爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~   作:a-ru

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第三十七話『最深部の答え』

 白く淡い光に照らされた通路を、蛍と葵は並んで歩いていた。

 

 どれほど進んだのかは分からない。これまでの迷宮とは違い、途中には扉も分かれ道もなく、魔物の姿さえ見当たらなかった。滑らかな白い床と壁だけがどこまでも続き、二人が進むのに合わせるように、その先が静かに明るくなっていく。

 

「……何もいないね」

 

「うん」

 

 竜を倒した直後だというのに、辺りはあまりにも静かだった。

 

 蛍はいつ何が起きてもいいよう剣を握ったまま進んでいたものの、もう何かと戦うことになるような気はしていなかった。むしろ、この先に待っているものが、そもそも剣を向けられるような相手なのかどうかさえ分からない。

 

 やがて、長かった通路が終わった。

 

 二人の前に現れたのは、円形の広い部屋だった。壁も床も通路と同じ白一色で、家具らしいものは何一つ置かれていない。その中央にだけ腰ほどの高さの台座があり、その上には透明な板のようなものが浮かんでいた。

 

「……これ?」

 

「多分」

 

 二人が慎重に近づく。あと数歩というところまで進んだ瞬間、透明だった板に白い文字が浮かび上がった。

 

『最深部到達個体 二名を確認』

 

 続けて表示が切り替わる。

 

『到達報酬として、各個体に一度の願望実行権を付与します』

 

「……本当にあった」

 

 葵が小さく呟き、蛍も思わずその場で足を止めた。最初の日に見た「最深部へ辿り着けば願いが叶う」という言葉は、少なくとも嘘ではなかったらしい。ここまで来た者には本当に願いを叶える権利が与えられるのだと理解した、その直後だった。

 

 透明な板の表示が切り替わり、その下に新たな文字が浮かび上がる。

 

『質問を受け付けます』

 

「質問……?」

 

 葵と顔を見合わせる。

 

 何を聞くべきなのか一瞬迷ったあと、まず蛍が台座へ向かって口を開いた。

 

「ここって……何なの?」

 

 わずかな間があった。

 

『質問を認識』

 

 そして、感情のない文字が表示される。

 

『人間種女性個体の育成、および魔力性分泌物の生産を目的とする迷宮型飼育施設です』

 

「「…………え?」」

 

 葵は言葉を失い、蛍もすぐには表示された内容を理解できなかった。

 

 人間種女性個体の育成。魔力性分泌物の生産。

 

 そこに並んだ言葉の中で、なぜか「飼育」という二文字だけが異様な重さを持って頭に残る。これまで自分たちがしてきたことの意味が、その一語によってまるで別のものへ塗り替えられていくようだった。

 

「それって……」

 

 葵が恐る恐る尋ねる。

 

「育ててたのって、私たち?」

 

『肯定』

 

 それだけだった。

 

 説明を続ける様子はない。二人が何も言わなければ、透明な板もまた沈黙したまま、次の質問を待っている。

 

「……赤い果実は?」

 

 今度は蛍が尋ねた。

 

『育成対象への栄養、水分および必要魔力の供給、健康状態の維持、身体改変の促進を目的とした育成用栄養体です』

 

「身体改変って……胸が大きくなったのも?」

 

『肯定』

 

「何で?」

 

『魔力性分泌物の生成器官として、乳房の発達が効率的であるためです』

 

 蛍は思わず自分の胸元へ視線を落とした。

 

 迷宮へ来た時とは、もう比較することすらできないほど変わった身体。毎日食べ続けた赤い果実によって、眠るたびに少しずつ大きくなっていった胸にも、最初から明確な目的があったのだ。

 

「じゃあ……私たちから出るようになった、あの白いのは?」

 

 葵が聞く。

 

『高濃度の魔力を含有する分泌液です』

 

「それを作らせるため?」

 

『肯定』

 

 また、それだけだった。

 

