爛熟の迷宮 ~祝福の果実に身体も心も変えられていく三十人の少女たち~   作:これはR-15の範囲内なのか

6 / 6
第六話『分かたれた教室』

 カチリ、と硬質な音が石壁に響き、天井の鉱石が青白い光を放ち始めた。

 

 四日目の朝。

 

 教室を満たしたのは、鳥のさえずりでもカーテンを揺らす爽やかな風でもなく、濃厚に煮詰まった果実の残香と、酸味の混ざった浅い吐息だった。

 

「……あ……」

 

 タオルの寝床の上で、誰かが乾いた呻き声を漏らした。目を覚ました少女たちが、重い身体を引きずるようにして起き上がる。そして、光の下でお互いの顔を見合わせた瞬間――息を呑む音が、部屋のあちこちで小さく凍りついた。

 

 そこに広がっていたのは、同じ人間とは思えないほどの、残酷なまでの二極化だった。

 

「嘘……でしょ……?」

 

 床に崩れ落ちたまま、篠宮麗華が掠れた声で呟いた。

 

 麗華の姿は、昨日までの誰もが憧れるグラビアアイドルの面影を完全に失っていた。

 

 たった一日、果実を口にしなかっただけで、肉体からは急速に潤いが失われていた。陶器のようだった肌はカサついて生気を失い、ひび割れた唇や目の下の隈が、隠しようもない疲労を物語っている。激しい空腹とエネルギー切れのせいで、立ち上がろうとすると人によってはふらついてしまう有様だった。

 

 その惨状の中、すっ、と何事もなく立ち上がった数人の少女たちがいた。

 

 昨夜、暗闇の中で教壇の木へと這い寄り、果実を貪った五人の生徒たち。そして、昨日の昼に酸の激痛から逃れるために実を口にした、神崎蛍。

 

「…………」

 

 彼女たちの放つ空気は、異様なまでに瑞々しく、生命力に満ち溢れていた。昨夜までの飢餓感が嘘のように消え去り、皮膚は内側から光を放つように白く潤い、ギシギシだった髪はとろけるような艶を取り戻している。血色の良い薔薇色の頬に、ぷるりと湿り気を帯びた薄桃色の唇。

 

 そして――無地の部屋着の胸元。

 

 昨夜果実をもぎ取った五人は、元からスタイルの良かったギャルグループを中心とした生徒たちだった。

 

 初日からの通算で三センチ分の成長を遂げた彼女たちの胸は、下着の支えを失った薄手のTシャツを内側から大きく押し広げていた。歩くたびに、ずしりとした確かな重みを持ってふるふると波打ち、ノーブラの布地の上からでもはっきりと分かる深い谷間の影を刻み込んでいる。

 

 そして、昨日の昼に実を口にしていた蛍もまた、同じく通算三センチの肥大化を遂げていた。

 

 元が「まな板」と自嘲するほど平坦だった蛍の胸は、客観的に見ればまだ小ぶりな膨らみにすぎない。だが、肋骨の上に骨と皮しかなかったはずの胸元には、今や手のひらにすっぽりと収まるだけの確かな『柔肉の丘』が芽吹いていた。

 

 サラシを奪われ、薄い部屋着一枚となった胸元は、息をするたびに微かに持ち上がり、尖った先端の形を布越しに隠しようもなく浮き彫りにしている。自分を律してきた平らな身体が奪われ、確実に「女の子の身体」へと作り変えられているという事実は、小ぶりだからこそ、蛍にとっては息が詰まるほどの羞恥と恐怖だった。

 

 エネルギーに満ち、肌を艶めかせ、身体を作り変えられた者たち。飢えにやつれ、美貌を剥ぎ取られ涙を流す者たち。

 

「……食べたのね」

 

 少しふらつきながらも立ち上がった香奈恵が低く震える声で言った。視線の先にある教壇の低木。昨夜、確かにいくつもの果実がもぎ取られたはずだった。だが枝には、思った以上の数の赤い実が残っている。いつ増えたのか、誰にも分からなかった。

 

 夜中に食べたギャルグループの生徒が、気まずそうに目を逸らす。だが、その瞳には罪悪感と同じくらい、飢餓から解放された圧倒的な安堵と、身体を満たす甘い全能感への陶酔が宿っていた。

 

