「あれ? ヤク、タバコ吸わなくていいの?」
「もう煙も入んないよ。誰かさんのお陰で」
「てへへ」
サービスエリアを抜けた車は再び高速を走っていた。過酷な昼食を終えて、目指すは
到着まであと一時間半ほどの見込みだが、さっきハメの食べきれなかった唐揚げ丼マウンテンを手伝ってからヤクの胃はもう何も口に入れたくないと叫びっぱなしだった。
ハメのピンク色をした猫耳スマホも再び車載マウントに取り付けられている。
車窓から見える景色はにゃがみ原を出てすぐとかなり違ってきていた。高速道路の左右には木々が生い茂り、遠くに見えていた山々も随分と近づいてきている。出発してから変わらないのはよく晴れた青空だけだった。
こういうのを眺めながらのドライブも乙なものなのだが──。
「なんか、暇だよね」
「暇だな」
高速の運転にはだいぶ慣れてきたし、風光明媚な自然も十分と見続けていたらさすがに飽きがくる。しかもタバコを吸う気にもなれない。
カーナビの道案内はまっすぐで、代わり映えのしない景色がずっと続いている。
「ねぇ、しりとりしない?」
「なんでだよ、小学生じゃあるまいし」
「いいじゃん、暇なんだから。ハメちゃんからね。リンゴ」
こうなったら付き合うしかない。ハンドルを握りながらヤクは答える。
「ゴリラ」
「ラッパ」
「パンダ」
とまぁ、ここまでは誰もが知ってるテンプレの組み合わせだ。ヤクだって最初から本気にするつもりはなかった。高速を降りるまでハメが退屈しないようにちょっと付き合ってやろうと、そのくらいの気分だった。
だから最初の十分くらいは適当に相手のワードを聞きながら、それに続くワードを返していた。
ところが、二十分が経つ頃には二人して真顔になっていた。車内の空気がだんだんと重苦しくなってきたが、それでも窓は開けない。開けたら負けを認めるみたいにな雰囲気があったからだ。
そして、三十分が経つ頃には相手のワードに対してどう返すかを眉間にしわを寄せながら考えるようになってきていた。それだけではなく──。
「エタノール!」
「ルーマニア!」
「アセトアルドール!」
「ル、ル……ルクセンブルク!」
ハメ子のやつ、さっきから『る』ばっかり言ってきやがって。あっさり順番が回ってくるたび、ヤクは歯噛みした。
「クール!」
「あっ、それさっきも言っただろ!」
「さっきのは『
「うぅっ……ありかよ、そんなの」
「へへーん、そろそろボキャブラリーも尽きたんじゃないの? 降参するなら今のうちだよ」
助手席のハメが「ぐふふふ」とやらしい顔で笑ってくるのを無視して、ヤクは運転に集中する。
車は高速のインターチェンジを抜けて、もう下道へ入っていた。高架下に見えていた景色が車窓のすぐそこにまで迫ってきている。
にゃがみ原と違って、山間部が近いからか道も曲がりくねっていて、そこかしこに下り坂や上り坂がある。民家は見えるけど、その後ろには鬱蒼とした森が広がっていて、それで思い出した。
「ルリクワガタ!」
「えっ、なに? クワガタ? そんな都合のいい名前のクワガタなんているわけ……えっ、実在するの!? なんで!?」
勝手にニャオ検索したハメ子が助手席で自爆していた。
ルリクワガタは他の種みたいに顎は発達していないけど、背中の光沢が宝石の瑠璃みたいに深い青や緑に見えてとても珍しがられている。ヤクもそこが好きだった。
「……っていうか、なんでヤクがそんなマニアックな昆虫知ってるの? 意味わかんないんだけど」
「そりゃ……先輩とのクワガタ捕りで見つけたから」
「ヤニっちの助太刀とか卑怯な!」
「ひとの思い出を卑怯とか言うな」
あれは確かバイトをクビになった頃だった。アパートの誰からも相手してもらえず、ひとりで自転車に跨がっていた時、バイトを抜けてきた先輩が「暇だからニャーも付き合うにゃ」と荷台に乗ってきたのだ。子どもっぽいと言われるかもしれないがあの時は純粋に楽しかった。
それはそうと、負けず嫌いなハメとのしりとり合戦は終わらず、ワードを考えながら車を走らせていると、遂に宿泊先である温泉旅館に着いてしまった。
ただっ広い駐車場はシーズンではないはずなのに、そこそこ混んでいた。ファミリーカーやキャンピングカーが多いので、ざっと見た感じでは団体客が多そうだった。
車を降りると、駐車場を囲う森がさわさわと鳴いた。秋が終わって冬がやってくる手前の、どこかちょっともの寂しくて涼しい風がヤクの頬を撫でていく。それから温泉地特有のあの匂いも。
ここから道路を渡ってすぐのところが今日から泊まる『松乃宿』だ。
玄関先には日本庭園を思わせる立派な松の木が植わっていて、幹から横に伸びた枝が垂れ下がって、門のようになっている。松に独特の鱗のような樹皮と合わさって、ヤクには龍のように見えた。実際、