 何の悪意も感じさせない返答だからこそ、蛍にはかえって気味が悪かった。

 

「じゃあ、教室は?」

 

『飼育、休養、回復および育成継続のための基礎区画です』

 

 教室も、毎日口にしてきた赤い果実も、浴場も、魔物に襲われる心配のない安全な空間も、すべて最初から同じ目的のために用意されていたのだ。

 

 食べ物にも水にも困らず、身体が苦しくなれば誰かに助けてもらえる。自分たちがずっと「拠点」と呼んできた場所は、この仕組みにとって最初から、ただの飼育区画だった。

 

「……飼育って」

 

 葵が顔をしかめる。

 

「じゃあ、教室に残ったみんなも……?」

 

『育成継続中です』

 

 蛍の背筋に冷たいものが走った。

 

「待って」

 

 思わず言葉が強くなる。

 

「みんながおかしくなっていったのも、これのせい?」

 

『質問が不明確です』

 

「……帰りたいって言わなくなったり、教室にいる方がいいって思うようになったりしたこと」

 

 今度は少し間があった。

 

『直接的な思考操作、記憶改変、人格改変は実施していません』

 

「じゃあ、本人たちが決めたってこと?」

 

『意思決定は各個体に帰属します』

 

 葵が小さく息を吐いた。けれど、蛍にはそれだけで終わらせることができなかった。

 

「でも、何もしてないわけじゃないよね?」

 

『肯定』

 

「何をしたの?」

 

『身体的快楽反応、安堵反応、他個体との接触による分泌促進およびストレス低減機構を育成過程に組み込んでいます』

 

 今度こそ、二人とも言葉を失った。

 

 迷宮は、誰かの意思を直接奪ったわけではない。帰りたいという気持ちを消したわけでも、無理やり教室へ残らせたわけでもない。ただ、ここにいる方が楽で、安全で、心地よいと感じる身体へ少しずつ変えた上で、最後の選択だけを本人たちに委ねていた。

 

 だから待機組の二十五人が残ることを選んだ、その意思自体は確かに彼女たち自身のものなのだろう。

 

 それでも、その選択肢が最初から平等だったとは、蛍にはとても思えなかった。

 

「……ずるい」

 

 葵がぽつりと呟いた。

 

 けれど、透明な板は何も返さない。質問ではない言葉に答える必要はないとでもいうように、ただ静かに次の入力を待っていた。

 

 蛍はしばらくその表示を見つめていたが、やがて別の疑問を思い出した。

 

「青い果実は?」

 

『過剰な身体発達による活動能力低下を緩和するための調整用資源です』

 

「治すためじゃないの?」

 

『否定』

 

「じゃあ、何のため?」

 

『探索継続能力を維持するためです』

 

 その答えを聞いて、蛍は目を見開いた。

 

 途中から急に増え始めた青い果実。その時期は、自分たちの身体が重くなり、探索を続けることが難しくなってきた頃とほとんど重なっている。

 

「……青い果実が急にたくさん出るようになったのも?」

 

『探索個体の身体負荷上昇を検出し、供給量を調整しました』

 

「やっぱり……」

 

 葵が力なく笑う。

 

「助けてくれてたんじゃなくて、まだ歩かせるためだったんだ」

 

『肯定』

 

 迷宮は、嘘をついていなかった。

 

 青い果実を食べれば身体は軽くなり、苦しさも和らぐ。その結果、探索を続けることができたのだから、これまで自分たちが感じていた効果そのものはすべて本物だった。

 

 ただ、その助けが何のために与えられていたのかだけを、迷宮は一度も教えてくれなかった。

 

 そこまで考えたところで、蛍は最も聞かなければならないことを思い出した。

 

「香奈恵と麗華と琴音が、転移陣を使えなくなったのは何で?」

 

『三個体は成熟完了判定に到達したため、探索区画への再配置対象から除外されています』

 

「……成熟完了?」

 

『育成工程における規定条件を満たした状態です』

 