「……だって、無理だったんだもん……」

 

 一人が、震える声で言い訳のように呟いた。

 

「お腹がすごい空いてたし……肌もボロボロで……。食べたら、一瞬で治ったよ? 痛くないし、すごく身体が軽いの……」

 

 麗華の視線が、その生徒の顔から全身へとゆっくり落ちていった。

 昨日までやつれ、肌を荒らしていたはずなのに、今では何事もなかったように健康な血色を取り戻している。それを見た瞬間、麗華の胸の奥に、恐怖とは別の感情が鋭く突き刺さった。

 自分だって苦しい。空腹で身体は重く、鏡を見るたびに肌も髪も衰えていく。それでも耐えているのは、これ以上、自分の身体を勝手に変えられたくないからだ。麗華にとって、自分の身体はただの外見ではなかった。撮影のたびに体重や体型を管理し、何年もかけて作り上げてきた、努力の積み重ねそのものだった。

 

「……昨日、みんなで耐えるって決めたじゃない」

 

 掠れた声だった。怒鳴るというより、自分自身へ言い聞かせているような響きだった。

 

「私だって……食べたいわよ。でも、ここで食べたら、また身体を勝手に変えられるじゃない……。それなのに……夜中に隠れて食べるなんて……そんなの、裏切りと同じじゃない……!」

 

 麗華が、掠れた喉から血を吐き出すように叫んだ。かつてクラスの頂点に君臨していた美少女が、髪を振り乱し、怨嗟の籠もった目で艶めく彼女たちを睨みつける。

 

「私たちは……我慢したのに! 耐えて、これ以上変わらないようにしようとしたのに……! あんたたち、自分がどんな姿になってるか分かってるの!? ただエサに群がって、そんな品のない身体晒して……恥ずかしくないわけ!?」

 

 張り詰めていた感情が決壊したような罵声が、教室に響いた。だが、罵る麗華の顔は何日か食事を抜いたかのようにやつれ、罵られる側の少女たちは、悔しさに頬を染めながらも、否定できないほどの圧倒的な美しさと健康美を誇示していた。

 

 どちらが正しく、どちらが破滅に向かっているのか。その境界線すら、教室を満たす果実の甘い香りに溶かされていく。

 

「……蛍ちゃん」

 

 床に座ったままの葵が、潤んだ瞳で蛍を見上げた。親友のその姿に、蛍の胸が激しく痛んだ。駆け寄って抱き起こしてあげたい。けれど、今の自分の身体からは、葵が欲してやまない甘い活力の匂いが漂っていることを、蛍自身が誰よりも自覚していた。

 

 薄い布地を押し上げる慎ましい柔肉の感触が、まるで葵たちの苦しみをあざ笑うかのように、息を吸うたび胸元を小さく持ち上げていた。

 

「……葵ちゃん……」

 

 蛍は伸ばしかけた手を引っ込め、自らの胸元を抱きかかえるようにして俯いた。もう、後戻りはできない。

 

 果実を拒絶すれば、麗華たちのように美しさを奪われる。果実を受け入れれば、自らの身体を強制的に変えさせられ、理性を甘い快楽に溶かされていく。

 

 木にはまだ、十分すぎるほどの果実が残っていた。沈黙の中、空腹に耐えかねたもう一人の生徒が、教壇の木へと手を伸ばし始めていた。

 

「やめなさい……っ!」

 

 麗華の悲鳴のような制止は、間に合わなかった。

 

 プチリ、と小気味よい音が教室に響いた。

 

 木へと手を伸ばしたのは、初日の朝、ブラジャーのワイヤーが脇に食い込んで痛いと泣いていた、図書委員の少女だった。元からGカップ近い重みに耐えかねていた彼女の身体は、昨日の断食によってやつれ果て、その痩せた胸郭にぶら下がる双丘は、今にも皮膚が裂けそうなほど不気味な赤みを帯びて熱を持っていた。限界だったのだ。

 

 シャクッ、と果肉を食み、震える喉が果汁を嚥下する。

 

「……っ……、ぁ……」

 

 その瞬間、図書委員の瞳孔が開き、とろりとした甘い吐息が零れ落ちた。

 

 灰白色に粉を吹いていた肌が、まるで早回しの映像を見るかのように、瞬く間にみずみずしい血色を取り戻していく。ひび割れていた唇は艶やかに潤い、乱れていた呼吸が深く整っていく。だが、その圧倒的な生命力の代償は、残酷なほど即座に現れた。

