特級呪物、宿儺の指。
かつて平安時代に存在した呪術師たちは、宿儺を封印するため、両面宿儺の4本の腕、その指それぞれに宿儺の呪力と魂を封印した。それは日本各地に散りばめられ、強固な封印によって、それ自体が発する呪力さえも封じてきた。
でも、もし宿儺の善性、人間的な一面だけが偏って封印された指があったら? それがたまたま、神性の強い霊脈の上に建つ神社に封印されていたら?
無論、負の呪力で構成された指の封印は、長い年月をかけて剥がれていくだろう。
指に施された封印が緩むとどうなるか?まあ、簡単にいってしまえば、あふれ出る呪力によって呪霊が強化されたり、湧きやすくなったりするのだ。
それだけなら、さほど問題ないかもしれない。なにしろ、指が封印されている神社はとうに廃れていて、この神社の存在を知る者など、とうに天寿を全うしているからだ。
ただ、僥倖というべきか、その神社には守護者がいた。守護者当人はとうに死んでいるが、その性質を受け継いだ者たちが。
それはつまり、化け狐である。
神社の守護者と聞くと狛犬を想像するかもしれない。だが、この神社では狐が守護者、神使として住み着いていた。
その身に宿すかすかな神性のせいか、その狐が宿儺の指を食べたとき、受肉した。されど、ご安心あれ。その宿儺の指には宿儺の善性と呪力のみが宿り、宿儺の人格自体は宿っていない。なんという偶然の結果か、現代に化け狐が今一度、顕現したのである。
これは、そんな生まれたての化け狐のお話。
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さて、当の本人はというと、
「お腹が、減った」
狐は神社の境内に倒れていた。それもそのはず、先ほどまで腹をすかせていたのだ。大昔から祀られている、あんな赤黒い指一本で腹が膨れるわけはない。
ただ、先ほどと違うことがあるとすれば、体の中になにか暖かいものを感じるぐらいか?
「まあ、いいか。ご飯を探そう」
狐は境内を出て、森の方へ歩いていく。幸い、今の季節は夏。歩ける体力さえ復活すれば、木の実を取りにいけるのだ。
元気よく生い茂る木々からこぼれる木漏れ日を感じながら、木の実を集めていく。
しばらくすると、狐は異変に気づく。匂いがするのだ。自分が今まで感じ取ったことのない匂い。腹ごしらえを済ませ、匂いの元をたどると、そこにそれはいた。生態系には決して存在しない。否、存在してはいけない造形をしたそれが。
それは俗に言う、呪霊だった。
大きさからして3級ほどだろうか。だが、外界に触れてこなかった幼い狐は、そんなことを知る由もない。3級といえど、自然界ではめったに見ない大きさのそれを視界に収めると、集めた木の実にも目もくれず、一目散に神社へと逃げていった。初めて呪霊と遭遇した野生動物の対処法としては、上出来だろう。
だが、その狐は通常の狐にあらず。
宿儺の指を取り込んだ狐は、自我を、感情をもってしまった。呪霊とは負の呪力、つまり負の感情で構成されるもの。怖いという感情には、何よりも敏感なのだ。よって、察知されてしまった。長らく栄養失調の状態だった狐に、逃げ切れるほどの体力は残っていない。神社に戻ったところで、迎撃する手段がない。そう、思っていた。なんとか根性で神社の鳥居を潜った狐は、その後襲ってくる激痛に身構えていた。
だが、その時は一向にやってこない。
恐る恐る目を開けてみると、呪霊が神社の鳥居の前で、何か見えない壁に阻まれていた。呪霊が別の場所から侵入を試みても、やはり見えない壁に阻まれる。高い知能をもたない3級呪霊は、目の前の狐という獲物に向かって突進するしかできない。しかし、突進するたびに、自分を構成する呪力は削がれていく。その呪霊は、5分も経たないうちに消滅した。
よく考えてみれば、道理であろう。神社というのは、本来神を祀る場所。いわば、神の疑似的な住まいでもある。そこに呪霊風情が侵入することを許すと思うか?答えは否。この神社の境内はいわば、呪霊を通さない結界のようなもので包まれているのである。
「なんだったんだ、あれ」
狐は恐る恐る境内を出て、先ほど呪霊が消滅した場所に向かおうとしたが、境内から一歩踏み出した途端、妙な感覚を覚える。夜も更けていることから、狐は呪霊の確認を次の日にまわし、壁や天井に穴の空いた社殿で眠った。
次の日。
狐は目覚めると、違和感を覚えた。体が軽いのだ。空腹から回復したからといえば、それはそうなのだが、何か違う。根本的に、活力がみなぎってくるのだ。昨日まで飛び越えられなかった神社の柵も軽々と飛び越えられる。走ってみれば、以前よりはるかに速く走れる。