ハメに話すと「プチ名物って要するにマーライオンみたいってこと?」とまぁまぁ失礼な感想が返ってきた。そう言いながらも自撮り棒を使って記念撮影は念入りにやっていたが。
(なんていうか……)
売れ残りの旅行券だから大して期待していなかったところもあったけど。
「……思ってたより、いいじゃん」
自然と頬が微笑む。
「ヤク」
「なに?」
「いま『ん』って言ったよね」
「…………」
さっきまで自撮りにご執心だったハメがニヤニヤしながらこっちを見てくる。この上なく意地汚い笑顔をしてやがる。
運転の傍ら白熱したしりとりはハメの『恨み顔』の『お』で終わっていた。そして、さっきヤクが口にしたのが『お』から始まる『思ってたより、いいじゃん』だったわけで──。
「いぇーい、ハメちゃん勝ちー! ヤクってばボキャブラリー貧弱すぎー!」
「はいはい、わかったから。チェックインするぞ、ほら」
はしゃぎまくるハメに付き合ってたら日が暮れる。適当にあしらって松の木の門をくぐろうとしたが、ぐいっと肩を組まれて、
「ちょっと待って待って。記念撮影しないと。せっかくのハメちゃんのしりとりチャンピオン防衛戦なんだから」
「なんで元からおまえがチャンピオンの前提なんだよ」
「いいから、いいから。はい、ピースして」
「うぇえ……」
ヤクは眉をハの字をしながら指でピースする。ところが、自撮り棒を構えたハメは「アイ アム ナンバーワン!」と言わんばかりに人差し指を立てている。これじゃヤクのピースがナンバーツーみたいじゃないか。そう言おうとした瞬間──。
──パシャ!
スマホのシャッターが切られた。松の木の門を背景に肩を組んだハメとヤクがバッチリと写っている。
◯ ◯ ◯
こんな風情のある旅館は始めてだった。『松乃宿』は昔ながらの日本家屋らしい佇まいで、瓦屋根の奥からはまだ明るい空を背景にもくもくと湯気が立ち上っている。スーパー銭湯とはまた違った天然の温泉だ。
玄関をくぐると、着物姿の仲居さんたちが行き交っている。受付に人がいなかったので、誰か呼ぼうとした時だった。
「いらっしゃいませにゃ。ご予約されてますかにゃ」
「……」
「……」
「ご予約されてますかにゃ」
「えっ、あ、はい……二人で宿泊の越司丸です……」
「にゃ。かしこまりましたにゃ」
てきぱきと受付のタッチパネルでチェックインの手続きをする獣人の仲居さん。恐らく消そうとしたのだろうが、どうしようもなかったであろうヤニ臭さが仄かに香ってくる。間違いない。
「先輩、なにしてるっスか」
今しがた奥から出てきてチェックイン手続きをしている仲居さんは何を隠そう、ヤニねこ先輩だった。
「にゃ? ニャーは派遣で今だけここで働いてるにゃ」
「えぇっ、本物? そっくりさんじゃなくて?」
隣で見ていたハメも信じられないという顔をする。確かに先輩は顔と体はいいので、身だしなみだけ整えれば別人のようになる。けど、このヤニ臭さはどう嗅いでも本人だ。
「おー、よく見たらハメとヤクにゃ。どうしたにゃ」
「いや今まで気づかずに接客してたの」
「タバコの臭い似てたからもしかしたら、とは思ってたにゃ。ひょっとして福引きでタダ券引いた客ってオメーらにゃ」
「そっスよ」
「……」
と、そこで先輩の目がヤクとハメを往復する。
ヤクはいつもの襟にファーのあるアウターとパンツ、ハメはパーカーにホットパンツとどちらも観光客の格好だ。一方で先輩はきっちりとした若草色の
「いいご身分だにゃ。ヤク、替わってくれにゃ」
「いや、さすがに先輩の頼みでも無理っスよ」
◯ ◯ ◯
あのあとチェックインを済ませられず、途中からやってきた別の仲居さんにタッチパネル操作をしてもらい、ヤクとハメはようやく荷物を預けられた。
「それじゃ、お部屋にご案内するにゃ」
そのまま先輩の背中についていく。
年季の入った木の廊下は隅々まで磨かれていて、
ふと見えた窓の外には中庭がある。小さいながらも
普通なら心を落ち着かせて堪能するのだろうが、ヤクは心の中でスキップしたい気分だった。
(やっぱり、来てよかった。先輩には申し訳ないけど、こうなったら存分に楽しまないと。それに先輩には最初に声かけたし……)
まさか都合のつかなかった先輩の派遣先が宿泊する旅館だとは夢にも思わなかったが。
そうこうしていると、先輩が立ち止まった。廊下が左右に広がり、松の木の描かれた襖が横一列に並んでいる。正面にはちょうど枝に鳥がとまった襖がある。
「ここが自分たちの部屋っスか」
「いや、ここじゃないにゃ」
「じゃどこに……」
と、その先を言いかけて、ヤクはもしかしてと嫌な予感を覚えた。ハメは呑気に頭に「?」を浮かべている。
「迷ったにゃ」
あー、やっぱりっスか。
この旅館には喫煙所があります。なぜならあのヤニねこが脱走せずに働いているから。