爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~   作:a-ru

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第三十一話『進んでも、終わらない』

 翌朝になっても、琴音が感じた熱っぽさは消えていなかった。

 

「……149.1センチ」

 

 メジャーの数字を読み上げた本人が、嫌そうに眉を寄せる。数字だけなら昨日からちょうど二センチで、ここ数日続いてきた成長と何も変わらない。

 

 けれど、感覚まで同じというわけではなかった。

 

「まだ熱い?」

 

 蛍が尋ねると、琴音は自分の胸元へ手を添え、少し迷ってから頷いた。

 

「昨日よりは分かりやすいかも。痛いとかじゃないんだけど……なんか、中に熱が残ってる感じ」

 

「張ってる?」

 

「そこまではまだ。でも、いつもの重さとはちょっと違う」

 

 その答えを聞いた香奈恵と麗華の表情が揃って僅かに曇った。二人ともすでに似た感覚を知っている。

 

 胸の奥からじわじわと広がる熱と、時間が経つほど増していく重さ。そして身体そのものが、内側から何かを作り続けているような圧迫感。

 

「無理しない方がいいんじゃない?」

 

 葵が心配そうにそう言って、続けて尋ねる。

 

「今日は残る?」

 

「いや、行く」

 

 琴音の返事は早かった。

 

「まだ熱いだけだし、防具着けたら多分かなり楽になるでしょ。昨日決めた通り、変になったらすぐ言う」

 

「本当に?」

 

「本当に。ここで休んだら、次の日もっと行きづらくなりそうだし」

 

 冗談めかした言い方だったものの、その言葉に完全な軽さはなかった。

 

 今日だけ休んで、明日はまた行く。

 

 そう言いながら、実際にはそのまま待機組へ加わっていった少女を、ここ数日で何人も見ている。琴音自身も、それを意識しているのだろう。

 

「分かった。でも本当に変だと思ったら、すぐ言ってね」

 

「了解」

 

 蛍が念を押すと、琴音はいつものように片手を上げた。

 

 その日の探索へ出たのは昨日と同じ十六人で、大浴場で決めた約束通り、待機組の十四人が全員同時に教室を空けることもなかった。

 

 少なくとも、その日は。

 

◇ ◇ ◇

 

 その日の探索も、目に見えて停滞していたわけではなかった。

 

 むしろ地図は以前よりずっと速い速度で埋まっていった。

 

 三班に分かれて探索する方法にも慣れ、一つの班が新しい通路を調べている間に、別の班が以前途中までしか進めなかった枝道を確認する。強い魔物を避ける判断も早くなり、戦う必要がある時には以前より少ない人数でも倒せるようになっていた。

 

 新しい下り階段も見つかった。

 

 一つ降りれば、また別の広い階層が現れる。その先まで進めば、さらに下へ続く階段が見つかった。

 

 確かに進んではいる。その事実だけは疑いようがない。

 

 けれど、終わりが見えなかった。

 

 どれだけ地図を埋めても、その先にはまた新しい通路があり、ようやく階段を見つけたと思えば、その下にはさらに広い空間が待っている。

 

 迷宮に入ったばかりの頃なら、下へ進めたというだけで歓声が上がっていただろう。

 

 今では誰かが階段を見つけても、

 

「……また下?」

 

 そんな言葉が先に出ることさえあった。

 

 それでも歩みを止める者はいない。ここで止めてしまえば、それこそ全てがそこで終わってしまうからだ。

 

◇ ◇ ◇

 

 翌朝。

 

「……152.6」

 

 琴音は数字を読み上げたあと、しばらくメジャーを見つめたまま動かなかった。

 

「昨日いくつだっけ?」

 

 葵が尋ねる。

 

「149.1」

 

「3.5センチ?」

 

「うん」

 

 これまでなら、睡眠を挟んだ翌朝の増加量はほぼ二センチだった。多少の誤差はあっても、三センチを大きく超えるようなことはなかった。

 

 琴音はメジャーを外すと、改めて自分の胸を両腕で支えた。

 

「……やっぱり、これ成長だけじゃないよね」

 

「張る感じは?」

 

 香奈恵が聞く。

 

「ある。昨日よりはっきり」

 

 琴音は嫌そうに顔をしかめた。

 