「それって、胸囲三百センチ?」

 

『胸囲のみを判定条件とはしていません』

 

「じゃあ何で決めてるの?」

 

『身体発達、魔力適応、分泌器官の成熟、累積育成量その他の複数項目を参照します』

 

 やはり、三百センチという数字そのものが境界だったわけではないらしい。

 

 ただ、香奈恵と麗華がその辺りまで大きくなった時に条件を満たし、琴音も最後の交換で同じところまで到達した。そう考えれば辻褄は合う。

 

「……成熟したら、何で探索に戻れないの?」

 

『探索を継続させる必要がないためです』

 

 あまりにも簡単な答えだった。

 

「必要がないって……」

 

『育成工程を完了した個体は、飼育区画での維持および生産工程へ移行します』

 

 蛍は言葉を失った。

 

 自分たちはずっと探索者のつもりでいたけれど、この迷宮にとって香奈恵たち三人は、もう「育成を終えた個体」なのだ。

 

 必要なところまで育った以上、わざわざ危険な探索区画へ戻す理由はなく、安全な教室に留めておけばいい。そこで身体を維持し、これまでと同じように分泌物を作り続けさせる。それが、この施設にとっては当然の扱いなのだろう。

 

「青い果実で小さくしても?」

 

『成熟完了判定は解除されません』

 

「……じゃあ琴音は」

 

 葵が息を呑む。

 

 蛍も同じことを考えていた。

 

「琴音が最後にもう一回交換する前は……まだ?」

 

『三島琴音個体は、最終交換実行前の時点では成熟完了条件に未到達でした』

 

 部屋が静まり返る。

 

「……じゃあ」

 

 葵の声が小さくなる。

 

「あの一回をやってなかったら?」

 

『探索継続対象でした』

 

 それ以上の説明はなかったが、二人にはもう十分だった。

 

 結果論にすぎない。あの時、琴音は少しでも竜に勝つ可能性を上げるために、もう一つだけ装備を取ろうとしただけで、それが何かの境目になるなど誰にも分かるはずがなかった。

 

 それでも事実として、あの一回を選ばなければ、琴音は成熟完了には至らず、今も探索を続ける対象のままだったのだ。

 

「……こんなの分かるわけないじゃん」

 

 葵が悔しそうに呟く。

 

 透明な板は、やはり何も返さなかった。

 

 蛍は唇を噛み、しばらく表示を見つめたあと、ふと別のことが気に掛かった。

 

「この迷宮の役目が終わって、私たちが全員成熟したら……その後はどうなるの?」

 

 返ってきたのは、予想していなかった答えだった。

 

『質問前提に誤りがあります』

 

「え?」

 

『全育成対象の成熟完了をもって、当施設の役割が終了することはありません』

 

 蛍と葵は揃って黙り込んだ。

 

「じゃあ……全員が成熟したら?」

 

『全育成対象の探索および育成工程を終了し、維持・生産工程へ移行します』

 

「維持・生産……」

 

『健康状態を維持した上で、魔力性分泌物の継続生産を行います』

 

 そこでようやく、蛍は理解した。成熟すること自体がこの迷宮の目的なのではなく、そこまで育て上げることは、その後に続く長い生産工程のための準備にすぎなかったのだ。

 

「……具体的には、何をするの?」

 

『全育成対象の探索工程終了後、飼育区画内に自動回収設備を展開します。一日に複数回、成熟個体の乳房内に蓄積した魔力性分泌物を吸引し、施設内貯蔵設備へ移送します』

 

「それ以外の時間は?」

 

『行動の制限はありません。飼育区画内において自由に生活できます』

 

「……それだけ?」

 

 葵が思わず聞き返す。

 

『肯定』

 

「働かされたり、ずっと何かをさせられたりは?」

 

『不要です』

 

「じゃあ……食べて、お風呂に入って、皆で好きに過ごして、一日に何回かそれを回収されるだけ?」

 

『概ね正確です』

 

