絶望少女になってしまった凡人の苦難   作:絶望に味を占めるな!

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第一回学級裁判

 裁判場は、盾子の記憶にあるものとほとんど同じだった。

 

 円を描くように配置された十六人分の壇上、その中央に鎮座するモノクマの席、無機質な照明に照らされた床まで、かつて画面越しに何度も見た景色とよく似ている。それなのに、自分の足で壇上へ立ち、左右から人の呼吸や衣擦れの音まで聞こえてくると、知識として覚えていた場所とはまるで別物に感じられた。

 

『それでは! 記念すべき第一回特別学級裁判を始めちゃいましょう!』

 

 中央でモノクマが両手を叩く。

 

『今回オマエラに当ててもらうのは、今夜最初に計画的な殺人へ着手した人物! 見事正解すれば、今回は特別に全員無事! 間違えちゃった場合は――』

 

「おしおき、だろ」

 

 大和田が苛立った声で遮ると、モノクマは嬉しそうに身体を揺らした。

 

『そういうこと!』

 

「何がそういうことだ!」

 

 石丸が壇上から身を乗り出す。

 

「そもそも裁判など必要ないではないか! 当事者である舞園君と桑田君がここにいるのだぞ! 二人から事情を確認すれば――」

 

「それだけじゃダメだろう」

 

 十神の冷たい声が飛んだ。

 

 石丸が振り向く。

 

「何故だ十神君!」

 

「当事者が必ず真実を語る保証がどこにある。ましてや片方は実際に殺人を企て、もう片方も報復のため現場へ戻ろうとしていた。自分に都合のいい証言をする可能性くらい考えろ」

 

「だからと言って……!」

 

「十神の言い方はムカつくけど、そこは合ってる」

 

 盾子が割って入り、十神が不愉快そうに眉を動かした。

 

「余計な一言を足すな」

 

「そっくりそのまま返すわ」

 

『はいはい! 痴話喧嘩はあとでやってね!』

 

「誰が痴話喧嘩だ!」

 

 十神と盾子の声が綺麗に重なり、朝日奈が場違いにも一瞬だけ吹き出しかけたが、すぐに舞園と桑田の存在を思い出したように口元を引き締めた。

 

 当の二人は互いを見ていない。

 

 舞園は包帯を巻かれた右手を胸元へ寄せたまま俯き、桑田は反対側の壇上で腕を組んでいるものの、その姿勢は威圧というより、自分の身体を守るために縮こまっているようにも見えた。

 

 盾子は二人を見比べ、意識的に思考を現在へ戻す。

 

 結論は知っている。

 

 舞園が桑田を呼び、包丁で襲った。

 

 桑田は防いだ。

 

 そこから原作では立場が逆転し、舞園が殺された。

 

 今回は自分が止めた。

 

 だから終わった。

 

 ――そんな単純な裁判ならいい。

 

『じゃ、議論スタート!』

 

 モノクマの声とともに、場の空気が変わった。

 

「最初に確認したいんだけどよ」

 

 口火を切ったのは大和田だった。

 

「舞園が怪我してんだろ? だったら、桑田がやったんじゃねぇのか?」

 

「はぁ!?」

 

 桑田が即座に食いつく。

 

「違ぇって! 俺が先に襲われたんだよ!」

 

「でも舞園ちゃんが怪我してるのは事実だよね?」

 

 朝日奈が困ったように桑田と舞園を見比べる。

 

「それに桑田の服にも、現場にあった模造刀の金色のやつが付いてたんでしょ?」

 

「だから! それで防いだんだっつーの!」

 

「桑田殿が模造刀を使用したという部分については、ご本人も否定なされておりませんな」

 

 山田が顎へ手を添えながら続ける。

 

「となれば単純に考えれば、桑田怜恩殿が舞園さやか殿へ攻撃を加えた、という図式が成立いたしますぞ」

 

「待てよ!」

 

 桑田が苛立ちに任せて壇上を叩く。

 