「あと、朝起きた時ちょっと濡れてた」

 

 その一言で、蛍たち五人の間に短い沈黙が落ちた。

 

「白かった?」

 

「……うん」

 

 琴音は小さく頷く。

 

「多分、同じやつ」

 

 誰も口にはしなかったものの、全員が同じことを思った。

 

 とうとう琴音も、香奈恵や麗華と同じ段階へ入ったのだ。

 

 それでも琴音は探索を休まなかった。防具を身につけて迷宮へ続く扉を越えれば、実際に重さも張りもかなり軽くなったからだ。

 

「……やっぱり楽」

 

 境界を越えてすぐ、琴音は胸元へ手を当てながら安堵したように息を吐いた。

 

「教室だとずっと気になるのに、防具着けるとほとんど分かんない」

 

「だから余計に怖いのよ」

 

 麗華が答える。

 

「何が?」

 

「気づかないうちに溜まってるってことでしょう」

 

「……ああ」

 

 琴音の表情が少しだけ引きつった。

 

 その麗華自身も、防具を着けている間はずいぶん楽そうだったが、探索を終えて教室へ戻れば事情は変わる。

 

 防具の魔力が消えた瞬間、麗華は決まって大きく息を吐き、まず両腕で胸を支えるようになった。香奈恵も似たようなもので、二人とも日を追うごとに重さが増している。

 

 白い液体も完全には止まらず、眠っている間や身体を洗っている最中に自然と漏れてしまうことがあった。

 

 それでも二人は、積極的に外へ出そうとはしなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その次の日も、そのさらに次の日も探索は続いた。

 

 琴音の数字も、155.8、159.4と日を追うごとに増えていく。

 

 通常の成長だけなら一日二センチ程度だったはずなのに、明らかにそれを上回っている。

 

 しかも、朝に測った数字だけで終わらない。探索から戻った夕方には、胸の張りも重さも朝より強く感じられた。

 

 寝ている間に胸そのものが大きくなり、起きている間にも別の何かが内側へ溜まっていく。

 

 香奈恵や麗華に起きていたことが、琴音にもはっきり現れ始めていた。

 

「また我慢してるの?」

 

 四日目の夕方、迷宮から戻ってきた麗華へ待機組の一人が何気なく尋ねた。

 

 麗華は防具を外した直後で、支えを失った胸の重さが一気に身体へ戻り、思わず前屈みになりかけたところを両腕で抱え直していた。

 

「……我慢してないわよ」

 

「してるじゃん」

 

「これくらい平気」

 

「昨日もそれ言ってたよ?」

 

「平気なものは平気なの」

 

 そう言い切った麗華の額には、僅かに汗が浮かんでいた。待機組の少女は困ったように首を傾げる。

 

「出しちゃえば楽になるのに」

 

「結構よ」

 

「手伝うよ?」

 

「いらない」

 

「何で?」

 

 責めるような響きはなく、本当に分からないという声だった。

 

 麗華が一瞬、言葉に詰まる。

 

「何でって……」

 

「苦しいんでしょ?」

 

「だからって……」

 

「別に嫌なことしなくてもいいよ。張ってる分だけ出したら、それで終わりにすればいいし」

 

 その言葉自体は正しい。少なくとも身体の負担を軽くするだけなら、それで済むはずだった。

 

 それでも麗華は一瞬だけ大浴場へ続く方へ視線を向け、すぐに顔をしかめた。

 

 その様子を見た蛍の脳裏にも、数日前に見た十四人の姿が蘇る。

 

 最初は、あの子たちも身体を楽にするためだった。

 

 それが少しずつ、触れられること自体を求めるようになり、抱き合い、キスをし、最後には探索組が何度呼んでも気づかないほど互いへ夢中になっていた。

 

「……いいって言ってるでしょ」

 

 麗華はそれ以上説明せず、少女から顔を背けた。

 

 待機組の少女も無理には勧めなかった。

 

「そっか。じゃあ、つらくなったら言ってね」

 

 ただそれだけ告げて、別の少女のところへ戻っていく。

 

 麗華はその背中を睨むように見送りながら、さらに胸を支える腕へ力を込めた。

 

「……何であっちが普通みたいな顔してるのよ」

 