 

 ――トクン、トクン。

 

「ひっ……!?」

 

 図書委員が、自分の胸元を押さえて小さく悲鳴を上げた。部屋着の薄いロングTシャツを、内側から押し上げる質量がさらに一段階、確実に増したのだ。

 

 元々、コンプレックスから大きめの服で隠していたが麗華並みの巨乳だった彼女の胸は、通算三センチの膨張と、下着という支えを失ったことによって、もはや重力に抗えない巨大な二つの塊となってだらしなく垂れ下がり、歩くわずかな振動だけでぶるりと鈍く波打った。

 

「うそ……また、大きくなった……っ。重い……っ」

 

 図書委員は溢れんばかりの胸元を両手で持ち上げようとして――ぴくりと、背筋を小さく跳ねさせた。手の中でたわむ柔肉の重み。薄いTシャツの布地が擦れ、先端がきゅっと熱く引き絞られた瞬間、下腹の奥へツンとした甘い電流が突き抜けたのだ。痛みではない。胸部を激しく支配する、とろけるような痺れ。

 

「あ……れ……? 重いのに……なんか、揺れると……気持ち、いい……?」

 

 無意識に零れ落ちた、甘い呟き。その直後、図書委員は自分が何を口走ったのかに気づき、サッと顔を林檎のように真っ赤にして自らの口元を手で塞いだ。

 

 いつもなら恥ずかしくて人前で触ることすらできなかった胸を、自ら揉みしだくように抱え込み、あろうことか『気持ちいい』と漏らしてしまったのだ。恥辱に涙を浮かべて震える彼女の身体は、しかし、一度覚えた甘い快感を拒絶できず、呼吸に合わせてふるふると重たい柔肉を揺らし続けていた。

 

 教室が、再び異様な静寂に呑み込まれた。飢えが癒えるだけではない。あの果実は、彼女たちの胸をただ大きくするだけでなく、『揺れるたび、擦れるたびに快感を覚える肉体』へと、内側から作り変えているのだという決定的な事実。

 

「……っ、あんなの……嘘よ……!」

 

 麗華が床を爪で掻きむしり、震える声で吐き捨てる。けれど、その光景を目の当たりにしながらも、飢餓で朦朧とする他の生徒たちの目には、恐怖と同じくらい濃い『抗いがたい羨望』が焼き付けられていた。

 

「ごめん……私、もう無理……っ」

 

「わたしも……もう身体に力が入らなくて……」

 

 図書委員の劇的な回復を見せつけられたことで、張り詰めていた糸が完全に切れた。さらに三人が、ふらつく足取りで教壇へとすがりつき、赤い実をもぎ取っていく。

 

 シャクッ、シャクッ、と重なり合う甘美な咀嚼音。

 

 そのたびに、飢餓に喘いでいた少女たちが瑞々しい美しさを取り戻し、同時に、薄いTシャツの胸元をさらに少しだけ、しかし確実に膨らませる。

 

「やめて……やめなさいよ……っ!」

 

 麗華が床を叩きながら泣き叫ぶ。だが、彼女の制止に耳を貸す者はもういなかった。教壇の低木から、またいくつもの赤い実が消えていた。果実の魔力に屈して艶やかな肉体を取り戻した者が、蛍を含めて十人。未だ意地を張り、床に伏して飢えに震えている者が、麗華や葵を含めて二十人。

 

 教室には、いつの間にかはっきりと二つの立場が生まれ始めていた。

 

「……だって、胸が大きくなるくらい、別にいいじゃない……っ。こんな風に干からびて餓死するより、ずっとマシよ!」

 

 果実の魔力に屈した肯定派の生徒が、震える声で叫んだ。

 

 彼女たちにとって、耐えがたい飢餓の苦痛と、急速に失われていく美貌への恐怖は、肉体が作り変えられることへの嫌悪感を完全に上回っていた。どうせ死ぬなら、醜く枯れ果てるよりも、潤った美しい身体のまま生き延びたい――それが彼女たちの本音だった。

 

「ダメよ、あんな気味の悪い実! これ以上食べたら、本当に人間の身体じゃなくなっちゃう……!」

 

