爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~ 作:a-ru
翌朝、探索へ出るために集まった十三人のうち、胸元をまったく気にしていない者は一人もいなかった。
蛍自身、目を覚ました時から昨日までとは違う重さを感じていた。
単純に胸そのものが大きくなったせいで重い、という感覚とは少し違う。内側からじわじわと押し広げられているような張りがあり、上半身を起こした瞬間には、意識するより先に両腕で胸を支えてしまっていた。
まだ痛いというほどではない。けれど、このまま放っておけば、そのうち痛みに変わるのではないかと嫌でも思わされる感覚だった。
隣を見ると、葵も似たような状態らしい。測定を終えたあとから何度も胸元へ手をやり、そのたびに眉を寄せていた。
「……なんか、嫌な感じする」
「熱い?」
「ちょっと。蛍も?」
「私も少し」
二人で顔を見合わせる。
香奈恵、麗華、そして琴音に起きたことを考えれば、原因を想像するのは難しくなかった。
「二人も始まったんじゃない?」
そう言った琴音自身も、今日は朝から胸を支えている時間が長かった。
「昨日より重そうだね」
「実際重いよ。朝からこれだもん」
苦笑して答えたものの、その表情にいつもの軽さはない。
琴音はすでに白い液体が出始めている。朝の時点で多少漏れていたとしても、それで十分に楽になるわけではないらしく、椅子から立ち上がる時には、一度胸を支え直してから動くようになっていた。
それでも、香奈恵と麗華に比べればまだましだった。
二人はさらにひどい。
立ち上がる前に一度大きく息を吐き、両腕で胸をしっかり支えてから、ゆっくりと腰を上げる。それがいつの間にか当たり前になっていた。
昨日まで耐えていたものが、一晩眠っただけで急に消えるはずもない。眠っている間にも少しずつ漏れていたらしいが、それで中に溜まったものが十分に減ったようには見えなかった。
「青い果実、使わないの?」
葵が尋ねると、香奈恵は少し迷ったあと、教室の隅に置かれた袋へ視線を向けた。
「残り五個しかないから」
「でも、かなりつらそうだよ」
「使っても、一時的に小さくなるだけでしょう?」
「多分ね」
琴音が答える。
「今までの感じだと、中で作られてるものまで止まるわけじゃないと思う。使って少し楽になっても、また溜まったら同じじゃないかな」
「だったら、本当に必要になった時まで取っておく」
香奈恵の判断に、麗華も無言で頷いた。その三人へ、待機組からは今日も当然のように声が掛かる。
「出してもらえばいいのに」
「我慢しなくてもいいよ?」
けれど、三人とも首を横へ振った。
そのやり取りを、蛍はもう何度見ただろう。
最初の頃なら、そんなことを口にする側にも恥じらいがあった。声を小さくしたり、周囲を気にしたり、わざわざ浴場まで移動したりしていた。
今は違う。
身体を楽にするために誰かへ頼ることも、頼まれれば手伝うことも、待機組にとっては完全に日常の一部になっている。
朝から上半身に何も着ていない者も、すでに何人かいた。入浴後に着直さなかったのか、それとも起きてから最初から着る気がなかったのかは分からない。
理由を聞けば、きっと同じ答えが返ってくるのだろう。
どうせまた張ってくるから。わざわざ着たり脱いだりする方が面倒だから。
麗華はそんな待機組へ何度か険しい視線を向けていたが、今日は何も言わなかった。以前なら一言くらい噛みついていたかもしれない。それすらしなくなったことに、蛍は少しだけ嫌なものを感じた。
「……行きましょう」
香奈恵の声で、十三人は迷宮へ向かった。
◇ ◇ ◇
迷宮へ足を踏み入れ、防具が身体を包み込むと、胸の重さは驚くほど軽くなった。
完全に消えたわけではない。それでも教室にいた時に感じていた重さや、前へ引っ張られるような感覚はかなり遠のき、身体が一気に動かしやすくなる。
「これ、本当にずるいよね」
葵が走りながら言った。
「何が?」
「防具着てると、まだ大丈夫って思っちゃうところ」
「……分かる」
蛍も同じだった。
教室にいる時なら、立ち上がるだけでも胸の存在を強く意識する。身体を起こす時も、歩き出す時も、急に振り返る時も、何かをするたびに重さがついてくる。