 その呟きを近くにいた蛍だけが聞いたが、蛍にも返せる言葉はなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 変わっていったのは数字だけではなく、待機組の過ごし方も一日ごとに少しずつ変化していった。

 

 大浴場で決めた約束そのものは守られている。

 

 十四人全員が同時に教室を空けることはなくなり、何人かが浴場へ行く時には必ず誰かが教室に残って、しばらくしたら交代する。探索組が帰ってくれば、今度はすぐに気づいて声を掛けるようにもなった。

 

 その意味では、話し合ったことは無駄ではなかった。

 

 ただし、別の問題が生まれた。

 

 五日目の朝、いつもの測定を始める少し前だった。

 

「……ここでやるの?」

 

 葵が思わず聞く。

 

「うん?」

 

 待機組の一人が、不思議そうに顔を上げた。

 

 その少女は教室の壁際へ座り、胸元を楽にするように服を緩めていた。正面には、昨日からよく一緒にいる別の少女が座っている。

 

「だって、ちょっと張ってるだけだし。お風呂まで行かなくてもよくない?」

 

「いや、まあ……そうだけど」

 

 葵が言葉に詰まる。

 

 もう一人の少女が大きな胸を支えるように手を添える。その行為自体は、ここ数日で何度も見てきた。

 

 問題は、そのあとだった。

 

「こっちの方が早いよ」

 

「うん」

 

 少女が相手の胸元へ顔を寄せ、蛍は反射的に目を逸らしかけた。

 

 大浴場で初めて見た時には、十四人の中でも一組だけが試していた方法だった。それが今では、教室の中で特に隠されることもなく行われている。

 

 しばらくすると、胸を預けていた少女が長く息を吐いた。

 

「……やっぱり楽」

 

「まだ張ってる?」

 

「ちょっと。もう少しお願い」

 

「分かった」

 

 そんな会話をしている傍で、別の待機組は普通に荷物を整理し、少し離れたところでは二人が何でもない雑談を続けている。こちらの様子を見ても、特に気にした様子はなかった。

 

「……ここ、教室なんだけど」

 

 麗華が低い声で言った。

 

 待機組の一人が振り返る。

 

「でも、私たちしかいないよ?」

 

「私たちがいるでしょうが」

 

「同じクラスじゃん」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 思わず声を上げた麗華に、相手は少し困ったような顔をした。

 

「嫌なら見なくていいよ?」

 

「……っ」

 

 麗華が完全に言葉を失う。

 

 悪意があるわけでも、からかっているわけでもない。

 

 ただ本当に、相手にとってはそれが隠すほど特別なことではなくなり始めているのだ。

 

 蛍は行為そのものより、むしろそのことの方が気になった。

 

 数日前までなら、白い液体が滲んだだけで全員が息を呑んでいた。それが今では、

 

「少し張ってきた」

 

「じゃあ手伝う?」

 

 その程度の会話で済んでしまい、直接受け取る方法を使う者も一組だけではなくなっている。

 

「……飲んでるんだよね、あれ」

 

 探索へ出る直前、葵が蛍の耳元で小さく呟いた。

 

「多分」

 

「大丈夫なのかな」

 

「分からない」

 

 答えながら、蛍は待機組の何人かへ目を向ける。

 

 ここ数日、彼女たちの成長速度にも妙なばらつきが出始めており、二センチどころではなく増えている日さえあった。

 

 単に分泌液が溜まっているせいなのか、それとも別の理由があるのかは、まだ誰にも分からない。

 

 ただ、待機組自身は数字の増加を以前ほど気にしていないように見えた。

 

 そこも、蛍には気になった。

 

◇ ◇ ◇

 

 その日の測定で、葵の番が回ってきた。

 

「……150.9」

 

 測定を担当していた琴音が数字を読み上げると、葵はしばらく無言でメジャーを見つめた。

 

「もう一回」

 

「変わらないと思うけど」

 

「いいから」

 

 言われた通りに測り直しても、結果は変わらない。

 

「150.9」

 

「……最悪」

 

 葵が天井を仰いだ。

 

 少し離れたところで自分の測定を終えていた蛍は、苦笑することさえできなかった。蛍自身は前日の時点ですでに百五十を超えており、今、元々最も小さい側だった葵まで百五十を超えた。