 想像していたより、ずっと穏やかな生活だった。

 

 だからこそ、蛍には余計に気味が悪かった。

 

 閉じ込めて苦しめる必要など、最初からないのだ。健康にして、安全な場所を与え、好きな相手と好きなように過ごさせる。その方が長く、安定して目的のものを生産し続けるのなら、迷宮にとってはその方が都合がいい。

 

「でも、その『飼育対象』って……言いたくないけど、私たちのことだよね?」

 

 葵が嫌そうに顔をしかめる。

 

「ずっとそんな生活してたら、そのうち退屈したり、ストレスが溜まったりするんじゃない?」

 

『その場合、対象個体からの要望に応じて娯楽設備および娯楽物品を提供します』

 

「……娯楽まで?」

 

『肯定』

 

「例えば?」

 

『書籍、映像、音楽、遊戯、運動設備その他、施設機能上実現可能な範囲で提供します』

 

「欲しいって言えば?」

 

『要望を受理し、実現可能なものを提供します』

 

 葵は何とも言えない顔で透明な板を見つめる。

 

「……それって、私たちを幸せにするため?」

 

『否定』

 

 返答は即座だった。

 

「だよね……」

 

『対象個体の長期的な健康および精神的安定を維持することは、魔力性分泌物の継続生産および生産効率の安定に有効です』

 

 蛍は小さく息を吐いた。安全で快適な環境を整え、退屈すれば娯楽まで与える。けれど、それは自分たちを幸せにしたいからではない。長く健康に飼い続け、安定して分泌物を作らせるためなのだ。

 

「……ずいぶん長く飼うつもりなんだね」

 

 葵が半ば呆れたように呟く。

 

『肯定』

 

「でも、私たちだって人間なんだから、そのうち歳を取るでしょ? 病気になったりもするし」

 

『対策済みです』

 

「……対策?」

 

『当施設では長期間の飼育を前提としているため、育成対象には老化抑制、疾病耐性向上、身体機能維持を含む生命維持調整を実施しています』

 

「えっ」

 

 今度は蛍が思わず声を上げた。

 

「それって……寿命も伸びてるってこと?」

 

『肯定』

 

「どれくらい?」

 

『個体差および今後の育成状態により変動するため、現時点での正確な算出はできません』

 

「でも、普通の人よりは?」

 

『大幅に長期化しています』

 

 蛍は自分の手を見る。

 

 肌は迷宮へ来た時よりも滑らかで、傷一つない。体調を崩すこともほとんどなくなり、どれだけ過酷な探索をしても、きちんと休めばまた動けた。

 

 それもすべて、同じ目的のためだったのだろう。

 

「……それも私たちのためじゃないんだよね?」

 

『長期間にわたり健康な生産個体を維持することが、当施設の運用効率上有利であるためです』

 

「うん。もう分かった」

 

 葵が力なく笑った。

 

 聞けば聞くほど、迷宮の考え方は一貫していた。

 

 苦しめたいわけではない。幸せにしたいわけでもない。ただ、健康で、穏やかで、長く生きる方が都合がいい。だからそうしているだけなのだ。

 

 蛍はそこで、改めて香奈恵たち三人のことを思い出した。

 

「三人を元に戻す方法は?」

 

『質問範囲を指定してください』

 

「成熟完了っていうのを取り消して、またこっちに来られるようにする方法」

 

『通常機能には存在しません』

 

「……願いなら?」

 

 透明な板の表示が一度消えた。

 

 代わりに、最初に見た文字がもう一度浮かび上がる。

 

『願望実行権について質問を受け付けます』

 

 蛍と葵は顔を見合わせた。

 

 ここからが、本来この場所へ来た目的だった。

 

「私の願いで、三十人全員を元の世界へ帰せる?」

 

『実行不可』

 

 即答だった。

 

「何で?」

 

『願望実行権の作用対象は、権利保有個体本人に限定されます』

 

「……本人だけ?」

 

『肯定』

 

