爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~ 作:a-ru
最後の朝は、思っていたよりも普通に始まった。
目を覚ませば、そこには見慣れた教室があり、少し離れた場所から話し声が聞こえてくる。新しく用意してもらった寝具でまだ眠っている者もいれば、とっくに起きてゲームを始めている琴音もいた。
昨日までと何も変わらない朝だ。けれど、今日が終われば、蛍と葵がこの教室で目を覚ますことはもうない。
「……おはよ、蛍」
隣から聞こえた声に振り向くと、葵がこちらを見ていた。
「おはよう」
「今日だね」
「うん」
それだけ言って、二人とも少し黙った。
帰りたいと、ずっと思っていた。最深部へ辿り着くことも、願いを手に入れることも、そのためだったはずなのに、いざ本当に帰れる日が来てしまうと、嬉しいだけでは済まなかった。
身体を起こした蛍が教室の隅へ目を向けると、そこには小さな袋が置かれている。
残された九個の青い果実だった。
香奈恵たちの成熟完了を取り消すことはできない。それでも、蛍と葵が少しでも元の身体へ近づいた状態で帰れるようにと、皆が最後まで残してくれたものだ。
「先に使っちゃう?」
「そうだね」
二人が袋を持って教室の中央へ移動すると、周囲もすぐに何をするのか察した。
「いよいよ食べるんだ」
「結局、五個と四個?」
「うん。私が五個で、葵が四個」
最深部へ到達したことで赤い果実を食べる必要はなくなったものの、それまで身体の中で進んでいた変化が完全に止まるまでには多少時間がかかったらしい。この数日にも二人の胸はわずかに育ち、昨夜測った時点で蛍がおよそ百七十七センチ、葵がおよそ百七十五センチに達していた。
それでも、今の教室ではかなり小さい部類に入る。そう思ってしまう時点で、自分たちの感覚がすっかり狂っているのだろう。
「じゃあ……食べるね」
蛍が青い果実を口へ運ぶと、ほどなく胸元にもう何度か経験した感覚が広がった。大きく張り出していた乳房が少しずつ縮み、それにつれて肩や背中へかかっていた重さも軽くなっていく。
「おおー」
「縮んでる、縮んでる」
「なんか、すごく小さくなってるように見える」
「比較対象がおかしいんだって」
笑い声の中、蛍は五個、葵は四個を食べきった。
最後にもう一度測ってもらうと、蛍はおよそ百五十二センチ、葵は百五十五センチまで小さくなっていた。
「だいぶ小さくなったね!」
「うん!」
待機組の一人に言われ、葵も反射的に頷く。
だが、数秒後には表情が固まった。
「……いや待って。百五十五って、地球だと全然小さくないよね?」
「今さら?」
「分かってたけど!」
「四個も食べて百五十五なのよ。覚悟して帰りなさい」
麗華が呆れたように言うと、葵が頬を膨らませた。
「麗華は他人事だと思って!」
「他人事だから言えるのよ」
「ひどい!」
最後の日だというのに、教室にはいつもと変わらない笑い声が広がる。
蛍も笑いながら自分の身体を見下ろした。数日前と比べれば確かにずいぶん軽くなったが、迷宮へ来る前とは比べるべくもない。地球ではまず見ないほど大きな胸に、細く絞られた腰。その下には丸みを増した腰回りと、肉付きのよくなった太腿が続いている。
顔立ちは間違いなく自分のものなのに、肌も髪も以前より明らかに美しく整えられていた。
「……本当に、このまま帰るんだ」
「戻せないものは仕方ないでしょう。それに、美人になったところまで嫌がる必要はないんじゃない?」
「麗華が言うと説得力あるね」
「仕事柄、外見を武器にすること自体には抵抗ないもの」
「胸は?」
「これはやりすぎ」
麗華の即答に、また笑いが起きた。
けれど、そんな時間もいつまでも続くわけではない。
「……そろそろ行く?」
香奈恵が静かに尋ねると、教室が少しずつ静まり返った。
「うん」
蛍は立ち上がる。
最深部へ向かう転移陣なら何度も使ったが、今日、その先へ行けばもうこの教室には戻れない。
「じゃあ……」
何か言わなければと思った。この日のために考えていたはずなのに、いざ二十八人の顔を見ると、用意していた言葉はすべて消えてしまう。
