爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~ 作:a-ru
探索組の十六人を見送ったあと、教室には十四人が残された。
静かなこと自体は、もう珍しくない。探索へ向かう人数が減るにつれて、教室で待つ者たちだけで過ごす時間も増えており、誰かが話していなければ聞こえてくるのは衣擦れや寝返りの音くらいだった。迷宮へ来たばかりの頃のように、三十人全員が揃って絶えず声を交わしていた時間の方が、今では遠いものになりつつある。
それでも今日の空気には、単に人数が減っただけでは説明できない何かがあった。
図書委員の少女は、自分のすぐ隣へ腰を下ろしている相手へちらりと視線を向けた。昨日、大浴場で最初に胸の張りを楽にしてくれた少女だった。
昨夜はそれぞれ別の場所で眠ったはずなのに、朝になってからは何となく近くにいる。意識して隣を選んだ覚えもなければ、向こうから誘われたわけでもない。それなのに探索組を見送って教室の奥へ戻った時には、気づけばまた同じ場所へ並んで座っていた。
「今日、大丈夫?」
尋ねられ、彼女は自分の胸元へそっと手を添えた。
「今はまだ。昨日みたいに重くはないかな」
「そっか」
「そっちは?」
「私も平気。でも……昨日も、昼くらいからだったよね」
「うん」
二人とも、それ以上は言わなかった。
わざわざ言葉にしなくても、このあと胸が張ってきたらどうするのかは分かっている。また大浴場へ行けばいい。
青い果実を使えば胸囲そのものを五センチほど減らせるものの、残っているのは五個だけで、一度使った者にも結局同じ症状が起きていた。根本的な解決にならない以上、身体の負担だけを軽くするなら、昨日見つけた方法を使った方がいい。
ほんの一日前までは得体の知れない異常だったものが、今ではもう「起きたらどうしよう」と怯えるだけの問題ではなく、「起きたらこうする」という対処法へ変わり始めていた。
「……ねえ」
少し離れたところから声が上がった。今朝になって胸の張りを訴え、それを理由に探索を休んだ少女だった。
「やっぱり、ちょっと変かも」
その一言を聞いた途端、昨日大浴場にいた者たちがほとんど同時にそちらを向いた。
「張ってきた?」
「うん。まだ昨日みたいに出たりはしてないけど……中から重い感じがする」
「熱い?」
「少し」
昨日なら、その言葉だけで教室全体へ不安が広がっていただろう。けれど今日は、誰かがごく自然な調子で口を開いた。
「じゃあ、お風呂行こっか」
「え?」
今朝初めて残った少女だけが、少し戸惑った顔をする。
「今?」
「うん。昨日、張り始めてから放っておいたらどんどん重くなったし、早めに行った方が楽だと思う」
「でも……」
「大丈夫だよ」
そう言って彼女の隣へ移動したのは、今朝「一緒に残る」と決めた少女だった。
「私も行くから」
「……うん」
その言葉には素直に頷いた。
「じゃあ、私も行こうかな」
図書委員の少女が立ち上がると、隣にいた相手も当然のように続く。
「私も」
「昨日みたいに、症状出てない人もいた方がいいよね」
「何かあった時、一人じゃ困るし」
「だったら、みんなで行く?」
誰かが何気なく口にした。
一瞬だけ、十四人が互いの顔を見る。けれど、反対する者はいなかった。症状のある者だけで行かなければならないわけではないし、昨日も、まだ胸の張っていない者が身体を支えたり、様子を見たりしていた。
それに、今さら何人かだけ教室へ残る理由も特になかった。
「じゃあ、今日は全員で行こっか」
「うん」
そうして、その日教室に残った十四人は、揃って大浴場へ向かうことになった。
昨日までは、胸から白い液体が出ることそのものが全員を混乱させるほどの異常だった。それがわずか二日目には、胸が張ってきたから風呂へ行くという選択が、あまりにも自然なものになっている。