「マジで俺じゃねぇ! 舞園ちゃんに呼ばれて部屋行ったら、いきなり包丁で刺されそうになったんだ!」

 

「なら、その証拠を出せ」

 

 十神が冷たく言った。

 

「口だけなら何とでも言える」

 

「テメェ……!」

 

「証拠ならあるよ」

 

 盾子が口を挟もうとした、その直前だった。

 

「桑田君が呼び出されたこと自体は、証明できると思う」

 

 苗木の声が裁判場へ響いた。

 

 盾子は口を閉じ、苗木を見る。

 

 彼は緊張した顔をしている。それでも視線を逸らさず、霧切が確保していたメモについて説明を始めた。

 

「桑田君が持っていたメモ。あれには、夜時間に部屋へ来てほしいって書いてあった。字も舞園さんのものだって、舞園さん自身が認めてる」

 

 舞園の肩が微かに動いた。

 

「それに、部屋番号まで指定されていたんだ。つまり桑田君が勝手に舞園さんの部屋へ入り込んだわけじゃない」

 

「ですが苗木誠殿」

 

 山田が手を上げる。

 

「呼び出されたからといって、その後どちらが先に攻撃したかまでは分からないのでは?」

 

「そうだね」

 

 苗木は否定しなかった。

 

「だから、そこを考えないといけない」

 

 盾子はほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 すぐ答えへ飛びつかない。

 

 知っている自分と違って、苗木は目の前にあるものから一つずつ積み上げている。

 

 そしてそれが、この場では正しい。

 

「凶器は?」

 

 セレスが静かに問いかけた。

 

「最初の攻撃に使われたものですわ」

 

「包丁だ!」

 

 桑田が即答する。

 

「舞園ちゃんが持ってた!」

 

「その包丁は、現場へ元からあったものではないわ」

 

 霧切が続ける。

 

「厨房から一本なくなっていた包丁と形状が一致している。少なくとも、何者かが事前に厨房から運び込んだ可能性が高い」

 

「なら、桑田君が持ってきた可能性だってあるんじゃない?」

 

 腐川が腕を抱えながらぼそぼそと言った。

 

「男なんて、どうせアイドルに呼び出されたら何するか分からないし……」

 

「偏見ひでぇな!」

 

「あなたの場合は普段の言動にも問題があるのでは?」

 

 セレスがさらりと付け加え、桑田が「セレスちゃんまで!?」と情けない声を上げる。

 

 盾子はそのやり取りを聞きながら、包丁について考える。

 

 前世の記憶では舞園が厨房から持ち出した。

 

 しかし、それを証明する直接の映像はない。

 

 ならば。

 

「舞園ちゃん」

 

 盾子が呼ぶ。

 

 舞園が顔を上げた。

 

「包丁、持ってきたの舞園ちゃん?」

 

 真正面から訊いた。

 

 空気が張る。

 

 舞園の唇が僅かに動いた。

 

「……はい」

 

 小さいが、はっきり聞こえる声だった。

 

「私が、厨房から持っていきました」

 

「舞園さん……」

 

 苗木が息を呑む。

 

「ちょっと待て!」

 

 石丸が焦ったように手を上げる。

 

「本人がそう証言しているのであれば――」

 

「まだ終わりじゃねぇぞ」

 

 大和田が言った。

 

「舞園が包丁持ってたとしても、脅すためだったとか、別の理由だってあんだろ」

 

 盾子は大和田を見る。

 

 意外だった。

 

 いや。

 

 違う。

 

 こいつはこういう奴だ。

 

 一度「仲間」と認識した相手を、簡単には切り捨てない。

 

「そうだね」

 

 盾子は頷いた。

 

「だから次。舞園ちゃんが、なんで苗木の部屋にいたか」

 

 苗木の顔が僅かに曇る。

 

 盾子は気づいたが、止めることはできない。

 

「舞園ちゃんと苗木は、事件前に部屋交換してる。しかもネームプレートまで入れ替えてた」

 

「つまり?」

 

 葉隠が首を傾げる。

 