 

 琴音が手元の記録を遡っていく。

 

「……これで」

 

 途中で一度指を止め、もう一度確認した。

 

「多分、三十人全員が百五十以上」

 

 その一言で教室の空気がほんの少しだけ変わったものの、歓声は上がらず、誰も祝おうとはしなかった。

 

 それでも、一つの区切りを越えたのだということだけは全員に分かった。

 

「全員か……」

 

 蛍が呟く。

 

 最初は百センチを超えることさえ現実味がなかった。百二十を超えた頃には、身体だけでなく気持ちにまで変化が出始め、そして今、三十人全員が百五十を超えた。

 

 それが何を意味するのか、まだ答えは分からない。

 

 ただ、白い液体が出る者が増え始めている以上、単なる数字の通過点ではないことだけは確かだった。

 

「琴音は?」

 

 葵が聞く。

 

「……163.0」

 

「昨日は?」

 

「159.4」

 

「また三センチ以上じゃん」

 

「……うん」

 

 琴音は笑わなかった。

 

「やっぱり二センチじゃなくなってる」

 

 三日目には155.8、昨日は159.4。そして今日は163.0。

 

 夜の間に起こる身体そのものの成長へ、胸の内側に溜まるものが加わっている。そう考えるのが一番自然だった。

 

 実際、朝より夕方の方がさらに大きく感じる日もあり、眠っていないのに数字が増える現象はすでに香奈恵や麗華で確認されている。

 

 今度は琴音にも、同じことが起きていた。

 

「……香奈恵と麗華は?」

 

 琴音が尋ねる。

 

「測る必要ある?」

 

 麗華が露骨に嫌な顔をした。

 

「記録はした方がいいと思う」

 

「……分かったわよ」

 

 渋々メジャーを回し、その数字を見た琴音が一瞬だけ黙った。

 

「何よ」

 

「いや」

 

「言いなさいよ」

 

「……179.6」

 

 麗華の顔が引きつった。

 

「……は?」

 

「179.6センチ」

 

「聞こえてるわよ!」

 

 思わず声を荒らげたあと、麗華は自分の胸元を見下ろして黙り込んだ。

 

「香奈恵は……178.9」

 

「私もそんなに?」

 

 香奈恵も一瞬だけ表情を固くした。

 

 二人とも、いつの間にか百七十を大きく超えていた。しかもこれは朝の数字で、時間が経ってさらに中へ溜まれば、夕方には百八十を超えていてもおかしくない。

 

 ただ大きいだけではない。液体が溜まれば、その分だけ重さも増していく。

 

 教室で立ち上がる時にはまず胸を支え、歩き始めるまでに一度姿勢を整える。長く立っていれば自然と肩や背中に疲れが溜まり、急に方向を変えれば重い胸が遅れて動く。

 

 身体そのものが適応しているおかげで日常生活ができないほどではないものの、楽とはとても言えなかった。

 

「本当に出さないの?」

 

 待機組の少女が、また香奈恵へ尋ねる。

 

「今は大丈夫」

 

「昨日も同じこと言ってたよ」

 

「まだ耐えられるから」

 

「何で耐えるの?」

 

 香奈恵はすぐには答えず、差し出されるように向けられた相手の手へ一度だけ視線を落とした。

 

「楽になった方がよくない?」

 

「手伝うよ」

 

「張ってるの見たら分かるよ?」

 

 どれも善意から出た言葉だからこそ、断るのが難しい。

 

「……ありがとう。でも今はいいわ」

 

 香奈恵は毎回そう答えていたが、それ以上の理由を口にすることはなかった。

 

 ただ、待機組から助けを申し出られるたび、その表情が僅かに硬くなることには蛍も気づいていた。

 

 身体が楽になる方法を一度受け入れた先で、自分まであの十四人と同じように変わってしまうのではないか。

 

 少なくとも蛍には、香奈恵がそんな警戒を抱いているように見えた。

 

 麗華も待機組から声を掛けられるたび、ほとんど同じように拒み続けている。

 

 琴音も白い液体が出始めてからは似たような誘いを受けるようになったが、そのたびに、

 

「まだ大丈夫」

 

 と断っていた。

 

