絶望少女になってしまった凡人の苦難 作:絶望に味を占めるな!
保健室へ向かう間、舞園はほとんど喋らなかった。
盾子の肩へ体重を預けながら歩いているものの、足取りそのものは安定しており、手首の痛み以外に目立った外傷はない。それでも普段なら人と並んで歩く時には自然と相手の歩幅へ合わせ、沈黙が長引けば何気ない話題を振る舞園が、今は前だけを見つめながら唇を固く結んでいることの方が、盾子には怪我そのものより重く感じられた。
「座って」
保健室へ入ると、盾子は舞園を椅子へ座らせ、棚から救急用品を取り出した。モノクマが用意した場所という時点で信用したくはなかったが、消毒液や包帯の包装に細工された形跡はなく、必要なものだけを机へ並べてから、腫れ始めている右手首へそっと触れる。
「動かせる?」
「少しなら」
「痛かったらすぐ言って」
「はい」
指先、手掌、手首と順に確認し、強い変形や感覚障害がないことを確かめながらも、盾子の頭には複数の可能性が流れ続けていた。骨折か捻挫か、模造刀のどの部分が当たったのか、桑田が振るった角度と舞園の回避動作を考えれば橈骨側への衝撃が強かった可能性がある――そこまで進みかけた思考を途中で止め、今は医師でも検査機器があるわけでもないのだから、固定して安静にさせることを優先する。
「……慣れてるんですね」
舞園がぽつりと言った。
「ん?」
「こういうこと」
「あー。まあ、ちょっとくらいなら」
前世の知識とは別に、この身体になってからも最低限の応急処置くらいは覚えていた。何より、むくろと暮らしていれば否応なく怪我を見る機会がある。
包帯を巻く盾子の手を、舞園はしばらく黙って見つめていた。
「盾子ちゃん」
「なに?」
「怒らないんですか?」
包帯を留める指が止まる。
「何に?」
「私に」
問い返したものの、何を訊かれているのかは分かっていた。
舞園は目を伏せたまま、包帯に覆われた手首を左手で支える。
「私、本当に桑田君を殺すつもりでした。苗木君を利用して、部屋まで借りて……包丁も自分で持ってきて」
一つ一つ口にするたび、声が僅かに震えた。
「失敗したから誰も死ななかっただけで、盾子ちゃんが来なかったら……」
桑田が死んでいた、とは続けなかった。
正確には違う。
原作通りなら死んでいたのは舞園だ。
盾子はその事実を知っているからこそ、返す言葉を慎重に選んだ。
「怒ってないわけじゃないよ」
舞園が顔を上げる。
「つーか普通にムカついてる。なんで相談しなかったのとか、なんで苗木使ったのとか、桑田殺してどうすんのとか、言いたいこと山ほどあるし」
「……はい」
「でもさ」
盾子は使い終わった包帯の袋を丸め、近くのゴミ箱へ投げ入れた。
「今ここであたしがキレ散らかしても、やったこと消えないじゃん」
「…………」
「だから後でちゃんと話そ。桑田とも、苗木とも。逃げないで」
舞園の瞳が揺れる。
「できる?」
すぐには返事がなかった。
それでもしばらくして、舞園は小さく頷いた。
「……はい」
「なら今はそれでいい」
盾子が立ち上がると、舞園は少しだけ迷ってから訊いた。
「盾子ちゃんは……私を信用できますか?」
その質問には、さすがにすぐ答えられなかった。
信用。
これから先、舞園が絶対に誰も傷つけないと保証できるかと言われれば、そんなものはできない。今日一度殺人を決意した事実がある以上、楽観的に「もちろん」と言えば、それは優しさではなくただの嘘になる。
「今までと同じには無理」
舞園の肩が僅かに落ちる。
「でも」
盾子はその続きを急がず、舞園の目を見た。
「これからどうするかは見る」
舞園が息を止める。
「今日やったことで舞園ちゃん全部決めんのも違くない? 人殺そうとしたのは最悪。でも、それで一生“人殺そうとした舞園さやか”だけになるわけじゃないし」
「……桑田君にも、そう思ってもらえるでしょうか」
「それはあたしが決めることじゃない」
盾子は即答した。
「許すかどうかは桑田の権利」
「……そうですよね」
「うん」
そこだけは、盾子が勝手に綺麗にまとめてはいけない。