それなのに迷宮へ出れば、以前とまったく同じとは言えないまでも、十分に走れるし戦える。
だから今日も来てしまった。
まだ行けるし、まだ動ける。そう思えてしまうせいで、どこまでが本当に大丈夫なのか、自分でも分からなくなり始めていた。
香奈恵や麗華ですら、迷宮の中では教室にいる時ほど苦しそうには見えない。むしろ胸が大きくなったことで力そのものは上がっており、戦闘だけを見れば、以前より楽になっている場面さえあった。
その日も探索は進んだ。
新しい道を二本確認し、そのうち一方は行き止まり。もう一方はさらに奥へ続いていた。
魔物との戦闘も三度あったが、怪我人は出ない。以前なら苦戦した相手も、今では十三人で十分に対処できる。
そして、二度目の戦闘が終わった時だった。
「……これ」
倒した魔物のそばへしゃがみ込んだ琴音が、地面から何かを拾い上げる。
手の中にあったのは、見慣れた青色だった。
「青い果実?」
葵が近づく。
「うん」
琴音は表面を確かめるように眺めてから、香奈恵へ差し出した。
「珍しいね」
「本当にね。最近また全然出てなかったのに」
香奈恵は受け取った果実を収納へ入れる。
これで残りは六個。その時は、誰もそれ以上深く考えなかった。
ところが、さらに一時間ほど進んだ先で遭遇した魔物から、もう一つ同じ果実が落ちた。
「……また?」
今度は麗華が露骨に眉を寄せる。
「今日二個目だね」
琴音も少し不思議そうだった。
「こんなに続けて出たこと、最近あったっけ?」
「ないと思う」
蛍も記憶を辿ったが、少なくともここしばらく、青い果実は滅多に見かけなくなっていた。
必要な時ほど出ず、数を減らすのが怖くて温存してきたものだ。それが今日に限って二個も続けて手に入った。
「まあ、出るなら助かるけど」
葵が言う。
「……そうね」
香奈恵も頷き、二個目を収納へ加えた。
残りは七個。少し前まで五個しかなかったのだから、それだけでも随分余裕が増えたように感じる。
「何なのよ、今さら」
麗華だけは納得できないように呟いたものの、その疑問へ答えられる者はいなかった。
その後も探索は順調に進み、新しい通路を記録したところで十三人は引き返した。
この日は怪我人もいない。地図も広がったうえ、青い果実まで二個手に入った。成果だけを見れば、かなり良い一日だったはずだ。
だからこそ、問題が表面化したのは教室へ戻ってからだった。
◇ ◇ ◇
「……っ」
迷宮から教室へ戻り、防具の魔力が消えた瞬間だった。
十三人のうち一人が、その場で身体を折るように前屈みになった。
「大丈夫?」
すぐ近くにいた蛍が駆け寄る。
「だい、じょうぶ……」
そう答えた声は、どう聞いても大丈夫ではなかった。彼女は両腕で胸を強く抱え込み、呼吸をするたび苦しそうに顔を歪めている。
「急に重くなった?」
「……重い。っていうか、痛い……」
額には汗が滲んでいた。
今日の探索中、彼女は特に異常を訴えていなかった。おそらく、防具が支えていたせいで分からなかったのだろう。
楽になっていたのではない。ただ、気づきにくくなっていただけだった。彼女の服の胸元には、いつの間にか薄く湿った跡もできている。
「出てる」
琴音が小さく言った。
本人もようやく気づいたらしく、自分の服を見下ろす。
「……やだ」
かすれた声が漏れる。
待機組から一人が静かに立ち上がった。
「ねえ、もう出した方がいいよ」
「……でも」
「それ、我慢してる方がつらいよ」
彼女はすぐには頷かなかった。
少し離れたところでは、すでに待機組となった者たちが心配そうにこちらを見ている。
「楽にするだけだから」
「……でも私、ああなりたくない」
その言葉に、教室の空気が僅かに固まった。
待機組を責めるような言い方ではなかった。むしろ、自分自身へ言い聞かせているような声だった。
自分は違う。自分はまだ探索する側だと、必死に確かめようとしているようにも蛍には聞こえた。
「大丈夫だよ」
待機組の彼女は怒らなかった。
「嫌だったらやめるし、張ってる分だけでいいから」
「……本当に?」
「うん」
彼女はしばらく迷っていたが、胸を抱える腕は少しも緩まない。息をするたび表情が歪み、立っていることさえつらそうだった。
