レンタカーにも喫煙車があってよかった。ただそれだけで、ちょっと得した気分になれた。
ここからは片道二時間半の長距離ドライブだし、のんびり気楽に行きたい。
ヤクはポケットからセブンスターを取り出し、一本を口にくわえた。ちょうどそのタイミングで信号が赤から青に変わったので、前の車に合わせて、ヤクも車を走らせる。
「ハメ子、ちょっと火とってくれない。左のポケットに入ってるから」
「えー、今ハメちゃん忙しいー。手が離せないのー」
「それはこっちのセリフだよ。今からインターチェンジなのに」
「はいはーい。しょうがないなっと」
助手席に座ったハメの手がズボンの左ポケットを探ってきた。
「ちょっ……そっちじやなくて上着だよ、上着! どこ触ってんだ!」
「どこってヤクが左ポケットって言うからじゃん! んっと……あったあった、はい、これね」
──シュボッ……
口にくわえたままのタバコにライターの火が添えられる。息を吸うとタバコの先が赤くなって煙が昇った。喉の奥に流れ込んだ煙が緊張をほどいてくれる。
二時間半の運転なんて普段なら面倒くさいだけはずなのに、なぜか今日はそれほど嫌じゃなかった。
車線に緑の矢印で「高速道路入口」の文字が見える。急カーブになった道路を上っていくと、見慣れたはずのにゃがみ原の街がいつもと違って見えた。
ETCを抜けてから速度を上げ、高速の本線に合流する。免許をとってから何度か運転を任されることはあったけど、未だに高速との合流は慣れない。それでもなんとか無事に流れには乗ることができた。
車窓の外をちらっと見ると、高架下に広がったにゃがみ原がどんどん遠退いていっていた。
「……旅行かぁ。もしかしてヤクって実は旅好きだったりするの?」
「やんだよ、藪から棒に」
「だってこの前もパワースポットの滝に行こうとしてたじゃん。立入禁止になってたけど」
確かに前回、ヤクは
「別に旅好きってわけじゃ……今回もたまたま福引きが当たっただけだし」
「へぇー」
「なんだよ」
「いやー、福引きが当たったらまず誘うのハメちゃんなんだー、と思って。んふふふ」
「気色悪いこと言うな。降ろすぞ」
「えー、ひっどーい」
助手席のハメが喜色満面の笑みでニヤニヤしてくる。運転中でなかったら電気アンマの刑に処してやってたのに。思わずアクセルを踏む足に力が入る。
「あと、ハメ子を最初に誘ったわけじゃないからな」
「…………えっ」
ハメ子が笑顔のまま凍り付いた。
◯ ◯ ◯
そもそも今回の旅行が決まったのが一週間前、商店街の福引きで、ヤクが旅行券を当てたのが切っ掛けだった。
個人的にはポケットティッシュかタオルでももらえれば万々歳だと思っていたのだが、ガラガラから出てきたのはまさかの金色の玉。それを見た抽選員が大きくベルを鳴らした。
そうして手渡されたのが一泊二日の温泉旅行券だった。あまりに太っ腹すぎて、実は商店街全体が結託してドッキリを仕掛けているのではないかと疑ったくらいだ。
しかし、なぜこの旅行券が特賞の景品になっていたのか日付を見て納得した。
有効期限が今月末になっている。
(これ、売れ残っていたから福引きの景品にしたんじゃ……)
閉店間際のスーパーで半額シールの貼られた惣菜が頭に浮かんだ。
(まぁいっか)
ただで温泉旅行をもらえたのだし、よしとしよう。
◯ ◯ ◯
アパートに帰ってまず先輩を誘ってみた。同じ喫煙者のよしみなのと部屋が隣なのもあって、なにかと話しやすくもあったのだが──。
「無理にゃ。月末はずっと派遣の仕事入ってるにゃ」
「……そっすか」
「それよりタバコくれにゃ」
「えー」
眉をひそめつつも、なんとなくタカられそうな気はしていた。月末になるとタバコや食べ物を求めて部屋を訪ねてくるのが先輩の習性なのだから。
「たまには自分で買ってくださいよ」
「ニャーは今月も厳しいにゃ。シケモクでもいいかれくれにゃ」
「シケモクはこの前、処分しちゃってて」
「…………」
「……もう、一本だけですよ?」
それを言うなり先輩はヒマワリのような笑みになる。どうやら自分は他人の笑顔に弱いらしい。
「やっぱり持つべきは後輩にゃ」
封を切ったばかりの新品の箱を開けると、先輩は迷わず二本を抜き取っていった。あの、一本って言いましたよね?