桑田は被害者だ。
舞園が反省したから許せなどと言えば、それは桑田から傷つけられた側の権利を奪うことになる。
舞園もそれ以上は何も言わず、俯いたまま包帯を見つめていた。
保健室を出る頃には、モノクマからの校内放送によって全員が食堂へ集められていた。
盾子が舞園を連れて入った瞬間、話し声が一斉に止まり、特に桑田は椅子に座ったまま露骨に身体を強張らせた。隣にはむくろが立っており、どうやら盾子の指示を受けるより前に桑田を見つけ、事情を聞いたらしい。
「盾子ちゃん」
むくろがこちらへ来ようとしたが、盾子は小さく手を上げて制した。
「大丈夫。舞園ちゃんも命に別状なし」
その言葉で何人かが安堵したものの、食堂の空気が軽くなることはなかった。
誰が何をしたのか、すでに桑田からある程度聞いているのだろう。
苗木は舞園を見たまま表情を強張らせ、石丸はいつものように声を張り上げることすらできず、朝日奈も何と言えばいいのか分からないように大神の隣へ立っている。十神だけは腕を組んだまま興味深そうに状況を観察し、霧切は盾子が入室した瞬間からこちらを見ていた。
「さてさて!」
そこへ空気を読まない明るさでモノクマがテーブルの上へ飛び乗った。
「役者も揃ったことだし、第一回特別学級裁判のルール説明といきましょう!」
「その前に説明しろ!」
石丸がようやく声を取り戻した。
「どういうことなのだ! 殺人は起きていないではないか!」
「だからさっき説明したじゃん。殺人未遂でも重大事件なら裁判できるって」
「そんな校則は最初には存在しなかったはずだ!」
「うん。今追加したから」
あまりにもあっさりした返答に、石丸の顔が赤くなる。
「校則を恣意的に変更するなど――!」
「校長先生には校則を追加する権限がありまーす!」
電子生徒手帳が一斉に音を鳴らした。
盾子も画面を見る。
新たに追加された項目。
《故意に他者の生命を奪う目的で具体的な犯行行為へ着手した場合、死亡者の有無にかかわらず、校長が重大事件と認定すれば特別学級裁判を開催できる》。
その下にはさらに細かな規定が続いている。
今回の裁判で問われるのは、「最初に計画的殺人へ着手した人物」。
全員で議論し、最終的に投票する。
正解した場合、今回に限りクロへの処刑は行わない。
不正解の場合。
盾子の視線が止まった。
「……は?」
思わず声が出る。
「どうした?」
大和田が訊くより先に、苗木も同じ箇所へ気づいたらしい。
「これ……」
不正解の場合、参加者全員へ「おしおき」が行われる。
詳細は記載されていない。
「テメェ!」
桑田が椅子を蹴って立ち上がった。
「誰も死んでねぇのに、間違えたら全員殺すってのか!?」
「殺すなんて一言も書いてないよ?」
モノクマが両手を頬へ当てる。
「でも、期待しててね! とっても楽しいおしおきを考えてるから!」
「ふざけんな!」
桑田が前へ出ようとした瞬間、むくろが無言で肩を掴んだ。力任せではなく、ただそこに手を置いただけなのに、桑田は何となく抵抗する気を失ったらしく、舌打ちしながら立ち止まる。
盾子は電子生徒手帳から視線を上げた。
黒幕は本気だ。
裁判を成立させたい。
死人がいなくても。
自分が原作通りの事件を潰しても。
ならばこれは単なる再現ではない。
相手は結果として「ダンガンロンパ」を成立させるためなら、原作にないルールさえ作る。
そこまで考えたところで。
「江ノ島さん」
霧切の声が思考を止めた。
「何?」
「今、先のことを考えていたでしょう」
「……何で分かんの」
「顔」
「そんな分かりやすい?」
「私には」
「やっぱ探偵嫌い」
小声で返すと、霧切は盾子の悪態を無視してモノクマへ視線を向けた。
「捜査時間は?」
「たっぷり用意してあげるよ! 今回が初めてだしね!」
「捜査可能区域に制限は?」
「事件に関係しそうな場所ならどこでもどうぞ!」
「証拠の破壊は?」
「ダメダメ! そんなことした悪い子には個別におしおきしちゃいます!」
必要事項だけを確認する霧切を見ながら、盾子は自分との違いを改めて感じた。