「待って」
そこで香奈恵が声を掛けた。
教室の隅へ向かい、先ほど増えたばかりの青い果実が入った袋を手に取る。
「先に、これを使ってみる?」
差し出された青い果実を見て、彼女が目を瞬かせた。
「……いいの?」
「今日二個増えたから。今使わないなら、何のために持っているのか分からないでしょう」
僅かな迷いのあと、彼女は果実を受け取った。
「……じゃあ、使う」
青い果実を口へ運ぶ。
食べ終えて間もなく、これまでと同じ変化が始まった。張り詰めていた服の胸元に少しずつ余裕が戻り、抱えていた腕の位置も僅かに下がっていく。
「どう?」
蛍が尋ねる。
「……楽」
彼女は驚いたように何度か呼吸をした。
「さっきより全然楽……」
その言葉に、周囲から小さく安堵の息が漏れる。
やはり青い果実は効く。五センチ程度とはいえ、今の身体なら負担の差は十分に感じられるらしい。
けれど、しばらくすると彼女の表情が再び曇った。
「……でも」
「どうしたの?」
「まだ、苦しい」
胸元へ手を添える。
「小さくなったのは分かるんだけど……中の張ってる感じ、そんなに消えてない」
琴音が眉を寄せた。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
「少なくとも、中で作ってるもの自体を止めてるわけじゃないんじゃないかな」
琴音は自分の胸元へ手を置きながら続ける。
「胸を小さくする分だけ負担は減る。でも、身体が白いのを作り続けるのまで止まるわけじゃない。だからまた溜まるし、今もう溜まってる分も全部なくなるわけじゃないんだと思う」
正しいかどうかを確かめる術はない。けれど、今目の前で起きていることには合っていた。
彼女は確かに先ほどより楽そうになった。それでも胸を抱える手を完全に離すことはできず、呼吸を重ねるたびに眉間へ皺が寄る。
待機組の彼女が、改めて隣へ立った。
「ね?」
責めるわけでもなく、柔らかく言う。
「やっぱり出した方が楽になるよ」
「……でも」
「青い果実も使ったんだし。それでもつらいなら、もう我慢しなくていいんじゃない?」
彼女は何も答えなかった。
使える方法を一つ試して、確かに少しは楽になった。それでも足りなかったという事実が、かえって逃げ道を狭めているように蛍には見えた。
「……じゃあ」
長い迷いの末、とうとう小さく頷いた。
「楽にするだけ」
「うん」
「それだけだからね」
「分かった」
二人は大浴場へ向かっていった。
その背中を、残された探索組の十二人は誰も呼び止めなかった。
呼び止められるはずもない。
青い果実まで使った。それでもなお苦しんでいる者へ、我慢し続けろとは誰にも言えなかった。
香奈恵も、麗華も、琴音も。そして蛍自身も、いずれ同じ状態になるかもしれないのだから。
今日二個手に入れ、一個使った。
残った青い果実は六個。
その数が多いのか少ないのか、蛍にはもう分からなかった。
◇ ◇ ◇
最初に聞こえた時、蛍は何の声なのか分からなかった。
『――っ……!』
大浴場の方角から響いた短い声に、教室にいた何人かが一斉に顔を上げる。
「今の……」
葵が言い終えるより早く、また声が聞こえた。
『ま、待って……っ! ――んぁっ……!』
さっきまでとは比べものにならないほど大きかった。
蛍の肩が思わず強張る。
続いて響いた声は、少なくとも痛みに耐えている時のものには聞こえなかった。
『……っ、あ……!』
普段の彼女からは一度も聞いたことのない声だった。
蛍は反射的に大浴場の方を見る。もちろん、ここから壁の向こうが見えるはずはない。それでも、何が起きているのかだけは想像できた。
「……嘘でしょ」
麗華の顔から血の気が引く。
次の瞬間、浴場からさらに大きな声が響き、麗華は反射的に両手で耳を塞いだ。
「聞きたくない……」
琴音も顔を伏せる。
葵はどうすればいいのか分からないように蛍を見たあと、自分も片耳を手で塞いだ。
それでも完全には遮れない。
浴場は同じ拠点の中にあり、壁一枚向こうというほど近くはない。それでも静かな教室まで届くほど、彼女の声は大きかった。
対して、待機組の何人かは探索組とはまるで違う反応をしていた。