 蛍の胸の奥が冷える。

 

「じゃあ、私の願いで香奈恵たち三人を帰すのは?」

 

『実行不可』

 

「待機組も?」

 

『実行不可』

 

 葵が隣で黙り込んだ。

 

 最深部まで辿り着いた二人だけが帰れる。その事実を改めて突きつけられ、蛍もすぐには次の言葉が出てこなかった。

 

 自分たちが帰れば、教室には二十八人が残る。

 

 そこで葵が、ふと不安そうに口を開いた。

 

「……じゃあ、私たちが帰ったらさ」

 

 少しだけ言い淀む。

 

「ここに残った皆とは、もう二度と会えないの?」

 

『通常機能による世界間の再移動は提供されません』

 

「……そっか」

 

 葵の表情が沈む。

 

 けれど、その直後に何かを思いついたように顔を上げた。

 

「じゃあ……会うのが無理でも、話すことは?」

 

『質問範囲を指定してください』

 

「声を聞いたり、顔を見たり。電話とかパソコンみたいなものを使って、地球とこっちで連絡を取ることはできないの?」

 

『限定的な世界間情報通信は可能です』

 

「できるの?」

 

 蛍も思わず聞き返した。

 

「じゃあ、帰った後も皆と話せるってこと?」

 

『条件を満たす通信対象との間では可能です』

 

「条件?」

 

『通信対象は、当施設の存在を既知であり、当施設による個体識別情報が登録されている者に限定されます』

 

 蛍は少し考えてから、その意味に気づいた。

 

「……それって、私たち三十人だけ?」

 

『肯定』

 

「じゃあ、私と葵が地球に帰ったあとなら、教室に残った皆とは話せる?」

 

『肯定』

 

 葵の表情が少しだけ明るくなる。

 

「じゃあ家族とも――」

 

『不可能です』

 

「……え?」

 

『未登録個体は世界間通信対象として認証されません』

 

 浮かびかけていた安堵が、一瞬で消えた。

 

「私たちが向こうで事情を説明して、迷宮のことを知ってもらっても?」

 

『認証条件を満たしません』

 

「……どうして?」

 

 今までとは少し違う間があった。

 

『当該質問への回答権限はありません』

 

「答えられないってこと?」

 

『肯定』

 

 蛍は透明な板を見つめた。

 

 ここまで聞いたことには、どれほど嫌な内容であっても淡々と答えてきた。けれど、この施設には、自分たちへ開示するつもりのない情報も存在するらしい。

 

「じゃあ……私たちが地球に帰ったあと、残った皆が生きてるって家族に伝えるのは?」

 

『許可されています』

 

「いいの?」

 

『登録個体の生存状態および健康状態に関する情報のみであれば、秘匿対象には該当しません』

 

「じゃあ、『皆は生きていて、無事に暮らしてる』くらいなら?」

 

『許可されています』

 

 葵が少しだけ安心したように息を吐く。

 

「じゃあ、ここに残ってるって言うのは?」

 

『許可されません』

 

「別の世界にいるっていうのも?」

 

『許可されません』

 

「……何なら駄目なの?」

 

『当施設の存在、所在、機能、運用内容、世界間移動および世界間通信機能その他、第三者が当施設の存在を具体的に認識、特定または検証可能となる情報は秘匿対象です』

 

 蛍は眉を寄せた。

 

「もし、それを誰かに話したら?」

 

『未登録個体に対して秘匿対象情報を意図的に開示した場合、開示を行った登録個体の世界間通信権限を恒久的に停止します』

 

「……それって」

 

 葵の表情が固まる。

 

「地球で誰かにここのことをちゃんと話したら、二度と皆と連絡できなくなるってこと?」

 

『肯定』

 

「一回でも?」

 

『肯定』

 

 想像していたより、ずっと重い制約だった。

 

 地球へ帰っても、二十八人との繋がりだけは残る。けれど、その繋がりを守るためには、この場所の真実を外へ伝えることはできない。

 