自分なら答えから逆算する。
舞園が計画した。
桑田が襲われた。
そして桑田も報復へ向かおうとした。
前世の知識と今見たものを繋げれば、事件の大枠は分かる。
霧切は違う。
何も知らない。
だから、最初から一つずつ積み上げる。
その姿勢は以前一緒になった事件の時から変わらない。
「それじゃあ捜査開始!」
モノクマが宣言し、勢いよくテーブルから飛び降りる。
「みんな仲良く真実を暴いちゃってねー!」
笑い声だけを残して姿を消すと、食堂には再び重い沈黙が残った。
「まず、現場を確認するわ」
最初に動いたのは霧切だった。
「苗木君の部屋ね?」
「う、うん」
苗木が答え、舞園へ視線を向ける。
その視線には責める感情より困惑の方が強く、それが舞園には余計につらいらしく、俯いたまま何も言えない。
「私も行く」
盾子が言うと、霧切は一度こちらを見た。
「あなたは来ると思っていたわ」
「何それ」
「答えを知っているような顔をしているから」
「……それさっきも言ってなかった?」
「気のせいよ」
「絶対言った」
そんな会話をしながら二人が動き出すと、苗木も「僕も行くよ」と後を追い、少し遅れて十神まで立ち上がった。
「面白そうだ。俺も見ておこう」
「遊びじゃないんだけど?」
盾子が睨む。
「だから何だ? 全員の命が掛かっているなら、なおさら無能だけに任せておけん」
「あたし無能に含まれてんの?」
「自覚がないなら重症だな」
「喧嘩売ってんの?」
「事実を述べただけだ」
盾子のこめかみに青筋が浮かびかけたが、霧切は一切反応せずに先へ歩いていた。
苗木の部屋には、先ほどと同じように事件の痕跡が残っていた。
ただし一度「舞園を助けるため」に見た時と、これから「何が起きたのか証明するため」に見る時では、景色がまるで違っている。
床に落ちた模造刀。
鞘。
散らばった金箔。
ベッドの乱れ。
厨房から持ち出された包丁。
浴室。
その一つ一つを、今度は先入観を抑えながら拾っていく。
「まず部屋の名義からね」
霧切がドアのネームプレートを確認する。
「外側は舞園さんの名前になっている。でもここは苗木君の部屋」
「うん。交換したんだ」
苗木の声は重い。
「舞園さんが、自分の部屋に誰かいる気がして怖いって言って……だから僕が」
「騙されたわけか」
十神があっさりと言った。
苗木の顔が歪む。
「十神君!」
「事実だろう。感情的になるな」
「だからってそんな言い方――」
「苗木」
盾子が呼ぶと、苗木は言葉を止めた。
「今は証拠優先しよ。舞園ちゃん本人と話すのは後でもできる」
「……うん」
納得したわけではないだろうが、苗木は引いた。
盾子は少しだけ胸が痛んだ。
原作では苗木は、この部屋交換によって自分が殺人犯に仕立て上げられる予定だったことを、舞園の死後に知る。
今回は舞園本人が生きている。
だからこそ、いずれ本人の口から聞かなければならない。
それはきっと、死別とは別の意味で痛い。
「江ノ島さん」
霧切が模造刀を見ながら呼ぶ。
「この金箔、桑田君の服についていたわね」
「見てた?」
「ええ」
「ついてた。袖の辺り」
「なら少なくとも、彼がここで模造刀に触れた可能性は高い」
霧切は床へしゃがみ、鞘の傷を指先でなぞらず、僅かな距離を保って観察する。
「ただし、包丁と模造刀。どちらが先に使われたかを証明する必要がある」
「舞園ちゃんの手首」
盾子が即座に言う。
「傷の位置的に、模造刀で防いだ時にやった可能性高い。桑田が最初から模造刀持って襲ったなら、舞園ちゃんが包丁を持ち出した理由が逆になる」
「まだ断定はできないわ」
霧切が静かに返した。
「包丁を舞園さんが持ち込んだことを証明できれば別だけれど」
「厨房」
盾子が言う。
「包丁一本減ってるはず」
「なぜ分かるの?」
霧切が顔を上げる。
一瞬。
盾子は言葉に詰まった。
「……昨日見た時、包丁の本数なんとなく覚えてた」
「本当に?」
「モデル舐めんな。小物の配置とか見る癖あんの」
「モデルと包丁の本数にどういう関係があるのかしら」
