地図を頼りに進むと、小さなアパートがありました。
管理会社の質が悪いのか、入り口横の庭部分には剝き出しの土に枯れ葉が重なっており、玄関前にも葉が何枚か転がっています。治安は悪くないようですが、アパートの質はそこそこ。辛うじてお世辞でいいアパートだと言える程度でしょうか。
帰着記念に一枚自撮りを撮っておきます。撮った写真を見てみますが、どうにも素材が悪いのかあまりいい写真だとは思えませんね。
友達に胸を張って自慢できるかは微妙なラインです。学生の一人暮らしと考えればそんなものなのかもしれませんが、他校の寮生活の生徒はもう少しいい感じの寮に住んでいる気もします。トリニティと比べるとどこも見劣りしてしまいますが、このアパートはゲヘナや所謂普通の学校の寮と比べても格落ちしてしまうかもしれません。
どうして以前の私がこんなところに住むことを選んだのか、その理由をいつか知る日が来るでしょうか。ともあれ、どうやら寮というよりは家賃補助が出ているだけの一人暮らしに近い形態のようでした。
「ただいま戻りました」
部屋を開けて、暗闇が一番に主張する室内に声を投げます。
入ってまっすぐに廊下が伸びていて、奥に扉があるのが見えました。外から見た構造上、入ってすぐ右の扉がリビング兼ワンルームでしょうか。廊下の左手前から順にキッチンと洗面台が並んでいるようです。
右の扉の少し手前にスイッチがあったので一つ押すと、廊下の電気が点灯しました。
靴の泥を玄関マットで軽く落とそうとして、それがないことに気が付きます。そしてもう一つ、玄関マットがない代わりに明らかに内と外を仕切るための段差があるようでした。
それを見てこのアパートに少しばかり納得ができました。
このアパートはこの地域には珍しい、百鬼夜行や山海経で見られる様式を採用した建物なのでしょう。屋内では靴を脱ぐ彼らの文化に合わせて
そうなると私は向こうからわざわざ? 地元の生徒であれば百鬼夜行や山海経でも進学は容易と聞きますが、どうして引っ越してまでこちらの学校に通っているのでしょうか。
「わかりませんね。顔の特徴も、あまり向こうの生徒ではない気がしますし」
写真で見た自身の容姿は、百鬼夜行や山海経のどちらの生徒の特徴を有していないように思います。どちらかといえばトリニティやゲヘナ、あるいはレッドウィンター出身と言われた方が納得できる顔立ちです。
しかし今それを考えたところで答えが得られるわけでもありません。
私の出自については気になるところではありますが、まずは居住スペースの確認を優先することに致しましょう。
先述の通り、この家では靴を脱ぐ必要があります。家で靴を脱ぐというのは何とも不思議な感覚ではありますが、私の家とはいえ過去の私の家であり、別人の家にお邪魔すると言っても過言ではありません。郷に入っては郷に従えとも言いますし、私はおっかなびっくりと靴を脱ぎます。
靴下越しに触れる床の冷たさに、少しばかり身体が跳ねてしまいます。なんかこう、いけないことをしているような、恥ずかしいことをさせられているような、背徳感に似た感覚が体を駆け巡っていきまして、なるたけ意識しないように努めながら玄関に両足を着地させます。
靴を揃えておこうと振り返って、靴も随分と無骨なものを履いていたことに気が付きました。
可愛さの欠片もない、学校指定の革靴。
ここに来るだけでも私とは美学が違う部分がかなり見受けられましたので、この先の扉を開くのが少し怖くなりますが、しかし生活をする以上ここを開けないわけにもいきません。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
靴を揃えてからリビング兼個室が続いているであろう扉に向かい合います。
ちなみに靴箱を確認しましたが可愛らしい靴はなく運動用の機能性重視の靴があるだけでした。私も特段靴にこだわりがあるわけではありませんが、もう少し数があってもいいのではとは思ってしまいますね。
そんなことを考えつつ扉を開けた先には、想像通りの景色が広がっておりました。
机、布団、冷蔵庫。それだけ。
生活感はあるのですが、無骨で飾り立てるものが何一つありません。扉横にそこそこ大きなクローゼットがあったので中を検めて見ましたが、最低限の質素な衣類の他には特に何も存在せず。
特にひどいのは私服でしょうか。パンツスタイルの服が二組あるだけで、他には何もありませんでした。その代わりなのか制服のスペアが五枚ほどあるので、今日のように外に出るときはいつも制服を着て出ているのかもしれません。
「これは、重症ですね」
過去の私が単純に贅沢恐怖症だったのか、あるいは変わり者と言われていたように華美なものを嫌う傾向があったのか、どちらにしても私の美学との落差は海溝ぐらいありそうな気配です。
私がストレスなく過ごすために、生活を一変させる必要がある程度には。
「まずは――シャワーでも浴びますか」
いろいろあったので、気分転換が必要です。