「俺にも分かるように頼むべ」

 

「そのまんまだって」

 

 盾子は指を二本立てる。

 

「苗木の部屋を、外から見たら舞園ちゃんの部屋に見えるようにした。逆も同じ」

 

「なぜそのような必要が?」

 

 大神が問う。

 

 答えたのは霧切だった。

 

「事件が起きた後、現場を舞園さん自身の部屋だと思わせるためでしょうね」

 

 苗木の表情がさらに硬くなる。

 

「それって……」

 

「苗木君の部屋で事件を起こして、部屋の名義だけ舞園さんに見せる」

 

 霧切は淡々と続ける。

 

「その後ネームプレートを元へ戻せば、実際の事件現場は苗木君の部屋になる。状況次第では、苗木君に疑いを向けることも可能よ」

 

「……っ」

 

 苗木が言葉を失った。

 

 舞園が顔を上げる。

 

「苗木君」

 

 声が震えている。

 

「私……」

 

「待って」

 

 苗木は舞園へ向かって小さく首を振った。

 

 責めるためではない。

 

 今ここで聞けば、自分が議論を続けられなくなると分かっているようだった。

 

「今は……裁判を終わらせよう」

 

「……はい」

 

 舞園は再び俯いた。

 

 盾子は胸の奥に重いものを感じた。

 

 前世では、この事実を苗木が知った時には舞園はもう死んでいた。

 

 死んだ人間には怒鳴れない。

 

 問い詰められない。

 

 どうして自分を利用したのか本人へ聞くこともできない。

 

 今回は違う。

 

 だから救えた。

 

 でも生きているということは、傷ついた関係まで消えずに残るということでもある。

 

 それでも。

 

 こっちの方がいい。

 

 絶対に。

 

「ここまでで、舞園が怪しいのは分かったべ」

 

 葉隠が珍しくまともなことを言った。

 

「でも、まだ桑田っちが先に襲った可能性はゼロじゃなくね?」

 

「……お前、たまに鋭いな」

 

 大和田が意外そうに見る。

 

「たまにって何だべ!」

 

「その可能性を潰す証拠が、舞園さんの怪我よ」

 

 霧切が答えた。

 

「舞園さんの右手首に残った負傷と、模造刀の鞘にある傷。攻撃の位置関係を考えれば、桑田君は鞘ごと模造刀を使って、正面から迫る攻撃を防いだ可能性が高い」

 

「それだけで分かるものなの?」

 

 朝日奈が不思議そうに訊く。

 

「単独なら弱い証拠ね。ただし、包丁の持ち出し、呼び出しメモ、部屋交換と組み合わせれば意味が変わる」

 

「舞園ちゃんが先に準備してたってこと」

 

 盾子が引き継ぐ。

 

「桑田を夜に呼び出して、わざわざ苗木の部屋使って、厨房から包丁持ってきた。そこまで偶然重なる方が無理あるっしょ」

 

「……つまり」

 

 不二咲が不安そうに舞園を見る。

 

「最初から……桑田君を?」

 

「うん」

 

 答えたのは舞園自身だった。

 

 全員の視線が集まる。

 

 舞園は俯いていた顔をゆっくり上げ、その目に涙を浮かべながら、それでも声を途切れさせなかった。

 

「私が桑田君を呼びました」

 

「舞園ちゃん……」

 

「苗木君に部屋を交換してもらったのも、そのためです。ネームプレートを替えたのも、包丁を持ってきたのも」

 

 息を吸う。

 

 それだけで身体が震えている。

 

「全部、私です」

 

 誰も言葉を挟まなかった。

 

「外へ出たかった」

 

 舞園の声が小さくなる。

 

「みんながどうなったのか確かめたくて……あの映像を見たら、今まで積み上げてきたものが全部なくなったように思えて。ここにいたら何もできないって、それしか考えられなくなって」

 

「だから俺を殺そうとしたのかよ」

 

 桑田の声が飛んだ。

 

 舞園の身体が跳ねる。

 

 盾子が反射的に桑田を見る。

 