「細けぇな!」
霧切の目が僅かに細まる。
完全には信じていない。
盾子は内心舌打ちした。
原作知識は便利だ。
便利すぎる。
だから使うほど、「なぜそれを知っているのか」という新たな矛盾が生まれる。
「確認すれば分かることよ」
霧切はそれ以上追及せずに立ち上がった。
「厨房へ行きましょう」
厨房では、不二咲と石丸が食器棚や備品を確認していた。
「包丁?」
石丸が訊き返し、すぐ収納場所へ向かう。
「確かに一本足りない!」
盾子は視線だけを霧切へ向けた。
霧切は頷かない。
当然だ。
包丁が消えた。
現場に包丁がある。
それだけでは誰が持ち出したかまでは証明できない。
「防犯カメラとか見られないの?」
盾子が天井へ視線を向ける。
そこには相変わらず黒いレンズがこちらを見下ろしていた。
『ダメでーす!』
どこからともなくモノクマの声。
「聞いてんじゃねーよ!」
『監視映像なんて見せたら推理ゲームにならないでしょ! 自分で考えなさい!』
「都合良すぎ!」
『褒め言葉として受け取っておきます!』
声が途切れる。
盾子は中指を立てかけ、石丸がいることを思い出して拳へ変えた。
「舞園本人に聞けばいいじゃないか」
十神が退屈そうに言う。
「犯人が生きている。今回の事件では、通常の殺人よりずっと簡単だろう」
「証言だけじゃダメ」
盾子が答えた。
「何故だ?」
「舞園ちゃんが全部本当のこと言う保証ないじゃん」
「なら嘘を見抜けばいい」
「投票間違えたら全員ペナルティなんだけど。本人が認めました、はい終了、で投票できる?」
十神が口元だけで笑う。
「お前にしてはまともなことを言う」
「一言余計!」
「でも江ノ島さんの言う通りよ」
霧切が二人の間へ入る。
「本人の自白は重要だけれど、今回モノクマが問うているのは“最初に計画的殺人へ着手した人物”。舞園さんが最初だったと客観的に証明しなければ、桑田君が先に何かを仕掛けた可能性を完全には排除できない」
「桑田は呼ばれた側」
盾子が言う。
「証拠は?」
霧切。
「メモ」
「どこに?」
「桑田が持ってる」
また即答してしまった。
霧切が黙る。
盾子も黙る。
「…………」
「…………」
「何」
「まだ何も言っていないわ」
「その顔が何か言ってんの!」
「では、桑田君を探しましょう」
「流した!」
苗木が二人のやり取りを見て、ほんの少しだけ笑った。
張り詰めていた顔から初めて力が抜けたのを見て、盾子もそれ以上は突っ込まなかった。
桑田はランドリー近くの廊下にいた。
むくろと大神が少し離れた場所で見守っている。
どうやら一人にはしていないらしい。
「桑田」
盾子が呼ぶと、桑田は露骨に嫌そうな顔をした。
「……何だよ」
「舞園ちゃんから紙もらったっしょ」
「は?」
「呼び出された時」
桑田の表情が変わる。
「持ってる?」
「……何で知ってんだよ」
まただ。
盾子は自分の失言に気づく。
しかし今度は霧切も一緒だ。
これ以上ごまかし続ければ、別の疑惑を持たれる。
「見た」
盾子は一部だけ本当を言った。
「廊下で舞園ちゃんがアンタに紙渡してるとこ」
「……尾行してたのかよ」
「結果的に」
「何だよそれ」
「いいから持ってる?」
桑田はポケットを探り、折り畳まれた紙を取り出した。
盾子が取ろうとすると、霧切が先に手を伸ばす。
「私が」
「信用ない?」
「あなたは証拠を見た瞬間、先の結論まで考えすぎるから」
「……」
言い返せない。
霧切は紙を開いた。
舞園の字。
夜時間。
部屋番号。
相談したいことがある。
そして他の人には内緒にしてほしいという内容。
「これで少なくとも、桑田君が舞園さんのいる部屋へ自発的に侵入したわけではないことは証明できる」
「当たり前だろ!」
桑田が叫ぶ。
「俺、呼ばれたんだぞ!」
「分かってる」
盾子が返す。
「でも必要なの」
「……何が」
「みんなが分かる形にすんのが」
桑田は不満そうだったが、それ以上反論しなかった。
盾子はそこで、以前霧切から言われた言葉を思い出していた。
自分が分かること。
それを証明すること。