浴場へ続く廊下を歩きながら、図書委員の少女は一瞬だけその変化を不思議に思った。けれど、すぐ隣を歩いていた少女の腕が自分の腕へ触れる。
どちらからともなく離れることはなく、その温かさを意識した途端、先ほどまで考えていたことも、いつの間にか頭から薄れていた。
◇ ◇ ◇
服を脱ぎ、身体を洗ってから、十四人で広い浴場へ入る。
全員が揃っていても、空間にはまだ十分すぎるほど余裕があった。それなのに今日は、誰もわざわざ広く散らばろうとはしなかった。
張りのある者の傍へ誰かが座り、その周囲にも自然と人が集まっていく。症状のない者まで、昨日一日でできた組み合わせの近くへ何となく落ち着いていた。
そして何より、今日はもう誰も「どうすればいいんだろう」とは言わなかった。一人でどうにかするより、誰かに手伝ってもらった方がずっと楽になる。昨日一日だけで、それはすでに共通知識になっていた。
「ここ座って」
「うん」
今朝初めて症状が出た少女だけは、やはりまだ緊張しているようだった。洗い場へ腰を下ろしてからも、自分の胸元を何度も見下ろしている。
そんな彼女の正面へ、付き添って残った少女が座った。
「嫌だったらすぐ言ってね」
「……昨日も、みんなこうしたの?」
「うん。私も最初はびっくりしたけど、本当に楽になるよ」
「そっか」
友人の顔を見たことで安心したのか、強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。その様子を見届けてから、図書委員の少女も昨日と同じ相手へ向き直る。
「私たちも?」
「まだ張ってない?」
「少しだけ」
「じゃあ、今のうちにやっとく?」
「……うん」
昨日なら、その一言を口にするまで少し迷っただろう。
今日は違った。
むしろ相手が自分の正面へ座り直してくれることに、どこか安心している自分がいた。大きくなった胸を下から支えてもらい、どの辺りが特に重いのかを確かめてもらう。
「ここは?」
「少し張ってる」
「昨日ほどじゃないね」
「うん。でも、奥の方が重い感じ」
相手の手がゆっくりと動くたび、胸の内側に残っていた硬さが少しずつほぐれていった。やがて白い液体が滲み始め、さらに揉みほぐされているうちに、内側へ溜まっていたものが一気に抜けたのか、白い液体が思った以上の勢いで溢れて濡れた床へ落ちた。
「……っ」
その瞬間、思わず身体から力が抜けた。
「大丈夫?」
「うん。痛くない。むしろ……」
「むしろ?」
そこまで聞かれ、図書委員の少女は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。昨日なら誤魔化していたかもしれない。けれど今日は、口から素直な言葉が出た。
「……気持ちいい」
自分で言ってしまうと、余計に恥ずかしい。それでも相手は笑わなかった。
「楽になるから?」
「それもあると思う。でも……それだけじゃないかも」
「そっか」
相手の表情が柔らかくなる。
「じゃあ、もうちょっと続ける?」
「……うん」
白い液体が流れ出るたび、内側の重さが抜けていく。身体が楽になっていく感覚と、触れられていることそのものの心地よさが少しずつ混ざり合い、どこからどこまでが「楽」で、どこからが「気持ちいい」のか、もう自分でも判然としなくなっていた。
しばらくすると、先ほどまで流れていた白い液体も次第に少なくなっていく。胸の奥にあった張りも、ほとんど感じなくなった。
「……もう大丈夫だよ」
そう伝える。
けれど、相手の手はすぐには離れなかった。
「うん」
「……もうほとんど出てないよ?」
「知ってる」
「じゃあ……」
相手が、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「でも、気持ちいいでしょ?」