 怒っている。

 

 当たり前だった。

 

「俺だったら殺していいと思ったのか?」

 

「……違います」

 

「何が違うんだよ!」

 

 桑田が壇上を叩く。

 

「呼び出されて、俺……ちょっと浮かれてたんだぞ! そしたら包丁だぞ!? マジで死ぬと思ったんだよ!」

 

「ごめんなさい」

 

「謝りゃいいのかよ!」

 

「桑田」

 

 大和田が低い声で呼ぶ。

 

「うるせぇ! お前は殺されかけてねぇだろ!」

 

 大和田が黙る。

 

 桑田の目には涙が滲んでいた。

 

 怒りなのか、恐怖がようやく外へ出てきたのか、盾子にも完全には判別できない。

 

 舞園は何度も頭を下げる。

 

「ごめんなさい……」

 

「だからっ!」

 

「桑田」

 

 今度は盾子が呼んだ。

 

「何だよ!」

 

「今は止めない」

 

 桑田が怪訝そうに眉を寄せる。

 

「怒っていいよ。舞園ちゃんがやったことだし」

 

「…………」

 

「でも裁判終わらせよ」

 

 盾子は舞園にも視線を向ける。

 

「まだ終わってない」

 

 その言葉に、一部の者が戸惑った。

 

「え?」

 

 朝日奈が瞬く。

 

「もう舞園ちゃんが認めたんじゃ……」

 

「モノクマの質問にはね」

 

 盾子は中央を見る。

 

 モノクマは何も言わず、にやにやと笑っている。

 

 やはり。

 

「今回当てるのは、“最初に計画的殺人へ着手した人物”。そこだけなら舞園ちゃんでいい」

 

「なら、何が残っている?」

 

 十神が興味深そうに訊く。

 

「桑田」

 

 盾子が名を呼ぶと、本人の顔が強張った。

 

「アンタ、舞園ちゃんから逃げたあと、終わってないよね」

 

「……」

 

「自分の部屋まで戻ろうとした」

 

「それは」

 

「工具取りに」

 

 場が静まり返る。

 

 盾子は少しだけ迷った。

 

 これは今回の正解を出すためには、必ずしも必要のない話だ。

 

 舞園を投票すれば裁判には勝てる。

 

 桑田が何を思ったかまで全員の前へ引きずり出す必要はない。

 

 だが。

 

 モノクマがそこをわざと残している。

 

 それだけではない。

 

 桑田自身がこの先ここで生きていくなら、なかったことにするのも違う。

 

「桑田君?」

 

 石丸が驚愕した顔を向ける。

 

「工具とは、何のことだ?」

 

「……言っただろ」

 

 桑田は奥歯を噛んだ。

 

「捜査ん時に」

 

「我は聞いていない」

 

 大神の静かな言葉に、桑田が視線を落とした。

 

 霧切が口を開く。

 

「桑田君は舞園さんの攻撃を防いだ後、一度部屋から脱出している。その時点で彼への直接的な危険はなくなっていた」

 

「だったら良かったじゃん」

 

 朝日奈が言う。

 

「そのまま誰か呼べば――」

 

「呼ばなかった」

 

 十神が答えた。

 

「自室へ戻り、工具を取ろうとした。浴室の扉を開けるためにな」

 

 朝日奈の顔が固まる。

 

「それって……」

 

 誰も続きを言わない。

 

 桑田自身が目を閉じた。

 

「……殺そうと思った」

 

 小さな声。

 

「桑田君……」

 

 不二咲が息を呑む。

 

「俺だって分かってるよ!」

 

 桑田が突然顔を上げる。

 

「今になったら分かる! 逃げりゃよかった! 誰か呼べばよかった! でもその時は、そんなこと考えられなかったんだよ!」

 

 拳が震える。

 

「殺されかけたんだぞ……!」

 

 舞園が唇を噛む。

 

「俺が何したってんだよ。誘われて、行っただけだろ。なのにアイツは最初から俺を殺すつもりで……だったら、こっちだって……って」

 

