今度は最初ほど緊張しなかった。
白い液体が少しずつ外へ流れるたびに、それまで内側へ溜まっていた重さまで一緒に抜けていくように感じられる。その一方で、触れられている場所には妙なくすぐったさのような感覚も残っていた。
けれど、不快ではない。
むしろ身体から力が抜けていく感覚と重なり、気持ちまで少しずつ緩んでいく。
それをわざわざ口にするのは何となく恥ずかしくて、彼女は何も言わず相手へ身体を預けた。
「……どう?」
「かなり軽くなった」
「よかった」
しばらくして手を離されると、胸そのものの大きさはほとんど変わっていないはずなのに、先ほどよりずっと上体を起こしやすくなっていた。
自分で両腕を添えてみても、内側に溜まっていたものが減ったことははっきりと分かる。
「じゃあ今度、私お願いしてもいい?」
「え?」
「私も張ってるから」
そう言われて相手の胸元へ目を向けると、確かに自分を手伝っている間にも、何度か気にするように触れていた。
「もちろん」
今度は二人の位置を入れ替える。
自分がしてもらったことを思い出しながら、相手がどこに重さを感じているのか聞き、無理のない範囲で手を貸していく。
最初は何も起きなかったが、しばらくすると白い液体が少しずつ流れ始めた。
「……あ」
「出てきた?」
「うん」
「自分でやった時より?」
「全然違う……」
その答えを聞き、二人は思わず顔を見合わせた。
どうやら偶然ではないらしい。自分一人ではうまくいかなかったのに、誰かに手伝ってもらうと明らかに出やすくなる。その発見は、すぐ周囲にも伝わった。
「ちょっと待って。それ本当?」
「私たちもやってみる?」
「でも誰と?」
「別に誰でもいいでしょう」
「そんな簡単に言う?」
「だって、ずっとこのまま張ってる方が嫌じゃない?」
そんな会話のあと、別の二人も互いに手伝い始めた。
一人で試していた時より明らかに楽になる。それが分かると、恥ずかしさよりも、少しでもこの重さから解放されたいという気持ちの方が勝った。
最初は様子を見ていただけの者まで、「私もちょっとお願いしていい?」と声を掛け始める。
まだ白い液体が出ていない者も、張りの強い友人の隣へ座り、身体を支える程度の手伝いをするようになった。
以前ここでキスをしていた二人は、他の者よりずっと抵抗が薄かった。
「そこ、まだ張ってる?」
「うん。もう少しだけ」
「分かった」
片方がもう一人を抱えるように支えながら手伝い、少し楽になったところで、そのまま自然に肩を寄せ合う。
ふと顔を合わせたあと、ほんの短く唇が重なった。それを見た図書委員の彼女は、一瞬だけ目を丸くしたものの、以前のような驚きは続かなかった。
周囲も同じだった。誰も騒がず、誰も「何してるの」と大声を上げない。近くにいた一人など、ただ呆れたように笑っただけだった。
「またやってる」
「いいでしょ、別に」
「悪いなんて言ってないよ」
それだけで会話は終わった。少し前なら、もっと大きな騒ぎになっていたはずなのに。その変化に気づいた彼女は、ほんの少しだけ奇妙な気持ちになったものの、深く考える前に、再び胸の奥へ重さを覚えた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「さっきより楽になったはずなのに、まだちょっと張ってる」
胸の下へ腕を入れて確かめてみる。
かなり軽くなっていること自体は間違いない。けれど、完全に空になったような感覚はなく、それどころか少し休んでいる間にも、また内側へ何かが集まり始めているように感じられた。
「私も」
別の少女が、自分の胸を気にしながら言う。
「さっき結構出たと思ったんだけど、まだ重い」
「そんなに溜まってたってこと?」
「……分かんない」
不安そうな声は上がるものの、その場から立ち上がって教室へ戻ろうとする者はいなかった。
戻ったところで、できることが増えるわけではない。ここなら何かが漏れてもすぐに洗い流せるし、また張ってきた時には近くにいる誰かへ頼める。そう考えると、わざわざ服を着て教室へ戻る理由もなかった。
「少し休んだら、もう一回やってみる?」
「うん」
誰かの提案に、周囲も自然に頷いた。
◇ ◇ ◇
大浴場には、時間を確認できるものがなかった。
これまでは、それで困ったことなど一度もない。長湯をしたところで、空腹になれば出ればいいし、探索組が戻ってくれば教室へ帰ればいい。
今日だって、最初は同じつもりだった。
胸の張りが少し楽になったら、服を着て教室へ戻る。ただ、それだけだったはずだ。ところが、しばらく湯船で休んでいるうちに、また胸の内側へ重さが戻ってくる。
「……またちょっと張ってきた」
「じゃあ、もう少しだけやる?」
「お願い」
今度は、先ほどよりずっと自然に身体を預けることができた。最初に感じた恥ずかしさも、すでにかなり薄れている。手伝ってもらえば楽になることが分かっていて、相手も嫌がっていない。それなら、わざわざ我慢する理由はなかった。
しばらく手伝ってもらったあとは、今度は自分が相手を手伝う。それが終われば身体を洗い、湯船へ入って休む。そうしているうちに、また別の誰かが張りを訴える。
「今度、私お願いしてもいい?」
「いいよ」
「じゃあ、そのあと私ね」
そんなやり取りが、いつの間にか当たり前のものになっていた。
最初に誰が誰を手伝ったのか。何度交代したのか。いつから二人一組ですらなくなり、近くにいる相手へ自然に頼むようになったのか。