 探索へ出続ける者たちと、教室へ残る者たち。その違いは、いつの間にか人数だけではなくなり始めていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 一週間が経つ頃には、探索へ出る人数もまた減っていた。

 

「……十三人」

 

 香奈恵が数え直して呟く。

 

 一週間前は十六人だったが、そこから三人減った。

 

 一人は白い液体が出るようになり、帰還後の重さに耐えられなくなった。一人はその少女が心配だからと一緒に残り、もう一人は数日前の戦闘で大怪我こそしなかったものの、魔物の爪が顔のすぐ横を掠めた恐怖がどうしても消えず、

 

「今日は休む」

 

 そう言って手を下ろした。

 

 誰も「もう行かない」とは言っていない。明日は行くかもしれないし、落ち着いたら戻るかもしれない。

 

 けれど、実際に迷宮へ続く扉をくぐる人数だけは確実に減っていた。

 

「十三かあ……」

 

 葵が小さく呟く。

 

「一番多かった二十五人から、もうほとんど半分だね」

 

 琴音が言う。

 

 ここへ来た時は三十人いて、一番多く探索へ出たのは二十五人だった。その時には、こんな人数になるとは誰も考えていなかった。

 

「三班は?」

 

 蛍が聞く。

 

「維持するには少なすぎるわね」

 

 香奈恵はしばらく考えたあと、首を横へ振った。

 

「今日は二班にしましょう。六人と七人。昨日見つけた下り階段の先を中心に調べる」

 

「了解」

 

 人数は減ったが、それでも探索そのものはできる。

 

 むしろ一人一人の力は以前よりさらに上がっており、蛍も葵も身体の変化が進んだ分だけ迷宮内での力を増している。琴音の魔法も威力が上がり、香奈恵と麗華に至っては、以前なら数人掛かりで相手をしていた魔物を一撃で大きく怯ませることさえあった。

 

 だから十三人でも進めてしまう。

 

 そのことを助かったと思うべきなのか、それとも嫌だと思うべきなのか、もう蛍にも分からなくなっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 その日の探索でも、新しい階層は見つかった。

 

 昨日発見した下り階段を進み、その先で二時間ほど通路を調べる。

 

 魔物は以前よりさらに強くなっていたが、それでも戦えないほどではない。途中で一度だけ全員で退き、別の道へ回ったものの、地図そのものは順調に広がっていった。

 

 そしてさらに奥へ進んだところで、また下り階段を見つけた。

 

「……また?」

 

 葵が思わず漏らしても、誰も責めなかった。蛍自身、同じ言葉を口にしそうになっていたからだ。

 

 階段を下りた先にも通路は続いており、壁や床の意匠はこれまでと少し違っている。

 

 確かに深い場所へ来ている。それだけは分かるのに、終点らしきものは何も見えなかった。

 

「……ねえ」

 

 少し休憩を取ることになり、全員が壁際へ腰を下ろしたところで、琴音がぽつりと口を開いた。

 

「これ、本当に最深部あるのかな」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 以前なら、そんな疑問そのものを口にする者はいなかった。最深部は存在し、そこへ辿り着けば願いが叶う。それを前提として歩き続けてきたからだ。

 

「琴音」

 

 香奈恵が名前を呼ぶ。

 

「分かってる」

 

 琴音は先にそう答えた。

 

「疑ったって仕方ないのは。でもさ、私たち結構進んでるよね?」

 

「進んでる」

 

「なのに、どこまで行っても次がある」

 

 琴音は膝の上に広げた地図へ目を落とした。これまで歩いてきた道は、すでに何枚もの紙へ分けて記録されている。

 

「最初に書いてあったのは『最深部に至る者に願いを』でしょ。でも、最深部がどのくらい先なのかも、本当に辿り着けるように作られてるのかも書いてない」

 

「……言いたいことは分かるわ」

 

 香奈恵の声も重かった。

 

 琴音は一度、教室があるはずの方角を振り返る。当然、ここから見えるはずはない。

 

「もしかしてさ」

 

 少し迷ってから、琴音は続けた。

 

「この迷宮、私たちにクリアしてほしいわけじゃないんじゃない?」

 

 葵が眉を寄せる。

 

「どういうこと?」

 