 桑田は途中で言葉を失った。

 

「盾子に止められなかったら」

 

 掠れた声が続く。

 

「多分、戻ってた」

 

 裁判場に沈黙が落ちた。

 

 今度の沈黙は、舞園の自白の時とは違う。

 

 加害者と被害者という分かりやすい線が、一度引かれてから、すぐに滲んでしまった。

 

「だから言ったでしょ」

 

 盾子が静かに言う。

 

「今回、キレイに一人だけ悪者にして終われる事件じゃないって」

 

「ですが」

 

 セレスが口を開く。

 

「それでも、今回問われております“クロ”は舞園さんなのでしょう?」

 

「ルール上はね」

 

 盾子はモノクマを見る。

 

「そうなんでしょ?」

 

『ピンポーン!』

 

 待ってましたとばかりにモノクマが飛び上がった。

 

『さすが江ノ島さん! 今回ボクが求めている正解は、最初に計画的殺人へ着手した人物! つまり舞園さやかさんでーす!』

 

「まだ投票前だろ!」

 

 石丸が怒鳴る。

 

『あっ』

 

 モノクマが両手で口を押さえる。

 

『うっかり!』

 

「お前……!」

 

『まあまあ、ここまで来たらサービスってことで! でもちゃんと投票してね! システム上必要だから!』

 

 盾子は目を細めた。

 

 ふざけているように見える。

 

 だが今、モノクマはわざわざ正解を口にした。

 

 裁判を成立させたいだけなら、こんな真似をする必要はない。

 

 何より。

 

 桑田の報復殺人未遂まで皆の前で暴かせた。

 

 黒幕が欲しいのは正解だけではない。

 

 舞園と桑田。

 

 苗木。

 

 そしてクラス全体。

 

 関係が傷つくところまで含めて、この裁判なのだ。

 

 演出。

 

 そんな言葉が盾子の頭へ浮かんだ。

 

 誰かがこの状況を、物語として組み立てている。

 

 その考えに辿り着いた途端、背筋を寒気が走る一方で、脳の奥では別の感覚が動き始めた。

 

 面白い。

 

 相手が何を狙っているのか。

 

 どうして自分をむくろの偽映像で誘導したのか。

 

 次に何をしてくるのか。

 

 知りたい。

 

「……っ」

 

 盾子は奥歯を噛んだ。

 

「江ノ島さん?」

 

 苗木がこちらを見る。

 

「平気」

 

「でも……」

 

「今は投票」

 

 自分へ言い聞かせる意味の方が強かった。

 

『ではでは! 投票タイムとまいりましょう!』

 

 各自の壇上へ投票装置が現れる。

 

『今回のクロだと思う人物へ、清き一票をお願いしまーす!』

 

 盾子は舞園を見る。

 

 目が合った。

 

 舞園は逃げなかった。

 

 泣いてはいる。

 

 怖がってもいる。

 

 それでも、こちらを見返した。

 

 盾子はボタンへ指を伸ばす。

 

 舞園さやか。

 

 それが正解。

 

 それが事実。

 

 友達であることと、やったことをなかったことにするのは別だ。

 

 盾子は押した。

 

 最後の投票が終わる。

 

 一拍置き。

 

 派手な電子音とともに結果が表示された。

 

 舞園さやか。

 

 圧倒的多数。

 

『大正解ー!』

 

 モノクマが紙吹雪を撒き散らす。

 

『今回、最初に計画的殺人へ着手したのは、超高校級のアイドル! 舞園さやかさんでしたー!』

 

 誰一人喜ばない。

 

 舞園は静かに目を閉じた。

 

 苗木も、桑田も、彼女を見ていない。

 

『いやぁ、それにしても残念だったねぇ! せっかくの第一回なのに誰も死なないなんて!』

 

「誰も死ななかったなら、それでいいだろ」

 

 苗木が言った。

 

『えー?』

 

「舞園さんがやったことは間違ってる。桑田君だって、もう少しで取り返しのつかないことをするところだった。でも……二人とも生きてる」

 