「それは……そうだけど」
「嫌ならやめるよ?」
一瞬だけ迷う。
けれど、自分から離れようとは思えなかった。それどころか、今ここで手を離されることを想像すると、少しだけ惜しいと感じている自分に気づいてしまった。
「……嫌じゃない」
「じゃあ、もう少しだけ」
「……うん」
今度は白い液体を出すためではなく、ただゆっくりと揉みほぐすような触れ方へ変わっていく。身体のために必要だから続けているわけではない。
そのことには、図書委員の少女自身ももう気づいていた。それでも止めてほしいとは思わなかった。
「気持ちいい?」
「……聞かないでよ」
「だって、さっき自分で言ったじゃん」
「そうだけど」
「じゃあ違うの?」
少しからかわれている。
それが分かっていても、不思議と嫌ではない。
「……気持ちいいよ」
「そっか」
嬉しそうに笑われると、妙に恥ずかしくなる。けれど、胸元へ触れられたまま相手の顔を見ていると、身体だけでなく気持ちまでゆっくりほどけていくようだった。
周囲でも、似たような変化が起き始めていた。
胸の張りを軽くするところまでは、昨日と同じだった。違うのは、そのあとだった。
「もう大丈夫?」
「うん」
「じゃあ、やめる?」
「……もう少し」
そんな会話が、あちらこちらから聞こえてくる。
張りが消えたあとも胸を揉みほぐしてもらい、そのまま相手の肩へ頭を預ける者。もう身体を支えてもらう必要などないのに、抱かれた腕の中から離れようとしない者。昨日からキスをしていた二人など、他の者よりさらに抵抗が薄かった。
「もう張ってないでしょ?」
「うん」
「じゃあ、何でまだ触ってるの?」
「嫌?」
「……嫌じゃない」
それだけ確認すると、二人の距離が自然に縮まった。片方がもう一人を抱き寄せる。大きくなりすぎた胸同士が二人の身体の間で柔らかく押し合い、どぷん、と重たい感触を伴って形を変えた。
「……すご」
「何が?」
「いや、胸……」
「自分だって同じでしょ」
「そうだけど」
顔を見合わせて笑う。
それでも身体は離れない。むしろ、抱き合ったことで生まれた柔らかな圧迫感を確かめるように、もう少しだけ強く身体を寄せていた。
「……これも、ちょっと気持ちいいかも」
「分かる」
「分かるんだ」
「だって同じこと感じてるし」
笑い合ったあと、どちらからともなく顔が近づいた。
唇が重なる。昨日のように一瞬触れて終わりではなく、抱き合った腕も、互いの胸元へ置かれた手も離れない。一度唇を離しても、すぐ近くに相手の顔がある。
目が合う。それだけで、また自然に唇が重なった。
「……あの二人、昨日より進んでない?」
少し離れたところで、誰かが笑った。
「進んでるね」
「でも、見てる方も慣れてきた」
「それ言ったら私たちも大概じゃない?」
「確かに」
浴場に笑い声が広がる。
もう誰も、キスをしている二人を特別なものとして眺めてはいなかった。そんな周囲の様子を見ていた図書委員の少女は、ふと背中へ温かいものが触れたことに気づく。
「え?」
「こっち向かなくていいよ」
いつの間にか、先ほどまで正面にいた相手が背後へ回っていた。
「何するの?」
「後ろからの方が支えやすいかなって」
「本当に?」
「多分」
笑いながら、背中から両腕が回ってくる。そのまま大きく張り出した胸を下から抱えるように持ち上げられた瞬間、どぷん、と重い柔らかさが腕の中で揺れた。
「……重っ」
「だから言ったでしょ」
「分かってたけど、こうするとすごいね」
「ちょっと」
文句を言いながらも、図書委員の少女は逃げなかった。
背中には相手の身体が密着している。後ろから抱き込まれた姿勢のまま、大きな胸を両腕で支えられると、それだけでも身体を前へ引いていた重さが少し楽になる。
「これ、結構楽じゃない?」
「……楽だけど」