 対する否定派の生徒が、ふらつく身体を抱えながら叫び返す。

 

「誰かがダンジョンで、普通の食べ物を見つけてくればいいのよ! あんなおかしな果実なんかじゃなくて、まともな食料がどこかにあるはずでしょ……!」

 

 だが、その彼女たちの主張は、根本から破綻していた。『普通の食料』を探すためには、当然、危険なダンジョンの奥へ潜らなければならない。しかし、果実の魔力を拒絶した今の彼女たちには、階段を下りる体力すら残されていないのだ。

 

 食べなければ食料は探せない。だが、食べれば未知の肉体改変が進む。その得体の知れない果実への恐怖が、少女たちの冷静な思考力を奪い、『誰かがどうにかしてくれるはずだ』という都合の良い現実逃避へと走らせていた。

 

「どうやって探すって言うのよ! みんな動けないくせに!」

 

「そっちこそ、そんな身体にされて……!」

 

「……みんな、静かにして」

 

 見苦しい罵り合いを切り裂いたのは、壁に手をついて辛うじて立ち上がった学級委員長、香奈恵の低く冷たい声だった。

 

 香奈恵もまた、昨日の朝から果実を口にしていない。唇は白く乾き、頬はやつれ、呼吸も浅い。それでも委員長としての責任感が、彼女の折れかけた背筋を辛うじて支えていた。

 

「責め合っても、何も解決しないわ。……突きつけられている現実は、一つだけよ」

 

 香奈恵の視線が、瑞々しい肌と豊満な胸元を晒す十人の生徒たち――そして、床に伏して飢えに震える二十人の生徒たちへと、順に向けられた。

 

「動けるのは……あの果実を食べた人たちだけ。食べなかった私たちは、歩くことすらまともにできない。このまま全員で頑なに断食を続ければ、出口を探すどころか、数日と持たずに全員餓死するわ」

 

「だからって……!」

 

 麗華が床を叩き、悔しげに唇を噛む。乾いた唇の端から、赤い血が滲んだ。

 

「あんな実を食べ続けたら、戻れなくなっちゃうのよ!? 現に見てよ、あの子たちの身体……っ! あんなの、まともじゃないわ!」

 

「じゃあ、篠宮さんはこのままここで飢え死にするの?」

 

 香奈恵の冷徹な問いに、麗華は息を呑み、言葉を詰まらせた。正論だった。美貌とプライドを守るために干からびて死ぬか、得体の知れない姿へ身体を作り変えられて生き延びるか。迷宮は最初から、その二者択一しか彼女たちに許していなかったのだ。

 

「今日の探索を、どうするかよ」

 

 香奈恵の言葉に、教室がしんと静まり返った。探索。その二文字が持つ絶望的な重みを、昨日潜った者たちは骨の髄まで知っていた。

 

「……探索なんて、無理だよ」

 

 弱々しい声で呟いたのは、陸上部の葵だった。床に座り込み、熱を持った胸元を抱えながら、葵は震える瞳で蛍を見上げた。

 

「私は……走れない。足に力が入らないし、お腹が痛くて……それに、胸が……。異常に熱くて、石みたいにパンパンに張ってて……息をするだけで、内側から裂けそうに痛いの……」

 

 葵の言う通りだった。果実を拒んだ者は、激しい空腹とエネルギー切れ、そして胸の重苦しい張りで一歩も動けない。ならば、果実を食べて体力を取り戻した者が行けばいいのかといえば、それもまた絶望的だった。

 

 夜中に食べたギャルグループの生徒たちや、今朝口にした図書委員が、一斉に青ざめて後ずさる。

 

 昨日の強酸スライムの記憶。肉を焼き溶かされた地獄の激痛、そして衣服をすべて失い、全裸で教壇へと転がり戻ってきた蛍の無残な姿。

 

「む、無理だよ……っ! 私、あんな怖いところ行けない……!」

 

「武器もないし……蛍には悪いけど、昨日みたいに身体を溶かされる激痛を味わうなんて絶対イヤッ! それに……」

 

 ギャルの生徒が、薄い部屋着の上から、通算三センチの肥大化を遂げた自らの胸元を腕で隠した。

 

「……こんなの、走れるわけないじゃん……っ。下着もないのに、ちょっと跳ねただけで痛いというか……変な感じになっちゃうのに……っ」

 