 苗木の声は震えていた。

 

 それでも続ける。

 

「だったら、まだやり直せる」

 

 舞園が顔を上げる。

 

 桑田は視線を逸らした。

 

『ふーん』

 

 モノクマはつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

『希望的観測ってやつ? 苗木君らしいねぇ』

 

「何だっていいよ」

 

 苗木は珍しく強い声で返した。

 

「誰も死ななかった。それだけは、お前の思い通りじゃなかったんだ」

 

 モノクマが黙った。

 

 ほんの一瞬。

 

 盾子は、その一瞬を見逃さなかった。

 

 それからモノクマはいつもの笑顔へ戻る。

 

『ま、いっか! 今回は初回特典もあることだしね!』

 

「初回特典?」

 

 葉隠が嫌そうな顔をする。

 

『ルールに書いた通り、正解したのでクロへの処刑はありません!』

 

 舞園の肩から微かに力が抜ける。

 

 だが。

 

『ただし!』

 

 全員の空気が再び硬くなった。

 

『何のお咎めもなしじゃ教育上よろしくありません! というわけで、舞園さんには三日間の個室隔離をプレゼントしまーす!』

 

「隔離?」

 

 朝日奈が眉を寄せる。

 

『食事も水もちゃーんと出るよ! トイレもあるし、安全安心! ただし他のみんなとは会えませーん!』

 

「それだけ?」

 

 盾子は思わず訊いた。

 

『不満?』

 

「いや……」

 

 盾子は警戒した。

 

 あまりにも軽い。

 

『うぷぷ。そんな怖い顔しなくても、今回は本当にそれだけだってば』

 

 モノクマは楽しそうに首を振る。

 

『最初からいきなり大サービスしちゃったら、次回以降のハードルが上がっちゃうでしょ?』

 

 次回。

 

 その言葉が嫌に響いた。

 

『ただし覚えておいてね』

 

 モノクマは片方の目だけを細める。

 

『次もクロが生きて帰れるとは限りません』

 

 舞園の顔から血の気が引いた。

 

『今回は死人がいなかったから特別! 次に本物の殺人が起きたら、原則通りクロには――』

 

 モノクマが喉元を横切る仕草をする。

 

『スペシャルなおしおきを用意してあげるからね!』

 

「次なんか起こさせねーよ」

 

 大和田が低く言う。

 

「そうだ!」

 

 石丸も続いた。

 

「今回の事件を教訓とし、二度とこのような事態を起こさぬよう全員で協力すればよい!」

 

『そう言ってられるといいねぇ』

 

 モノクマは笑った。

 

『それじゃ第一回特別学級裁判、これにて閉廷ー!』

 

 裁判場から戻るエレベーターの中には、行きとはまた違う沈黙が満ちていた。

 

 正解した。

 

 全員生きている。

 

 それなのに、誰一人として達成感のある顔をしていない。

 

 舞園の隔離はすぐに始まるらしく、エレベーターを降りればモノクマの指示に従って別室へ移動させられることになっている。

 

 盾子は壁へ背を預け、向かい側にいる舞園を見ていた。

 

「盾子ちゃん」

 

 舞園が小さく呼ぶ。

 

「ん?」

 

「三日後」

 

「うん」

 

「ちゃんと、話します」

 

 苗木と。

 

 桑田と。

 

 言葉にはしなかったが、それで十分だった。

 

「逃げんなよ」

 

「はい」

 

「あと泣きすぎて顔腫らしたら、アイドル的にマイナスだから」

 

 舞園が一瞬ぽかんとし、それから涙の残った顔でほんの少し笑った。

 

「そこを心配するんですか?」

 

「大事でしょーが」

 

「ふふ……」

 

 小さい。

 

 それでも本物の笑いだった。

 

 桑田がそちらを見た。

 

 すぐに顔を背ける。

 

 まだ無理だ。

 

 それでいい。

 

 盾子は何も言わなかった。

 