「じゃあこのままね」
耳元でそう言われる。
背中には相手の体温があり、前からは胸をゆっくりと揉みほぐされる。すでに白い液体はほとんど出ていない。身体を楽にするという目的だけなら、とうに達成しているはずだった。
「……もう大丈夫だよ」
「うん」
「じゃあ、やめないの?」
「でも、気持ちいいでしょ?」
また同じことを言われた。しかも今度は、すぐ耳元で。
図書委員の少女は少しだけ肩を縮めた。
「……ずるい」
「何が?」
「それ言われると、断れない」
「嫌ならちゃんとやめるよ」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、もう少し」
「……うん」
結局、また同じ答えになる。背後から抱きしめられたまま、胸をゆっくり揉みほぐされる。相手の顎が肩口へ触れ、耳元に息がかかるたび、身体が僅かにこわばっては、そのまま相手へ預け直した。
昨日までなら恥ずかしさの方が強かったはずなのに、今は背後から包み込まれるような姿勢そのものが心地よかった。
「ねえ」
「何?」
「こっち向いて」
「こう?」
少しだけ振り返る。
背後から抱かれているせいで、顔同士の距離は思っていた以上に近かった。一瞬、互いに黙る。
「……嫌だったら言って」
「またそれ?」
「大事でしょ」
「……嫌じゃない」
今度は、答えた側から少しだけ顔を寄せた。唇が重なる。身体は抱かれたままで、胸を支えていた腕も離れない。一度唇が離れても、背中へ回された腕のせいでほとんど距離は開かず、そのままもう一度キスをした。
最初は身体を楽にするためだった。けれど今はもう、それだけでは説明できない。そんなことは、自分たちが一番よく分かっていた。
◇ ◇ ◇
さらに時間が経つにつれて、浴場の中では別の試みまで始まっていた。
「ねえ……手でやるより、もっと楽な方法ってないのかな」
誰かがそんなことを言ったのが始まりだった。
「もっとって?」
「だって、自分でやるより他の人にやってもらった方が出やすいんでしょ?」
「うん」
「だったら、やり方変えたらもっと出たりしない?」
「どうやって?」
そこで会話が一度途切れる。
誰かが冗談めかして別の方法を口にすると、最初は何人かが笑った。けれど、すぐにその笑い声も弱くなっていく。
「……試す?」
「本気?」
「嫌ならやめればいいし」
しばらく迷った末、一組だけが本当に試すことになった。
図書委員の少女も、気になってそちらへ視線を向けた。片方が洗い場へ腰を下ろし、もう片方がその前へ座る。最初は互いにかなり恥ずかしそうだった。
けれど、嫌ならすぐ止めることを確認したあと、前に座った少女が相手の胸元へ顔を寄せる。細かなところまでは、湯気と互いの身体に隠れてよく見えなかった。ただ、何をしているのかは分かった。
「……どう?」
誰かが尋ねる。
答えはすぐには返ってこなかった。胸を支えてもらっている少女が少し驚いたように目を見開き、やがて徐々に力を抜いて相手へ身体を預けていく。
「……これ」
「痛い?」
「違う……すごく出る」
その声は、明らかに驚いていた。
しばらくして、胸元へ顔を寄せていた少女が離れる。口元には、白い雫が僅かに残っていた。
「本当に?」
「うん。手でやるより早いかも」
「そっちは大丈夫?」
「……大丈夫」
少し恥ずかしそうに答えたあと、胸を預けていた少女がさらに小さな声で付け加える。
「むしろ、すごく楽だった」
そこで終われば、まだ新しい対処法を一つ見つけただけだったのかもしれない。
けれど、しばらくして相手が離れようとすると、彼女はその肩へ手を置いた。
「……もう少し」
「まだ張ってる?」
「ちょっとだけ」
「本当に?」
「……半分くらいは」
「半分?」
問い返され、頬を赤くする。
それでも手を離さなかった。