「じゃあ、『皆が生きてる』って言うだけなら、本当に大丈夫?」

 

『肯定』

 

「どうしてそこまではいいの?」

 

『当該情報のみでは、当施設の存在を特定または検証できないためです』

 

「……じゃあ、どうしてそこまでしてこの施設のことを隠すの?」

 

 再び、少しだけ間が空いた。

 

『当該質問への回答権限はありません』

 

 それ以上聞いても答えは得られないのだろう。

 

 蛍は一度息を吐き、話を願いへ戻した。

 

「私自身を元の身体に戻して、そのまま元の世界へ帰ることは?」

 

『実行不可』

 

「それも駄目?」

 

『身体状態の変更と世界間移動は、独立した二種の願望として判定されます』

 

「一回だから、一つしかできない?」

 

『肯定』

 

 返ってくる答えは、どこまでも機械的だった。そこに融通も情けもなく、二人の事情を汲もうとする気配さえない。

 

 それでも、約束を違えているわけではなかった。最初から示されていたのは「一度の願い」であり、それ以上のことは何一つ書かれていなかったのだから。

 

「じゃあ……元の世界に帰るだけなら?」

 

『実行可能』

 

「今の身体のまま?」

 

『肯定』

 

 葵が自分の胸元を見下ろした。

 

「さっき言ってた、老化しにくくなってるとかも?」

 

『既に適用された身体改変は維持されます』

 

「……それもそのままなんだ」

 

『肯定』

 

 元の世界へ帰れたとしても、迷宮へ来る前の自分に戻れるわけではない。

 

 胸も身体つきも、肌も髪も、そしてどれほどなのかは分からないが、普通の人間より遥かに長くなったらしい寿命さえも、すべて抱えたまま帰ることになる。

 

「逆に、身体を元通りにするだけなら?」

 

『実行可能』

 

「その場合は?」

 

『当施設内に残留します』

 

「……そりゃそうか」

 

 葵が乾いた笑いを漏らす。

 

「無効な願いを言ったら、それで一回使ったことになる?」

 

『実行不能な願望によって権利は消費されません』

 

 実行できない願いで権利が失われることはないらしい。少なくとも試す余地は残されているものの、どれだけ言い方を変えたところで、他人を願いの対象にすることはできないようだった。

 

 最深部まで辿り着いたことで与えられた願いは、あくまで蛍と葵、それぞれ本人のためだけのものなのだ。

 

 蛍はしばらく透明な板を見つめたあと、ふと疑問を口にした。

 

「……何で、願いなんて用意してるの?」

 

『最深部到達を目指す動機を維持するためです』

 

 蛍は眉を寄せた。

 

「でも、それっておかしくない?」

 

『質問を受け付けます』

 

「私たちを飼育するつもりなんでしょ? だったら、帰れる可能性なんて最初からなくせばいいじゃん。全員ここに残した方が、この施設には都合がいいんじゃないの?」

 

 今度は、それまでよりわずかに長い間があった。

 

『過去の飼育記録において、育成対象の精神および意思決定へ直接的な干渉を実施した場合、魔力性分泌物の品質低下が確認されています』

 

「……え?」

 

『また、育成対象が自発的に探索区画内で活動し、継続的に魔力を使用することで、魔力の身体適応が促進され、成熟後に生産される魔力性分泌物の品質が向上することも確認されています』

 

 蛍は、すぐにはその意味を飲み込めなかった。

 

 先へ進み、魔物と戦い、自分の意思で身体を動かしながら魔力を使い続けること。そのすべてが、最初から身体へ魔力を馴染ませるための育成工程に組み込まれていたのだ。

 

「だから……私たち自身に、進むか残るかを選ばせてたの?」

 

『肯定』

 

「帰れるっていう願いまで、本物にして?」

 

『肯定。実際に帰還可能な選択肢を維持することで、探索継続への自発的動機を確保しています』

 

 葵が信じられないような顔で透明な板を見る。

 