 エレベーターが止まり、扉が開く。

 

 待っていたモノクマに連れられ、舞園だけが別の廊下へ向かうことになった。

 

「舞園さん」

 

 苗木が呼び止める。

 

 舞園が振り返る。

 

 けれど苗木は何かを言おうとして、結局口を閉じた。

 

「……三日後に」

 

 それだけだった。

 

 舞園は泣きそうな顔で、それでも頷いた。

 

「はい」

 

 そのまま姿が見えなくなるまで、誰もその場を動かなかった。

 

「なあ」

 

 最初に口を開いたのは桑田だった。

 

 全員の視線が向く。

 

「俺……部屋戻るわ」

 

「一人で平気?」

 

 朝日奈が心配そうに訊く。

 

「平気じゃねぇけど」

 

 桑田は頭を掻き、顔を背けた。

 

「今は誰とも話したくねぇ」

 

 誰も引き止めなかった。

 

 盾子も。

 

 それが一番いい。

 

 桑田が去る。

 

 苗木も少しして「僕も今日は休むよ」と自室へ向かい、他の面々も一人、また一人と散っていった。

 

 最後まで残ったのは盾子とむくろ、それから霧切だった。

 

「盾子ちゃん」

 

 むくろが隣へ来る。

 

「部屋戻ろ」

 

「うん」

 

 盾子も頷こうとした。

 

「待って」

 

 霧切の声。

 

「何?」

 

 盾子は振り返る。

 

 霧切はいつもの無表情に近い顔で立っていた。

 

「一つだけ」

 

「また尋問?」

 

「確認よ」

 

「一緒じゃん」

 

「あなた」

 

 霧切は盾子の軽口を無視する。

 

「裁判中、楽しんでいた?」

 

 盾子の表情が止まった。

 

 むくろも霧切を見る。

 

「……は?」

 

「一瞬だけ」

 

「何言ってんの」

 

「違うならいいわ」

 

 霧切はそれ以上追及せずに背を向けた。

 

「ちょっと待って」

 

「何?」

 

「言い逃げやめてくんない?」

 

「今追及しても、あなたは答えないでしょう」

 

「……」

 

 図星だった。

 

 霧切はそのまま歩いていく。

 

「おやすみなさい」

 

 足音が遠ざかる。

 

 盾子はしばらく動けなかった。

 

「盾子ちゃん」

 

 むくろの声が聞こえる。

 

 優しい。

 

 だから余計に。

 

「……部屋戻る」

 

 盾子は姉の顔を見ないまま歩き始めた。

 

 自室へ戻り、鍵を掛ける。

 

 化粧を落とす。

 

 髪を解く。

 

 制服を脱ぎ、適当な部屋着へ着替える頃には、表で使っていた明るさは完全に消えていた。

 

 ベッドへ腰を下ろす。

 

「……疲れた」

 

 身体より頭が重い。

 

 舞園を止めた。

 

 桑田も止めた。

 

 裁判も正解した。

 

 誰も死ななかった。

 

 完璧ではない。

 

 舞園は桑田を傷つけた。

 

 桑田も殺意を抱いた。

 

 苗木も傷ついた。

 

 クラスの信頼だって、昨日までと同じではない。

 

 それでも。

 

 全員生きている。

 

「勝ちじゃん」

 

 盾子は呟いた。

 

 それでいい。

 

 そう思えばいい。

 

 なのに、頭の中では別のものが何度も再生される。

 

 包丁。

 

 模造刀。

 

 メモ。

 

 部屋交換。

 

 桑田の証言。

 

 舞園の自白。

 

 皆の発言が重なり、それぞれの可能性が一つずつ削られ、最後に一つの答えへ収束していく感覚。

 

 途中。

 

 自分の知らない議論へ進んだ瞬間。

 

 胸が高鳴った。

 

「……違う」

 

 盾子は額を押さえた。

 

 違わない。

 

 知っている。

 

 自分の感情くらい。

 

「怖かっただけ」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 嘘。

 

「全員死ぬかもしんなかったし」

 