「気持ちいいから……もう少しだけ」
その言葉に、周囲から驚きより先に小さな笑いが漏れた。
「言っちゃった」
「だって本当なんだもん」
「じゃあ、もう一回だけね」
「うん」
再び胸元へ顔が寄せられる。今度は、先ほどよりずっと自然だった。
その光景を見ていた他の者たちも、最初ほど驚かなかった。昨日なら、誰かが声を上げて止めていたかもしれない。
今日は「そんな方法もあるんだ」とでも言うような空気で眺めている。
やがて別の一組まで、
「……私たちも試してみる?」
と相談を始めた。
その時、図書委員の少女は自分でも妙なことに気づいた。目の前で起きていることを、おかしいと思う気持ちはまだある。それなのに、それ以上に「どれくらい楽になるんだろう」と考えている自分もいた。
昨日なら、そんな発想自体に戸惑っていたはずなのに。
◇ ◇ ◇
そこから先は、昨日以上に時間の感覚が曖昧になった。
張ってきた者がいれば、誰かが自然に手を貸す。けれど身体が楽になったあとも、すぐに互いから離れる者はほとんどいなくなっていた。
胸を揉みほぐしてもらいながら、相手の肩へ頭を預ける者。背後から抱きしめられ、大きな胸を両腕で支えられたまま何でもない話を続けている者。
互いの胸へ手を添えたまま、ゆっくり唇を重ねている二人。抱き合ったことで胸同士が柔らかく押し合う感触を面白がり、そのまま離れなくなった者たち。
少し離れた場所では、先ほど新しい方法を試していた少女が再び相手へ身体を預け、すっかり力の抜けた顔で目を細めている。
誰かが嫌がっている様子はなかった。むしろ「大丈夫?」「嫌じゃない?」と確認する言葉は何度も交わされ、そのたびに返ってくる答えも似たものだった。
「大丈夫」
「嫌じゃないよ」
「もう少しだけ」
昨日なら、途中で誰かが「こんなことをしていていいのだろうか」と口にしていたかもしれない。
今日は、その疑問自体が浮かぶ回数さえ減っていた。
図書委員の少女は湯船の縁へ背を預けながら、隣に座った相手の肩へ頭を乗せていた。相手の腕が自然に背中へ回っている。
「……眠い?」
「ちょっと」
「寝る?」
「ここで?」
「沈まないようにするよ」
「それは怖い」
二人で笑う。
さすがに眠るのはまずいと思って身体を起こしたものの、互いの距離まで離れることはなかった。
「胸は?」
「今は平気」
「そっか」
そう答えても、相手の手はすぐには離れない。
図書委員の少女も、もうそのことを指摘しなかった。むしろ、このままでいてほしいと思っていた。
「ねえ」
「ん?」
「昨日より、今日の方が変じゃない?」
「変って?」
「だって、もう張ってないのに」
言いながら、自分たちの姿へ視線を落とす。身体を寄せ合ったまま、相手の手は自分の胸へ置かれている。自分も相手の身体へ腕を回し、離れる気配がない。
「……確かに」
「でしょ?」
「でも、嫌?」
昨日も聞かれた言葉だった。
答えには、もう迷わなかった。
「嫌じゃない」
「私も」
それだけで会話は終わり、少ししてまた唇が重なった。今度は驚きもしない。自然に目を閉じ、相手の肩へ腕を回す。本来、大浴場は三十人全員が入っても余裕があるほど広い。それなのに今日は、妙に狭く感じられた。
十四人の誰一人として広い空間を使おうとはせず、自然と誰かの近くへ集まり、手を伸ばせば互いの身体へ触れられる距離で過ごしていたからだ。
やがて、浴場の外から聞き慣れた声が響いた。
「ただいまー!」
葵の声だった。
けれど、浴場の中で顔を上げる者はいなかった。
二人で向かい合ったまま胸を揉みほぐしている者は、その相手の反応しか見ていない。背後から抱きしめられている少女は、耳元で何か囁かれて笑っている。キスをしている二人には、そもそも外の音がほとんど耳に入っていないようだった。