まったく違う。
「桑田君」
霧切が訊く。
「事件の流れを最初から説明して」
「もう江ノ島には言った」
「私は聞いていないわ」
桑田は面倒そうに顔をしかめたものの、しばらくして観念したように壁へ背を預けた。
舞園からメモを受け取った。
指定された部屋へ行った。
舞園がいた。
少し話した。
そして突然、包丁を持って襲いかかってきた。
「最初はマジで何が起きたか分かんなかった。避けて、そこにあった模造刀掴んで……」
「模造刀は抜いた?」
「いや。鞘ごと」
「それで防いだ」
「そうだよ。そしたらアイツが手ぇ押さえて……俺も怖くなって、一回部屋出た」
「その後は?」
霧切の問いに、桑田が黙る。
盾子は口を挟まなかった。
「桑田君」
「……部屋戻った」
「何のために?」
「…………」
答えない。
むくろが盾子を見る。
盾子も姉を見る。
やがて桑田は顔を背けたまま、低く言った。
「工具、取ろうと思った」
その場の空気が少しだけ変わる。
「何に使うつもりだったの?」
「……浴室の扉」
「何故開けようとした?」
「……」
桑田の拳が握られる。
「殺すつもりだった?」
霧切の声には責める響きがなかった。
だからこそ逃げられない。
「……分かんねぇよ」
桑田が吐き捨てる。
「その時は……ぶっ殺してやるって思った」
朝比奈なら息を呑んだかもしれない。
石丸なら怒鳴ったかもしれない。
ここにいる者たちは誰もすぐには何も言わなかった。
「でも」
桑田は盾子を見る。
「こいつに止められた」
視線が集まる。
「工具取りに戻る途中で、盾子が来て……」
霧切の視線も盾子へ向く。
「かなり都合よくそこにいたのね」
「……まあね」
「何故?」
来た。
盾子は心の中で舌打ちした。
「舞園ちゃんと桑田が会ってんの見てたから。何か起こるかもって思ってた」
「それだけで?」
「舞園ちゃん、様子おかしかったし」
「だから夜時間に寄宿舎を巡回していたの?」
「……そういう感じ」
「曖昧ね」
「うっさいな」
霧切はまだ何かを疑っている。
当然だ。
盾子自身が霧切の立場なら疑う。
なぜ舞園を警戒していたのか。
なぜ桑田が工具を取りに行くと知っていたのか。
なぜ事件が起きる場所へ、必要なタイミングで戻ってきたのか。
説明すればするほど穴が出る。
しかも。
黒幕も見ている。
盾子は無意識に天井の監視カメラを見上げた。
その動きを、霧切は見逃さなかった。
「一度整理しましょう」
捜査時間の終わりが近づく頃、霧切の提案で全員が食堂へ集まり、それぞれが見つけた情報を持ち寄ることになった。
厨房から消えた包丁。
舞園の呼び出しメモ。
部屋交換。
ネームプレートの入れ替え。
模造刀と鞘に残った傷。
桑田の衣服に付着した金箔。
舞園の手首の負傷。
桑田が一度部屋を離れている事実。
そして、盾子が桑田を止めたこと。
情報を並べてしまえば、大枠はそれほど複雑ではない。
それでも盾子は落ち着かなかった。
あまりにも簡単だ。
原作第一章と大部分が同じだからではない。
モノクマがわざわざ「最初に計画的殺人へ着手した人物」という聞き方をしている。
舞園を指せば終わる。
それなら何故、桑田の報復殺人未遂まで残した。
ただのドラマ性か。
それとも投票時に何か仕掛けるつもりか。
考え始める。
可能性が広がる。
「盾子ちゃん」
むくろが小さく呼んだ。
「また?」
「顔、怖い」
「……ごめん」
盾子は額を押さえる。
今を見ろ。
裁判で必要な証拠は揃っている。
まだ存在しない罠を予測して、自分から迷路を増やすな。
「珍しいですわね」
セレスがそんな盾子を見ながら微笑んだ。
「江ノ島さんがそこまで思い詰めた顔をなさるなんて」
「いや、こっちは全員の命かかってんだけど?」
「だからですわ」
「何が」
「あなた、普段はもっと余裕がおありでしょう?」
セレスは紅茶もないのに、まるでティーカップを持っている時と同じ優雅さで指を重ねる。
「何か、ご存じなのでは?」
食堂が静かになった。
「おい」