「すご……」
一人が、蕩けたような声で呟く。
「気持ちよさそう……」
「ずっと我慢してたからじゃない?」
「やっぱり溜めすぎると、ああなるんだ」
その会話を聞き、麗華が耳を塞いだまま睨みつける。
「……どういう意味よ」
「私たち、張ってきたらその都度楽にしてるでしょ?」
待機組の彼女は、何でもないことのように答えた。
「だから、あそこまでパンパンになる前に出してるけど、あの子ずっと我慢してたから」
「青い果実まで使ったのに?」
「少し小さくなっただけだったでしょ?」
言われて、麗華が黙る。
「溜まってる量も多いし、ずっと張ってた分、すごく敏感になってるんじゃないかな」
あくまで推測なのだろう。
けれど、浴場から聞こえてくる反応を考えれば、完全に的外れとも思えなかった。
何日も続いていた圧迫感と、少しずつ積み重なっていった重さ。青い果実を使ってなお残っていた張りが一気に軽くなる感覚へ、以前より触れられることへ強く反応するようになった身体が重なっている。
張ってくるたびに少しずつ楽にしてきた待機組より、何日も我慢し続けていた彼女の方が、大きく反応しても不思議ではなかった。
「……じゃあ」
琴音が小さく呟く。
その視線が、香奈恵と麗華の胸元へ一瞬だけ向いた。
すぐに逸らされたが、それだけで意味は通じた。
香奈恵と麗華は、今浴場にいる彼女よりも長く我慢している。しかも二人の方が明らかに大きい。
麗華が自分の胸を抱える腕へ、無意識に力を込めた。
「……見ないで」
「ご、ごめん」
琴音が慌てて顔を逸らす。
香奈恵も何も言わなかった。ただ一度だけ浴場の方角へ視線を向けてから、ゆっくりと自分の胸元へ手を添えた。
声は、しばらくしてようやく静かになった。
教室に微妙な安堵が広がる。
「終わった……?」
葵が恐る恐る耳から手を外した。
しかし、それから少しして、再び声が聞こえた。
『……もう、いいって……――んぅ……っ!』
最初よりは小さい。
けれど、その後に続いた声で、蛍は思わず息を止めた。
『でも……もうちょっと……』
どちらの言葉だったのかまでは分からない。ただ、その直後にまた先ほどの彼女の声が浴場から響いた。
麗華は今度こそ両耳を強く塞ぎ、目まで閉じた。
「……だから聞きたくないって言ってるでしょうが」
怒っているはずなのに、その声は僅かに震えていた。
蛍には、その理由が分かる気がした。自分たちが恐れているのは、あの声そのものではない。
あれが、いつか自分たちの声になるかもしれないことだった。
◇ ◇ ◇
それからかなり時間が経って、二人はようやく教室へ戻ってきた。
「……あ」
葵が小さく声を漏らす。
蛍も、すぐには何も言えなかった。
先ほどまで苦しそうに胸を抱えていた彼女は、まるで別人のように力が抜けていた。
足取りも軽い。
青い果実を使った時にも、確かに少し楽そうにはなっていた。だが、今はその時ともまるで違う。
胸そのものが急に小さくなったわけではない。それでも張り詰めていたような硬さがなくなり、本人も両腕で必死に支える必要がなくなったらしい。
何より表情が違った。
頬はまだ赤く、目元もどこかぼんやりしている。苦しそうだった時の険しさは、綺麗に消えていた。
「……大丈夫?」
蛍が尋ねる。
彼女はしばらく蛍の顔を見つめたあと、ふにゃりと笑った。
「うん」
「本当に?」
「すっごく楽になった……」
声まで力が抜けている。
隣にいた待機組の彼女が、支えるように肩へ手を添えた。本人はそれを嫌がるどころか、ごく自然に身体を預ける。
「もう痛くない?」
「全然」
「よかったね」
「うん……」
二人が笑い合う。
その様子を見て、麗華が露骨に苦い顔をした。
青い果実を使った時よりも、明らかに楽そうだった。その事実を、誰もわざわざ口にはしなかった。
「……明日はどうするの」
香奈恵が尋ねる。
彼女は一瞬だけ考えるように目を上へ向けた。
「明日?」
「探索」
「ああ……」
まるで、言われるまで忘れていたような反応だった。
少し前まで、自分も探索へ出る十三人の一人だったはずなのに。
彼女はしばらく考えたあと、隣にいる少女へさらに身体を預けた。
「明日は行かなくていいや」