「でも、それだと本当に帰っちゃう人もいるよね?」

 

『肯定』

 

「それでいいの?」

 

『一定数の育成対象が施設外へ離脱することを考慮した場合においても、現行方式は総合的な生産効率において優位です』

 

「…………」

 

 つまり、この迷宮にとっては全員を手元に残すことよりも、多少の個体が帰還したとしても、自分の意思で探索し、魔力を使いながら育った人間を残す方が都合がいいのだ。

 

 だから出口も願いも偽物ではない。本当に帰れるという選択肢まで含めて、自分から先へ進み続けるための動機として組み込まれている。

 

 そして、その過程で身体へ魔力を馴染ませる。その方が、最後に得られるものの質が良くなるから。

 

 そこまで考えたところで、葵の表情が変わった。

 

「……待って」

 

「葵?」

 

「今、『過去の飼育記録』って言ったよね?」

 

 蛍も、その言葉の意味に遅れて気づいた。

 

「それって……私たちが最初じゃないってこと?」

 

『肯定』

 

 部屋の空気が、急に冷えたような気がした。

 

「じゃあ……」

 

 葵が透明な板を見つめる。

 

「私たち以外にも、ここに連れてこられた人がいたの?」

 

『肯定』

 

「何人?」

 

『当該質問への回答権限はありません』

 

「この施設だけで?」

 

『当該質問への回答権限はありません』

 

 蛍は思わず透明な板を睨むように見つめたが、それ以上の表示は現れなかった。

 

 分かったのは、自分たちが最初ではないということだけだ。過去に何人がここへ連れてこられ、その者たちが今どうなっているのか。そもそも、このような施設がここ一つだけなのかさえ何も分からない。そして、その先については聞いたところで答えるつもりもないらしい。

 

「……今の形になるまでに、色々試されてたんだ」

 

 葵が小さく呟く。

 

 蛍も否定できなかった。

 

 おそらく過去には、精神へ直接干渉する方法も、自由を奪って従わせる方法も、自発的に探索させる方法も試されてきたのだろう。その結果として、今の形が残った。

 

 本人の意思そのものは奪わず、本当に帰れる出口まで用意し、安全な場所も与える。先へ進むか、途中で残るか、最後に帰るかまで本人に選ばせ、その上で自分から歩き、自分から戦い、自分自身で決断する個体を育てる。

 

 自由そのものさえ、この施設にとっては長い試行錯誤の末に辿り着いた、最も効率のいい飼育方法の一部だったのだ。

 

「……ねえ」

 

 隣から葵に小さく呼ばれ、蛍は透明な板から視線を外した。

 

「どうする?」

 

 蛍はすぐには答えられなかった。

 

 自分たち二人だけなら、今ここで願えば本当に帰れるのだろう。しかも、その帰還さえ迷宮にとっては想定外ではなく、あらかじめ織り込まれた結果の一つにすぎない。

 

 けれど、教室には二十八人が残っている。その中には、今でも帰ることを望んでいる香奈恵と麗華と琴音もいるのだ。

 

 たとえ自分たちだけ帰れるとしても、何も告げないままここから姿を消すことなど、蛍にはできなかった。

 

「願いって、今すぐ使わないと駄目?」

 

『否定』

 

「あとでここに戻ってきても使える?」

 

『当施設内に存在する限り、願望実行権は保持されます』

 

 蛍はそれを聞いてから、葵を見る。

 

 葵も同じことを考えていたらしい。

 

「一回戻ろっか」

 

「うん」

 

 三人には、ここで分かったことをきちんと話さなければならない。待機組の二十五人にも、この場所が何なのか、この先にどんな生活が待っているのかまで伝える必要がある。

 

 自分たちだけなら今すぐ帰れる。けれど、その事実を知った今だからこそ、何も告げずに願いを使ってしまうことだけはできなかった。

 

 それでも、帰った後に二十八人との繋がりが完全に失われるわけではないことだけは救いだった。

 