「今まで、ありがとう」
結局、口から出たのはそんなありふれた言葉だった。
「こっちこそ」
「蛍ちゃんたちがいなかったら、もっと大変だったよ」
「帰っても絶対連絡してね」
「うん。家族にも、ちゃんと生きてるって伝えるから」
二人は一人ずつ皆のところを回っていった。
今では胸囲三百センチ前後まで成長した者も多く、二十八人全員が立ち上がって二人を囲むようなことはできない。それでも手を握り、身体を支えながら抱き合い、それぞれのやり方で最後の挨拶を交わした。
琴音の前へ行くと、彼女は珍しくゲーム機を脇へ置いた。
「向こうに戻ったら、地球のゲーム事情教えてね」
「最後までそれ?」
「重要だよ。あと……家族にもよろしく」
最後だけ、少し声が小さくなる。
「生きてるって。それだけでいいから」
「ちゃんと伝える」
「じゃあ、また通信で」
「またね」
麗華は二人を上から下まで眺めたあと、最後まで彼女らしいことを言った。
「向こうへ戻ったら、服装はちゃんと考えなさいよ。その身体で適当な服を着たら、ただでさえ目立つのに余計ひどいことになるわ」
「もう何着ても目立つと思うけど」
「だからこそよ」
そう言いながらも、麗華の表情は少しだけ緩んでいた。
「……帰れるなら、ちゃんと帰りなさい。私たちの分まで幸せになって、なんて言うつもりはないわ。私は私でこっちで暮らしていくから」
「うん」
「でも、向こうで何か面白いことがあったら話して。仕事の話とかも。それと、私の家族にも」
「絶対伝える」
「お願い」
最後は香奈恵だった。
「二人とも、無理しないでね。向こうで何が起こるか分からないけど、困ったらちゃんと周りを頼ること。こっちにも連絡できるんだから、一人で抱え込まない」
「分かった」
「葵も」
「はい」
「返事だけじゃなくて?」
「分かってます!」
いつものやり取りに小さな笑いが起きる。
それから香奈恵は、二人へ手を伸ばした。
「行ってらっしゃい」
一瞬、蛍は何も言えなかった。
もう同じ場所へ帰ってくることはできない。それなのに「さようなら」ではなく「行ってらっしゃい」と言われたことが、妙に胸へ残った。
「……行ってきます」
「私も。行ってきます」
二人は転移陣へ入った。
白い光に包まれる直前まで、教室に残る皆が手を振っていた。
◇
最深部の円形の部屋は、今日も何一つ変わっていなかった。
二人が中央の台座へ近づくと、その上に浮かぶ透明な板へ無機質な文字が現れる。
『願望実行権保有個体 二名を確認』
『願望入力を受け付けます』
「その前に、一個だけ。帰った後、皆と連絡するにはどうすればいいの?」
『帰還実行時、世界間通信端末を各帰還個体へ付与します』
端末は未登録者には機能を認識できず、紛失しても所有者から一定距離以上離れれば自動的に戻ってくるらしい。
「便利すぎない?」
「そこだけはありがたいね」
これで、本当に聞きたいことはなくなった。
迷宮へ来た時には三十人いた。
二十五人は真相を知った上でここに残ることを選び、三人は帰りたかったのにその道を失った。そして蛍と葵だけが、元の世界へ戻る権利を持っている。
「葵」
「うん」
「一緒に言う?」
「そうしよっか」
二人は隣り合って立った。
「「元の世界へ帰りたい」」
『願望を受理しました』
『実行します』
「……あっさりだね」
「迷宮らしいかも」
二人が小さく笑い合った次の瞬間、視界が真っ白に染まった。
◇
最初に聞こえたのは、車の走る音だった。
「……え?」
目を開いた蛍の前にあったのは、見覚えのある机と椅子、黒板。そして窓の向こうに広がる、懐かしい校舎だった。
「……学校?」
「ここ……私たちの教室だ」
ただし、記憶にある教室とは様子が違っている。机や椅子は壁際へ寄せられ、規制用らしいテープや見覚えのない機材が置かれていた。
「戻った……?」
「多分」
窓へ近づけば、道路を車が走り、遠くから話し声が聞こえ、木々の葉が風に揺れている。
迷宮へ行く前なら気にも留めなかった、何でもない地球の日常だった。
「蛍」
「うん?」
「帰ってきたね」