胸元へ顔を寄せられている少女も、力の抜けた表情で相手の肩へ手を置いたまま、外から響く声にはまるで反応しない。
「誰かいないのー?」
もう一度、声がした。
先ほどより近い。
それでも十四人の誰も答えなかった。別に無視しようとしているわけではない。本当に、気づいていなかったのだ。今目の前にいる相手と、自分の身体へ返ってくる感覚だけで意識がいっぱいになっていた。
「教室、誰もいないよ?」
「十四人全員?」
「昨日もお風呂にいたんじゃなかった?」
遠くから聞こえる声は、少しずつ近づいている。それでも浴場の中では、誰かが小さく笑い、別の誰かが相手の名前を呼び、湯の流れる音に混じって柔らかな声を漏らしていた。
「……もう大丈夫じゃない?」
「うん」
「じゃあ、そろそろ――」
「でも、気持ちいいでしょ?」
「……うん」
そんなやり取りに意識を奪われ、探索組の声は誰の耳にも意味のある言葉として届かなかった。
やがて脱衣所側の扉が開いた。
「いるー?」
葵の声が、今度ははっきり浴場まで届く。
それでも、すぐには誰も反応しなかった。
「……いる?」
足音が近づいてくる。
そして数秒後。
「ちょっと、何して――」
浴場へ入ってきた麗華の声が、途中で途切れた。
その後ろにいた蛍も、香奈恵も、琴音も、葵も、揃ってその場で動きを止める。誰も、すぐには言葉を発さなかった。
湯気の向こうには、教室へ残った十四人全員がいた。
麗華たちが目を見開いた理由は、図書委員の少女にもすぐ分かった。
肩を寄せ合っているだけの者もいる。背後から抱きしめられ、大きな胸を両腕で抱えるように支えられながら、力を抜いて身体を預けている者もいる。
別の二人は互いの胸へ手を添え、柔らかな重みを確かめるように揉みほぐしながら、長く唇を重ねていた。さらに別の二人は胸同士が潰れるほど身体を寄せ合い、抱き合ったまま顔を近づけている。
そして一番奥では、片方が相手の胸元へ顔を寄せたまま、白い液体を直接外へ出すのを手伝っていた。その相手は、浴場へ誰かが入ってきたことにも気づかず、目を細めて身体を預けている。少なくとも、昨日までの「身体がつらいから仕方なくやっている」という光景ではなかった。
「……え?」
ようやく葵の口から、掠れた声が漏れた。
その声で、近くにいた何人かがようやくこちらを見る。
「あ……」
一人が瞬きをする。
「帰ってたんだ」
「いや、帰ってたんだじゃないでしょ!」
麗華の声が浴場へ響いた。
その声で、さらに何人かがようやく我に返る。
長くキスをしていた二人が唇を離し、背後から抱いていた少女も少しだけ腕を緩める。それでも、昨日のように一斉に飛び退いたり、慌てて身体を隠したりする者はいなかった。
図書委員の少女も、隣の相手から少し身体を離しただけだった。
「あなたたち、何してるのよ……」
今度の麗華の声は、先ほどより低かった。
怒鳴るというより、目の前のものをどう受け止めればいいのか分からないような声だった。
「何って……」
一人が困ったように自分たちの姿を見る。
「昨日と同じこと?」
「同じじゃないでしょう!」
「今日も最初は同じだったよ」
「最初は?」
香奈恵が聞き返した。
麗華のように声を荒らげてはいない。けれど、その表情も明らかに強張っていた。蛍も何も言わず、目の前の十四人を見つめている。やがて、その視線が図書委員の少女のところで止まった。
「……胸、まだつらいの?」
「今は大丈夫」
「じゃあ、何で……」
そこまで言って、蛍は口を閉じた。
胸が楽になったあとも、どうして触れ合い続けているのか。なぜ抱き合い、キスまでしているのか。どうして、あんな方法まで試そうと思ったのか。
そして何より、どうして自分たちがあれだけ呼んでいたのに誰一人気づかなかったのか。