記憶喪失に加えて元の私との価値観の不一致。それにこの記憶喪失がいつ解消されるかもわかったものではありませんから、生活を大きく変えるのもリスキーです。戻ったときに生活環境が一変していたら、元の私がびっくりしてしまうでしょうから。
そんなわけで今後のことを考えなければいけませんが、シャワー室はどこでしょうか。
そう思って廊下の先に辿り着くと、真正面がバスルームでした。廊下は玄関扉からまっすぐに続いていて、一人暮らしやホテルに多い脱衣所がないタイプの部屋ですので、着替え中に鍵を閉め忘れて誰かが来たらあられもない姿が見られてしまうというわけです。
奇妙な間取りに呆れを抱きつつ、洗濯カゴもないようなのでバスルームの扉の向かって左にある洗濯機へと脱いだ諸々を放り込みます。
そうしてスカートを脱いだところで、私は手を止めてしまいました。
いえ、気が付いてはいたのです。努めて意識しないようにしていただけで。学生証を探すために自身の身体をまさぐった時点で、手が触れていましたから。ですがそれは華の女子高生が持つには少しばかり物騒で、少しばかり恐れが勝って、私は意識の外に追いやっていたのです。
私の太ももに巻き付いたホルダーにあるこれが、記憶を失う前の私の武器だったのでしょう。
「この針を持ってあの大人のところに行って、何をするつもりだったのですか?」
私の腿に巻かれたホルダーには、ずらりと針が並んでいました。
映画で見る忍者が使うのよりもずっと細い針で、私自身に刺さらないように先端にはカバーがついていますが、そのカバーの中に少しばかりの液体が入っているのが見て取れます。
私のどこから生まれたかもわからない映画知識から考えるならば、それは毒が塗られているのではないかと思ってしまいます。ホルダー全体が布で覆われているところを見るに、もし零れても私自身が被害を受けないような素材が使われているのかもしれません。
身体が覚えているかもしれないと試しに取り出してみようとして、あまり上手く行きません。
それが過去の私が頭で動かしていたらからなのか、あるいは身体の方がその動きを実行することに抵抗があるからなのか、私には判断が付きませんでした。
ですが、少なくともこれを装備していても私には活用できない代物であることはわかります。
電車に乗ったり階段から落ちたりしても大丈夫だったので液体がこぼれる心配はないとは思いますが、私は中の液体が零れないように慎重になりながら針ホルダーを外し、一度部屋に戻って机の上に置いておきました。
それが終わってようやく下着だけになった私は残る衣類を洗濯機へと放り込み、すっぽんぽんになってバスルームに突入します。
ちなみにバスルームの扉に向かって右にあるスライド式の扉がお手洗いでした。
「この傷は、何時つけられたものなのでしょうね」
給湯をオンにしていなかったが為に冷水を浴びてちょっと汚い悲鳴が漏れたことは割愛しつつ、裸で水滴を垂らしながら廊下に戻って給湯のスイッチを入れ、ついでにクローゼットからバスタオルも回収して洗濯機の上に置いておいて第二ラウンドです。
裸体の私は少し心配になるほど細いです。ちょっとどころか全然栄養が足りていないようにすら見えてしまいます。本来ならもう少しあったほうがいろいろ便利な胸の脂肪も足りませんし、なんならあばら骨が浮いています。肩こりの心配がないのは良いことですが、それもちょっと癪ではありますし。
胸がないならば下はあるのかと言われれば、こちらもお世辞にもあるとはいえません。現状は一部の変態さん以外には刺さらない貧相なボディで戦うしかないようです。何と戦うんだという話ではありますが。
そしてそんな思考を過去にする、服で隠れていた部分に見える無数の傷痕。
生傷ではないのでそれなりに前の傷であろうとは考えられるのですが、それでもここまでしっかり傷痕が残ってしまっているあたり、結構しっかり痛めつけられている様子です。
私は専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、この学校に進学した理由としてよくないものを想像してしまいますね。
傷は胸から腰に掛けて、まるで鞭で打たれたかのような
ただ傷があるというだけで、こうしてシャワーを浴びていても特段傷に沁みることはないようなので、服を選ぶとき以外は気にする必要はなさそうです。
しかしこの傷があること見るに、私服が少なかった理由は説明できるのかもしれません。
この身体を見せることをあまり良しとしなかったが故に、試着ができず可愛い下着や服を買いに行けなかったと考えれば、昔の私が質素なものしか選んでいないことに納得がいきます。
「まあ、私は全然気にしないので、上がったら買い物に行きましょうか」
ひとまず現状の確認はできました。
私が何者なのかについては諸説があり、いろいろと考えるべき部分と調べるべき部分は数多くありますが、それでも最低限のことはわかった気がします。
であれば次にやることは私の生活に必要な品を集めることです。銃と衣類と、あとは何を用意しましょうか。そんなことを考えながらちらりと横目に映った品を見て、私は買い物リストにシャンプーとボディソープを追加しようと決めました。
次回は多分一週間後。