「……うん」
二人が顔を見合わせた直後、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
「誰かいるのか!?」
勢いよく開いた扉の向こうにいた男性は、蛍と葵を交互に見たあと、その場で完全に固まった。
「…………」
「えっと……神崎、です」
「東です」
「…………え?」
その日から、二人の周囲は本当に大騒ぎになった。
◇
学生三十人が同時に姿を消してからすでに五十日あまりが過ぎていた。
そのうち二人だけが突然、同じ学校の教室へ帰還した。しかも、失踪前とは比較にならないほど身体が変化した状態である。
学校から警察へ連絡が入り、ほどなく救急車も呼ばれた。
ただ、病院へ運ばれると知った時、二人には一つだけ絶対に隠さなければならないものがあった。
「……蛍」
「うん。私も考えてた」
二人が同時に見下ろしたのは、青い果実を使ってなお異常なほど巨大な胸だ。
迷宮から帰ってきても、乳房の分泌機能までは消えていなかった。しかも、その母乳が迷宮で持っていた膨乳作用まで失われている保証はない。
「これ、絶対に調べさせない方がいいよね」
「うん。もし誰かに作用したら洒落にならない」
二人は着替えと身支度をしたいと頼み、病院へ向かう前に短時間だけ人目のない部屋へ入れてもらった。そこで互いの胸を揉みほぐし、溜まり始めていた分をできる限り抜いておく。
「……まさか帰ってきた直後に、またこれやるとは思わなかった」
「私も。向こうにいた頃とあんまり変わらないね」
「それ今言う?」
迷宮では日常だった行為なのに、地球の学校で誰かに気づかれないよう声を潜めてやっていると思うと、妙におかしかった。
その後は何食わぬ顔で病院へ運ばれ、採血を含め何度も検査を受けたものの、母乳についてだけは最後まで黙り通した。
家族との再会では泣かれ、抱き締められ、何があったのか何度も尋ねられた。警察からも繰り返し事情を聞かれたが、答えられることは限られている。
「他の二十八人は生きています」
「全員?」
「はい」
「どこにいるの?」
「それは……言えません」
「連絡は取れる?」
「はい。でも、方法も話せません」
当然、簡単には納得してもらえなかった。
それでも迷宮の存在や場所、機能、異世界への移動について意図的に話せば、二十八人との通信権を永久に失う。そこだけは、何を疑われても守るしかなかった。
一方、コアから与えられた通信端末は問題なく機能した。
『蛍?』
初めて画面の向こうに香奈恵の顔が映った瞬間、二人とも泣いた。
「聞こえる?」
『聞こえてる。本当に帰れたのね』
「うん」
その後ろから、何人もの声が重なる。
『葵ちゃんもいる!?』
『家族に会えた!?』
『こっちは大丈夫だからね!』
端末は映る人数や距離に応じて自動的に画角を変えるらしく、近ければ顔や上半身、離れれば全身、大勢が集まれば教室全体まで映した。
もう直接触れることも、同じ教室で眠ることもできない。
それでも声を聞き、顔を見ることはできる。
その事実だけで、蛍には十分すぎるほど大きな救いだった。
◇
問題は、地球でこれからどう生きていくかだった。
二人が帰還したというニュースは瞬く間に広まり、実家の周囲には連日、新聞や週刊誌、テレビをはじめとした報道関係者が集まった。失踪事件だけでも十分な話題だったが、それ以上に世間の注目を集めたのは二人の外見だった。
元の面影を残しながら、異常なほど滑らかな肌と艶やかな髪。どれだけ調べても健康そのものとしか判定されない身体に、蛍はB152、葵はB155という、地球ではほとんど比較対象のない体型である。
迷宮では周囲の方が遥かに巨大だったせいで感覚が麻痺していたが、こちらではどこへ行っても目立った。
「……また来てる」
帰還から数週間後、葵が実家のカーテンを少しだけ開き、すぐ閉めた。
「何人?」
「テレビっぽい人が三組。雑誌が二組くらい」
「今日もかぁ……」
取材だけではない。テレビ出演、雑誌撮影、モデル、芸能事務所。帰還前には想像もしなかった依頼が、毎日のように舞い込んできた。