「一日休むってこと?」
「んー……」
ゆっくり首を横へ振る。
「もう、行かなくてもいいかなぁ」
教室が静かになった。
「……え?」
葵が思わず聞き返す。
「だって、ここ安全だし」
彼女は笑っていた。
「食べるものもあるし、お風呂もあるし……苦しくなったら楽にしてもらえるし」
隣の少女が微笑むと、彼女も嬉しそうに笑い返した。
「毎日あんな怖いところ行かなくてもいいよね」
「でも、帰るために――」
葵が言いかける。
「蛍たちが行ってくれるでしょ?」
その言葉に、葵の口が止まった。
悪意などまったくなかった。
探索を押し付けているつもりさえないのだろう。ただ、自分はもう行かなくてもいいと、本当にそう思っている声だった。
「ここで暮らすのも、いいかも……」
彼女は満足そうに息を吐く。
「もう重いの我慢しながら歩くの、やだし」
隣の少女に寄り掛かりながら、そのまま目を細める。
「ここで暮らすぅ……」
冗談のような口調だった。
けれど、誰も笑わなかった。
蛍の脳裏には、少し前まで彼女が探索組の一人として同じ通路を歩いていた姿が浮かんだ。
ほんの数時間前まで、一緒に戦っていた。
帰ってきた時には胸の重さに耐えきれず、それでも最初は青い果実でどうにかしようとした。果実を一個使い、確かに胸も少し小さくなった。それでも足りず、最後には「楽にするだけだから」と念を押して浴場へ向かった。
それが今では、もう探索へ行かなくてもいいと言っている。
たった一度、誰かに身体を楽にしてもらっただけなのに、そのわずかな時間で何かが決定的に変わってしまったように見えた。
麗華が無言で自分の胸を強く抱え込む。香奈恵も何も言わず、琴音は俯いたまま自分の胸元へ手を添えていた。
蛍自身も、胸の奥に残っている熱を急に強く意識する。
まだ痛くはないし、耐えられないほどでもない。けれど、自分たちにも同じものが確実に溜まり始めている。
そして今日、もう一つ分かったことがある。
青い果実を食べても、この変化そのものから逃れられるわけではない。その事実を、この時ほど嫌だと思ったことはなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
探索へ向かう者を確認するため、香奈恵が教室の前へ立った。
「今日、行ける人」
蛍が手を上げる。葵も続き、琴音、麗華、そして残っていた探索組の者たちも、一人、また一人と手を上げていった。
昨日まで十三人いた。
香奈恵が最後に人数を数える。
「……十二人」
昨日、大浴場へ行った彼女は手を上げていなかった。
少し離れたところで、昨日手伝ってくれた少女の隣に座っている。
上には何も着ていない。それを気にする様子もなく、二人で何かを話しながら楽しそうに笑っていた。
昨日まで探索へ持っていっていた装備も、今日は自分の近くへ置いてさえいない。
香奈恵が一瞬だけそちらを見る。
視線に気づいた彼女は、
「気をつけてね」
と笑って手を振った。
香奈恵はしばらく何も言わなかった。
それでも、戻ってくるようには言わなかった。
「……行きましょう」
十二人が立ち上がる。
その傍らには、昨日二個拾い、一個使ったことで六個になった青い果実が残されている。
つい昨日までなら、五個しかないことが不安だった。一日で一個増えただけなのに、今は少しだけ余裕ができたようにも感じる。
迷宮へ続く扉へ向かいながら、蛍はもう一度だけ振り返った。
昨日の言葉は、一時の勢いではなかった。彼女は本当に、こちらへ戻るつもりがない。
昨日まで十三人だった探索組は、十二人になった。減ったのは、たった一人。それだけのはずなのに、その一人が減った意味はこれまでとはまるで違っていた。
怪我をしたからでも、怖くなったからでもない。苦しい身体を楽にしてもらい、その先で、もう探索へ行く必要はないと自分で選んだのだ。
蛍は前を向いた。
扉の向こうには、今日も終わりの見えない迷宮が続いている。
背後には、安全で、温かく、苦しくなれば誰かが助けてくれる教室がある。そして手元には、昨日までほとんど増えなかったはずの青い果実が六個。
そのどちらもが、自分たちをどこへ連れていこうとしているのか。まだ蛍には分からなかった。