もう誰も気にしていなかった。
図書委員の彼女自身も、最初に自分を手伝ってくれた少女だけでなく、別の者から頼まれて何度か手を貸している。そして自分の胸が重くなれば、今度はその時近くにいた誰かへ頼む。そうするたびに張りは和らぎ、身体は少しずつ楽になった。
同時に、誰かへ身体を預けることへの抵抗も、一度目より二度目、二度目より三度目と確実に小さくなっていた。
「……大丈夫?」
「うん。もう少しだけ」
「まだ重い?」
「少し。でも……そのままでいて」
口にしてから、自分でも少し驚いた。もうかなり軽くなっている。本当なら、今すぐ手を離してもらっても困らないはずだった。それなのに、何となくそのままでいてほしいと思ってしまった。
「分かった」
相手は特に疑問を持った様子もなく、近い距離のまま頷いた。身体を支えてもらっているだけなのに、不思議と落ち着く。
もし自分も探索へ出ていたなら、今頃は魔物がどこから襲ってくるかも分からない通路を歩いていただろう。誰かが怪我をするかもしれず、次は自分が傷つくかもしれないと考えながら、一瞬たりとも気を抜けない。
けれど、ここにはその恐怖がない。
暖かい湯気に包まれた安全な場所で、すぐ隣には知っている相手がいる。身体がつらくなれば手伝ってもらえ、自分も誰かの負担を軽くしてあげられる。そして胸の張りが和らげば、「よかった」と笑ってもらえる。
それだけのことだった。
それだけのはずなのに、今の彼女には、その時間がひどく居心地のいいものに感じられた。
「ねえ」
「ん?」
「探索組、今どの辺かな」
誰かがふと思い出したように尋ねる。
「分かんない。結構奥じゃない?」
「大丈夫かな」
「大丈夫だよ。今日は無理しないって言ってたし」
「そうだよね」
会話は、それだけで終わった。
もちろん、心配していないわけではない。けれど以前なら、探索組が戻るまで何度も教室の扉を気にしていた者たちも、今は大浴場を出ようとはしなかった。
また少し張れば、誰かが手伝う。
終われば湯船へ入り、身体を休める。
隣へ座る距離も、いつの間にか最初よりずっと近くなっていた。肩が触れていても誰も離れず、胸が重いという理由で身体を預けても、妙な顔をする者はいない。
先ほどキスしていた二人など、今では完全に片方がもう一人の肩へ頭を乗せていた。
それを見ても、もはや特別おかしいとは感じなかった。
「……またちょっと重くなってきた」
隣にいた少女が小さく言う。
「じゃあ、やろうか」
「いいの?」
「うん。私もあとでお願いするから」
「分かった」
今日だけで、似たようなやり取りを何度したのだろう。
彼女自身にも、もう分からなかった。
少し楽になっては休み、また張ってきたら誰かに助けてもらう。その次は自分が相手を助け、終わればまた湯船で身体を休める。
ただそれだけのことを繰り返しているはずなのに、不思議なくらい時間は早く過ぎていった。
だから、遠くから聞き慣れた声が響いてきた時も、すぐには意味を理解できなかった。
「ただいまー!」
湯気の向こうで、何人かがほとんど同時に顔を上げる。
「……え?」
図書委員の彼女も瞬きをした。
今の声は、葵だった気がする。続いて、教室の方から別の声が聞こえてきた。
「戻ったよー。誰かいないの?」
一瞬、大浴場が静まり返った。
次の瞬間、そこにいた全員がほとんど同時に互いの顔を見る。
「待って」
「今……帰ってきた?」
「うそ」
「もうそんな時間?」
誰かが慌てて立ち上がり、別の誰かも、今さら存在を思い出したように脱いでいた服へ視線を向ける。図書委員の彼女も、そこでようやく気づいた。
探索組を見送ったのは朝だった。少しだけ胸の張りを楽にする方法を試して、そのあと教室へ戻るつもりだったはずなのに、自分たちはまだここにいる。
何度か湯船へ入り、身体を洗い、張ってきたら互いに手伝って。そんなことを繰り返しているうちに、探索組が迷宮から戻ってくる時間になっていた。
「……私たち、何時間ここにいたの?」
誰かが呆然と呟いたものの、答えられる者はいなかった。自分たちが何度「もう少しだけ」と口にしたのかさえ、もう誰も覚えていない。
図書委員の彼女は急いで立ち上がりながら、自分の身体へ視線を落とした。
朝よりは、ずっと楽になっている。
胸の奥を圧迫していた重さもかなり和らいでおり、今なら教室へ戻って普通に過ごせそうだった。だから、今日ここへ来たこと自体を後悔しているわけではない。実際につらかった身体は楽になったし、自分一人ではどうにもできなかったことを、互いに助け合うことで解決できた。
それでも、探索組が危険な迷宮を歩き続けていた何時間もの間、自分たちは安全な大浴場で互いの身体を支え合い、時間さえ忘れていた。
その事実を改めて意識すると、胸の奥には小さな罪悪感が生まれた。けれど、それ以上に彼女を戸惑わせたのは、そのあと誰かが口にした言葉だった。
「……また張ってきたら、どうする?」
誰かが小さく尋ねる。少しの沈黙のあと、先ほどまで彼女の隣にいた少女が困ったように笑った。
「その時は……また手伝えばいいんじゃない?」
「……そうだね」
それを否定する者はいなかった。図書委員の彼女自身も同じだった。
次にまた胸が張ったら、今日と同じように誰かへ頼めばいい。そして今度は、自分がその人を手伝えばいい。
そんな考えが、昨日までならあり得なかったほど自然に浮かんでしまったからだ。