 ただし、その繋がりを守るためには、この場所の真実を地球で誰にも明かすことができない。家族に伝えられるのは、皆が生きていて無事に暮らしているということまでで、どこにいるのか、なぜ帰れないのか、ここで何があったのかまでは話せない。

 

 自分たちだけが真相を知ったまま、それを抱えて生きていくことになる。

 

 そこまで考えたところで、蛍は最後にもう一度だけ透明な板へ向き直った。

 

「……質問しなかったら、何も教えてくれなかった?」

 

『肯定』

 

「……そっか」

 

 それもまた、この迷宮らしい在り方なのだと思った。

 

 こちらから問えば正確に答えるし、嘘もつかない。けれど、聞かれていないことまで親切に教えてくれることはない。そして、聞いたところで答えてくれないこともある。

 

 蛍と葵は願いを使わないまま、来た道を引き返した。

 

 白い通路を並んで歩きながらも、蛍の胸に最深部へ辿り着けた喜びはほとんどなかった。自分だけなら帰れるのだという安堵も、それほど強くは湧いてこない。

 

 頭を占めていたのは、教室へ戻ったあと、香奈恵たち三人へここで知ったことをどう伝えるのか。そして、この場所でこれから何が待っているのかまで知った二十五人が、それでも残ることを選ぶのかという問題だった。

 

 何より、自分たちより前にも同じようにここへ連れてこられた者たちがいたという、答えのない事実が胸に残り続けていた。

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総合評価:1246/評価:8.2/連載:137話/更新日時:2026年10月24日(土) 10:45 小説情報

女の子の魂を封印したカードって凄い高値付きそう(作者:好みのタイプはエルフェンノーツ)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

カードゲーム販促アニメっぽい世界に異世界転生!でも主人公ポジじゃなくて悪の組織の一員っぽい?なんか人の魂を封印とかできるし。▼…美少女をカードに封印すれば、世界に一枚だけのアイドルカードを手に入れられる?コレクター魂がうずいちゃって困っちゃうな。▼男?要らな~い。邪神復活の生贄にでもなっててください。


総合評価:2881/評価:8.21/連載:8話/更新日時:2026年07月22日(水) 07:03 小説情報

底辺配信者、スキル〈TS(爆乳)〉でおっぱい系ダンジョン配信者になりバズる 〜できればおっぱいじゃなく戦いを見てほしいんですが〜(作者:夏川優希)(オリジナル:現代/コメディ)

【戦いを見てほしいTS(爆乳)配信者VSおっぱいしか見ないリスナー ファイッ!】▼男子高校生、相模原カオルは底辺ダンジョン配信者だ。▼ユニークスキル〈TS(爆乳)〉で手に入れた体はダンジョンのモンスターを容易く屠ることができる。しかしその代償として美少女(爆乳)化してしまうのだ。▼そんな姿を晒したくない、純粋に戦闘センスを評価してほしいと姿をさらさず配信を続…


総合評価:1844/評価:8.05/完結:32話/更新日時:2026年07月22日(水) 21:06 小説情報

ニチアサ魔法少女モノに転生したら性癖終わってる奴らしかいない件(作者:レイ)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

▼TSよわよわ魔法少女が歪んだ性癖持ちの味方魔法少女達から劣情を向けられまくるお話です。


総合評価:1512/評価:8.59/連載:9話/更新日時:2026年10月26日(月) 02:02 小説情報

うわぁぁ!!! エルフだ!!??!(作者:葛城)(オリジナル:ファンタジー/日常)

例によって例のごとく、神様のミスで異世界TS転生しただけでなくエルフになった人の話▼なお、異世界ではエルフはお伽噺の住人扱いされるぐらいで、本当にエルフっていたんだって超驚かれる存在である▼※セルフレイティングは、いちおう念のため


総合評価:4465/評価:8.24/連載:14話/更新日時:2026年08月19日(水) 17:01 小説情報


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