当初はほとんど断っていた二人だったが、考えれば考えるほど、以前予定していた人生へそのまま戻ることは難しい。
「葵、陸上は?」
「無理」
「即答だね」
「だって走ってみたもん。胸が重いし、揺れるし、重心も全然違う。迷宮の装備って本当にすごかったんだね……」
日常生活なら特注の下着でどうにかなるが、以前のような全力疾走は難しいらしい。
「蛍は剣道どうだった?」
「まず防具が入らない。特注しても、この身体で前と同じ動きができる気もしないかな」
「そっかぁ……」
二人とも、当たり前に続けるつもりだった道には戻れそうになかった。
「……何しようかね、私たち」
「それなんだよね。働かないわけにもいかないし」
「向こうの皆みたいに、何もしなくても食べ物出てくるわけじゃないもんね」
「それ言うと羨ましくなるからやめて」
二人で笑ったあと、迷宮の皆にも相談してみることにした。
◇
『だったら、外見を活かす仕事でもしたら?』
事情を聞いた麗華は、あっさりそう言った。
「外見?」
『今だって取材や出演依頼が毎日来てるんでしょう? その容姿で、失踪事件から帰還した二人っていう話題まであるんだから、向こうが放っておかないわよ』
画面の端から別の一人も身を乗り出す。
『そういえば、暇だったからコアに地球のアイドル雑誌とかグラビア雑誌を再現してもらったんだけどさ』
「そんなもの頼んだの?」
『興味本位で。……これ言ったら怒られるかもしれないけど、私たちと比べると、向こうの人ってあんまり可愛く見えなくない?』
「言い方!」
『地球の人が悪いんじゃなくて、私たちの基準がおかしくなったのよ』
麗華がため息をつく。
『全員、迷宮に普通じゃないくらい外見を整えられたんだから』
「ああ。私たち、人外枠なんだ」
「葵も言い方……」
画面の向こうで笑いが起きた。
『でも、その見た目を使わないのはもったいなくない? モデルとか、アイドルとか』
『グラビア?』
「グラビア……」
蛍と葵が同時に自分の胸を見る。
『一番分かりやすいと思う』
「私、陸上やってた人なんだけど」
『今は胸囲百五十五センチの美少女でしょ』
「情報の圧が強い!」
麗華はさらに続けた。
『二人で売り出せば話題性は十分よ。ただし、事務所はちゃんと選ぶこと。最初に注目されるのと、そのあと仕事を続けられるかは別問題なんだから』
「急に現実的」
『そこは仕事だから』
元々その業界で働いていた麗華が言うと、妙な説得力がある。
琴音までゲーム機から顔を上げた。
『地球だと働かないと暮らせないんでしょ? 大変だね』
「ものすごく他人事!」
『こっちは家賃ゼロ、食費ゼロ、ゲーム代ゼロだから』
「それ自慢する?」
『でも、一回くらい話を聞いてみれば? 嫌なら断ればいいんだし』
確かに、人前へ出ることそのものが嫌なわけではない。
「……じゃあ、一回事務所の話、聞いてみる?」
「一人で行く?」
「絶対嫌」
「だよね。一緒に行こっか」
『本当に仕事するなら、私にも相談しなさい』
「いいの?」
『中途半端なもの作られる方が嫌よ。かなり厳しく見るけど』
「……やっぱりやめようかな」
『もう遅い』
画面の向こうとこちらで笑い声が重なった。
◇
そこからの話は、驚くほど早く進んだ。
麗華には候補になった事務所をすべて見せ、契約内容から担当者、過去の所属タレントの扱いまで確認してもらった。
『ここはやめなさい』
「即答?」
『契約が良くない。こっちの方がまだまともね』
最終的に、二人は麗華が認めた事務所へ揃って所属することになった。
最初は雑誌のインタビューと軽い撮影だけのつもりだったが、初めて二人のグラビアが掲載された雑誌は発売日の午前中から各地で売り切れ、その日のうちに増刷が決まった。
『集団失踪事件から奇跡の帰還を果たした二人』
『失踪前から一変した奇跡の美女』
『現実離れした究極のプロポーション』
「……究極のプロポーションだって」
「恥ずかしいから読まないで」
「でも間違ってないらしいよ」
「自分で言わないでよ!」
最初はそんな調子だった二人も、仕事を重ねるうちに少しずつ慣れていった。