 果実を食べた者たちは、体力こそみなぎっているものの、肥大化した肉体を持て余し、研ぎ澄まされた過敏な神経に怯え切っていた。下着の支えもないまま無防備に晒された柔肉は、歩くだけで下腹に甘い痺れを送り込んでくるのだ。武器を構えて魔物と対峙することなど、到底不可能だった。

 

 戦う意志のある者は飢えで動けず、動ける者は恐怖に戦意を挫かれている。少なくともその瞬間、誰の目にも脱出の道は閉ざされたように見えた。

 

 そんな重苦しい沈黙の中、すっ、と立ち上がったのは神崎蛍だった。

 

「……神崎さん?」

 

 香奈恵が見上げる。蛍は、教卓の脇に置かれていた一振りのショートソード――初日に手に入れた、迷宮の武器へと静かに歩み寄った。竹刀は昨日の酸で溶け去っていた。今の彼女の手元に残された武器は、この冷たい真剣だけだ。

 

 ショートソードへ手を伸ばそうとして、蛍の指が止まった。赤黒い粘液のスライムに溶かされ、焼かれた皮膚。そして、自分から出た声とは思えないほどの絶叫。記憶が蘇り、喉が勝手に震える。それでも、床に伏す葵を見れば、手を引くことはできなかった。薄いTシャツ越しに浮き出る二つの慎ましい膨らみを、左腕でぎゅっと押し潰すように抱え込みながら、蛍は言う。

 

「……私、行くよ。一人でも」

 

「蛍ちゃん、ダメだよ……っ!」

 

 葵が床から身を乗り出し、必死に手を伸ばした。

 

「昨日あんな目に遭ったのに……! サラシもないんだよ!? またあんな怪物に襲われたら……!」

 

「でも、誰かが行かなきゃ……みんな、本当にここで飢え死にしちゃうよ」

 

 蛍の視線は、床に伏す葵の、白く乾いた唇へと向けられていた。自分だけが果実の恩恵を受け、潤った肌とみなぎる活力を持って生き永らえているという、胸を刺すような罪悪感。それに耐えるためには、剣を取るしかなかった。

 

「浅いところで、昨日のゴブリンみたいな弱い魔物を探す。……武器や防具が何個か出るまで粘ってくるよ。武具が揃えば……動ける子たちの中から、一緒に探索へ出られる人も増えるはずだから」

 

「そんなの……っ!」

 

 葵の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。だが、蛍の決意は揺らがなかった。葵は震える手で、教室の入り口脇――境界線の内側に転がっていた、あの『革のチェストプロテクター』を拾い上げた。昨日、教室に戻った瞬間に強制解除された迷宮の防具だ。

 

「……だったら、これを持っていって」

 

 葵は両手で胸当てを抱え、蛍へと差し出した。

 

「私は今日、行けないから……蛍ちゃんが着けて。お願いだから、これを持っていって……!」

 

「葵ちゃん……」

 

 差し出された革の防具。それは、迷宮の中でしか機能しない、変えられた身体を固定するための防具だった。迷宮からの慈悲か、それとも迷宮を進ませるための悪意か。そこまではまだ分からなかったが、そんな雑念を振り払うように蛍は小さく頷き、冷たい革の防具を受け取った。

 

 香奈恵が、鉄扉の重い閂へと手をかける。

 

「……無理だと思ったら、すぐに戻りなさい。怪我をしても、この教室に逃げ込みさえすれば……治るんだから」

 

「うん。……行ってきます」

 

 ガギギ、と鈍い金属音を立てて、黒い鉄扉が開かれた。湿り気を帯びた地下の冷気が、教室の中へと吹き込んでくる。

 

 蛍は息を整え、敷居を跨いで――迷宮の冷たい石畳へと足を踏み入れた。

 

 その瞬間だった。

 

 抱えていた革のチェストプロテクターが、ふわりと淡い燐光を放った。境界線を越えたことで、休眠していた魔力が目覚めたのだ。蛍がおずおずと胸当てを自分の部屋着の上から押し当てると――革はまるで生き物のように滑らかに伸縮し、蛍の身体へと吸い付いていった。

 

「っ……あ……」

 