それからアパートの他の面々にも声をかけてみたが、結論からいうといい返事はもらえなかった。
大谷さんは町内会の予定があって、カンサイさんは飲み会ラッシュ、アル子さんは旅先で酒が切れたら大変なことになるので、そっとしておいた。そうして最後に残ったのが──。
「えっ旅行! 行く行く、ハメちゃんねるにも動画あげたいし!」
配信の準備をしていたハメだけが乗り気な返事をくれた。本来なら真っ先に声をかけていたはずなのに、前回ちょっとやらかしたのもあって、ヤク自身、声をかけづらかった。
(なんか、気にしてた私がバカみたい……はは……)
たったそれだけのことなのに、なぜだか頬が緩んでいた。
◯ ◯ ◯
「そういえばさー」
「どした?」
もうそろそろ高速に乗って一時間になろうかという頃、助手席のハメがぶっきらぼうに声をあげた。
「ハメちゃん、まだ旅先がどこか聞いてなかったんだけど、結局この旅行ってどこ行くのー?」
「おまえ、今まで知らずに乗ってたのかよ」
「ヤクのことだからまたパワースポットかなーって勝手に思ってたんだけど違った?」
「そんな頻繁にパワースポットなんか行かないって。あとそれ、私の顔と声はちゃんとカットしといてよね」
ヤクが気にしていたのはハメのスマホだ。ピンクの猫耳カバーに入った端末は今、車載マウントに取り付けられて車窓からの景色を撮影している。帰ったら編集してハメのチャンネルにVlog風動画とかいうのにしてアップするらしい。
「わかってるわかってる。ちゃーんとモザイクとピー音で処理しとくから」
「おまえ、私のことウ◯コかなんかだと思ってる?」
「んんー? ハメちゃん、アイドルだからそんな汚いもの知らないよー?」
知らないだけで否定はしないのか。ふーん。
「でも、ヤクのことだからハメちゃんを変なとこに連れてったりはしないでしょ?」
「……えっ、そりゃ……まぁ」
なんで自分は返事に窮しているのだろ。さっきまで道端のウ◯コにモザイク処理するような扱いだったのに、急にそんな信頼を寄せてこられても困る。
運転に集中しないと。ここは高速のど真ん中で、車は時速90kmを越えているのだから。ヤクはハンドルを握る手に力を入れる。
一直線に進む高速道路の高架はずっと遠くに見える山々に吸い込まれているみたいで、その上に広がった空もきれいな青色をしている。遠出するにはもってこいの天気で、予報を見て内心はしゃいでいたのが今から思うとめちゃくちゃ恥ずかしい。
気を落ち着かせようと、タバコの煙を吸い込んだが、なんだか喉がいつもよりくすぐったい。
「それで、結局どこ行くの?」
「
「へぇー、その温泉ってなんか効能とかあるの? あっ、ハメちゃん美肌の湯に入りたーい。この頃、4K画質で動画観るリスナーが増えてきたから肌荒れ対策しとかないと即バレしちゃうんだよねー」
「おまえ、肌荒れしてんの?」
「んん? まだしてないよ、でも備えあれば憂いなしでしょ?」
「あっそ」
ハメが美容に気を遣ってるのはちょっと意外だった。格ゲーと配信しかやってるところ見たことないが、その陰でせっせと保水液とか化粧水を使っているのだろうか。
口に加えたままのセブンスターが随分と短くなってきたし、そろそろどこかの休憩を入れたい。ちょうど見えた標識によると、この先にサービスエリアがあるらしい。
(……誕生日に化粧水でも買ってやるか)
タバコの灰を備え付けの灰皿に落としながら、ヤクは車線を変更した。もう間もなくサービスエリアの入口が見えてくるはずだ。
ヤクは「ハメ子」呼び、ハメは「ヤク」呼びで進めさせてもらってます。なんやかんや言いつつ仲のいい二人がみてて微笑ましいです。電気アンマするで部屋を濡らすのも含めて。