カメラの前で自然に笑い、身体が綺麗に見える立ち方や目線、指先や脚の角度まで覚える。胸ばかりが目立つ身体だからこそ、全体をどう見せればいいかは特に重要だった。
『葵、腰を反りすぎ。胸を強調すればいいってものじゃないわよ』
「はい……」
『蛍は表情が硬い。二人とも、撮られる側なんだから自分がどう映るか考えなさい』
「麗華、事務所の人より厳しくない?」
『仕事なんだから当然でしょう』
気づけば麗華は、通信越しの半専属指導役になっていた。
◇
芸能活動を始めてしばらくすると、蛍と葵はそれぞれの実家を出て、二人で暮らすようになった。
仕事が増えて帰宅時間が不規則になり、実家には取材目的の人間が来ることもある。迷宮組と話す際も、家族が近くにいれば内容を選ばなければならない。
そして何より、二人には他人へ話せない身体の問題が残っていた。
地球へ帰還しても、母乳の分泌は止まらなかったのである。
幸い、迷宮にいた頃ほど生成速度は速くなく、数時間で限界まで張るようなことはない。それでも放っておけば少しずつ重みが増すため、二人は定期的に互いの胸を揉みほぐし、溜まった分を抜くようになった。
「蛍、ちょっと張ってきた?」
「うん。葵も?」
「ちょっと」
「じゃあ、やろっか」
最初は本当に、それだけだった。
同じ事情と秘密を知る相手だからこそ、何の遠慮もなく身体を預けられる。迷宮にいた頃から距離の近かった二人は、地球へ戻ってからも警察、病院、報道、仕事と、ほとんど何をするにも一緒だった。
やがて手を繋ぐことが増え、一緒に眠り、どちらからともなく口づけを交わすようになる。胸を楽にするために触れているのか、それとも触れたいから胸の張りを理由にしているのか。その境目が分からなくなるまで、そう時間はかからなかった。
そして今では、幼なじみという言葉だけでは説明できない関係になっている。
そんなある日の夜。
「蛍……」
「ん……」
翌日は二人とも午後から仕事だった。
久しぶりに時間を気にせず過ごせる夜ということもあり、二人は何も身につけないままベッドの上で身体を寄せ合っていた。
迷宮へ来る前とはまるで違う、豊かに実った身体同士が重なる。百五十センチを超える乳房を互いに押しつけながら何度も口づけを交わし、葵が蛍の胸を揉みほぐせば、蛍も同じように葵の柔らかな乳房を掌へ包んだ。
張りがほどけ、溜まっていた母乳が抜けていく。
けれど今は、それだけが目的ではない。
胸から離れた手は細い腰を滑り、丸みを帯びた尻や太腿へ触れていく。葵の指も蛍の脇腹をなぞり、そのまま太腿の内側まで下りてきた。
「……葵」
「なに?」
「それ、母乳抜くのと関係なくない?」
「今さら?」
耳元で囁かれ、蛍は笑った。
言い返す代わりに葵を抱き寄せ、胸と胸を押しつけ、脚まで絡ませてもう一度深く唇を重ねる。
身体を楽にするため、という建前はもうほとんど残っていなかった。
その時、枕元の白い通信端末が光った。
「…………」
「…………」
絡み合ったまま、二人の視線だけがそちらへ動く。
「今!?」
「たぶん皆!」
「出なくていいよ!」
『着信を確認。応答しますか』
「無視、無視」
「うん。続き、する?」
「……うん」
『肯定応答を確認しました』
「え?」
画面が開いた。
『あ、繋が――』
「…………」
「…………」
『…………』
画面の向こうで香奈恵が完全に固まった。
二人も固まる。
葵の手は蛍の乳房に添えられたまま、蛍の腕は葵の腰へ回り、互いの巨大な胸も脚も密着している。何をしていたのかなど、説明されるまでもない。
『…………え?』
「なんで繋がったの!?」
『こっちが聞きたいんだけど……』
画面の隅に文字が浮かんだ。
『音声による肯定応答を検出したため、着信を受諾しました』
「そんな機能あったの!?」
『あったのね……』
「いらない! その機能いらない!」
『設定から無効化できます』
「先に教えてよ!」
騒ぎを聞きつけ、香奈恵の後ろへ次々と顔が集まり始める。
『なになに?』
『蛍ちゃんたち?』
「来ないで!」
数秒後、画面の向こうが爆発した。
『ええええええっ!?』