 それも本当。

 

 でも全部ではない。

 

 鏡台の前へ視線を向ける。

 

 そこには化粧を落とした自分の顔が映っている。

 

 盾子はしばらく見つめたあと、ゆっくり口元へ指を当てた。

 

 昔。

 

 むくろが怪我をした時。

 

 血を見て。

 

 大切な姉が傷ついたことが怖くて。

 

 泣きそうになった。

 

 なのに自分は笑っていた。

 

 あの時と。

 

 少し似ていた。

 

「……最悪」

 

 声が掠れる。

 

 裁判が楽しかった。

 

 人が死にかけた事件を材料に。

 

 友達が追い詰められて。

 

 全員の命まで賭かっていて。

 

 それでも、真相へ近づく感覚を面白いと思った。

 

 知らない展開が起きたことに興奮した。

 

 次に何が起きるのか知りたくなった。

 

 盾子は両手で顔を覆った。

 

「やめろって……」

 

 心臓はもう落ち着いている。

 

 それなのに、思い出すだけで胸の奥に微かな熱が戻ってくる。

 

 嫌悪。

 

 恐怖。

 

 そして。

 

 それすら。

 

「……気持ちいいとか」

 

 その先は言わなかった。

 

 言葉にしたくなかった。

 

 しばらくそうしてから、盾子はゆっくり手を下ろした。

 

 舞園は生きている。

 

 桑田も。

 

 それが事実。

 

 なら。

 

「……いいじゃん」

 

 自分へ言い聞かせる。

 

「二人とも生きてんだから」

 

 今回、自分は未来を変えた。

 

 原作を知っていたから助けられた。

 

 途中で黒幕に邪魔された。

 

 知らないルールまで追加された。

 

 それでも助けられた。

 

 なら次も。

 

 原作で誰が死ぬか知っている。

 

 どこで事件が起きるかも、どんな動機が使われるかも知っている。

 

 今回より早く。

 

 もっと上手く。

 

「全員……」

 

 盾子は鏡の中の自分を見る。

 

「救える」

 

 その言葉を口にすると、不思議なくらい安心できた。

 

 舞園の事件を止められたという成功が、根拠になっている。

 

 そして同時に。

 

 黒幕が自分の行動を読んでいた事実を、盾子はまだ少しだけ軽く見ていた。

 

 同じ頃。

 

 誰もいない暗い部屋で、複数のモニターだけが光っていた。

 

 朝食会。

 

 動機映像。

 

 廊下に立つ舞園と桑田。

 

 ランドリー室へ駆け込む盾子。

 

 桑田を止める盾子。

 

 学級裁判。

 

 いくつもの映像が同時に再生され、その中の一つだけが何度も巻き戻されている。

 

 舞園が桑田へメモを渡すより前。

 

 まだ何も起きていない時間。

 

 盾子が廊下の角から二人を見ている。

 

 映像が止まった。

 

 再生。

 

 巻き戻し。

 

 また停止。

 

 暗闇の中で、人影が画面へ指を伸ばした。

 

「おかしいな」

 

 声だけが落ちる。

 

「この時点じゃ、まだ何も起きてない」

 

 別の映像へ切り替わる。

 

 桑田が自室へ戻ろうとするより早く、盾子が寄宿舎へ向かっている。

 

「それも」

 

 さらに別の映像。

 

 盾子が舞園の異変を、動機映像直後から追っている。

 

「これも」

 

 沈黙。

 

 やがて小さく笑う声がした。

 

「……どうして知ってたの?」

 

 答える者はいない。

 

 モニターの中で、裁判中の盾子が一瞬だけ笑っている。

 

 本人すらすぐには気づかなかった、ごく僅かな変化。

 

 映像がそこで静止した。

 

「でも」

 

 指先が、その笑顔をなぞる。

 

「やっぱり、ちゃんといるじゃん」

 

 モニターの光だけが、人影の口元を僅かに照らした。

 

「江ノ島盾子」

 

 映像が暗転した。

 

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