だが、体の内側をめぐる何かが減っていくのがわかる。
感覚としては、それは自分のお腹から湧き出ているように感じる。だが、自分の腹を見ても、見えるのは白い毛だけ。
「……変なの」
それはともかく、狐は気持ちを切り替えて、昨日集めた木の実を回収しに行った。集めた場所まで行くと、木の実はすべてなくなっていた。匂いから見るに、ほかの森の住人たちだろう。残念に思いながら、狐は木の実集めを再び始めた。必要な量の木の実を集めて神社に帰るころには、すっかり日も落ちていて、満月が神社の社殿を明るく照らしていた。
どうにも寝付けなかった狐は、自分の中にある何かを弄ることにした。まずは目を閉じ、自分の中にあるものを知覚することから始めた。すると、やはりこの何かはお腹から全身へと流れていることがわかった。次に、四肢に流れているそれを意図的に止めてみた。すると、今日一日中発揮されていた驚異的な身体能力は、なりをひそめた。狐は、自分の中を流れる何かが、自分の身体能力を高めていると理解した。さらに狐は、その何かを外に放出するということに挑戦した。放出自体はうまくいったものの、何も起きなかった。がっかりした狐が眠りにつく直前、深く考えずにそれを外へ放出しようとすると、目の前に青白い炎が出現した。それは、一般に狐火と呼ばれるものだった。通常、生得術式をもたない生物は、基礎的な結界術や呪力強化以外を使用することはできない。
ただ、それは通常の生物の場合に限る。
かつて、この神社の守護を任されていた化け狐の血を色濃く受け継ぐその狐は、その性質を受け継いでいたのだ。これが、人間でいうところの生得術式であろう。狐がその火を操ろうとすると、まるで手足のように操れる。触れてみても熱くない。ただ、社殿の床が黒く変色していたことから、狐以外には熱を放出するようだ。強くしようと考えると、自分の中に流れるものが勢いを増して減り始め、炎の威力が高まる。しばらく炎で遊んでいると、狐は疲れたのか、眠ってしまった。
それからというもの、狐は食料集めや冬に備えての寝床作りなどと並行して、毎晩、狐火で遊ぶようになった。その結果、狐火の練度は上がっていき、冬が訪れるころになると、一度に4つ出せるようになっていた。
ある日、狐が冬を越すための食料を保管する場所を境内で探していると、鳥居の近くで手元の写真と社殿を交互に見ている少女を発見した。
少女は狐を見ると、近づいてきてポケットから木の実を取り出した。
「おばあちゃんが昔、狐が住み着いてるって言ってたけど、本当にいたんだ。もっとちゃんとしたごはんを持ってくれば良かった。ごめんねぇ、狐さん。お姉さん、木の実はこれぐらいしか持ってないんだよぉ」
どうやらその少女は、祖母が昔訪れていたこの神社の写真を撮るためにやってきたようだった。少女はその後も木の実を狐のもとに持ってきてくれたが、日が暮れて写真を撮り終えると
「また、来るね」
と言って帰っていった。
少女が帰った後、狐は考えていた。
「……また、来る?」
狐は鳥居の向こうを見つめる。だが、自分から話しかけることはできない。もし、人間のように立てたら。もし、人間のように話せたら。
あの少女に、返事ができるのではないか。
人間に魅了された狐は、それからというもの、しゃべること、歩くことに挑戦するようになった。悲しいかな、狐の体は根本的に人間とは違う。いつまで経っても出来るようにはならない。
それは、雨が降る寒々しい日だった。雨漏りのしない場所を社殿の中で探していると、狐はところどころ割れている姿見を見つけた。
そこで初めて、狐は自分を見た。客観的に、自分が人間とはかけ離れた存在だということを。そして、目を閉じあの少女を思い浮かべた。
そうして再び目を開けると、鏡にはあの少女の姿をした狐が映っていた。しかし、そこには見慣れた狐耳としっぽが。
「……失敗した」
「まあ、いっか。僕は人間になれたんだ」
余計なものはついているものの、呪霊が見えないものからすれば、耳やしっぽは見えないのだ。おおむね問題はない。
しばらく自分の体を観察していると、突然、眠気が襲ってきた。仕方ないだろう。
いくら変化を得意とする化け狐の血を受け継いでいるとしても、初めての変化には相当な疲労が伴う。
そうして、狐耳の少女は深い眠りに落ちていく。
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