『二人そういう関係になったの!?』
『いつから!?』
『今何してたの!?』
「見れば分かるようなこと聞かないで!」
『分かるんだ!?』
「葵!」
ようやく我に返った葵が、真っ赤になって布団を引き寄せる。
琴音が画面の後ろから顔を出した。
『なるほど。同棲ってそういう――』
「琴音!」
『はい』
麗華は片手で額を押さえている。
『あなたたち……せめて通信端末から離れた場所でやりなさいよ』
「今日は連絡来ないと思ってたの!」
『私たち、予約制じゃないでしょう』
結局、翌日の仕事へ出るのが嫌になるほど二十八人に散々からかわれた末、蛍は強引に通信を切った。
「……明日、絶対また聞かれるよね」
「聞かれるね」
「通信したくない」
「無視したら余計面白がられるよ」
「迷宮から帰ってきてから、一番恥ずかしいかもしれない……」
「私も」
そう答えながら、蛍は少しだけ笑った。
仕事も、住む場所も、二人の関係も大きく変わった。
それでも失敗すれば、遠い世界の向こうから皆に一斉に茶化されるところだけは、迷宮にいた頃とあまり変わっていなかった。
◇
それから、一年が経った。
結論から言えば、蛍と葵はとんでもなく売れた。
新しい雑誌が出れば売り切れが続出し、写真集は何度も増刷。グラビアだけでなく、バラエティ番組や情報番組、ファッション誌、広告、イベントまで仕事は広がり、テレビをつければ毎日のようにどちらかが映っている。
『失踪から帰還した奇跡の美女』
『現実離れした究極のボディ』
『謎多き二人が芸能界を席巻』
そんな見出しも、今では珍しくなかった。
「……また完売だって」
控室のソファへ腰を下ろした葵がスマートフォンを見せる。
「今度の雑誌?」
「うん。また増刷」
「先月も聞いた気がする」
「私も」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
一年前なら、こんな生活は想像もしなかった。
「今日の撮影、また水着?」
「私はそう聞いてる」
「私、元陸上選手志望だったんだけどなぁ……」
「私だって剣道続けるつもりだったよ」
そう言いながらも、今ではカメラを向けられれば自然に笑い、身体の線を魅力的に見せるポーズも取れる。
「今日の写真、麗華に見せたらまた何か言われそう」
「絶対言うよ。『右肩が高い』とか」
「この前なんて『胸だけで写真が成立すると思うな』って怒られた」
「胸だけでも十分すごいのにね」
「そういう意味じゃないんだって」
「神崎さん、東さん、お願いします!」
「はーい!」
二人は揃って立ち上がった。
少し前まで迷宮の中で魔物と戦っていた二人が、今では照明とカメラに囲まれて仕事をしている。
人生とは、本当に分からないものだった。
◇
同じ頃、迷宮の教室では大型画面の前に二十八人が集まっていた。
コアへ頼めば地球で一般公開されている番組や雑誌を一定範囲で再現してくれるため、蛍と葵の出演番組はかなりの頻度で視聴されている。
「出た!」
「蛍ちゃん!」
「葵ちゃんもいる!」
画面の中では、二人が明るい照明の下で笑っていた。
『続いては、集団失踪事件から奇跡の生還を果たし、今やグラビア界のみならずテレビでも大人気! 神崎蛍さん、東葵さんです!』
「グラビア界のみならず、だって」
「本当にスターになっちゃったね」
「麗華の予想当たったじゃん」
「当然でしょう」
少し得意そうに答えた麗華を含め、迷宮に残った二十八人の身体も、この一年ですっかり安定していた。
帰還時点ですでに胸囲三百センチ前後まで育っていたため、そこから劇的に変化したわけではない。それでも最終的には、香奈恵が三百三十五センチ、麗華が三百四十センチ、琴音も三百十センチほどで落ち着いている。
数字だけでは、もはや大きさを想像しにくい。
けれど通信や映像で全身を正面から見れば、一目で異常さが分かる。
今も麗華たちは床に座って番組を見ているが、その姿は胸元へ巨大なバランスボールを二つ抱え込んでいるようにすら見えた。
もちろん、本当に何かを抱えているわけではない。それほど巨大でありながら丸みを保った二つの乳房が、身体から滑らかに続いたまま大きく前へせり出しているのだ。