蛍の表情を見ていれば、聞きたいことがいくらでもあるのだろうということくらいは分かった。けれど図書委員の少女自身にも、それらへ一つずつ理屈をつけて説明できるような答えはなかった。
「……落ち着くから」
代わりに、別の少女が静かに口を開いた。
「え?」
「こうしてると、落ち着くの。胸も楽になるし、それに……触ってもらってるの、嫌じゃないし」
「嫌じゃないって……」
麗華が絶句する。
すると、先ほどまでキスをしていた少女の一人が、少し恥ずかしそうに、それでも否定する様子もなく笑った。
「むしろ、気持ちいいよ」
その一言に、探索組の表情が揃って固まった。
けれど浴場側では、誰もその言葉を否定しなかった。
図書委員の少女自身も同じだった。
最初は身体を楽にするためだった。昨日までは、少なくともそれだけだったはずだ。けれど今日は、張りがなくなったあとも触れていてほしいと思った。
自分から相手へ触れたいとも思った。背中から抱きしめられれば安心したし、胸を揉みほぐされるのも、相手の身体と密着して大きな胸同士が押し合う感触も、もう不快ではなかった。
キスをされれば、離れたあとにもう一度したいと思った。そんな自分の変化を認めることには、まだ少しだけ恥ずかしさが残っている。
それでも、否定したいとは思わなかった。
「……誰か、嫌なのにやってる子いる?」
香奈恵が、しばらく黙ったあとでゆっくり尋ねた。
浴場にいた者たちが互いの顔を見る。手を上げる者はいない。
「無理やり触られたとか、やめたいのにやめてもらえなかったとか」
それにも誰も頷かなかった。
「ないよ」
「私も」
「嫌なら普通にやめる」
「むしろ、自分からお願いしたし」
「私も……もう少しって言った」
答えが次々と重なっていく。
香奈恵は、それ以上すぐには何も言わなかった。麗華も同じだった。蛍の表情も、さっきから少しも和らいでいない。
誰も苦しんでいるわけではないし、助けを求めている者もいない。むしろ胸の張りが軽くなったことで、昨日より穏やかな顔をしている者の方が多かった。
互いに助け合い、そのうえで自分たちが望んで触れ合っている。だからこそ、何がおかしいのかを言葉にすることが難しいのだろう。少なくとも、今この場で誰かが傷つけられているわけではない。
それでも蛍たちの顔を見ていると、昨日までとは明らかに何かが違ってしまったのだということだけは、図書委員の少女にも分かった。
「……私たち、何回も呼んだんだけど」
やがて蛍が言った。
「え?」
図書委員の少女は、本当に何のことか分からず瞬きをした。
「ただいまって。誰かいないのって。教室にも誰もいないから、ここまで探しに来た」
「……聞こえなかった」
思わず、素直な答えが出た。
「十四人全員?」
「……多分」
周囲を見る。
他の者たちも、気まずそうにしながら頷いていた。
「気づかなかった」
「私も」
「全然……」
誰かが小さく呟く。
蛍は、その答えを聞いてしばらく何も言わなかった。
迷宮の奥を命懸けで歩いていた十六人が帰ってきた声さえ、自分たちには届かなかった。誰かに命令されたわけでも、無理やりそうさせられたわけでもない。
身体を楽にするために始め、自分たちで続きを選び、その結果として、周囲のことが耳に入らなくなるほど互いに夢中になっていた。
黙り込んだ蛍の硬い表情を見ていると、その事実が今さら図書委員の少女の胸にも冷たく落ちてきた。
「……そう」
やがて蛍から出てきたのは、それだけだった。
湯気の向こうで、図書委員の少女はまだ隣の相手と近い距離にいる。
他の者たちも似たようなものだった。探索組に見つかったことで、さすがに先ほどまでのように夢中ではいられない。それでも、互いから完全に離れたいと思っているようには見えなかった。
昨日までは、胸の張りを軽くするために始めた方法だった。それが今日にはもう、ただ身体を楽にするためだけのものではなくなっていた。