「奥へ進むほど身体は強くなる。だから探索自体は続けられる。でも教室に残れば安全だし、食べ物にも水にも困らない。怪我は治るし、お風呂もある。それで今は、胸がつらくなっても誰かに頼れば楽になれる」

 

 琴音が一つずつ並べていく間、誰も言葉を挟まなかった。

 

「進む道も残してある。でも、途中でやめても困らないようにもしてある」

 

「……途中でやめるのを待ってるってこと?」

 

 葵が聞く。

 

「分かんない。でも、そんな気がしてきた」

 

 そこで麗華が鼻で短く笑った。

 

 もちろん、楽しそうな笑いではない。

 

「もっと分かりやすいでしょう」

 

 両腕で胸を支え直しながら、低い声で言う。

 

「こんなところ命懸けで歩き回ってないで、あそこで気持ちよくなってろってことでしょ」

 

「麗華」

 

「違う?」

 

 香奈恵に名前を呼ばれても、麗華は引かなかった。

 

「胸はどんどん重くなる。放っておけば苦しくなる。でも誰かに触ってもらえば楽になる。それどころか気持ちいい。教室に残ってる子たちは、もうあれを隠そうともしなくなってる」

 

 麗華の言葉には、ここ数日ずっと誘われ続けてきた苛立ちが滲んでいた。

 

「私たちの方が馬鹿みたいじゃない。こんな重いもの抱えて、毎日命懸けでここまで歩いて」

 

 誰もすぐには否定できなかった。

 

 実際、麗華は苦しそうだったし、香奈恵も琴音も同じように胸の張りを抱えている。

 

 楽になる方法は知っている。教室へ戻れば、頼みさえすればすぐに手を貸してくれる者もいる。

 

 それでも三人は、まだこちら側にいた。

 

「……心を折るため?」

 

 葵が小さく言った。

 

「クリアさせるんじゃなくて、諦めさせるために?」

 

 蛍は膝の上に広げられた地図を見る。

 

 どれだけ歩いても終わらない道が続いている一方で、戻れば安全で、温かく、楽になれる場所がある。

 

 もし、それが意図的に用意されたものなのだとしたら。

 

「……でも」

 

 蛍はゆっくりと口を開いた。

 

「それが本当かどうかも、まだ分からない」

 

「蛍?」

 

「最深部がないって決まったわけじゃない」

 

 琴音の地図へ指を置く。

 

「あると思って進むんじゃなくてもいいと思う」

 

 そう口にしながら、蛍自身、以前とは目的が少し変わっていることに気づいていた。

 

「本当にないのか。それとも、まだ私たちが辿り着けてないだけなのか。それを確認できるところまでは進みたい」

 

「……確認できるところって、どこ?」

 

 葵が苦笑する。

 

「分からない」

 

 蛍も苦笑を返した。

 

「でも、ここで『ないかもしれない』って理由だけで戻ったら、あとに残るのって諦めることだけでしょ」

 

 それには誰も反論しなかった。

 

 ここで探索をやめるということは、単に一日休むのとは違う。最深部も、願いも、帰る可能性も手放したうえで、教室で暮らしていくことを選ぶということになる。

 

 少なくとも、蛍にはまだそれを選べなかった。

 

「……私は行く」

 

 葵が言った。

 

「本当にないなら、ないって分かるところまで」

 

「私も」

 

 琴音も頷く。

 

「ここまで来て、実はもう少し先でしたとかだったら一番嫌だし」

 

「私は最初からそのつもりよ」

 

 麗華も、苦しそうに胸を支えながらそう言った。身体は明らかに以前よりつらそうなのに、その目だけはまだ強い。

 

 最後に香奈恵も小さく頷く。

 

「なら、進みましょう。ただし今まで以上に無理はしない。人数は減ってるんだから」

 

「うん」

 

 蛍が立ち上がると、それに続いて葵、琴音、麗華、香奈恵、そして残った仲間たちも順番に腰を上げた。

 

 目の前には、さらに奥へ続く通路がある。

 

 どこまで続いているのかも、本当に終わりがあるのかさえも分からなくなり始めていた。

 

 それでも十三人は、もう一度歩き出した。

 

 どれほど進んでも終わりが見えないのなら、せめて「終わりなどない」と決めつけるにはまだ早いと思えるところまで、進み続けるしかなかった。

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