細い腹部や腰は正面からではかなり隠れ、琴音ですらその状態なのだから、香奈恵や麗華に至っては上半身の大半を胸が占めているように見える。
それでいて腰は細く、尻や太腿には豊かな丸みがあり、肌も髪も迷宮によって完璧な状態を保たれていた。
地球で現実離れした体型として売っている蛍と葵でさえ、迷宮組と並べれば小さく見えてしまう。
そして、成熟した二十八人の生活にはもう一つ、すっかり定着した日課があった。
迷宮による搾乳――分泌物の回収である。
成熟前とは比較にならないほど生成速度が上がり、一度空になっても数時間で巨大な乳房には再び重みが戻る。朝、昼、夜の一日三回ほど、胸の状態を迷宮側が確認し、頃合いになると回収設備が動き始める。
それ自体は、もう完全に日常だった。
ただし、回収が始まった時の反応だけは非常に騒がしい。
「ひゃっ……!」
「ちょ、今日、強……っ!」
「む、無理……声出るって……!」
張り詰めていた胸が一気に楽になる解放感だけではなく、身体の改造によって強烈な快感まで伴うため、教室のあちこちから堪えきれない声が上がる。中には本気の悲鳴のような声を響かせ、終わる頃には力が抜けきってしまう者までいた。
もちろん苦痛ではない。
むしろ今では、回収時間を待ち望む者までいるほどだった。
「そろそろ昼だよね?」
「あと何分?」
「もうパンパンなんだけど……」
「待ち遠しそうに言うのやめない?」
「だって気持ちいいし、楽になるし」
「前半が本音じゃない?」
「…………」
「黙るんだ」
そんな生活さえ、二十八人にとってはもう日常になっていた。
◇
その日の番組が終わる頃、通信端末に収録を終えた蛍と葵が映った。
『聞こえてる?』
「蛍ちゃん!」
『さっきから聞いてるよ』
ちょうど大型画面には、二人の新しい写真集が紹介されている。
「蛍ちゃん、すごいポーズしてる!」
「葵ちゃんも!」
「二人とも笑顔でめちゃくちゃ色っぽい!」
『仕事だから!』
「でも笑顔だったよ」
『仕事だから!』
「二回言った」
笑い声が教室に広がる中、麗華だけは写真を真剣に見ていた。
「……でも、かなり良くなったわね」
『ほんと?』
「最初は胸を見せればいいと思ってるのが丸分かりだったもの。でも次は右肩を少し下げなさい。今の角度だと上半身が硬く見える」
『もう指導始まった!』
「麗華、絶対楽しんでるよね」
「楽しんでないわよ」
そう答えながらも、少し嬉しそうだった。
その時、教室の一角から回収時刻を知らせる音が鳴る。
「あ、そろそろ昼だ」
『もうそんな時間?』
「うん。結構溜まってる」
待機組の一人が、張りを増した胸へ手を添えた。
『大変だね』
「でも今はちょっと楽しみ」
『楽しみなんだ……』
その言葉を聞いた麗華が、ふと思い出したように通信画面を睨む。
「……そうだ。前にも何度も言ったけど」
『なに?』
「事故であなたたちの情事を見たからって、こっちの搾乳時間に通信繋げないでよ」
『そんなことしないよ!』
「本当に?」
『本当に』
そこで葵が、妙に楽しそうな顔をした。
『えー、今度わざと繋げようかな』
「葵」
『冗談冗談』
「今の間、絶対『フリかな』って考えたでしょう」
『ちょっとだけ』
「フリじゃないからね!」
麗華の怒声に教室中が笑い、画面の向こうでは蛍が額を押さえた。
『葵、やめなよ……』
『だって面白そうじゃん』
「面白くない!」
『私たちは二十八人で見たのに?』
「それとこれは別!」
結局、回収が始まる前に通信は一度切られることになった。
◇
少しして再び繋ぐと、琴音は再現されたグラビア雑誌を眺めながら言った。
「最初に地球の雑誌見た時、『私たちより普通だね』って話したけど、蛍と葵がそこに混ざるとやっぱり二人だけ異物感すごいよね」
『異物って言わないで』
「人外枠だもん」
『琴音!』
「褒めてるよ?」
『絶対褒めてない!』
実際、地球の女性たちに混ざれば、二人だけ身体の比率が明らかに違う。
「でも、これで百五十ちょっとなんだよね?」
『そうだよ』
「小さいね」