大和田が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「そのままですわ」
セレスの赤い瞳が盾子から離れない。
「舞園さんが事件を起こす前から、江ノ島さんは彼女を警戒していた。そして最も危険な瞬間に桑田君を止めている」
「偶然だろ」
むくろが珍しく即座に口を挟んだ。
「盾子ちゃんは舞園さんの様子がおかしいって、前から気にしてた」
庇っている。
盾子には分かった。
だから余計に胸が痛い。
「別に江ノ島さんをクロだと言っているわけではありませんわ。ただ――」
セレスが笑う。
「妙ではありません?」
「……まあね」
盾子は認めた。
否定を重ねる方が怪しい。
「自分でもそう思う」
苗木が心配そうに盾子を見る。
「江ノ島さん?」
「でも今それ、今回の投票に関係ないっしょ」
盾子は全員を見回した。
「あたしが何か知ってるように見えるなら、裁判終わったあと疑えばいい。今は舞園ちゃんと桑田の事件」
誰もすぐには答えない。
「間違ったら全員ペナルティなんだよ」
声を少し低くする。
「だったら今は、分かってることだけ詰めよ」
「……賛成ね」
霧切が言った。
セレスも「構いませんわ」とそれ以上追及しなかった。
盾子は息を吐く。
助かった。
しかし一時的に先送りしただけだ。
この先、説明しなければならない時は来る。
やがて校内放送が鳴った。
『オマエラ~! 捜査時間終了でーす!』
モノクマの声が館内へ響く。
『これより記念すべき第一回! 特別学級裁判を始めちゃいまーす!』
食堂にいた全員が顔を上げる。
『赤い扉の前まで集合してください! 遅刻した悪い子には、先生からとっておきの罰があるからね!』
放送が切れる。
誰も動かない時間が数秒続いた。
最初に立ったのは石丸だった。
「……行こう」
いつもの大声ではなかった。
「我々全員で、正しい答えを出すのだ」
大和田が無言で立ち、大神と朝日奈も続く。
桑田は最後まで舞園の方を見なかった。
舞園も桑田を見ることができない。
苗木は二人の間で一瞬迷った末、どちらにも声を掛けずに歩き出した。
盾子も立ち上がる。
「盾子ちゃん」
むくろが隣へ来た。
「何?」
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃなかったら?」
「一緒にいる」
あまりにも迷いのない答えだった。
盾子は一瞬だけ姉を見つめ、それから小さく笑った。
表で使う派手な笑い方ではない。
「そっか」
二人で歩き出す。
赤い扉。
その向こうに待っていたエレベーターへ十六人が乗り込むと、重い金属音とともに扉が閉まり、狭い箱の中には誰の声もないまま、機械の振動だけが足元から伝わってきた。
前世で何度も見た光景だった。
苗木がいる。
舞園がいる。
桑田がいる。
十神、腐川、石丸、大和田、不二咲、朝日奈、大神、山田、セレス、葉隠、霧切、むくろ。
そして自分。
ただし。
舞園は生きている。
桑田も生きている。
その一点だけで、盾子が知っていた第一回学級裁判とはもう別物だった。
エレベーターが下がっていく。
盾子は目を閉じる。
答えは分かっている。
だから怖くない。
そう思おうとした。
けれど胸の奥では、別の感情がゆっくりと膨らみ始めていた。
知らない裁判。
知らない議論。
原作には存在しなかった、誰も死んでいない第一回学級裁判。
これから何が起きるのか。
分からない。
――楽しみだ。
その感情が浮かんだ瞬間、盾子は爪が掌へ食い込むほど拳を握った。
「……違う」
「盾子ちゃん?」
むくろが振り向く。
「なんでもない」
盾子は目を開けた。
下降を続けていたエレベーターが、やがて大きく震えて止まる。
扉が左右へ開いた。
円形の裁判場。
参加者の顔が描かれた台。
中央で待っているモノクマ。
『ようこそ!』
両腕を広げたモノクマの声が、空間いっぱいに響く。
『命懸けの真実探しへ!』
盾子は自分の席へ向かいながら、笑いそうになる口元を噛み締めた。
誰も死んでいない。
だからこれは、絶望なんかじゃない。
そう言い聞かせながら。