 蛍の口から、掠れた吐息が漏れた。革が瞬時に縮み、蛍の小ぶりな肩幅と、通算三センチの肥大化を遂げた慎ましい胸元に合わせて、寸分の狂いもなくぴったりと形を変えていく。

 

 昨日までサラシでさえ潰しきれなかった柔肉が、柔らかく、だが恐ろしいほど強固に、両脇から優しく包み込まれるようにホールドされた。

 

「……すごい……」

 

 歩いても、小さく跳ねてみても、胸が全く揺れない。薄いTシャツの布地が擦れるあの嫌な摩擦も、下腹へと突き抜けていた不快な痺れも、防具の内側の滑らかな感触によって完全に遮断されていた。驚くほどの安定感。

 

 だがそれと同時に、胸当てに包み込まれた双丘の芯から、じんわりと温かな魔力が染み渡り、先端の奥が甘く疼くような背徳的な心地よさが広がっていく。

 

(……身体が、守られてる……。でも、これ……)

 

 まるで、胸を美しく保ち、傷つけないように大切に保護するための器具のようだった。迷宮の防具がもたらす圧倒的な機能性と、それに絡め取られていく肉体の恐怖。

 

 蛍はショートソードの柄をぎゅっと握り直すと、背後で閉ざされる鉄扉の音を聞きながら、薄暗い階段の闇へと一人、足を踏み出していった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

転生特典がパワプロ風成長だったのでデートして最強になろうと思います(作者:らっきー(16代目))(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

あるいはSkyrimみたいな自分でスキルを選ぶタイプ。ダクソとかエルデンリング方式のレベルアップでも可。ウマ娘方式とも言う。努力が実る保証があるってサイコー!…は建前で。▼デートで経験値が入るならさぁ!何股もかけて経験点稼ぎまくればいいじゃん!ゲームと違ってデートの回数に制限とか無いし!!何人でも口説けるし!!!▼だがTS娘は知らなかった…有り得ない早さで強…


総合評価:7522/評価:8.58/連載:9話/更新日時:2026年09月20日(日) 07:03 小説情報

ストーカーしていたと思ったらストーカーされていたのは俺だった話(作者:アロアロス)(オリジナル:現代/恋愛)

 銀髪狐耳タートルネックにダッフルコート、おまけに眼鏡をかけている。▼ 尻尾は四本、身長183cm、人気インディーズバンドの一員、担当はベース。▼ 名前を宮舞天音と呼ぶ。▼ 眼が眩むほどに輝く星に、それでも必死に手を伸ばしていたのに、その恒星が向こうから近づいてきたら焼き尽くされるのは道理と呼ぶ。▼推しをストーカーしてたら推しの方から近づいてきたので、それは…


総合評価:14188/評価:9.25/短編:2話/更新日時:2026年07月24日(金) 18:13 小説情報

元TS聖女は生まれ直して分からせられるそうです(作者:黄金りんね)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

聖女は命を引き換えに世界を救った。▼しかし、女神も、仲間もそんな結末は認めなかった。▼自分の過ちと向き合え、と世界に放り出されたは良いものの。▼何一つ理解していない聖女は、その地位を失ってなお――。▼自分の価値を理解できなかった少女が、今生でゆっくり「分からされる」お話。▼「で、でも――私は力と地位がなければ、ただのゴミですよ?」▼「これは教育やろなぁ……」…


総合評価:6003/評価:8.8/連載:13話/更新日時:2026年09月26日(土) 21:24 小説情報

やべえのがいる世界で生きている上位存在さん(作者:独禁)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

上位存在さん「なんかこう、ヤバい奴らはいるんだけどそれはそれだよね」


総合評価:10148/評価:8.17/完結:12話/更新日時:2026年07月31日(金) 02:31 小説情報

代償があるタイプの異能持ち女の子vsチートヒーラーvsダークライ(作者:らっきー(16代目))(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

HPを犠牲にしてスキルを発動するようなソシャゲキャラvsその世界には存在しないヒーラーvsダークライ▼もしくは自爆技持ちにガッツをかけられる人。▼まあ一緒に戦ってる訳でもないし、嫌われない程度にだけ関われば十分だろ。▼なお女の子達からは何があっても見捨てずに助けてくれる人と思われてる模様▼ハメ匿3 一位です。読者に感謝


総合評価:31770/評価:8.96/連載:9話/更新日時:2026年09月28日(月) 07:03 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>