『その感想、本当に地球で言わないでね』
迷宮側から見れば小さく、地球では「究極のプロポーション」と呼ばれる。
同じ身体を見ているはずなのに、住んでいる世界が違うだけで基準までまるで違っていた。
「……すごいね」
「何が?」
「本当に、二人とも別の人生始めたんだなって」
その言葉に、教室が少しだけ静かになった。
剣道を続けるはずだった蛍と、陸上競技を続けるはずだった葵。
二人とも思い描いていた未来には戻れなかった。
それでも代わりに新しい場所を見つけ、今は画面の向こうで笑っている。それが少なくとも悪い選択ではなかったことくらいは、誰にでも分かった。
『そっちも楽しそうだけどね』
蛍が言う。
教室のテーブルには今日も菓子が並び、琴音はゲーム機を手にしている。誰かは新しい映画をコアへ頼み、別の誰かは友人と身体を寄せ合いながら雑誌を読んでいた。
日に何度か搾乳されることを除けば、働く義務さえない。
「まあね。こっちは働かなくていいし」
『それ毎回言うよね! こっちは今日、朝五時起きだったんだけど!』
「大変だね、芸能人」
『他人事!』
『でも、今度の写真集できたらまた見せるから』
「見たい!」
「また色っぽいやつ?」
『その言い方やめて!』
「この前みたいに笑顔で胸強調してるやつ?」
『もう通信切るよ!?』
教室の笑い声と、遠い世界にいる二人の声が重なった。
迷宮と地球。
もう三十人全員が同じ場所へ集まることはできない。それでも片方ではテレビに映る二人を見て笑い、もう片方ではその反応を聞いて笑っている。
蛍と葵は、元通りにはならなかった。
二十八人も、以前の生活へ帰ることはない。
身体は取り返しがつかないほど変わり、帰りたかったのに帰れなくなった者もいる。帰還できた蛍と葵でさえ、昔思い描いていた人生をそのまま取り戻せたわけではない。
だから、これを幸せな結末と呼んでいいのかは、蛍にも分からなかった。
それでも、誰も死ななかった。
残ることを自分で選んだ二十五人は、その生活の中で笑っている。帰る道を失った三人も、不満や未練を抱えながら新しい日常を作っていた。
そして帰ってきた二人も、以前とはまるで違う仕事をし、同じ家へ帰り、いつの間にか友人では済まない関係になりながら、それなりに楽しく暮らしている。
失ったものは、確かに多かった。
けれど、全部を失ったわけではない。
『あ、そうだ蛍。この前のことなんだけど』
「なに?」
画面の向こうで琴音がにやりと笑った。
『二人が付き合い始めた時期、まだちゃんと聞いてな――』
「切るよ」
『待って!』
通信が切れる寸前まで、教室から笑い声が響いていた。
「もう……」
蛍が端末を置くと、隣では葵が真っ赤になっている。
「絶対、一生言われるよ」
「多分ね」
「嫌なんだけど」
「でもまあ……それくらいなら、いいんじゃない?」
「……そうかな」
「うん」
やがて葵も笑った。
こんな結末を、何と呼べばいいのかは最後まで分からなかった。
けれど今、地球でも迷宮でも、みんなが笑っている。
それならきっと。
見方によっては――これも、幸せな終わり方なのだろう。
Fin
【地球帰還時点】
神崎 蛍
B152 / W58 / H102
↓
東 葵
B155 / W57 / H104
↓
【迷宮組・蛍&葵がグラビア活動をしている頃】
橘 香奈恵
B335 / W60 / H142
篠宮 麗華
B340 / W58 / H138
三島 琴音
B310 / W56 / H130
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作はこれにて完結です。
元々かなり自分の趣味全開で、「こういう迷宮ものが読みたい」というところから書き始めた作品でした。
そのため胸の成長をはじめ、色々と好みを詰め込んだ内容になりましたが、最後まで楽しく書くことができました。
蛍たち三十人の結末を、少しでも楽しんでいただけていたなら嬉しいです。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。